米国との開戦を無謀とし、アジア侵略を無視する「通説」
2014-12-08

73年前の12月7日は日本はアメリカ、ハワイを奇襲攻撃して米英との戦争に突入した。
「アメリカとの開戦は無謀だった。」「アメリカと戦わなければ東アジアを征服し共栄圏とできた。」などと曰わく「識者」なる者が多いが、みな歴史の事実を無視したとんでもない「怪説」である。
明治維新は、英蘭と香港上海銀行など国際金融資本による倒幕派の育成と支援によって、江戸幕府を倒したものである。
1867年、当時最新鋭の武器を供与された倒幕軍は、天皇を担ぎ出すことで王政復古とし、幕府側を朝敵として一掃した。
1872年、廃藩置県によって、封建領邦の幕藩体制を解体し中央集権国家とする。大日本帝国を国号とする。
以来この「大日本帝国」は富国強兵を国是とし、琉球、台湾、南樺太、朝鮮を征服し、日清戦争、日露戦争、関東州、満州、さらに中国へと侵攻する。
1940年にはインドシナを侵略。
米英との開戦はこうしたこうした75年間にも及ぶ戦争国家としての軍事侵略による帝国主義拡張の帰結なのである。
「明治維新」の成立過程はかなり脚色偽造されているが、それでも国際金融資本の支援によることは明白である。
75年にも及ぶ「戦争国家」はそうして作られた。
米英との何らかの交渉によって和解を探るような次元はすでに超えてしまっていたのであって、「米英との無謀な開戦」はもはや拒否できないものであった。
アジア侵略戦争の泥沼にはまった日本は米英と開戦する以外に、その国家体制が持たなかったのである。
また、米英にとっては資本の獲物であり、無理矢理でも開戦に引きずり込んだであろうことは言うまでもない。
米英との戦争は、しないに越したことはない。だが、明治維新以来、戦争を続けることで体制を維持してきた国家は、米英と国際金融資本の格好の巨大な餌食でもあったのである。
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泥沼化していた東アジア侵略を無視、真珠湾攻撃で米国と戦争を始めたことを無謀だと言う怪説 12/7 櫻井ジャーナル
1941年12月7日午前7時48分(現地時間)にハワイの真珠湾に対する奇襲攻撃を日本軍は開始した。
いわゆる偽旗作戦とは違って実際に日本軍が攻撃したのであり、例えばベトナム戦争へ本格的に介入する口実になったトンキン湾事件とは本質的に違う。
野村吉三郎駐米大使らがアメリカのコーデル・ハル国務長官に最後通牒を伝えたのは攻撃開始から1時間後のこと。
この攻撃で日本はアメリカと戦争を始めたわけだ。
当時の生産力、科学技術力を比較するだけでも日本がアメリカに正規戦で勝てる可能性はきわめて小さく、無謀な行為だったと日本ではマスコミに登場する「専門家」も口にする。
日本はアメリカと戦争するべきでなかったというわけだ。
この主張を否定するわけではないが、その時点で日本が東アジアを軍事侵略していたことに触れない「専門家」が多い。
アメリカと戦争したことは間違いだが、1872年の琉球藩設置に始まる東アジア侵略を肯定している、少なくとも否定していない。
侵略戦争が泥沼化、真珠湾攻撃につながったことから目を背けている。
この辺の流れを振り返ると、1871年7月に廃藩置県、同年10月に宮古島の漁民が難破して台湾に漂着、何人かが殺され、72年に琉球王国を併合して琉球藩を設置したことに行き着く。
明治政府の何者かが漁民殺害を口実に台湾を侵略することを思いつき、宮古島を日本領だと主張するために琉球藩をでっち上げたということだろう。
台湾に軍隊を送り込んだのは1874年、その翌年には李氏朝鮮の首都を守る要衝、江華島へ軍艦が派遣して挑発して紛争化に成功、「日朝修好条規」を結ばせて清(中国)の宗主権を否定させた。
1894に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こると、「邦人保護」を名目にして軍を派遣した。その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵、日清戦争が勃発している。
1840年から42年にかけてイギリスと戦争、敗北して「半植民地化」していた清との戦争に日本は勝つ。
言うまでもなく、清とイギリスとの戦争は貿易で敗れたイギリスが清に麻薬のアヘンを売りつけようとして引き起こされた。
資本主義は経済的に優位な仕組みではないということでもある。
