英中銀がナチスに協力チェコの金塊を売り払う
2013-08-01

中欧、東欧を恐怖支配したラインハルト・ハイドリヒ
BIS(国際決済銀行)と各国中央銀行の深い闇。
国際金融寡頭勢力がナチスに投資していたことはあれこれと知られているが、
これは戦争略奪に加担した犯罪。
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英中央銀、ナチスの金塊売却協力 公開歴史文書で判明
【ロンドン共同】英中央銀行のイングランド銀行が1939年、ナチス・ドイツがチェコスロバキア中銀から略奪した金塊を売却するのに協力していたことが、イングランド銀行が公開した歴史文書で明らかになった。31日付の英各紙が報じた。
英紙フィナンシャル・タイムズによると、金塊は現在の価値で7億ポンド(約1千億円)超に相当し、同紙は「中央銀行の歴史上、最悪の出来事の一つ」と評している。
歴史文書はイングランド銀行により50年にまとめられたが、30日に公開するまで明らかにしていなかった。
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その他報道から
金塊はチェコスロバキア中銀が国際決済銀行(BIS)に保有する口座の一部としてイングランド銀行本店の金庫内に保管されていた。
英政府は当時、英国内にあるチェコスロバキア関連資産を凍結していた。
イングランド銀行はこの方針に反して、金塊をドイツ中銀(当時ドイツ帝国銀行)の口座に移し、さらに米国ニューヨークの買い手にドイツ中銀の代理として金塊を売却していた。
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(※解説)
ナチスドイツがチェコに侵攻占領したが、その時点で既に金塊(金準備)はBISの預りとして、イングランド銀行に保管されていたわけである。
つまり、英国政府のチェコスロバキア資産凍結決定にもかかわらず、BISとイングランド銀行がナチスに協力して、この金準備をドイツ口座に移し、売り払い換金することでナチスを支援したわけである。
武力略奪は当然無効であるから、この金準備はチェコの債権である。
正しくはチェコスロバキアの解放を待って凍結解除し、チェコに返還すべき債務であるのは言うまでもない。
国際金融資本とナチス。
BISと中銀の闇がさらにまた、暴かれたわけだ。
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伏魔殿のような国際決済銀行(BIS) by チャールズ・ハイアム 2008/11/27 「さてはてメモ帳」から
(前半のモーゲンソー、ホワイト、コクランに関する部分を省略しています。)
その翌日、ヒトラーはドイツ軍をプラハに進軍させたのである。ナチス突撃隊はチェコ国立銀行の役員たちを逮捕し、銃口を突きつけながら、ドイツに包囲されている国、すなわちチェコの全国家財産である四千八百万ドルの金準備を差し出せと要求した。
役員たちは不安げな顔をしながら、イングランド銀行に転送するということで、金塊はBISにすでに送った後であると語った。このことはあまりにも馬鹿正直な行為だった。
ヴァンダイクひげのイングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマンは、いち早くヒトラーを支持した一人だったからである。
ノーマンはスキナー教授という偽名を名乗り、黒の夜会用外套を着て世界旅行をするのが趣味の変人だった。
ナチス突撃隊から命令されて、チェコ国立銀行の役員たちはオランダ人のBIS総裁J・W・バイエン[J. Willem Beyen]に金塊をバーゼルに返すように依頼した。
バイエンはフランス銀行から出向していたBIS総支配人ロジェー・オボアンと熱心に討議した結果、バイエンはロンドンに電話を入れ、金塊を返却するようにとノーマンに通告したのである。
ノーマンはすぐさまこの要請に従い、そしてベルリンに送られた金塊は将来の戦争に向けての重要な戦略用資材を購入するために使われた。
もしここで、ポール・アインチヒ[Paul Einzig, (1897 -1973]という名前のイギリス人で、鋭敏な理想主義の若いジャーナリスト兼経済学者が、イングランド銀行の知り合いからこの金塊についての秘密情報を耳打ちされていなかったら、この金塊の行方は闇に葬られていただろう。
アインチヒはこの金塊事件の顛末をファイナンシャル・ニュース紙に発表し、ロンドン市民を大騒ぎにさせたのである。
アインチヒは、一匹狼の労働党下院議員ジョージ・ストラウス[George Strauss, 1901-1993]と緊急ミーティングを開き、ストラゥスはアインチヒを通してこの事件の調査を始めた。
ヘンリー・モーゲンソーはイギリスの大蔵大臣であるジョン・サイモン卿[John Simon, 1st Viscount Simon]にある日曜日の夜、今後どうするかを決めるために電話を入れた。
マール・コクランはその前に、BIS側に立った典型的なごまかし話をモーゲンソーに打電し、BISがナチスの組織の一部であるというアインチヒの告発を完全に否定していた。
