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もうすぐ北風が強くなる

日本に復帰して41年、憧れから憤激と決別へ

 普天間
 米軍海兵隊普天間基地 

   社説 本土復帰41年 自己決定権の尊重を 揺るがぬ普天間閉鎖の民意 5/15 琉球新報

 1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約に基づき米国施政権下に置かれた沖縄が日本に復帰して、きょうで41年を迎えた。「復帰してよかった」と心から喜べない。残念だが、そんな思いの県民が少なくないだろう。
 県知事をはじめ県議会、県内41市町村長と議会の全てが反対を表明した米軍普天間飛行場の県内移設計画が進み、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間飛行場への配備が強行されたからだ。
 日米両政府は沖縄を安全保障政策の踏み台ととらえる惰性から脱却し、普天間の閉鎖・撤去へ踏み出すべきだ。

 沖縄の民意、自己決定権を尊重するよう強く求めたい。

  基地依存は誤解

 今年の復帰の節目は、いつになく重苦しい。県民が「屈辱の日」として語り継いで来た4月28日に、政府が「主権回復の日」式典を開催し、祝ったからだ。
 国土面積の0・6%の沖縄県に在日米軍専用施設の74%が集中する。
 米軍、米兵の特権的地位を保障した不平等な日米地位協定の存在なども相まって「主権回復」と呼べる状況ではない。

 沖縄の現状に対する誤解を指摘したい。一つは沖縄県が基地経済に依存しており、基地がなくなれば困るのではないかとの考えだ。
 基地関係収入が県民総所得に占める割合は2009年で5・2%だ。復帰時の15・5%と比較すれば、比率は格段に下がっている。
 基地依存どころか、基地返還跡地の方が活況を呈している。那覇新都心の生産誘発額は返還前の16倍に上る。北谷町の美浜・ハンビーは215倍だ。県も沖縄21世紀ビジョンで米軍基地を「沖縄振興を進める上で大きな障害」だと言い切る。
 基地返還の方が経済効果が大きいことはもはや自明だ。

 沖縄県が基地駐留故に国の補助金を一番多くもらっているとの認識も誤解だ。明治大の池宮城秀正教授の分析によると、人口1人当たりの国からの依存財源は沖縄は31・5万円で全国18位だ。財政力指数の類似県と比較しても国依存の度合いは低い。
 国の沖縄振興策は実を結んだとは言い難い。復帰後、沖縄の振興予算は10兆円超に上る。社会資本は整備されたが、全国最低の県民所得や完全失業率など改善はみられない。
 「経済特区」制度を創設したが情報通信特区と特別自由貿易地域は優遇措置の適用企業は現在もゼロのままだ。金融特区も税制優遇を受ける認定事業者1社も2010年に撤退した。
 沖縄振興策は失策続きと言われても仕方ない。

  民主国家の振る舞い

 11年度の国発注県内公共工事は県内企業の受注額が全体の57・5%だ。42・5%は県外企業もしくは県内外の共同企業体で占められる。4割近くの事業費が県外に流出している「ザル経済」の現状は、あたかも宗主国に利益が還流する植民地の経済構造のようだ。
 基地、振興策で多くの矛盾を抱える状況にいら立ち日米の対沖縄政策を「植民地政策だ」と批判する声が増えている。本紙にもこうした投書が多く寄せられている。

 「植民地政策」の不当性を追及し、沖縄の自己決定権を取り戻そうという機運が高まり、15日には若手研究者らによる「琉球民族独立総合研究学会」が発足する。
 必ずしも「独立」が県民の多数意見ではない。が、人間としての尊厳を傷つけるこの国の有り様を嘆き、悲しむ中で「日本に復帰すべきだったのか」「自己決定権を取り戻すには独立しかないのでは」といった意見を各地のシンポジウムなどでも耳にすることが多くなった。県民は憤っている。深く悩み、悲しんでいる。

