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もうすぐ北風が強くなる

百人百話:田口葉子さん

  百人百話:田口葉子さん  書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から

Q.自己紹介をお願いします。

 初めまして。
 私は福島県のいわき市、いわき生まれで、田口葉子と申します。
 私の住んでいるところは、いわき市でも、そうですね、原発からいうと53㎞くらいのところにあります。泉町のほうになります。そこの所謂新興住宅地のところに、会社員をしております主人と小学校4年生になります女の子の3人で、あとペットが2匹いますけど、そのペットを2匹含めた5人で生活しております。

Q.お仕事は?

 美容関係の仕事をさせていただいております。

Q.3.11の前後の変化

 そうですね。
 仕事においても、生活においても、子供に対する学校生活、主人の仕事、全て、私の実家、おばあちゃんとかおじいちゃんについても、考え方もすべて変わってしまったっていう。
 3.11の大震災の前と後と私の生活、家族の生活、すべてが変わったと思います。

Q.3.11発災当時の状況

 ちょうど2時46分っていう時間帯は、私、まだ去年ちょっと入院しまして、退院したあとでまだ仕事も再開してなくて、家でおばあちゃんと一緒にテレビを見ていたんですね。
 そこでグラグラっと地震速報がなったかどうかも覚えてないんですけど、突然の揺れが来たことでびっくりして、とにかく避難経路を確保しようっていうことで、窓を開けながら家の外壁を見ていると、家の外壁がグラグラと揺れていて、そこでしばらく地震が続いたので、そこで立ち尽くすっていうか、おばあちゃんなんかは座ったままの状態だったんですけど、その後ちょっと収まってから、ふっと我に返った時に、
「娘が帰ってくる時間だ」
 子供が。
「果たして学校から出てしまったんだろうか」
とか、
「無事に帰って来れるだろうか」
「迎えに行かなくちゃ」
っていう、ただ、余震がすごかったので、もうどうしていいかわからない、パニック状態に陥っていました。
 ちょうどご近所の方もいる方はびっくりして外に出ていたので、皆で
「とにかく道路のところに安全なところに居よう」
って言って、そしたら娘がちょうど帰ってきたんですね。
 子供たちはちょうど学校から出てしまっていて、途中で地割れをするところを見たりとか、瓦が落ちてきたところとかはなかったんですけど、そういったところでも子供たちもパニックで帰ってきて、ご近所の方達、あのとき寒かったんですけど、雪もちょっと降ってきたんですね。いわきのほうでは。
 そんな状況で外にずっと5時くらいまで居て、まさか津波が来てるとか、全く電話もつながらなければテレビを見る余裕もなかったので、まさかあんなにひどくなってるとは思ってもみませんでした。

Q.震災の情報はどこから?

 まず、3月11日の震災の時には、電話も何もつながらない、やっと夕方少し落ち着いてからテレビを見て、津波の被害とかものすごい建物の損壊とか、そういったのを初めて目にしたんですね。
 その日は怖くてもう着の身着のままで寝て、次の日をむかえるんですけども、まず水が出ないということで、水が出ないけどっていうことで、初めて本当にすごいことなんだなっていうのに気づいて、テレビをつけるとまだ原発が爆発したっていうのは、ちょっと耳にしてなかったような気がするんですね。
 次の日、とにかくいわきは、ものがない、水が出ない、震災当日の日も自動販売機とかでお水を探したんですけど全くなくて、隣のご主人、やっぱりご家族三人で女の子が一人幼稚園に行ってる子がいるんですけれども、その方が「一緒に買い物に行きましょう」って言ってくれて、一緒に買い物に行ったんですね。
 その時にすごい行列、200人くらい外で待っていたと思います。普通にマスクもせず、何もせず、普段着で買い物に行きました。買い物に行って、外で2時間くらいまって、やっと一人10品というもので、とにかく必要なものを買おうという形で買いました。
 その後帰ってきて、新聞とかも多分来てなかったと思い・・・、あ、次の日は新聞は来てたんですね。新聞の情報よりもまずテレビの情報を、24時間テレビをやってる状況だったので、見ていて3月13日くらい・・・ちょっと時系列がわからないんですけども、枝野官房長官がその当時出ていた時に、
『非常事態だ。原発が爆発した。福島だ』
っていうことで、福島の原発は、第一と第二があるんですけれども、それによっていわきからの距離も若干違うんですね。
『第一原発が爆発した。』
 その時に、
「いわきは何キロ何だろう」
って思ったんですけど、その時うちの主人が地図を見て、だいたい直線だと50㎞圏内か、もしくは60㎞圏内くらいの位置だということで、
「じゃぁ、大丈夫なのかな?」
 だからその程度だったんですね。
 でも、そのうち、枝野さんの尋常じゃない汗を見て、
「本当にこれでいいんだろうか」
と、不安になるんですけれども、その時にうちには家族3人にほかに、うちの主人のおじいちゃんが施設の方から水も出ない、職員も少ないという形で、私の自宅の方に来たんですね。私の母親もいましたし、おばさんも一人住まいなので、6人で家で避難してた感じですね。
 そんな形でいたので、なんでいうんですかね。とにかく食料もなくて不安だらけだったんですけども、14日になって『原発が爆発した』と。その時に、
「爆発・・・、爆発って何だろう・・・」
っていう感じだったんです。
「どんな爆発なんだろう?」
と全く知識が無いので、原発のことは考えたことが無かったんですね。
 15日、はい、テレビで爆発してるシーンも見ましたし、その時に初めてインターネットを開いて様々な情報が、本当かウソかはわからないまま情報を鵜呑みにしていたこともあるんですけども、その中で15日にはうちの周りは新興住宅地で、小さいお子さんを持ってる方がほとんどなんですね。みんな居ないんですよ。避難してしまって。その時に、
「これは本当にヤバいのかな・・・?」
ってちょっと思って、娘を外に出した記憶はないんですけども、とにかく水は無いから水はくんでこなきゃいけない。周りは居ない。ガソリンも無いので車も走っていない。食料もない。

