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同一労働、同一賃金を阻害している「企業内昇進奴隷制」

通勤

 労働の問題についてです。
 賃金、時間、雇用、人事、昇進、退職までの労働条件は労使関係で決まります。
 労働者は使用者にその労働能力(労働力)を時間で売るわけです。
 商品と同じです。
 ところが、労働力という商品は日々衣食住を補って再生産していかなければならない、つまり在庫ができない商品です。

 社会的な権力においても、経済的な資産においても、資本家たる使用者と労働者の間には大きな差があります。
 そこに労働力は在庫できないという特有の性質が加わります。
 端的にいえば、労働者は「今日の食費」がなければ働けないわけで、非常に劣悪な労働条件でも使用されて働かざるを得ないことになります。

 18、19世紀には労働条件は非常に劣悪なものとなり、労働者は団結して使用者と闘うようになり、人道的な世論も高まって労使関係に政府が介入するようになり、また、様々な労働基準法、労使関係法、労働組合法が整備されてきました。
 現在、一般の先進国では政労使会議においてこれら労働法制とその運用を協議する機関としています。

 ここまで書いてきたことの表面は日本も形だけは同じなのですが、内容は大きく異なります。
 先ず、労働者側の主体性ですが、世界は職能別、産業別の労働組合が主流です。日本は圧倒的に企業内労組です。
 そのことによって、横断的な賃金は最低賃金くらいです。
 (最賃でいえば、県毎に最賃額が異なるというのもかなり奇怪です。健康な労働力に必要な生活費が埼玉と千葉で有意な差があるとは思えません。生存すれすれ額ならば、せめて東京に合わせて当然。)

 また自社企業に寄与するために争議を躊躇するか、まったく争議をしません。
 争議権の行使を担保としない労使交渉では、労働側に交渉力が無いのは当然です。
 (欧米の経済学では「賃金の下方硬直性」という概念がある。いくら物価などが下がっても、こと賃金については下げられない、下がらないという原則。
 日本は唯一この原則が適用できない国である。企業は18年間にわたって実際に賃金を下げ続けてきた。)

 また、労働監督機関へは労働者個人が訴えることが圧倒的となり、労働組織が企業を監視して監督機関に通報是正する形とは大きな違いが出ています。

 法に定められた機関としての政労使会議がありません。
 そのため、労働基準、労働福祉、社会福祉、社会保障など労働者の利益を主張する勢力がありません。
 日本の現状は企業内労組の連合体が、政労懇談しているだけでなにも主張されず、法的根拠もありません。

 例えば一つの例ですが。
 「残業手当ただ法案」として、批判されているものがあります。
 あまりにサービス残業が蔓延しているので、これ以上ただ働きをさせるな、という批判です。
 それは批判としてあるだけ良いのですが、基本はどうだったのでしょう。

 長期に渡る労働者と知識人道派の闘いの結果、労働者の健康を守り、生産性も確保され、社会的な道義でもあるとして、「8時間労働制」が確立しました。
 世界のルールは、8時間であれ、7時間であれ所定労働時間を超えて働かせてはならない。というものです。
 つまり、「禁止」です。管理職務以外は。

 どうしても、就労させる場合は労働側との協定、協約のほか、理由が(企業の都合でなく)社会的に妥当かが問題となります。
 明治以来の低賃金で、所定外賃金をあてにしてやっと生活が成り立つ状態というのが不可思議なのです。
 それは使用者が生活できない賃金しか与えていないということです。
 「いくら残業してもいいから、残業賃はちゃんと払ってくれ。」というのでは、あまりにも惨めな労働です。
 
 我が国で労働条件などが論議される際には、かなり世界的には頓珍漢な議論がされているのが現状です。
 
 「同一労働、同一賃金」についても同様で、日本での「識者」とやらの論議はかなりズレ違っています。
 世界は職種別が優先であって、職種の違いが細かく厳然と守られています。
 その上でのスキル、キャリアであるので、その職種なりに専門能力が鍛えられてゆく。

