勤労者の窮乏化は恐慌への道づくり
2011-09-20
以下に引用するR・ライシュの小論は、富の格差拡大と相対する勤労者の貧困化が経済恐慌を引き起こすこと、そして、勤労者の生活向上、中流階級の再生が実体経済の好況循環を創りだすことを、素直に展開している。
恐慌循環の現代的な説明としても明解である。
資本の過剰蓄積が勤労者の窮乏化を招き、需給ギャップの拡大と信用収縮を作ってしまうことは19世紀から知られている。
帝国主義的収奪であると国内的搾取収奪であるとを問わずに、労働階級の窮乏化、すなわち資本の過剰蓄積は結果的に信用恐慌をもたらし、実体経済の破綻と拡大ならぬ縮小循環に至る。金利は下がるが、投資の効率はさらに低くなる。
社会的国家はその状態に至らぬように、税制、最賃、労働組合保護等の社会政策と財政政策をとって、経済規制を加える必要がある。
非金融産業資本にとっても「人道は他人の為ならず」なのである。
これに、当てはまらないのは恐慌で焼け太りする国際金融資本のみである。
いわゆる「新自由主義」とか「小さな政府」論などというものが論外であり、何処から発してきたかは明らかである。
そしてまた、アメリカ共和党の主張が誰の利益になるかも同様だ。
「欧米に蔓延する緊縮財政論」、「なぜデフレなのか、なぜ放置するのか」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「没落した中流階級の再生なしにアメリカ経済は復活しない」
少数の金持ちに依存する経済は弱い ロバート・ライシュ 9/20 現代ビジネスから
ライシュ教授が指し示す2番底アメリカへのカルテは未曾有の国難にあえぐ日本人にこそ有効ではないか。教授の最新刊『余震』ふまえた提言でいま話題のニューヨークタイムズ記事を全文翻訳した。 翻訳・構成:松村保孝
最上位5%に属する高所得層アメリカ人の消費は、いまや全体の37%の割合を占める、というのがムーディーズ・アナリティックスによる最近の調査結果だ。驚くには当たらない。アメリカ社会はますます不平等を広げたのだ。
それほど多くの所得がトップにわたる一方で、中流階級がもっと借金漬けにならなくとも経済を回していけるだけ十分な購買力をもちあわせていないとする。その結果は、すでに経験したように、ひどいことになる。
少数者の消費に大きく依存する経済は、にわか景気と不況の交替を引き起こしがちでもある。金持ちは貯蓄が好調だと派手に消費し投資もするが、資産価値が急落すると引っ込む。これが時に大荒れの乱高下をみちびく。この点はすでに誰にも耳慣れた話だ。
アメリカの不平等に向けたこの大きなうねりが逆転するまでは、経済がほんとうに立ち直ることはない。たとえばなにか奇跡が起こって、ベン・バーナンキ議長のFRB(連邦準備制度理事会)が金利をほぼゼロに保ったままで、オバマ大統領の第二次刺激策が(議会で)支持されることになったとしても、中流階級が消費できる態勢になければ、いずれもうまくはいかない。呼び水がうまく働くのは、そもそも井戸に十分、水があるときだけなのだ。
この100年間、大金持ちが儲けた直後に景気後退が起きている
この100年を振りかえってみれば、あるパターンが見えてくる。1947年から1977年にいたる偉大なアメリカの繁栄期のように、大金持ちが全体の収益中のより少ない部分を家に持ち帰っていたときには、アメリカ全体は急速に成長し、賃金の中央値が急騰した。好循環が生まれたのだ。かつてなく成長した中流階級は、より多くの商品とサービスを消費する能力があるので、さらに多くのいい職(ジョブス)を生みだし、その結果、需要がかきたてられる。上げ潮は事実すべての船を押し上げたのである。
1918年から1933年までの期間のように、あるいは1981年から現在までの大後退の時期のように、大金持ちが収益のより大きな部分を家に持ち帰った時には成長は鈍化し、賃金中央値は沈滞し、われわれは巨大な景気後退に苦しむことになる。
この100年間で、国の総所得中からのトップ所得者たちの取り分が最大になったのは、最大の景気下降に先立つことそれぞれ2年前の1928年と2007年だった。これは単なる偶然の一致などではけっしてない。
