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欧米が仕掛ける民族という火種

イスラム7・8
 7-8世紀のイスラム世界

 7世紀に始まるイスラムは社会生活、経済生活と政治をも含む社会規範であり、それ故にイスラム法学ともいわれる。故にイスラムを信仰するもの以外に対しても一定の普遍的な規範として機能する。
 ゆえに容易に多民族にいきわたり、異教を排除しないので多民族、他宗教社会として急速に広がった。
 西ヨーロッパが「暗黒の中世」だった8世紀、すでに西アフリカ、イベリア半島、インダス川にいたる広大な地域はイスラム共同体として異教徒を含め空前の繁栄を誇っていた。

 イスラムは15世紀にイベリア半島から撤退したものの、中央ヨーロッパ、中央アジア、インド、マレー、インドネシアへと拡大を続けた。
 14世紀の小アジアに発したオスマン・トルコ帝国はビザンチンを破り、17世紀には中央ヨーロッパと中東、北アフリカといった旧来のイスラム共同体の地域を引き継ぐ位置を占めた。
 このイスラムを規範とする、多民族、他宗教国家は600年近く繁栄したが、英国の謀略戦によって解体された。

 13世紀ヴェネツィアに始まる国際金融資本はオランダから17世紀に英国上陸を果たし、ここから通貨制度と信用創造により産業革命と帝国主義侵略の道が始まった。
 中でも先達である英国の巧妙な世界制覇は西欧の中でも群を抜くものである。
 近代にはアフリカ、インド、中東、マレー、中国と拡大した英国の侵略は武力と合わせて極めて謀略的なことが特徴である。
 現在、旧ソ連圏諸国に対する「カラー革命」やら、中東に対する「アラブの春」やら、欧米の巧妙な仕掛けが続発しているが、すべて必ず英国が絡んでいる。
 欧米の戦略の典型例である英国の仕掛け、手口はオスマン・トルコ帝国の解体にも現れており、今の「アラブの春」も同様の手口が使われている。

 共通する社会規範(イスラムもそうである)を解体し、民族を煽り、民族自決の美名で世俗競争社会を体制として、欧米型モデルかできなければ世俗軍事独裁に落としこむというものである。
 英国によるオスマン・トルコ帝国の解体は典型であり、彼らは「民族」という火種を仕掛けて火をつけるのである。

 20世紀、第一次世界大戦の仕掛けとその戦後処理。セーブル条約なる架空のデマゴギーとそれに乗ったケマル・アタチュルクたち世俗派。

 筆者はトルコ在住の建築士。
 ーーーーーーーーーーーーーーーー
    英国流「漁夫の利」 12/13  「つれづればな」から (※ )はもうすぐ北風の補足です。

「アラブの春」が西欧によって書かれた台本に沿って進行していることをこのブログで再三指摘してきた。
民主化から取り残された市民が国家の主権を得るために戦う「聖戦」であるかのようにメディアにより描かれた一連の抗議行動を「春」などと呼ばされているが、それが如何に狡猾に設計されたものであるかを今回、あらためて遠巻きに眺めてみることにする。
 

大航海時代の覇王であり、産業革命の旗手であり、第一次大戦の連合軍筆頭であり、国際連盟常任理事国であった国、冷たい海に浮かぶろくに資源もない小さな島国でありながら常に世界の頂点にあるのは「英国」である。
いったいどういう頭脳をしているのかは知らないが、とにかくこの国の手段は人間業とは思えない。
まず他国の内側に墨の如く染み入り人心を惑わして均衡を崩す。その混乱に乗じてその国の体制を作り変える
(※ 日本では、幕末期に英国と国際金融資本がグラバー(サッスーン香港上海銀行-マセソン商会)により反幕府の人材を集め、留学させ、資金、武器を供与して倒幕、明治維新へと進めたことが想起されます。)

