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小沢、堀茂樹対談PART 2(1)堀茂樹前説

 人権宣言
 1789 フランス国民議会による「人と市民の権利の宣言」

  衆議院議員 小沢一郎 生活の党代表と慶大堀茂樹教授のちょっと硬派な対談 PART 2 (前半)  書き起こし「銅のはしご」氏から

 「銅のはしご」氏による「目次」

「憲法の話しをしよう」 

 堀茂樹 慶応大学総合政策学部教授のイントロダクション

 あえて根本の「憲法問題」
「憲法というのは,規範的価値を帯びている基本法」

堀茂樹 教授  

 皆さん,こんにちは。堀でございます。
先月上旬だったと思いますけれども,生活の党の小沢一郎代表と,今日これからやるような公開対談と言いますか,トーク・イヴェントをやりまして,その時のテーマは「政治とは何か」という事で,根本の根本を尋ねてみようと言うので,わりあい長く,とっくり話して頂きました。
 で,好評を得たと言う事でPART 2という事で,今日(のテーマ)は「憲法」なんですけれども。

 本当に今,日本,我々の社会・国の状況は切迫していると思います。もちろん,参議院選挙が迫っておりますし,その事もありますが,御存知のように何か訳分からない秘密のヴェールのもとでTPPが進んでいるようですし,
 このまま行くと日本は(TPPに)参加するという事になりそうですし,それからその後には,直後でしょうか,同時でしょうか,消費税の増税も控えている,と。
 それから,参議院選挙で,このままもし地滑り的に自公勢力が勝つという事になると,その後で起こって来るのがこの「憲法問題」も当然起こって来るという事で,
 本当に切迫しているし,日本は本当に,これで,このままで良いのかなと,私本当に,正直,かなり危機感を持っているんです。

 しかし,それぞれ,出来る事と出来ない事もあり,
 且つ,ですね,これちょっと暫らくの間は長丁場の,なんて言うかな,闘いって言って良いかどうか分かりませんが,本当に,闘いだと思うんですね。
 長丁場の戦いでしっかりと,真っ当な日本に,もう一回辿り着く。
 或いは,新たに辿り着くのかも知れませんけれども,そのためには,一方では,直近の課題に対処して動くという事も必要ですが,
 もう一方では,根本の問題をですね,良く考えておくと。しっかりとした考え方の土台を作っておくって事も極めて重要,有益だろうというふうに思うんですね。
 ですので,敢えて,根本の問題の「憲法問題」。

 もしかすると,憲法学者の人達がだいぶ動いた結果でしょうか,或いは世論調査等で「96条先行改定」する事についての懸念が表明されているせいでしょうか。
 何となく自民党のほうは「憲法問題」を参議院選挙の争点にしたくないのかなあという様な気配も見えますけれども,
 いずれにしても,これは,やって来る話しで,自民党のほうでは改定の「草案」を既に作っているわけですね。
 加えて,今圧倒的な勢力を持っている自民党だけじゃなくて,維新の会というのも,それ以上に,どうも過激な,憲法改正=改悪をやろうとしているようです。

 で,そこで,良識ある市民がですね,まともに考えておく必要があると思うんですね。
 これは,いわゆる「改憲」と「護憲」と,「改憲派」対「護憲派」という話しじゃないと思うんですね。
 そうではなくて,もう1回,カードを全部テーブルの上に並べてですね,根本から1回,日本の国家像というものを問い直しておく必要がある。
 その意味では,憲法について考え述べるという事は,重要な事だろうというので,今回は「憲法について話そう」ということで,小沢さんに議論をぶつけてみたい。

 憲法論と言うと,ほんとうに日本の政治家の中では「憲法論と言えば,小沢一郎」なんですよね。
 ですが,どうも,私,大学で若い人と付き合ってますので,何となく感じる事から言うと,若い世代ではあまりそれほど「憲法論と言えば,小沢一郎」って言う,それはあまり浸透していない,忘れられて来ていると言うのかな。
 何かその,世代交代の間にですね,その側面が,やや印象が薄くなって来ているのかなという事も思います。
 しかし,小沢さんが,色んな所で話していらっしゃるのとか,或いは生活の党の資料等を見ると,しっかり憲法論を続けて,継続してやっていらっしゃるんですね。
 だた,それがどういう意味を持つのか。
 何処にオリジナリティがあるのか。
 何処が面白さであって,何処が別の観点から見れば問題点なのか。
 必ずしもはっきりしてないですね。

