翁長氏5/20外国特派員協会講演と質疑の全文
2015-05-21

翁長氏5/20外国特派員協会での講演と質疑 5/20 産経
沖縄県の翁長雄志知事は20日、都内の日本外国特派員協会で講演した。講演後の質疑も含めた主な内容は以下の通り。
【米軍統治下時代の沖縄】
(戦前の日本時代)
「沖縄の言葉であるウチナーグチを禁止されました。一人前の日本人になりなさいということですね。
日本語をしっかりやるようにと言われて立派な日本国民になるようにと、しっかり公民化教育を受けて、ある意味で日本国に尽くしてきた。
その先にあるのが70年前の沖縄での戦争です。
そして戦争の中でも沖縄県民が10万を超える人が唯一の地上戦で亡くなりました。そして日本軍とアメリカ軍合わせて20万を超える方が沖縄で亡くなっております」
「そういった戦争の話をすると、時間がなくなりますから、そういう意味では沖縄は戦前、戦中、戦後と日本国にある意味で操を尽くしてまいりました。
その結果ですね、戦後すぐサンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き替えに沖縄は約27年間、米軍の施政権下に置かれたわけであります」
「米軍との過酷な自治権闘争は、想像を絶するものがありまして、日米地位協定も問題がありますが、治外法権みたいなものでありますから、
高等弁務官というものがありまして、そしてアメリカ民政府というのがありまして、沖縄議会や立法院議会があったんですね。
そういう中ですから日本国憲法の適用もありませんし、児童福祉法の適用もありません。
27年間、国会議員を出したことも一度もございません。
沖縄はその間、日本国民でもなく、アメリカ国民でもありませんでした」
【普天間基地】
「その間、日本は自分の力で日本の平和を維持したかのごとく、高度経済成長を謳歌したわけでございます。
今回の普天間基地のあり方になりますけれども、日本政府は普天間基地の危険性除去が原点であると言っております。
その唯一の解決策が辺野古建設であると言っております。
しかし、沖縄から言わせますと、普天間基地の原点は戦後、住民が収容所に入れられているときに米軍に強制接収させまして、普天間基地ができたんです。
何も貸したわけではないんです。
そしてこれも改めて確認をしますけれども、沖縄は今日までに自ら基地を提供したことは一度もございません。
普天間基地もそれ以外の飛行場も基地も、戦後、沖縄県民が収容所に入れられているときに取られたか、住民が住んでいるときは銃剣とブルドーザーでどかしてですね、家も壊して今の基地は全てできているんです」
「私たちは銃剣とブルドーザーで基地に変わったものを見ながら27年間、今日もそうですけれども過ごしてきたわけであります。
辺野古基地を作れといったときにですね、私の言い分は自ら土地を奪っておいて、県民に大変な苦しみを与えておいて、普天間基地が老朽したから、世界一危険になったから、お前たちが負担をしろ、辺野古が唯一の解決策だ、それが嫌なら代替案がお前たちあるのか。
日本の安全保障はどう考えているんだ。こういった話をされているわけですね。
ですから、私はそれは日本の安全保障を考えるとき、日米同盟を考える、日米安保を考える、日本国の政治の堕落ではないかと申し上げているわけであります」
「そして今、辺野古基地のボーリング調査が始まっていますけれども、工事の現状は海上での銃剣とブルドーザーでの基地の建設が始まったな、という感じの様相であります。
私は自国民の自由、平等、人権、民主主義が守れない国に、どうして世界の国々にその価値観を共有することができるのかなと大変不思議であります。
日米安保体制、日米同盟、私は自由民主党出身でありますから、大変理解をしております。
その日米同盟、日米安保体制がもっと品格がある、誇りの持てるものがですね、アジアのリーダーとして、世界のリーダーとしてこの価値観を共有することができないのではないかと思います」
【首相との会談】
「(4月17日に官邸で)安倍晋三首相と会談をしました。
会談の中で首相が私におっしゃったのは、『辺野古を作るわけだけれども、嘉手納以南は着々と返すので、あるいはまたオスプレイを沖縄に配備していたけれども、何機かは本土で訓練しているので基地負担軽減を着々とやっているので、理解していただけませんか』というお話でした。