1970年代後半からアメリカの中流階級は弱りはじめた。生産性は上がり経済は拡大しつづけたが賃金は1970年代に入ると横ばいとなった。コンテナ船やサテライト通信、ついにはコンピューターとインターネットといった新技術が、オートメ化を可能にし、海外でもっと(コストを)安くあげて、アメリカ人の職を削りとったせいだ。
同じ技術は、経営革新や問題解決にその技術を使う人々には、かつてない多額の報酬を与えることとなった。中のある者は製品起業家であり、人気がウナギ登りだったのは金融商品の起業家であった。一流大学やMBA課程の卒業生は、タレントとして重役室やウォールストリートで権力の頂点を極め、その報酬は急騰した。
借金と女性の労働に支えられた中産階級の消費バブル
その一方で、中流階級は消費し続けた。初めは労働人口に女性が加わってきたからできたことだ。(1960年代、小さな子を持つ既婚女性のわずか12%が賃労働に従事したが、1990年代末までには55%になっていた)。それでも収入が十分でないと、アメリカ人は大きな借金を抱えるようになった。1990年代末から2007年にかけて家計負債は3分の1にまでふくれあがる。住宅の価値が上がり続けるかぎり、それは補助金を手にいれる苦労のない方法に見えた。
もちろんのことだが、たまたまバブルがはじけた。ほとんど停滞している賃金をものともせずに消費し続ける中流階級の驚くべき能力は、そこで終わった。謎なのは、この40年間、中流階級の経済力が壊滅しないようになんとかしむけることがなぜ、ほとんど行われなかったのか、ということだ。
経済成長からの引き続く利得によって、アメリカという国は、早期の児童教育や公立校の改善、高等教育への広範囲なアクセス、さらにはより効果的な公共交通機関によって、もっと多くの人々を、問題解決者や事業革新家にすることができたはずなのに。
われわれは、パートタイム労働者への失業保険の適用、新しい土地への転職する者への交通費給付、あるいは大口雇用者を失った市町村への新保険制度適用によって、セーフティーネットをさらに広げ得たであろう。メディケア(医療保険)は国民全員の保険としえたはずだ。
大企業が、クビにした労働者に退職手当を支給したり、新しい職のために訓練したりすることを(政府から)命じられることもまた可能であった。最低賃金を賃金中央値の半額に連動させることや、貿易相手国にもそれと同様の条件を要求してすべての市民が貿易からの利得をシェアできるようにすることもできたはずだ。
金持ちへの税金を多くし、貧しいアメリカ人への課税を下げることもできたであろう。
しかし、1970年代末から始まり、その後30年間というもの、ますます熱心に政府がやったことはそれと全く反対のことであった。規制を撤廃し民営化した。対国家経済比でのインフラ出費をカットし、公的高等教育のコストを家族に転嫁した。セーフティネットはずたずたにされた。(失業者のたった27%にだけ失業保険が適用される)そして企業には組合破りを許し、組合を組織しようとする従業員は脅迫される。労働組合に加入している民間部門の労働者は今、8%以下である。
もっと一般的に言えば、アメリカの大企業がグローバル企業となり、GPS衛星と同様、アメリカへの忠誠心など持ち合わせなくなる事態を政府は傍観していた。
その間、最大の所得税率は35%へと半減し、この国の多くの大富豪たちは自分たちの所得を15%以上は課税されないキャピタルゲイン(資本利得)扱いすることが許された。一番頂上の収入層1、5%に課せられる相続税はささやかなものだった。しかし同時に、いずれもあまり大きくはないわれわれの給与のかなりの分量を占めている消費税や給与税は増加した。
「グローバリゼーションには逆らえない」というのは嘘だ
中でもきわめつきは、政府がウォールストリートの大損害には補償を与えながら、その諸規制は解いたことである。そうすることで、それまでアメリカ産業界のしもべであった金融業を主人の地位につかせ、彼らが長期的な成長でなく短期的な利益を求めてこの国の利益のかつてなく大きな部分をかき集めることを許した。
金融会社の利益は2007年までに、アメリカ企業による総利益の10%に過ぎなかった偉大な繁栄期をはるかに超える40%を占め、報酬もまほぼ同じように大きな割合を占めた。
ある人は、こうした退行への急傾斜は、アメリカ人が政府への信頼を失ったせいで起きたのだと言う。しかしこの議論はもっともではあるが後ろ向きである。
