中原圭介インタビュー:通説経済学に騙されるな
2013-08-24
通説とされる「?経済学?」がいかに酷いものだったは、小泉・竹中時代のマスコミ御用学者どもで示された。
だが、今も手を変え品を替えて、米国流派がはびこっているのが「?経済学?」だ。
権威と通説、理論の整合性で打ち固めても、実践の経済学にはならない。
何故なら、真空の中の経済行為ではなく、この資本主義の中である以上は、支配的である大資本家のイデオロギー的経済行動を重視、虜となるからである。
曲がりなりにも、「国民経済」の観点からは勤労階級の経済状態が核心をなすのであって、言葉使いの問題ではなく内容として格差、階級の意図的な意識性が必要なのである。
歴史的な把握と言い替えても良いだろう。
既存の通説と称する各派を如何に活用しようが、理論的な整合性の当て嵌めは宗教でしかない。
くれぐれも言っておきたいこと。
民主派の経済学者とも言えるスティグリッツやクルーグマンが理論的に妥当としても、この国の国民経済にとって妥当かどうかはまったく関係がないと言って良いだろう。
これも何故なら、彼らは日本経済特有の基軸通貨でない、国債市場や労働力市場が欧米的な意味では機能してないこと、通貨の交換性が非常に硬直的などを実感していないからである。
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日本人は「経済学」にだまされるな!
経済学という学問は、役に立たないどころか、むしろ有害!? 中原圭介インタビュー 8/23 東洋経済オンライン
学生時代から「経済学への不信感」があった
――エコノミストでもある中原さんが『日本人は「経済学」にだまされるな!』というタイトルの本を書くというのは、ちょっと意外だという気もしたのですが。
私は経済アナリストであると同時に、経営のアドバイスをする仕事もしています。
経営者の方たちとお話をし、ビジネスの現場、いわゆる「実体経済」の目線で社会を見ていますから、分析のベースに「経済学」があるというわけではないのです。
経営の現場を見ていると、経済学という学問はまったく役に立たないどころか、むしろ有害でさえあるというのが率直な実感ですね。
――なるほど、学者の語る「経済学」と実務家が見ている「経済」との違いを意識されているわけですね。
実のところ、経済学に対する不信感というのは、若い頃からずっとあったんですよ。それこそ高校の授業で「需要曲線と供給曲線」を習ったときに、「え? これって本当なの?」「何かおかしいな……」と思って以来ですね。
論理的には正しいように思えるのに、なぜか需給曲線の話はすんなり頭に入ってこなかったんです。
当時は何がおかしいのかわからなかったのですが、大学生になっていろいろな分野の本を読んでいく中で、ある哲学者が「需給曲線には時間の観念が欠けている」と語っているのを見つけたときには、「なるほど!」と思いましたね。
要するにあのグラフは、フローを表現できていなくて、取引や選択が瞬間的に成立するということを暗黙の前提としているのです。こんなものをベースにした学問が、まともに成り立つはずがないとそのとき思いました。
今、日本人は「経済学」にウンザリしている!?
――ですが、アベノミクスが登場して以来、日本人は「経済学」に対して随分と関心を持つようになっていますよね。有識者がメディアなどに登場する機会も増えました。
確かにニュースなどで経済の話題が取り上げられる頻度が増えていますが、たとえばアベノミクスにしてみても、それぞれの識者によって態度や結論がバラバラですよね。ここまで意見がまとまっていないと、一般の人の間でもかえって経済学への不信感が高まっているのではないかと思います。
最近も、あの孫正義氏が師匠と仰いでいる有名な経営学者の方から、「世界一流の経済学者の説に対し、世界一流の経済学者の中からまったく反対の説が出るというのは、つくづく不思議ですね。貴兄のように現実の経済を見つめてこられた方の意見を、経済“学者”はもっともっと尊重してほしいものです」
というメッセージをいただきました。この方はもともと理系出身なので、経済学の混沌とした現状がとても奇妙に映るのだと思います。
――それは面白いですね。確かに「どうしていつまでも論争しているの?」という実感は、一般の人々の中にもあるのではないでしょうか。
つまり経済学は、数学とか物理学と違って「科学」ではないんですよ。だからいつまで経っても、これだという定説が出てこない。
確かに金融工学などが典型ですが、経済学にも複雑な数式が登場します。ですが、これは経済学自身の怪しい出自を隠すための偽装でしかありません。
前回の連載でも書きましたが、経済学のバックグラウンドには、プロテスタントの宗教観や道徳観があります。ですから私は、経済学を「社会科学」と呼ぶのも躊躇しますね。(中原氏の関連コラムはこちら→欧米が生んだ「インフレ経済学」の正体とは?)