そのときに恨みと争いの火薬を綿密に仕込んでおくことを忘れず、時が来れば発火させて煽りたて内戦や紛争を起こす。
しかもこの火薬は自らの手を汚さずに何度でも激しさを増しながら繰り返し燃え上がらせることができる。
もちろん英国の描いた世界設計図に合うように、的確にである。
英国が戦争で大暴れをすることはなく、また積極外交もしない。
知恵を使って座りしままに漁夫に利を得るのがこの国流である。

中世も終わる頃、航海技術の進歩から世界の「かたち」が認識されるようになった。
農業生産中心の自国経済に限界を見出し、アジアや南米・アフリカ大陸からの搾取を前提とする貿易経済に移行した西欧は、さらに国外から安価で仕入れた材料で工業生産を行う形で発展を図った。
産業革命である。そのための労働者は国内にいくらでもいた。産業が拡張するに従い徐々に需要が増したのが資源である。

西欧世界の資源庫はまずアフリカが挙げられる。必定、アフリカは次々と西欧列強に征服される運命をたどる。
しかし欧州からもっと近いところに石油も石炭もうなるほど隠されていた。
イラク、シリア、エジプト、アラビア半島、北アフリカ…どれもオスマントルコ帝国の版図にあった。

オスマン17
 17世紀のオスマン・トルコ帝国
 
第一次世界大戦の場合、「バルカン半島の民族自決の擁護」がこの戦争を正当化する材料であり「サラエボ事件」が大戦の発端となった。
言うまでもなくこれは戦争を起こすための名目でしかない。
ヨーロッパの火薬庫」という20世紀初頭のバルカン半島を形容したこの言葉はあまりに有名である。
オスマントルコ帝国の領土であったこの地域に共存していた多様な民族は、18世紀の終わりからすこしづつその手を振り切り、「民族自決」を合言葉にそれぞれの国土を主張し第一次大戦前までに小さな王朝がいくつも誕生した。
大国の狭間でどれも国家として成立する力のないほどの小国をわざわざ生み出し、その後ろで西欧は民族間の緊張を高めようと画策し、満を持してセルビア青年に武器を与えオーストリア-ハンガリー王国皇太子を手にかけるというサラエボ事件を起こした。
自ら仕掛けた火薬庫にこうして火を放った

(じつはサラエボ事件の前に日本で似たような騒動があった。「大津事件」である。来日していたロシアの皇太子(後のニコライ二世)が日本人巡査に切りつけられ負傷したこの事件だがロシアとの戦争には発展しなかった。
不成功におわったとしてもこれが英国の差し金によるロシア挑発だったとすれば、血の日曜日も日露戦争ももっと早く起こっていたかもしれない。)
 
結果からいえばオスマントルコ帝国は第一次世界大戦に臨みドイツ・オーストリア側にについて敗戦し割譲を受ける。
トルコの領土はアナトリア半島と呼ばれる一帯のみを残し、旧オスマントルコ帝国の領土からは20カ国にのぼる大量の独立国が誕生する
「イスラーム」という一つの共同体意識のもと、異人種、異民族、異言語という壁を壁ともせずに栄えていた帝国を内側から焚きつけるための火種、それは「民族自決」の一言であった。


敗戦国は戦後処理の名の下に、戦勝国の監視により国家体制の作り替えを強制される。
中世であればただ属州とされる所だが近代の理屈ではそうも行かない。
すでに通信が発達したこの時代、露骨な侵略支配を行えば当事国以外にも評価が残り後の時代まで侵略国の汚名を背負うであろうことはすでに理解されていた。
ここで国際世論にも、そして後の歴史認識にも有無を言わせないための大義名分を打ち立てることが提案された。そこで1920年に国際秩序の監視役として正式に誕生した組織こそ国際連盟である。
表向きは「国際紛争の平和的解決と国際協力のための機関」、その実は西欧中心の新世界秩序を正当化するための国際会議である。

常任理事国は英・仏・伊、そして日本であった。
有史以来地中海世界と接触が皆無である日本をわざわざ参入させたのは理事会の中立性を演出する茶番といえる。第一次世界大戦の目的と連盟樹立の意義はこのトルコ割譲であった。

