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「昔はよかった」なんて、とんでもない!

 1955.jpg
 1955年千代田区永田町

   「昔はよかった」は本当か? 戦前の日本人のマナーがひどかった!  2013/12/10 ダ・ヴィンチニュース

 アルバイトがTwitterで悪ふざけした写真を投稿する“バイトテロ”や、相次ぐ食品偽装に対し、「日本人のモラルが低下した」と嘆く人は多い。
 なかには「戦後の民主主義教育のせいだ」「戦前の日本人はすばらしい道徳心を持っていた」と言う人もいる。
 だが、それは果たして本当なのか。
 そう疑わずにいられなくなる本が、『「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える』(大倉幸宏/新評論)だ。
 というのも本書には、現代人なら仰天必至の、戦前の日本人のマナーの悪さ、モラルの欠如が露わになっているからだ。

 たとえば、多くの人が行き来する駅や電車の中でのマナー。
 現代は混雑するホームで列をつくって電車を静かに待つ日本人の姿に、外国人から「さすが礼儀正しい」と称賛の声があがるが、大正時代のその光景は“傍若無人の見本市”。
 1919(大正8)年に発行された電車でのマナー向上のための小冊子には、「無理無体に他を押しのけたり、衣服を裂いたり、怪我をさせたり、まことに見るに堪えない混乱状態を演ずるのが普通であります」とある。
 こんな有様なのだから、電車が出発した後も車内はカオス。
 現在のようにお年寄りや病気の人に席を譲るという習慣はなく、先に座った者勝ちの状態。
 床には弁当の空き箱やミカンや柿の皮、ビールや日本酒、牛乳、サイダーの瓶などが捨てられ、ときには窓の外へ弁当箱やビール瓶などのゴミを投げ捨て、線路の保安員が重傷を負う事件もあったという。

 しかし、道徳心がなかったのは市井の人々だけではない。
 「天長節」という、かつての天皇誕生日に行われた政府主催のパーティーでさえ、出席者である国内外の“身分の高い人たち”によって、食器やフォーク、スプーンなどが持ち去さられたのだ。
 当時はこうした“窃盗行為”も、「日常的な光景」だったという。

 こうしたモラルのなさは、海外との貿易の場でも問題となった。
 戦後は日本の製品は質が良く安全だと評価されるようになったが、戦前は儲け重視で不正行為のオンパレード。
 とくに大正前期は「特許権の侵害や商標の盗用を繰り返し(中略)粗製濫造を重ねて」いたといい、油に水を混ぜたり、大豆に石を混ぜたりと、その手口も超ズサンだ。

 現在、深刻な問題となっている児童虐待も今に始まった話ではない。
 戦前の記録によれば、貧しくもないのに息子を学校にも通わせず、家事一切を強制し体罰を続けた父親や、女中と共謀して息子2人を全身に大やけどを負わせながらも幽閉状態にした母親など、虐待例は数多くある。
 なかには0歳の娘を犬小屋のような箱に寝かせたまま納屋に投げ込んで、5か月間ものあいだ満足に食事を与えなかったというネグレクトの事例も。

 「昔は近所づきあいが濃密だったけれど、今はそれもないから虐待を止められない」とはよく言われることだが、戦前も、虐待に気付かなかったり、知っていても通報をためらったり、単純に見て見ぬ振りをするなど「人間関係の希薄さ」が見えてくる。
 これについて著者は、「かつての地域社会に対する今日のイメージは、単に美化されているだけの部分が少なくないのかもしれません」と述べている。

 このほかにも、高齢者に対する虐待や、子どものいたずらの横行、しつけの甘さなど、戦前のモラルのなさを浮き彫りにする本書。
 こうして見ていくと、日本人のモラルは「もともと低かった」としかいいようがない。いや、むしろ今のほうがずっとマシ……というのが事実なのではないだろうか。

 それにしても、大正時代には東大の教授が“第一次世界大戦の終結後から道徳心が低下している”と著書で嘆き、明治時代には貴族院議員が“明治維新以降、日本人の道徳は破綻してしまった”と述べていることからもわかるように、つねに「昔はよかった」と昔を回顧し現状批判をするのが日本人の特性、なのかもしれない。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ (もうすぐ北風)
  戦後1950~60年代は?
 私が物心ついた子供のころは道路は土で、側溝は一部コンクリで一部は腐った木の蓋。
 私は5歳のころに腐った板を踏み抜いて落ちました。
 引っ張って助けられるまで2秒くらい、黒いドロドロのなかで立ち泳ぎをしていたような記憶があります。

 当時プラごみはなかったですが、ゴミは道路にポイ、馬糞が乾いて風に飛ぶので「馬糞風」。
 人間が宇宙旅行をするようになってもどぶ板はそのままだろうと思っていたら、70年代始めにいつの間にかUトラフ側溝とコンクリ蓋になり、道路はアスファルトに変わりました。
 そのころから道路にゴミを捨てない機運が高まったのでしょう。
 田舎だったので押し合いへし合いの記憶はあまりありません。
 
 70年代始めはまだ映画館もタバコは客席で吸い放題。床は吸い殻だらけ。
 列車内も吸い殻は灰皿ですが、灰は床。
 弁当箱や食べかす、空き瓶は座席の下に保管。床は汚いものでした。
 乗客がみな自分でデッキのくず入れにゴミを持っていくようになったのは70年代半ばくらいですかね。
 そもそも(?)列車のトイレがタンク式でないのもまだあったので、保線の人は悲惨な体験をしていたでしょう。
 当時線路沿いの小道はなるべく避けたものです。物騒なのと何が落ちているかわからないからです。