Q.いわきの西、須賀川への避難

 15日の夜、多分7時過ぎだったと思うんですけど、一度須賀川に親戚が居るので、須賀川のほうに行こうと思ったんですけど、須賀川はいわきから見ると西側の方ですかね。そちらのほうにとにかく遠くに逃げればいいんじゃないかっていう考えしかなかったので、そちらに行こうと試みたんですけども、でも、その時に乗ったのが、私と娘と私の母と叔母の4人だけだったんですね。主人と主人の父親は、いわきに置き去りにしてしまったんですね。車に乗れないということと、主人の父親がやっぱり体もおぼつかないのもありますし、
「避難したくない」
っていうことがあったので、
「じゃあとにかくお前たちだけで行け」
ということだったので、夜7時すぎだったと思うんですけど、一度家を離れたんです。でも、途中まで行ったときに、とにかく心もとなくって、置いてきてしまったことに。叔母も
「今避難しなくても大丈夫だよ。家にいればいいんだよ」
ということだったので、気にはなってた・・・私も車の運転がよくできなかったので、一度戻ったんです。また。
 戻って、その日はそのまま自分の家で休んだんですけども。
 16日も本当に自衛隊とかが水をかけてたのが何時だったのかちょっと覚えてないんですけど、そういったのを祈るような気持ちで見ながら16日を過ごしたんですね。
 17日になって、高速道路が走ってると聞いたんです。高速道路がとおってるんだったら、ガソリン半分以下だけど行けるとこまで行けるんじゃないかということで、その時に初めてやっぱり『出よう』っていうことを決心したんですね。
 その時には、私と娘と主人、3人。あと、私の母親と叔母はバスでやはり須賀川のほうにバスが走ってるのもラジオで確認できたので、バスで須賀川の方に二人は行きました。主人のほうの父親は、身体がおぼつかないので、うちの主人のおばさんのところにお願いをしたんですね。水と食料とを持って。
 バラバラに行って、変な話、叔母とは涙の別れをしながら、本当にこれで会えなくなるんじゃないかっていう、そういうのがありましたね・・・。
 ・・・すいません。
 <涙されています。>
 ・・・そうですね。すいません・・・。
 娘がどうなってしまうんだろうって・・・。
 そう思いましたね・・・。
 それから、高速に乗ってつくばの方に主人の義兄がそちらに居るので、とにかくそこまで行こうと必死で、もう本当に車の暖房もつけずに。

Q.寒かったですか?

 寒かったので、暖房もつけるとガソリンが減ってしまうと思って、毛布を娘に懸けながら・・・<涙されています。>
 道も判らずに必死になって遠くに逃げようっていう形で行きました。
 17日には義兄の家にお世話になって、でも義兄の家に行ったら、義兄は結構しっかりした方なので、娘さんがいるんですけども、その娘さんは既に福岡の方に避難させていたんですね。私も「ここでもダメなのかな」って思ったんですけども、でもそこまで行くのが精いっぱい・・・だったんですね。そんなにやっぱり親戚のお宅といっても迷惑がかかるので、ちょっとホテルでも予約をとって、そっちに移ろうかっていうふうに移ったんですね。
 そのホテルに3泊くらいしたんですけど、そのホテルでもすごい地震で、8階だったので怖くていられなくて、地震の怖さっていうのが・・・すごくて、そこにもいられないっていうことでまた義兄の家にお世話になったんですね。

Q.揺れるんですね?

 それから私も・・・。
 揺れます。それはものすごい、あの時震度5強くらいあったと思うんですけど、茨城のほうでも。でもそのホテルの中にも、たくさんいわきナンバーの方がいらっしゃって、
「あぁ、みんなこっちに避難してるのかな」
なんて思いながらいたんですけど、でもとりあえずそうしていても時間だけが過ぎて、原発の状況も全然収まらないと。
「もしかしたら1週間くらいで帰れるんじゃないかな」
って思ったんですけど、全然そんな気配もないので、そこで主人のほうも仕事が始まるということで、大体、春のお彼岸明けくらいに仕事が始まるっていうことだったので、その前に私の独断で、
「アパートを借りてしばらくこっちにいようかと思う」
って言ったら、主人も
「そうだね。しばらく親戚もいるので、全然知らないところではないから、しばらくこっちにいたら」
っていうことで、1Kの小さなアパートを借りたんです。はい。
 借りて、そこが3月25日くらいからそこをお借りして、荷物も本当に電化製品なんかはレンタルをして、その他必要な家具とかは全部ついていたので、布団はお義兄さんのところからいただいて、そうやってそこに身を寄せたんですね。
 主人が仕事が始まるっていうので、主人だけが戻ったんです。その間、私と娘は学校もまだ始まるか始まらないかもわからなかったので、そこに何もすることもなく、窓も締め切ったまま、テレビだけを二人で見ていたって感じです。

