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広瀬隆12/14郡山講演(1)原子力マフィア

  原子力マフィアによる被ばく強制の歴史  12/14 広瀬隆 郡山講演 書き起し「kiikochan.blog」から

IAEAとICRP 国際原子力マフィアによる被ばく強制の歴史と福島県内の深刻な被ばくの現実
2012年12月14日 郡山市労働福祉会館
 20121217広瀬

今、郡山からタクシーに乗ってここに来る途中、
運転手さんが「労働福祉会館はなにかあるのか?」って言うから
説明してあげました。
IAEAというとんでもない奴が乗り込んでくるから、みんなで集まってやる。
「あなたたちボーッとしてちゃダメだよ」と言ったら、
「そうだよ」って、ちょうどホテルの前を通る時に「ここらしいな」って言ってましたけど、
「だけどこんなのを招くなんて福島県がおかしいんじゃないですか?」って僕が言ったんですね。
「そうだよ、あいつらはどうしようもない奴らだ」ってタクシーの運転手さんが言っていました。

良いですか、こういう事はすごく大事なんですね、
普通の、こういう会場に来られない人たちがそういう思いを持っているという事は、
すごく私の中で心強く思いました。
ですからそういう、今日この会場に来られない人の思いも込めてお話しさせていただきます。


みなさん、今までの放射能被曝の知識を一回全部捨てて下さい。
これからの話しは私も今まで講演会でほとんどしたことがありません。
だけれども、これが基礎になったこういう時代が出来てきたという事でですね、
なんとしても皆さんに知っていただきたい。

まず、東京新聞でこういう記事が出まして、なにをするんだろう?と
 広瀬1

「原子力安全に関する福島閣僚会議」なんでしょう?
放射能が安全だと、こういう事をやろうとしている訳です。

で、彼らの言葉を聞いていると、どうも汚染地帯に人間を戻したがっている。
こういう事がハッキリ書かれているわけです。

放射能汚染された地域での避難住民の早期帰還を目指す。
汚染地帯に人間を戻すって?
チェルノブイリ原発事故時の調査や復興に関わったベラルーシやウクライナ、
ロシアの研究者らによるチームをIAEAが結成し、福島に派遣するって?
一体こいつら頭のおかしなIAEAとは何者なのか・・・


この連中がなにをしたかというと、ご存じの26年前のソ連で起こりました、
チェルノブイリ原発事故の調査とか、そういう事と書いてありますが、そうじゃないですね。
要するに被爆地帯に人間を放置してきた。
そういう人間たちが、皆さんご存じの山下俊一とかですね、高村昇とか神谷研二という人間たちが、
皆さんのお子さんの命を預かっているという事です。

本当にこの集団、寒気がします。
今、悪魔という言葉を使っても皆さんはピンと来ないかもしれませんが、
この事をですね、お話しします。
それと、もうひとつはIAEAだけじゃなくてですね、WHOも連動しています。
国連がですよ。
 広瀬2

人類の健康を預かる組織なんですけれど、これがまた先月こういうね、
がんリスク 福島原発事故の影響 明らかな増加見えず
なんていうことを、いまもね、こういうことを、
要するにIAEAと連動してこういう事を出しています。
 広瀬3

こういう事についてこれからお話します。
みなさんに今までの事を忘れていただきたいというのはですね、
私は69歳ですから歴史を長い間見てきましたので、その事を知っていただきたい。
歴史を知っていただきたい。
ちょっと長い話ですが、

  放射線・放射能の危険性が明らかになった歴史

1895年12月28日
ドイツの物理学者ヴィルヘム・レントゲンが
実験装置から目に見えない光が放射されている事に気付いて、
それが多くの物体を通過する能力を持った放射線である事を発見して「X線」と名付けた。
そしてX線を使って、人体の骨を撮影できることを明らかにした。


ちょうど100年ちょっと前になりますが、レントゲンが
未知の放射線があるという事を発見しまして、それで未知なのでX線という名前を付けまして、
それでこうやって今我々が行っているレントゲンというものを使うようになった。
この写真の日付は1896年ですが、ちょうどその年ですが当時発明王のエジソンがいまして、
X線の画像でひと儲けしようと言う事でスタートしたんですが、
かれは、助手のダリーという男を使ってX線を使っては、助手にX線を浴びせて、

発明王エジソンは、1986年にX線画像を見る事が出来るX線透視装置を発明したが、
その実験台に助手のダリーを使った。
ダリーは実験のために両手、両足に何度もX線を浴びた結果、
皮膚がんに侵され、手術で両手両足を切断後癌が原因で死亡した。
エジソンはX線の危険性に気付いて、一切のX線の研究を止めた。


