人間のマニュアル・ロボット化とモンスター顧客
2013-03-01

いつの頃からか何でもかんでもマニュアルばやりだ。
店員の応対はマニュアルどおりだし、その通りのことしか応対しなくてもマニュアルになかったとなるので本人はOKで、マニュアルの改正。追加となる。鉄道事故なども起きるたびにマニュアルが追加されて膨大なものになる。
覚えるのが大変で、他のことはわからない人間になる。同時に自分で判断して行動に責任をもつことは「余計なこと」か「禁止」になる。
日本人は明治以来の定形知識の偏重教育によって、権威を盲信し盲従する民族となった、世界でも有数のロボット奴隷人国家といって良いと思う。
それがオイルショックのころからだろうか、やたらとマニュアル化が叫ばれ、推進されてきた。
マニュアルロボットの大増産である。
ロボットは人間ではないからマニュアルのとおりにしか判断しない。またマニュアルどおりにしか思考しない。
そして何より、責任を取らない。
そう、こんな人間では社会は成り立たないし、企業は壊れてしまうのだ。
行列に4時間も立たされて冷静な日本人と海外で報道されたが、しばらくしたら言わなくなった。理性的で冷静だったわけではなく、奴隷的な忍従と慣らされた集団行動だったのがわかったためだろう。
増加する最低時給の長時間労働の職場は、ほとんどがマニュアル・ロボットの生産工場でもある。
年収800万の新中間層も頭のなかが責任回避と胡麻すり、いつでも弁解できるようになどが教訓になる以上は、自ら自分をマニュアル・ロボットに仕立てる職務と見做せるだろう。
まさしくマニュアル・ロボットの大増産と奴隷化がすすんでいる。
モンスター顧客よりも、このマニュアル・ロボット社会の方が大変に反社会的で致命的な害を及ぼすモンスターだ。
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モンスター顧客の意味 高橋清隆
「モンスター」とマニュアル化
「モンスターペアレント」「モンスターペイシャント」などの言葉が聞かれるようになって久しい。「暴走老人」という言葉も定着した。
大衆への浸透には当然、マスメディアが介在する。これらの宣伝目的は、自立心に基づく言動を排除することにあるとみる。
「モンスターペアレント」を『ウィキペディア』は「学校などに対して自己中心ともいえる理不尽な要求をする親を意味する」と説明している。
しかし、理不尽な内容ばかりだろうか。何かに異議を唱えたり、説明を求めたりしている姿を見れば、テレビや週刊誌の影響で「あっ、モンスターペアレントだ」と見なすのではあるまいか。
「モンスター」も「暴走」も対話が通用しない生き物、すなわち普通の人間の振る舞いでないという形容であることに注意する必要がある。
対話を排除する意図が仕込まれており、マニュアル化と抱き合わせで展開されているように思われてならない。
排除を狙う現場は学校や病院だけでなく、ショッピングセンターやコンビニ、ファストフード店、レストラン、ドラッグストアなどすべての店舗とサービス現場に及ぶ。
レジで列を待つあなたの前で、誰かが店員の困る質問を連射していたら、きっといら立つはず。「早く」と心の中で、あるいは口に出してつぶやき、迷惑、厄介者として扱うことになる。「モンスター○○」「暴走○○」の烙印は、無意識にもマニュアル対応の普及を促す。
定型化されている各店での対応は、決して誠実なものでもなければ、無謬性(むびゅうせい)の貫かれたものでもない。
欲しい商品を探してないので尋ねると、「出ているだけになります」と答える。棚まで足を運んだり、端末で在庫を確認する必要もない言葉である。
食べ物を注文すると、「○○も一緒にいかがですか」と催促される。
せっかくこちらがお金を落とそうとしているのに、逆に売り込んでくるとは何事か。お店に入るなり、「イートインですか」と聞いてくる所もある。わたしなどは、これだけで抗議したくなる。
「どうして日本語を使わないんですか」と。敵性言語を使ってどうする。
会計時に「○○カードはお持ちですか」と、支払いに乗じて自社グループのクレジットカードの勧誘宣伝をしている店もざらだ。多すぎて、今では注意する気もうせている。
