ヨッチャンの想い出:リー
2013-08-21
★★ ヨッチャンの想い出 2010年07月28日 故リー湘南クリニック院長の遺稿「異端医師の独り言」から
中等部~医学部 2年くらいまで、親友で悪友であった坂本君が、7月 6日、北海道で一人亡くなった、癌で。
心よりご冥福をお祈りする。
たまたま、7月 4と 5日に私は北海道におり、拙著「癌患者を救いたい」を販売した。奴との腐れ縁を感じざる得ない。
ヨッチャン(坂本君)と出会ったのは中等部の入学式、隣がヨッチャンだった。
ミッション・スクールを承知で入学したはずのヨッチャンが僕に「この学校の精神が気に食わない」とキリスト教を批判した。
それから 2年、ヨッチャンはキリスト教に改宗し、直径 7cmもあろうか純金の「マリア様」のペンダントをするようになった。高校 3年生だったと記憶する。
ヨッチャンご自慢の純金のペンダントが錆びているのを発見し、大笑いした。
中学の時、向島にあるヨッチャンの家によく泊まりに行った。彼は、地元の名士で、チンピラやくざがヨッチャンを見つけると、ぺこぺこと挨拶に来る。
夕方にスナックを何軒かハシゴする、酒を飲むためでなく、借金の取り立て。彼は、チンピラ相手に今で言う高利貸をしていた。
中学 2年ころから、奥多摩にあるヨッチャンの別荘に週末一泊で遊びに行くようになった。
いつもは自転車で、高 2のとき一回スバル360(軽自動車)で。運転の仕方が分からない、
A君のお兄さんが車を貸してくれ、団地の中で運転を習った。
いざ出発、途中上り坂道で停止し、出発しようとブレーキを離したら後ずさりする、あわててブレーキを踏む離すの繰り返し。そして「ゴン」という音で車が止まった、バックミラーを見たら、ダンプに衝突していた。
ヨッチャンが「逃げろー」。半クラッチを教わったのは、その数年後だ。
良い子はまねしないと思いますが、当時の車、スピードはでませんでした。
高校生のとき、奥多摩へ行く予定を担任に話したら、「保護者同伴でないとだめ」と言われた。
保護者なんか同伴するはずもなく、奥多摩に無事着いたことを担任に電話した。
運悪く、職員会議中だったらしく、帰ったら奥多摩に行った 3人が暴力教師・牧野先生に呼び出された。
壁を背に、まん中がヨッチャン、その右が僕、左が K君と並ばされた。
牧野先生の尋問に、ヨッチャンがふてぶてしく答えていると、先生が真っ赤になって怒りだし、ヨッチャンの顔を両手でパンパンとひっぱたきだした。
ひっぱたくストロークで先生の手が僕の肩に触れる。次は僕かと覚悟を決めたが、ひっぱたき疲れた牧野先生は、全員を解放した。
真冬に奥多摩に行ったとき、深夜外は雪で覆われていた。
雪遊びをしていたら小川が見えず、足を滑らし薄氷のはる小川に転落してしまった、早く上がらねば凍死するともがいている矢先、ヨッチャンが何を思ったのか「うぉー」と奇声をあげ、飛び込んできた。
高等部の一年生、技術工作の授業初日、教師はブンちゃんと呼ばれ、暴力をふるうことで恐れられていた。
「俺の言うことに逆らう奴は、ただでおかないからな」と皆をにらみつけた。
「俺の言うことをきけないやつは、手をあげろ。」ブンちゃんの眼が仁王像のように見開いた。
なんと、ヨッチャンが手を挙げていた。ブンちゃんがヨッチャンを外に連れ出し、殴りつけるのかと思いきや、くぎ抜きを渡し、古木に刺さった釘を抜くように命じた。ヨッチャンは黙々と 2時間釘を抜き続けた。
彼がブンちゃんといかに和解したのかは、記憶にない。
医学部 1年生の時、同級生で大病院の跡取り、Nさんの自宅へヨッチャンを連れていった。
半チャン毎キャッシュの高額の賭けマージャン。昼ころから徹夜で打つ。僕がソファーで寝ているとヨッチャンが布団を掛けてくれた、一万円札の。
