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白井:安倍の戦後レジームと支離滅裂なテロ戦争参加

義和団
 1900年中国で義和団の反乱鎮圧。帝国主義列強と共に参戦した日本軍。

   対「イスラム国」戦争が戦後を終わらせる   2015/3/15  文藝春秋  Yahooニュース

  日本は「テロとの戦争」に完全に巻き込まれた。それでも対米従属の追求は続いている

周知のように、武装組織「イスラム国」による邦人拘束人質事件は、悲惨な結末を迎えた。
イスラム国は、後藤健二氏の殺害動画とともに次のような声明を発表した。
「日本政府へ。おまえたちは邪悪な有志国連合の愚かな参加国と同じように、われわれがアラー(神)の恵みによって権威と力を備え、おまえたちの血に飢えた軍隊を持つ『イスラム国』だということを理解していない。アベよ、勝ち目のない戦いに参加するというおまえの無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺りくする。日本にとっての悪夢が始まるのだ」

この在外邦人および日本国内への宣戦布告、テロ宣言にどれほどの実効性・実行力があるのか不透明ではあるが、これを以って、2001年9・11以来の「テロとの戦争」に日本政府・国民が完全に巻き込まれたと見なすべきであることは、確かであろう。
例えば、東京のターミナル駅の構内で、生きた人間が一瞬にしてバラバラの肉片に変えられてしまうという事態の発生可能性に、われわれは直面させられている。

  いつ、誰と、どのような戦争をするのか

私は昨年末の衆議院総選挙以降、次のように主張してきた。
すなわち、問題は「日本が戦争をするかどうか」ではなく、戦争をするのは既定路線であり、「いつ、誰と、どのような戦争をするのか」が問題である、と。
第二次安倍内閣成立以来の安全保障関連政策は、すべてが一点を目指していた。
その一点とは、戦争準備である。
この方針は、衆議院総選挙の結果により、国民の賛同を事実上取りつけた。
そして、具体的戦争は、対テロ戦争への参画という形で現実化しつつある。

二人の犠牲者の発生とイスラム国側からの宣戦布告という状況が出現したことについて安倍政権の責任問題がいま提起されているが、「過失の責任を問う」型の議論は的を外している。
今次の事態は、まさに安倍政権が望んで準備したものにほかならず、「心ならずも発生させてしまった」ものではない
ここに至った展開は、政治技術的な観点からすれば、大変見事である。
彼らの目的には、戦争の実質的な実行とともに改憲があるが、参戦は改憲に向かう一連の過程の総仕上げの役割を担う
改憲勢力が改憲を議題に乗せる際に絶対に失敗は許されず、必勝の状況をつくり上げなければならない。
その際、現にすでに戦争をしているという事実は、彼らを後押しする最大の要因として機能するはずだ。
その事実があれば、改憲は単に現状を追認する作業にすぎなくなるからである。
そして、いくら「戦争をしたい」といっても、もちろん隣国を挑発していきなり戦争を始めるわけにもいかないが、イスラム国が相手ならば、大義名分が最も立ちやすい

無論、対テロ戦争への日本の関与という文脈で言えば、今回そのリスクが全面化する前から危機は潜在していた。
イラクに自衛隊を派遣し、アフガンで活動する米軍に給油支援を行なっていた。
もっと大局的に見れば、イスラム武装勢力が絶対的に敵視する米軍の世界戦略は、日米安保体制に基づく日本の米軍への基地提供抜きには考えられない。
ロンドンやマドリードが爆弾テロに襲われたのと同じく、東京が攻撃の対象とされても論理的に何ら不思議ではなかった。
こうした状況は、2013年1月に発生したてアルジェリア人質事件で日本人が優先ターゲット化されたという事実において、かなりの程度表面化しきていた。
そして、こうした文脈に決定打を打ち込んだのが、本年一月の安倍首相の中東歴訪であったと言えよう。
訪問先のエジプト、イスラエル、ヨルダン等での発言が、イスラム国に対する過剰に挑発的な言辞であったか否か、という点に現在注目が集まっているが、中東での発言の細部に問題の核心はない。
日本政府は二人が拘束されていることを昨年の段階で知りつつ身代金交渉を拒否してきた、つまり人質への危害からイスラム国との全面対決に至る可能性を把握していたのであるし、イスラム国側からすれば、すでに何カ月も前から拘束していた人質を表に出す最適なタイミングを、今回の首相中東訪問の時期に見出したということにすぎなかろう。