Q.子供の学校が普通通りに始まると連絡が来た・・・

 いや、うーん、学校が始まるって、普通通りに学校が始まるって連絡がきたんですね。ただ、その、どうして地震もまだあるのに、余震も続いてるし、原発も本当に全然収まらない状況で、学校が始まるっていうのが信じられなくって、私は学校には行かせられないって思って、茨城の方の学校にも行かせようかと思ったんですけど、
「茨城ってちょっと近いかな」
っていうのも不安で、「茨城でももしかしたら・・・」っていうのがだんだん情報がいろいろ入ってきてたので、
「茨城でも本当にいいんだろうか?」
っていうのがあって、そこで学校には行かせることをしないで、1か月間だけ学習塾に娘は行かせたんです。学校に行かない代わりに学習塾にちょっとでも勉強させたくって、行かせたんですけど。
 娘もストレスでうまく表現ができないっていうか、なんか精神的にやっぱり参ってるみたいで、変な話、おトイレが近くなっちゃったりとか、すごく不安で、情緒が不安定になってきたんですね。
 で、『どうしようか、どうしようか』って。
 主人はいわきに戻ってたので、いわきに戻ってると普通に生活をするっていうか、普通ではないんですけど、若干思ってるよりもみんな普通に生活をしているっていうことを耳にはしていたんですけれども、じゃあどうしようか。このまま学校行かせないっていうのも困るし、こっちの学校に転校させるか、もしくはもっと遠くに行かせればいいのかとか、いろいろ考えたんですけれども、でも私自身の体力と寂しさもあったんだと思うんですけど、これ以上遠くに行くのは、自分の中で難しいっていうふうに思ってしまったんですね。娘もやっぱり、主人に家族ばらばらになるっていうことで不安定さもあったので、一度連休明けには戻って学校に行かせようかなっていうことで、学校の方に連絡はしたんですね。
 学校の先生も、結構しっかりした先生なので、『マスク着用、お水は持ってきてください』とか、結構好意的に放射能に対しての知識も多分、先生はおありだったんだと思います。子供のためになんとか被曝を減らせないかとか、そういうことを考えてくださる先生だったので、主に担任の先生とそんな形でして。

Q.学校給食への不安

 後は給食も心配だったんです。給食は、しばらくは簡易給食っていって、パンと牛乳とか、そういうものしか出さなかったんですけど、栄養面でも気になりますけども、なんといってもその『牛乳』。
 チェルノブイリのころでも、牛乳が汚染されててそれを飲んで子供たちがっていうのが、情報として入ってたので、
「牛乳はやっぱりまずいんじゃないかな」
ということで、牛乳だけをやめるか、ただ栄養面も気になったので、
「とにかくお弁当にします。お弁当にさせてください。」
っていうことで、その頃は学校もある程度簡易給食だったので、
「お弁当いいですよ」
っていう感じでお弁当を持たせていたんですね。
 しばらく経ってから、2学期かな、
『完全に給食が始まります』
 そうしたときに、校長先生から電話が来たんです。
「給食は安全ですので、食べてください。」
 給食自体強制だと思ってなかったので、
「いや、今はまだ食べられません」
「どうしてですか?」
「放射能の、放射性物質が検出されてるので、安心できない。安全ではなくて安心できない」
っていうのを言ったんですね。校長先生は、
「いや、あのモニタリングとかもきっちりしてるので、安全です。安全ですので食べてください」
ということだったんですけど、多分お弁当を持っていってる子には、多分、校長先生は直接っていうか、連絡をしていたんだと思うんですけど、その中で私は
「まだ安心はしていない、だったら、どこの食材を使ってるとか、数値までを出してくれるのが一番ありがたいんですけれども、その辺を見せてくれたらば、目で確認したのであれば、お弁当から給食に替えることは考えます」
って言ったんですが、
「それは一杯あるので、そこまではできない。給食センターに聞いてください」
っていうことだたったんですね。
「じゃあまだ自分で納得して安心はしないので、お弁当のままでいきます」
ということで、それで今もまだお弁当です。

Q.なぜそこまで給食を強いるのでしょうか?

