チェリノブイリの子ども:ナタリア・スジンナャ
2013-02-22
チェリノブイリ原発事故で被曝被災したベラルーシの子どもたちの作文集「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」チェルノブイリ支援運動九州 梓書店 から同名のブログに引用されています。
2/11から、そのうちのいくつかを紹介しています。
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ニガヨモギの香気 ナタリア・スジンナャ(16) 「チェリノブイリの子どもたち」から
ずいぶん昔に、ヒロシマ・ナガサキの話を聞かされたことがある。
原爆の刺すような光に殺された人、壁に焼きつけられた人の影。
地獄の灼熱の中で、生きながら苦しみもがいて死んでいったたくさんの人々。
頭ではわかっていても、その本当の恐ろしさを私は理解していなかった。
ヒロシマ・ナガサキの人々の苦しみや痛みを、はるか遠くの見知らぬ人のそれのように感じていた。ただ、「ヒロシマが、ここでなくてよかった」ぐらいに思っていた。
ところが、その恐怖がこの国でも現実のものとなってしまった。
当時8歳だった私には、何もわからなかった。
どうしてクラスの子たちみんなで「ピオネール・キャンプ」にいかなくてはいけないのだろう。どうして大人はこんなに驚いているの。どうしてママたちは泣いているのかしら。
キャンプにいる私たちのもとへ家族から送られてきた手紙には、外の果物や野菜をとって食べてはいけない、とか、イチゴやキノコを採ってはいけないということが書かれていた。
それさえ、私たちにとっては、めずらしく、ただの興味の的でしかなかった。驚きはしても恐さなどこれっぽちもなかった。
私たちは「チェルノブイリ」という言葉が何を意味するのか、ほとんどわかっていなかった。
春、色とりどりに香しい花の咲き乱れていた大地は、今やニガヨモギにびっしりと覆われてしまった。
事故は原子力発電所の誰かのミスで起こったという。
すべてが一瞬にして変わってしまった。うららかな、陽のさんさんと降り注いだあの朝に。真っ黒な風が吹きすさび、ベラルーシの青く澄んだ瞳を、悲しみと痛みの影でくもらせてしまった。
地球全体が、凍りつき、つぎの瞬間に、無言のまま揺るがした。時間もまた凍りついたように動かなくなった。
私たちは何も教えてもらえなかった。
気がついたときにはもう、間に合わなかった。
すでに子どもたちは被曝しており、避難のためキャンプに送られ、村はまるごと引っ越して人っ子一人いなくなった。
私たちのまわりがせわしく動き始めた。
補償。学校の給食や企業で行くサナトリウムの費用は無料になっている。両親は給料以外にも手当を受けとっており、私たちはそれで暮らしている。
だが、これで状況が少しでもよくなるのだろうか。
子どもが授業中に気絶しなくなるのだろうか。白血病で死ぬ人がいなくなるというのだろうか。
私たちのはれあがった甲状腺が元どおりになるとでもいうのだろうか。
私たちは以前よりも深く考えるようになった。
医者が人の生命を救おうと努力してみても、国家があらゆる補償を与えようとも、私たちから、チェルノブイリの刻印が消えることはない。
サナトリウムに行ったところで、家に帰ってくるのだから同じことだ。
私たちはこの土地に住み、ここでできる果実を食べる。どうすることもできない。
私たちは自分たちの犯した取り返しのつかない過ちに、今もそしてこの先もずっと苦しみ続けるのだろう。私たちだけではない。その子どもも、孫もひ孫も、だ。
なんということだろう。新聞は、私たちの体の状態をさまざまな事実と統計をならべて警告している。
ありとあらゆる体の異常、白血病、甲状腺肥大、私たちの体で休みなく続く変化。
私たちは自分たちだけではなく、知人や大切な人のことをも心配している。
だが、それと同じくらいに私たちを脅かしているものがまだある。私たちのゆがんだ魂。心の永遠の痛み。
このような悲劇にあっても、私たちは孤立しているわけではない。
世界中の人々が私たちに救いの手をさしのべてくれている。親切な、心のやさしい、他人の不幸をわかってあげられる人がいるというのは、もちろんいいことだ。
彼らは私たちを慰め、痛みをわかちあい、それを言葉だけでなく行動でも示してくれる。
彼らは、私たちに必要な援助や、機器を送ってきてくれる。
私たちは他国の人の善意に対してあつかましくなってしまったうえに、そのことを認めようとしない。
自分の傷を見せびらかし、自分でしでかした過ちを世界に賠償しろといっている。
私たちはいろんな国からの贈り物を平気な顔で受けとるようになってしまった。仕事も忘れ、資本主義世界からの好意に頼りきってしまっている。
私たちの社会は、まるで巣の中のかよわいひな鳥だ。
