近藤誠インタビュー(2)医療を変える
2012-09-30
近藤誠インタビュー(1)からの続き
ーーーーーーーーーーーーー
医療界を変えるプロセスや展望、医療裁判へのお考えなど、先生ならでは、のお話をうかがいました。
情報公開による変革
―前回「世の中を変える」と言われました。先生のお立場からすれば、それは「医療界を変える」ことによって、もたらされるもの、と言って良いかもしれません。
キーは情報公開だね。
医療界は内部から変えるのは難しいので、外部から変えていくしかない。そのためには、まず患者さんに変わっていただく。
患者が変われば、医療界も変わらざるを得ない。
その意味では、乳がんの温存療法普及は成功したと思う。去年の全国統計で、40%の患者が温存療法を受けるまでになっています。
―乳がんと診断された場合、誰もが温存を願うと思います。それゆえ、セカンド・オピニオンを求める代表的な疾患といえますね。
そうだね。何の病気でも、痛くも痒くもなく自覚症状がない場合に、手術を勧められたらセカンド・オピニオンを求めたほうが良いね。
―ですが、主治医以外に意見を求めるということは、日本ではなじみが薄く、今でもなかなか踏み切れないと思いますが?
いや、切羽詰まれば求めますよ。
患者の中の、わずか1~2%でもセカンド・オピニオンを求めて転院するようなことが起きると、医者側にとって非常なショックとなる。
なにしろ、今まで患者さんから愛想をつかされたことがないからね。
乳がんでは正にそれが起こった。僕のところに来る年間200人の患者のほとんどが、主治医に「私は近藤のところに行く」と言って来たわけで、その主治医の、その後の行動は容易に想像できる。
つまり対策を練るわけだ。
言葉は悪いが、患者さんに逃げられないようにする(笑)。
小手先での対応では、また逃げられてしまうから、結局は治療法を変えるしかない。
それが、乳がんであれば何でも切る、という方針を変える結果となった。
全員でなくとも一部の人がセカンド・オピニオンを求めたからこそ、医者が変わるきっかけとなった。
これが医療界を変えていく一番の近道と思っている。
―おもしろいですね。最初からこの効果を意識されて、情報公開などの活動をされた?
意識はしていたよ。ただ単に「欧米では、温存療法をやっているらしいぞ」という話だけでは、これだけのスピードで普及はしなかったと思う。
ちょうど患者の権利意識が高まった時期であり、乳がん患者の団体であるイデアフォーができたりして「切除以外にも温存療法がある」と患者側から情報を発信し始めた。
こうした動きが普及に大きな役割を果たした。
―患者さん同士は、横のつながりが大きいですからね。
医師選別の時代
―今後の医療界の展望を知る上でのポイントをお聞かせください。
日本経済の将来と非常にリンクしているので、経済の先行き次第で、どのようにも変わる。結局はGDPの何%を医療費に充てるか、ということになる。
全体のパイが大きくなれば医療も活発になるだろうし、しぼんでいけば、抑制される。これがポイントの一つ。
もう一つは老人医療が在宅と福祉へ移行する。
高齢化が進むと、さらに医療費がかかり、やがて破綻するから福祉へ振り向けよう、となってくる。介護保険制度もあるが、今後はさらにその動きが加速するのではないか。
―老人医療として考えるのでなく福祉として考える?
そう。実際、診療所や病院が福祉施設を併設するケースが増えているが、患者さんを囲い込むため、という一面がある。
また今後は医者が増えていくので、医者一人一人の取り分が少なくなる。
ところが一方で、医療費の中で、薬剤費の占める割合が高く、また医療機器も欧米に比べて高い。
このあたりを減らすことができれば、その分、医者や看護婦、薬剤師への人件費にまわせるはずだ。つまり医者が増えても、その給料を下げずに済む可能性もある。
いずれにせよ、パイの取り合いになるだろうね。
適正な医療費配分システムを作ることができるかどうかが、医者のこれからの暮し向きを変えていくと思う。
―具体的には、どういったことが予想されますか?