私から首相にこう申し上げました。『首相、普天間が辺野古に移って、そして嘉手納以南が返された場合に、一体全体、沖縄の基地がどれだけ減るのかご存じでしょうか』。これは一昨年、小野寺(五典)防衛相と私が話しをして確認しましたところ、普天間が辺野古に移って、嘉手納以南のキャンプ・キンザーとか、那覇軍港とか、キャンプズケナンといったものが返されて、どれだけ減るかというと、今の米軍専用施設の73.8%から73.1%に。0.7%しか減らないんです。
その0.7%しか減らないのはなぜかというと、全部、県内移設なんです。
どこそこに持っていたことではないんですね。
普天間は辺野古に行きますし、まだ決まっていないところがありますので、言えないところもありますが、そういったところみんな県内移設なんですね。
こういったもので、たった0.7%しか減らない」
「それから首相がおっしゃる通り、那覇軍港を2025年、キャンプキンザーだったら2028年に返すと言っているんです。
それを見ると日本国民は『おお、やるじゃないか』と。着々と進んでいるなと思うかもしれませんが、その年限を区切ったその後でなんて書いているのか。
「またはその後」と書いている。「2028年またはその後」。
そうすると沖縄は、こういったものには70年間、本当につきあわされてきたので、いつ返還されるかわからないような内容だということが、これでよくわかると思います。
ですから、私はそういったことで、返還が着々と進んでいるという風には見えませんよ、という話をさせていただきました」
「あと最後になりますが、13年前、米国のラムズフェルド元国防長官が普天間基地が危険だということで視察においでになりました。
そして普天間基地を見て『これはだめだ。世界一危険だから、早く移転しなさい』と言ったんです。
菅官房長官も再三再四ですね、普天間は世界一危険だから、辺野古に移すと言っているんです」
「けれども、日本政府にお聞きしたいんですが、辺野古基地が作れない場合に本当に普天間を固定化しますか。
アメリカも日本政府もこれだけ世界一危険だと言っている辺野古基地ができない場合、普天間を固定化できるのですか、ということをお聞きしているわけです。
そうしないと、『固定化するよ』と脅しているわけですから、辺野古基地ができなければ普天間、そのまま使うぞと言っているわけですが、ラムズフェルドさんも菅官房長官も再三再四、世界一危険だと言っているのに、できない場合に本当に固定化できるのか聞くのですが、首相は返事がありませんでした。以上、後はご質問に答えたいと思います」
--今月末に訪米する。その目的は? 何を訴えるか
「私が行く前に日米首脳会談がありまして、オバマ大統領と安倍晋三首相が共同声明を出しました。
辺野古移設が唯一だというアメリカの下院決議もありました。
そういう最中にいくわけだから、大変厳しいものを感じていますが、それでも先ほど申し上げた通り、辺野古に基地をつくるのは簡単ではないんです。
ジュゴンが住んで、美しい珊瑚礁があってたくさんの魚がすんでいて、そういったところを埋め立てる。その作業たるや大変な作業になるわけで。なおかつ知事の権限、名護市長の権限といろいろあります。
法的な措置もいろいろございます。
あそこに土や石を運ぶためにどれだけのトラックが使われるかというと、10トンダンプが10万台、1年かけて埋め立てのために走るんですね。
こんなことが世界に知らしめられたときに、本当に日本の国が民主主義国家として世界から尊敬され愛されるかとなると、その受ける大きな痛手が格段にある」
「なおかつ、3日前に3万5千人集まったように、年配の方や若い青年、男女が集まる、それがそういう事態になったら、おそらく今は100人規模だが、1000人規模で辺野古に行くと思います。
辺野古に行っての反対の集まりは、とてもとても海上保安庁などで止めることは簡単ではないと思います」
「こういったことを考えますと、絶対に作らせないということをアメリカに伝えたいんです。
『あなた方が決めたからできると思ったら間違いですよ』と。
日本の国内問題だから俺たちは知らんよと僕らが行くと必ずそう言われる。