トルコが連合軍に突きつけられた新国家体制とは、

1. 帝国という旧態依然とした枠組みを廃止して周辺の資源地帯を手放し
2. 政治からイスラームを払拭し旧領の独立国との結束を捨て
3. 西欧寄りの世俗国家としての道を行き西欧の政治・経済・軍事に寄与する


これが大筋である。
これに背けば連盟から非難を受け、将来にわたり国際条約を締結する折に何もかも不利にはたらく
連盟も、その後の連合もただの巨大な権威組織であり国際平和などは夢にも思わない。
 

イスラームとは信仰という枠の中にはとどまらず、生活と社会の規範としての重要な役割があった。
イスラム帝国であるオスマントルコの領内の政治経済その他全ての規約はクルアーンに基づくイスラム法によるものであり、それぞれ異なる言語と歴史を持つ多様な民族を抱えながらも帝国の内部の均衡はイスラームの屋根の下にしかと保たれていた。
異教徒は人頭税を納めることで帝国市民権を得られ兵役は免除されていた。

英国は19世紀初頭からしきりに民族自決を囁き資源地帯の属州をトルコから精神的に遠ざけようと画策していた。
それが功を奏してアラビア半島、北アフリカ一帯の造反があいついで帝国はほころび始め、大戦勃発までに混乱は明らかなものとなった。
帝国から独立を果たした資源地帯の国々は以下のとおり、モロッコ、アルジェリア、リビア、チュニジア、エジプト、パレスチナ、サウジアラビア、アラブ首長国、イエメン、バーレーン、クウェート、カタール、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、
西欧の手口が巧妙と言わざる得ないのは、見事なほどちりじりばらばらに独立させたところにある。
この国々は現代も近隣国と協力関係を築くことより目先の利益から欧米の指人形として働くことを選ぶ
エジプトでは英国委任統治時代にオスマントルコへの帰属か英国の統治を継続するかを巡り市民投票が行われたが、西欧化を求めるだろうと踏んでいた英国の算段を裏切りエジプト市民の大多数はトルコ帰属を選択した。
こうした想定外の事件には「市民に教育が足りないので選挙無効」という処理法も持ち合わせていた。
2012年のエジプトでの大統領選挙を無効にしたあの事件は実は英国のお家芸であった。


さらに、帝国の解体後に新生国家郡が再びイスラム連合として結束することを危惧した英国はイスラームの最高指導者であるカリフを廃して国外に追放した。
カリフとは預言者の代理人、言うなればカトリック世界のローマ法王にあたる聖職であり、帝国誕生以来首都のイスタンブールに座し世界のスンニ派イスラム教社会の信仰生活と政治の指針を担っていた。
イスラム世界はこうして求心力を失うことで迷走し、それが今日のイスラム社会の諸問題の原因となった。

いかに敗戦国といえど西欧にここまでの無体を受けてなおトルコは西欧化と世俗化を受け入れるのだろうか、それが受け入れたのである。巧妙な仕掛けは尽きない。

(オスマントルコ帝国と日本とは少しも関わりがない。しかし少なからず西欧というものに疑いの目を持つ方々には、これまでの話しが開国と敗戦という日本の被った二度の痛手と妙に共通するところがあることは感じていただけると存じる。)

歴史の授業では「セーブル条約」なるものも習う。
1920年に連合国とオスマントルコとの間で交わされた戦後処理条約であるが、それによればトルコはアンカラ周辺の狭小な地域のみの領有を認められたとある
トルコ人が嘆き、怒り、失望に陥る中で一人の軍人が彗星の如く現れ、ギリシア駐屯軍を蹴散らしてイズミルを奪還し一気に共和政府を樹立し初代大統領を名乗った
そしてセーブル条約からたった三年でトルコは旧態依然とした帝国から見事民主化を果たしたと連盟に評価され「ローザンヌ条約」を締結、それにより現在の国境線まで国土を回復したとある
その軍人とは建国の父と謳われるケマル・アタテュルクである。