1970年代末にアメリカ中をとどろかせた納税者の反乱は、政府へのイデオロギー的反乱というよりは停滞する所得へのさらなる課税への一部の反乱であって、アメリカ人は、政府のすべての業務をそれまでどおり求めていたのである。当然のことながら政府の業務は劣化し、政府の赤字は膨張した。それがまた人々の、政府のやることはどれもダメだ、という不信感を強めることになった。
またある人は、グロバリゼーションと技術的変化を逆転することなど、我々にはできないことだったと言う。しかしドイツなど他国の経験は、違うことを示している。この15年間、ドイツの経済成長はアメリカより早く、その利得はもっと広くまかれた。1985年以降、アメリカの平均的時給のインフレ調整後の上昇率がたった6%だったのに対し、ドイツ人労働者の上昇率は30%であった。
同時にトップ1%のドイツの家計は、国民総所得の11%を家に持ち帰ったに過ぎない。これは1970年とほぼ変わらない数字である。この数ヵ月間、ドイツは近隣諸国の債務危機に見舞われてはいるが、その失業率は金融危機が2007年に始まる前の水準をいまだに下まわっている。
ドイツはそれをどう達成したのか? それは主に、レーザー装置で狙うように教育に焦点を定め(ドイツ人学生の数学の点数はアメリカ人をリードし続けている)、強い労働組合を維持することによってである。
「上げ潮」から「引き潮」の時代へと変化する
アメリカの大きな退歩の本当の理由は政治的なものだ。収入と富がより少数の者に集中し、マリナー・エクルズ(FRB元議長)が1920年代に「巨大な経済力を持つ(中流の)人々が、経済ゲームのルール作りに過小な影響力しか持たないとき」起こる、と述べた状況に逆戻りしたのである。
高額の選挙資金を寄付し、ロビイストや情報操作のプロ集団を動かして、アメリカの経営幹部階層(エグゼクティブクラス)は経済成長から得た利得を広く行きわたらせるための改革に抵抗する一方で、より低い税率を勝ち取ったのである。
しかし金持ちたちは今や自らの成功にいっぱい食わされてしまった。急成長する経済のより小さなシェアのほうが、ほとんど溺死寸前の経済の大きなシェアよりは安楽であろう。
多分、アメリカの中流階級の巨大な購買力を復興する戦略なしにアメリカ経済は現在の沈滞から抜け出せない。上位5%の大富豪たちだけの消費では、雇用機会を増やし生活水準を上げる好循環をもたらすことはできない。そのギャップを埋めるために輸出に頼ることもできない。アメリカを含めた経済大国が、(輸入額より輸出額が多い)純輸出国になることは不可能なことである。
中流階級の復興のためには、何十年にもわたった格差拡大の傾向をわれわれが逆転させる必要がある。経営幹部階層がもつ政治的パワーにもかかわらず、これは可能である。非常に多くの人々が職を失い、収入を下落させ、住宅価値の減退に遭遇している今、アメリカ人は結集することができる。
さらに経済は(あるプレーヤーの利益が増せば、その分だけ他のプレーヤーの損失が増える)ゼロサム・ゲームではない。経営幹部階層であっても、これまでのトレンドを逆転させることが自己利益であると十分に理解している。
すなわち、上げ潮がすべての船(ボート)を水に浮かべるのに、引き潮は(富裕層が持つ)多くのヨットをも浜に乗り上げさせかねないのだ。問題は果たしていつ自らの政治的な意志を呼び出すのか、ということだ。かつてわれわれは、もっと荒涼たる時代にあってもそれを奮い起こしたものである。
歴史家のジェームス T.アダムスが、大恐慌の深淵のさなかに作り出した「アメリカの夢」の定義のように、我々が求めるのは「誰にとっての人生も、より良く、より豊かで、より充実している国」なのである。
その夢はいまだにわれわれの手の届く範囲にある。
ロバート・ライシュ
1946年、ペンシルバニア州に生まれる。ハーバード大学教授、ブランダイス大学教授などを経て、クリントン政権で労働長官を務める。『アメリカン・プロスペクト』の共同創立者兼編集者。2003年に経済・社会思想における先駆的業績によりバーツラフ・ハベル財団賞受賞。2008年5月『ウォールストリート・ジャーナル』紙で「最も影響力のある経営思想家20人」の1人に選ばれる。邦訳書多数
恐慌循環の現代的な説明としても明解である。
資本の過剰蓄積が勤労者の窮乏化を招き、需給ギャップの拡大と信用収縮を作ってしまうことは19世紀から知られている。
