原爆は誰が投下したのか?
2014-08-09

広島・長崎に原爆を投下したのが誰か、日本人が覚えようとしないのは何故か 8/6 タチヤナ・フロニ ロシアの声
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。人類のかつて経験しない出来事に、世界は震撼した。
米国は原爆の使用について、今でも謝罪していない。
原爆攻撃は必要性に基づくものではなかった、と歴史学者たちは証言している。米国はただ、自らの力を誇示したのだ。
戦争末期のあの時期、日本政府は戦争からの出口を模索していた。最新・最恐兵器の使用は無用な酷薄というものであった。
にも関わらず、日本はいまに至るまで、強く謝罪を迫ることをしていない。
原爆投下についても、増え続ける犠牲者名簿についても。
ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究室長ワレーリイ・キスタノフ氏はそう指摘する。
「パラドキシカルだ。日本国内の報道や文献でこのテーマをたどってみても、そこには『誰が』原爆を落としたのかということについての記述が欠落している。
『米国が』原爆を落としたのだ、とはどこにも書いていない。ただ原爆が落とされた、と書いてあるだけだ。
どこからともなく原爆が飛んできたかのような印象だ。
何故このようなことが?
単純な話だ。日本は戦後長らく、事実上、米国の占領下に置かれ、経済的にも米国に依存した。西ヨーロッパの戦後復興計画『マーシャル・プラン』の日本版が、米国によって策定された。ほとんどそれのお陰を蒙って、日本の奇跡の経済復興は成ったのだ。
米国はむろん、慈善事業でそれをやったのではない。
ソビエト連邦が勝者の側で第二次世界大戦を終えるや、世界は新しい戦争の季節に入った。
冷戦。『熱い』戦争に劣らず、長期間に及び、かつ金のかかる『戦争』である。
米国は、アジアにおいて、第二次世界大戦の廃墟の中から、日本を筆頭とする『反共の防波堤』を早急に構築しなければならなかった。
大戦末期における広島・長崎の原爆は、米国による、冷戦における最初のオペレーションとなった、と見なせる。
米国は日本を、『敵国』からアジア太平洋地域における『戦略的パートナー』へと変貌させた。
そうした既成事実の積み重ねの中で、日本の政治家たちは、もはや『誰が』爆弾を落としたのかということを明記することが出来なくなっていった。
被爆地では毎年、追悼式典が行われてはいるが、日本人の意識からは、段々と、『誰が』この犯罪を行ったのか、ということの記憶が失われていっている。そ
れは日米関係にとって、間違いなく、歓迎すべきことだ。米国は現在も、経済・政治・安保・プロパガンダいずれの分野においても、日本に支配的な影響を及ぼす国なのだ」
日本は歴史を忘れっぽい。他の東アジアの国々が、歴史に関して記憶力抜群なのとは、好対照だ。中国も韓国も、日本の軍国主義の過去を忘れてはいない。
再びキスタノフ氏。
「日本は近隣諸国の結んだ統一戦線に直面している。
日本が大陸における自らの侵略行為を正当化し、自らの過去の行為への評価を見直すことには、声を合わせて厳格に反対する、そうした統一戦線である。
韓国との関係改善は、米国が手取り足取り仲立ちしてもなお、捗々しくない。
植民地支配の過去がネックになっているのである。
日本人自身は次のように考えている。植民地支配の時代、のちの米国と同様に、日本は朝鮮半島の社会経済的発展に大きく寄与したではないか、と。
いわく、鉄道を建設し、企業を設立し、教育制度を整え・・・・・・。
しかし、それら施策は、日本自身の利益のために行われたことだ。
日本はより快適に資源を運び出すために植民地を開発する必要があった。
教育制度だって、地元民を日本化する目的で整備されたのだ。
さらに従軍慰安婦の問題がある。うら若い朝鮮女性が売春宿で日本人兵士の慰みものにされていた、という問題。
韓国はこの恨みを今も覚えている。
世代は移れど、日本の軍国主義の記憶は、朝鮮半島から拭い去られることがない。
いま、日本の侵略行為を肯定的に再評価しようという気運がある。
中国も韓国も、これを非常に注意深く見守っている。
最新の動向としては、韓国と中国が、反日の一点でタンデムを組んだ。日本が再び軍国主義に走り、第二次世界大戦の結果を見直すことに反対するタンデムだ」
しかし、それでも日本は、近隣諸国に対し、長きにわたる植民地支配を詫びる試みを行ってきた。
その点、米国はどうか。
米国政府の公式代表が初めて広島の被爆者追悼式典に出席したのは2010年になってやっとのことである。
しかも、その時、多くの米国市民が、そのことに批判の声を挙げたのだ。
5年前に米コネチカット州クイニピアック大学が行った世論調査によれば、米国市民の61%が原爆投下を「正しいことだった」と評価している。
「正しくない」と評価したのはわずか22%であった。
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※
「米国の反共復興策に依存したために、「誰が」爆弾を落としたのかということを明記することが出来なくなっていった。」
ロシアの声の説明はそれはそれで良いのだが、不十分な側面がある。
それは、大戦末期に既に米英はソ連との「対決」を想定していたということ。
そして、日本支配層の「国体護持」と、米英の冷戦準備が「反共防波堤」で利害の一致をみたこと。
その一致のためにポツダム宣言の受諾が3か月も引き伸ばされたことである。
原爆投下を含めたその結果は、敗戦自体を極めて曖昧化した「終戦の詔勅」、敗戦国戦争責任者の責任不問(A級戦犯なる陸軍幹部への責任転嫁で手打ち)という、敗戦の曖昧化と戦争責任の不問である。
つまり、敗戦の時以来、戦争が誰も責任のない、あいまいな「自然現象」とされたのである。
これは「反共の防波堤」で利害一致する日本の支配層と米国が、極めて好都合な状況を作り出だしたためである。
「誰が」原爆を投下したのかが、「不問」とされ、あたかも自然現象のように描かれているのは、既に敗戦時に日本の支配層と米国によって決められていたのである。
誰が原爆を投下したのか?
だれだって知っているが明言しない。
それは即、同時に誰が戦争の最高責任者だったのか?
に繋がるためだ。
関連ページ。
A級戦犯の代わりに罪を問われなかった最高責任者
永続敗戦論からの展望:白井聡
永続敗戦論、白井氏インタビュー(1)
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