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もうすぐ北風が強くなる

権力に屈しない科学を

 現実には科学は権力に牛耳られている。権力に都合の悪い研究は予算がつかなく、都合の良い成果を出す研究は優先的に巨額の予算がつくためだ。
 それにマスコミが大宣伝するので、権力にとって都合の良い成果で国民は洗脳される。
 地球温暖化詐欺が典型例だ。

 原子力安全神話や放射能安全教徒はとんでもない被害を拡大し続けている。
 権力に屈しない科学を国民が望まなければ、正しい科学にはならない。
 科学に限らない。
 すべてだが、声を挙げずに放置していては騙されるばかりである。
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【社説】週のはじめに考える 科学者よ、屈するな 2/24 東京新聞

 科学は進歩をもたらすが、時に害悪ももたらします。公害や原発事故などです。それらを避けるには、科学者たちの屈しない姿勢がまず欠かせません。

 原発については目下、活断層の評価などで、原子力規制委員会と電力会社との間で意見が分かれたりしています。日本は地震国なのだから、国民の納得のゆく結論がぜひほしいところです。

 国策でもあった原子力をめぐっては、当初から学者たちの激しい議論が起きていました。

◆湯川、坂田の委員辞任

 日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹は、請われて就任した原子力委員会の委員(非常勤)を短期で辞任し、やはり物理学者の坂田昌一が原子力委員会の専門部会委員を中途で辞めています。

 湯川の場合、病気静養を理由とし、また引き受けても一年程度という約束もしていたのですが、早期の原子炉導入にはもともと慎重な立場でした。

 坂田の場合、辞任の理由は明白でした。

 自ら委員を務める、原子炉導入を審議する委員会にあてて手紙を出していた。英国コールダーホール型原子炉の東海村導入をめぐり近隣住民の退避を決める際の放射線量の明示と、それをどういうふうに決めたかの審議の内容が公開されないままでは国民に責任がもてない、という内容でした。

 学者として、安全を保証できない、というのです。

 当時科学者らに原子力発電への反対は見られなかったのですが、世界に遅れまいとする積極派と、それよりも安全を重視する慎重派とがありました。積極派は原発推進の政治に同調的でした。

 慎重派は坂田らに代表される動きですが、原子炉ならその設計から材料、万一の放射能漏れへの対処まで自分たちでしっかりとつくるべきだという立場です。

◆政治に負かされたよう

 しかし残念ながら、湯川も坂田も辞めるという行動でしか抗議の意思を表明できなかった。その後を見れば、まるで政治に打ち負かされたようにも思われます。

 いくつもの公害の中でも熊本・水俣病はひどいものでした。

 住民に、メチル水銀の被害が現れ、一九五六年に熊本大医学部は原因としてチッソの工場排水に着目した。その三年後、厚生省(当時)の部会が原因は有機水銀化合物との答申を出す。ところが毒の廃水は海に流され続け、政府の公害認定はさらに九年後でした。

 一体、医師は、科学者は何をしていたのか。科学は人の苦しむのを見て見ぬふりをしていたのか。

 一体、政治、行政、またメディアは何をしていたのか。科学者の責任だけにしておいたのか。

 化学肥料を量産するチッソ水俣工場とは、食料増産を支える国策に違いなかった。しかし、それは苦しむ人々を放置したことにおいて、技術の進歩でも国家の発展でもなかったといえるでしょう。

 原子力は、より大きな国家的目的を与えられてきました。草創期は被爆国ゆえの核の平和利用、オイルショック後には石油の代替、最近の温暖化対策ではクリーンエネルギーであるというように。

 夢のような言葉によって危険は覆い隠されてきたのです。

 原子力規制委は、原発の新基準をつくりつつあります。
 冷ややかに見るのなら、欧州などの国際基準並みにするということなのですが、基準が厳しいほどその達成には当然ながら多額の費用と時間を要します。過去の“欠陥”を直さねばならないのです。

 田中俊一委員長は、「コストがいくらかかるかについて私は全く頭にない」と会見で言い切った。脳裏には科学者の責任があるでしょう。

 思い出されるのは、昨年の米国原子力規制委、ヤツコ委員長の辞任です。福島の事故の後、原発の電源喪失対策を厳しく求め、米国の原子力業界と対立していました。規制委の中で孤立していたともいわれます。

 彼自身に業界や政治を説き伏せるだけの力量がなかったのかもしれません。それは、あまりにも巨大な敵でもありました。

◆科学技術は人のため

 しかし、どうでしょう。

 もし、科学者が日和見になったり、骨抜きにされたら、科学は害悪をもたらすのではないか。

 それこそが公害の歴史でした。見るべきものを見逃し、唱えるべきことに沈黙してきたのです。

 現代科学の巨大化複雑化は、もはや科学自身が解決できないことすら生んでいるのではないか。そんな議論も聞きます。中でも核エネルギーとは恐るべき破壊力と消えない毒性をもたらすのです。

 科学技術とは、人のためにあるべきものです。だから今度こそ科学者が屈することなどあってはならないと強く思うのです。
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 (阿修羅から)この記事へのコメント

独立行法人の研究所(旧国立研究所)の研究員です。記事に賛同します。

私は決して屈したくありませんが、屈することを強いられている現実もあります。
そのことを書いてみました。

この10数年ほどの間に、研究所の予算のうち黙っていてももらえる予算(経常予算=自由に研究に使える)は極端に減らされてきました
ところが、日本の科学・技術予算の総額はあまり減っていません。
なぜなら、使い道を限定した「ひも付き」予算が大幅に増えたからです。
それを獲得しないと、大学も研究所も研究活動ができないように仕組まれています。

私の分野で具体的に言えば、地球温暖化をテーマにして「将来こんな恐ろしいことが起きる」と宣伝することを成果として出す研究をやらないと予算がもらえないようになっています。
申請すれば予算がもらえるのではなく、申請書類に具体的にどのような方法でどんなメンバーが何をして、どんな成果を出すか書かないといけません
その競争倍率は高いものでは数倍になり、ずっと獲得できないとほとんど研究ができません。
すると、「お前の研究所(大学)は成果(論文)が出ない」とお上から言われて、人員や予算をさらに削られます。

元来、大学も研究所もその多くは国が管理して税金で養ってもらっているとはいえ、政府が意図的に学問の自由・良心の自由をわい曲しているのです。
このような予算による管理体勢から抜け出すのは容易なことではありません。
結果的に多くの研究者が政府の犬になり下がっていく現実を、私は目の当たりにしています。
すべての資金がひも付きではありません。
「ひも無し」予算を獲得して、屈することなく科学的・社会的な真理を追究することこそ、今の研究者にできる唯一の道ではないか、と思います
 ーーーーーーーーーー
 関連ページ。
まかり通っている嘘だらけ
原発と放射能、数々の嘘と事実:小野
また不都合な事実、2000年以上冷え続けている
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