 日本にとって、沖縄とは何なのだろうか。
 強権的な政治で人権を蹂躙(じゅうりん)されている沖縄からは、この国の民主主義の機能不全ぶりがよく見える。
 安倍晋三首相はじめ全ての閣僚、官僚は、胸に手を当てて考えてほしい。
 民主国家にふさわしい振る舞いをしているのか、と。
 ーーーーーーーーーーーーー
   <金口木舌>続く「祖国」との葛藤  5/15 琉球新報

 5月で没後30年を迎えた寺山修司さんの有名な短歌に「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」がある。
 1958年の第一歌集「空には本」に収められた連作「祖国喪失」の一首だ

 ▼寺山さんは9歳の年、青森大空襲に遭い、炎の中を母と逃げ惑う経験をした。父はインドネシアで戦病死する。
 敗戦後、米軍基地の街となった三沢に住み、母は基地で働くようになる

 ▼国が始めた戦争によって父を奪われ、母はかつての敵国の元に職を求めた。似た境遇の少年は沖縄にもいたはずだ。
 寺山少年の心に結ばれた「祖国」の像ははかなく、疑心に満ちたものだったに違いない

 ▼最晩年に「祖国」を見限ったのが元コザ市長の大山朝常さん。97年の著書「沖縄独立宣言」で「日本は帰るべき『祖国』などではなかった」と断じた。
 復帰運動の担い手が義憤を込めた「遺言の書」だった

 ▼発刊直後、沖縄市の大山さん宅を訪ねた。「基地を沖縄だけに押し付けるのが民主国家のやることか。このまま沖縄は黙っておれるか」と厳しい口調で語った大山さんの憤りは、多くの県民が共有する

 ▼憧れ、渇望、失望、憤激。
 さまざまな感情が「祖国」にまとわりつく
 いまひとつ加えるとすれば決別だろうか。
 琉球独立を考える学会が復帰41年のきょう発足する。
 
 日本という国をめぐる沖縄の葛藤はこれからも続く。
 ーーーーーーーーーーー
  [大弦小弦]かつてない逆風の中、復帰の日を迎えた…...  5/15 沖縄タイムス

 かつてない逆風の中、復帰の日を迎えたのではないか。
 国策に物申せばインターネットから言葉の刃(やいば)が投げ付けられる。
 もはや批判を超えた暴言

▼日台漁業協定に抗議した与那国漁協のブログには「いらねぇよ、てめぇら」「総理が決めたことに対して(中略)偉そうな」などの書き込みが寄せられる。
 異論を許さないネットの言論に背筋が寒くなった

▼1月、オスプレイ配備に反対する東京行動の一団を出迎えたのはヘイトスピーチの嵐だ。
 保守系首長、議員でさえも標的になった。
 その一部は在日韓国・朝鮮人への「抗議」を繰り返している

▼ありもしない特権を敵視することと、沖縄がことさら優遇されているかのような言説を振りかざす点がそっくりだ。
 対話を前提としない攻撃性には、閉塞(へいそく)した社会への不満がにじんでいるように感じられる

▼安田浩一さんは「ネットと愛国」で、人間味ある人たちが徒党を組んだ途端、暴走する落差を描く。
 そして背後にいる一般の人々の心を透かして見せる。「彼ら彼女らの足元には(略)増悪の地下茎が広がっている」

▼米軍普天間飛行場の県内移設への手続きについて、56%が評価する本土世論と、75%が反対する県民の声との溝は深い。
 復帰から41年、
 不条理を訴え続ける営みこそが、その溝を埋める力となる。(具志堅学)
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450401.jpg
 1945/4/1 米軍が沖縄に上陸した。総数548,000人、艦艇1,500、上陸部隊182,000人。

450531.jpg
 1945/6月。米兵におびえる住民。粟国島。犠牲となった軍民は約20万人。半数が住民犠牲と考えられている。
 なお、当時の沖縄県の総人口は60万人を下回る程度であった。
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