権威の引用が大好きな「頭のいい人たち」
――本来、経済学というのは日本人にとって異質なものなのに、アベノミクスのように「経済学的に正しい」とされる政策を主張する人がいるのはなぜなのでしょうか?
以前、東京大学のある先生と対談した際に、先ほどの「需給曲線がすんなり理解できない」という話をぶつけてみたことがあるんですよ。
すると、その先生は「東大生はすぐに理解できますよ」と答えていました。
といっても、それは東大生を褒めているわけではなくて、要するに「間違ったことを教えても、教科書にあることをそのまますんなりとのみ込めてしまうような部分が東大生にはある」という話です。
今の状況もそれに近いのではないかと思いますね。
アベノミクスがやっているリフレ政策というのは、世界的には主流派の経済学です。代表的なところでは、FRB議長のベン・バーナンキやノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンが「経済学の権威」として君臨しているわけですね。
東大生のように「とても頭がいい人」が、そういう経済学者に師事したり、またはそういう見解を、まず、最初に学んでしまったりすると、もうそれが正しいものとして頭に定着してしまう。
――説明された理論を吸収する力はあるけれども、その理論を批判的に検証することが苦手な人たちが多いということですね。
必ずしも東大生のすべてがそうだというわけではないでしょうけれど、実際、アベノミクスに賛同するリフレ派識者には東大出身者が多くいます。
しかも彼らが自説を展開したり、反論したりする際には、「主流派経済学の見解に従えば……」とか「バーナンキによれば……が当たり前」とか「ノーベル賞経済学者クルーグマンも正しいと言っている」といった独特の話法を多用します。
本当は間違っていたとしても、とにかくそういうものとして頭にインプットしてしまっているので、反論されたときには権威にすがるしかないのでしょうね。
そういう人たちが、「国民に働きかけて、『期待』を生み出す」と息巻いているわけですが、これはもはや科学というより宗教の考え方ですよね。
円安を望む経営者は利口ではない
――そういう経済学者たちが日本経済を動かそうとしている現状には、いかがお考えですか?
それについては非常に危惧しています。リフレ政策が世界の主流派経済学の立場だというのは、まったくそのとおりです。しかし、それはアメリカだからこそ有効な経済政策なのです。
アメリカはドルという基軸通貨を持っているから、どれだけ金融緩和しても最終的に外国にドルを買ってもらえます。特に新興国の多くは輸出で稼いでいますから、少しでも自国通貨高になろうものなら、ドルを買って通貨高を抑え、輸出を維持しようとします。
アメリカがリフレ政策をとって延々と「借金経済」を回すことができるのは、基軸通貨国だからなのです。
――それと同じことを日本でやるのは無理があると?
どれだけおカネを刷って金融緩和をしても、それが基軸通貨でないかぎり、その国の財政が危ないとなれば途端にその通貨の買い手はいなくなり、売られてしまうわけです。その典型例が債務危機に苦しむことになった欧州ユーロ圏ですね。
同様に、基軸通貨を持たない日本がリフレ政策を進めても、アメリカのようにインフレと通貨安によって借金を棒引きしてもらうわけにはいかないので、欧州の二の舞になる可能性が極めて高いと思います。
そういう現実を知らないまま、「1ドル=110円が望ましい」なんて発言している経営者もいるようです。そういう人には短期的な自社利益しか見えていないのでしょうね。
しかも、「最終的にそのツケが自分のところに回ってくる」というところまでを考える論理的思考力が不足しています。
いつまでも古い理論にしがみつくな!
