fc2ブログ

もうすぐ北風が強くなる

百人百話:ヤマダさん

 百人百話:ヤマダさん   書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から


Q.自己紹介をお願いします。

 ヤマダと申します。歳は29歳、子供4人と私と、母子家庭で5人で暮らしています。

Q.出身は?

 福島市出身で現在も福島のアパートで、子供と5人で暮らしています。

Q.お仕事は?

 仕事は、今現在仕事はしていなくて、夜間の短大に通いながら子育てしています。

Q.生活費は?

 福島県で今やっている母子家庭高等技能訓練の推進費という中から、生活費と学費を支給されています。

Q.(学校の)内容は?

 私は3年間の短大で、幼稚園教諭と保育士の免許を取るために、夜間の学校に通っています。

Q.子供は何歳?

 子供は、小学校4年生の9歳と、小学校2年生の7歳、あと保育所に通ってる子が6歳と4歳の子がいます。上三人が女の子で、一番下が男の子です。

Q.311地震発生時、どこにいましたか?

 私と次女の小学校2年生の子供は、アパートにちょうど居て、アパートの中で震災に遭いまして、保育所の子二人は、保育所のお昼寝中に。

Q.311震災当時の状況は?

 次女と私はちょうどアパートに一緒にいたところで震災に遭いました。下の保育所の二人は、保育所でお昼寝中に震災に遭いまして、後長女は小学校のちょうど帰りの会の時間に震災に遭いまして、それで、家でちょっと数分で長かったので。

Q.震災時、お子さんは?

 まず小学校に一番初めに迎えに行きました。車で。
 その後、ちょうどお母さんとか知り合いのお母さんが居たので、その子をとりあえず長女は預かってくれるから、「まず初めに小さいほうの保育所に行った方がいい」って言われて、まず小学校からもう一度保育所にすぐに向かって、まず二人を連れて、子供4人とやっと集めて、それから一度ちょっと情報が全く分からないのと、交通が全く機能しなかったので、車でとりあえずテレビを見て、その情報を知りたいと思ったので、車に恐らく3時間か4時間くらいは、みんなで居て、その後、やはり行くところがないというか、本当にわからなかったので、自宅でまずアパートの自宅でとにかく一晩を過ごそうと思って、一応いたんですけれども、もうガスしか使えなくて、それでとりあえず、夜ご飯を作らなくちゃいけないと思って、とにかくお湯を沸かして作れるのがパスタだったので、どうにかそれだけ用意して、懐中電灯とろうそくでどうにか、「その日はどうにか過ごせるかな?」と思ったんですけど、たまたま携帯が多分数時間前に送ってくれたと思われるメールが入ってきて、それが実家の母からだったので、それは、実家の方は停電もガスも水道も全部大丈夫だったので、とりあえずそちらに、その日のご飯食べた後ですかね。夜に向かいました。

Q.アパートの様子はどうでしたか?

 その日は雪が降っていたくらい寒い日だったので、子供となんだったのかな?余震もあまりにも酷くて、子供が泣くというか不安で、泣いたりしてたので、本当に5人で体寄せ合ってじゃないですけど、一緒に居たなぁっていうのをすごく、はい、数時間だったんですけど、すごく不安だったというか怖かったなと思いましたね。
Q.(震災の)情報はどこから?

 まず携帯も繋がらないというか、iModeも繋がらないし、テレビはもちろん電気が通ってないので見られなかったので、うちは車しかなかったんですけども、その中でも正直、大きな地震があったという情報は、その日のうちにわかったんですが、原発がどうのこうのとか、恐らく知ったのは、2,3日くらい経ってからだと思うんですけど、本当にはっきり言って、買い物するところとか食べるとことか、生きていくのが精いっぱいだったので、他の情報まで客観的に見る余裕は全く無かったですね。
 なので、津波と大きな地震があって、津波が起こって・・・、までが多分すぐその日にわかった、3月11日にわかった情報はそれのみでした。

Q.原発(事故)の情報は?

 原発については、原発について私が情報を得たと思うのは、3月・・・。1週間の間には、いろいろ情報が入ってきたんですけれども、恐らく2,3日は忙しいというか、あちこちに連絡を取るので精一杯で、3日目、15日には、15日あたりになって、やっとわかったと思います。

Q.原発事故を知ったのは、いつ?