だがセーブル条約などはどこにも存在しない
英国はロシアで確立しつつあった共産圏に対する緩衝地帯としてトルコを温存したかった。
しかし西欧へのトルコの国民感情は最悪でありその反動からロシアに靡くことを懸念したため、黒海沿岸と東部トルコをロシアに与えて残りの海岸線地帯を英・仏・伊が割拠するという戦後処理案をちらつかせたのみであった。
つまり「脅し」をかけトルコが西欧への仲間入りを泣いて懇願するように仕向けたのである。
現代のトルコの領土は最初から英国の描いた国境線の中にある。
架空セーブル条約は将来トルコ軍部が国内向けにおおいに利用した
「セーブル条約」を信じたトルコ国民は死刑宣告に近い悪夢を見た。
それを西洋人の目の前で破り捨てたとされるアタテュルクに対し国民はこの世が終わる日まで感謝を捧げ続けなければならないような錯覚に囚われた。
アタテュルクは死後にいわば神格化され、彼のその遺志を継いだとされる「ケマリスト」たちの専横がはじまった。
西欧の属国として「民主主義世俗国家トルコ」を作る傍ら国内の民族間の不協和音を指揮した。
クルド民族のテロ問題は民族問題などではない。
テロさえあれば失業しない軍部と、民族問題さえあれば民族主義の風を吹かせて国を牛耳ることができるケマリストと、ケマリストさえいればトルコを属国として扱える英国の共有財産である。


はたしてその火薬とは、ただの民族意識を敵対の道具に仕立て上げた「民族主義」である。

人種とは肌の色に代表される生物学的な括りである。さらにそれを言語、信仰、国境、記憶などの細かい括りで別けたものを「民族」と呼んでいる。
人間の遺伝子情報を俯瞰すれば民族間の差異などはじつに僅かなもの、いや皆無といえる場合もある。
しかし人種と民族の違いに由来する争いは絶えることがない。
人種による差別はやや前時代的なものになったとしても「民族」の問題は逆に加速をみせている。そうさせているのはその僅かな違いではない。

幼い頃、子供たちの間には罪のない差別と支配がそこらじゅうにあった。
好きな歌手が違うから、着ている服が変わっているから、大人びているから、特技があるから、とにかく虫が好かないから、と、言い出せばきりがないが自分たちとは何かどこかが違う少数派を差別し、多少なりとも攻撃した経験が誰にでもある。
あるいは逆の記憶もあるだろう。子供たちの社会で起こる現象は自然にちかい。
ならば人の中には差別という自然が備わっていると言ってもいい。
ではなぜ差別をしてしまうか、それはひとえに保身のためである。
自分たちにない特徴を持つものと行動を共にすると厄介なことになる、あるいは損をする。
その日までに築いた自分らなりの規律や価値観を壊される、だから異分子を受け入れたくない。
これこそ「虫が好かない」の構造である。
生存圏を維持するための本能のようなものであり、差別そのものに罪はない。

幼い兄弟がいるとする。兄は弟のおやつをよこせと言い、弟が作りかけた積み木の塔を横取りして作り変え、一緒に遊ぶときもどう遊ぶかを指示して従わせる。
これは強い方が弱い方に対して抱く支配欲求である。
親(特に母親)と子、夫婦、友人、教師と生徒、どちらが強者であるかはその都度かわりえるが、支配欲というものは人が出くわすあらゆる関係のなかで必ず頭をもたげる。これもまた人の中の自然である。
人が生存圏の拡大と充実を無意識に求めるために起こる。

しかし差別心も支配欲も相手の存在を認めることで鎖につなぐことができる。
相手の持つ自分との違いを魅力と認識できるようになれば状況は大きく変わる。
そのためにはお互いが人として成長するか、または心ある大人に諭されるかを待たなければならない。

