チェリノブイリの子ども:ジアナ・バルイコ
2013-02-11
私にふるさとをかえして ジアナ・バルイコ(15) 「子どもたちのチェリノブイリ」氏から
覆いはぎとられたこの世の神経は
あの世の苦しみを知っている
V・ビソッキー
遠くで誰か家族の声がする。
「息が苦しいよ。ラドーチカ」
私は夢の中でつぶやく。
「おばあちゃんなのね、行かないで、お願いだから。
私はおばあちゃんが好きなのよ。
もっともっといろんな話がしたいのよ」
「大地の揺れる声が聞こえるかい。ラドーチカ」
「いえ、聞こえないし、何も感じないわ。私は今病院の7階に寝てるの。
ここの窓からは、煙があがっている工場の煙突と、屋根がのこぎりの歯のように、連なった新築住宅が地平線まで続いているのが見えるわ。」
「生きているものにはわからないのかい」
おばあちゃんは苦しそうに寝返りをうち、うめき泣きながら、そう叫んだ。
「おばあちゃん、生きていたの?
2年前にブラーギンの墓地におばあちゃんは埋葬されたんじゃなかったの?」
沈黙があった。
「おばあちゃんどこなの?」
だが返ってきたのは、静けさだった。
私は虚脱感におそわれ、はっとして目がさめた。
恐ろしかった。
ドアのガラスのむこうの、長い暗い廊下のつきあたりではぼんやりとした明かりがぽつんとひかっていた。
町の上には灰色の朝の光があがってきた。
われにかえったように、私はおばあちゃんを抱きしめようと、手を伸ばした。
しかし、手にふれたものは、ガラスの壁だった。
空気に突き当たったかのように感じた。
あの世のおばあちゃんと、この世の私とをわけるガラスの壁だ。
「忘れないようにしてね、何もかも。覚えていてよ・・・・」
1986年4月の終わりのころ、大好きな猫がいなくなってしまった。
その時のことを、私は今でもよく覚えている。
5月のある日、私が家の外の椅子に座っていると、突然、白っぽく
毛がボロボロになったものが、にゃーとものかなしげに鳴いて私の
ひざにドスンと倒れた。
「うちのルイジューハじゃないのかい。」
おばあちゃんが叫んだ。
「どうして。どうして、赤い色だったのに、白くなっちゃったの」
私は聞いた。
「白髪になってしまったんだよ。なにか、恐ろしい、取り返しの
つかないことが起こったんだよ」
私は猫を胸に抱いた。
なつかしい匂いがした。
「ごめんね」
聞こえるか聞こえない程度の声でささやいた。
「私しゃもうすぐ死ぬ気がするよ。
あそこにいたんだもの。おなかがものすごく痛いんだよ。
あそこにいた人は、生きていけないのさ。」
そのときには、おばあちゃんが何故そういうことをいうのか、私もわからなかったが、この世の裂け目のふちにたっている様な気がした。
私はその4月にすべてが始まったことを、事故が起き世界が崩れていることを、何故今まで知らなかったのだろう。
92年2月、私はブラーギンからゴメリの病院に送られた。
病室の4人は全員同じ白血病患者だった。
うち2人はいまわしい死をやがて迎え、私とオーリャの二人が残った。
ある日、おしゃべりをしていたときだった。
オーリャが突然顔を曇らせて、私に質問してきた。
「あなた、生きていたい?ラーダ」
私の両手は音もなくひざに落ち、目から涙がこぼれた。
「泣かないで、お願いだから。ごめんね、悲しませて。」
オーリャは静かに言った。
「でも、私はあなたに何もしてやれないのよ。
私はもうすぐ死ぬわ。
どう思う?死ぬってこわいかしら。死っていろいろあるわね。
楽な死もあるし、苦しい死もあるし。
私を待っているのは恐ろしい死ね。」
「そんなふうに言わないで」