 友達からの連絡ですかね。連絡で、その11日からは、数日で、やはり「新潟に行こう」っていうのが、福島から一番近いというか、行けるところだったので、」とりあえず次の爆発が起こる前に行った方がいいんじゃないか?」っていうのが、恐らくメールで回ってきたんですかね。

Q.(震災後の報道について)

 「雨に当たるとあまりよくない」みたいなメールがすごく出回っていて、それはテレビでは、「そういう情報は全く嘘です。」みたいなのが、多分流れてたと思うんですけど、でも、今となってみたら、それは数カ月経って、今となってみれば、恐らく本当のことで、多分、あの3月に浴びていたというか、雨は恐らくあまり良くない、良くないというか、その頃に恐らく私らは、普通に外に行って、でも水が出ないので、水汲みをして、あとお店も時間決まってる時間しか開いてないので、並んで買い物をして、っていう、ずっと恐らく外に行かなかった人なんて居ないので、今思えば、それは多分、それが内部被曝だったり外部被曝が、もしかしたら、福島の人は全員してるのかな、と。
 それは後になってから思ったことですけど。はい。
 ニュースでやっぱり「雨に当たっても大丈夫だよ」とか、今でもそうですけど、「水も問題ない。砂も入れ替えれば大丈夫」って確かに政府ではそういうふうに言ってますけど、でも、それでも結局、いつもよりというか通常よりは高い放射線量がずっと降り注いでると思うんです。
 一度、こう、嘘つかれた・・・、まぁ嘘だとは認めたわけではないですけど、そういうふうにデマを流されていたというか、「大丈夫、大丈夫」と言われたのは、結局、今は大丈夫じゃないというか、8月23日あたりに聞いたんですけど、なんかあの、えーっと、原発の近く、いわきかな?いわきかどこかの2歳の子が白血病発症した?発症した?みたいなものを聞いてたんですね。聞いたんですね。
 で、もう、もう早いのか?と。そんなに早く、まぁ、たまたまかもしれません。本当に全然関係なく、放射能とかそういうのは全く関係なくて発症したのかもしれないですけど、でも、結局、そのもしかしたら自分の子にもくるんじゃないか?というか、もしかしたらそういうふうに将来10年後、20年後・・・。
 うーん。してしまうんじゃないか?っていう不安が、ずっと3月から消えなくて・・・。(泣いていらっしゃいます。)
 なんか本当は、すぐにでも違うところに行ってあげたいんですけど、結局なんか、自分が学校に行きはじめたことで、なんか、自分が夢捨てられないんですよ・・・。
 本当は子供たちのこと、一番に考えなきゃいけないのに・・・、結局それもできなくて・・・、結局福島市なんで、自主避難しかないですよね?
 で、遠くに行ったところで、本当に子供4人養っていけるか、生活させていけるのかな?っていう、すごい不安があって、どうしても、なんか一歩が踏み出せないというか・・・。
 本当だったら、何もなかったらというか、本当に3月にまさか(震災が)あるなんて思ってなかったので、最後のチャンスかなと思って、学校の入学決めたんですよ。
 本当は、福島県というか、うーん・・・、には居ちゃいけないのかなって。 本当に全く考えてなくて、「全然大丈夫だ」っていう人もいると思うんですけど、それは大人であって、確かに60くらいの人が、結局20年とか10年後になっても、寿命だって言えるかもしれないですけど、私の子供もみんな、やっぱり「結婚して子供がほしい」っていうので、その将来をもしかしたら、私が潰してしまうんじゃないかと思うと(泣いていらっしゃいます)、うん・・・。
 でも、それでも行けないっていうのが・・・。すごく・・・、なんか、それなら避難区域になってれば良かったんじゃないかな、とか。

Q.福島から避難できないのはなぜ?

 やっぱり生活が、福島に居ないで、違う土地に行って、子供たちを養っていけるか?っていう心配と、もう一つは、やはり学校に入学してしまって、結局県のお金で援助してもらって、学校に通ってる者で、学校に入学は行かなくなれば、もちろんその援助は受けられなくなりますし、そして、自分ももう29で、もう学校行くのは最後かなと。子供もそのうち中学生高校生になって、やっぱりもう自分に、自分だけにというか、自分に使える時間も、お金も、もうこれが本当に最後のチャンスかなと思って入学してしまったので、うーん。どうしてもというか、そのきっと、一歩がというか、うーん。
 本当に勇気がなくていけないんだと思ってるんですけど、やっぱり子供を育てるのは、どうしてもお金がかかってしまうので、恐らく家賃がいろんな自治体で、家賃を2年間無料にしてくれるとか、電気代はないですけど水道代を少し援助してくれるとか、あと仕事を紹介してくれるとか、いろんなことをしてくれるところもあるんですが、それでもやっぱり知らない土地に、恐らく一人で行くっていうのは・・・、まだ経験が無いというか・・・。

Q.ご両親と相談は?