 それで,そこんところをやりたいという事であります。これは,今日の主旨なんです。
 小沢さんが来られるまでにですね,若干のイントロダクションという事で話しを始めてるわけですが,憲法って,そもそも,憲法とは何なのか。

 「憲法とは何ぞや」と。
 それから今日(こんにち)よく言われる「立憲主義とは何ぞや」と。
 これについては,出来るだけ分かり易く簡単に確認をしておきたいと思います。
 と言いますのも,私最近,ご存知のように,近年になって日本の政治はほんと大丈夫かって事で政治のほうの人達の言ってる事や,オピニオン・リーダーの言ってる事に耳を傾けていると,まあ,かなりいい加減と。
 「立憲主義」って言うのも,何か憲法を立てれば,法治をやれば「立憲主義」だというふうに思ってるのかなという気配もありますし。
 或いはまたですね,大阪の方の或る人なんかは,国民を徹底的に信用して「民主主義」を徹底して,国民の意思で何度も(憲法を)変えても良いんだと。
 どんどん投票してですね,そして国民に任せるって言うのが「立憲主義」だって言ってる気配があったりして。「価値相対主義」と言う名でね。

 しかし,その時の「価値」は何を指してるのか。
 特殊な地域や文化や伝統の中で言う所の「価値」と,それを超えたものとして世界普遍のものとして考える「価値」と,これも分けて考えなければいけません。色々あるんですね。
 だから,かなり,いい加減だと思いますので,ちょっとまとめておきたい。

 「憲法とは,何ぞや」と。
 憲法ってconstitutionって言うんですね,私の専門のフランス語では,コンスティトュシオンって言うんですけれども。
 コンスティトュオールconstituer(注:仏語綴りなのでラテン語判明次第直します) というラテン語から来ているわけでして,これは,「形成する」ということで,constitutionって,つまり「骨組み」なんですね。
 例えば私はこんなあまり情けない,がたいがしっかりしてない。
 ですが小沢さんなんかは,しっかりしてらっしゃるんですね。ああいう方は「コンスティトュ-ションが良い」と言う言い方をするですね。
 「骨組みがしっかりしている」constitutionコンスティトュ-ションって,そういう意味もあります。
 そうすると,その語源から考えると,じゃあ憲法constitution とは,国や国の法律体系の骨組みであるのかなと。まあ普通に,考えられると思うんですね。
 ただ,これを押えた上で,全て語源が分かれば物事は解決するわけではないんですね。
 その語源も,どう解釈するかって言う問題がありましてね。語源だけで概念の本質が分かるわけではありません。

 そうしますと,constitution については,大きく言って2つの考え方があります。
 1つは,内容がどんな憲法であっても,法体系として良く整備され整合的であれば,ちゃんとした憲法なんだと考える方々
 それから,もう1つに,一方にですね,このconstitution とはある意味で,正しい・公正さを反映していなければならない。そして自由主義的なものでなくてはならないと。個人の自由を尊重すると言う事は,これは外せない条項だと考える方々と。
 大きく分けると2つありまして,前者の方はおそらく「法実証主義」 と言って良いんだろうと思いますが,正に後者が「立憲主義」なんですね。

 で,「立憲主義」というのは,民主主義とは,これは別のものなんですね。だから,君主制でも「立憲主義」はあるわけです。「立憲君主主義」って言うのはあるわけですね。

 私の尊敬する憲法学者の,日本随一と言っても良いんじゃないかと思いますが,樋口陽一先生と言う方がおられますが。ただし樋口先生の憲法をどうするかと言うオピニオンについては,私は必ずしも樋口先生と同じ意見じゃないと言うか,少し違うんですけれども,それは置いておいて。
 樋口先生本人,時々書いてらっしゃるけれども,明治憲法の議論があった時に,最後の段階で伊藤博文がね,あの伊藤博文が「立憲主義」を唱えた。そして憲法は国権を国民のために制限するものでなければいけないと,そういう事を言ったそうです。
 ですからね,いわゆる今日(こんにち)のような「民主主義」ではなくても「立憲主義」というものはあるわけです。
 「立憲主義」によって,国民の個人の自由を,或いは内心の自由とか,そういうものを国家権力から守ると。という事で,よく言われるように,国民が国家を縛る,それが憲法だ。というふうに考えるのが「立憲主義」だという事になっております。

