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4.28沖縄「屈辱の日」に県民抗議集会

 130428沖縄

【号外】政府式典に抗議 「屈辱の日」大会に市民結集 4/28  琉球新報

 政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」開催に抗議する「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」(主催・同実行委員会)が28日午前11時、宜野湾市の宜野湾海浜公園屋外劇場で開かれた。
 始まる前から多くの県民が会場に続々と集結し、サンフランシスコ講和条約によって沖縄が日本から切り捨てられた「屈辱の日」の政府式典開催に怒りの拳を突き上げた。

 大会では「沖縄県民の心を踏みにじり、再び、沖縄切り捨てを行うものであり、到底許されるものではない」などとする決議を採択する。
 沖縄大会に連動し、宮古島市や鹿児島県奄美市などでも抗議集会があるほか、東京都内では抗議の市民集会が複数開かれる。
 沖縄大会では冒頭、沖縄返還運動などで歌われた「沖縄を返せ」を「沖縄に返せ」と題名と歌詞を変えてテーマ曲とし、参加者全員で合唱した。

 共同代表の喜納昌春県議会議長、「沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会」世話人の高良鉄美氏、県女性団体連絡協議会会長の伊志嶺雅子氏があいさつした後、中部地区青年団協議会代表が決意を述べる。
 連帯のあいさつでは、名護市の稲嶺進市長、座間味村議会の中村秀克議長、式典に反対の意思を示す紺色リボンの着用を呼び掛けている沖縄戦の元女子学徒隊有志「青春を語る会」の中山きく代表らがあいさつし「主権回復の日」式典に異議を唱える。

 共同代表の東條渥子県生活協同組合連合会長が大会決議とスローガンの提案・採択をした後、同じく共同代表の崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長、仲村信正連合沖縄会長、新垣繁信県統一連代表幹事、中村司県労連議長、新川秀清第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団長が「がってぃんならん五唱」で政府への怒りを表す。
 ーーーーーーーーーーーーー
  【社説】週のはじめに考える 日本の真の独立を思う 4/28 東京新聞

 きょう二十八日は主権回復の日。天皇、皇后両陛下も出席されての初の式典開催ですが、沖縄の当然ともいえる反発があっては虚心にはなれません。 
 サンフランシスコ講和条約が発効した一九五二年四月二十八日はどんな日だったか。データベースを検索して当時の新聞各紙を読み比べると、歓喜と不安が交錯する日だったことがわかります。
 六年八カ月の軍事占領からの解放。中日新聞(当時中部日本新聞)は一面に「雲ひらく」と題した横山大観画伯の大きな多色刷り富士山頂図を奮発しています。

 ◆歓喜と不安交錯の記念日

 朝日新聞は天声人語の「二つの日本に分割されなかった幸い」や「有史以来初の主権在民の独立国になったのである」に高揚感を漂わせます。「自主独立が外交の基本」-夕刊紙だった東京新聞はこの朝の吉田茂首相と内閣記者団との一問一答を掲載しています。
 不安は東西冷戦に由来します。五〇年六月、北朝鮮軍の砲撃から始まった朝鮮戦争は、死者四百万~五百万人、その大半が一般市民という凄惨(せいさん)な事態となりますが、まだ休戦に至っていません。講和も旧ソ連や大陸の中国との締結のない単独講和でした。

 中日新聞に「独立に想(おも)う」を寄稿した社会学の清水幾太郎は「アメリカのソ連包囲網の一環になったまでのこと。新しい大戦の危険は大きい」と不気味な予言。「八千五百万人の日本人が独立の気力をもって現実に働きかければ」と期待しました。「共産主義が歴史の必然」ともいわれた時代。世界の行方などわからないものです。

 講和条約と同時に発効した日米安全保障条約によって、西側陣営に立ち、反共の砦(とりで)の役割を担うことになった日本。
 戦後社会をけん引したのは吉田首相の軽武装・経済重視の「吉田ドクトリン」路線でしたが、最近の昭和史研究や豊下楢彦前関西学院大教授の「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波現代文庫)は、外交、防衛、安全保障面で昭和天皇の果たした役割の大きさを明らかにしています。
 昭和天皇の沖縄メッセージや講和条約交渉への天皇の介入は、沖縄の運命や日本の防衛や安全保障に決定的だったように見えます。

◆沖縄の犠牲に支えられて

 沖縄メッセージは四七年九月、天皇御用掛の寺崎英成氏が連合国マッカーサー総司令部に伝えた極秘メッセージ。
 (※北風:「天皇メッセージ」沖縄県公文書館)
 天皇が米軍の沖縄占領継続を希望し、占領は長期租借(二十五年ないし五十年、あるいはそれ以上)で-などの内容。七九年の文書発掘は沖縄に衝撃を与え、その後、入江侍従長の日記で内容がほぼ事実と確認されたことで、沖縄の人々は大きく傷ついたといわれます。

 豊下前教授はダレス米国務省顧問を相手にした講和条約、安保条約交渉でも、吉田首相と昭和天皇の二重外交があったことを論証しています。当時の天皇にとっての脅威は朝鮮半島にまで迫った共産主義でした。
 共産主義から天皇制を守ることは日本を守ることでもあったのでしょう。戦争放棄の憲法と非武装となった日本で天皇が頼ったのは米軍、それが沖縄占領継続の希望や基地提供でした。