 それは私個人の考えですけども、学校が『給食を食べろ、食べなさい』っていうことには、何点かあると思うですけど、まずいわきに避難してる子供たちがたくさんいたと思うんですね。その中でお弁当を作ってくれる家庭と作れないっていう方もいらっしゃると思うです。
 そういった中で差が出てきてしまうっていうのを、ある意味子供を使って安全をアピールするまでは、そこまでは考えるのかしら?とは思うんですけど、でも上から言われれば、もしかしたらそういったこともあるんじゃないかっていうことで、何点かそういったことはあると思います。それは私個人の考えですけど。

Q.一時避難から戻ってからの生活

 まずこっちに戻ってきてからは、住宅街、よく子供が遊んでるんですけれども、全く子供は遊んでいませんでした。

Q.ガイガーカウンターで周囲を測ってみた

 その頃、そうですね、主人の義兄からガイガーカウンタを借りてきてたので、それで家の周りをちょっと測ったんですけど、家の周りで0.6とか、機械によっても違うのかもしれないんですけど、そのくらいあって、家の中でも0.2くらい、あと1階と2階では数値がちょっと違うんですね。
 2階建ての家なので、1階では0.2くらいなんですけども、2階で特に眠る部屋、寝室だと0.3くらいとかはあるんですね。ベランダが2階にはあるので、ベランダは除染すれば少し違うのかなと思って、主人がやったんですけど、あんまり変わらなかったんですね。デッキブラシで洗った程度なんですけど、高圧洗浄機ではなくって、そんなでいて、学校もやっぱり登下校、結局新興住宅地っていうのは山に囲まれているので、数値がもしかしたら高いのかなって。
 学校も、結構学校にも行って測ってきたんですけど、内緒で。
 学校で地上、校庭近くは地上1㎝くらいで、0.7くらいあったんですね。
 校庭ではもちろん遊ばせられないし、体育もできないだろうと思って、登下校に関しても結構子供の足で25分くらい学校まで歩くので、送り迎えをしています。はい。

Q.子供の通学路の線量も測ってみた

 場所によって全然違うんですが、草むらの中とか、草むらの近くは0.4とかそのくらい。その当時はですね。
 最近は測ってないんですけど、その0.4という数字が、果たしてすごい子供に対してどんな影響があるのか、影響がないのか、それがわからないんですね。
 そうですね。連休明けには完全に戻ってきました。

Q.その頃(5月)と今(9月)で線量の変化は?

 その頃から比べて、今家で測ってる数値は、家の中でだいたい0.12~0.13、0.15くらいまで家の1階部分であります。2階部分もそんなにさほど変わりは無くなってきたんですけど、ただ外は0.2以上検出することがあるので、やっぱり異常な数値だと思うんですけど、慣れてきてしまってる自分が、それが一番怖い・・・。はい。
 今は1学期はマスクもさせて、花粉の時期でもあったので、登下校させていたのが、それが今は無いんですね。暑いっていうのもあって、マスクを外したまま今でも、タダ送り迎えの形はとってますけれども、学校の中でもマスクは無くてっていう形。窓も開けっ放しなので。そういうふうに慣れてきてる自分が怖い・・・。

Q.周りの人は?

 周りも至って普通です。はい。
 あの・・・、友人でも気にする友人と、同じくらいの子供を持っていても全く気にしないっていうか情報を見ていないのか見たくないのか。それからだんだん自分が
「これは危ないんじゃないか。放射能ってほんとにこれではダメなんじゃないか」
って思っていても口に出せなくなってくる。
 なんか、「え!?」っていう感じに、「そんな今更言っても」みたいな。
 そういうふうになると、自分が
「あ、やっぱ自分がおかしいのかな?こんなに気にして生活して、自分がやっぱおかしいのかな?」
って思うようになってくるですね。

Q.放射能問題を気にする方ですか?

