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もうすぐ北風が強くなる

10月はたそがれの国

 10月

 猛暑の夏もすぎて、早くも10月になった。
 涼しくなり、風が吹き、雨が降り、そしてなにより身にしみて早く日が暮れる。

 レイ・ブラッドベリの短篇集「10月はたそがれの国」。
 子どもは日暮れが早くなったことに気づき、屋根の風見鶏が回っていることに気づく。
 もう、夕暮れだ。家に帰らなくっちゃ。

 小学校の高学年ころからSFマガジンなど愛読していて、中学校、高校にかけて早川書房、創元社などのSF小説を読みまくった時期がありました。
 レイ・ブラッドベリは最も好きな作家でした。

 華氏451度。火星年代記。ハロウィーンがやってきた。何かが道をやってくる。黒いカーニバル。入れ墨の男。太陽の黄金のりんご。メランコリイの妙薬。その他数多くの作品がありますが、ほぼすべてが日本語に翻訳出版されています。
 SF、幻想、怪奇が特徴ですが、このモチーフによって、彼なりのリアルな真実性の世界を創り出しています。

 火星年代記  ブラッドベリ

 レイ・ブラッドベリについてのインタビューが見つかりましたので、その人となりを知るための参考に紹介します。

 レイ・ブラッドベリ インタビュー  「ぷらちな」からの引用です。

レイ・ブラッドベリ。1920年生まれ。『火星年代記』『華氏451度』などで知られる世界的に有名な作家である。
SFから幻想文学まで幅広い作品を手がけており、多くの作品が映像化されている。先日、日本でも上映され話題となった映画『サウンド・オブ・サンダー』もまた、彼の短篇「雷のような音」を原作とした映画だ。
叙情的でどこか懐かしいその作風は、日本のクリエーターたちにも大きな影響を与えている。
そんな生ける伝説が、クリエイターの卵たちに向けて、自身の初期作品の誕生秘話、そして自身の創作作法について語ってくれた。

   傑作『霧笛』の誕生

『霧笛』を書いた1950年代、私はカリフォルニアのベニスに住んでいて、ワイフといっしょにビーチをよく散歩していた。当時、ベニスにあった古い桟橋が取り壊されたところでね。ビーチには、その残骸ばらばらに放置されていたんだ。
私はワイフにいったよ。ごらんよ、あの恐竜たちはこんなところに寝転がって、いったい何をしているんだろうね? って。
誰かに呼ばれたような気がして、夜中に目を覚ましたのはその日のことだった。ワイフは隣ですやすやと寝息をたてていたし、窓の外を見ても霧で何も見えなかった。だけど、そのとき、湾のどこかで霧笛が鳴って、ああこの音だったのか、とわかったんだ。
「霧笛」(”The Fog Horn”、1951年、ハヤカワ文庫SF『太陽の黄金の林檎 』所収)を思いついたのは、その時だった。
霧笛の音を仲間からの呼び声だと思い、百万年の眠りから醒めた恐竜が、仲間とめぐり合うために霧の海を渡ってくる。しかしそれがただの霧笛だとわかると、怒った恐竜は灯台を壊し、哀しみに打たれながら霧の海に帰っていくんだ……。

翌朝早くに起きて、一気に書き上げたよ。この作品は私の人生を変えた。私の初期の代表作になっただけでなく、これを読んだジョン・ヒューストン(映画監督。ハードボイルドな作風で知られる。代表作に『マルタの鷹』、『アフリカの女王』など)が、『白鯨』(”Moby-Dick”、1851年、ハーマン・メルヴィル)の映画脚本執筆の仕事をくれたんだよ(映画は1956年公開)。
   映画『白鯨』の誕生