――現状の経済学が役に立たないのだとすると、経済学を新しくつくり直していく必要があるということでしょうか?
「いつでもどの国でも役に立つようなひとつの学問」として経済学をつくっていくのは難しいのではないかと思います。
本当に役に立つ経済学をつくるためには、実体経済あるいはビジネスの現場の考えをふんだんに取り入れていく必要があります。ビジネスの現場はどんどん変化していきますから、経済学も時代の流れに沿って変化していくのが当然でしょう。
「インフレ目標」のような10年以上も前の学説を後生大事に拝んでいるようなわけにはいかないのです。さもなければ、もはや経済学は単なる「古典」でしかありませんよね。
また時代にだけでなく、国によっても経済の状況は異なりますから、それに合わせた考え方が必要になってくるでしょう。
ビジネスだって、その国ごとの「ルール」をしっかりと踏まえ、マーケティングをしてからでないとうまくいきません。それと同じように、経済学も国や地域によってアレンジしていくべきだと思います。
――たとえばリフレ政策なら「アメリカでは成立するけれど、日本では成立しない」というように分けて考えていくべきだということですね。
そうです。ですから、日本の実情を考えずに、アメリカで成功したからと言って「リフレ政策が正しい」と盲目的に信じてしまうことは危険なのです。
とはいえ、この政策のせいでアメリカでも国民の生活は相当にひどいことになっています。ごく簡単にいえば、お金持ちだけがますますお金持ちになり、貧しい人はどんどん貧しくなっていく社会がアメリカではこの20年余りで加速しています。
「経済学の本当の存在価値は何なのか」と考えたときに、やはり私は「国民が経済的に潤って幸福になれるかどうか」を重視するべきだと思っています。その意味では、アメリカがやっているインフレ政策は、経済学としての本当の役割を果たせているとは言えません。
「国家や一部の金持ちの利益を代弁するだけの経済学」ではなく、実体経済や国民の生活に根差した「『普通の人たち』のための経済学」が必要だ――今回の新刊では、その点を最も意識しながら書きました。ぜひ多くの人にご一読いただければと思っています。
だが、今も手を変え品を替えて、米国流派がはびこっているのが「?経済学?」だ。
権威と通説、理論の整合性で打ち固めても、実践の経済学にはならない。
何故なら、真空の中の経済行為ではなく、この資本主義の中である以上は、支配的である大資本家のイデオロギー的経済行動を重視、虜となるからである。
曲がりなりにも、「国民経済」の観点からは勤労階級の経済状態が核心をなすのであって、言葉使いの問題ではなく内容として格差、階級の意図的な意識性が必要なのである。
歴史的な把握と言い替えても良いだろう。
既存の通説と称する各派を如何に活用しようが、理論的な整合性の当て嵌めは宗教でしかない。
くれぐれも言っておきたいこと。
民主派の経済学者とも言えるスティグリッツやクルーグマンが理論的に妥当としても、この国の国民経済にとって妥当かどうかはまったく関係がないと言って良いだろう。
これも何故なら、彼らは日本経済特有の基軸通貨でない、国債市場や労働力市場が欧米的な意味では機能してないこと、通貨の交換性が非常に硬直的などを実感していないからである。
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日本人は「経済学」にだまされるな!
