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KYは個性だ 、同調圧力の予定調和などぶっ潰せ!

 地下鉄火災
 韓国地下鉄火災。自分で判断する能力を失うとこのようになる。

「KY」が気持ち悪くて堪らない──「同調圧力」は子供のようにぶっ潰せ!  5/5  鹿砦社

「最近は」や「かつては」といった言葉で文章を書き始めるたびに、「ああ、自分も年をとったんだなぁ」と実感する。
事実毎年年齢を重ねてきて無為に生きてきてしまったのだから一般的な「老化現象」の初期症状は甘受しなければいけないのだろう。
被害者はそれを受け止めざる得ない人たちだ。
つまり本コラムで言えば読者の皆さんが「初期老化現象」の被害者なのだが、我慢して読んでいただくとしよう。

カタカナの造語や流行言葉の意味がわからない時「そんなもんわかるかいな」と開き直ると、この態度自体が「初期老化現象」ともいえるのだろう。
その恥ずかしい例をご紹介する。
「KY」(空気を読む)という言葉が2006年頃に流行した。2007年には流行語大賞の候補にもなった。
元は若者が「空気が読めない、空気を読まない」意味の頭文字を短縮し使い出したところに語源があるらしい。
若者の造語はどんどん生まれてくる。中には定着して日常会話でも使われるようになるもののあるし、立ち消えるものもある。

そんな中にあって「KY」(空気が読めない、空気を読まない)は単なる略語ではなく、今日的な社会の特徴を捉えた含蓄に富む言葉ではないかと思う。
「空気が読めない」の空気は「場の雰囲気」と置き換えても意味は変わらないだろう。
若者の間では楽しい会話をしてる時、急に自分勝手な話題を展開する子供などがそれに該当するのだろうが、これを大人の社会に当てはめるとどうなるだろうか。

  ◆古賀茂明氏を「KY」呼ばわりした江川昭子の言には反吐がでる

「KY」は肯定的な意味として使われるわけではない。
「空気が読めない」人は困った人だったり、面倒くさい人という無言の了解がある。
たとえば3月末に「報道ステーション」の中で自らの降板についての見解を述べ、司会者の古舘伊知郎と口論になった元経産相役人古賀茂明氏の言動なども江川昭子からは「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている人を見ると、なんとももったいないことをするのか…と思う」と批判を受けているから大人として「空気を読まない」行動ということになるのだろう(繰り返しになるが私はテレビを見ないのでネット上でその場面を目にしただけだが)。

私は古舘氏も古賀氏も江川氏も意見や行動に同意しているわけではないのでその点から言えば、3者に対する評価は等価である。
そこで江川氏の古賀氏批判なのだが、要するに「KYじゃないか」、「テレビの生中継らしい振る舞いをしろよ」という指摘ではないかと私には思える。
この批判には納得しかねる。
私がテレビを見ない一番の理由は「一方的な価値観を押し付けてくる」息苦しさが嫌いだからだが、同様に「どんな場合でも『予定調和』を崩してはならないとする気持ち悪いまでの気遣い」も堪らない
江川氏の指摘は正に私がもっとも嫌悪する『予定調和』の押し付けルールを古賀氏が乱したことに向けられている
いいじゃないかそんなもの壊してしまえば。

  ◆理不尽に黙っているのは美徳ではない

これはテレビの画面の中に限ったことではなく、日々社会生活の中でかなり浸透している「無意識的」な「同調圧力」と関係がありそうだ。
相当大雑把に言えば、井戸端会議や親しい友人との会話以外の場面で日本人は「議論」を忌避する傾向にあると思う。
それは「会議」の中だってそうだ。
会社に行けば「何でこんな馬鹿げた会議をやらなきゃいけないのか」と辟易する定例会議がないだろうか。

「会議」とは名ばかりで上役が勝手な方針を語り、担当者は黙ってその意向を聞かされるだけ。
こんな一方的な上意下伝なら、会議の意味ないじゃないですか。やめませんか」などとは間違っても発言できない。そんなことは「KY」だからご法度だ。
どうしようもない講師の講演会や勉強会などに無理やり出席させられたりした場合もそうだ。
「そんな馬鹿なことあるか」と思っても会場からそれを発言することは「KY」だ。

私はこの「KY」が気持ち悪くて堪らない。
だから静まり返った会議の席からも講師に質問を投げかけるし、納得できない話に拍手をすることなどめったにしない。
もう少しいえば「KY」は言葉のやり取りや態度だけに限られるものではないだろう。
なぜか横並び。そこそこの好き嫌いはあっても所属している集団から逸脱する懸念のある態度や行為は無意識のうちに抑制が働く。
理由を問うても「だって仕方ないだろう」が帰ってくるのが関の山だ。
個人主義が発達したように見えて実は窮屈になってはいないだろうか、あなたの生活の中での他者への気遣い

忙しいし、何かと気疲れする毎日の中でいちいち目くじらを立てろなどというつもりはない。
だが「神は細部に宿る」との比喩があるとおり、途方もない不正義と矛盾にあふれた今日のこの社会は我々の慎ましやかな日常の積み重ねの上に成立している。
理不尽に満ちた日々ならば、ほんの少しだけ行動を変えたり、一言だけ異議申し立てを口にすることは決して意味が小さくはないと思う。
礼を失する行動を推奨しているわけではない。理不尽に黙っているのは美徳ではないといいたいだけだ。

本音を申し上げれば、「KY」(空気が読めない、空気を読まない)人間こそ日本に不足している個性だと思う。
同調圧力を土台にした予定調和なんかどんどんぶっ潰せばいい
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コメント

まったく同感です。

日本の歴史を考えると、
おかしいことをはっきり指摘しないことが、
後々の大問題につながっているように思います。

特に311以降、
ワタシは嫌なジジイになる決意をしました。

そんたくはアホらしい

権力にひれ伏すマスコミは、安倍政権に対しては「そんたく」してますが、国民に対してはKYですね。

画像は正常性バイアスによるものです。同調圧力と無関係ではないかもしれませんが。

正常性バイアス
 正常性バイアス(normalcy bias)は、社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、正常化の偏見、正常への偏向、日常性バイアスともよばれています。
 正常性バイアスの「バイアス」は偏見、先入観といった意味です。つまり正常性バイアスとは、多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのことです。この働きは、人間が日々の生活を送るなかで生じるさまざまな変化や新しい出来事に、心が過剰に反応し、疲弊しないために必要な働きです。
 しかし、この働きの度が過ぎてしまうと、本当に危険な場合、例えばイラストのように、警報装置が鳴っているといった非常事態の際にも、それを異常と認識せず、避難などの対応が遅れてしまうといったことになりかねません。
 実際、避難が必要となった人びとや避難を誘導・先導すべき人たちに正常性バイアスが働いたため、被害が拡大した災害は多い、と指摘する専門家もいます。日頃から災害時にはどう対応すべきかを考え、異常が発生した場合には楽観視せず、冷静に行動することが大切なようです。

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