ピケティ「21世紀の資本」への評価:佐藤優、水野和夫
2015-02-09

2/9 週間ダイヤモンドから
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資本主義の行方に危機感 国家の強権化は暴走を招く
佐藤 優(作家・元外務省主任分析官)
日本でこの本が売れたのは、邦訳が出る前に「21世紀の資本論」と紹介されたため、マルクスの『資本論』の現代版だと思った人が多かったからでしょう。
日本でマルクス主義経済学が退潮し、格差や貧困といった問題を扱う経済学がなくなったことも、ブームの要因だと思います。
一昔前までは、大学の経済原論といえばマルクス主義経済学と近代経済学の2本立てでした。それが今や全部、主流派経済学になってしまった。
ピケティの主張が正しいかどうかという議論はあまり意味がない。
彼は単に、膨大なデータを分析し、結果を示したということです。
でもそこからは、マルクスの指摘した労働力の商品化、資本主義の矛盾といったものは見えません。格差がいくら開こうが、また失業して絶望する人がいようとも、システムとしての資本主義は続く。
資本主義はそうヤワなものではない、というのがマルクスの理論です。
仏教とキリスト教を比較しても意味がないように、ピケティとマルクスの研究はそもそもカテゴリーが違うのです。
米国は現在、いわば戦争を公共事業に組み込んでまで経済の需要を増やそうとしている。その一方で、もうけ過ぎた一部の個人がいる。
彼らの資産に課税して分配しないと資本主義は駄目になる、というピケティの危機意識はよく分かります。
自由だ平等だといわれながら、実は一定の大金持ち、投資銀行のディーラーなんかがもうけている構造を解明したいという正義感があったのだと思います。
インサイダー的な取引により一部で大もうけし、残りかすを一般庶民に与える、それは良くない。
成功したのは全部自分の能力だ、というのはおかしい。半分は運なのだから、分配するのは当たり前、という考えなんでしょう。
そもそもアメリカの名門大学を出ている連中なんて、マルクス的に言えば資本家ですよ。大学の学費も高くて、労働者が通えるわけがない。
ピケティ自身も米国の大学で教えていて、米国の金持ちがMBA取って大儲けして、南の島に別荘作って自家用ジェット機を買って…。
画一的なことしかできない彼らを見ていて、バカバカしくなったんでしょうね。
ただ、問題は資産課税の実効性です。欧州の枠内なら可能かもしれない。特にフランスでは、官僚はエリートであり、私腹を肥やすのは例外だという認識がある。
しかしロシアや中国で同じことができますか。
ピケティはタックスへイブンによる租税回避の問題も指摘しています。しかしここでも最終的には国家が出てくる。
貨幣の価値を裏打ちするのは、本来は市場と関係のない国家ですから。税を捕捉できず破綻する国家が出てくる中、勝ち残る国家もいるでしょう。
タックスヘイブンには、かつて多くの植民地を有していた英国の影を感じますね。ポンドの流通量など、実態を調べようとしても、よく分からないのです。
英国の中学校の歴史教科書なんて、すごいですよ。タイトルが「帝国のインパクト」。
我々は宗主国だったんだと。植民地時代に獲得した遺産が今でも社会に息づいている、それなしに我々は生きてはいないと教える内容なんです。
やっぱり大英帝国なんですね。彼らがいる限り、タックスヘイブンはなくならないと言えるかもしれない。
主張の展開は誠実
この著書への私の支持率は90%。
過度な数学を使って読者の目をくらます現在主流の経済学を用いず、読者の検証可能なデータを使って論じた点は、知識人として誠実です。論理の飛躍や幻惑もありません。
ではなぜ100%ではないのか。
それは、国家に対する認識が甘過ぎるから。国家が個人の資産に手を付けるようになれば、必ず暴走すると思います。
国家による経済統制は、国家資本主義や国家社会主義に近い。非常に窮屈な世の中になりますよ。
それに資産課税を強化すれば、本当の超富裕層は、あらゆる手段を使って資産を隠したり、キャピタルフライトしたりする。
そもそも、ものすごい金持ちというのは、国家と仲がいいんです。
ロックフェラー3世の本に、富を維持するためには、大衆にねたまれないように寄付をしろ、国家にできない外交をしろと書いてある。
つまり、国家と超富裕層は持ちつ持たれつの関係です。政府もここには手を突っ込めない。ピケティのような議論がいずれ出てくることを想定して、富裕層はすでに手を打っているわけです。
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【資本主義と経済成長】
実力で所得は決まらず 近代の欺瞞暴いた
全面的に支持する
水野和夫(日本大学教授)
18世紀のフランス革命以後、先進諸国は、選挙権を取り入れて身分や性別による格差をなくした。そのため、誰もが能力に応じて所得や資産が決まる「近代社会」になったと疑っていませんでした。
しかし経済的には、それはうそだった。ピケティによると、資本が常に成長率よりも速いスピードで自己増殖し、かつ、その過程で集中化する。それが分散するわけでもない。
フランスでも革命後しばらく、所得と資本の比率は大きく変わらなかった。
唯一変わった時期は、世界大戦期だけ。近代の理念を実現するために変えたのではなく、戦争で変わったというのがポイントです。
これは、資本主義が民主主義とは相いれないことを示しています。参政権は万人に開放されたのに、富の分配については、資本主義がそれを拒否したのです。
東西冷戦期は共産主義があったため、資本主義と民主主義が手を組んでいました。
しかし現代では再び、フランス革命前のアンシャンレジーム期に戻りつつある。
近代社会の欺瞞性を暴いた点で、ピケティの著書を全面的に支持します。
日本でも、小泉改革やアベノミクスは、新自由主義者による「アンシャンレジーム党」ですね。生前贈与への税率緩和がいい例ですよ。
企業も非正規社員を合法的に奴隷化している。正社員をなくしても、99%の「第三身分」が出てくるだけです。
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※北風 ピケティとマルクスの研究はそもそもカテゴリーが違うということについて。
マルクスの基本的な考え方は、資本の収益は労働力商品の購入使用による剰余価値であり、資本蓄積の動機で当然最大化を図る。
そのために常に労働賃金は労働力の再生産費まであるいはもっとさらに下げようとする。
この資本の過剰蓄積によって窮乏化が一定段階に達すると消費需要が経済成長を下回ることで金融循環が信用恐慌を起こす。
もしくはそれを転換しようと戦争となる。
つまり、マルクスにおいては資本の収益と労働賃金は拡大成長するパイの分配率ではない。
経済行為は民主制度ではないので労働力商品の交渉は概ね雇う者、資本家が勝利する。
まあ、ここから階級闘争論である。
労働者は組織として団結し、使用者側資本家階級と闘うべしとなる(デモ、スト、選挙、ゼネストから暴力革命まで)。
ピケティはあくまで西欧民主制度からのアプローチなので、労働者階級と資本家階級を区別しない(ブルジョワジーとプロレタリアが連合したフランス大革命)。資本収益と労働力商品の価格にすぎない賃金所得をほとんど区別しない。
拡大成長するパイの分配率としてみている。
逆にこの格差の拡大が民主制度を壊してしまう、という危機感であるだろう。
それはそれとしてトリクルダウンの欺瞞を暴き、民主制度を打ち固める成果である。
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