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ユダヤ人と紙幣(信用)創造:ひょう吉の歴史探検

15伊monte
 15世紀イタリア、モンテパスキ銀行証券

 「ひょう吉の歴史探検」から、コロンブスからイングランド銀行に至るユダヤ人と国際金融、紙幣(信用)創造と帝国主義の部分を三題抜粋して紹介します。
 ーーーーーーーーーーーーーー
   金儲けの歴史2 スペインのユダヤ教徒

コロンブスが行きたかったのはインドであった。
しかし彼がたどり着いたのはインドではなかった。
彼は終生そこをインドだと思ったいた。
その名残は今のアメリカフロリダの南部一帯の諸島(キューバ、ドミニカ一帯)を今でも西インド諸島という言い方に残っている。
つまり西インド諸島はインドとは似ても似つかぬ所にある。

彼が発見した新大陸からは莫大な銀がヨーロッパにもたらされることになるが、それはコロンブスの死後のことである。
コロンブス自身は失意のうちに死んだ。

彼の目指したインドへの航路は、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマによって開拓されていた。
コロンブスの発見した新大陸との貿易とともに、インド貿易が開けてくる。
スペインはこの貿易によって莫大な利益を上げるが、それもそう長くはつづかなかった。

コロンブスが新大陸を発見した1492年という年は、実はスペインが国内からイスラム勢力を追い払った(国土回復運動・レコンキスタ)年でもある。
それまでスペインにはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が共存していたが、このレコンキスタの完成によって、異教徒は国外追放にされた。

ここで注意すべきはイスラム教徒のみならずユダヤ教徒も国外追放にされたことである。

実はスペイン国内で商業と金融の実権を握っていたのはユダヤ教徒である。
キリスト教徒(カトリック)は利益を求めることを神の教えに反するとしていた。
金融で利子を取ることも認められていなかった。

しかしユダヤ教徒はそうではない。
彼らにとって、商売で利益を上げることは何ら恥ずべきことではなく、また金融業で利子を取ることも当然のことであった。
その彼らが追放されたのである。
彼らの多くはオランダにたどり着くことになる。
当時オランダはスペインの領土であり、オランダという国はまだ無かった。

利益追求を恥じるキリスト教徒と、利益追求を当然のこととするユダヤ教徒。
利益を追求することによって初めて商売は成立する。そのことに長けていたのはユダヤ教徒であった。
宗教改革以前のキリスト教徒は利益追求を恥ずべきことと考えていた。

ではなぜコロンブスは遠洋航海をしてまで利益を追求しようとしたのか。
キリスト教の教えと反するではないか。
実はコロンブスはユダヤ教徒だとする説がある(ゾンバルトの説)

それを論証する力は私にはないが、船乗りたちの一攫千金を夢見る考えは明らかに
キリスト教の倫理観とは違っている。

『太陽の沈まない国』といわれたスペインがその後急速に衰退していく原因は、一般に新大陸からの銀の輸入に頼りすぎたからといわれるが、
最大の理由は商売に長けたユダヤ人が国内からいなくなったからである。

利益を求め一攫千金を夢見るユダヤ人たちの発想はこの後、スペインから彼らが移住したオランダに受け継がれる。

   金儲けの歴史4 銀行の成立

世界で初めての銀行が成立するのは1609年のアムステルダム為替銀行である。
宗教改革を経たとはいえ、まだイギリスのピューリタン革命は起こっていない。
そのような近代の黎明期に市民革命に先立って銀行が発生したのは注目すべきことである。
場所はやはりオランダである。

このような金融業の中心となったのがユダヤ人である。
宗教改革が起こったとはいえ、キリスト教社会ではお金にからむ仕事は罪悪視されていたため、今や金融業はユダヤ人の専売特許になった。