大西洋両岸を結ぶ電話口でサイモン卿が、「今、田舎に来ていましてね、長官閣下。ディナーを楽しんでいる真っ最中です。電話で仕事の話をしないのがわが国の習慣です」と冷ややかに言うと、「サイモン卿、ここアメリカでは過去四十年もの間、電話で仕事をしていますがね」とモーゲンソーはやり返した。
ジョン・サイモン卿はモーゲンソーの質問にのらりくらりと言い逃れを繰り返した。五月十五日、労働党下院議員のジョージ・ストラウスは総理大臣ネヴィル・チェンバレンに次のような質問をした。
「総理、チェコスロバキアの国家財産がドイツに渡っているという話は本当ですか」
「本当ではありません」と総理大臣は返答した。チェンバレンはイー・ゲー・ファルベンが出資しているインペリアル化学工業の大株主であり、イー・ゲー・ファルベンのヘルマン・シュミッツはBISの取締役だった。チェンバレンの返答で下院は大騒ぎになった。
アインチヒは追求の手を緩めなかった。
彼はノーマンがジョン・サイモン卿と共謀して金塊を秘密裏に移動したと確信していたのである。ストラウスの質問に対して、サイモン卿はこの件について何も知らないと答えた。
次の日、アインチヒは政治上の重要人物であるヘンリー・ストラコシュ卿[Sir Henry Strakosch, 1871-1943]を問い詰めた。ストラコシュ卿はサイモン卿との会談の内容を明かすことを拒絶したが、最終的に口を割り、サイモン卿とチェコの金塊の移動について討議したことを認めたのだった。
アインチヒは大喜びでストラウスに電話をし、この情報を伝えた。
五月二十六日、ストラウスは下院の討論の場でジョン・サイモン卿に再質問をしたが、再度、サイモン卿はあいまいな返事を繰り返しただけだった。
しかし、この大蔵大臣にとって不幸なことは、事件解明の急先鋒のリーダーがウインストン・チャーチルだったことである。(引用注:チャーチルへの「権力」移行の芝居だったと思う。準備する係と、戦う係の交代に向けたものだったのではないか)
モーゲンソーがさらに詳しい情報をコクランに要求した。
バーゼルのコクランが五月九日に書き、左月十七日付でモーゲンソーが受理した手紙の中で、コクランはこの件について再度、次のように触れている。
BISの雰囲気はとても温かく、各国中央銀行のほとんどの総裁たちは何年も前からお互いに知り合いであり、バーゼルの再会の集いは総裁たちにとって楽しみばかりではなく、有益なものであります。
私はすべての総裁と会合を持ちましたが、彼らの中には、次のような希望を述べている者もおります。各国の政治家たちがお互いに非難の応酬をすることを止め、ルーズヴェルト大統領と一緒の魚釣り旅行か、または万国博覧会に出かけ、お互いの自尊心や固定観念、心を乗り越え、そして現在ある政治的な諸問題の多くを比較的単純に解決するムードに共鳴するようになればいい、と思うと。
この楽観的な状況説明にモーゲンソーは納得しなかった。
五月三十一日、AP通信がスイス発として、BISとイングランド銀行との間の業務は完了し、チエコの金塊は現在、ベルリンに保管されていると報道した。
チェコの金塊事件について決して忘れなかったアインチヒが、第二次世界大戦中にロンドン市街でJ・W・バイエンに偶然出会い、今なら真実を話せますかと聞いたところ、
「すべては技術的なことで、チェコの金塊はロンドンに保管されたままでした」とバイエンは穏やかな口調で語った。
アインチヒはそれを聞いて驚き、後に彼が書いた回想録『世界の中心にて」の中でバイエンに対して謝罪をしている。
実際には、金塊をベルリンで入手するためにロンドンから移送する必要はなかったのである。
BISとメンバー銀行間の金銭取引は通常の場合、通貨または金塊をそのまま輸送する方法は取らなかった、積み荷の中身を税関用のリストに載せなければならなかったので、金塊を輸送することは危険かつ面倒な手続きを必要としたからである。
代わりに金の預金口座を調整することで処理したのだった。
したがって、モンタギュー・ノーマンがしたことは、バイエンがBISにあるイングランド銀行の預金から四千万ドル分の金を差し引くことを許可し、ロンドンにあるチェコ国立銀行の預金から同額を穴埋めするだけでよかったのである。
一九三九年までにBISはドイツ国内に数百万ドルも投資している。
一方では、クルト・フォン・シュレーダーとエミル・プールは略奪した大量の金塊をBISに預けている。
BISはヒトラーの機関の一つだったが、イギリスはドイツと交戦状態に入った後でさえ、BISの存続を承認していたのである。
またBISのイギリス側役員であるオットー・ニーマイヤー卿[Sir Otto Ernst Niemeyer, 1883-1971]とインーグランド銀行総裁のモンタギュー・ノーマンは、戦争が終わるまでそれぞれの地位に留まったままだった。
(※ 政権の交代はBISにも中央銀行のも影響しなかったのである。)
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