 で,「立憲主義」じゃない考え方も実はあってですね,代表的な人ではカール・シュミットとかあるんですけれども,今日(こんにち)日本の政界,ジャーナリズム界等では,皆「立憲主義,立憲主義」って言ってますから,「立憲主義」で行くんだという事はコンセンサスなんだという事でお話ししますと,そうしますと君主制でも「立憲主義」はあるんです。そしてその時に,「国家権力を縛る」とよく言ってるわけです。
 問題は,今の「民主主義」ですね。「民主主義」は,当然,主権者は国民です。(主権者は)国民でありますから,「権力」と言ってるものも,これは言わば国民なんですね。
 自らが自らを統治するというのが「集団的自律」であって,これ正に「民主主義」でありますから,当然「国家権力」と言って,なんか「お上」としてあっちにいてですね,悪い事するかも知れないから,国民の不利益になるかも知れないから縛れば良いんだというふうな事を言ってたのでは,私は不充分なんじゃないかと思いますね。
 だって,その「権力」は国民を代表してるはずなんですから,システムとしては。

 例え今日(こんにち)の自民党がTPP(参加するのに)やらないとかウソついたりですね。こないだまでの民主党が消費税(増税)なんか全然関係ないような事だった筈なのに,急にやると言ったりするとしてもですね。それでも我々が選んで,我々の「権力」の筈なんです。
 ですから,「民主主義」においては,国家は,なにも「お上」で,怪しからん事をやる権力だとか,或いは「お上」だから偉いだとか,そういうもんじゃなくて,我々の「道具」なわけですよね,国家権力は。
 じゃあ,我々の「道具」である国家権力を我々が縛るというのは,どういう事なのか,という事が,ここを,しっかり見とかないと,話しが混乱してるんじゃないかと私は思います。

 だから「立憲主義」と言われても,「国家を縛る」と言ってもですね,何となく抽象的で良く分からない,わけの分からない話しになってるんじゃないかと,私は思います。
 これ,どういう事かと言いますと,よく言うのは「多数派の暴力を,少数派を守るために,制限するんだ」と。こういう言い方もよくします。
 それから,国民もその時々,判断を誤る事がある,と。だから,そう簡単に(憲法を)変えられるようにしちゃいけないんだ,と。だから,判断を誤る自分を縛っとかなきゃいけないんだ,と。と言う説明の仕方をする事もございますね。
 いずれも間違っているとは思いませんが,必ずしも多数派と少数派の問題だけじゃないですね。

 「民主主義」にも幾つかありまして,「立憲君主主義」と「絶対的君主主義」があるように,「民主主義」にも色々あって,ご存知のように共産主義は「人民民主主義」ですよね。
 しかし近代の我々が掲げているはずのものは,これは「自由民主主義」なんですね。
 で,自民党と言う政党があって(笑いながら)なんか「自由民主主義」のはずなんですけれども,どうも,そうじゃない事やってるから困るんですが。
 「自由民主主義」つまり自由主義的な「民主主義」なわけですよね。

 自由主義的な「民主主義」とは,何ぞや,と。
 これは,人権の根本である「自由権」を死守する,と。
 人権には「自由権」だけじゃなくて「社会権」とか「文化権」とかっていうものもあるわけでして(他にも)考えられるんですけれども,1789年のフランス革命で宣言され,もう少し前のアメリカ独立宣言でも表現されていた人権と言うのは,これは「自由権」なんですね。個人の自由なんですね。
 この個人の自由は侵すべからざるものだとして,確保した上で,色々政治を行なうというのが「自由民主主義」なはずです。
 で,先ほどから言っております「立憲主義」というのは,これは「自由民主主義」の,一つの要素なんですね。「立憲民主主義」でなければ「自由民主主義」は保てないし,「立憲民主主義」というのは「自由民主主義」の,一つ。その部分だと言う事ができます。