「あなたは死なないわよ。聞いているの、オーリャ」
私は叫ばんばかりだった。
真夜中、夢の中で、恐ろしい叫び声と医者の声がしたが目を覚ますことができなかった。
朝になると、ベットがひとつ空になっており、私の中で何かが崩れた。
私は何もたずねなかった。
即座にすべてがわかった。私は泣かなかったし、叫びもしなかった。
うつろな目で天井の黒い割れ目をながめた。
それは一夜のうちに、以前より広がったように見えた、
心配そうに、医者が私のところに2回もきた。
看護婦さんが何度もきた。
私にはかれらの話は何も聞こえなかった。
私は虚脱感におそわれていた。
夜、突然ふるえがはじまった。
冷や汗にぬれ、頭をまくらにうずめていると、おし殺したおばあちゃんの
声が聞こえた。
「泣いてごらん。楽になるよ。」
私は子供のころのように奇跡を期待した。
私の身に起こったすべてのこと、チェルノブイリの事故も、白髪になった
猫も、いとしい人たちの死も夢であり、すべてが昔のままであってほしいと
思った。
明日、15歳になる。
今日、医者がなぜか暗い顔で私の退院を告げ、そして母は泣き出した。
ブラーギンの家に帰った。
母が、自分n妹に男の子が生まれたので、行って支えてあげなければならな
いと言っていたが、私にはさっぱりわからなかった。
「支える」とはどういうことなのか。
赤ちゃんの誕生は、喜びであり、幸せなのに。
そのうえ、おばさんのところは長いこと赤ちゃんを待っていたのに。
赤ちゃんが生まれて一ヶ月半たった今、それがどういうことかはじめて
知った。
「ガーリャ。ガーロチカ」
母はおばさんを抱きしめた。
突然はげしく赤ちゃんが泣き出し、おばさんはゆりかごから赤ちゃんを取り出して、抱いた。
私はぞっとした。
赤ちゃんの頭は開き、脈をうっているのが見えるのだ。
私は外に飛び出し暗闇の庭を走りぬけた。
私はもう少しのところで気を失いそうになった。
私たちに何がおこっているのだろうか。
どこの、どんな裂け目にころがっていくのだろうか。
どうしてこの世の終わりに近づいているのだろうか。
家の中では赤ちゃんがひっきりなしに泣いていた。
この世に生まれたことを嘆いているように。
私はそこから、町から逃げ出した。私にも何かが起こるのではないか
という不安で気がおかしくなりそうだった。
私は野原にかけこみ、そこの冷たい湿った土の上に倒れこんだ。
大地が悔しさで叫び、泣いているのが感じられた。
苦い涙が私の目から流れた。
5月の苦い放射能も、私といっしょに泣いた。
私は暗いむなしさで叫んだ。
「私にふるさとをかえして」
「はだしで草原を歩きたいわ」
「湖の水を飲みたいわ」
「きれいな土の上に横たわりたいの」
「暖かい春の雨で顔を洗いたいの」
神様。私の言っていることが聞こえますか。
覆いはぎとられたこの世の神経は
あの世の苦しみを知っている
V・ビソッキー
遠くで誰か家族の声がする。
「息が苦しいよ。ラドーチカ」
私は夢の中でつぶやく。
「おばあちゃんなのね、行かないで、お願いだから。
私はおばあちゃんが好きなのよ。
もっともっといろんな話がしたいのよ」
「大地の揺れる声が聞こえるかい。ラドーチカ」
「いえ、聞こえないし、何も感じないわ。私は今病院の7階に寝てるの。
ここの窓からは、煙があがっている工場の煙突と、屋根がのこぎりの歯のように、連なった新築住宅が地平線まで続いているのが見えるわ。」
「生きているものにはわからないのかい」
おばあちゃんは苦しそうに寝返りをうち、うめき泣きながら、そう叫んだ。
「おばあちゃん、生きていたの?
