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永続敗戦論、白井氏インタビュー(1):朝日

 白井聡

 2/24に著者白井聡氏による著書「永続敗戦論の解題に相当する「永続敗戦論からの展望」を掲載したところです。

 かつて、経済学の野口悠紀雄氏がこの国の経済と政治を制御する社会体制が大戦の敗北によっては殆ど変わらず、その前の1940年米英開戦に向けた国家総動員体制によって変革したものがそのまま現在継続していることを論証展開しました。
 「1940年体制」
 このことは多くの声が各方面から指摘していたのですが、野口氏が初めて総括的に論証したものでした。

 白井氏の「永続敗戦論」は我々の中から生み出される、いまだアジアとの敗戦を認めない風潮が、その源泉が戦争責任の不問による敗戦の誤魔化しにあること。
 その潮流が絶えることなく戦前からのアジア蔑視、敗戦を認めない意識、戦争犯罪否定などを生み出していることを論証したものです。

 根っこはA級戦犯で手打ちした戦争責任の不問にあるわけだが、そのことによって、いまだ続くこの戦時総動員体制思想が国民大衆の人権軽視、マスコミ統制、原発事故などの事実を認めない態度、対話にならない官僚制度など。そこから世界からは奇想天外と受け止められる外交態度が続々と生みだされる。

 敗戦と終戦としての誤魔化しは多くの声が指摘していたのだが、はっきりと戦争責任の隠蔽、敗戦の誤魔化しを根拠にする社会思想であると、総括的に論証展開した成果は大きい。
 生き延び復活した亡霊たちの、彼らの社会認識の外堀を埋める成果である。

 戦争責任が談合で手打ちされたがゆえに、いつまでも靖国が生き残ったこと「A級戦犯の代わりに罪を問われなかった最高責任者」。
 
 白井氏についてのインタビュー記事が3つほど見つかりましたので紹介します。
 長くなるので2つに分けることにします。
  ーーーーーーーーーーーーー
    「敗けた」ということ 「永続敗戦」を提起している、白井聡さん  2013/7/3  朝日

 「新しい国へ」「グレートリセット」と語気を強める政治家が拍手を浴びる、戦後68年目の夏。
 私たちは「何か」を、なかったことにしたがっているようだ――
 いったい、何を? そして、なぜ? 戦後日本が大切に紡いできた「平和と繁栄」の物語の読み直しに挑んでいる、社会思想史家の白井聡さんに聞いた。

 ――歴史認識をめぐって、みんなが言いたいことを言うようになっています。「タガが外れた」感がありますが、これまで何が、日本社会のタガとなっていたのでしょう。

 「それは、戦後日本を象徴する物語たる『平和と繁栄』です。
 『中国や韓国にいつまで謝り続けなきゃならないのか』という不満に対して、『これは遺産相続なんだ』という説明がされてきました。
 遺産には資産と負債がある。
 戦争に直接責任がない世代も戦後の平和と繁栄を享受しているんだから、負の遺産も引き受けなさいと」

 「しかしいま、繁栄は刻一刻と失われ、早晩、遺産は借金だけになるだろう。
 だったら相続放棄だ、という声が高まっています」

 「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に『敗(ま)けた』のではない。戦争は『終わった』のです。
 1945年8月15日は『終戦の日』であって、天皇の終戦詔書にも降伏や敗戦という言葉は見当たりません
 このすり替えから日本の戦後は始まっています。
 戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。
 敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいます」

 ――永続敗戦……。言葉は新しいですが、要は日本は戦争責任を果たしていないという、いつものあの議論ですね。

 「そう、古い話です。しかし、この話がずっと新しいままであり続けたことこそが、戦後の本質です。
 敗戦国であることは端的な事実であり、日本人の主観的次元では動かせません。
 動かすには、もう一度戦争して勝つしかない。
 しかし自称愛国者の政治家は、そのような筋の通った蛮勇を持ってはいません」

 「だからアメリカに臣従する一方で、A級戦犯をまつった靖国神社に参拝したり、侵略戦争の定義がどうこうと理屈をこねたりすることによって自らの信念を慰め、敗戦を観念的に否定してきました。
 必敗の戦争に突っ込んだことについての、国民に対する責任はウヤムヤにされたままです。
 戦争責任問題は第一義的には対外問題ではありません。
 対内的な戦争責任があいまい化されたからこそ、対外的な処理もおかしなことになったのです」

 「昨今の領土問題では、『我が国の主権に対する侵害』という観念が日本社会に異常な興奮を呼び起こしています。
 中国や韓国に対する挑発的なポーズは、対米従属状態にあることによって生じている『主権の欲求不満』状態を埋め合わせるための代償行為です。
 それがひいては在特会(在日特権を許さない市民の会)に代表される、排外主義として表れています。
 『朝鮮人を殺せ』と叫ぶ極端な人たちには違いないけれども、戦後日本社会の本音をある方向に煮詰めた結果としてあります。
 彼らの姿に私たちは衝撃を受けます。
 しかしそれは、いわば私が自分が排泄(はいせつ)した物の臭いに驚き、『俺は何を食ったんだ?』と首をひねっているのと同じです」
    ■     ■
 ――左派リベラルは、なぜタガになり得なかったのでしょうか。

 「左派の最大のスローガンは『平和憲法を守れ』でした。
 復古主義的な権力者たちに憲法をいじらせてはならないという時代の要請に応えたものではあったのですが、結果的には『平和がいいよね』というものすごく単純な心情にのみ訴えかけて大衆動員をはかろうという、政治的には稚拙なキャンペーンになってしまいました」