ところがこのダリーはかわいそうに、何度もX線を浴びたその結果皮膚がんになり、
そして手術で両手両足を切断して、そして最後にはがんで死亡しました。
で、エジソンがこの時に偉かったのは、これが危険なものだという事に気がついて、
一切の研究を止めました。

ところがその後ですね、ラジウムを精製して、
それが放射能の発生源であるという事を突き止めたキュリー夫人。
ご存じノーベル賞を受けた彼女。
彼女は1934年7月4日にそのラジウムの放射線の被ばくによる白血病で亡くなりました。

こういう歴史がありましたが、
みなさんはご存じないかもしれませんが、我々が子どもの時にこういう昔の目覚まし時計がありました。
夜になるとこういうふうに緑色になって綺麗に光るんですね、夜光塗料が塗ってあって。
我々はクリスマスに貰うと本当にうれしかったんです。
これは一体何か?
広瀬4

これは今緑色に見えるところは夜光塗料、ラジウムを使っている。
そのキュリー夫人を殺したラジウムです。

なんでラジウムが危険か?というと、
アルファ線とガンマ線の両方を出します。放射線です。
夜光塗料をですね時計に塗布する女工さん達がですね、それを筆で書くんですね。
筆で綺麗に拭こうとする、その時にラジウムをペロペロなめてやっていたわけです。
で、この人達はですね、女工さん達が貧血になる、あるいは白血球が減って免疫力がなくなってくる。
そして感染症を起こし、そしてついに癌になる。
数千人の人達がですね、被害に遭うという大変なことが起こったわけです。
今、この女工さん達の事を知っている人達は世界中でほとんどいません。

同じように今福島第一原発で働いてらっしゃる作業員さんの方達の事を思いやる、
本当に思いやる人達は日本にほとんどいないと思います。

口では言っても、それと同じなんです。
当時もこの1920年代という、大変な事なんですよ、被害者が数千人も出ています。
結局社会というのは忘れていくんですね、今の福島のみなさんの状況と同じなんです。
忘れていくんです。
あいつらは関係ない、俺たちの身を守ろう。
そう思うのが人間なんですね。

ただし、これが危険だという事はもう分かっていました

そうして社会問題になってきたので、1928年に
放射線医学の専門家を中心にして、X線が危ない、ラジウムも危ないという事で、
国際X線およびラジウム防護委員会
防護というのは人間を防護する、ね、そういう委員会が出来ました。

そしてですね、この時に委員に就任したのが、有名なロルフ・マキシミリアン・シーベルト。
みなさんがカウンターで測る時にシーベルトって使いますね、
このシーベルトが委員なんです。
そして、キュリー夫人が1934年に死んだ年にですね、
この年に初めて、この委員会が許容線量の値を発表しました。
どれぐらいになると危ないなのか…ということで、
ザーッとここへ歴史を書きますけれど、
広瀬5

この国際X線およびラジウム防護委員会が、ずっとこういういろいろな過程を経て、
今からお話しますが、現在のICRPがここですね。
1950年からICRPに変遷を遂げてきました。
この背後にですね、大変な原発の開発の歴史が絡んでくるんです。
この事が分かっていないと、皆さんがどういう人間を相手にしているのか?という事が分かりません。

  IAEAはどの世に誕生し…現代社会を蝕んでいるか

IAEAはこのような歴史の中でどのようにして誕生したかという事をお話します。

1938年12月、
ドイツの化学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンがウランに中性子を照射した時、
ウランよりも原子量の小さいバリウムを発見してウランの核分裂を発見。
この事実は、大西洋をわたってアメリカのブリンストン大学教授ニールス・ボーアに伝えられ、
コロンビア大学教授のイシドール・ラビとウィリス・ラムの二人がエンリコ・フェルミに伝えた。


ウランに中性子をあてるとウランよりも原子量の小さいものが出来る、
という事はウランに核分裂が起こる事を発見して、これが伝えられていきまして、

そして1941年第二次世界大戦、ナチスの侵略がはじまるわけですが、
第二次世界大戦が始まる直前ですけど、

1941年2月23日、アメリカの化学者グレン・T・シーボーグ博士らが、
バークレーの60インチサイクロトロンを使ってウランに重水素を衝突させる方法により、
世界で最初にプルトニウムを合成・分離した。