経済学という学問は、役に立たないどころか、むしろ有害!? 中原圭介インタビュー 8/23 東洋経済オンライン
学生時代から「経済学への不信感」があった
――エコノミストでもある中原さんが『日本人は「経済学」にだまされるな!』というタイトルの本を書くというのは、ちょっと意外だという気もしたのですが。
私は経済アナリストであると同時に、経営のアドバイスをする仕事もしています。
経営者の方たちとお話をし、ビジネスの現場、いわゆる「実体経済」の目線で社会を見ていますから、分析のベースに「経済学」があるというわけではないのです。
経営の現場を見ていると、経済学という学問はまったく役に立たないどころか、むしろ有害でさえあるというのが率直な実感ですね。
――なるほど、学者の語る「経済学」と実務家が見ている「経済」との違いを意識されているわけですね。
実のところ、経済学に対する不信感というのは、若い頃からずっとあったんですよ。それこそ高校の授業で「需要曲線と供給曲線」を習ったときに、「え? これって本当なの?」「何かおかしいな……」と思って以来ですね。
論理的には正しいように思えるのに、なぜか需給曲線の話はすんなり頭に入ってこなかったんです。
当時は何がおかしいのかわからなかったのですが、大学生になっていろいろな分野の本を読んでいく中で、ある哲学者が「需給曲線には時間の観念が欠けている」と語っているのを見つけたときには、「なるほど!」と思いましたね。
要するにあのグラフは、フローを表現できていなくて、取引や選択が瞬間的に成立するということを暗黙の前提としているのです。こんなものをベースにした学問が、まともに成り立つはずがないとそのとき思いました。
今、日本人は「経済学」にウンザリしている!?
――ですが、アベノミクスが登場して以来、日本人は「経済学」に対して随分と関心を持つようになっていますよね。有識者がメディアなどに登場する機会も増えました。
確かにニュースなどで経済の話題が取り上げられる頻度が増えていますが、たとえばアベノミクスにしてみても、それぞれの識者によって態度や結論がバラバラですよね。ここまで意見がまとまっていないと、一般の人の間でもかえって経済学への不信感が高まっているのではないかと思います。
最近も、あの孫正義氏が師匠と仰いでいる有名な経営学者の方から、「世界一流の経済学者の説に対し、世界一流の経済学者の中からまったく反対の説が出るというのは、つくづく不思議ですね。貴兄のように現実の経済を見つめてこられた方の意見を、経済“学者”はもっともっと尊重してほしいものです」
というメッセージをいただきました。この方はもともと理系出身なので、経済学の混沌とした現状がとても奇妙に映るのだと思います。
――それは面白いですね。確かに「どうしていつまでも論争しているの?」という実感は、一般の人々の中にもあるのではないでしょうか。
つまり経済学は、数学とか物理学と違って「科学」ではないんですよ。だからいつまで経っても、これだという定説が出てこない。
確かに金融工学などが典型ですが、経済学にも複雑な数式が登場します。ですが、これは経済学自身の怪しい出自を隠すための偽装でしかありません。
前回の連載でも書きましたが、経済学のバックグラウンドには、プロテスタントの宗教観や道徳観があります。ですから私は、経済学を「社会科学」と呼ぶのも躊躇しますね。(中原氏の関連コラムはこちら→欧米が生んだ「インフレ経済学」の正体とは?)
権威の引用が大好きな「頭のいい人たち」
――本来、経済学というのは日本人にとって異質なものなのに、アベノミクスのように「経済学的に正しい」とされる政策を主張する人がいるのはなぜなのでしょうか?
以前、東京大学のある先生と対談した際に、先ほどの「需給曲線がすんなり理解できない」という話をぶつけてみたことがあるんですよ。
すると、その先生は「東大生はすぐに理解できますよ」と答えていました。
といっても、それは東大生を褒めているわけではなくて、要するに「間違ったことを教えても、教科書にあることをそのまますんなりとのみ込めてしまうような部分が東大生にはある」という話です。
今の状況もそれに近いのではないかと思いますね。
アベノミクスがやっているリフレ政策というのは、世界的には主流派の経済学です。代表的なところでは、FRB議長のベン・バーナンキやノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンが「経済学の権威」として君臨しているわけですね。
東大生のように「とても頭がいい人」が、そういう経済学者に師事したり、またはそういう見解を、まず、最初に学んでしまったりすると、もうそれが正しいものとして頭に定着してしまう。
――説明された理論を吸収する力はあるけれども、その理論を批判的に検証することが苦手な人たちが多いということですね。
必ずしも東大生のすべてがそうだというわけではないでしょうけれど、実際、アベノミクスに賛同するリフレ派識者には東大出身者が多くいます。
しかも彼らが自説を展開したり、反論したりする際には、「主流派経済学の見解に従えば……」とか「バーナンキによれば……が当たり前」とか「ノーベル賞経済学者クルーグマンも正しいと言っている」といった独特の話法を多用します。
本当は間違っていたとしても、とにかくそういうものとして頭にインプットしてしまっているので、反論されたときには権威にすがるしかないのでしょうね。
そういう人たちが、「国民に働きかけて、『期待』を生み出す」と息巻いているわけですが、これはもはや科学というより宗教の考え方ですよね。
円安を望む経営者は利口ではない
――そういう経済学者たちが日本経済を動かそうとしている現状には、いかがお考えですか?