 結構それもあやふやなところがあって、気にするところは気にするんですけど、食材気にしてる割には外食もしたりして、その辺で自分で
「なんでこれが許せるんだろう・・・」
 そこがわからない時があります。はい。外食大丈夫なのかなとか、気にしてるほうだとは思います。はい。
 当時の爆発の時から比べると、今は子供も外で遊んでたりしますし、なんかだんだん本当に気にしなくなっていくとは思います。
 前は本当に子供を外で遊ばせるなんて考えられなくって、でも今は例えば子供が「自転車乗りたい」っていたらば、外で自転車乗らせたりとか、多分食べ物に関しては同じで、申し訳ないんですけども、どんなに数値が出ていないって公表されていても信用できないところがあって、食材だけは気を付けています。お水と。はい。
 野菜はなるべく遠くのものを入れたりとか、主に西日本か、この辺普通に買い物すると北海道か青森が一番遠いところで、あとはほとんど茨城県産、もちろん福島県産がメインですけど、福島県産、茨城県産、千葉県産くらいまでが改めてみると多いなって。気にしてなかったんですね。きっとね。
 国産という意味では気にはしてましたけど、逆に西日本のモノっていうのは、旬のモノじゃなければ入ってくるんですね。ここがまだ旬じゃなければ、例えば高知の方のナスとか、じゃがいもなんかも宮崎県とか、先にできるあったかい方から入ってくるんですけど、段々地元が旬になってくると、それが無くなってしまうんですよ。そうした時に、
「あれ?何を買ったらいいのかな」
っていうふうになって、今までは『これを作りたいから、これを買ってこよう』と思ってたんですけど、今は『これが手に入ったから、これを作ろう』というふうに変わりましたね。はい。
 そうですね。あと、気を付けてるっていうことは、自分も震災時は本当にマスクもきっちりして手洗い、顔もしっかり洗っていたのが、今は、顔なんてほとんど洗わない…洗わないっていうか昼間はそのままですし、外から帰ってきて洋服を払うようなこともしなくなりましたし、子供に対しても、「素肌は出さないほうがいいんじゃないかな」と思っていても、どうしても暑いので、そういうのも気にせずやってしまったり、ただ、うちの娘は結構皮膚が弱いので、アトピーまではいかないんですけど、掻いて血が出ちゃったりするんですけど、傷口から例えば放射能が入ると危険だってちょっと聞いたような気がして、
「傷口は大丈夫なんだろうか」とか、
「絆創膏をはっただけで大丈夫なんだろうか。」
「お風呂に入るときも、水が傷口に入ったらどうなんだろう」
というふうには、未だにそれは思います。ただ、入れてますけど・・・。
「転ばないように、絶対転ばないように」
っていうのはあります。
 私の、そうですね、友人たちは・・・、放射能に対してあの当時は震災で爆発した当時は、みんな多分避難してた人たちが友人の中でも多いんですけど、その中で農家の人がいるんですけど、その人が
「お米できるけども、子供には食べさせられない。」
そういった考えを持っていたんですね。
「自分たちで作ってるお米を自分たちは食べるかもしれないけども、子供には食べさせられない」
って言ってるのを見て、やっぱり同じ考えなんだなっていう、思う友達も多かったんですけど、段々そういったことを半年経った今、米所、コメが出始めましたけど、不検出だっていうところも多いじゃないですか。そうすると、
「お米は大丈夫だよね」
って皆変わっていったりとか、
「出てないんだから、大丈夫だよね」
とか、逆に放射能に汚染されたものを口にする、汚染されている状況を・・・討論し合うっていうか話し合うこと自体がタブーになってきてるというか、前はメールとか電話の中、直接会ってとかはなかなか震災当時はできなかったので、電話でそれぞれ「どうなのかしら、どこに行ってるの?」とか様子を伺いながらいたんですけども、その時にはただ放射能に関しての知識っていうのは無かったと思うんですね。
 それは、テレビだけの情報では得られない情報、得られないっていうことを。新聞なんかでも得られないっていうことが、私はそう思うので、インターネットを見てる人はある程度危機意識はありますけども、見ない人はもちろん見ることができないし、聞くこともできない。テレビでの報道のみ。NHKとかね。それのみなので、そこまで危険だって思えない、思わない人たちが多いと思うんですね。
 その中で、
「放射能ってこうなんだよね。内部被曝って怖いんだよね。子供は感受性がもっと強いんだよね」
そういうふうに言っていくと、
「何言ってるの?この人。考えすぎなんじゃないの?大丈夫だって言ってるんだから、大丈夫でしょ?」
って言われちゃうと、
「普通にお店で売ってる野菜を買う」
って友達に聞いたら、
「うん。買ってるよ」
って。
「福島県産?牛乳でも?」
「買ってるよ。」
「気にしないの?」
「何が?」
って言うんですね。
「いや、これだけ汚染されていると、野菜とか心配じゃない?」
って言っても、
「でも国が、県が大丈夫っていってるんだから、私はそれを買う」
って言われて、
「気にしてるの?」
って言われると、気にしてるんですけど、それをちょっと・・・なんか言いづらいっていうか、なんか自分だけが良いっていうか、自分さえ良ければいいみたいに聞こえるんじゃないかと思って。避難をしてる時もそうですけど、自分たちは逃げてるけど、友人でも医療関係の人たちは残っていたんですね。
 その友達がまだ避難してないっていうのを聞いたりすると、自分がすごく悪い子としてる。避難してることを隠さないといけないのかなって思うようになってしまいましたね。

Q.インターネットで見た情報も多い?

 そうですね。インターネットを見ての情報も多いです。はい。
 あとは友人が原発に対して、反原発の姿勢をとってる友人がいるので、その方からのある程度の情報、知識とか入ってくることもあります。
 あとは講演会とかそういう案内も来るので、行けるときにはそういったものに耳を貸してるつもりです。
 前にいわきで来ました広河隆一さんですよね。フォトジャーナリストの方の講演と、矢ケ崎教授。その方のは行って、あとこの間25日に行った肥田先生、ちょっと行けなかったんですけど、ネットの方でちょっと拝見はさせていただいたんです。ちょっと音声がよく聞けなくって、行きたかったんですけど、そういったことで本当はどうなんだ?っていうところを自分が知りたくって、その本当がどうだかはわからないんですけど、ただ、放射能を子供たちが生活するところも一度汚れてしまってるので、
「どうして大人、行政、市も県も国も、なんでこれを片づけようとしないのかな?」
って思います。

Q.行政の姿勢に苛立ちはあるが、どこへぶつけたらいいかわからない。

 そうですね、国や県、市、行政に対して、苛立ちはあるんですけど、それを本当にどこにぶつけていいかもわからないし、どうやってそれを訴えればいいのかわからない・・・ですね。誰に言ったらいいとか。
 本当に怒らなくちゃいけないっていうか、
「本当に言うとしたら、東電に言うんだろうか」とか、
「それともそれを推進してきた国に言わなくちゃいけないのか」
とか、そう思うと自分の中でいっぱいいっぱいになっちゃうんですね。
 どこに怒りをぶつけていいかわからない。