ユダヤ人はもともと金貸し業を営んでいた。
金貸しをするぐらいであるから、彼らは常に泥棒に狙われる。
その防御のために彼らは立派な金庫を持つようになる。

治安の良い日本ならばそれで終わりの話であろうが、西洋は治安の悪い国である。
少しでも金貨を持っている者はいつ泥棒に入られるか不安でたまらない。
そこで彼らはユダヤ人の金貸し業者に自分の金貨を預けるようになる。
預金という行為はこのようにして始まる。

預金というのは考えてみれば不思議なものである。

自分のお金の安全を図るために他人にそれを預かってもらっているのに、預かってもらった上に利息が付いて返ってくる。
それが現在の銀行預金であるが、この当時はそうではなかった。
金貨を預けた者がその金貨を保管してもらうことに対して逆に手数料を払わなければならなかった。
今で言えば預金者が銀行に手数料を払わなければならなかったのである。

金貨を預けた者は手数料を払い、その代わりに預かり証を受け取った。
金貸し業者は自分の責任で他人の金貨を金庫の中に大事に保管した。

ところが彼ら金貸し業者は一つのことに気づいた。
それまで彼らは自分の金貨を他人に貸していたのだが、借り手が増えてくると自分のお金だけでは足りなくなる。
自分の手持ちの金がないからそういう借金の申し出を初めは断っていたが、
金庫の中の自分の手持ち資金の横には、他人から預かった金貨がうずたかく積まれている。

本来ならば人様のお金に手をつけることはできないのだが、彼らは経験上、それらの金貨の引き出しが同時に発生することはありえず、決して金庫の中が空っぽになることはないことに気づいていた。

時々金貨を引き出しに来る人があっても、すべての客が同時に引き出しに来ることはあり得ないことを経験上知ったのである。
金庫の中には預かった金貨の一部さえあれば、いつでも顧客の金貨引き出しに応ずることができた

ということは、人様のお金であっても、それを借りたい人があれば、貸し出しをして誰も困らないし、自分の儲けにもなる。
そういうことを思いついたのである。

時代は、新大陸との航路やインドへの航路が開け、海外貿易に乗り出し一攫千金を夢見る男たちが増えていた時代である。
彼らはそのような事業に投資する出資者を求めていた。
『オレに投資しませんか、オレに金を貸してください、何倍にもなって戻ってきますよ』
そんな男たちがいっぱいいたのである。
金貸し業者に対する借り入れの申し込みは増える一方であった。

そこで金貸し業者は、顧客の金貨を使って投機的な貸し出しを行い、それに対する利息を得て、ますます儲けていった。
そればかりかオランダのアムステルダムには世界中の資金が流れ込み、世界金融の中心地となった。
アムステルダム為替銀行はこのようなことを制度化する必要から生まれたものである。

ところが金貨を預けた側もだんだんそのことに気づくようになる。
『お前はオレの金を使って金貸し業をして、それで儲けている。その儲けは本来オレの儲けだ。』というわけである。

そうすると金貸し業者はしぶしぶ、
わかった。それでは儲けの一部を分配しよう。

こうやって預金者に利息が分配されるようになる。
これが今の銀行預金の形態になるのである。

ところがこのような金貸し業は次の事態へと発展していく。

金貨を金貸し業者に預けた顧客は、金貨の『預かり証』をもらっている。
その『預かり証』がお金になっていくのである。

例えばAという預金者が、Bという預金者から何か商品を買うとき、
Aは『預かり証』を持って金貸し業者のところに行き、それを金貨に変えてもらい、その金貨でBに支払をするが、Bはそこで得た金貨を保管のためにまた金貸し業者のところに持っていき、また『預かり証』を受け取るのである。

これを繰り返すうちに、AはBに直接『預かり証』で代金を支払うようになる。
これは途中の手間を省いただけで、結果は同じことである。
つまり金貸し業者の発行した『預かり証』が金貨と同じように流通し始めるのである。
これが紙幣の誕生である。