  「自己責任論」が出なかったのはなぜか

ゆえに、湯川遙菜氏が殺害され、後藤健二氏も殺害されるという展開のなかで、政府中枢から漂ってくるのは、表面上の沈痛さの下に垣間見える何やら嬉しげな気配である。
それは当然のことであろう。
彼らは、渇望してきたもの、すなわち参戦の大義名分を手に入れつつあるのだから。
ゆえに、後藤氏殺害の報を受けての安倍首相の発言(2月1日)の勇ましさは際立っていた。
いわく、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります」。「日経新聞」報道によれば、「その罪を償わせる」の部分は、首相が直々に書き加えたという。

注目すべきことに、今後こうしたケースが発生した際に自衛隊を救出のために派遣する方向へと踏み出すのかという問題をめぐって、報道されている政府の動きや首相の発言は、奇妙に曖昧な印象を与える。
すなわち、イスラム国への有志連合国による空爆の後方支援はしないという方針が示されつつ、また今回のような事象は集団的自衛権の行使対象にはならないという見解を提示しつつ、それでも自衛隊の活用が一貫して主張されているのである。
「安倍首相は、『国民の命、安全を守るのは政府の責任。その最高責任者は私』と発言。
1月下旬に事件が発生して以降、自衛隊による在外邦人の救出に向けた法整備に意欲を示してきたが、この日も『邦人が危険な状況に陥ったときに、受け入れ国の了承の(ある)なかで、救出も可能にする議論をこれから行いたい』と語った」(2月2日、ロイター)。
要するに、自衛隊の活動範囲を拡大するという方針がはっきりと示されながら、それが具体的にどのような活動を意味するのか、一向に見えてこない

私はここに、現政権の政治手法の巧妙さを感じる。
つまり、このようなどっちつかず(自衛隊は出るのか出ないのかわからない、という曖昧さ)の姿勢を見せることによって、国内世論の形成を待つことができる。
逆にいま有志連合への参加を性急に主張することは、犠牲者の政治利用であるとの批判を招き、逆効果になる。そしてその間にも、イスラム国はヨルダン空軍のカサスベ中尉を焼殺するなど、武装勢力の残忍さを印象づける事実はますます増えている。
また、2004年のイラク戦争当時の人質事件においては政府主導で「自己責任論」が吹き荒れたのとは対照的に、現政府からはこうした論調が出てきていないことも注目に値する。
反対に、世耕弘成官房副長官は、昨年三度にわたって外務省が後藤氏にシリア渡航を思いとどまるよう勧告していたことを明かしたうえで、「われわれは自己責任論の立場には立たない。国民の命を守るのは政府の責任で、後藤さんを守れなかったのは政府の責任だ」と述べた。
ここには、小泉政権当時と現政権との根本的なスタンスの差異が如実に表れている。
すなわち、小泉政権は戦地に準じる場所に自衛隊を送り込むという戦後史において一大画期をなす政策を実行した。
しかし、その際、憲法との整合性は良くも悪くも有耶無耶な形で処理されて突き詰められることはなく、戦後幾度も繰り返されてきたその場凌ぎ的な立法措置がまたしてもなされただけであり、行動の画期性が喧伝されることはなかった。

これに対して、安倍政権は「積極的平和主義」の標語によって、安全保障政策の根本転換を告知している。
「積極的平和主義」の内実は、従前の安全保障政策を「消極的」なものと位置づけ、今後の安全保障政策を「積極的」なものとするという宣言である。
この際、「平和主義」という言葉に意味はない。
どの国家も、表向きは「平和主義」を掲げるのであって、軍国主義を正面から正当化する国家は存在しない
したがって、ここでの「平和主義」とは、国家の安全保障政策の全般的方向性を指し、それには「積極的」と「消極的」の二種類があることが述べられている。
確かに、一般論として、自国の安全の確保を図る際に、消極的方法と積極的方法がある。前者は、戦争・紛争に極力関わらないことによって安全確保を図るのに対して、後者は、敵を「積極的に」名指し、これを攻撃・無力化することによって自国の安全を図るという方法であると定義できるだろう。
前者のスタンスをとってきた典型国が戦後日本であり、後者はアメリカである。
そして、集団的自衛権の行使容認によって安全保障政策をより一層アメリカのそれと一体化する以上、「消極」から「積極」への根本的な転換が要請されているわけである。