Q.食品の放射性物質の暫定基準値

 給食の時もそうだったんですけど、国が暫定基準を設けている。それがセシウムは500、ヨウ素が2000、ほとんどヨウ素は検出されていないようですが、セシウム500という数字は、果たして大人も子供も、これが適正なのだろうか。
 ドイツか何かの基準で、大人は40ベクレル、子供は10分の1以下なので、4ベクレル以上は食べない方が良いって、多分そういった話があると思うんですけれども、それを知ってる人はどれくらいいるんだろう。
 ただ、給食の問題が出た時に、それを校長先生に言ったんですね。
「暫定基準が甘くなってるのをご存知ですか?それで大丈夫だと思いますか?」
先生は、
「まぁ国が安全だと言ってるので」
っていう答えしか返ってこないんですけど、その中で500ってものすごい数字だと思うんですけど、それが内部被曝っていうのは呼吸からも取り込みますけど、食べ物や飲み物の蓄積ってやっぱり怖いと思うんですね。その辺で、
「暫定基準っていつまで続くんだろう。牛肉の問題もあり、今度はお米は若干200ベクレルでしたか、上限が。その200ベクレル、厳しくしたっていっても、ドイツで40だって言ってるのに、なんで日本は200や500や、なんか素晴らしい数字だな」
と思うんですけど、その辺が本当にこの暫定基準、いつまで続くの?それの甘んじて『数値が暫定基準値以内だから大丈夫だ』っていう根拠は何なのかな?って。その辺は考えますね。
 食べ物とかに関しては、本当に福島県全体、いわきでも農家の従事者っていう方も多いんですけど、その中で自分たちで作ってる野菜を食べる、お米を食べるというのが当たり前に家庭菜園なんかもそうですけど、その中で最初の頃は、
「もう汚染されてしまった土地だし、お米なんか食べられない」
と農家の人たちが言うくらいな感じだったと思うんですね。
 私なんかは、生産者から買って食べるほうだったので、作る側の気持ちっていうのがちょっとよく判らない。拒否すればそれだけで済むので、でも生産者の方にとってみたら、それは死活問題。今まで自分たちで食べる分だけを作ってきた人たちだって、今度は買わなくちゃいけないかもしれない。
 国の方から作付けがオッケーだって言われて作ってるんですけど、それだって作らなければ補償もないかもしれない。そういうことで、しょうがなく、まぁしょうがなくっていうか、コメ作りが仕事なので、そういうふうにしてる人たちもいる。
 あと、友人にお米の販売をしてる友人がいるんですけど、地元で。地元のお米とかを販売してるんですけど、震災後、どれくらいだったか忘れましたけど、22年産のお米、いわゆる去年取れたお米をいつも買ってくれてる人がいて、ただ、
「『22年度産のお米は、福島に保管してあったものは要らない』って断られた」
って言ってました。
 お米屋さんにとってみたら、それはもちろん安全だと思うし、倉庫にもきちんと入ってるし管理されたお米ですよね。売れないこと自体がおかしい。新米についても、今不検出とか出てますけども、友達としては、「不検出だから大丈夫なんだよね」っていう気持ちと、「本当に売れるのかな?でもお米屋さんにとったら、これは死活問題だ」と、そういうふうにも言ってました。
 結構インターネットとかでも販売もしてたりして、それの中から福島のお米がおいしいということで、お気に入りで買ってくださる方が、はい。県内。福島は米所なので。
 そのお米、22年度産なのに、原発の事故があってからは、『福島のお米は要らない』。多分県外だと思うんですね。そういった中で、売れなくなってしまった。
 それだって営業的にみたら大変なことなので、これから、そのお米ができるにあたって、出荷できるのかどうかもまだ判りませんけども、『風評被害』というのか『実害』なのかは、ちょっとわかりませんけども、数字が出ていなくても、「福島県、福島県産っていうだけで売れないんじゃないか」と、それを心配してます。
 消費者側としては、暫定基準値が500ベクレルっていうのは、非常に不安なところでもあるんですが、生産者としてみれば、売れないのは困る。売れなければ補償がされるのか、補償っていうか賠償っていうか、その辺が違うんでしょうか、されるのかどうか。
 それまで農家の方達だって生活があるので、補償や賠償がされるまで生活をしていけるんだろうかとか。
 その両方の立場からいうと、暫定基準を今すぐ甘くするのがいいのかって、ちょっと結局潰れていくこともあると思うんですね。生産者側、それから付随して小売業とか、それを確保してるところとかも、もしかしたらダメになっちゃうところもあるのかもしれないというと、それこを日本の経済が、私はそういうことはわからないので、日本の経済、もしくは福島県の経済、いわきの経済、それはどうなっていってしまうんだろうとか。
 ただ暫定基準500っていうのはいつまで続くんだろうっていうのと、たとえばそれを消費者に選択させてもいいんじゃないかと。
 たとえばきちんとした数字を出して、それを消費者が選択すれば、例えば、『この梨一つに、10ベクレル入ってましたよ。こっちの梨は不検出。入ってませんでした』
っていうので、それで選択はできなんだろうか。
 生産者側にとってはやっぱり『売りたい、出したい』おいしいものを作ってるので、その気持ちはすごくわかって、それを今までだったら普通に食べてたので、食べたい気持ちはあるんですけど、でも多少私たち大人は、我慢しても子供には食べさせたくないので、そこの辺で選べる基準っていうのがあったほうが、消費者にとってはありがたいんじゃないかなと思うんですけど。