重水素というものをぶつけるとですね、ウランがプルトニウムに変わるという事を発見しまして、
それでちょうど第二次世界大戦に突入して言ったんですが、
アメリカがこの時中心になって、極秘裡に皆さんご存じの原子爆弾を製造しようという事で、
マンハッタン計画がスタート(1943年)して、
そしてこの原爆を製造するマンハッタン計画の科学者たちはこういうふうに考えました。

当時の彼らの漫画を見るとこういう漫画が書いてあります。
マッチ棒をこのように並べておくと、1本目に火を付けるとどうなるでしょう?
 広瀬6 広瀬7

こうして次々に火が広がって行くと。これが何か?というとですね、
今言った原爆の原理なんです。

ウラン235というものに中性子をぶつけると核分裂をして、
その時に二個以上の中性子が飛び出す事を発見しました。
そうして近くにあるウランがまた核分裂をする、
そうしてこうして次々に雪崩のように核分裂が進むんだ。
これが原子爆弾の発想の原理でした。
 広瀬8

これ、一瞬にですね、ダーーーッ!と雪崩のように連鎖反応が起こって巨大なエネルギーが出る。

で、原子力発電はですね、
この核分裂するウラン235の濃縮度をとにかく低くしている。
そうするとぶつかって同じように中性子が二個出てくるけれど、
濃縮度が低いので、235だけじゃなく、核分裂をしないものも、これは核分裂をしない(ウラン238)
こういう状態になると一定の比率で核分裂を取得できる。
 広瀬9

こうすれば原子力の燃焼を爆弾としてではなく、電気に使えるんではないか、ということで、
原子力発電の原理が生まれるわけです。
これは、後になってです。

しかしですね42年には
1942年12月2日
イタリアの物理学者エンリコ・フェルミと、ハンガリーの物理学者レオ・シラードが、
シカゴ大学で世界初の原子炉「シカゴ・パイル1号」を完成して臨界に達し、
史上初めて原子核分裂の連鎖反応を維持することに成功します。

そして1945年7月16日、
アメリカで人類最初の原子爆弾の実験が行われました。
これはプルトニウムを使ったものでした。
これがですね、その時の記録の写真ですが、
0.016秒後
 広瀬10

我々にはカウントできない短時間のうちにボンッ!と爆発が起こって、
そして次々と巨大な炎になって行く。
この事がついに明らかになって、
そして日本は当時アメリカと太平洋戦争をしていました。
それで彼ら自身が「地獄の日」と呼んだ原爆がですね広島に8月6日に投下されました。

そして、爆心地の温度は100万度というですね、想像を絶する、我々には理解できないものとなって、
爆風とそれから強烈な放射線が人間の身体を射抜いて、
そして生き残った人達も当時降ってきた雨、黒い雨と呼ばれる、そういうみなさんが浴びたものと同じ、
当時我々は死の灰と呼んでいましたが、死の灰を浴びまして、
それで今も沢山の人が後遺症に悩んだわけです。

当時の広島がこうですね、
14万人が一瞬で殺されていく。
まだ日本が戦争を止めないので、続いて長崎に原爆が投下されました。
この街の写真をよーく見て下さい。
街にまだ家がありますね、原爆投下前です。
で、原爆がここに投下されました。
そうしてどういう事が起こったかというと、
見て下さい、なんにも無くなっていますね。
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こうして一瞬に長崎で7万人の人達が焼き殺されるという、こういう悲惨な事が起こりました。
簡単に原理だけ申し上げます
ウラン235、ここに火薬で火を付けて火薬が爆発しますと、これがくっつきます。
くっつくと、さっき言った臨界を超えるんですね、そうするとこれが爆発を起こす、一瞬で。
100万分の1秒単位で。
 広瀬12

こうして広島がやられる。
そして長崎のプルトニウムの場合は外側に同じように爆薬を点火して、
そして真ん中に集まる、集まった時に臨界を超える。そして爆発をする。
こうして殺されたんですが、そうして日本が敗戦を迎える。

  日本敗戦、そして東西冷戦の時代へ

この後大変なことが起こります。それは東西冷戦時代です。
それはどういう事かというと、
1946年、ですから日本が敗戦した翌年ですが、

敗戦翌年の1946年3月5日 鉄のカーテン。
イギリスのチャーチル前首相が、アメリカ大統領トールマンに招かれ、
ミズーリ州フルトンの大学で行った演説の中で、
「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで
ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンiron curtain が降ろされた。
中部ヨーロッパと東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある」と、鉄のカーテン演説。
これに対して13日に、ソ連のスターリンがプラウダ汽車に「チャーチルは戦争挑発者」と批判して、
東西冷戦の時代に突入。