帝国主義的収奪であると国内的搾取収奪であるとを問わずに、労働階級の窮乏化、すなわち資本の過剰蓄積は結果的に信用恐慌をもたらし、実体経済の破綻と拡大ならぬ縮小循環に至る。金利は下がるが、投資の効率はさらに低くなる。
社会的国家はその状態に至らぬように、税制、最賃、労働組合保護等の社会政策と財政政策をとって、経済規制を加える必要がある。
非金融産業資本にとっても「人道は他人の為ならず」なのである。
これに、当てはまらないのは恐慌で焼け太りする国際金融資本のみである。
いわゆる「新自由主義」とか「小さな政府」論などというものが論外であり、何処から発してきたかは明らかである。
そしてまた、アメリカ共和党の主張が誰の利益になるかも同様だ。
「欧米に蔓延する緊縮財政論」、「なぜデフレなのか、なぜ放置するのか」
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「没落した中流階級の再生なしにアメリカ経済は復活しない」
少数の金持ちに依存する経済は弱い ロバート・ライシュ 9/20 現代ビジネスから
ライシュ教授が指し示す2番底アメリカへのカルテは未曾有の国難にあえぐ日本人にこそ有効ではないか。教授の最新刊『余震』ふまえた提言でいま話題のニューヨークタイムズ記事を全文翻訳した。 翻訳・構成:松村保孝
最上位5%に属する高所得層アメリカ人の消費は、いまや全体の37%の割合を占める、というのがムーディーズ・アナリティックスによる最近の調査結果だ。驚くには当たらない。アメリカ社会はますます不平等を広げたのだ。
それほど多くの所得がトップにわたる一方で、中流階級がもっと借金漬けにならなくとも経済を回していけるだけ十分な購買力をもちあわせていないとする。その結果は、すでに経験したように、ひどいことになる。
少数者の消費に大きく依存する経済は、にわか景気と不況の交替を引き起こしがちでもある。金持ちは貯蓄が好調だと派手に消費し投資もするが、資産価値が急落すると引っ込む。これが時に大荒れの乱高下をみちびく。この点はすでに誰にも耳慣れた話だ。
アメリカの不平等に向けたこの大きなうねりが逆転するまでは、経済がほんとうに立ち直ることはない。たとえばなにか奇跡が起こって、ベン・バーナンキ議長のFRB(連邦準備制度理事会)が金利をほぼゼロに保ったままで、オバマ大統領の第二次刺激策が(議会で)支持されることになったとしても、中流階級が消費できる態勢になければ、いずれもうまくはいかない。呼び水がうまく働くのは、そもそも井戸に十分、水があるときだけなのだ。
この100年間、大金持ちが儲けた直後に景気後退が起きている
この100年を振りかえってみれば、あるパターンが見えてくる。1947年から1977年にいたる偉大なアメリカの繁栄期のように、大金持ちが全体の収益中のより少ない部分を家に持ち帰っていたときには、アメリカ全体は急速に成長し、賃金の中央値が急騰した。好循環が生まれたのだ。かつてなく成長した中流階級は、より多くの商品とサービスを消費する能力があるので、さらに多くのいい職(ジョブス)を生みだし、その結果、需要がかきたてられる。上げ潮は事実すべての船を押し上げたのである。
1918年から1933年までの期間のように、あるいは1981年から現在までの大後退の時期のように、大金持ちが収益のより大きな部分を家に持ち帰った時には成長は鈍化し、賃金中央値は沈滞し、われわれは巨大な景気後退に苦しむことになる。
この100年間で、国の総所得中からのトップ所得者たちの取り分が最大になったのは、最大の景気下降に先立つことそれぞれ2年前の1928年と2007年だった。これは単なる偶然の一致などではけっしてない。
1970年代後半からアメリカの中流階級は弱りはじめた。生産性は上がり経済は拡大しつづけたが賃金は1970年代に入ると横ばいとなった。コンテナ船やサテライト通信、ついにはコンピューターとインターネットといった新技術が、オートメ化を可能にし、海外でもっと(コストを)安くあげて、アメリカ人の職を削りとったせいだ。
同じ技術は、経営革新や問題解決にその技術を使う人々には、かつてない多額の報酬を与えることとなった。中のある者は製品起業家であり、人気がウナギ登りだったのは金融商品の起業家であった。一流大学やMBA課程の卒業生は、タレントとして重役室やウォールストリートで権力の頂点を極め、その報酬は急騰した。