 「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に根付いたと言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに過ぎなかったことを露呈させています。
 左派はこのことに薄々気づいていながら、真正面から向き合おうとはしてこなかったと思います」

 ――右も左もだめなら、タガは外れっぱなしですか。

 「海の向こうからタガがはめられていることが、安倍政権下で顕在化してきました。
 鳩山政権時代、日米同盟の危機がしきりと叫ばれましたが、それは想定内の事態でした。
 米軍基地をめぐりアメリカにたてついたのですから。
 ところが安倍政権は対米従属の性格が強いにもかかわらず、オバマ政権から極めて冷淡な対応を受けています。
 非常に新しい事態です。これはなんと言っても歴史認識問題が大きい。
 当然です。アメリカにしてみれば、俺たちが主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは敗戦国だろうと。『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった
 対米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します」
    ■     ■
 ――そんな中、被害者意識を核にした物言いが目立ちます。

 「被害者意識が前面に出てくるようになったきっかけは、拉致被害問題でしょうね。
 ずっと加害者呼ばわりされてきた日本社会は、文句なしの被害者になれる瞬間を待っていたと思います。
 ただこの被害者意識は、日本の近代化は何だったのかという問題にまでさかのぼる根深いものです」

 「江戸時代はみんな平和にやっていたのに、無理やり開国させられ、富国強兵して大戦争をやったけど最後はコテンパンにたたきのめされ、侵略戦争をやったロクでもないやつらだと言われ続ける
 なんでこんな目に遭わなきゃいけないのか、近代化なんかしたくてしたわけじゃないと、欧米列強というか近代世界そのものに対する被害者意識がどこかにあるのではないでしょうか。
 橋下徹大阪市長の先の発言にも、そういう思いを見て取れます」

 ――しかし、被害者意識を足場に思考しても、何か新しいものが生まれるとは思えません。

 「その通りです。結局いま問われているのは、私たちが『独立して在る』とはどういうことなのかということです。
 いま国民国家の解体が全世界的に進行し、大学では日本語での授業が減るだろうし、社内公用語を英語にする企業も増えている。
 この国のエリートたちはこれを悲しむ様子もなく推奨し、みんなもどこかウキウキと英語を勉強しています。
 このウキウキと日本人の英語下手は一見背反する現象ですが、実はつながっているのではないでしょうか」

 ――どういうことでしょう。

 「英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。
 独立して在るとは『言うべき言葉』を持つことにほかならない。
 しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレジームで生きている限り、自分の言葉など必要ありません
 グローバル化の時代だと言われれば、国家にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、英語だ、グローバル人材だと飛びつく。
 敗戦の事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません

 「ただし、仮に言うべきことを見つけても、それを発するには資格が必要です。
 ドイツだって『俺たちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。
 でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼らは発言できるし、聞いてもらえる
のです」
    ■     ■
 「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係しているのでしょう。
 焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災のようなものとして捉えられています
 福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へと動いたように見えましたが、2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。
 自民党政権はなし崩し的に原子力推進に戻ろうとしているのに、参院選での主要争点にはなりそうにありません」

 ――「仕方ない」の集積が、いまの日本社会を形作っていると。

 「その代表が原爆投下でしょう。日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを『恥ずかしい』と感じている節はない。
 被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ずかしい』政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。
 原発事故も、政官財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですから、まさに恥辱の経験です。
 『仕方ない』で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。
 恥の中に生き続けることを拒否すべきです。
 それが、自分の言葉をもつということ
でもあります」

 (聞き手・高橋純子)
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コメント

日本は戦争に「敗けた」のではない。戦争は「終わった」のです。
このテーゼは、われわれもわかってはいたことなんですが、
忘れかけていました。
すり替えの歴史から日本の戦後ははじまってしまったんですね。
本質をついた記事、感謝です^^

Re: タイトルなし

> すり替えの歴史から日本の戦後ははじまってしまったんですね。
・ 何故すり替えたのか?
 そこが大問題で、戦争責任を反古ににするため。
 5月のポツダム宣言から玉音放送までの間に、日本と英米中枢の「交渉」があったと思っています。
 もちろん、普通に考えてないわけはないのですが問題はその中身です。
 戦後の冷戦対立を想定する米英と、国民の命よりも国体護持を最重要とする日本が、日本側の戦争の最高責任者について戦争責任を問わないという「談合」に至った。
 だからこそ、戦争責任は双方によって誤魔化されるとともに、国民が戦争責任を追及しないよう敗戦を終戦とすり替えるなどの方策を徹底したと考えます。
 これが戦後一貫して底流をなした「アジアには負けていない」論という感情妄想ですが、日本の戦後体制思想として培養されたがゆえに一種の「社会思想」として生き延び、97年以降の経済不況、国民の窮乏化が進むなかで大きく復活してきた、と思います。
 敗戦という事実を突きつけることが、戦争責任の不問、誤魔化しを崩し、歴史の偽造を改めさせる最大のポイントと思います。
 

「敗戦の本質」を見極める時

 この本には、あの戦争の真実を見極める「勇気と気力」を感じた。大東亜戦争が終わって69年、あれだけの戦争を行った我国の真実を無駄にしてはならない。
 さらに掘り下げて、「続永続敗戦論」・「永続勤勉論」・「永続国家論」を執筆して欲しい。お願いいたします。

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