どんな制度になろうとも、優れた医者を求めるという流れはなくならない。最終的には個々の医者の実力次第だと思う。
きちんと勉強もして、実力もある医者が生き残り、ポストを得て収入も確保できる。
情報公開が進めば、医者の実力もわかってしまい、選別されるだろう。
以前、ドイツでは医者がタクシーの運転手をしていると聞いたことがある。日本でも医学部を卒業したが、医者にならずに医学雑誌の記者になったりする人も出てきている。
医学部卒業イコール医者になる、が当てはまらず、医者の数の調整が起こる。
医療を行うには、ある一定の人数が必要だが、すべてを医療という枠組みに押し込めようとしているので不都合が出てきていると思う。
―歪みが出ている。
うん。本当に医療を必要としている患者さんの数は、あまり変化がない。つまり急に増えたりしないわけだ。
そうなると元気で、ご飯もうまいと思っている健康な人から病気を見つけだそうとする。
それで、がん検診や健康診断が叫ばれるようになる。本当にそれが人々の利益となるというデータが実はない。
―最近、そうした検診などの効果に対しての疑問の声も聞かれます。
これは効果や効率の問題ばかりでなく、政策的な問題でもある。
がん検診でいうと、そのキーワードは「予防」だが、医者の数が増え続けるので「予防」を叫ぶことにより、そのテリトリーを広げようとしているのだと思う。
言い換えれば医者の数がもっと少なくて、一定の人数であれば、医者たちには予防活動をする余裕はない。
症状の出た患者さんだけしか診られない。結局、今まで日本は医者の数を計画的に配分してこなかった。医者になる人数枠を設けず、増えるに任せている。
イギリスなどは、逆に医者の数に統制をかけているが過疎医療になり、なかなか手術してくれないという状況もある。
どちらも問題はあるが、日本の場合は行き過ぎている。将来、医者の数を減らそうという話が必ず出てくるだろう。
また医師免許の更新制がないのは先進国では日本だけだ。
―医師が医療過誤などで有罪になったとしても、免許を失効することなく停止期間を過ぎると、また医師として復帰しますね。
日本では医療ミスで免許を取り上げられた医者はいないんだよ。
―なぜなのか不思議なのですが。
いや、本当に不思議なんだよ。僕もひどいと思う。
―たとえば自動車事故で死なせてしまったりしたら、運転免許は取り上げられますよね。
もっと医師会の力を削いで、きちんとしたシステムを作らなくてはいけない。優遇されすぎていると精神も弛緩するからダメなんだよ。
免許更新制度と懲罰の二つは絶対必要だ。
―問題を起こせば必ずペナルティーがあってしかるべき、という社会規範に近づけることが必要なわけですね。またその必要がなかったということが、むしろおかしかった?
そうだね。
疑問を持つことの重要性
―今後の医療活動ですが。
淡々と日常の診療業務を続けていく。そして医療について、何か問題があれば発言をしていく。
発言することをメインに考えているわけではないが、必要性があって誰も発言していなければ、本に書いたり発言したりしていく。
―何冊か同時進行でご執筆されているそうですが、年間で何冊ぐらいのペースで執筆されているのですか?
ここ何年かは2~3冊のペースかな。
―版元からの依頼のテーマでも書かれる?
今、必要だと思ったことを書くのが、ほとんどです。
―今このテーマで書くべきだ、書く時期である、ということを考えて執筆しているのですね?
そう。本に盛り込むデータを裏づける作業がなければ月に一冊は書けるよ。
ただ、書いたことに誰かが反論してくる場合、たいていは、ある一行だけを抜き出して「これ違っているじゃないか」と言ってくるんだよ。
しかも、そこを強調して全体が違っているかのように印象づけようとする。
それが予想できるから一行一行をよく吟味して、その裏づけとなるデータを用意しておく。その確認作業がなければ早く書けるよ。
今度出す本は、文藝春秋で書いている不定期連載をまとめたものと、もう二冊は患者団体との共著で出そうとしている。
将来は「がんは放っておいたらどうなるか」といったテーマでも書こうかと思っている。
―先生は講師として、後進を指導する立場でもありますが、最近お感じになったことなどあれば。
人間的に素直で良いが、学問に執着しないね。だいたい本を読まない。
僕は研修医の時から時間があれば、机にかじりついて専門書を読んでいたので、余計にそう思うのかもしれないが、そうした人を見かけない。そんなことで良いのかね、と思うことがある。
そういえば僕の学生時代に比べて、持ち歩く教科書が薄くなったような気がするな。洋書を読む学生も見ない。国家試験にしてもマニュアル化が進みすぎている。
僕らの時も国家試験対策はあったが、今ほどじゃなかった。学生時代に『New England Journal of Medicine』を読んで、ディスカッションしたりもした。
国家試験対策のマニュアル本を読む程度じゃいけない。
また、何でも「上の人に言われたから」とか「本に書いてあるから」など、無条件に信じるのは良くない。
疑問を持つことが大切だと思う。疑問を持って質問をし、相手に答えてもらい、それを踏まえて、また質問するというディスカッションが必要だ。
よく「何か質問はないか?」と聞くんだけど、めったにないんだよね。
―質問する、ということがわからない?