 両親にも相談したりするんですが、両親は流石にもう60は超えているので、
「この土地を離れるのは、福島を。あと10年20年後に悪くなるなら、病気でガンになったっていうのが、正直諦めがつくというか、絶対一緒にはいかない」
と、外には一緒にはいけないので、本当に避難するとなると、私は子供4人を連れていくっていうようになるんですけど、やはり子供のためを思ったら、避難するのが一番かなと。
 やはり親の世代ですと、ニュースで言ったことが、やっぱりニュースで言ったことを信じるというか、新聞だったりニュースで言ってたり、政治家の方が言ってることを信じてしまうので、私たちがインターネットとかツイッターで見たっていうのは、あまりこう・・・、真実味が無いというか、ちょっとわからないので、一応相談はしますが、どうしてもそこまで深い話にはならないというか、うーん・・・。あまりそこまでは考えてもらえないって言った方が近いですかね。

Q.ご兄弟の意見は?

 やはり皆仕事を持ってますよね。
 仕事を持って、結局家庭があって、私は兄3人居るんですけど、皆結局奥さんを持っていて、子供が居て、大きい子ですともう高校生なんですね。なので、高校生はもう来年の就職、これから就職するとか専門学校に行くっていうのは、もう県外でっていうのは決まってますけど、やっぱりそう簡単に仕事をきっぱりやめて、どこかにみんなで行くっていうのは、やはり責任、仕事の責任もありますし、正直、学校も高校生なら学校の転校とかも、恐らくいろいろ難しいと思うんですね。中学校・小学校ならすぐに転校できるものを。
 あと、小さい、まだ1歳になった、1歳2か月ですかね、になった、赤ちゃんも居る兄も居るんですけども、確かに仕事を辞めて、まだ子供も小学校も幼稚園も何も入ってない状態なので、本当に3人でポンッとどこかへ行くこともできるんですけども、結局、その話がせっかくあった時に、先月なんですけど、赤ちゃんができたと思ったら、流産しちゃったんです。
 だったので、一応その話が白紙になったじゃないですけど、ちょっと流れてしまって、結局ダメになっちゃって、子供も
「本当になんでダメになったんだろうね?」って。
「もしかしたら、そういう影響があったのかな?放射能の影響があったりしたのかな?」
なんて、やっぱり1人目は産んでるわけですから、次に・・・、っていうのは、あまり多くないのかな、なんていう不安もあったりして、皆がみんな、結局行ってない人たちは、行きたいんですけど、行きたい話はするんですけど、いろんなことを一つずつ考えていくと、仕事があるからダメとか、学校行ってるからなかなか変えられないとか、どうしても、なんか一つひっかかってしまうだけで、うーん、避難ができないっていうのが現状かなと思います。

Q.お子さんの体調に変化は?

 うちの子がとても多かったのが、一番初めに、3月4月、4月5月くらいでは、すごく鼻血を出すようになってたんですね。
 4人のうち、3人ともちょっと出やすかったんですね。学校で出たり家で出たりとか、いつもより多いなと思ってたんですが、それは結局1か月くらいで収まったので、放射能の影響でって言われてるものではないのかな?と、一応、うーん、思いたかっただけですけれども、そう思っていて、ここ最近は、7月ですね。夏休みに入ってからくらいは、もう全員が全員、口内炎がすごいんですよ。
 栄養が足りないとか、ビタミンが足りないのかな?
 それも確かにあるんですけど、でも、今まで兄弟が揃って全員が全員なったりとか、そんなことあったのかな・・・?っていうのがあって、少し、今はちょっと、もしかしたら、結局は内部被曝、「福島の子供は内部被曝してる」って、やっぱり言われているので、その影響でもしかしてなっているんじゃないかな?なんていうふうには、不安にはなっています。

Q.子供の外遊びは?