時には薄い布団だったが、だいたい彼は勝っていたようだ。
医学部 1年の夏に、ヨッチャンと韓国に行くことになった。
僕らの旅行の数日前、1974年 8月15日、朴大統領暗殺未遂事件が起こり、大統領夫人が凶弾に倒れた。犯人は文世光、在日韓国人である。「どうする、行く?」、「行くに決まっているじゃないか。」
それで、ヨッチャンご自慢の愛車「ギャランGTO」を飛ばし下関に行き、そこからフェリーで釜山に入った。
釜山からソウルへ向かう列車の中、僕は極力目立たない服装をしていたが、ヨッチャンはテカテ黄金色の開襟シャツにマリア様のペンダント。彼が客車最前部のトイレに立ち、戻るとき左右の椅子に腕をひろげ、車内をしばらく睨みつけた。
何事かと、冷や汗をかいていると、席に戻るなり「この国の人間は、目つきが悪いな」とのたまわった。ここまで心臓に毛がボウボウとは…。
ホテルでは、大歓迎を受けた。日本からの旅行者はすべてキャンセルの中、多分、僕ら 2人だけが日本からの旅行者だったから。
博打をこよなく愛するヨッチャンとウーカーヒル・ホテルでルーレットをして、スッカラカンになった。
ヨッチャンが「宿代を賭け、最後の大勝負をする」と言いだした。流石に思いとどまらせた、もし負けたら戒厳令の中、どうするの。
ちなみに、ルーレットで大勝負すると決まって、ゼロかダブル・ゼロに入る(親の総取り)。後で分かったことは、ディーラーは自在に球を入れられるということ。
いつの頃からか、彼とは音信不通になり、風の便りに一家で夜逃げした。彼の名前を新聞で見たというのが最後の便り、拳銃不法所持で逮捕。
★スバル360 (2008年11月の記事)
もう 3年前になりますか、町田忍さんが企画されたテーマパーク台場一丁目商店街を見学行ったとき、懐かしのスバル・360が展示してあった。
中等部~医学部 2年くらいまで、親友で悪友であった坂本君が、7月 6日、北海道で一人亡くなった、癌で。
心よりご冥福をお祈りする。
たまたま、7月 4と 5日に私は北海道におり、拙著「癌患者を救いたい」を販売した。奴との腐れ縁を感じざる得ない。
ヨッチャン(坂本君)と出会ったのは中等部の入学式、隣がヨッチャンだった。
ミッション・スクールを承知で入学したはずのヨッチャンが僕に「この学校の精神が気に食わない」とキリスト教を批判した。
それから 2年、ヨッチャンはキリスト教に改宗し、直径 7cmもあろうか純金の「マリア様」のペンダントをするようになった。高校 3年生だったと記憶する。
ヨッチャンご自慢の純金のペンダントが錆びているのを発見し、大笑いした。
中学の時、向島にあるヨッチャンの家によく泊まりに行った。彼は、地元の名士で、チンピラやくざがヨッチャンを見つけると、ぺこぺこと挨拶に来る。
夕方にスナックを何軒かハシゴする、酒を飲むためでなく、借金の取り立て。彼は、チンピラ相手に今で言う高利貸をしていた。
中学 2年ころから、奥多摩にあるヨッチャンの別荘に週末一泊で遊びに行くようになった。
いつもは自転車で、高 2のとき一回スバル360(軽自動車)で。運転の仕方が分からない、
A君のお兄さんが車を貸してくれ、団地の中で運転を習った。
いざ出発、途中上り坂道で停止し、出発しようとブレーキを離したら後ずさりする、あわててブレーキを踏む離すの繰り返し。そして「ゴン」という音で車が止まった、バックミラーを見たら、ダンプに衝突していた。
ヨッチャンが「逃げろー」。半クラッチを教わったのは、その数年後だ。
良い子はまねしないと思いますが、当時の車、スピードはでませんでした。
高校生のとき、奥多摩へ行く予定を担任に話したら、「保護者同伴でないとだめ」と言われた。