 じゃあつまり,どういう事かと言いますと,我々は「集団的自律」として「民主主義」をやっておりますね。
 「自律」というのは自分で自分を律するわけですよね。自分で,自分を超える掟を作って,その掟に自らが服すると。こういう事ですよね。
 「民主主義」だからと言って,「自由民主主義」においては,何を決めても良いわけではないんですね。全員一致であってもですよ。
 全員一致でですよ,全員一致で皆さん手を挙げてですね,「あそこにいる堀というのをボコボコにすると」ということは(笑)決めてはいけないわけですね。
 これ,全員一致で,圧倒的な賛成であっても,決めてはいけない。
 場合に依ったら,私自身が洗脳されて「私自身をボコボコにすべきだ」なんて事を言ったとしても,それでも,やってはいけないと考えるのが「自由民主主義」なんです。

 何故か。
 何故ならば,自らが,自分達の事を,自分の事を,自分で決定すると言う人間の自由。その意味の自由というのは,私をボコボコにするという事は,私の自由を圧殺するという事ですよね。完全に矛盾してるわけです。
 だから,自由を破壊したり,自由を譲り渡したり,言葉を変えれば,国家の場合は主権を他所に譲り渡したり,そういう事をする自由はないわけなんですね。

 ですから我々は「民主主義」っていうものは皆なで決める事で,皆なで決める政治じゃなきゃいけないんですけども,決めてはいけない事もあるわけですよ。
 ある個人の内心の自由を,無視してですね,本人が厭だと言うものを食わせるとかですね。本人が歌いたくないと言う歌を無理やり歌わせるとかですね。たとえその人が,公務員であろうと何であろうとですね。
 これは,やってはならない。
 と言うのは「自由主義」に反する事だからなんですね。
 その根本の原則に反する,矛盾する事なわけです。こういう事なんです。

 そうすると結局,憲法というのは,簡単に言うと,国民が,自分達で自分達の統治を行なうために,かなり永続的なものとして掲げている原理・原則だ,と。基本原則だと。こういう事だと思います。
 言葉を変えれば,規範ですね。(憲法は)規範的な意味を帯びている「基本法」だ,と。
 規範って言うのは大事で,規範て言うのは何がノーマルな事かという事ですね。で,これがノーマルな事だと言う,その性質を帯びている「基本法」だと。
 この,基本も大事でして,他の法律は,全てこの「基本法」に従っていなければいけないわけですね。
 だから,「立憲主義」の考え方に立てば,「憲法というのは,規範的価値を帯びている基本法」だと。こう言えると,私は確信しますし,これすなわち政治哲学の基礎の基礎で,まあ,常識なんですね。
 で,これを忘れてはいけない。
 そうすると,憲法は国にとってはそういうものですがね。

 これ考えてみれば,会社によく社訓ってのがありますよね。「わが社はこういう方針で公明正大にフェアに商売をやって社会に貢献するんだ」とかですね,社訓ってのがあります。
 それから場合によっては家訓ってのがあります。家に家訓があって「うちの家族はこういうふうに身を処して行かなければならない」と書いてあるのもあります。
 それから個人としてもですね,我々は「自分は人生をこのように生きよう」と,「こういう価値のために生きよう」という様な事を個人のモットーとして掲げる事があります。結局,それなんじゃないですかね,憲法って言うのは。

 つまり,そうであるとすればですよ,会社の人がどんどん変わるうちにですね,ああ今年から社訓を変えますとか,そんな事簡単にやったら社訓の意味がないですよね。家訓も同じです。個人の場合であっても,まあ良く考えて,考えが,信念が変われば,自分のモットーを変えても良いけれども,モットーと言う以上は,そう簡単にコロコロ変えたんじゃあ,モットーの意味がありません。つまり,自分を縛る意味なんです。自らが,自らを拘束するわけですからね。そういうもんじゃないかと。

 だから,これは,交通法規とは全く違う。交通法規なら,別に右側通行を左側通行にしたって,別になんていう事はありませんわね。明日からやろうと思えば,できない事もない。そんなに(難しくはない)。ちょっと混乱する程度じゃないでしょうかね。
 ですから,そう簡単に,その時々の個人の意思,家族の意思,会社の社員の意思。それから会社の場合だったら,この頃は株主の? 株主資本主義だから会社は社員のものでなくて完全に株主のもんだなんて言うイデオロギーが流行ってるから,株主がそれじゃあもう「社訓を変えるぞ」なんてやっていいのか。
 やっちゃ,いかんでしょう。
 
 だから憲法も,実はそういうものなんじゃないかというわけで,このような意味において「規範的価値を持つ基本法」と定義して良いんじゃないかと,私は思いまして,これ一応そんな間違った事じゃないと思います。