 一番初めに外に、どうしても福島市内に居ると、外遊びが全くできなかったので、まず3月に起こって、5月のGWは千葉のディズニーランドの方に何日か遊びに行って、思いっきり遊ばせたんですね。
 それは、どうしても家で遊べないので。
 と思ってやったんですけど、結局、また学校は普通に始まるので、今やっと夏休みに入って外遊びをさせる、できるようになったんですけども、あとは、全学年で、一度宮城の方に遊びに行ったっていうことがあったんですけども、学校である行事で、学校で一緒にみんなで行けるので、一回くらい外遊びを思いっきりしようという企画みたいなのはされるんですが、結局その授業の中でやるわけで、決まった日数というか、1回、1回だけだと思うですけど、しかできなかったり。
 プールも結局入れないので、室内のプールに夏休み前は1度だけ。一学年1度だけ、一応入らせてもらったんですけど、ただ、保育園の方は、えっと、県内に2回と県外に1度、外遊びプロジェクトというヤツで遊びに行かせてはもらったんですけど、結局福島県内に行っても、親としてはあまり意味はないかなと思ってるんですね。
 どんなに、確かに会津方面は、放射能の量も少ないというか低いって言われてますけど、多分距離じゃないって言われるんですけど、福島に居るだけでどうしても心配というか、草むらに入ったらすごい放射線量が出るんじゃないか?とか、雨降った次の日に外で遊ばせたり出来るのかな?みたいな・・・、うーん・・・。
 最近っていうか3月から思うことは、結局夏なんて子供たちが公園で遊んでるのが普通で、プールに入ってたりするのも普通だったと思うんですけど。去年までは。
 ただ今年に入って、本当に福島市内を歩くと、公園で遊んでる子供なんて全然居ないんですよ。
 「普通の国で有り得るのかな?」と。
 どうして外で遊べなくて、結局子供たちもストレスが溜まって、外で遊びたい。マスクしてると暑くて、もう学校から帰ってくると、汗びっしょりで、真っ赤になって帰ってきたり、大人だってマスクしてずっと歩いてたら、本当に大変、大変というか、むずむずして大変なのに、そういうどうしてもそんな生活しかさせられないというか。
 学校でも結局、本当に子供のことを考えてるのかな?
 学校の窓は開けるし、普通に体育館は普通に開けっ放しで何時間も置いておいたりとかするんですよ。
 本当に放射線量測って、わかってるのか?
 本当に内部被曝も外部被曝も無いのか?
 普通に小学校に通わせていいのか?
とか、たくさん不安なことというか、不思議なことがいっぱいあって、どうせ、結局はどうせ周りがやらないんだから、自分が、というか親がしっかりしなくちゃいけないんですけど、そういうお金の問題だったり、生活の問題だったりすると、うーん。
 結局、できてない自分を責めるしかなくて・・・。
 なんか不満はたくさんあるんですよ。すごく不満は、学校に対しても、県でも市でも、国にでも、東電にでも。
 全部あるんですけども、結局発信する場所もないし、長崎・・・、どこかの教授だったりしても、結局、「大丈夫だ」って言うんですよね。
「福島に居たって大丈夫だし、食べ物食べても大丈夫だし、水も大丈夫」?

Q.大学教授が大丈夫だと言ったが・・・

 山下教授が言っていたその、「大丈夫」?
 何が大丈夫で、本当に福島・・・?
 結局、福島市と郡山市は、まだ1.、1以上の放射線量が出ているので、恐らくほかのところよりは少し高いと思うんですね。
 もちろん飯舘村とかそっちに比べたら低いっていうかもしれ・・・、なるんですけど、結局、高くって、でもそれでも本当に健康に何も被害が無くて、子供たちは絶対ちゃんとした子供を産めるのか?
 そういう不安というか、結局・・・。
 確かにそういう勉強をしてきた先生が言うことなんだから、周りは信じますよね。
 でも、違う先生は、違うことを言っていたり、私がちょうどNHKのテレビだったと思うんですけど、昔広島の原爆が落とされたときに、その診察をよく原爆症の診察をしていたというか、そういう先生の話がたまたまテレビでやっていて、
「来年の春、4月頃に出る症状はとても危ないよ」
っていう話をしてたんですよ。
 その時、もしも子供たちにいろんな症状が出ていたら、それはとっても危険なことだから、その先生は、本当に今すぐ居なくなったというか、避難したほうがいいよという話をやっぱりしていたんですよ。
 でも、テレビで見る先生は、「絶対避難したほうがいい」って言う方と、「全然居大丈夫ですよ。福島に居て、そんな風評被害で、何言ってんですか?」って言う人もいるので、正直、同じ福島市民でも、結局そういう「危ないんだよ」って言う話を、
「なんでそうやって不安を煽るようなことを言うの?」
って言う人も居るらしいんですよ。
 こっちは避難して、小さい子供が居るけど、避難したいって一生懸命しごとを辞めるときだったり、理由を言うと思うんですよ。「避難したいから」って。
 それはやっぱり、そんな大げさに考えなくていいって言う人ももちろん居るんですね。
 でも、私は最悪を考えていて、後から「大げさだったね」って笑ってたほうがいいかなと思うので、本当は最悪なほうに考えたいなって思って、ずっと友達に情報を聞いたりとかしているんですけど。

Q.離婚した前夫との連絡は?