保護者なんか同伴するはずもなく、奥多摩に無事着いたことを担任に電話した。
運悪く、職員会議中だったらしく、帰ったら奥多摩に行った 3人が暴力教師・牧野先生に呼び出された。
壁を背に、まん中がヨッチャン、その右が僕、左が K君と並ばされた。
牧野先生の尋問に、ヨッチャンがふてぶてしく答えていると、先生が真っ赤になって怒りだし、ヨッチャンの顔を両手でパンパンとひっぱたきだした。
ひっぱたくストロークで先生の手が僕の肩に触れる。次は僕かと覚悟を決めたが、ひっぱたき疲れた牧野先生は、全員を解放した。
真冬に奥多摩に行ったとき、深夜外は雪で覆われていた。
雪遊びをしていたら小川が見えず、足を滑らし薄氷のはる小川に転落してしまった、早く上がらねば凍死するともがいている矢先、ヨッチャンが何を思ったのか「うぉー」と奇声をあげ、飛び込んできた。
高等部の一年生、技術工作の授業初日、教師はブンちゃんと呼ばれ、暴力をふるうことで恐れられていた。
「俺の言うことに逆らう奴は、ただでおかないからな」と皆をにらみつけた。
「俺の言うことをきけないやつは、手をあげろ。」ブンちゃんの眼が仁王像のように見開いた。
なんと、ヨッチャンが手を挙げていた。ブンちゃんがヨッチャンを外に連れ出し、殴りつけるのかと思いきや、くぎ抜きを渡し、古木に刺さった釘を抜くように命じた。ヨッチャンは黙々と 2時間釘を抜き続けた。
彼がブンちゃんといかに和解したのかは、記憶にない。
医学部 1年生の時、同級生で大病院の跡取り、Nさんの自宅へヨッチャンを連れていった。
半チャン毎キャッシュの高額の賭けマージャン。昼ころから徹夜で打つ。僕がソファーで寝ているとヨッチャンが布団を掛けてくれた、一万円札の。
時には薄い布団だったが、だいたい彼は勝っていたようだ。
医学部 1年の夏に、ヨッチャンと韓国に行くことになった。
僕らの旅行の数日前、1974年 8月15日、朴大統領暗殺未遂事件が起こり、大統領夫人が凶弾に倒れた。犯人は文世光、在日韓国人である。「どうする、行く?」、「行くに決まっているじゃないか。」
それで、ヨッチャンご自慢の愛車「ギャランGTO」を飛ばし下関に行き、そこからフェリーで釜山に入った。
釜山からソウルへ向かう列車の中、僕は極力目立たない服装をしていたが、ヨッチャンはテカテ黄金色の開襟シャツにマリア様のペンダント。彼が客車最前部のトイレに立ち、戻るとき左右の椅子に腕をひろげ、車内をしばらく睨みつけた。
何事かと、冷や汗をかいていると、席に戻るなり「この国の人間は、目つきが悪いな」とのたまわった。ここまで心臓に毛がボウボウとは…。
ホテルでは、大歓迎を受けた。日本からの旅行者はすべてキャンセルの中、多分、僕ら 2人だけが日本からの旅行者だったから。
博打をこよなく愛するヨッチャンとウーカーヒル・ホテルでルーレットをして、スッカラカンになった。
ヨッチャンが「宿代を賭け、最後の大勝負をする」と言いだした。流石に思いとどまらせた、もし負けたら戒厳令の中、どうするの。
ちなみに、ルーレットで大勝負すると決まって、ゼロかダブル・ゼロに入る(親の総取り)。後で分かったことは、ディーラーは自在に球を入れられるということ。
いつの頃からか、彼とは音信不通になり、風の便りに一家で夜逃げした。彼の名前を新聞で見たというのが最後の便り、拳銃不法所持で逮捕。
★スバル360 (2008年11月の記事)
もう 3年前になりますか、町田忍さんが企画されたテーマパーク台場一丁目商店街を見学行ったとき、懐かしのスバル・360が展示してあった。
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