 日本の「一般社員」という代物。企業はこれを企業内労組と共に拡大し、「終身昇進雇用」で忠誠を確保してきたがために「同一労働、同一賃金」という世界共通ルールを大きくはみ出す異様な雇用形態となってしまっている。
 ーーーーーーーーーーーーーーー
   「同一労働・同一賃金」はどうして難しいのか?  冷泉影彦 12/4 News Week

 同じ仕事をしたら同じ賃金をもらう、これは極めて当たり前のことのように思えます。
 事実、欧州では多くの専門職の仕事が「ワークシェアリング」の対象とされており、フルタイムの人も、パートタイムの人も時給換算では同じ賃金をもらっています。

 私の住むアメリカでは、そこまで一般的ではありませんが、例えば子育て中の世代などで、時給制弁護士、時給制医師といったものがあります。本来は年収1800万の小児科医が、一時期だけ勤務時間を半分にしている場合には、年収は900万になるわけです。

 アメリカの場合は、「ワークシェアリング」はまだ少ないのですが、同一労働・同一賃金という原則は極めて厳格に守られています
 これに違反すると巨大な訴訟リスクを抱えることになるからです。
 そのために、「賃金の違う人は、相手の業務を奪ってはならない」ということも徹底しています。

 例えば、学校で床の清掃をするのはジャニターという職種ですが、仮にジャニターよりも時給換算の給与の高い校長先生が、「ちょっと床が汚れているからチャッチャッと掃除してしまった」などということが露見するとマズいことになります。
 それはジャニターの雇用機会を奪うと同時に「同一労働・同一賃金」に反することになるからです。
 もちろんアメリカにも臨機応変な現実主義というカルチャーはあるので、実際の運用は柔軟ですが、原則はそうであり、仮にジャニターの側からの「異議申し立て」があればシリアスな問題になります。

 では、この「同一労働・同一賃金」というのは、日本の場合どうして実現が難しいのでしょう? 
 具体的に言えば、同じ仕事をしていても、非正規労働者や派遣社員の賃金と、フルタイムの正社員の賃金には2倍、福利厚生まで入れると2倍半以上の格差があるわけです。

 これは明らかな不公平です。では、どうしてこのような不公平が放置されているのでしょうか? 
 どうして「同じ仕事をしたら、同じ賃金を払う」という当たり前のことができないのでしょう?

 まるで正社員と、非正社員というのが身分制になっているかのようです。
 多くの非正規雇用者や第三者は、そのような「いわれなき差別」を感じていると思います。
 なぜ、そんな理不尽が許されているのでしょうか?
 答えは簡単です。「正社員と非正規の仕事は違う」からです。5点指摘できると思います。

(1)4時間勤務と8時間勤務というのは単に「労働時間が倍」でありません。
 8時間勤務(7時間の場合もあり)というのはフルタイムであって原則正社員であり、その正社員には「突発事態や繁忙期」には8時間を超えて勤務することが前提となっています。
 悪いことに、その場合に賃金を払わない「サービス残業」の発生する可能性も、正社員の方が圧倒的に高いのが現実です。

(2)正社員の業務内容は、「日々の業務」だけではないのが普通です。
 例えば、全社的な「経営方針発表会」のようなものがあれば、新幹線や飛行機に乗って出張してその会議に出席し、またその後の懇親会などで本社や他事業所の「日々の業務では無関係」な同じ会社の社員と情報交換を行わなくてはなりません。
 また、全社横断的な「中堅社員研修」などに担ぎ出されたり、ある工場が異常事態になると「支援要員」として長期出張をさせられたりするのです。
 そうした本来業務と無関係な時間帯まで査定や評価の対象にされるのです。

