社会的感情の発達と人類の世界拡散
2010-12-19

前回の記事で、1年365日とすること。春夏秋冬の四季と言う気候環境の循環は、現生人類にとってはかなり新しい極最近の環境である。と言う熱帯原生の人類「半年循環本能仮説」を書きました。
要は、現生人類は数十万年の形成の中で、その殆んどの世代は熱帯圏おそらくは赤道付近の地で極少数種として、遺伝形成してきている。雨季と乾季は半年循環なので1年また1歳と言う感覚は無い。
従って、数万年前に拡散し、殆んどが生活する現状の地域、つまり1年で四季が循環する環境にはまだ心身共に馴染んでいない可能性が高い。と言う考えです。
常夏の環境から春秋を経て冬につながる環境。これは衣服、洞窟テントなどの文化によって克服し、文化の進展を果たして来たわけですが、世代数を考慮するなら、未だ依然として心身ともに多大なストレスがあって当然と考えます。
例えば暖房室内と野外の差は元来無かったものでしょう。また冬の戸外で衣服内部の皮膚感と顔面の皮膚感の大きな差といったものもあり得ないものだったでしょう。
人間以外の動物は、人間社会に寄生または共生しているものを除いては、「棲み分け」しているので、あくまでその環境に数百万から数億年留まります。エリアから飛び出したものは滅亡するのみです。気候の大変動では異種間一斉移動にはならないので多くは絶滅に瀕することとなる。
人間も同様だったのだが、5万年前のウルム氷期に棲み分けを抜けだしてしまい、地球全体への拡散が始まったのである。
これは、言語を始めとする、文化的技術的な克服によるものであるが、その中身が気になるのだ。
現生人類の特質といって良い「洞窟絵画」はおよそ4万年前に現れる。それ以前には今のところ存在しない。
このことは人間が赤道付近の極めて限定された狭い地域の極少数種であったためでもあるだろうが、絵画の存在理由が無かった、つまり集団的な感情生活に乏しかったことが事実である。
どちらが先とは言えないが、ここに、共同の笑い、怒り、喜び、恐れ、煽り、唆し等々の集団的精神状態。感情生活と情緒の発達が生まれた。
洞窟絵画は獲物の願望であれ、集団の団結であれ、聖職人の出現であれ、いずれにしても、ある程度の集団的感情の発達を前提にして生まれたと考える。
この集団的な(歴史社会のレベルでいえば「社会的な」)感情の発達が、「棲み分け」を突破し、「冬の世界」へ広がる力になったのだろう。
それまでには乏しかった社会的感情生活を発達させた人間は、煽動と団結、高揚感で恐怖を乗り越え、多様な感情表現で種族の絆を固め、冬の外界へ進出していった。
現代に至るも、古来から冬のノスタルジア、春の花祭り、花鳥風月の芸術等々。四季循環のストレスを、人間は社会的感情の発達によって乗り越えて、今もある。
と、言う成り立ちに考えるのですが。
...................如何でしょう。
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