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ファシズム(3)

ファシズム考3  大政翼賛会ーそれは政党が官僚に屈服した姿である

投稿者 影の闇 日時 2010 年 10 月 22 日 20:17:36: HiXvZf/FmwPNU

 それでは日本ではこの点はどうだったのか?というと、西欧と共通する要素と共に、それとは丸で異なった様相が見えて来ます。

 「大正政変」等で、明治以来の薩長中心の「藩閥政治」が権威を失墜して行く中で登場してきた「政党政治」が、まさに西欧と同じく、「旧来の支配層とその方法が信頼を喪う中で、新たに<大衆>印が刻印された<権力>を創出していく役割を担って登場した」ものであることは、その指導的政治家であった原敬が「官僚機構内部への政党の影響力拡大強化」に腐心したことでも明らかでしょう。
 勿論その他にも、高等教育の拡充や地方への利益配分等、様々な施策を無見れば、大衆社会とそれに合わせた国造りを行っていったことが見て取れます。

 つまり、これらから導き出せる一般的な命題は、洋の東西問わず(勿論、これには中国の国民党や共産党も入ります)、政党とは大衆社会に応じた政治スタイルであり、何れも第一次大戦前後に登場した(アメリカの)時代に見合ったものだった、ということです。

 そうして、彼我の違いを分けたものこそ<革命>の有り無し、即ち<大いなる権威>の喪失とその新たな創出が必要とされたかどうか、つまりボルシェヴィズムの客観的条件が在ったかどうか。 

 その点から観ると、大戦の勝ち組であり、明治以来の大いなる権威(=天皇)が存した日本においてはその条件はかった、或いは熟してなかったと言えます。 日本共産党の悲喜劇は、そのことを示して余りあるものです。
しかしながら、他方、その事が却って、大正から昭和の暗転をもたらしたのではなかったか?

 政党政治の進展乃至展開は、そのまま行けば、明治以来の藩閥政治(有司専制)に代わる、新たな政治主体の形成を可能ならしめたかも知れない。
 しかしながら、それによって、明治以来の既得権とか秩序が壊れることを恐れた支配層が徹底した反撃に出ます。  そしてその主役となったのが平沼騏一郎率いる司法官僚であったことは、今回の「小沢捜査」の本質を理解する上でも、極めて重要であろうと思われます。

 何故なら、戦後、本格的にこの「政党政治」を実現しようとしたのが田中角栄であり、それ故彼は、76年夏の、(アメリカの意思を背景にした)霞ヶ関総意の「検察クーデター」で表舞台から排除されたのです。
  小沢一郎はその田中角栄の衣鉢を継ぐ政党政治家と見做されてるが故に、検察を中心とする霞ヶ関、及び支配層に繋がる右派(更に左派も!)の<敵意>を一身に浴びているーつまり、この点においては、近代日本の構図は変わっていないーバックに宮廷官僚が居るのかアメリカが居るのかの違いのみーということです。

 とまれ、その中心的政治家原敬がテロで倒され、後を継いだ政治家も検察や支配層に繋がる右派によって粛清・排除され、政党政治がガタガタになっていく。 西欧や中国などと異なり、日本においては政党は暴力化せず、逆に政党が暴力によって潰されていったのです。
 従って、「政党政治」が瓦解した結果として出て来た「大政翼賛会」が何であるのか、明らかでしょう。 

 ーそれは「大政」(明治以来の政治の在り方=官僚専制)を「翼賛」するー即ち、官僚に政党が屈服した姿なのです。
 
 そしてこのように見て来れば、現在の我々の直面する問題の在処及びその本質も見えて来るはずです。
先ず、ファシズムとは歴史現象、つまり大衆社会を創るという歴史的条件下で登場して来たのであって、再びファシズムが起こる事は有り得ません。
 従って「ファッショ化の危機」論とか「小沢=ファシスト」説は完全に誤りであり、政党や政治家に原因や責任が有るかのような「大政翼賛会化」論議も認識が逆立ちしております。

 正確に問うのであれば、再び政党が官僚に屈服して仕舞うのか?-でなければならない。
 柄谷行人が言う様に、所詮「議会制民主主義とは、実質的に、官僚或いはそれに類する者たちが立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込むようにする、手の込んだ手続き」(『世界共和国へ』)だとしても、「官僚或いはそれに類する者」が必ずしも霞ヶ関とイクオールではないのだから。
 
 無論、より本質的に問うのなら、政党政治の有効性(これは国内的にも国際的にも)ということで、これは国民国家及び大衆社会の行く末ー従って<アメリカの時代>がどうなるのか?ーということにも関わって来ざるを得ない問題ですから、本来はそういった視点も入れて論じられるべきでしょう。

 しかしながら、少なくとも当面、政治の主体としては政党以外は考えられないとしたら、政党機能の強化や政党の官僚に対する優位性の確保の問題等は決して蔑ろに出来ないと考えます。
 分けても国際政治において、日本が主体的な外交を行ったのは田中内閣の時を除いて殆ど無かったところに表れてる様に、官僚が主役である限り”数の子”的なことしか出来ないでしょうし、又米国の占領支配も安泰でしょう。
 
何故なら、官僚は、或る枠組みの中での事務的処理能力には長けていても、その枠組み自体を変えたり、創っていくという政治本来の権能は有していないからです。

 この政治本来の権能を有する主体の形成という問題は、”大正デモクラシ-”下の原敬の蹉跌、”戦後民主主義”下の田中角栄の蹉跌を経て、現在になお引き継がれた未成の問題として※、我々の前に在ると考えねばならない。

 つまり、(官僚に対する)政治の復権と(米国からの)主権回復は同位の問題として把握されなければならないのです。
  
他方又同時に、昭和前期の所謂「日本型ファシズム」や所謂「軍国主義」にしても、本来は、この問題を措いては考えられません。 そうして更には、先の戦争は本当は何だったのか?ということも。

※”平民宰相”原敬と”庶民宰相”田中角栄は、近代日本のエスタブリッシュメント=支配層とは外れてることでも類比的であり、
原敬(大元から言えば星亨)から犬養毅までと、(大元から言えば鳩山一郎)田中角栄から小沢一郎までは、政党政治家として、本来ひと繋がりに連なっていると見做さなければならない。
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