「1000円からお預かりします」は文法的に誤りだ。
レストランで注文すると「お後はよろしいですか」と聞いてくるウエイター。
「後」に「お」をつけて丁寧語にすることが文法的に正しいのかどうか、わたしには分からない。
数百円の買い物で1万円札を出すと、「一緒に確認をお願いします」と言って「1、2、3…」などと幼児の学習作業に付き合わされることが多くなっている。責任転嫁の意図がうかがえる。
これは教育を受けていないマイノリティーを多く抱える米国で普及したものだが、わが国には算術というものがある。10から1を引けば9だ。日本人なら小学生でも知っている。
日本人の慣習に沿わないこうした接客態度は、こちらに物理的損害を与えるものでもない。言うのもばかばかしいので、大抵は黙ってやり過ごす。
ただし、いつまでも放置すべきでないものもある。例えば、レジで「袋はご利用ですか」などと聞かれることがある。袋をもらうと1円加算されたり、サーピスポイントが付かなかったりといった仕組みにしてある。これはCO2温暖化説を是認してのこと。
前提というより、この催促言葉が草の根レベルでの宣伝行為になっている。同説が産業発展を止める口実であり、人類を不幸に導くものであることは、賢明な読者には説明するまでもないだろう。
「健康・安全」を売り物にするある弁当チェーンは、化学調味料を使っている。メールで質問を繰り返した末、知った。
「保存料・合成着色料は不使用」と表示しており「化学調味料不使用」とは書いていないと釈明された。
しかし、「健康な食を提供することで、社会貢献」をグループの経営理念に掲げている。
大手飲料メーカーはアスパルテームを使った炭酸飲料を「ダイエット○○」の商品名で販売している。スリムな女優を起用し、さもやせられるように宣伝している。
しかし、テキサス大学のヘレン・ヘイズダ教授が米国糖尿病学会議で発表した調査によれば、ダイエット系飲料好きの人はそうでない人より70%も速く胴回りが大きくなる。
人工甘味料は食欲を促進させ、満足感を感知する脳細胞に損傷を与えるからである。
「健康」と表記された、豆乳をはじめとする大豆食品が普及している。
しかし、大豆は植物性食品の中で最も多くのグルタミン酸を含む。加水分解するとグルタミン酸が遊離するため、結果として通常の化学調味料を添加した食品より多くの害を人体に与えることになる。
大豆食品を日常的に摂取する人を25年間追跡調査し、脳をCTスキャンで解析したところ、認知症と脳萎縮の最も高い発症率が確認されている。
こうした認識に立って、レジで店員に質問を向けたらどうなるか。「支払いに乗じてカードの宣伝はしないでください」「釣り銭はそちらの責任で数えてください」などと諭したところで、「申し訳ございません」とマニュアル言葉で返され、また次の客から同じ対応に戻るのは必定である。
「なぜ、レジ袋をけちるの?」「これ、本当に体にいいの?」と単純に切り出せば本来、「地球温暖化につながるからでしょう」「うちは無添加だと思いますよ」と返すのが人間だ。
しかし、大資本傘下のチェーン店ではマニュアルが設定されていて、「当社ではそのように決められております」「それ以上のことはこちらではお答えしかねます」などとかわされるのが現実だ。
しかも、中小資本経営や個人のお店まで、半ば追随している。
無機質な返事にいらだって「原因は二酸化炭素じゃないだろ」「アスパラギン酸はネズミの脳に穴を開けた」などと絡めば、早晩後ろの客に「おい、早くしろ!」と怒鳴られるか、人を呼ばれることになる。
その際、「モンスター」という言葉が、この厄介者を片付けるために効力を発揮する。
言語操作による人間操縦
「モンスターペアレント」の言葉が流布されたためだろう、東京都の公立校の教職員の3分の1がすでに訴訟費用保険に加入しているという。
しかし、これは社会全般のマニュアル化計画に便乗した立場にすぎないというのがわたしの解釈だ。
定式化された言動を完全にプログラムされた人間は、機能的にロボットと同じになる。