差別も支配も源とするのは利己である。
人が生まれながらにして利己であることは昔も今もかわらない。
しかし人がみな利己を貫いたのでは草生えぬ土地となり子や孫たちが生きる場所を失うことを、時代とともに学びあらゆる形で戒めてきた。
それが人である。利己と戦い、躾け、他者との共存を模索してきた。
ときに成功し、ときには不毛の荒野に墓標すら残らない。それが人の世である。


もともと利己な人々が集団で生きるために従わなければならない規範、古代においてそれは信仰であった。
神の怒りを恐れることで自らを律し、神の報いを期待して善行をおこない、神との繋がりのなかで集団の価値世界を築いた。その世界を共有したものが「民族」の始まりである。
民族は分裂と融合を繰り返し、移動し、互いに価値を認め合えない異民族を蹴散らし、あるいは圧力をけ、反抗する者を抹殺した。
恭順する者を支配した。支配を逃れて新天地を目指した。
民族の生存圏を維持し拡大するための行動の軌跡が歴史である。

時代は降り、神に代わり或いは神の名において人を従えたのが国である。
法に書かれた罪と罰の規範の中で人は否が応でも利己を抑えて国を共有した。
軍事・経済・政治の面から強大な帝国に多民族が専制的に統括されることで戦争の起こりにくい時代を築いたこともあった。それがローマであり清であり、オスマントルコであった。
規模は異なるがムガール帝国も江戸時代の日本もそうであった。

こうして眺めれば「人」と「民族」は相似の関係にあることがよくわかる。
すなわち民族間の差別や支配も「利己」を源としている。
一つの民族の中の個々が所属する共同体の価値と利益のために他の民族を疎外し、嫌悪し、あるいは利用して支配する。
その構造の利用法を「民族主義」として開発したのが英国
、それを煽り立て起きない戦争を起こしてきた。
ローマは古いのでともかくとして、清もオスマントルコもインドも江戸幕府も英国にしてやられたではないか。

英国は外交の表舞台から姿を隠した。
かわりに饒舌になったのが米国とイスラエルだが同じこと、鵜にくくりつけた縄を引くのは未だに英国である。


民族自決という美辞により独立建国を果たした国をみれば今、スンニ派が大多数をしめる国にシーア派の支配者がいる。シリアがそうである。
その逆はバーレーンである。
それぞれ他民族の住む複数の地域を無理に国としてまとめられたのはイラクである。
虐殺の記憶の中で民族同士が敵視しあう国がある。ソマリア、ウガンダ、旧ユーゴ、パレスチナである。
遠隔操作の爆弾を抱えさせられ主権も主張もできない国に自決も何もあったものではない。

政教分離という麗句は民族問題の解決策のひとつかのように聞こえるがどうだろう。
特定の信仰・宗派が優遇されないためとされるこの政策は非キリスト教国の悪夢であった。
これにより教育と風習から信仰心が叩き出された。
結果として英国を背後に持つ世俗主義者の手に政治を受け渡すことになった。
エジプトが、シリアが、チュニジアが、湾岸諸国が、その他西欧に支配を受けた全ての地域がそうである。

このような国々では日々、西欧の資金と入れ知恵で抗議集会や暴動が起こされ西欧から好かれない分子は現地の軍部に一掃される
時に起こる大虐殺をには自決権のある独立国に対し外から干渉することはできないと目をつぶり、そうかと思えば別の国には人道人道と叫びながら空軍がミサイルを撒き火事場泥棒を働く。
民族自決を謳った当事者はいま「グローバル化」と称して世界を均一に扱うことを標榜している。
グローバルな世界には民族も信仰も言語も記憶も何もない。
人はただの労働者と消費者であり、人と人との間には貨幣と物質の交換の他の何もない。
こんな連中のいうことを鵜呑みにしていては明日はない