借金と女性の労働に支えられた中産階級の消費バブル
その一方で、中流階級は消費し続けた。初めは労働人口に女性が加わってきたからできたことだ。(1960年代、小さな子を持つ既婚女性のわずか12%が賃労働に従事したが、1990年代末までには55%になっていた)。それでも収入が十分でないと、アメリカ人は大きな借金を抱えるようになった。1990年代末から2007年にかけて家計負債は3分の1にまでふくれあがる。住宅の価値が上がり続けるかぎり、それは補助金を手にいれる苦労のない方法に見えた。
もちろんのことだが、たまたまバブルがはじけた。ほとんど停滞している賃金をものともせずに消費し続ける中流階級の驚くべき能力は、そこで終わった。謎なのは、この40年間、中流階級の経済力が壊滅しないようになんとかしむけることがなぜ、ほとんど行われなかったのか、ということだ。
経済成長からの引き続く利得によって、アメリカという国は、早期の児童教育や公立校の改善、高等教育への広範囲なアクセス、さらにはより効果的な公共交通機関によって、もっと多くの人々を、問題解決者や事業革新家にすることができたはずなのに。
われわれは、パートタイム労働者への失業保険の適用、新しい土地への転職する者への交通費給付、あるいは大口雇用者を失った市町村への新保険制度適用によって、セーフティーネットをさらに広げ得たであろう。メディケア(医療保険)は国民全員の保険としえたはずだ。
大企業が、クビにした労働者に退職手当を支給したり、新しい職のために訓練したりすることを(政府から)命じられることもまた可能であった。最低賃金を賃金中央値の半額に連動させることや、貿易相手国にもそれと同様の条件を要求してすべての市民が貿易からの利得をシェアできるようにすることもできたはずだ。
金持ちへの税金を多くし、貧しいアメリカ人への課税を下げることもできたであろう。
しかし、1970年代末から始まり、その後30年間というもの、ますます熱心に政府がやったことはそれと全く反対のことであった。規制を撤廃し民営化した。対国家経済比でのインフラ出費をカットし、公的高等教育のコストを家族に転嫁した。セーフティネットはずたずたにされた。(失業者のたった27%にだけ失業保険が適用される)そして企業には組合破りを許し、組合を組織しようとする従業員は脅迫される。労働組合に加入している民間部門の労働者は今、8%以下である。
もっと一般的に言えば、アメリカの大企業がグローバル企業となり、GPS衛星と同様、アメリカへの忠誠心など持ち合わせなくなる事態を政府は傍観していた。
その間、最大の所得税率は35%へと半減し、この国の多くの大富豪たちは自分たちの所得を15%以上は課税されないキャピタルゲイン(資本利得)扱いすることが許された。一番頂上の収入層1、5%に課せられる相続税はささやかなものだった。しかし同時に、いずれもあまり大きくはないわれわれの給与のかなりの分量を占めている消費税や給与税は増加した。
「グローバリゼーションには逆らえない」というのは嘘だ
中でもきわめつきは、政府がウォールストリートの大損害には補償を与えながら、その諸規制は解いたことである。そうすることで、それまでアメリカ産業界のしもべであった金融業を主人の地位につかせ、彼らが長期的な成長でなく短期的な利益を求めてこの国の利益のかつてなく大きな部分をかき集めることを許した。
金融会社の利益は2007年までに、アメリカ企業による総利益の10%に過ぎなかった偉大な繁栄期をはるかに超える40%を占め、報酬もまほぼ同じように大きな割合を占めた。
ある人は、こうした退行への急傾斜は、アメリカ人が政府への信頼を失ったせいで起きたのだと言う。しかしこの議論はもっともではあるが後ろ向きである。
1970年代末にアメリカ中をとどろかせた納税者の反乱は、政府へのイデオロギー的反乱というよりは停滞する所得へのさらなる課税への一部の反乱であって、アメリカ人は、政府のすべての業務をそれまでどおり求めていたのである。当然のことながら政府の業務は劣化し、政府の赤字は膨張した。それがまた人々の、政府のやることはどれもダメだ、という不信感を強めることになった。