Q.これからの生活をどう考えるか。

 そうですね。
 だんだんこの状況に本当に慣れてきてしまっているので、避難を考えるっていうのも、それすらも考えなくなってきてるんですけど、ただ、慣れていっても気を付けられるのは、食材とかその辺しかないんじゃないかとか。
 いつ本当に原発がまた爆発するのか、最近原発のニュースっていうのが、メディアではあんまり流れないと思うんですね。
 インターネットの方で入ってくる情報のほうが早いので、本当にこれ以上酷くなった時に、ここに居られるのか?
 ただ、そういう報道がないと、本当に普通に生活をしてしまうんですね。
 その辺で危機感が薄くなっていくっていうのは感じます。

Q.このまま留まりいわきで生活することの不安

 そうですね・・・。
 この原発が爆発しない限りは、爆発・・・っていうか本当に酷くならない限りは、多分、地元で生活していくようにはなるとは思うんですけど、ただ、子供が何年か後にもしかしたらどこか不具合が出てきたときに、その時に後悔するんじゃないかとは思うんですけど、ただ慣れてしまった状況がある。楽な方を選んでしまっているので、それは耳をふさぎたくなるような気持ちもあるんですけど。
 ただ、今後娘、子供たちには、できれば・・・ここを出ていってもらいたいっていうのもありますし、でも、そうなった時に、果たして子供がほかに行ったときに、『福島県の子供だから』っていうことで、無いかもしれないんですけど、いわゆる・・・拒否をされるっていうか、そういった目で、『福島だから』っていう目で見られたりはしないだろうかとか、極端な話、結婚するときに、もしかしたら『福島だから』っていうことで、結婚できないなんてことになってしまったら、どうしようかな・・・と。
 そうですね・・・。
<涙されています>
 子供のことを思うと、これで良かったのかなって、いっつも思います。
 でも、決断できない自分が居るので・・・それは本当に娘に対して、これで本当に良かったのかどうかっていうのは、未だに迷うところですね・・・。
 本当によっぽどいわき市全体で避難命令でもでない限りは、出ていけないと思うんですね。出ていけないというのは、様々な条件がありますけど、自分で決断できないところもあって、多分そのままこの流れで、福島が汚染されたっていう状況を皆が忘れるまで居るんだろうなと・・・。
 ただ、あと何年か後に子供たちに、何か・・・放射能の影響かはその時に判るかどうかわからないんですけど、何か状況が出た時に、自分は後悔するんじゃないかと・・・。そうなってからでは遅いんではないのかなと思うんですけど・・・、そうならないことを祈るばかりです・・・。
 自分のことは、もう別に半分諦めてるんですけど、やっぱり家族に何かあったらと思うと、自分は耐えられるけどって思うんですね。
 去年私大きな病気をしたので、その時にこの病気が家族じゃなくて良かったって思ったんですね。自分だったら耐えられるけど、これが、ましてや自分の子供だったりしたら、この状況は耐えられない。ただ、決断、その放射能に対して、実際、本当に避難することもできないっていうか、決断ができない自分が情けない・・・。<涙されています>
 自分にも憤りを感じますけど、本当にこの状況を誰に・・・何て伝えたらいいのか・・・。みんなが同じ状況でいるのに、自分だけが・・・、本当にどこに怒りをぶつけていいかはわからないですね・・・。

Q.娘の将来のこと、夫との話

 あんまりそう深くは話したりはしないんですけど、ただ、娘には娘の人生があるので、娘の考えを尊重させたいっていうのはあるみたいです。
 それは私も同じなんですけど、ただ、今いわきで生活するっていう現状が、果たして最善の方法なのか?っていうのは、お互いが疑問を持っています。
 ただ、離れることによってのストレスっていうのもかなり大きかったんですね。だからその辺で寂しさもありましたし、私自身も年老いた親を置いてきぼりにはできない。ましてや周りに誰もいないのに、置いていくこともできない。置いていったときに、どうなってしまうだろう・・・?
 自分の病気のこともありますけど、どこかに行って新たに生活を始めようっていうことに対して、すごい不安があって、やっぱり家族三人で、ただここで生活していくんであれば、限りなく自分で自衛をして守れるところは守ろうっていう決断で戻ってきたんですけど、だんだんそれがやっぱり慣れてきてる自分がいて、ふっと気づくと
「あぁ、これでいいのかな・・・」
って思っても行動に移せない自分がいるんですね。それが情けない・・・。
<涙されています>
 先の話ですけども、娘の結婚とかに関しては、本当に県外のいわゆる福島から関係のない人たちにとっては、非常に福島っていうだけでイメージ的にも内情的にも、やっぱり好ましくないんじゃないかと思われる、私は思うんですね。
 ただ、県内の人、私も主人といわき同志で結婚してますけど、県内同志の福島県の人たちが一緒になることに関しては、さほど抵抗はないのかもしれない。だけど、たとえば娘に子供ができた時に、果たしてちゃんと・・・ちゃんと生まれるんだろうかとか<涙されてます>、生まれても体が弱くて・・・その子を心配するようになったら、すべてこの放射能のせいに結び付けられるものなのか、それとももともとのものなのか、その因果関係が・・・認められなければ・・・ずーっと自分の娘が産んだ子に対しても、申し訳ないって思うんじゃないかと、たった一人の娘なので・・・それが心配ですね・・・。
 頼る人もいなくなってしまったらどうしようって。一人きりになってしまったら、どうやって生活していくんだろうって思うと、それが心配です。<涙されています>