1949年に書かれたジョージ・オーウェルの小説『1984』に「ニュースピークの諸原理」という付録が収められているが、ここには言語操作の遠大な目的が示されている。
「ニュースピーク」では一つの単語について単純で明瞭な意味以外を廃止し、一つの品詞としての役割しか持たせなくする。
品詞間の語尾変化を統一するとともに、複数の単語からなる語句は極力単純化する。
例えば、「自由な/免れた」という意味を持つ“free”という単語は後者だけの意味に限る。「政治的に自由」および「知的に自由」はもはや、概念として存在しないからである。
この新語は、舞台上の権力体制であるイギリス社会主義の奉ずるイデオロギー上の要請に応えるために考案されている。
ちなみにイギリス社会主義(English Socialism)は「ニュースピーク」で“Ingsoc”となる。
物語は1984年の設定だが、この新言語は2050年ごろまでにオールドスピークに取って代わる計画として描かれている。
その目的は、国民を思考不能にすること。思考が言葉に依存している以上、言葉を操作することで人間を支配できると考えた。
英国人ジャーナリストのデーヴィッド・アイク氏によれば、オーウェルはフェビアン協会との関わりを通じて、小説の題材を得ている。
同協会は漸進的な社会変革によって完全な社会主義建設を目指す団体で、ロスチャイルドシオニストの巣窟(そうくつ)であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)が母体である。
オーウェルが明かした新語創造の技術は、ロンドンのタビストック研究所などの組織が開発したとアイク氏は指摘する。
同研究所は1946年にロックフェラー財団の助成金で設立され、フェビアン協会や王立国際問題研究所(LSEの卒業生が圧倒的に多い)、 EU、CFR(外交問題評議会)と密接な関係にある。
言語を使った人間操縦技術の一つに、CIAが「スライド」と呼ぶものがある。
これは「政治的に公正」(ポリティカルコレクト)な見解を普及することで、その問題について深く考えたり、分析したり、調査することを妨害するように意図されている。
例えば、気候変動について言えば、コンセンサスは「人間活動が原因」ということになっていて、それに反することを口にすれば、甚だしい不見識者か狂人と思われる。
子宮頸(けい)がんワクチンの摂取に反対することも、同様の集団圧力が掛かる。
マスコミ各社も各政党のリーダーも、これらに反対していない。
「政治的に公正」のテクニックを使う代表的な人物に、マイケル・サンデル氏がいる。
フィナンシャルプランナーの天野統康氏が著書で指摘しているが、彼の命題は疑義を挟めない形になっている。「911テロの首謀者であるビンラディンをアメリカ軍が殺したのは正義か」といった具合だ。
言語を使った大衆操作は、マニュアルからテレビのコメンテーターの語り口に至るまで日常生活のあらゆる局面に仕組まれている。
TPPには反対しても、自由貿易に反対する媒体や政治家が1つも見当たらないのは、こうした工作の積み重ねの成果といえる。
考えてみれば、言語の使用を制限することで思考を制限する取り組みは、古くから行われてきた節がある。
敗戦直後の1946年に定められた当用漢字表、1981年内閣告示の常用漢字表もそうではないか。
読みの制限と字種そのものの削減は、日本語が持っていた語法の多様性を大きく損ねた。
現在、中国で使われている簡体字はその先駆けではあるまいか。
共産党が作った印象が強いが、『ウィキペディア』によれば、清朝末期の1909年から簡化運動は始まっている。
携帯電話を使った「ケータイ小説」やNHKの「ケータイ短歌」といった新形式の“文学”は、言葉に桎梏(しっこく)を取り付けた遊戯にしか見えない。これらを推進しているのは周波数帯の使用を許認可した政府や公共放送、世界的なインターネット企業であり、背後に強大な権力がちらつく。(続く)
究極の目的は心の隷属
こうした言語の不自由化策は、わが国でも100年前には実施され始めたとみる。
地名の表記自体がそうだ。村の名前や沢の名前、山の名前など、多様に呼ばれていたものを強引に漢字にはめ、統一した。