 子供たちの父親とは、全然そういう原発の話だったり避難の話は全くしてないんですけども、子供たちは4人とも自分で育てて、自分で面倒見ようと思っているので、もう相手・・・、うーんと・・・。
 自分の力でどうにか、うーん・・・。
 どうにか、生活させていきたいなと、していきたいなって思ってますね。

Q.(母子家庭での)生活の不安は?

 やはり女一人で子供たち4人育てていかなくちゃいけないので、生活にももちろん不安があったり、これからのことを考えたり、すごく寂しいときもあるんですけども、結局、心配してくれる友達が居て、それは県外にいる友達が心配してくれて、もう本当に原発があった後なんていうのは、もう毎日のように連絡してくれて、やっぱり支えてくれる友達が居たり、心配してくれる人たちが居るので、どうにか私は4人連れてというか、4人育てていけるかなって、はい。もちろん、今は北海道だったら凄くたくさんの人を、福島の人を受け入れてくれていたり、今は埼玉県が2年間無料で、自主避難の人の支援をしていたりとか、沖縄でも佐賀県でも、いろんな各地でやってくれていたり、結局夏休み中は、いろんなところにサマーキャンプだったり、いろんな支援をしてくれる人が、自分のことじゃないですけど、福島のことを考えて動いてくれた、一生懸命やってくれてる人も居るので、結局そういう人たちの力を借りながら、本当に支えてもらいながら、私はやっていけてるかな?って思ってます。

Q.心の支えになってくれる人はいますか?

 心の支えに、1人でもやっぱりなってくれる人が居るのと、私にとっては子供が一番大切で、どんなに面倒くさいなと思って、イライラする日もあっても、やっぱり子供がいなきゃ、私が結局さびしいので、なんかみんなと一緒なら頑張れるかなって思ってます。

Q.お付き合いしている人は?

 あー、えーっと、お付き合いしてる人はいるんですけど、うーん・・・。
 どうかな・・・?
 どうかな・・・?
 それで好きな人というか大切な人が居て、とてもすごく話を聞いてもらえたりして救われることもすごくあるんですけども、一緒には・・・、避難するときに一緒に行こうっていう気持ちは・・・、無いんですよ。
 もしもあちらが福島に居たいっていうなら、居ればいいと思うので、私は全然あれなんですけど。
 結局自分の生活というか、子供たちの生活ができるかできないかの不安で避難してないので、あとは自分のことですね。
 なので、自分の大切な人というか、好きな人のことまで・・・、うーん。考えていない。実際はあまり考えていないかな・・・?

Q.いっしょに避難したいと言われたら?

 一緒に行きたいというふうになったら、その時は、うん。一緒に行ってもいいかなとは思うんですけど、結局、相手は相手できちんと生活してもらって、きちんと働いてもらえれば、いいかなって。<笑>
 なので、一応今は、彼氏ではありますけど、子供たちの父親だと思っていないので、結局、別々の家庭で、家族で、きちんと生活できて、それプラスお互い高めあっていけて、信頼できる相手になればいいなっとは、はい。思ってます。

Q.将来への希望は?

 うーん。
 希望・・・。
 えーっと、これから先の希望としては・・・、やっぱりでも、何十年後に最後に死ぬときは、やっぱり大切な人に、っていうか好きな人に看取られて死んだ方がいいなと思うので、将来的には、もう何十年後には、やっぱり安心できるというか、そういう人とは一緒に居たいと思ってるので、そうですね。
 将来は一緒に居たいかな・・・と・・・、希望はありますね。
 うーん。
 ・・・かなぁ?
 ・・・かなぁ・・・?
 うーーーーん・・・。
関連記事

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://bator.blog14.fc2.com/tb.php/975-765c96a4

 | HOME | 

 

プロフィール

もうすぐ北風

Author:もうすぐ北風
こんにちは。
いろんな旅を続けています。
ゆきさきを決めてないなら、しばらく一緒に歩きましょうか。

最新記事(引用転載フリー)

カテゴリ

経済一般 (118)
経済一般~2012冬まで (161)
日本の経済 (224)
通貨戦争 (70)
ショック・ドクトリン (12)
震災関係 (23)
原発事故発生 (112)
事故と放射能2011 (165)
放射能汚染2012 (192)
汚染列島2013-14 (146)
汚染列島2015-16 (13)
福島の声 (127)
チェリノブイリからの声 (27)
政治 (413)
沖縄 (93)
社会 (316)
小沢一郎と「生活の党」 (232)
健康と食 (88)
環境と地球の歴史 (28)
未分類 (175)
脳卒中と入院 (7)

カウンター

最新コメント

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

このブログをリンクに追加する

カレンダー

11 | 2023/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

最新トラックバック

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

Template by たけやん