現在の日本の紙幣もこれと同じ仕組みを取っている。
日本人は日本の紙幣は政府が発行したと思っている人が多いが、
よく見てみると1万円札には『日本銀行券』と書いてある。
これは政府が発行したものではなく、日本銀行が発行したものである。
この制度は今言ったようなヨーロッパの制度が日本に流入したものである。

しかし日本人が紙幣は政府が発行したと思っているのが間違いかというと、あながちそれは間違いではなく、
江戸時代に諸藩が発行した藩札は、藩を一つの地方政権だと考えれば、政府紙幣に近いものである。
また明治新政府が、戊辰戦争や西南戦争の戦費をまかなうために発行した太政官札や民部省札というのは政府紙幣である。
そういう形を近代化の過渡期の変則的な形だと思う必要はない。
紙幣には本来、政府紙幣と銀行券の2種類があることは経済学の教科書にも載っていることである。
現在でも政府紙幣の発行は政府内で検討されている。

ここでヨーロッパで何が起こったかということが大事である。

お金の発行元が変わったのである。
金貨・銀貨はそれまで確かに国家が発行するものであった。
国家が貨幣の発行権限を持つのはローマ帝国以前から行われてきたことである。

ところがヨーロッパでは紙幣の発行に際して、その発行権が国家から銀行へと変わったのである。

理屈は合っているように見えるが、このことがどのような意味を持つかはまだいくつかの段階を経なければ明らかにならない。

   金儲けの歴史5 イングランド銀行

銀行家は金庫にねむる預金者から預かった金貨を他人に貸してその利子によってますます富を蓄えていったが、
よく考えてみるとわざわざ金貨を貸す必要がないことに気づいた。

というのは、預金者から預かった金貨と引き替えに発行した『預かり証』がすでに紙幣として流通し始めていたからである。
わざわざ金貨を貸し出さなくても、この『預かり証』を紙幣として発行すればいくらでもお金を貸すことができることに気づいたのである。

銀行家が発行する『預かり証』は本来は銀行家の金庫にねむる金貨の量に見合うものでなければならなかったのだが、そんなことに気づく者は誰もいない。
銀行家はその気になればいくらでも紙幣となる『預かり証』を発行することができたのである。

これが『銀行券』の誕生である。
この『銀行券』という紙幣を本格的に発行する銀行として誕生したのが、1694年のイングランド銀行である。
イギリスという小さな島国がなぜ7つの海を股にかける大英帝国に発展することができたかという秘密もここにある。

当時のイギリスは市民革命(ピューリタン革命、名誉革命)を成し遂げたばかりであった。
それまでの王に代わって新しく迎えた王はオランダの総督であったウィリアム3世である。
(※北風 オラニエ公ウィレム。現在ビルダーバーグ会議の主催者は彼の子孫である。)
このオランダ出身の王に一緒について来たのが、オランダで金融業に精通した多くのユダヤ人であった。

イギリスのロンドンはオランダのアムステルダムに代わって世界の金融の中心になる。その金融街がロンドンのシティである。

内乱を終えたイギリスはそれも束の間、フランスとの激しい植民地争奪戦争に向かわなければならなかった。
戦争にはお金がかかる。

そこで頼ったのが銀行である。
政府は銀行にはいくらでもお金があると信じた。
実際には銀行にはお金はなかったのだが、銀行は今言ったような経緯からいくらでも紙幣を印刷し、それを誰も怪しまないようになっていた。

どんなお金でもお金として通用する以上、資金力の差が戦争の勝負を決する
イギリスとフランスの国力の差はなかったが、戦争のための資金調達の面で決定的な違いがあった。
イギリスは国債を発行しそれをイングランド銀行に引き受けさせることによっていくらでも資金を調達することができた。

1700年代を通じて、イギリスとフランスはアメリカ植民地をめぐって何回も戦うのだが、最終的にアメリカ植民地はイギリスのものになった。
イギリスはフランスに勝利したのである。
これと同じことはインドにおいても起こっており、イギリスはフランスと戦ったが、ここでもイギリスが勝利している。