うん(笑)。自分のことで恐縮だけど、僕は不真面目なところがあって、学生時代はクラブが忙しかったり、授業がつまらなそうだったりすると授業に出席しないことがよくあった。
それでも出席した時ぐらいは、記念に一つは質問をして帰ろうと思っていた。
そのためには講義をきちんと聴いておかないと、トンチンカンな質問になってしまうわけだ。それが疑問の立て方の訓練になって今に役立っている。
学生にもそうした意識を持ってもらいたい。
なぜこういうことを言うかというと、今後の医療に役立つと思うからなんだ。
繰り返しになるが、これから医者は実力のある者しか残れなくなり、淘汰が進む。選抜されるためには「教えられたことだけをやっていく」だけでは通用しない。
つまり日々の医療の中でクリエイティブでなければならない。これは一朝一夕にはできないから、学生の時期に学んで身につけておく。
クリエイティブになる、ということは古いものから一旦離れて、その悪い部分を壊すことだ。
そのために自分で考え、疑問を持つことが重要になる。
―若手の医師に、もっとコミュニケーション力を身につけてもらうことが大切である、とよく聞きます。すぐには身につきませんが、何かコツがあれば。
基本は人の話をよく聞くことだね。
ただ無制限に聞くのではない。僕も患者の話がとりとめない時は「ポイントだけ言ってください」と言います。
しかし言いたいことは全部言わせないといけない。日常での3分診療、5分診療では語り尽くせないこともあるから、あらかじめ紙に書いておいてもらう。
場合によっては診察日とは別枠で、時間を設けてしっかり聞くことが必要だ。聞くことでコミュニケーションの大体8割はとれる。
―聞いてもらうだけで患者さんも安心しますからね。
そうそう。その時に必ず相手の目を見て話すことが大事。
―目を見て話さないと信用してもらえず、人間関係も作れませんからね。患者さんもいろいろ病気などについて勉強することが多くなってきましたが、やはり感じられますか?
すごいよ。それこそ今はインターネットで情報を入手できるからね。
―患者さんの質問内容も濃いものになってきていると思いますが、そのためには勉強を続ける必要があるわけですね。
少なくとも自分の専門領域については、答えられなければいけない。そのための研鑚を積んでもらいたい。
―ところで、先生ご自身はインターネットは活用されていますか?
一時やっていたが、時間をとられるので今は接続を切っている。メールもやらない。不便は感じないな。
―スポーツなども、いろいろされたようですが最近はどうですか?
中学の頃から柔道をやったり、ギターやコントラバスを弾いたり、大学ではお茶を習い、ボートを漕いだが、やっぱり今の趣味は勉強だね(笑)。しばらく走ったりもしたけどやめちゃった。
―先生自身の健康は大丈夫でしょうね(笑)?
バタッと倒れるかもしれないね(笑)。
尊敬される唯一の職業
―医師会については、いろいろとご意見もあるかと思います。
有害だね。もっと権益を手放さないとダメだ。もっと開かれた医療にしなければいけない。
今、医療改革に抵抗していますよね。確かに経済優先で医療改革を行うのは経済弱者の問題があるが、さまざまな既得権益を取り払うことについては、国民は迷惑しない。
だが、業界や医師会しか見ていない厚労省では改革も何もできない。
官僚というのはマーケットを見るものだ。つまり、どこを、何を保護した時に、自分らの役所が栄えるかを常に考えている。
それが国民を守らないで業界を守ることにつながる。これはどの官庁でも同じだ。
―厚労省は直接、人の命を預かる医療を管轄する役所であるから問題も大きい。何か手は?
今あなたが言った「人の命を預かる」部門だからこそ、官庁の中では厚労省が一番変わりやすいといえる。
例えばハンセン氏病訴訟での、控訴断念といったドライスティックな動きもある。
―医療過誤も多くなっています。
今までもあったが、表面化していなかっただけだ。
―患者側も勉強するようになって、言いくるめられなくなったということですね。
そう。医療裁判が増えるのは当たり前だと思うね。でも本当は裁判になる前に、専門家集団で解決しなければいけない。
具体的には、ミスを認めて、医者や病院に賠償金を支払わせるといったことになる。
また、何でも医療裁判になるというというのはおかしい。その前に話し合いで解決できる場合もあるわけだからね。
―医療裁判の場合、原告側がミスを証明したくても、証拠となるデータを被告側がすべて持っていることが問題です。カルテ開示も一部では始まってはいるが、まだ十分ではありません。
裁判制度の仕組みの中に、医療過誤を入れるのが間違いだと思う。すべて訴えた側が証明しなくてはならない現在の制度に医療過誤はフィットしない。
貸し金訴訟だったら証文もあるし、交通事故は人が死んでいれば大体は轢いたほうに過失がある。こういった場合、原告は勝てる。だいたい交通事故なんて、あまり裁判にもならないでしょ?