消極的安全保障政策から積極的安全保障政策への転換と、「自己責任」から「政府責任」への転換は相即しており、かつ論理的に一貫している。
小泉政権は、実質において画期的な政策を実行しつつ、その転換の影響を最小限にとどめようとした。
つまり、依然として日本の安全保障政策は戦後憲法に規定された消極的安全保障政策にとどまっている、言い換えれば、紛争への関わりはミニマムであるのだとすれば、動機が何であれ紛争地域に関わろうとする個人の行動の帰結は、日本国家のあずかり知らない「自己責任」の領域に属する、という論理がここにはある。
これに対し、後藤氏が日本政府の制止を振り切ってシリアへ渡った?かつての政府の姿勢ならば「自己責任」を口にしてもよい事情がある?にもかかわらず、現政府関係者は後藤氏の死に対して責任があると自ら述べている。つまり、「積極的平和主義」によって紛争に積極的に関与するからこそ、紛争によって発生した日本人の死は、その事情がどうあれ、日本国家が責任を負うものだという姿勢が打ち出されている。

  「決意と覚悟」の空虚さ

さて、現政府の「責任感」は、一見したところ、かつての政府の姿勢に比して真っ当なものであるように感じられるかもしれない。
しかし、その決意は例えば、次のような言葉によって表現されている。
「日本は変わった。日本人にはこれから先、指一本触れさせない。その決意と覚悟でしっかりと事に当たる」(2月3日)。
こうした勇ましく軽率な言葉をつい漏らしてしまうところが、安倍晋三氏の愛すべき点なのかもしれない。
ここで不可思議なのは、「指一本触れさせない」ようにするためのいかなる具体的な手段も明示されていない、という点である。
仮に今回の人質事件のような事象が発生した際に自衛隊を動員できる、より具体的には特殊部隊を編成して人質救出に出動できるよう法整備を進めたところで、現実問題としてそのような作戦が可能であるのか、きわめて疑わしい。
こうした作戦の難度が高いことは言うまでもなく、米軍も現に失敗している。
そして、そもそもこのような作戦を自衛隊が独自に立案・実行するためには、外国(特に中東)での諜報能力の大幅な拡充を含む、組織の抜本的拡張が要請されるはずである。

この「決意と覚悟」の空虚さは、現政府の関係者の口にする「責任」の空虚さと、一体を成している。
米英の「テロリストとは一切取引しない」というスタンスは、当然、事があれば世界のどこであろうと実力によって自国民を救出することを試みるという原則と表裏一体を成している。
この方針は、その是非はさておき、論理的に一貫している。自国民の保護を実行するにあたって、テロリストにカネを払うという手段は用いない、という方針である。
ところが、今回の日本政府は、「テロリストとは一切取引しない(カネは払わない、交渉すらしない)」という米英的な姿勢を貫きつつ(最終的な局面で取引の主体となったのはヨルダン政府である)、実力行使を決行する準備はなかった。
このことは、つまり、現政府は「自国民の保護」ということに対して責任を感じていない
、ということを意味する。

誤解なきよう言っておきたいが、私は日本国家が米英の対テロ方針と同じものを採用するべきだ、と言いたいのではない。
今後の方針の問題とは別に、今回の件において現実に、日本政府の振る舞いは、自国民の保護に対する責任を論理的に一貫した形で全うしていなかった、という事実が指摘されるべきなのである。
「国民の命、安全を守るのは政府の責任。その最高責任者は私」と口で言うのは易しい。
しかし、果たしてこの責任を彼が具体的にどのような方法によって全うしようとしていたのか、私には全く理解できない。