 で,但し一方で,飽くまでこれは国民が決めるものですから,神から与えられたものではない。
 明治憲法は天皇陛下からの欽定憲法でしたけれども,我々民主主義ですから,国民が考えて,変えていけないって事は,絶対にいけないって事はないはず。つまりこれは,不磨の大典ではないと。
 だから,改憲というものも議論して良いし,考える事ができるし,その場合は,何処をどう変えるのかっていう事を,考えなけりゃいけない。

 ただし,まあ後で,小沢さんどう思ってらっしゃるのか,そういう所も聞きたいと思いますが。
 果たして,根本原則まで変える事ができるかどうか,ね。
 これは,重大な所じゃないかと思いますね。
 統治の制度を,例えば何でしょうか...選挙の制度とか,二院制をどうするかとか,そういう事を変える事は,ありますが,それはむしろ,憲法の理念・基本理念に,より良くこの時代の環境の中で憲法(条文)をマッチさせるために,やるべきものでしょうから,それはあり得るかも知れないが,果たして,基本理念を手を付けて行くかと。
 これは,ちょっと,小沢さんのお考えも聞いてみたい所だと,思っております。
 で,こういうわけで「立憲主義」ってのは憲法によって「自由権」・人権の根幹たる「自由権」を,とりわけこれを統治権力から守ろうとする考えで,但しこの統治権力ってのは,国民が選んだ国民自身だと言っても良いわけなんですね,つまり。
 「自治」ですからね。
 だけど,先ほど言ったような意味で,自らを律する,と。自らを律するために自分が決める。自分達が決めるんだけれども,自分達を超えるものとして決めるという方法。掟を決めるという事だと。そういうのが,「立憲主義」の定義だと言って良いんじゃないかと思います。

 このようにして,「民主主義の衆愚化」とかですね,先ほど言った表現で言えば「多数派の暴走」というものを抑えると。
 但し根本的に考えれば,これは,自律の考え方「集団的自律」の考え方の理論に則って,憲法「立憲主義」的な価値を,捉え方をする憲法というのは成り立つんだという,これを頭に刻んでおくって言うかね。必要なんじゃないかと思います。
 そうでなければ,ただ言葉の上で「立憲主義」と言ってるだけであって,意味を為さないと思います。

 因みにですね,1789年のフランス人権宣言と言われているものがあります。この16条にはですね,
 「権利の保障が確保されず,権力の分立が定められていないすべての社会は,憲法を持っていない」と。
 「憲法を持っていない」と言わなければならないという事を,あの当時の1789年の人権宣言ってのは「人と市民の権利宣言」っていうのは全部で17条だったと思いますが,この第16条にそのように書いてもおります。
 こうしてですね,アメリカとかフランスとかイギリスとか,こういう所はいわゆる「自由民主主義」の先進国だったわけですけれども,そういう所で色々のこう深く考え方が,培われて,鍛えられて,そしてそれが日本にも入って来てですね,日本にも本当に優れた憲法学者の方々が大勢いらっしゃるんですね。

 日本でも,それはちゃんと自らのものにして行く事ができるんではないかというふうに私は思いますし,いずれにしても,その「立憲主義」と言う以上は,この原理・原則をですね,踏まえて議論する必要があるんじゃないかと。

 これをですね,イントロダクションのかわりに,最初に,力説しておきたかったんです。

堀茂樹 教授

 そろそろ,小沢さん,見えますか? まだですか。ああ,そうですか。
 小沢さん,あちこち地方を飛び回っていらっしゃるんでしょ。今日は,千葉だとか聞いてますけども。
 きのうは青森,一昨日は新潟,とか,そんな感じですからね,大変だなあ(笑)と思いますが,そんな中でも,そういう正に現場で色々闘ったり行動しなきゃならない一方で,この原理・原則についてもですね,今日は語って頂こうと言う要求は,大変かもしれませんが... そう思ってます。
 
 一応「立憲主義」のこと申しましたから,小沢さんを待ちながらちょっとお話しすると,どうして小沢一郎さんに,私,何で,どうして関心を持つかと。もちろんこの中にもいらっしゃると思いますが,私そんな昔からずっと小沢一郎支持者じゃなかったですね。
 私はまず,支持とか不支持とか言う以前にですね。こういう方多いと思いますが,やはり何と言っても「西松事件」「陸山会事件」で,(小沢さんは)本当に理不尽な酷い目に遭ったですね。