大きく口をあけ、餌をくれる母鳥を待っているのだ。仕事に精をだすかわりに、自らの欠陥を直すかわりに、他の国々の水準に追いつくかわりに、私たちはみな、無秩序な底なし沼に深くはまりこんでいっている。
援助はあくまで援助である。
他人の体で永久に寄生虫のように生きてゆくことはできない。自分の悲劇を売り物にするべきではない。
このことを心がけないことには、私たちは文明人として生きることはできない。
もちろん、私たちと彼らは同じではない。
私たちは目に見えない壁にかこまれている。私たちの多くがニガヨモギを背負っているからだ。
だからといって、街角でそれを大声でまくしたてるべきではない。わが民族は悲劇を他人に見せびらかせたりなどしない。
私たちは自分の運命に慣れてしまったかのように生きている。
だが、本当は、変えたくても変えられないからだまって苦しんでいるのだ。
それでも、心の奥深くで、冷たい絶望感がふるえている。時に、絶望が頭をもたげると、私たちは空を見上げ、たずねる。「なんのために……」答えはない。
私は、ある女の人の話を思いだす。仕事から帰ってきた彼女に、彼女のまだ幼い赤ちゃんがこう頼んだ。「ママ、キエフに連れてって。ぼく、死ぬ前に教会の鐘が見たい」
「赤子の口は真理を話す」ということわざを思い起こす。
世界は、何千もの人々がチェルノブイリの十字架にはりつけになり、何百万もの人々が毒によって殺されるその最期を、なす術もなくただ待っているのだろうか。
そんなの間違っている。生きなくては。
何をすべきか順序だてて考え、希望をもとう。
このような状況にも屈しない人々がいる。科学者はテクノロジーを安全なものにしようとし、科学を人類に役立てようと努力している。
医者は、限られた条件の中で、被害者一人一人を救おうとしている。
私たちはこの人たちのほうに、未来のため、私たちの子どものために、以前の恵み豊かな大地を取り戻さなくてはならない。
現在の社会は私たちにきびしい教訓を与えた。
おのおのがこの教訓から自分のいちばん大切なものを見つけだし、そして、自分の運命の、生命の、この地球の主人は自分だと悟らなくてはいけない。
手遅れになる前に、一歩ふみだそう。
苦痛を口実に無気力や無関心になるのではなく、それをバネに、大きくふみだそう。
誰も、二度とこの苦しみを味わわなくてすむように、この地球の人間と自然が再び毒におかされることのないよう努めよう。
私たちのすばらしい地球を、ニガヨモギの香気だけがただよう、生命のない無限の砂漠に変えたくない。
2/11から、そのうちのいくつかを紹介しています。
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ニガヨモギの香気 ナタリア・スジンナャ(16) 「チェリノブイリの子どもたち」から
ずいぶん昔に、ヒロシマ・ナガサキの話を聞かされたことがある。
原爆の刺すような光に殺された人、壁に焼きつけられた人の影。
地獄の灼熱の中で、生きながら苦しみもがいて死んでいったたくさんの人々。
頭ではわかっていても、その本当の恐ろしさを私は理解していなかった。
ヒロシマ・ナガサキの人々の苦しみや痛みを、はるか遠くの見知らぬ人のそれのように感じていた。ただ、「ヒロシマが、ここでなくてよかった」ぐらいに思っていた。
ところが、その恐怖がこの国でも現実のものとなってしまった。
当時8歳だった私には、何もわからなかった。
どうしてクラスの子たちみんなで「ピオネール・キャンプ」にいかなくてはいけないのだろう。どうして大人はこんなに驚いているの。どうしてママたちは泣いているのかしら。
キャンプにいる私たちのもとへ家族から送られてきた手紙には、外の果物や野菜をとって食べてはいけない、とか、イチゴやキノコを採ってはいけないということが書かれていた。
それさえ、私たちにとっては、めずらしく、ただの興味の的でしかなかった。驚きはしても恐さなどこれっぽちもなかった。
私たちは「チェルノブイリ」という言葉が何を意味するのか、ほとんどわかっていなかった。
春、色とりどりに香しい花の咲き乱れていた大地は、今やニガヨモギにびっしりと覆われてしまった。
事故は原子力発電所の誰かのミスで起こったという。
すべてが一瞬にして変わってしまった。うららかな、陽のさんさんと降り注いだあの朝に。真っ黒な風が吹きすさび、ベラルーシの青く澄んだ瞳を、悲しみと痛みの影でくもらせてしまった。
地球全体が、凍りつき、つぎの瞬間に、無言のまま揺るがした。時間もまた凍りついたように動かなくなった。
私たちは何も教えてもらえなかった。
気がついたときにはもう、間に合わなかった。
すでに子どもたちは被曝しており、避難のためキャンプに送られ、村はまるごと引っ越して人っ子一人いなくなった。
私たちのまわりがせわしく動き始めた。