またある人は、グロバリゼーションと技術的変化を逆転することなど、我々にはできないことだったと言う。しかしドイツなど他国の経験は、違うことを示している。この15年間、ドイツの経済成長はアメリカより早く、その利得はもっと広くまかれた。1985年以降、アメリカの平均的時給のインフレ調整後の上昇率がたった6%だったのに対し、ドイツ人労働者の上昇率は30%であった。
同時にトップ1%のドイツの家計は、国民総所得の11%を家に持ち帰ったに過ぎない。これは1970年とほぼ変わらない数字である。この数ヵ月間、ドイツは近隣諸国の債務危機に見舞われてはいるが、その失業率は金融危機が2007年に始まる前の水準をいまだに下まわっている。
ドイツはそれをどう達成したのか? それは主に、レーザー装置で狙うように教育に焦点を定め(ドイツ人学生の数学の点数はアメリカ人をリードし続けている)、強い労働組合を維持することによってである。
「上げ潮」から「引き潮」の時代へと変化する
アメリカの大きな退歩の本当の理由は政治的なものだ。収入と富がより少数の者に集中し、マリナー・エクルズ(FRB元議長)が1920年代に「巨大な経済力を持つ(中流の)人々が、経済ゲームのルール作りに過小な影響力しか持たないとき」起こる、と述べた状況に逆戻りしたのである。
高額の選挙資金を寄付し、ロビイストや情報操作のプロ集団を動かして、アメリカの経営幹部階層(エグゼクティブクラス)は経済成長から得た利得を広く行きわたらせるための改革に抵抗する一方で、より低い税率を勝ち取ったのである。
しかし金持ちたちは今や自らの成功にいっぱい食わされてしまった。急成長する経済のより小さなシェアのほうが、ほとんど溺死寸前の経済の大きなシェアよりは安楽であろう。
多分、アメリカの中流階級の巨大な購買力を復興する戦略なしにアメリカ経済は現在の沈滞から抜け出せない。上位5%の大富豪たちだけの消費では、雇用機会を増やし生活水準を上げる好循環をもたらすことはできない。そのギャップを埋めるために輸出に頼ることもできない。アメリカを含めた経済大国が、(輸入額より輸出額が多い)純輸出国になることは不可能なことである。
中流階級の復興のためには、何十年にもわたった格差拡大の傾向をわれわれが逆転させる必要がある。経営幹部階層がもつ政治的パワーにもかかわらず、これは可能である。非常に多くの人々が職を失い、収入を下落させ、住宅価値の減退に遭遇している今、アメリカ人は結集することができる。
さらに経済は(あるプレーヤーの利益が増せば、その分だけ他のプレーヤーの損失が増える)ゼロサム・ゲームではない。経営幹部階層であっても、これまでのトレンドを逆転させることが自己利益であると十分に理解している。
すなわち、上げ潮がすべての船(ボート)を水に浮かべるのに、引き潮は(富裕層が持つ)多くのヨットをも浜に乗り上げさせかねないのだ。問題は果たしていつ自らの政治的な意志を呼び出すのか、ということだ。かつてわれわれは、もっと荒涼たる時代にあってもそれを奮い起こしたものである。
歴史家のジェームス T.アダムスが、大恐慌の深淵のさなかに作り出した「アメリカの夢」の定義のように、我々が求めるのは「誰にとっての人生も、より良く、より豊かで、より充実している国」なのである。
その夢はいまだにわれわれの手の届く範囲にある。
ロバート・ライシュ
1946年、ペンシルバニア州に生まれる。ハーバード大学教授、ブランダイス大学教授などを経て、クリントン政権で労働長官を務める。『アメリカン・プロスペクト』の共同創立者兼編集者。2003年に経済・社会思想における先駆的業績によりバーツラフ・ハベル財団賞受賞。2008年5月『ウォールストリート・ジャーナル』紙で「最も影響力のある経営思想家20人」の1人に選ばれる。邦訳書多数
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コメント
消費管理政策
ライシュさんが書いているのはアメリカの現代史です。だからこそ、最近、数名の大金持ちが自分に課税しなければ誰に出来るのだ、と名乗り出ました。
それに勇気づけられたのかどうか、オバマ大統領は今日の報道にもあるように富裕層に課税するなどして財政赤字削減案を打ち出したのです。
それに勇気づけられたのかどうか、オバマ大統領は今日の報道にもあるように富裕層に課税するなどして財政赤字削減案を打ち出したのです。