さて日本、近隣国との仲がこじれた経緯は近代史にきざまれている
どの悲劇も遡れば英国に行き着く
(※ 英国と国際金融資本の支援によるによる倒幕か台湾、朝鮮、中国と侵略を進めた日本の近代史)

恨みの記憶、言葉と思想の違い、人がみな生まれつき背負うもの、それを火薬たらしめる者たちから死守しなければならない。
手を変え品を変え近づく卑怯者どもに隙を与えてはならない、

そのためには近代から戦後にかけ英国とその弟子(※ 米国)たちから教えられた全てのことをいまいちど吟味すべきである。
わが子たちに火薬を背負わせ火の中に歩ませてはいけない。
 ーーーーーーーーーーーーーー 
 ※ このブログ内でのアラブ、イスラム、パレスチナ関係ページのリンク。

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コメント

こんにちは

ご掲載ありがとうございます。

過去記事にある方から寄せていただいた国民国家的なコメントに対する返事として書いた記事です。国を大事に思う気持ちと利己からくる差別を混同してはいけないと思っております。

またよろしくお願いします。

複雑ですね

 「陰謀論」とは言い切れないところがあるので複雑ですね。 
 そもそも「英国」と日本語では云いますが、一つの国では無くて、その略称をU.K.と呼ぶとおりの連合王国ですから。 民族的にも、大きく分けてアングロ・サクソンとケルトに別れ、近年では、旧植民地の民族とともに多人種国家に変貌していますし。 
 国民は、一億も居ないし、その昔は、もっと少なかったので、他国を植民地にするにも支配するにも、武力に頼るばかりでは出来る筈もありません。 全てが、所謂、「陰謀」ではありませんし、旧植民地諸国が今でも、「英連邦」に参画している事実を観ますと、英国が何等かの触媒になった歴史も存在するのでしょう。 
 幕末には、薩長とも砲火を交えた英国が、却って、薩長の侍達の気慨に感嘆し、A・サトウを中心として薩長を援助し明治維新に繋げました。 日露戦争にあっても、直接には参戦せずとも、援助を惜しまず、特に、バルチック艦隊の行動を、逐一、日本に情報伝達する等、日本の勝利には無くてはならない力となったのです。 何しろ、連合艦隊の主力艦は、全てメイドインU.K.だったのですし、東郷平八郎は、英国海軍の薫陶を受けたのですから。 
 彼の国とその人々には、学ぶところが多い、と私は、思います。 自国の植民地としての歴史に終止符を打つ人物・ガンジーに、法曹としての教育を授け、非暴力・不服従の運動に理解を示したのがその国の民衆であったのも、反語的ですが興味深い事実です。 

Re: こんにちは

歴史への深い洞察と解明する力に、いつも敬服しております。
私も国民国家と言う言葉は使いますが、歴史的には産業革命により帝国主義に至った列強が本国組織として管理通貨、徴兵制、義務教育を強化したもの。後から普通選挙権が追加され「国民国家」と言う概念になりましたが、この「国民国家」こそが別名「帝国主義」であると考えています。
曲がりなりにもの「民主制度」と言う言い方もしますが、「国民国家」は帝国主義の本国を支える制度なので、当然ながら、この帝国主義本国の民主制度の恩恵を受けた「強力な労組」も「強力な民主派左派」も「自国の帝国主義侵略への反対が極めて弱い」性質があると思います。
西欧民主制度、その思想は常に自国内、あるいはせいぜい欧米のことであって、欧米による帝国主義への無力さがその限界を示している。
小沢一郎&堀茂樹の対談で小沢氏が上記の類を発言し、聴衆が湧いたため、堀氏が「私しゃ西洋かぶれで…..。」と言いたのが印象的でしたが、まさしく、欧米民主主義、国民国家はそう安易に全面賛美するべきものではない。
あくまで列強の帝国主義本国の「曲がりなりにも」付きの制度と言う認識。侵略の歯止めにも後進国や属国の自主独立にはあまり役には立たない。
指摘された「民族自決」の罠、民族問題を火種として体制を転覆する列強の歴史事実。
慧眼です。
民族対立を煽り、煽られる日本人は世界に孤立しつつありますが、英国を典型とする彼らが長年にわたって民族問題を火種と使ってきたことを学ばなければならないと思いました。
ポイントは民族が利己的差別に利用されていること。重大な点と思いました。