 本当にあり得ない

 一方で,日本の法治と言うものは,どういうものなのかと。それから,検察ってのは,正確には司法ではなく行政ですけれども,行政の一機関をですね,行政の代表である政府がコントロールする事もできない,と。
 あまつさえ検察・特捜は,国政を決める全くの政治の場への介入だったですね。
 国政を決める選挙の直前にですね,野党第1党の,総理になるであろう人物を急襲するような形で,ああいう「事件」に持って行くと。
 で,実際,「事件」の中身は本当に何にもなかったわけですから。
 空っぽ,ですよね。

 で,本当に私あの頃は,ウンザリしまして。もう,新聞見てもテレビ見てもですね。政治家の話を聞いてもですね。「政治とカネ,政治とカネ」でしょ。小沢一郎と言えば「政治とカネ」だったんですよ。何も「カネ」は悪いものじゃないですよね。
 それから,なんか「裏金」がどうとかしたって事では,全くなかったのに,そういうふうにしてイメージをなすりつける形で,非常に衆愚的な,「民主主義」じゃなくて衆愚政治が行なわれてるんですね。
 で,ご存知の,それから以降の展開になって,民主党政権もああいう事になり,現状に至っているというわけですよね。
ですから,その...日本は本当におかしいんじゃないかって言うのが,最初でした。
 それから,どうして,この小沢さんっていうのは,これ程やられるのかと。
 じゃあ,小沢さんってのを(分かるために)本を読んでみようかというんで,小沢さんの著書とか,インタヴュ本とか,けっこうあるんですよ。これを読みまして。
そして,「小沢叩き」の本ってのも,これも膨大にありますけど,これも色々読みまして。
 そして色々考えて,そこから今日(こんにち)の現代の日本の政治状況と言うのを考えると,自分が思っていたのよりは,よっぽど,おかしいと。

 それから,つらつら見て行くと,それだけじゃなくて,経済的にもですね,日本は一億総中流なんて言ってたのが,夢のまた夢みたいな時代になってしまってですね,ヨーロッパの古いタイプの国よりもそれ以上に貧富の格差があるような状況さえ生まれていると。
 それでも営々として国民が頑張ってるから或いは頑張って来たから,その富の蓄積があって。
 何か人を扇動するために,いい加減な事を言われる「日本はギリシャのようになる」とかですね。ああいう事は全く根も葉もない。まったく違う財政状況にあるって事も,知り,ですね。

 しかしながらですね,その国の富がきちんと分配されていないとか。或いは他所へ逃げてザルから漏れて行ってるとかですね。
 色んな事をだんだんと学びまして,それで何も政治学が,思想はそう(=専門)なんですけど,いわゆる現実の政治を分析するっていうのは全く専門でも何でもなく,今でももちろん専門ではないのですけれども,一市民として,興味を持ち関心を持って、そして大学では別の事をやっておりますけれども,少し発信をしていたら,何か色々お話を頂いてですね。
 で,こういうトーク・イヴェントをやらないかと言う事で,ここへ登場するという事になった次第です。

 で,私としてはもう,そう人生も長くないなと思うんで(笑)死ぬ時に後悔したくないなと思いましてね,やっぱり。
 だから,何処まで何ができるか分からないけれども,自分のこうだと思う事は,できれば発信して,聞いて頂いて,議論に付して頂いて,というような事を考え て,そういう市民としての貢献ができないかと。
 その時に,私これまで長い年月,何となくじゃないですけど色々本読んでですね,文学だとか哲学だとかやってですね(=研究して)来たので,まあ少しは役に立つかという事で,こういう所にしゃしゃり出ているわけなんですね。

 小沢さん,もうじき,間もなく,到着のようですけれども。

 重要な政治家・小沢一郎ですね。
 ちょっと質問をぶつけて,そして,この点はどうなのかと,この点はどう考えてらっしゃるのかと(テーブル上のレポートを1枚1枚捲りつつ)という様な事を,今日は結構突っ込んで聞いてみようと思います。

 どうでしょう? そろそろお見えになりました?
(小沢一郎さんが)お見えになったそうです。
 ーーーーーーーーーーーーー
 小沢。堀茂樹対談Part2(2)へ続く。
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うっかりしていました

ありがとうございます
訂正線が機種によって生かされないようでした。
うっかりしていました。

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