大抵の場合、発音も厳密には違う。さらに市町村合併を繰り返し、地名は減少の一途をたどる。
人名も同じ運命にありそうだ。消費増税の際、給付付き税額控除を口実に国民一人ひとりにID番号を割り振る個人識別番号(マイナンバー)制度が導入されようとしている。
「まさか地名や人名まで」といぶかしむかもしれないが、すでに鉄道駅には、「TY06」などとそれぞれ番号が割り振られている。
銀行や病院などでは、「個人情報を守る」理由から利用者を番号で呼んでいるではないか。先人たちの英知や思いが詰まった名称は思考の世界を果てしなく拡大させる源でもある。
これを取り上げることは、ロボット人間の飼育に大きな効果を持つ。
『1984』では、名称省略の効果を説明する例として「コミンテルン」挙げている。古い言葉では「共産主義者インターナショナル」と呼んだが、これでは普遍的な人類の兄弟愛と赤旗とバリケードとカール・マルクスとパリ・コミューンを重ね撮りした一枚の合成写真を想起させる。「コミンテルン」だと明確な組織と教義を暗示するだけで、ほとんど何も考えずに口にできる。
言葉の簡略化は連想の大部分をそぎ落とすことに意味がある。
名称を記号にしてしまえば、それ自体をピンポイントで指すのみで、言葉が持つ音からも背景や歴史に思いを巡らすことはもはや不可能だ。
言語改革が思考を制限することを説明してきたが、アイク氏によれば策略の究極の目的は心(マインド)を隷属させることにある。実験室のラット並みに極限まで、あらゆる反応パターン追従するように。すでに多くの人間が自分の言うこと、書くことを怖がっているではないか。恐怖する者は支配しやすい。
アイク氏は12年5月に邦訳されたhttp://www.hikaruland.co.jp/bunko/2012/05/17232418.html『ムーンマトリックス ゲームプラン編③』(ヒカルランド)の中で、近年の英国における言葉の規制を挙げている。「ブラック・プディング」が「朝食プディング」に言い換えさせられ、「ジンジャーブレッド・メン」というパン屋が「ジンジャーブレッド・パーソン」に名称変更させられたなど。これはわが国でも展開されていることである。
日本新聞協会は、早くから差別語・不快用語の言い換えを定めてきた。
「めくら」は「目が不自由な人」に、「飯場」は「作業員宿舎」と言わなければならない。
「スチュワーデス」は「キャビンアテンダント」になった。
これらが言い掛かりであることはお分かりだろう。学生時代、バイトで一緒だった「目の不自由な人」に、「めくらと言ってくれた方が楽だ」と言われたことがある。
今では、「これを言ったらセクハラに当たるのではないか」「これはパワハラと訴えられないだろうか」「体罰はしてないはずだ」と、多くの人が自分の言動を心配しながら職場で毎日を過ごしている。
マスクの着用を怠っていないか、求人票に年齢や性別を書き込んでいないかと油断ならない。
家にいてもゴミの出し方が間違っていないか、電力の使用量を超えていないか、シートベルトを締め忘れていないか、自転車を定めあれた場所に止めていないかと、気が気でない状況に追い込まれている。
びくびくさせることそれ自体を狙っていることは、この数年の街の状況変化で分かるはずだ。
警備員だらけではないか。英国では警察の法執行を代行する認定者制度の導入が発表された。
「認定者」に該当するのは警備員、地方公務員、駐車場の係員、万引き監視員、公園管理人など。CCTV(監視カメラ)オペレーターも警察業務を代行するとの証言もある。
わが国でもこれらの職種が増えているのはご覧の通りだ。駅の清掃人も要警戒ではないか。
われわれは言動の誤りをとがめられないよう、細心の注意を払って一日を過ごしつつある。
不合理に思っても、言葉にかみつけば「モンスター」とののしられかねない。
60すぎのおじいさんがコンビニで酒を買い、「年齢確認をお願いします」と言われておとなしくレジのボタンを押す。
誰がどう見たって未成年ではないのに。この暗黙の強制力こそ、モンスターではあるまいか。
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