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この惨状こそが原子力発電の現実、グッドマン:ガーディアン紙

3号機爆発

   【 福島第一原発、この惨状こそが原子力発電の現実 】  エイミー・グッドマン(『デモクラシーNOW』 メインキャスター) / ザ・ガーディアン紙  1/22  翻訳「星の金貨」氏から

かつてジャーナリストのウィルフレッド・バーチェットは、広島を取材した後でこう記しました。
「私はこれらの事実が今後の人類への警告として有効に使われるよう、可能な限り客観的に記録していくつもりである。」

彼の書いた記事は1945年9月5日付のロンドン・デイリーエクスプレスの第一面に、『原子爆弾の大厄災』の見出しとともに掲載されました。

バーチェットは広島を封鎖しているアメリカ軍の目をかいくぐり、破壊されつくした広島の街に西側ジャーナリストとして初めて足を踏み入れました。
彼はこう伝えました。
「広島は、とてものこと爆撃された都市のようには見えません。怪物のような巨大なローラーによって地上にあるものすべてを何度も押しつぶした跡のように、私の目には映りました。」

そして話は66年後の約900キロ北、2011年3月11日、福島第一原子力発電所と東日本大地震へと舞台を移します。

すでに世界的に何度も報道された通り、19,000もの人命を奪った最初の巨大な災害は、さらにそれを上回る規模の災害の始まりを告げるものだったのです。

史上まれにみる巨大災害は、福島第一原子力発電所において人間が作り出したシステムを連鎖反応的に機能停止に陥らせ、見る間に人間自らが作り出した災害へと姿を変えていきました

6基の原子炉のうち3基ではメルトダウンが始まりました。
その結果、環境中、そして海へと大量の放射性物質が放出され、場所によっては人間が近づくこともできない程に汚染されてしまったのです。

そしてもうすぐ3年の月日が経とうとしている今も、日本はまだ災害の後遺症に苦しみ続けています。
実に340,000人以上が原子力発電所事故の被災者になりました。
被災者は住んでいた家を追われ、暮らしていくための生計手段を捨て去らなければなりませんでした。

映画製作者舟橋淳氏は映画『Nuclear Nation(原子力国家): フタバから遠く離れて』を監督制作しました。
舟橋監督はこの映画の中で福島第一原発が立地していた双葉町の人々の、事故発生後1年間の姿を追い続けます。

日本政府は避難民を東京近郊の廃校となった小学校に収容しました。
その場所で避難民の人々は複数の家族がひとつのせまくて窮屈な部屋に押し込められ、1日3回食事の提供を受けています。

私はここにいる1,400人の人々にはこれから先どのような見通しがあるかについて、舟橋監督に尋ねました。
ほとんど何もありません。日本政府から伝えられたことはたった一つ、少なくとも事故発生から6年間は故郷に戻ることはできないという事実だけです。」
舟橋監督はこう答えました。

避難民は2時間に限って、身の回りの品々を取りに自宅に戻ることを許されました。
かつてウィルフレッド・バーチェットがそうしたように、舟橋監督もとある一家族の心を打つ瞬間を映像に収めるため、日本政府が定めた禁止事項に違反せざるを得ませんでした。
舟橋監督は彼が記録を行っていた家族が、4つ持っていた許可証のひとつをどのようにして監督に提供したのかを説明してくれました。

「私は最初、政府から撮影許可を得ようとしましたが、避難区域内に立ち入るためのどのような許可も得ることはできませんでした。日本政府はフリージャーナリストとドキュメンタリー映画製作者には、避難区域内に立ち入ることを一切許可していませんでした。」
「でも私は双葉町出身の子の家族との間には、しっかりした信頼関係を築いていました。」
彼はこのように説明してくれました。

しかし監督とこの家族は避難区域内への一時帰郷の間、常にこそこそびくびくしていなければならなかったのです。

舟橋監督の取材への拒絶は東日本大震災以降、日本の民主主義にとって最大の問題の発生を暗示するものでした。
特定秘密保護法です。

日本の保守派の領袖のひとりである安倍晋三首相は、議題に上った時点から反対意見の多かった特定秘密保護法を昨年12月に成立させました。
東京の上智大学の中野孝一教授は次のように語りました。
「もちろん、この法律の主眼とするところは安全保障問題とテロリスト対策です。
しかし何が国家機密にあたるのかという定義については極めてあいまいであり、政府高官が自由に裁定できるという事が徐々に明らかになりました。
例えば反原発運動ですら、それを行っている市民が知らない間に監視下に置かれ、突然逮捕されるという事が起こりうるのです。」

福島第一原発の事故以来、日本国内では脱原発を目指す市民運動がかつてない程の盛り上がりを見せ、国内各所の原子力発電所を廃炉にするよう求めています。

東日本大震災発生当時首相を務めていた菅直人氏は、原子力発電に対する自分の考え方がどのように変わったか、以下のように説明しました。

『2011年3月11日以前の原子力発電に対する私の考え方は、安全対策がしっかり取られている限り、原子力発電所の運営は可能であり、続けられるべきであるというものでした。

しかし、3月11日の東日本大震災を経験した後、私は180度、その考えを完全に変えました。
5000万もの人々に影響を及ぼすような事故、あるいは災害は原子力発電所事故以外には考えられません
戦争ならそのようなことがあるかもしれませんが、事故によってこれ程の悲劇を引き起こすものは他には存在しないでしょう。』

圧倒的多数の国民が反対しているにもかかわらず、安倍首相は第二次世界大戦以降最も保守的な内閣を率い、国内の原子力発電所を再開しようとしています
このような姿勢に対し、東京では首相官邸前で一般市民の抗議が続いています。

人間の手によるこのような破壊の跡を見ると、全身が空しい気持ちに襲われます。
1945年に被爆直後の広島を訪れ、一面のがれきの中に立ったウィルフレッド・バーチェットはこのように記しました。
アメリカが2度に渡り、広島と長崎に原爆を投下し、一般市民に対する無差別殺戮を行ったことは今日に至るまで日本の人々にとって大きな影響を与え続けています。
それと同様、地震、津波、そして未だに進行中の福島第一原子力発電所の事故による三重災害による影響は、今後数世代に渡って続くことになります

核兵器から原子力発電へとつながる危険な連鎖は、平和で安定した社会を求める人々から疑問を突きつけられています。

福島第一原発の事故は、世界中の人間が自らに対する教訓として受け止めるべきものなのです。

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/jan/16/fukushima-is-a-warning
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