Re: 複雑ですね

歴史認識についての基本的な視点がやや異なるようですが、なるべく一方的にならないように述べてみます。

古代社会から現代にいたる歴史の進展は偶然ではなく、進化系統樹に則ったものでもない。
歴史の進展はもっぱら自然環境の変化(後氷期の緩やかな寒冷、乾燥化)と対応した生産力の向上、伴う労働生産力の支配構造(祭事の結合、奴隷制、封建制、資本主義市場)の高度化と考えています。
そのなかで自然環境の「ぶり返し」は多々あるわけですが、その全てで「原始」状態に戻るわけではありません。
逆に殆どの場合は、生産技術、社会政治(戦争を含む)などによって対応し乗り越えています。
社会政治構造とその運動とは、労働生産力の制御にほかなりません。
そしてその運動は極めて主体的な人間の「意志」が発揮されています。
つまり、歴史の進展は部族、血族、社会集団などの「主体的な意志」を抜きには認識されません。

日本は古代から「核家族」が主流だったようですが、世界の殆どは血族部族が第一義の集団であったわけですから、当然日本とは違い子々孫々50年どころか500年のスパンで利害得失を考慮し、戦略な意志を持つのは当然です。
血族部族は拡大していわゆる民族化しますが、その過程は皆さんご存知の通り戦争の常態化に進みます。
これを多民族他宗派を含む社会規範を設けることで統合された共同体にしようとする試みが古代宗教、イスラム、共産主義などと考えています。
イスラムが元来普遍的な社会規範性を持っていたのは当然かと思います。(のちのち欧米列強に分割され偽装の民族化をしたために、現在はサウジなどに典型的な超保守規範が「国家」の名のもとに強制されています。)

歴史の進展が部族、血族、社会集団などの「主体的な意志」を抜きには認識されないこと。
近代の西欧で歴史認識は大いに進歩したことになっています。
近代とは欧米が産業革命から資本主義(じきに帝国主義)に突入した時期をいうのですから、欧米の歴史認識の進歩なるものは、欧米支配層の子々孫々50年どころか500年のスパンで利害得失を考慮し、戦略な意志を持つのは当然です。
17世紀、北上した国際金融資本は英国に上陸し、管理通貨と信用創造により産業革命を引き起こし、アングロサクソンの武力と結合して、今に至る帝国主義の時代を作り上げました。
「歴史の偽造」は古代から常にあることです。

>  「陰謀論」とは言い切れないところがあるので複雑ですね。 

・ 巷にいういわゆる陰謀論は単なる話ネタの類から、支配層の歴史偽造、秘密と謀略を暴こうとする流れを貶めるために意図的に流される珍説陰謀説とそれに便乗する各説までを含むものであり、考慮できません。
要は歴史の進展はは主体的な「意志」が密接に絡んでいて当然であり、その「意志」(いつも成功するとは限らないが)は50年どころか500年の戦略で利害得失を考えており、英国の国家支配層が絡んでいることです。

> 旧植民地諸国が今でも、「英連邦」に参画している事実を観ますと、英国が何等かの触媒になった歴史も存在するのでしょう。 

・ 触媒どころか、植民地支配で英語を強制したので、各国支配層はみな英語が流暢です。よほど緊張対立に至らない限りは「英連邦」を抜けないだろうし、また解体もしないでしょう。

>  幕末には、薩長とも砲火を交えた英国が、却って、薩長の侍達の気慨に感嘆し、A・サトウを中心として薩長を援助し明治維新に繋げました。 日露戦争にあっても、直接には参戦せずとも、援助を惜しまず、特に、バルチック艦隊の行動を、逐一、日本に情報伝達する等、日本の勝利には無くてはならない力となったのです。