その点で100%原告が証明する裁判制度で、最も問題があるのが医療過誤なんだ。
あなたが言ったように「証拠は全部被告に握られている」しね。
ところが専門家が見れば、どちらが悪いかなんて、すぐわかるものだ。
そういった医療の専門家が審判に加わり、公平に判断を下し、責任をとらせるという仕組みが必要だ。
今はそういった制度もないし、仮に作ったところで、今でも医療裁判では、被告有利の鑑定が多いから期待はできない。
そこで僕らは公平な鑑定をやろうという考えで、医療事故調査会を立ち上げたわけです。
―医療裁判は一般の民事訴訟と比べて、平均審理期間が4倍近くかかるそうですね。
時間の問題はあまり強調しないほうが良い。原告は不公平な裁判をされるくらいなら、時間がかかっても良いと思っている。
裁判問題のポイントは、国民世論の盛り上がりと鑑定をする医者たちが、真に公平になれるかどうかにかかっている。期待薄だけどね。
―最後に、先生にとって医師とは何でしょうか?
医者はお金をいただいて、しかも原則手放しで尊敬してもらえる唯一の職業だと思う。
世間はリストラもあって、すごく大変な時代を迎えている。そんな中でも医療界は恵まれている。
将来、社会がどうなるかはわからないが、医療を提供して喜んでいただけるということは、変わらなく続いていくと思う。
そこにおいて、医者は自信をなくす必要はないし、やりがいもある。そうした仕事に従事しているのだから一所懸命やらないといけない。
―ゆえに日々勉強をするわけですね。長い時間どうもありがとうございました。
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医療界を変えるプロセスや展望、医療裁判へのお考えなど、先生ならでは、のお話をうかがいました。
情報公開による変革
―前回「世の中を変える」と言われました。先生のお立場からすれば、それは「医療界を変える」ことによって、もたらされるもの、と言って良いかもしれません。
キーは情報公開だね。
医療界は内部から変えるのは難しいので、外部から変えていくしかない。そのためには、まず患者さんに変わっていただく。
患者が変われば、医療界も変わらざるを得ない。
その意味では、乳がんの温存療法普及は成功したと思う。去年の全国統計で、40%の患者が温存療法を受けるまでになっています。
―乳がんと診断された場合、誰もが温存を願うと思います。それゆえ、セカンド・オピニオンを求める代表的な疾患といえますね。
そうだね。何の病気でも、痛くも痒くもなく自覚症状がない場合に、手術を勧められたらセカンド・オピニオンを求めたほうが良いね。
―ですが、主治医以外に意見を求めるということは、日本ではなじみが薄く、今でもなかなか踏み切れないと思いますが?
いや、切羽詰まれば求めますよ。
患者の中の、わずか1~2%でもセカンド・オピニオンを求めて転院するようなことが起きると、医者側にとって非常なショックとなる。
なにしろ、今まで患者さんから愛想をつかされたことがないからね。
乳がんでは正にそれが起こった。僕のところに来る年間200人の患者のほとんどが、主治医に「私は近藤のところに行く」と言って来たわけで、その主治医の、その後の行動は容易に想像できる。
つまり対策を練るわけだ。
言葉は悪いが、患者さんに逃げられないようにする(笑)。
小手先での対応では、また逃げられてしまうから、結局は治療法を変えるしかない。
それが、乳がんであれば何でも切る、という方針を変える結果となった。
全員でなくとも一部の人がセカンド・オピニオンを求めたからこそ、医者が変わるきっかけとなった。
これが医療界を変えていく一番の近道と思っている。
―おもしろいですね。最初からこの効果を意識されて、情報公開などの活動をされた?
意識はしていたよ。ただ単に「欧米では、温存療法をやっているらしいぞ」という話だけでは、これだけのスピードで普及はしなかったと思う。
ちょうど患者の権利意識が高まった時期であり、乳がん患者の団体であるイデアフォーができたりして「切除以外にも温存療法がある」と患者側から情報を発信し始めた。
こうした動きが普及に大きな役割を果たした。
―患者さん同士は、横のつながりが大きいですからね。
医師選別の時代
―今後の医療界の展望を知る上でのポイントをお聞かせください。
日本経済の将来と非常にリンクしているので、経済の先行き次第で、どのようにも変わる。結局はGDPの何%を医療費に充てるか、ということになる。
全体のパイが大きくなれば医療も活発になるだろうし、しぼんでいけば、抑制される。これがポイントの一つ。
もう一つは老人医療が在宅と福祉へ移行する。
高齢化が進むと、さらに医療費がかかり、やがて破綻するから福祉へ振り向けよう、となってくる。介護保険制度もあるが、今後はさらにその動きが加速するのではないか。
―老人医療として考えるのでなく福祉として考える?