Re: タイトルなし
経済論は別な言い方をするなら歴史過程の経済分析と思っています。
企業、家計、国家と言う3つの要素の循環にあって、戦前に比べて大きな違いは家計所得の中で事業所得が撃滅して、雇用賃金がほとんどを占めるようになったことと思います、
現在の日米欧は、需要に占める賃金総額の寄与が比類なく高い社会です。
いわゆる恐慌循環も資本の過剰蓄積と勤労者の窮乏による事が、ライシュ氏の言うとおりに、昔よりかなりすっきり鮮明になっているはずなのです。
富の再配分を基本に強力な規制で回復するのですが、これまた何処も同じ政治関係で進みません。
従って、なぜ日本だけデフレ循環なのか、階級闘争をになう労働運動が全くないため、賃金の下方硬直性が適用されない、なんと下がり続けるために、この縮小循環を牽引している。
原発事故だけではない、マスコミの経済記事も騙しだらけ洗脳だらけと思っています。
また、消費管理政策とのご意見ですが、よく読むとそう変わった主張ではないのが解りました。
ただ、言葉が需要統御理論を連想させるので、クルーグマン系統の拡張かと思いました。
企業、家計、国家と言う3つの要素の循環にあって、戦前に比べて大きな違いは家計所得の中で事業所得が撃滅して、雇用賃金がほとんどを占めるようになったことと思います、
現在の日米欧は、需要に占める賃金総額の寄与が比類なく高い社会です。
いわゆる恐慌循環も資本の過剰蓄積と勤労者の窮乏による事が、ライシュ氏の言うとおりに、昔よりかなりすっきり鮮明になっているはずなのです。
富の再配分を基本に強力な規制で回復するのですが、これまた何処も同じ政治関係で進みません。
従って、なぜ日本だけデフレ循環なのか、階級闘争をになう労働運動が全くないため、賃金の下方硬直性が適用されない、なんと下がり続けるために、この縮小循環を牽引している。
原発事故だけではない、マスコミの経済記事も騙しだらけ洗脳だらけと思っています。
また、消費管理政策とのご意見ですが、よく読むとそう変わった主張ではないのが解りました。
ただ、言葉が需要統御理論を連想させるので、クルーグマン系統の拡張かと思いました。
>ただ、言葉が需要統御理論を連想させるので、クルーグマン系統の拡張かと思いました。
ーーーーーー
需要統御理論って机上の空論ではないですか。
インフレにするってどうやってインフレにするのですか。
中央銀行がヘリマネをすればコモディティーインフレが起きるくらい。コアインフレはほとんど起きない。
QE1,2で実証されているではありませんか。
消費管理政策の基本思想は資本主義市場経済の持つ根本的欠陥により、不公正な交換比率が起きる。
その結果、格差の拡大が起きる。
格差が拡大すれば消費が縮小し、デフレが起きる。
消費を拡大し、格差を縮小するために銀行ではなく、消費者にヘリマネする。
需給を安定させ、格差の縮小により経済を安定軌道に乗せるという政策です。
ーーーーーー
需要統御理論って机上の空論ではないですか。
インフレにするってどうやってインフレにするのですか。
中央銀行がヘリマネをすればコモディティーインフレが起きるくらい。コアインフレはほとんど起きない。
QE1,2で実証されているではありませんか。
消費管理政策の基本思想は資本主義市場経済の持つ根本的欠陥により、不公正な交換比率が起きる。
その結果、格差の拡大が起きる。
格差が拡大すれば消費が縮小し、デフレが起きる。
消費を拡大し、格差を縮小するために銀行ではなく、消費者にヘリマネする。
需給を安定させ、格差の縮小により経済を安定軌道に乗せるという政策です。
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私は格差の起きる原因が、資本主義市場経済の持つ根本的欠陥、力(資本力、市場支配力、政治力、情報力)により、交換比率が不公正になり、力のあるものに富が集中してしまうからだと考えました。
その結果、消費需要が落ち込みデフレが起きると。
グローバル化という環境の中、どうしたらそれが改善できるかと考え、消費により総需要を管理する政策しか無いのではないかと考えました。
消費管理政策
http://kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=1110