ところが、辺野古がダメになったら日米同盟が崩れるということからすると国内問題ではないんですね。
アメリカさんは私からすると、今度の日米首脳会議でもあまり辺野古には言及していない感じがします。その意味からすると、本当はイヤイヤなのではないのかと推察する」
「私は安保体制というものを理解している。
だからこそ、理不尽なことをして日米安保体制を壊してはいけない。日米安保の品格ある、誇りあるものを創りあげ、アジアの中で尊敬される日本、アメリカも太平洋国家として尊敬されるアメリカ。
こういうものにならなければ私はアジアの経済が安定することはないだろう、と。
沖縄の将来の目標は東西1000キロ、南北400キロに160の島々があって、40の有人の島がありますけど、将来は平和の緩衝地帯としてこの場所があってもらいたい。
いわゆる日本の防衛で基地をたくさん置くのではなく、平和の緩衝地帯として沖縄がこれから役割を果たす、アジアと日本の架け橋になることを夢見ながらやっているところであります」
--16世紀に豊臣秀吉が中国、朝鮮出兵を支持してほしいと言われ、琉球はできないということで秀吉は負けたが、400年経て同じ状況になる。
沖縄がアメリカの基地を持っている。将来の経済の発展を考えると、沖縄が米軍基地がないまま経済的に生きられるか。経済的に生き残れるか。
「確かに琉球は断った。武器のない島ですので、そういった意味からすると、参加するのは不可能だった。その代わり、サトウキビなどいろんな形でお金を出したと聞いている。
いま、日本の独立の神話という話しがあったが、私が日本の独立神話と3日前に申し上げたのは、戦後27年間、米軍の施政権下にあって、そのときのキャラウェイ高等弁務官が沖縄の独立は神話である、と。
自由、平等が保証されませんでした。保証されない中で私たちはいろいろ工夫をしたが、なかなかいい形での解決はなかった」
「いま沖縄からみると、米軍基地の73.8%があるので、いわゆる日米地位協定がどういう内容かがよく分かる。
いま辺野古に基地を作ろうとするときに、他の人に邪魔されないようにフロートを作っているんですが、アンカーの代わりに45トンのブロックを使っているんですね、今の工事は。珊瑚を壊しているのではと言って調査させてくれと言っているが、地位協定を盾に取って運用の邪魔だと言って調査させてくれないんですが、工事の作業船は入ってるんですね。
海上保安庁の警備船も入っている。防衛局の警備船も入っている。
沖縄の調査船は入れないんですよ。
銃剣とブルトーザーで基地建設が始まりつつありますよと言っているのは、こういうことです」
「沖縄の調査船が入れないような日米地位協定、これは犯罪でもみんなそうです。
27年の統治下の時には大変だった。それでも日米地位協定がいかに日本を縛っているか。防衛局に抗議にいっても何にもできませんよ。
ただ、『米軍に伝えます』と。これだけです。
これだけの当事者能力が日本にないのをみると、もしかして日本の独立は神話だとアメリカが言っているのではないかなという感じさえ受ける。
本当にそういうことで、日本を取り戻す、美しい国・日本というものが本当にできあがるのか。
もっと自分の力でしっかりと地に立って、自国民を愛し、その中で日米同盟とか日米安保をつくって、誇り高いアジアのリーダーとしての日本をつくっていただきたいと、私は思っている」
「経済的に言えば、基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因になっております。
終戦直後はGDPの50%はありました。
27年後の復帰するときに基地関連収入は15%まで落ちています。
いまどれだけかというと4.9%です。
沖縄のGDPの4.9%。基地がある中で沖縄の経済がどれだけ阻害されているかというのは、那覇市の新都心地区でいうと、52億円の軍用地料があって、25年前に返されたときには、地主さんが『生きていけるかねえ』と言っていたが、私が15年前に市長になって区画整理をした時に街ができました。
どう変わったかというと、52億円が600億円になった。
雇用は180人しかいなかったんですよ、芝生を刈ったり、米軍の家を直したりで180人しかいなかったが、いま1万8千人。