補償。学校の給食や企業で行くサナトリウムの費用は無料になっている。両親は給料以外にも手当を受けとっており、私たちはそれで暮らしている。
だが、これで状況が少しでもよくなるのだろうか。
子どもが授業中に気絶しなくなるのだろうか。白血病で死ぬ人がいなくなるというのだろうか。
私たちのはれあがった甲状腺が元どおりになるとでもいうのだろうか。
私たちは以前よりも深く考えるようになった。
医者が人の生命を救おうと努力してみても、国家があらゆる補償を与えようとも、私たちから、チェルノブイリの刻印が消えることはない。
サナトリウムに行ったところで、家に帰ってくるのだから同じことだ。
私たちはこの土地に住み、ここでできる果実を食べる。どうすることもできない。
私たちは自分たちの犯した取り返しのつかない過ちに、今もそしてこの先もずっと苦しみ続けるのだろう。私たちだけではない。その子どもも、孫もひ孫も、だ。
なんということだろう。新聞は、私たちの体の状態をさまざまな事実と統計をならべて警告している。
ありとあらゆる体の異常、白血病、甲状腺肥大、私たちの体で休みなく続く変化。
私たちは自分たちだけではなく、知人や大切な人のことをも心配している。
だが、それと同じくらいに私たちを脅かしているものがまだある。私たちのゆがんだ魂。心の永遠の痛み。
このような悲劇にあっても、私たちは孤立しているわけではない。
世界中の人々が私たちに救いの手をさしのべてくれている。親切な、心のやさしい、他人の不幸をわかってあげられる人がいるというのは、もちろんいいことだ。
彼らは私たちを慰め、痛みをわかちあい、それを言葉だけでなく行動でも示してくれる。
彼らは、私たちに必要な援助や、機器を送ってきてくれる。
私たちは他国の人の善意に対してあつかましくなってしまったうえに、そのことを認めようとしない。
自分の傷を見せびらかし、自分でしでかした過ちを世界に賠償しろといっている。
私たちはいろんな国からの贈り物を平気な顔で受けとるようになってしまった。仕事も忘れ、資本主義世界からの好意に頼りきってしまっている。
私たちの社会は、まるで巣の中のかよわいひな鳥だ。
大きく口をあけ、餌をくれる母鳥を待っているのだ。仕事に精をだすかわりに、自らの欠陥を直すかわりに、他の国々の水準に追いつくかわりに、私たちはみな、無秩序な底なし沼に深くはまりこんでいっている。
援助はあくまで援助である。
他人の体で永久に寄生虫のように生きてゆくことはできない。自分の悲劇を売り物にするべきではない。
このことを心がけないことには、私たちは文明人として生きることはできない。
もちろん、私たちと彼らは同じではない。
私たちは目に見えない壁にかこまれている。私たちの多くがニガヨモギを背負っているからだ。
だからといって、街角でそれを大声でまくしたてるべきではない。わが民族は悲劇を他人に見せびらかせたりなどしない。
私たちは自分の運命に慣れてしまったかのように生きている。
だが、本当は、変えたくても変えられないからだまって苦しんでいるのだ。
それでも、心の奥深くで、冷たい絶望感がふるえている。時に、絶望が頭をもたげると、私たちは空を見上げ、たずねる。「なんのために……」答えはない。
私は、ある女の人の話を思いだす。仕事から帰ってきた彼女に、彼女のまだ幼い赤ちゃんがこう頼んだ。「ママ、キエフに連れてって。ぼく、死ぬ前に教会の鐘が見たい」
「赤子の口は真理を話す」ということわざを思い起こす。
世界は、何千もの人々がチェルノブイリの十字架にはりつけになり、何百万もの人々が毒によって殺されるその最期を、なす術もなくただ待っているのだろうか。
そんなの間違っている。生きなくては。
何をすべきか順序だてて考え、希望をもとう。
このような状況にも屈しない人々がいる。科学者はテクノロジーを安全なものにしようとし、科学を人類に役立てようと努力している。
医者は、限られた条件の中で、被害者一人一人を救おうとしている。
私たちはこの人たちのほうに、未来のため、私たちの子どものために、以前の恵み豊かな大地を取り戻さなくてはならない。
現在の社会は私たちにきびしい教訓を与えた。
おのおのがこの教訓から自分のいちばん大切なものを見つけだし、そして、自分の運命の、生命の、この地球の主人は自分だと悟らなくてはいけない。
手遅れになる前に、一歩ふみだそう。
苦痛を口実に無気力や無関心になるのではなく、それをバネに、大きくふみだそう。
誰も、二度とこの苦しみを味わわなくてすむように、この地球の人間と自然が再び毒におかされることのないよう努めよう。
私たちのすばらしい地球を、ニガヨモギの香気だけがただよう、生命のない無限の砂漠に変えたくない。
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