つまりイギリスはアメリカもインドも手に入れたのである。
それはイギリスがイングランド銀行といういくらでも紙幣を発行できる『打ち出の小槌』と結びつき、そこから無尽蔵の資金提供を受けていたからである。

銀行はこのようにして無から有をつくり出し、その資金を政府に提供していた。

しかし借りたものは返さなければならない。いくら無から有をつくり出した紙幣であるとはいえ、国債を発行してお金を借りている以上政府はイングランド銀行に対して借金の返済をしなければならなくなる。
その返済額は莫大なものである。

(※北風 元金については信用創造なので借り換え処理が可能であるが、金利を払わないわけにはいかない。紙幣増刷によってインフレがと金利高騰が続くために、金利負担だけでも莫大な額となってゆく。)

イギリスは国民からの増税に頼るが、その増税も限界に達し、今度は植民地アメリカに重税を課そうとする。
それへの反発から起こるのが1775年のアメリカ独立戦争である。
この結果アメリカはイギリスから独立するのである。

こう見ると、一見世界の覇者はイギリスのようだが、本当の勝者はイングランド銀行である。
イングランド銀行は国家と結びつくことによって大きくなり、戦争をするたびに絶大なる力を持つようになった。

やがてイングランド銀行は国家の財政を管理する『政府の銀行』となり、国家の紙幣を発行する『発券銀行』となる。
しかしこのような銀行はあくまで民間の銀行である。

ここでお金の流れは、国民 → 国家 → 銀行、と流れていく。
最終的に国民の富は銀行に流れる仕組み
が作られたのである。

このような時代にロスチャイルド家は登場する。
ちなみに、このことは最近高校の教科書に記述されるようになった。

『名誉革命後のイギリスでは、1694年にイングランド銀行が創設され、政府の発行する国債を引き受けた。……イギリス政府は、戦争時、容易に大量の国債を発行することができるようになったが、その利子を払うために、国民にますます思い税を課すようになっていった。……イギリス政府は、大量の国債を発行してその利子を税金で支払いつつ、対フランス戦争を戦い、植民地を拡大する政策を進めた。』
(新編 高等世界史B 新訂版 帝国書院 P212~213)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 以下は資本主義と国際金融寡頭勢力に関連するページ。

世界通貨戦争(2)表向きの混乱
国際金融資本の成立
信用創造と言えば聞こえは良いが
信用創造とは
通貨、金利と信用創造の特殊な性質
信用創造(3)無政府的な過剰通貨
金(gold)のバブルは崩壊し始めた
動乱の2012年(3)通貨と国債、デ・レバレッジ:吉田
国際金融資本が仕掛けたヨーロッパの危機
通貨戦争(66)金の暴落…….! 
野村・モンテパスキ事件と国際金融寡頭勢力
英中銀がナチスに協力、チェコの金を売り払う
9.11の謎、ユダヤ人と国際金融資本
軍産複合体とは?国際金融資本の凶暴な片割れ
軍産複合体とは?アシュケナディムとシオニスト
通貨戦争(69)金貨価格の不正操作
伝説の詐欺師ジョン・ロー、国債と通貨の増刷:野口
SWISS LEAKS 国際金融資本と米国
中国は金の値決めに影響力を持ち始める
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コメント

アメリカの建国当時、そして南北戦争、このころのアメリカの大統領と銀行家との通貨発行権の争い。恥ずかしながら3.11で政府に疑問を持つまで知りませんでした。そして日本も国際的銀行家の洗礼を受けていることもまた。

Re: タイトルなし

私もこのブログを始めて、あれこれと勉強して知ったことが多いです。
明治維新からいきなり対外侵略を開始したこと、その前に英蘭による倒幕派の結集したが国際的銀行家の洗礼といってよいのだと思っています。

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