チャーチルがアメリカで演説をしまして、
ソ連は鉄のカーテンの向こう側にあるという演説をいたしまして、
直ちにソ連側は反論しました。という事で東西冷戦時代、民主主義と共産主義の世界的な冷戦。
直接火花は散らさないがお互いに対立していくという、そういう時代に入りました。

それでアメリカはすぐに、
1946年6月30日
南太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で最初の原爆実験が行われ、
恐怖の大気中核実験の時代が幕を切って落とした。


そしてこれは私が小学校の頃なんですが、こうして核実験が、
皆さん若い方には想像もできない事ですが、こうして最初の原爆実験が行われまして、
見て下さい、これ、これは最初の海中原爆実験なんですが、
 広瀬13

これ、ここにあるのが船ですよ。
とてつもない原爆実験ですが、こんなことを始めた訳です。

  核兵器

じゃあ、核兵器と我々が呼んでいるものはなにかと言いますと、
私たちが子どもの頃は核兵器という言葉は使いませんでした。
原爆、水爆あるいは原水爆といっていました。

核兵器というのは、殺す側の言葉です。
殺される側は原爆水爆と言います。被害者の方はね。
だから、私はどうも核という言葉は好きじゃありません。これは殺す側の言葉です。
核兵器、それがいつの間にか使われるようになりましたが、

1946年7月23日にビキニで2発目の核実験(最初の海中核実験)が実施され、
予期せぬプルトニウム汚染を起こしたことから、被ばく研究の必要性を感じたアメリカは、
11月26日にトールマン大統領が海軍省覚書(Shields Warren博士作成)に署名し、
原爆傷害調査委員会(ABCC-Atomic Bomb Casualty commission)を設立して、
広島と長崎の原爆被爆生存者に関する放射線の医学的・生物学的影響を調査し始めた。


海柱の中にプルトニウム汚染が起きたんです、アメリカ人が自分でやりながらですね、
それで被爆汚染の調査をしました。
実際に自分たちで実験をやっていながら、自分たちも被ばくするんだという事で、
それでABCCというのをつくりました。
これは悪名高いものです。
これは広島長崎の原爆で生存した人達を調べて、そうすればわかるだろうという事で、
放射線の医学的生物学的影響を調べ始めました。

このABCCは、長期的影響について、
生存者ばかりでなく子どもに対する遺伝的な影響も含めて、調査を行った。
だが、被爆者の治療を一切行わず、被爆者を人体実験の被験者として調べた。
なぜか?
ABCC創設を提唱した男シールズ・ウィーレンは→
1947~52年原子力委員会(AEC)生物医学班のボス→
1952~58年AEC医学顧問→
1955~63年原爆の放射線影響科学委員会の国連代表となる。


子どもに対する調査も大量に行って、そしてそれを全部持ち帰って、日本人には知らせない。
そして被爆者の治療を一切行わないんですね。
ともかく実際に人体実験という形で広島長崎の被爆者をずーーっと調べ上げている。
じゃあ、誰がやったのか?という事はどこにも書かれていないんですが、

私は調べてみました。
シールズ・ウィーレンという人物がいたことがわかりまして、
これがのちにアメリカの原子力委員会の生物医学班のボスになって、
ここが大事なんですが、原爆の放射線影響科学委員会の国連代表、
いま、我々が大事にしている国連という組織がですね、
このころからやっている、それもトップになっている。

これがなんでわかったか?と言いますと、私は調べる方法を知っていまして、
Who was Who Americaという本があります。
それをずっと調べていけばよくて、この人間を調べますとこういう記録が出てきます。
シールズ・ウィーレンというのがね。

アメリカは全部調べられるようになっています。
そしてずっと読んでいくとABCCや国連でやっていた事が分かりますが、
大事なことは、
日本の原爆の医学的な影響を調べる、その事で彼は非常に評価されている」と書かれています。
この言葉を覚えておいてほしいんですが、
「遺伝の影響を調べる」という事で、これは私がいま一番心配している現象ですね。
身体の中に起こっているそういう事を調べていた
という事ですね。

広島と長崎の生き残って生存した被爆者を調べたとここにも書いてある。
治療はしていません、ただ調べただけです

こうしてですね、こういう連中がトップになったわけですが、
ここからがおそらくほとんどの方がご存じないでしょう。
大変なことがこの背後に進行していたんです、
 ーーーーーーーーーーーーーー
 広瀬隆12/14郡山講演(2)へ続く
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