100倍の人が働いている。税収は6億円から97億円。15倍も増えている。
基地がなくなると沖縄は大きく発展するんですよ。
基地はむしろじゃまなんですよ、経済の面からみたら。
実に迷惑な話しになってきている」
「日本の安全保障のためだから一定程度がまんしましょうという話であって、基地が私たちを助けてきたというものは、戦後貧しい時に食料を分けてもらったというのはあるかもしれないが、それも日米両政府がやったことですので。
それは私たち沖縄からすると私たちの責任じゃありません。
爆弾で産業も何もなかったわけですから、それに頼るしかなかったんですが、いまは新しい跡地利用に世界の資本がホテルを作りたい、何を作りたいと県庁にもよく来るんです。
基地があるから前に進まないんですよ。
これだけ迷惑をかけていることを日米両政府は分かってほしい」
「いま安倍首相が着々と進んでますよという普天間や那覇軍港、キャンプキンザー、これが返されたときの経済効果は、基地関連収入で500億円ありますが、返されたら経済効果は約8900億円。約20倍。
普天間やキンザーが返されたら20倍の民間の施設が立ち上がってホテルやいろんなものができあがって、沖縄経済はぐーんと伸びていくんですよ。
基地が邪魔しているんですよ。だから基地で沖縄が食っているというのは40年前の話しであって、今や基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因だと理解してほしい」
--日本政府は中国の軍事力増強を脅威と言っている。だから米軍基地も必要としているが、翁長知事は中国を脅威とみるか
「中谷元防衛相と話しをしたときも、中国が脅威でどれだけスクランブルがあるか。どれだけ尖閣諸島に侵入があるか。だから自衛隊の基地を宮古島にも石垣にも与那国にも自衛隊を置きたい、と。
日本の安全保障を考えるときに理解をしてもらいたい、と言われた。
私から申し上げたのは、じゃあ私たちが米軍の施政権下にあったときのソビエトとの冷戦構造時代は今よりも平和だったんですか、と。
過去と比べて今の中国の脅威というのは冷戦構造よりももっと脅威になっているのかどうか。
それから積極的平和主義ということでオバマ米大統領と協定を結んで、これから中東も視野に沖縄の基地を使うと言っているわけですよね。
そうすると沖縄は、冷戦構造時代は自由主義社会を守るとかそうした理由で沖縄の基地の存在価値があったのに、いつのまにか中国、さきざきは中東も視野に入れて沖縄に基地を置くということになる」
「そうすると沖縄は、世界の平和のためにいつまでも基地を預かって我慢しろということになる。
沖縄が必要だというが、アメリカのジョセフ・ナイさんやマイク望月さんは日米安保に積極的に話しをされた方々が、中国のミサイルが大変発達している、と。
アメリカの原子力潜水艦に20発があるが、その1発の威力が広島や長崎の5千倍だという。中国のミサイルもおそらく500倍の威力があるんじゃないですかね」
「このミサイルが沖縄に飛んできたら、沖縄県民にだけでなくアメリカの軍人軍属もみんなやられますよ。
グアム、サイパン、ハワイで遠いところから防衛するべきだというのがジョセフ・ナイさんらの話しだった。言っていることは正しい。
中国の脅威に沖縄の基地を強化して対応できるのか、これがですね、私からすると大変疑問です」
「なおかつオスプレイは輸送するだけの飛行機ですので、攻撃することはできない。
すると、抑止力になるということはあり得ない。
それから、ひとつの県に日本の防衛のすべてを押し込めて、いざ何かあると、また沖縄が戦場になるんじゃないですか。
私が沖縄の保守の政治家として子や孫を守るために、全体として平等にやるのはいいですよ。
全体で平等ならいいが、74%も沖縄に背負わせて、お前たち、日米安保をなんと考えているのかと話す人はよほど自制心のない人じゃないかなと思います」
--ここ4~5年、沖縄の県民は日本の本土に差別されている、と。沖縄の本土への県民感情を決定的に変えたのは何か
「この20年来の基地問題で差別という言葉がよく使われるということでした。
その原点は、8年ほど前の教科書検定だと思う。
先ほど戦争のことは触れませんと申し上げたが、あの時、沖縄が日本国民になるんだということで一緒に日本軍と戦いました。