(3)正社員はどうして余計な会議に出席しなければいけないのか、また実務研修とは違う「中堅社員研修」や「管理職選抜試験」などに参加しなくてはならないのかというと、正社員というのはイコール「管理職候補」だからです。
 会社はそのように正社員を見て人事異動をしたり、研修をしたりします。
 そのこと自体は正社員には負荷になりますが、将来の管理職という地位を「人質に取られている」正社員としては応じなくてはなりません。
 そうした会議や研修の多くは儀式ですが、儀式への真剣な参加は、共同体の団結を確認する重要なものと位置付けられています。

(4)正社員は管理職候補であるために、管理職になる前に複数の「現場」を経験することが期待され、その結果として「人事ローテーション」の対象とされます。
 ですから、辞令一枚で日本だけでなく海外にも転勤しなくてはならず、転勤を拒否すると管理職昇進が遅れるか不可能になるという「大きな負担」を背負っています。

(5)正社員は終身雇用ですから、その正社員だけによって構成された「共同体」に組み込まれています。
 そのために上司の公私混同をした要求、例えば「引越しの手伝いをしろとか、社長夫人の観光を案内せよといった要求」を拒否できないとか「税務調査とか労働基準監督署の調査といった場合に、内心の良心に従うのではなく、また法律に100%従うのではなく、企業への忠誠心から企業側の利害に基づいて行動しなくてはならない」といった難しい立場に立たされます。

 以上のような点について、非正規労働者はそうした「重荷を背負う」必要はありません。ですから正社員から見れば「そんな気楽な存在の非正規労働者が同一労働・同一賃金などと主張するのはおかしい」ということになります。

 では、この「正社員制度」は日本型経営の美徳だから「仕方がない」のでしょうか? とんでもありません。その会社の正社員という「タコツボ」に閉じこもる発想が、企業全体、日本経済全体のガラパゴス化を生むと同時に、その「正社員を育成して管理職にする」という制度が「膨大なコスト負担」になっているのです。

 (※ よく言われる言葉に「企業奴隷」がある。まさしく昇進を人質にした「企業奴隷」である。
 この企業奴隷と非正規労働者を差別しているわけで、こうなると封建身分制度か、インドのカースト制のような根深い社会制度になっている可能性も考える。)

 儀式を通じて忠誠心が生まれても、それで高度な業務スキルや管理能力が身につくわけではなく、「プロ管理職」が育つわけではありません
 日本の事務仕事の生産性が低い理由の1つはこのためです。
 また、ワーク・ライフ・バランスを著しく損ねて、日本を少子化に追い込んでいるのもこのカルチャーです。
 専門職へのリスペクトと報酬が欠けているために、例えばITの競争力が崩壊しているのも同じ理由です。

 その意味で、こうした「正社員制度」(※ 企業の昇進奴隷制度)の弊害を見直す機会として「同一労働・同一賃金」の問題を提起するのは意味のあることだと思います。
 ーーーーーーーーーーーーーーーー
 ※ 非正規、派遣の増加によって、企業の正社員に対する昇進奴隷制度もますます酷くなっている。
 欧州のように「同一労働・同一賃金」を法制化して強制すれば、この封建身分差別と昇進奴隷もかなり弱まり、正社員、非正規双方の利害に一致するだろう。
 職種別組合、産業労組のない日本では、なかなかそういう考え自体が発想されない。
  
 以下は勤労者賃金、労働力市場に関連するページ。

労働分配率の強制修正
なぜデフレなのか、なぜ放置するのか
日本の労働は封建主義の農奴農民か 
逆進課税とデフレ恐慌
勤労者の地獄と国際金融資本の高笑い
賃上げが無ければ経済成長は無い
アベノミクス、勤労者窮乏化の効果だけは必ずある 
企業内労組連合の腐敗とブラック企業、アベノミクスの茶番
限定正社員「欧米では一般的」?の大ウソ!:冷泉
日本の最低賃金は生存基準を下回る:国連
厚生年金350万人未加入と悪質事業者、老後無年金者の増加
男女同権では異常なほどの最下位国
労働搾取どころかボッタクリ収奪の日本
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