 このままいわきに残るか、家族がバラバラになってそれぞれいるか、それとも3人で家族がみんなでどこかで生活をするかっていうのには、そこまでは話し合ったことがないんです。主人は仕事がずっといわきであるので、生活ができるのかとか、家族3人で行ったとして、仕事を見つけたとしても生活ができるのかとか、家があるのでその家をどうすればいいのかとか、ローンもあります。はい。2000万くらいは残ってるかと思うので、その辺で住んで10年くらいにはなるんですけど、その辺で住宅ローンはどうやって払ったらいいのかとか、残してきた年を取っていくばかりの親たちを一緒に連れてくればいいのかとか、でも、連れてくるっていっても、私の母親の方にも家はありますし、その家はどうしたらいいんだろうとか、ただ、このままいわきにいてもいわきの発展って、そんなにないんじゃないだろうかとか、そう思うと・・・。
 ただ、どうしていいかわからないです。
 家族3人で避難するってことは、無いと思います。
 ただ、子供・・・本当に子供がもう少し大きければ、親元を一人で離れていられるようであれば、子供だけは県外もしくは海外にでも行かせたいくらいです。それができない。
 できないと思います・・・。
 ただ、今まで生活、今まで福島県の人たちって何か本当に悪いコトしたのかな。なんで福島県だったんだろう。早く元通りにしてほしい。でも、もしかしたらそれは不可能なんじゃないかとか、元通りにできないんであれば、何かもっと方法はあるだろうと。除染を進めるなり、生活に関してもきっちりと補償並びに賠償をきっちりしてくれるとか、なんか、どんどん私たちの生活を奪って
『補償はしたくない、賠償はしたくないから、なんでも安全だっていわれてるんじゃないか』
っていうふうに思うことがあります。
 やっぱりお金が出せないから、補償もできない。避難させることも場所もない。だから避難をさせないんじゃないかなとか、3月15日にいわきの23マイクロシーベルトという数字が市政だよりかなにかに載ってたんですけど、この数字って最近見た数字だなっていうか、後からわかった数字で、あの当時はどのくらい本当に線量が飛んでるかとか、そういうこと全くわからないで水汲みにいったり、買い物をしたり、結局ガソリンがないから歩いて買い物にいったりとかした方とか多いんですね。
 あの時の被曝量って・・・、24時間外には居なかっただろうけども、そんなに内と外とあんまり変わらないのかな、どうなんだろう。今内部被曝の線量、ホールボディカウンターで測っても、果たして正確な数字が出るのかどうか。
 あの時にやってもらえれば、確かにどのくらいもしかしたら被曝をしてるっていうのは判ったかもしれないけど、今更やって
「大丈夫でした」
って終わられたら、その後病気になった時に、これはどこに言えばいいんだろう。じゃあ
「あなたはそれは放射能とは全然関係ないですよ」
って言われて福島県の人たちはいってしまうんじゃないかって。そういう危機感はありますね。
 データだけをとられても治療を目的としなければ。
 いわきではガラスバッジは配られてないんです。多分福島県の中通り地方とあとは町とか村とかの単体では、ガラスバッジを配ってるんですけど、いわきは全くその予定もないとは聞いたんですけど。
 だから、いわき自体、小名浜っていうところがあるんですけど、そことかも比較的線量が低いようなんですね。だから漁業ももちろん今は漁業はできないですけど、ありますので、その辺であんまり危機感を持ってない人っていうのも多いとは思うんです。本当に普通に生活している人たち。
 風が北から来るので、その時に線量が上がるのか?果たして放射能自体は飛んできてるんだろうかとか、それもわからない・・・。

Q.原発の再稼働、輸出のニュースを聞いて…。

 原発を輸出するって聞いた時には、
「まだそんなこと言ってるのかな」
って思ったんですけど、所詮他人事にしか思ってないんじゃないかとか、実際福島県に来て、本当に線量測ってそこで生活をして、そこで第一次産業、農家を営んでる方とか漁業を営んでる方とかの意見っていうのは、本当に伝わってるんだろうか。
 こんなにも、精神的にも参ってしまっている人たちがたくさんいるのに・・・やっぱり所詮他人事にしか感じないのかなって。
『福島県は福島県だけで、それをこなしていけ』
みたいな、実際自分たちのところで原発が爆発したら、あの人たちはどう思うんだろう。
それでも原発を推進しなくちゃいけないのかっていう・・・信じられないですね。
 原発によって仕事を受けてるっていう方もたくさんいるとは聞きますので、でも、原発中のすべてを破壊してしまうほどの威力があるっていうのは、今回初めて原子力についてなんて勉強したことなかったので、第一原発や第二原発の近くに6号線が通っているので、その辺を普通に通ったりもしてましたし、あの辺に子供たちが遊ぶ施設が結構あるんですけど、公園とかもそういうところにも、
「いや、いいとこだね」
なんて言ってた程度だったので、まさかあそこがこんなんなるとは・・・思ってなかったですね。
「いつでも爆発するんじゃないか」っていうその危機意識は、持っていたいと思います。
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