 そこにはパワーポリティクスや外交的駆け引きの余地はなく、ダレスに対日交渉での当初からの目論見(もくろみ)「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利の確保」を勝ち取らせることになってしまいました。
 およそ独立にふさわしくないこの条約は、今も日米地位協定の不平等のなかに潜まされ、変えられていません。

 講和条約三条で沖縄は本土から分離され米国の施政権下に移されました。講和条約や安保条約の成立過程の検証は、本土の独立が沖縄の一方的犠牲の上に築かれていることを教えます。
 沖縄への理不尽は、世界一危険な普天間飛行場移転問題に集約的に現れます。
 沖縄の四十一全市町村長の反対にもかかわらず、政府は県内の辺野古移転を変えません。
 米軍の移転候補基地の比較衡量で満点は「本土の自衛隊基地」。辺野古への固執は本土移転回避の政治的理由としか思えません。

 日米安保の重要性は否定できません。それなら負担は国民が等しく、本土でも米軍基地を引き受けていくべきです。
 憲法改正に声高な政府や政治家が日米地位協定改定には及び腰なのはなぜか。国民のために当たり前のことを主張し要求していくのが独立国の政府、正しいことに勇気をもって立ち向かうのが独立国の国民。

◆日本全体で考える

 昭和を継いだ今上天皇の沖縄への思いはことに深いようです。昨年十二月の七十九歳の誕生日のお言葉は「日本全体の人が沖縄の人々の苦労を考えていくことが大事」でした。
 沖縄こそ真の主権回復の一歩にしたいものです。
 ーーーーーーーーーーーーー
 52沖縄
1952年 プライス勧告拒否、強制土地接収反対、沖縄の島ぐるみ闘争

 安倍政権が主張するサンフランシスコ講和条約「主権回復の日」とやらについての関連ページ。

「主権回復の日」は屈辱の日、独立国か?
「主権回復の日」は屈辱の日、半独立国!
4.28沖縄を米軍に渡し、本土を半植民地にした屈辱の講和条約
奴隷の日米地位協定
4.28那覇市は屈辱の紺色を掲げる!
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コメント

いい記事ですね。

拝読しました、いい記事ですね。

Re: いい記事ですね。

ありがとうございます。
沖縄は私の心に重いです。
でもね、
解ってくださる方がこうして、おられるので。
励みになります。

 4月28日を 「主権回復の日」として、沖縄の人々の神経を逆なでしたのは、意図したものだったのか、みんなマヌケだったせいか。
 この調子で、憲法改正するつもりなのが、怖い。

Re: タイトルなし

>  4月28日を 「主権回復の日」として、沖縄の人々の神経を逆なでしたのは、意図したものだったのか、みんなマヌケだったせいか。
  真面目な話として、意図的な可能性もあるのでは。
  米国にしてみれば本土と沖縄の民意にさらに亀裂を入れて分断する意図かも知れません。
  彼らに好都合ですから。

デタラメです

こういう沖縄の左翼や中国活動家に洗脳・扇動された集会を讃えるべきではありません。
沖縄で行われている、反日・反米教育の恐ろしさを知るべきです。

しげぞうさん どこがデタラメなのか 教えてください。

>沖縄や奄美、小笠原が日本から分離された1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効から、61年がたった。
 沖縄住民が「4・28=屈辱の日」として語り継いだ節目を、安倍晋三首相は「わが国の完全な主権回復」の日と再定義し、事実上の祝賀式典を開く。対米従属外交や沖縄の基地過重負担、県民の苦痛を正視しない政府の式典強行に強く抗議する。

沖縄の悔しさ、怒り、哀しみに、イデオロギーのレッテルを貼って、傷つけ脅し分裂させたいのすか?

反日、反米教育って例えば何なのですか?沖縄の人が怒るのは当たり前だと思いますが、しげぞうさん自身の考えをお聞かせください。

 右翼が良くて、左翼が悪いみたいにも聞こえますが,あなたは右翼ですか?あなたも、日本政府も、沖縄の哀しみにも、福島の哀しみにも、鈍感過ぎませんか?驚いてしまいます。
 

本土は60年代の高度成長などを経てかなりの人達が豊かになったと錯覚している中で、沖縄では米軍の圧政下で苦しんでいた。
そして今も駐留米軍はほとんどが沖縄を占領し、沖縄の平地はみな広大な米軍基地で、県民が住んでいるのは凸凹の丘陵地ばかり。水田も無い。
サンフランシスコ講和条約は沖縄切り捨ての講和だったわけですが、同時に米軍の治外法権を保証する日米地位協定、その地位協定を有効にする日米安保、その日米安保を有効にするための講和条約だった。
これを「主権回復」などと言うのは国民をよほどおめでたい者として愚弄している。
沖縄の屈辱に学ばなければならない。
米国に侵略されたイラクは全政党が反対して、米軍の治外法権(地位協定)を拒否し、米軍を完全撤退させた。
>  あなたも、日本政府も、沖縄の哀しみにも、福島の哀しみにも、鈍感過ぎませんか?驚いてしまいます。
まったく同意。驚くべきこの鈍感さ。
わけも分からず考えもせず、政府などへの異議はオール「左翼」と名付けて頭から除く。
こういう人は自分の胸に手を当てて1秒でも、自分で判断してほしいものです。

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