1895年4月に「下関条約」が結ばれて日本は中国大陸での利権を獲得しているが、その半年後に三浦梧楼公使たちは朝鮮王朝の中で「親露派」と見られていた閔妃を暗殺している。
そして1910年、日本は韓国を併合した。
この年、幸徳秋水を含む社会主義者や無政府主義者が逮捕された。そのうち24名に死刑判決が出され、12名が処刑されている。いわゆる「大逆事件」だが、冤罪だった可能性がきわめて高い。
事件の翌年、1911年に警視庁は特別高等課を設置、1923年の関東大震災を経て25年5月に普通選挙法を公布されるが、6月には治安維持法が成立、思想統制の仕組みが出来上がる。
震災の復興資金の調達を頼った先のJPモルガンはウォール街の巨大金融機関で、それ以降、日本はその強い影響下に入る。
その後、1927年に第1次山東出兵、翌年に第2次山東出兵、張作霖爆殺、31年には満鉄の線路が爆破された。
関東軍参謀の石原莞爾中佐(当時)と板垣征四郎大佐(当時)が立案、今田新太郎大尉が用意した爆弾を河本末守中尉を中心とするグループが仕掛けたと言われている。
これを切っ掛けにして「満州事変」が始まり、その翌年に日本の傀儡国家「満州国」の建国が宣言された。
その年、アメリカではウォール街を揺るがす事態が生じていた。
大統領選挙で巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を拡大、植民地やファシズムに反対するフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。
この結果を受け、JPモルガンを中心とする巨大資本の一部はファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画している。
つまりJPモルガンはファシスト、あるいはそのスポンサーだということ。
このクーデター計画は海兵隊のスメドリー・バトラー少将の議会証言などで明るみに出た。
ウォール街がナチス時代のドイツへ資金を提供していたことも明らかになっている。
このJPモルガンと最も緊密な関係にあった政治家と言われているのが「適者生存」を信奉する井上準之助。親しくなる切っ掛けは1920年に行われた対中国借款の交渉だったという。
1929年7月に誕生した浜口雄幸内閣で井上は大蔵大臣に就任した。
この政権の政策によって日本では庶民が貧困化、欠食児童、争議などが問題になり、東北地方では娘の身売りが増えた。
こうした政策に対する不満は高まり、1930年11月に浜口首相が銃撃されて翌年8月に死亡、32年には井上が射殺されている。
1937年7月には盧溝橋事件が起こり、12月には南京を占領する。
攻略戦の過程で日本軍は多くの市民を虐殺しているが、その裏で組織的な財宝略奪もあったと言われている。
日本兵として参加、あるいは目撃した人びとが少なくなると、この虐殺を否定しようと必死な人たちもでてきたようだが、世界では通用しない。
その虐殺について、少なからぬ日本軍将兵が陣中日記の中で軍命によって捕虜を射殺したと記録、支那派遣軍の岡村寧次総司令官は部下からの報告に基づいて「南京攻略時、数万の市民に対する略奪強殺等の大暴行があったのは事実」と書き残している。
また、外務省の石射猪太郎東亜局長は「南京に於ける我軍の暴状」の報告があり、そこには「略奪、強姦目もあてられぬ惨状」と書かれていたと日記に記している。
松井石根大将が師団長クラスの退廃ぶりを嘆き、三笠宮崇仁が著書の中で「日本軍の残虐行為」や「毒ガスの生体実験」について触れたことは有名な話だ。
事件当時、特務機関員として活動中だった中島辰次郎は、南京市内で「虐殺」と呼べる出来事があったことは間違いないと明言、総数については市内をくまなく調べたわけではないのでわからないとしたうえで、死体が山積みになった光景を見たと中島は話していた。
なお、この攻略戦は形式上、指揮していたのは中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根だが、実際は上海派遣軍の司令官として参加していた昭和天皇の叔父、朝香宮鳩彦だとされている。
皇室のメンバーを止めることは大本営でも不可能だ。
関東軍が暴走できた理由のひとつはそこにあるのだろう。
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