それについては非常に危惧しています。リフレ政策が世界の主流派経済学の立場だというのは、まったくそのとおりです。しかし、それはアメリカだからこそ有効な経済政策なのです。
アメリカはドルという基軸通貨を持っているから、どれだけ金融緩和しても最終的に外国にドルを買ってもらえます。特に新興国の多くは輸出で稼いでいますから、少しでも自国通貨高になろうものなら、ドルを買って通貨高を抑え、輸出を維持しようとします。
アメリカがリフレ政策をとって延々と「借金経済」を回すことができるのは、基軸通貨国だからなのです。
――それと同じことを日本でやるのは無理があると?
どれだけおカネを刷って金融緩和をしても、それが基軸通貨でないかぎり、その国の財政が危ないとなれば途端にその通貨の買い手はいなくなり、売られてしまうわけです。その典型例が債務危機に苦しむことになった欧州ユーロ圏ですね。
同様に、基軸通貨を持たない日本がリフレ政策を進めても、アメリカのようにインフレと通貨安によって借金を棒引きしてもらうわけにはいかないので、欧州の二の舞になる可能性が極めて高いと思います。
そういう現実を知らないまま、「1ドル=110円が望ましい」なんて発言している経営者もいるようです。そういう人には短期的な自社利益しか見えていないのでしょうね。
しかも、「最終的にそのツケが自分のところに回ってくる」というところまでを考える論理的思考力が不足しています。
いつまでも古い理論にしがみつくな!
――現状の経済学が役に立たないのだとすると、経済学を新しくつくり直していく必要があるということでしょうか?
「いつでもどの国でも役に立つようなひとつの学問」として経済学をつくっていくのは難しいのではないかと思います。
本当に役に立つ経済学をつくるためには、実体経済あるいはビジネスの現場の考えをふんだんに取り入れていく必要があります。ビジネスの現場はどんどん変化していきますから、経済学も時代の流れに沿って変化していくのが当然でしょう。
「インフレ目標」のような10年以上も前の学説を後生大事に拝んでいるようなわけにはいかないのです。さもなければ、もはや経済学は単なる「古典」でしかありませんよね。
また時代にだけでなく、国によっても経済の状況は異なりますから、それに合わせた考え方が必要になってくるでしょう。
ビジネスだって、その国ごとの「ルール」をしっかりと踏まえ、マーケティングをしてからでないとうまくいきません。それと同じように、経済学も国や地域によってアレンジしていくべきだと思います。
――たとえばリフレ政策なら「アメリカでは成立するけれど、日本では成立しない」というように分けて考えていくべきだということですね。
そうです。ですから、日本の実情を考えずに、アメリカで成功したからと言って「リフレ政策が正しい」と盲目的に信じてしまうことは危険なのです。
とはいえ、この政策のせいでアメリカでも国民の生活は相当にひどいことになっています。ごく簡単にいえば、お金持ちだけがますますお金持ちになり、貧しい人はどんどん貧しくなっていく社会がアメリカではこの20年余りで加速しています。
「経済学の本当の存在価値は何なのか」と考えたときに、やはり私は「国民が経済的に潤って幸福になれるかどうか」を重視するべきだと思っています。その意味では、アメリカがやっているインフレ政策は、経済学としての本当の役割を果たせているとは言えません。
「国家や一部の金持ちの利益を代弁するだけの経済学」ではなく、実体経済や国民の生活に根差した「『普通の人たち』のための経済学」が必要だ――今回の新刊では、その点を最も意識しながら書きました。ぜひ多くの人にご一読いただければと思っています。
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