2年前にブラーギンの墓地におばあちゃんは埋葬されたんじゃなかったの?」
沈黙があった。
「おばあちゃんどこなの?」
だが返ってきたのは、静けさだった。
私は虚脱感におそわれ、はっとして目がさめた。
恐ろしかった。
ドアのガラスのむこうの、長い暗い廊下のつきあたりではぼんやりとした明かりがぽつんとひかっていた。
町の上には灰色の朝の光があがってきた。
われにかえったように、私はおばあちゃんを抱きしめようと、手を伸ばした。
しかし、手にふれたものは、ガラスの壁だった。
空気に突き当たったかのように感じた。
あの世のおばあちゃんと、この世の私とをわけるガラスの壁だ。
「忘れないようにしてね、何もかも。覚えていてよ・・・・」
1986年4月の終わりのころ、大好きな猫がいなくなってしまった。
その時のことを、私は今でもよく覚えている。
5月のある日、私が家の外の椅子に座っていると、突然、白っぽく
毛がボロボロになったものが、にゃーとものかなしげに鳴いて私の
ひざにドスンと倒れた。
「うちのルイジューハじゃないのかい。」
おばあちゃんが叫んだ。
「どうして。どうして、赤い色だったのに、白くなっちゃったの」
私は聞いた。
「白髪になってしまったんだよ。なにか、恐ろしい、取り返しの
つかないことが起こったんだよ」
私は猫を胸に抱いた。
なつかしい匂いがした。
「ごめんね」
聞こえるか聞こえない程度の声でささやいた。
「私しゃもうすぐ死ぬ気がするよ。
あそこにいたんだもの。おなかがものすごく痛いんだよ。
あそこにいた人は、生きていけないのさ。」
そのときには、おばあちゃんが何故そういうことをいうのか、私もわからなかったが、この世の裂け目のふちにたっている様な気がした。
私はその4月にすべてが始まったことを、事故が起き世界が崩れていることを、何故今まで知らなかったのだろう。
92年2月、私はブラーギンからゴメリの病院に送られた。
病室の4人は全員同じ白血病患者だった。
うち2人はいまわしい死をやがて迎え、私とオーリャの二人が残った。
ある日、おしゃべりをしていたときだった。
オーリャが突然顔を曇らせて、私に質問してきた。
「あなた、生きていたい?ラーダ」
私の両手は音もなくひざに落ち、目から涙がこぼれた。
「泣かないで、お願いだから。ごめんね、悲しませて。」
オーリャは静かに言った。
「でも、私はあなたに何もしてやれないのよ。
私はもうすぐ死ぬわ。
どう思う?死ぬってこわいかしら。死っていろいろあるわね。
楽な死もあるし、苦しい死もあるし。
私を待っているのは恐ろしい死ね。」
「そんなふうに言わないで」
「あなたは死なないわよ。聞いているの、オーリャ」
私は叫ばんばかりだった。
真夜中、夢の中で、恐ろしい叫び声と医者の声がしたが目を覚ますことができなかった。
朝になると、ベットがひとつ空になっており、私の中で何かが崩れた。
私は何もたずねなかった。
即座にすべてがわかった。私は泣かなかったし、叫びもしなかった。
うつろな目で天井の黒い割れ目をながめた。
それは一夜のうちに、以前より広がったように見えた、
心配そうに、医者が私のところに2回もきた。
看護婦さんが何度もきた。
私にはかれらの話は何も聞こえなかった。
私は虚脱感におそわれていた。
夜、突然ふるえがはじまった。
冷や汗にぬれ、頭をまくらにうずめていると、おし殺したおばあちゃんの
声が聞こえた。
「泣いてごらん。楽になるよ。」
私は子供のころのように奇跡を期待した。
私の身に起こったすべてのこと、チェルノブイリの事故も、白髪になった
猫も、いとしい人たちの死も夢であり、すべてが昔のままであってほしいと
思った。
明日、15歳になる。
今日、医者がなぜか暗い顔で私の退院を告げ、そして母は泣き出した。
ブラーギンの家に帰った。
母が、自分n妹に男の子が生まれたので、行って支えてあげなければならな
いと言っていたが、私にはさっぱりわからなかった。
「支える」とはどういうことなのか。
赤ちゃんの誕生は、喜びであり、幸せなのに。
そのうえ、おばさんのところは長いこと赤ちゃんを待っていたのに。
赤ちゃんが生まれて一ヶ月半たった今、それがどういうことかはじめて
知った。
「ガーリャ。ガーロチカ」
母はおばさんを抱きしめた。
突然はげしく赤ちゃんが泣き出し、おばさんはゆりかごから赤ちゃんを取り出して、抱いた。
私はぞっとした。
赤ちゃんの頭は開き、脈をうっているのが見えるのだ。
私は外に飛び出し暗闇の庭を走りぬけた。
私はもう少しのところで気を失いそうになった。
私たちに何がおこっているのだろうか。
どこの、どんな裂け目にころがっていくのだろうか。
どうしてこの世の終わりに近づいているのだろうか。
家の中では赤ちゃんがひっきりなしに泣いていた。
この世に生まれたことを嘆いているように。
私はそこから、町から逃げ出した。私にも何かが起こるのではないか
という不安で気がおかしくなりそうだった。
私は野原にかけこみ、そこの冷たい湿った土の上に倒れこんだ。
大地が悔しさで叫び、泣いているのが感じられた。
苦い涙が私の目から流れた。
5月の苦い放射能も、私といっしょに泣いた。
私は暗いむなしさで叫んだ。
「私にふるさとをかえして」
「はだしで草原を歩きたいわ」
「湖の水を飲みたいわ」
「きれいな土の上に横たわりたいの」
「暖かい春の雨で顔を洗いたいの」
神様。私の言っていることが聞こえますか。
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