・ 歴史認識についてもう一つ重要な事は、その視点をどこに置くか、ということと思います。
 欧米の歴史認識は欧米支配層の子々孫々50年どころか500年のスパンで利害得失を考慮したもの、すなわち欧米支配層側の認識です。
 翻って、幕府側、当時の琉球、台湾、朝鮮などの民衆の利害得失からの視点からは大きく変わった認識になりませんか。
 日本は当時、明治維新以来当然ながら欧米の歴史認識を取り入れているので「侍達の気慨に感嘆し」となるのでしょう。
 「我らの100年の利害得失を考慮して幕府を倒し、明治政府を作った」などとはまさか言えません。 
 戦略な意志を意志をもってこそ、明治維新とその後直ちに近隣諸国に侵攻し、国際金融資本から巨額の債務を負ってまでロシアと開戦したわけです。
 誰の意志で?

>  彼の国(英国)とその人々には、学ぶところが多い
 
・ 科学技術に限らず学ぶところは多いと思います。
 ただ、その文化、社会、歴史認識などについては「批判的な検討」を含めることが必要と思います。
 とりわけ、その驚くほど長期スパンの巧妙な対外操作。
 そして「民族」の煽り。

 「なるべく一方的にならないよう」と言いながら、「一方的」な話になってしまいましたが、勘弁して下さい。
 視点のやや異なる方にも、一つの見方として参考にしていただければ幸いです。 

宗教対立のことにしてもその他のことにしても、大陸から一歩離れたところにあって、ヨーロッパの激動につかず離れず、巻き込まれずに、学習してきたのでしょうね、英国は。

20年以上昔、はじめてロンドンの街を歩いたときに受けた衝撃はいまだに忘れられません。何が衝撃的だったのかというと、その、圧倒的な富の蓄積です。

世界第2位の経済大国だった当時の日本など足元にも及ばぬ、比べようもないほどに抱え込まれてきた富と力を感じたのです。まあ、当時もすでにオイルマネーが入ってきていて、著名なホテルやデパートの経営も英国人自身の手から離れてはいましたが。

もちろん、その富の源は数世紀にわたる植民地経営でしょうが、スーパーマーケットに買い物に行けば、今でも、かつての植民地とは切っても切れない関係にあることが分かりました。

狡猾にしたたかにあくまでも自国の利益を探る、そんな英国に、完敗です。。

つい先頃、首相自ら一団を率いて北京を訪問していましたね。あの嗅覚と決断の見事さにも、完敗ですね。

とむ丸さんへ

> 狡猾にしたたかにあくまでも自国の利益を探る、そんな英国に、完敗です。。

・ 現実に完敗してるのは確かに。
というか、明治維新以来英国に操られ、挑発に乗り、戦争に乗り今度は弟子の米国に完敗して、今に至っていますからねえ。なんとも。
実に巧妙で優れていますが、それとコトの善悪はまた別と考えると、非常に長けているがゆえに世界最悪の支配層でもありますね。
米国の原爆投下あるいは戦後の世界各地への武力攻撃も、英国の支持があったればこそ実行できたと思います。
米国をも操る英国支配層は影の最悪支配層と言って良いのでは。

> つい先頃、首相自ら一団を率いて北京を訪問していましたね。あの嗅覚と決断の見事さにも、完敗ですね。

・ 米国、ロシア、ドイツ、フランス、英国とそれぞれの利害の差はあれ、中国との関係では是々非々をしっかり区別して「協調」していることには変わりません。
韓国、台湾も同様です。
 唯一、日本だけが頑なな対中対立姿勢を続けることで、米国を喜ばせています。
 なぜなら、米国完全追従の日本が対中対立を続けてくれれば、米国の各面での対中交渉が有利に進みやすいからです。結果日本の対中対立は米中の協調に貢献しています。
 まさに米国の犬となることで、世界の孤児になっている有り様と思います。

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