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もうすぐ北風が強くなる

おばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーたちを助けた

 豪雪は2/14から始まり、15日には山梨県が全域陸の孤島。同じく関東山添のあちことで市町村が孤立状態となった。
 大手全国マスコミはこれをほとんど報道せず、異常なほどの対応の遅れを招いた。
 マスコミは17日にやっと全国報道し、政府は重い腰をやっとあげた。
 既に前日から取り組んでいた新潟県は17日、山梨県、埼玉県、群馬県に入り、独自に救援除雪を開始している。

 そんななかで報道されていないが、各地で独自に様々な救援活動を行った人々が居たことだろう。
 15日に福島の4号線で雪に埋まり孤立したドライバーたちは、翌朝、大雪をこいであらわれた仮設住宅のおばあちゃんたちに救援された。
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 松川4号線
 福島市松川町の国道4号。奥の高台に飯舘村の仮設住宅がある。

   雪の国道へ命のおにぎり-飯舘村の恩返し 2/20 高橋宏一郎 | 共同通信福島支局長

東日本で記録的な大雪となった先週末、福島市郊外の国道4号でも立ち往生したトラックや乗用車が行き場を失い、ドライバーは食べるものもなく途方に暮れていました。
そこへ炊きたてのおにぎりを差し入れに来たのは、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民でした。
持病のため運転席で意識を失いかけていた人が、温かいおにぎりで命拾いしたそうです。
東京電力福島第1原発事故に伴う避難が3年近く続く村民たちは「これまで国内外からさまざまな支援を受けてきた、ほんの恩返し」と謙虚に振り返っています。

福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51歳)は土曜日の15日午前、福島市への配送を終え、郡山市の会社に戻る途中でした。
激しく降り続く雪で国道は大渋滞。福島市松川町付近で車列は全く動かなくなってしまいました。

ペットボトルの水とお茶だけで一昼夜をしのいだ増子さんですが、翌16日、持病の糖尿の影響で低血糖状態に陥り、意識が遠のきました。
ふと気付くと、車の窓をノックする音がしました。「おにぎり食べて」と差し出されました。

誰だろうと不思議に思い、言葉を交わすと、国道を見下ろす高台にある飯舘村の仮設住宅の人たちでした。
前日から同じ車がずらりと止まり続けていることに女性たちが気付き、自治会長に炊き出しを提案したそうです。
富山県高岡市のお寺から支援物資として仮設に届いていたコシヒカリが1斗5升ありました。
急きょ集会所で炊き、20人ほどが自室からのりと梅干しを持ち寄って約300個握りました。

炊きたてだから冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪をかき分けて国道沿いを歩き、1台1台車をのぞき込んでは1人1個ずつ渡して回りました

おにぎりを口にした増子さんは、おかげで意識もしっかり戻りました。
もったいないから半分にして、時間を置いて食べました。温かくて、おいしくて、一生忘れられない。仮設で厳しい暮らしをしているだろうに、こうして人助けをしてくれるなんて、頭が下がります」と言っています。

仮設の女性たちは増子さんのこの言葉を聞いて「お腹が減っているだろうからと軽い気持ちだったのに、病気の人が命救われたと感謝してくれているなんて」と、涙を流して感激しました。
婦人会長の佐藤美喜子さん(62歳)は「震災からこれまで、私たちは数え切れないほど多くの人に助けられてきました。今回のことで、またあしたから頑張ろうと私たちにも励みになりました」と話してくれました。

飯舘村は中心部が福島第1原発から北西に約40キロ。
放射線量の高い地域が多く、村民約6600人のほとんどが村の外で避難生活を続けています。
距離がありますから、原発とは何の縁もゆかりもなく暮らしてきた人々です。
原発事故直後の風向きの影響で、運悪く大量の放射性物質が降り注いでしまいました。

手間をかける、ていねいにという意味の方言「までいに」が合い言葉の、緑豊かな山里でした。
農林業や畜産が主産業。
全村避難で村を離れなければならなくなった時、酪農家の人たちは涙ながらに子牛や親牛を手放しました。
今でも牛の話になると、村の人はぽろぽろ涙をこぼして泣くのです。そういう純朴な山あいの村です。

村の自宅は帰還困難区域にある。
放射線量の濃淡で、除染が済めば村に帰れる見込みがある地域と、帰還はまったく難しいという地域があります。
もともと3~4世代の大家族ばかりでしたが、若い世代は東京など遠方へ避難。
中高年層は福島市や郡山市といった県内都市部の借り上げ住宅、
高齢層は近隣の仮設住宅と、家族は大きく分断されました。

ふるさとに帰りたいという気持ちはもちろんあります。
だけど、若い世代が戻って来ない中で年寄りばかりで村に帰っても、買い物や病院通いの送り迎えはどうするのか、元のように野良仕事をしたいけど、田畑は放射能に汚染されて荒れ放題。隣近所が離れた村よりも、肩寄せ合って3年近く我慢してきた仮設の長屋暮らしのほうが、まだましかもしれないと思ったりもするそうです。
この先どうしていくべきなのか、どうなっていくのか、定まった見通しは誰にもありません。

そんなじいちゃん、ばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーを助けに回ったのです。
まさに、助け、助けられて人は生きています。
話を聞きながら、私自身も胸と目頭が熱くなりました。

増子さんの妹、恵さんがラジオ福島の名物アナウンサー大和田新さんにメールを寄せ、放送でこの話が紹介されて福島県内のリスナーから大きな反響がありました。
恵さんは車いすバスケットボールの日本代表選手で、2000年のシドニーパラリンピックで銅メダルを獲得した際、私が現地で取材した縁が続いていました。
大和田さんは私が2年前に福島に赴任して以降、福島の実情を最もたくさん教えてくれた地元メディアの先輩です。

そんな人のつながりで耳にした、心揺さぶられるニュースでした。
共同通信の記事として昨日(19日)夕方に配信、福島民報、福島民友を始めとした本日(20日)の各紙朝刊に多く載せてもらっています。
このページをお借りして、さらに全国、全世界の皆さんにお伝えしたいと思います。

 仮設
 笑顔で炊き出しの様子を振り返る飯舘村のばあちゃんたち。この写真は半分です。たぶん、おにぎりは握らないが1mの雪をかいて頑張ったじいちゃんたちは後ろです。
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