もともと「テロリストとは一切取引しない」という方針に裏づけがないにもかかわらず、この方針が貫徹されたのは、アメリカを中心とする有志連合への同一化が突出した結果であったように見受けられる。
何のことはない。
要するに何時も通りのことが起きているにすぎない。すなわち、果てしない対米従属の追求である。
そもそも、アメリカが発してきた「テロリストとは一切交渉するな」というメッセージに対しては、アメリカ国内からですら批判がある。
アメリカもこの方針に背く行動を取ったことがある(タリバンと人質を交換)にもかかわらず、それを外国に強要している、という批判である。
だが、アメリカ自身の首尾一貫性の疑わしさ以上に強調されるべきは、「交渉するな」と他国に対して要求するのであれば、アメリカは実力によってその他国の被拘束者を奪還する準備があるーそれが優れた手段であるか否かは別としてーと申し出なければならない、という道理である。
それがないまま交渉を禁ずるという所作は、不当にも、他国から自国民保護の手段を奪うことに帰結する。
しかし、こうした道理が顧みられることはなく、日本政府が身代金を払うと判断するか否かとは別問題としてあってしかるべきアメリカへの批判もないまま、「テロには屈しない」の掛け声のもと、日本政府は非交渉を実践した。
これが、彼らの言う「責任」の内実である。
日本国内でのテロ発生という最悪の事態の可能性が高まるなか、この言葉は空虚なまま浮遊している。
そう、背に腹は代えられない。
対米隷属レジームを維持する(腹)ためには、国民の実質的安全(背)などいくらでも差し出してよいものにすぎない。

  湯川氏と安倍首相

かくして、「積極的平和主義」は混乱の極みでしかなく、混乱のうちに「戦後」を終わらせようとしている。
先に述べたように、「積極的平和主義」への転換は、根本的転換である。
それが「戦後」に終止符を打つものと呼ぶに値するのは、戦後長らく維持されてきた国民的コンセンサスに真っ向から対立するからである。
すなわち、戦後紆余曲折がありながら、保革両勢力のかなりの部分が共有してきた戦後日本の平和主義の最大公約数は、「戦争に強いということをナショナル・プライドとすることはもうやめよう」という理念ではなかっただろうか。
この理念は、PKO活動等への参加によって自衛隊の活動範囲が海外に広がったときも、またイラクに対して派兵に近いことをやった小泉政権においてすら、変更されなかった。
これに対し、「積極的平和主義」は、敵を積極的に同定し、それを無力化する政策を意味する。
してみれば、この政策を追求するにあたって、「戦争に強い」ことは必須条件とならざるを得ない。

この転換が混乱でしかないのは、今回の事件で犠牲となった湯川遙菜氏の人生が奇妙な形で明確に示した。
報じられているように、湯川氏は、PMC JAPANと称する民間軍事会社を経営していた。
しかし、この会社にまともな活動実績があるとも到底思えず、イラクやシリアへの渡航も、どうやら「実績づくり=箔付け」を動機としていたように見受けられる。
要するに、湯川氏の事業が奇妙に見えるのは、それが彼のかつての仕事であるサバイバルゲーム愛好者向けのミリタリーショップの経営の延長線上にあるようにしか見えないためである。
このことは、われわれに疑念を起こさせる。
この人は、本物の戦争と戦争ごっこの区別が付いていないのではないか、と。

一個人として見た場合、湯川氏の人生は深く同情を誘うものである。
商売に失敗し、妻に先立たれ、自殺未遂をし……と。かつ、ここで目を惹くのは、湯川氏が一度「男であること」を捨てようと試みている(陰茎の切断による自殺未遂)という事実だ。
ミリタリズムは、基本的に男性的文化であり、多くの少年たちが戦争ごっこに興じる。無論、大多数の少年は、戦争と戦争ごっこの違いをやがて理解する。
湯川氏の場合、ミリタリーショップの経営を生業としていたことは、男性性の強さを連想させる。
しかし、後に彼は、自らの男性性を物理的に否定するという過激な行動に出たわけである。
言うなれば、彼は自己内の「男らしさ」を求める衝動を殺そうとした。
ところが、彼はPMCの経営という形で、今度は遊びでは済ませられない領域へと踏み込んでゆき、悲惨な最期を迎えるに至った。

男らしくありたいのだが同時に自らの男性性に違和感を覚え、それでもやはり男性性へのこだわりを捨てられず奇矯な行動に走る?
この行動様式は、「積極的平和主義」の本質と一致する。
「戦争に強い日本」を「取り戻す」ことを標榜しながら、その戦争はアメリカによって用意され、参戦を命じられるものでしかない。
「本物の男になりたい」のだが、そうしようとすればするほど自立性を失う。
興奮するとつい勇ましい言葉を口走ってしまう我らが総理とは、おそらくこうして支離滅裂な形で総決算に向かっている日本の「戦後」を象徴する人物なのであろうし、また終わらせるのにふさわしい人物であるに違いない。
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