けれども、現実に現場ではお墓に逃げた沖縄の人をお墓から出して日本軍が隠れる。足手まといだから手榴弾を渡されて自決を迫られる。
そうしたことを、おじいちゃんやおばあちゃんから聞かされてきたわけです」
「しかし実際にそうした表現を教科書検定から消そうとしたので、消そうとするときに沖縄の人が10万人も集まって、それはできない、と。
うちはおじいちゃん、おばあちゃんから話しを聞いている。こういうものをなかったものにするのはいけないよということで、保守も革新も関係なく集まりがありました。
あの時は一定程度是正されたが、それでもあの時、沖縄があれだけ操を尽くしてこういう形で歴史の教科書を変えるのか。
沖縄からすると立つ瀬がない」
「私たちは何を誇りに何を基盤に子や孫に、『沖縄のふるさとの地にたってアジアに飛躍しなさい』『世界に飛躍しなさい』『日本国でがんばりなさい』と言えなくなる、
それ以降、なにかおかしいなというのが、沖縄の人権の目覚めと同時に、アジアの経済的成長も絡み合ってきて、私たち自身が自分の足で歩きたいと。
これが自己決定権と言われますけど、独立とは違うが、地方自治のあり方を考え直さないといかんということがあった」
--オスプレイだが、今月末の訪米で訴えるか。あれだけ事故を起こしているが、配備をどう考えるか
「オスプレイの配備、この原点も日米地位協定にかかわりあるんですよ。
運用規定があって、市街地ではヘリモードで飛ばない、あるいは夜の10時以降は飛ばないと規定があるが、この規定の後に何が書いてあるかというと、『できる限り』と書いてある。
最初の1年間、沖縄県が調査をして(※ 違反が)300件ありましたよというと、努力してますよと。
それでは何にもならないんですよ」
「(東京都福生市などにある)横田基地も、沖縄への配慮といっているんですよ。
しかしこれを支える部隊は(沖縄の)嘉手納にある。500人ぐらい兵隊がいて、本来なら沖縄に行きたいが、辺野古に行きたいが、いまゴタゴタしているので。
余計に反対が起きたらいかんということで横田に仮置きしている。
仮置きし、落ち着いたら沖縄に来ると、私たちは70年間のやりかたをみているから、そうなるだろうと思っている」
--各種メディアの世論調査で日本国民の沖縄への関心は高くなっているが、米国民がどれほど認識しているのか分からない。米国民の関心度をどう考えるか
「日米安保体制はアメリカにも重要だと思いますから、いずれにしろ辺野古基地は作れませんよと、つくることは不可能ですよ、10年間かけてそこに作ることは不可能ですよと。
あの普天間を固定化するんですかということなども含めて訴えていきたい。
それは米国世論にも訴えないといけません。それはマスコミなどとの関連で何かお知らせすることができるかどうか。
私たちのパワーではそこまではいきませんけれども、しっかりと米国を握っている方々には伝えることができると思いますので、そこら辺はしっかりと伝えて、もう一回、日米安保を品格あるものにするために、辺野古基地を考え直してください、と。
今のままでは行きませんよとはっきり伝える中で、沖縄の基地のしわ寄せを解決するとともに、これからのアジアのあり方、そして沖縄が将来、平和の緩衝地帯とがんばっていくと、それがいい形で組み合わせていけるように頑張りたい」
--沖縄はまだ、7割の米軍施設が集中している。紛争が起きると、沖縄が攻撃の主要な標的になり得る。再び大きな犠牲が出る可能性があるのに、なぜそれに対する政治的な議論がないのか
「辺野古基地が候補地に挙がったときは、アメリカのジョセフ・ナイさんやマイク望月さんなどが、海兵隊はそこに置かない方がいいのではないか。
中国のミサイルも大変発達しているので、万が一があると、中国に近すぎてミサイルの何発かが普天間飛行場や嘉手納基地にぶつかると、沖縄県民の生命はさることながら、米軍の軍人軍属も危ないですよ、と。
だからグアムやハワイに下がって、もう一回抑止力というものを考えてくださいというのがアメリカの考え方として2~3年前まであったが、残念ながら前知事が承認したので、それが免罪符になってアメリカ側がだいぶそうした考え方になりました」