ある日、ヒューストンのホテルまで呼び出されて、「『白鯨』の脚本を書いてみたくはないかね?」と訊かれたんだ。
ヒューストンの映画は好きだった。『マルタの鷹』なんて、何度観かえしたことか。いつか一緒に仕事をしたいと思っていたよ。だけど、私はこう答えたんだ。「ヒューストンさん、あんな本、私は一度も読んでいないですよ」
長い沈黙があった。きっと、彼はそんな言い方を一度も聞いたことがなかったんだね。そして、それからこう言った。
「レイ、今晩、これからあの本を読んで、明日の朝またここに来て、私が白鯨を殺す仕事にキミが手を貸してくれるかどうか教えてくれないかね?」
それで、家に帰るなり私はワイフに言ったさ。「ぼくのために祈ってくれ! ぼくはこれから本を読んで、明日の朝にはレポートを仕上げなくちゃあならない!」って。
私は神に感謝しなくてはいけないね。それまでメルヴィルを軽く見ていたけど、『白鯨』は素晴らしい小説だった。
でも、とにかく大変な仕事だったよ。なにしろ800ページの小説を120ページの脚本にまとめねばならないんだ。八ヶ月が過ぎる頃には、2000回くらい読み込んだ箇所さえあった。そして8月のある朝。私は鏡を見ながら、こう宣言した。
「余は、ハーマン・メルヴィルである!」
それから8時間、私は夢中でタイプライターを叩き続けて、脚本の最後の35ページを一気に書きあげた。まるで指先が燃えあがるようだった。それからロンドンに行って、ジョン・ヒューストンの膝の上に書きあげたばかりの脚本を放り出して、私はいった。
「完成したと思います」
ジョン・ヒューストンはびっくりしていたよ。「マイ・ゴッド! いったい何があったんだ!」って。

   ブラッドベリの小説作法

私はいつも情熱のほとばしるままに書いていく。頭を空っぽにして……まさに禅だね、心にとまったことをすべて書き上げ、最後まで書き通してしまうことだ。考えながら書くのではなく、情熱にまかせて書くんだ。考えたり手を加えたりするのは後でいい。そうでなければ創造は不可能になる。
このあいだ書き上げた小説には約3年かけたけど、最初は何も分からなかった。ただ面白い登場人物たちがいて、彼らが生きて動き出した。それが何を描いた小説なのかがようやく見えてきたのは、書き始めて2年くらいたってからだったよ。
フェデリコ・フェリーニ(映画監督、実験的な手法を駆使し、「魔術師」の異名を持つ。代表作に『道』『サテリコン』)とも何度か話したことがあるけど彼は、とにかくラッシュも見ずに撮り続ける。自分が撮った映像を見るのは、30日間ほどたってからなんだそうだ。仕事場代わりに使っていたUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にフェリーニがきて『サテリコン』を上映したとき、学生にまぎれて私はその理由を聞いたよ。フェリーニはこう答えたんだ。
「自分が何をしているのかを頭で理解したくないから。私はミステリーを失いたくないんです」
フェリーニが言おうとしたのはこういうことだ。
一日の撮影を終了したところで、昨日は何を録ったかなと振り返ってみる。
おそらく正確には思い出せないだろう。でも、だからこそ、しっかり憶えようと情熱を燃やすことになるし、ミステリーも生き続けるんだ。ところがラッシュを見てしまったら、何を録ったかがわかりすぎて想像力の入り込む余地がなくなってしまうし、情熱もなくなってしまう。
私の小説作法もフェリーニの映画と同じなんだ。創作に向かう私の姿勢が正しかったことを裏付けてくれたようで嬉しかったよ。

   小説家という仕事

私には2つのルールがあってね。1つは、考えすぎるな。そして、もう1つは、手がけた仕事は最後まで仕上げろ。
好きな仕事というのは人生の核になるものだ。それがなければ何もないのと同じだよ。愛してくれる人がいて、愛する仕事があれば、それだけでもう素晴らしい人生じゃないか。
何年か前に、卒中にかかったけれど、幸運なことに脳は無事だった。歩くのは苦労しているし、耳も聞こえなくなったが、それでも文章を書くことはできる。
この3年間に、私は小説を3本書きあげた。演劇は6本。短編をたくさん。
でも、私にはまだ書くべきことが残っているから、死ぬ前にそれを仕上げてしまいたいと思っているよ。
インタビュー:奥平謙二 野口周三(AMG)
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