 ナイフ、フォークは持っていかないようですが、旅館のスリッパ、トイレのロール、会議室の灰皿などはバンバン持って行かれていたようですね。旅館の将棋盤が持って行かれた話がありました。

 60年代の日本製品はまだまだ「安かろう、悪かろう」の粗悪なもので、海外で品質を認められたのは70年代から80年代始めでした。
 今の中国は比べて早いくらいです。

 児童虐待というか、子どもの悪戯はひどく、私が5歳ころ2百mくらい離れた某社の社宅は水道がなく子ども数人でリヤカーに缶を積んで、共同給水栓(そういうものがあったのですよ)に水汲みに来るのです。
 すると、そこら近所からあらわれた悪童が社宅の子たちに石をぶつけるのですよ。社宅の子たちは一目散に逃げます。
 近所のおばさんが叱りつけていました。
 何回かあってからこの悪さがなくなったのは、大人がついてくるようになったからです。

 私は近所に当時15、6歳の「ゴロツキ番長」みたいな者がいて、嫌でしたね。
 小学生、それも低学年を集めて遊んだり、脅したりするので、避けてました。
 学校での教師の暴力は多かったです。
 教師に虐待されて中学生が自殺した噂さなどよくありました。

 「昔は良かった」なんてとても思えません。

 今、中国は国民のマナー向上、モラル向上を頑張っているようですが、やはり日本も30年くらいかかっているのですから、中国もこれから少なくとも20年はかかるのでしょう。

 それと、「昔は良かった」とする老人たちは都合の良いことだけ記憶に残って、嫌なことはみんな忘れてしまう、そう、ボケの初期症状なのではないでしょうか?
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コメント

過去は過去

 その昔、昭和の時代、未だ戦後の時代は、極々一部の金持ちはいざ知らず、日本は、日々の食事にも事欠く始末でした。
 私の生まれた京阪神の田園地帯では、舗装道路は、一部の国道のみで、雨と為れば村落の中の道は泥道に為り、歩くのも困難でした。 行政の生活支援は一切無く、物乞いをする人も良く見かけました。 多くの人々が野原でボロボロの服装のまま野宿していました。 
 ライフラインは何も無く、水道・ガス等は大都市のみにあり、電気は毎晩のように停電し、米は薪で炊き、冬季の暖は炭火のみでした。 
 子供は、殆ど栄養失調で、小学校では、栄養補給に鯨油で作った錠剤を買わされ飲みました。 学校にはエアコン等は一切無く、窓ガラスも破れたままでした。 当時、始まった給食は、食物では無く残飯のようで、脱脂粉乳は、臭くて飲めませんでしたし、パンは充分に焼けて居なくて、麦粉が泥のようになったままでした。
 たまに、親父に連れられて都市に出ると、其処は別世界でした。 ラーメンを食べて、こんな美味いものは無い、と思ったほどでした。 日々の食事は、小魚と野菜があれば良い方でしたから。 当時の自分の写真を観ると涙が出る程です。 肋骨が観える程に痩せていたのですから。 
 こんな生活で、私の友人は、ジフテリアで死にました。 小学校へ消毒のために保健所から沢山の職員が来たものです。 
 昔が良かったなんて、私達に云う人が居たならば、私も私の友人達も、一言も云わずに殴るでしょう。 

Re: 過去は過去

>  物乞いをする人も良く見かけました。
・ 物乞いするおこもさんと橋の下に住んでいる人がいました。60年代後半にはいなくなりましたが、おそらくは野に亡くなられたのだと思います。

>  電気は毎晩のように停電し、米は薪で炊き、
・ うちもでした。 

>  小学校では、栄養補給に鯨油で作った錠剤を買わされ飲みました。当時、始まった給食は、食物では無く残飯のようで、脱脂粉乳は、臭くて飲めませんでした
・ 錠剤は甘い味がついていて、腹が減ったときにいっぱい食べた私でした。
 脱脂粉乳は評判が悪かったですね。

>  ラーメンを食べて、こんな美味いものは無い、と思ったほどでした。 日々の食事は、小魚と野菜があれば良い方でしたから。
・ 麦入りご飯はやはりまずかったですね。親子4人で汁に玉子一個を溶き卵にしてました。
 ラーメンは今も大の好物ですが、言われてみると、幼いころの感動のせいかも知れません。

 特に戦後昭和の20年代、30年代始め頃までは「食べるのが精一杯」どころか「やっとどうにか食べている」状態。
 貧乏でした。思い出すには、親は子どもを抱えて大変だったと思うばかりです。

 そうですね。「昔は良かった」などと言う人は、ボケの初期症状の人の他に、昔「良かった」人=金持ちだった人がいますね。

昔は良かった本当に

20代の頃(40年くらい前)肉屋に勤めていたが,死にそうな牛を飼ってきてその牛肉を売っていたり,牛ミンチの中身はマトンばっかりだったり,マトンレッグを牛肉と偽って売ってみたり,豚ミンチは脂肪だらけでハンバーグにしてフライパンで焼くと半分くらいに縮んでしまったりでむちゃくちゃだった。
何をやっても自由だった。昔は良かった。道徳とかを気にせずやれたから。だましたもん勝ちで。店長は売上金くすねたりで。
昔は良かった

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