「しかし、ご指摘のあったように、まさしく70年前に10万人も沖縄県民が亡くなる。戦後にはサンフランシスコ講和条約で、あれだけ日本に尽くした沖縄をさっさと切り離して独立してしまった。
残された沖縄は日本人でもない、アメリカ人でもない中で22年間、無国籍人で過ごしてまいった。
そうしたことなどを考えると、今一度、万が一また、沖縄がまた切り離されるのではないか、10万人が亡くなるのではないかこういう恐怖心を持つのは沖縄の人間としては当たり前であります」
「日本政府は、日本の防衛という視点からしか物事を発しない。
そうした中で沖縄の声が地元ではけっこうあるが、中央のメディアでは一切無視されてますので、私たちからすると、本土に理解を得る術がない。その意味での悔しさはある」
--政府が辺野古移設の方針を変えない場合は、沖縄としてどのような選択肢があるのか。最後は独立論になるのか
「日本の国の問題ということで私が話をして、それでも物事が前に進まない場合は独立論かという話しかと思うが、今の問題は、沖縄は日米両国という権力を相手にして、小さな島の沖縄がこれと闘うのは大変なことであります。
しかし27年間の米軍の施政権下で銃剣とブルドーザーで土地を奪われ、土地を強制的に買い上げることになった。
1956年頃、その時の沖縄は裸足で芋を食べながら生きているような貧しい生活でしたから、のどから手が出るほどお金がほしかったんでしょうけど、保守も革新も関係なくみんなで心を合わせて、今の権力よりもずっと大きなものをはね飛ばして土地を売らなかった。
ですから、沖縄の土地は、基地は民有地。行政が持っているわけです。
だから反対という話ができるわけです」
「そうしたこともあるので、辺野古基地は今のやり方でいくとできないと思っています。
これは何も私たちが変なやり方をするとかそういうことではなく、必ずできないようになるだろうと思っています。
しかしながらどういう理不尽なやり方で建設をするかはみえないので、そういうことをこれから予測するのは大変僭越なので申し上げませんが、独立は議論としてあるが、実際上はなかなか簡単ではないということがわかりますが、じゃあ、それがないということになるとね、沖縄は放っておけとなると、そういう決意もないところは基地を置いておけという話しになると、それは分かりません」
「私たちも生きる権利がありますし、尊厳も持ってますし、なんで本土のみなさんはなんで自分のところで基地を預からないで、沖縄に74%も押しつけるのか。
日本の安全保障は日本全体で負担してくださいよ、と。
仮想敵国からも、沖縄だけに押しつけているような日本の安全保障は見透かされていると思いますよ。
ですから私は、サンフランシスコ条約で切り離されたように、沖縄はもう一回切り離されるんじゃないか、沖縄が独立するというより、日本が切り離すんじゃないかという心配の方がむしろある」
「そして、いま辺野古基金というのをやったら7割の方が本土から支援をいただいて、いま2億円を超えている。
辺野古支援として、いま本土の方々が沖縄県民と一緒になって支援をしているというのがある。
そうしたことなどが出てくると、今まで無関心、無理解だった本土の方も、こうした議論を聞きながら、あるいは安倍晋三首相や菅義偉官房長官との議論を聞きながら『ああ、これは変だよね』と。
いわゆるアジアのリーダー、国連でももっとしっかりした地位を占めたいという日本が自国民の人権も平等も民主主義も守ることができなくて、世界の共有の価値観をもってこれからリーダーになれるかというと、私はそうはなれないと思います。
そうしたことに気づく方々がおられたら、日本の安全保障は日本全体で考えるということをよくよく理解しながらやりませんと、辺野古基地ができなくなった場合の日米安保体制、日米同盟の危うさが私には見えてまいります」
「私は自由民主党の出身だから日米安保の大切さはよく分かります。
しかし、辺野古基地を認めるというのとはまったく違います。
私は沖縄の自由民主党でありますから、沖縄の将来の子や孫のためにこの沖縄がどうあるべきかを一番考えるのが私の仕事でありまして、
その中で日本とアメリカとの全体の調和を考えたいと思っています」
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