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もうすぐ北風が強くなる

研究者の辞表(13~15)


研究者の辞表(13)送られなかった167枚」

SPEEDIの予測データはどう流れたのだろうか。(=上地兼太郎朝日新聞記者)
震災から約4時間後の3月11日午後7時3分、国は原子力緊急事態宣言を出す。首相官邸に原子力災害対策本部ができた。
経済産業省の原子力安全・保安院は、対策本部の事務局を担う一方、同省別館3階に緊急時対応センター(ERC)を立ち上げた。他省庁からも人がかき集められた。
SPEEDIの予測は本来、文部科学省が原子力安全技術センターを使って1時間ごとに行う。出来た予測図は保安院にも送られるが、保安院は独自の予測も出そうとした。それに向け、同日夜には同センターのオペレーターをERCに入れた。
保安院が独自で行った1回目のSPEEDI予測は午後9時12分に出た。翌12日午前3時半に福島第一原発2号機でベント(排気)をした場合、放射性物質はどう拡散するかという予測だ。放射性物質は南東の太平洋へ飛ぶ結果が出た。
12日午前1時12分に2回目の予測。今度は同時刻に1号機のベントを仮定した。これも海へ拡散していた。保安院は16日までに45回173枚の独自予測をはじき出した。

保安院の予測の特徴は、様々な情報を集めて放射性物質の放出量を推測したことだ。放出量を1ベクレルと仮定した文部科学省に比べ、予測の精度は高かった。

官邸の地下には、各省実働部隊が詰めるオペレーションルームがある。保安院は課長補佐以下の職員数人をそこに出していた。保安院から予測図を受け取る専用端末も備(そな)えられていた。
官邸5階には首相の管直人ら災害対策本部の中枢が陣取っている。避難区域を決めたのはこの中枢であり、その決定にはSPEEDIの情報を参考にすることになっている。ということは、予測図は専用端末を経て5階まで運ばれていなければならなかった。しかし・・・。

オペレーションルームの専用端末に送られたのは1,2回目の予測図だけ。保安院が独自で行ったSPEEDI予測のうち、43回167枚はERC内で止まっていた。
しかもプリントアウトして内閣官房の職員に渡したのは2回目の分だけだった。2回目の予測図はA4判で計3枚だが、そのうち何枚を渡したか、渡した後どうなったかも保安院は確認を取っていない。何故(なぜ)こんなことになったのか。

 研究者の辞表(14)二つの<やらねば>」

商業用原子炉の規制、監督をつかさどるのは原子力安全・保安院だ。今回の事故でも、保安院の動きは最大の焦点だった。(=上地兼太郎朝日新聞記者)
事故当時を知る幹部や現場職員に話を聴きたいと何度も依頼した。もちろん保安院には出向いて話を聞いた。関係者の自宅にも何度か手紙を出し、ときには玄関まで足を運んだ。

保安院の広報は「職員個人への取材はご遠慮いただきたい」と言ったが、当事者から聞かねば分からない事もある。保安院は「担当課から答えさせる」と強調しながら、その答えは常に要領を得なかった。
保安院はすでに民間人となった幹部OBへの取材も規制した。「事故当時のことはすべて担当課が答える」という理屈だった。

そんな中、事実の断片を積み上げながらSPEEDIをめぐる経緯を知ろうとした。匿名(とくめい)を条件に明かしてもらったこともある。

以下、今の時点で最も事実に近いと思われる経過はこうだ。
3月11日午後7時過ぎ。官邸に原子力災害対策本部ができた時、原発から5キロの場所に現地対策本部が作られた。原子力防災マニュアルでは現地本部が対策の中心だ。SPEEDIを使って住民の避難区域案を作るのもここの役割だった。

しかし現地本部は地震の揺れで通信回線が途絶していた。要員の集まりも悪い。とうてい、避難区域を検討できる状態ではなかった。
現地本部が機能しない場合、避難区域を考えるのはどこか。意図しないまま、保安院と官邸で重大な勘違いが生じていた。

東京・霞が関。経済産業省別館3階にある保安院の緊急時対応センター(ERC)は、避難区域の案を作るのは自分たちしかいないと確信していた。官邸に置かれた対策本部の事務局は保安院であり、その中核がERCだからだ。
放射線班が避難区域案作りを担当し、原子力安全技術センターに注文してSPEEDIの予測図をはじきだそうとした。住民の避難には放射性物質の拡散予測が欠かせない。班員らは必死だった。

一方、官邸5階に陣取る対策本部の中枢は違う考えを持っていた。現地が機能しなくなった以上、自分たちが避難区域を決めるほかない。官邸中枢はERCの存在を認識できないほどあせり、混乱していた。
時刻は11日の夜9時前後。ERCと官邸で、別々に避難案づくりが進んでいた。(=続く)

 研究者の辞表(15)官邸独断 室内は騒然」

事実に近いと思われることをさらに続ける。(=上地兼太郎朝日新聞記者)
3月11日午後9時12分、経済産業省別館にある原子力安全・保安院のERC(緊急時対応センター)は、独自に注文した1回目のSPEEDI(スピーディ)予測図を受け取った。
SPEEDIは放射性物質の拡散を最大79時間先まで予測できる。その能力をフルに使って将来の拡散範囲を予想し、危険地域にいる住民を避難させなければならない。

放出された放射性物質は風に流されるため同心円状には広がらないのが常識だ。何時間後、何処(どこ)に汚染が広がるか。ERCはSPEEDIの予測を続けて汚染区域を見極めようとした。ところが・・・。
その矢先の午後9時23分。原子力災害対策本部長の管直人は同心円状の避難指示を発する。原発から3キロ圏内の住民は避難、10キロ圏内の住民に屋内退避、という内容だった。

対策本部の事務局は保安院が担当し、その中核はERCだ。そこには全く連絡が無いまま、いきなり結論だけが下(お)りてきた。官邸中枢が独自の判断で決めたのだ。
避難区域の案を作っている最中に、一体どうしたことか。ERCは驚き、室内は騒然とした。官邸中枢が避難区域を決めてしまった以上、自分たちに役割はない。そう即断し、この段階でERCは避難区域案づくりをやめてしまう。

官邸中枢が発した避難指示は12日午前5時44分に原発から10キロ、同日午後6時25分に20キロと広がっていった。いずれも同心円状だった。
ERCは16日までに45回もSPEEDIの計算を繰り返すが、それは避難区域を決めるためではなく、官邸中枢が決めた避難区域について検証するためだった。

同心円状に広がらないのは原子力防災の常識なのに、同心円状に避難指示が出る。そのおかしさを感じながらERCはそれを追認した。発せられた避難指示を否定する根拠がない以上、追認が妥当と考えた。
その後、政府はこう強調した。放出された放射能量が不明だったのでSPEEDI予測はそもそも役に立たなかったのだ、と。ERCがSPEEDIを使って避難区域案を作ろうとしていたことは伏せられた。

同心円状の避難指示で最も矛盾が生じたのは、20キロ圏外にある放射線量の高い地域だった。SPEEDIの予測図では20キロ圏をはるかに超え、北西方向に高線量地域が伸びていた。
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