そう。実際、診療所や病院が福祉施設を併設するケースが増えているが、患者さんを囲い込むため、という一面がある。
また今後は医者が増えていくので、医者一人一人の取り分が少なくなる。
ところが一方で、医療費の中で、薬剤費の占める割合が高く、また医療機器も欧米に比べて高い。
このあたりを減らすことができれば、その分、医者や看護婦、薬剤師への人件費にまわせるはずだ。つまり医者が増えても、その給料を下げずに済む可能性もある。
いずれにせよ、パイの取り合いになるだろうね。
適正な医療費配分システムを作ることができるかどうかが、医者のこれからの暮し向きを変えていくと思う。
―具体的には、どういったことが予想されますか?
どんな制度になろうとも、優れた医者を求めるという流れはなくならない。最終的には個々の医者の実力次第だと思う。
きちんと勉強もして、実力もある医者が生き残り、ポストを得て収入も確保できる。
情報公開が進めば、医者の実力もわかってしまい、選別されるだろう。
以前、ドイツでは医者がタクシーの運転手をしていると聞いたことがある。日本でも医学部を卒業したが、医者にならずに医学雑誌の記者になったりする人も出てきている。
医学部卒業イコール医者になる、が当てはまらず、医者の数の調整が起こる。
医療を行うには、ある一定の人数が必要だが、すべてを医療という枠組みに押し込めようとしているので不都合が出てきていると思う。
―歪みが出ている。
うん。本当に医療を必要としている患者さんの数は、あまり変化がない。つまり急に増えたりしないわけだ。
そうなると元気で、ご飯もうまいと思っている健康な人から病気を見つけだそうとする。
それで、がん検診や健康診断が叫ばれるようになる。本当にそれが人々の利益となるというデータが実はない。
―最近、そうした検診などの効果に対しての疑問の声も聞かれます。
これは効果や効率の問題ばかりでなく、政策的な問題でもある。
がん検診でいうと、そのキーワードは「予防」だが、医者の数が増え続けるので「予防」を叫ぶことにより、そのテリトリーを広げようとしているのだと思う。
言い換えれば医者の数がもっと少なくて、一定の人数であれば、医者たちには予防活動をする余裕はない。
症状の出た患者さんだけしか診られない。結局、今まで日本は医者の数を計画的に配分してこなかった。医者になる人数枠を設けず、増えるに任せている。
イギリスなどは、逆に医者の数に統制をかけているが過疎医療になり、なかなか手術してくれないという状況もある。
どちらも問題はあるが、日本の場合は行き過ぎている。将来、医者の数を減らそうという話が必ず出てくるだろう。
また医師免許の更新制がないのは先進国では日本だけだ。
―医師が医療過誤などで有罪になったとしても、免許を失効することなく停止期間を過ぎると、また医師として復帰しますね。
日本では医療ミスで免許を取り上げられた医者はいないんだよ。
―なぜなのか不思議なのですが。
いや、本当に不思議なんだよ。僕もひどいと思う。
―たとえば自動車事故で死なせてしまったりしたら、運転免許は取り上げられますよね。
もっと医師会の力を削いで、きちんとしたシステムを作らなくてはいけない。優遇されすぎていると精神も弛緩するからダメなんだよ。
免許更新制度と懲罰の二つは絶対必要だ。
―問題を起こせば必ずペナルティーがあってしかるべき、という社会規範に近づけることが必要なわけですね。またその必要がなかったということが、むしろおかしかった?
そうだね。
疑問を持つことの重要性
―今後の医療活動ですが。
淡々と日常の診療業務を続けていく。そして医療について、何か問題があれば発言をしていく。
発言することをメインに考えているわけではないが、必要性があって誰も発言していなければ、本に書いたり発言したりしていく。
―何冊か同時進行でご執筆されているそうですが、年間で何冊ぐらいのペースで執筆されているのですか?
ここ何年かは2~3冊のペースかな。
―版元からの依頼のテーマでも書かれる?
今、必要だと思ったことを書くのが、ほとんどです。
―今このテーマで書くべきだ、書く時期である、ということを考えて執筆しているのですね?
そう。本に盛り込むデータを裏づける作業がなければ月に一冊は書けるよ。
ただ、書いたことに誰かが反論してくる場合、たいていは、ある一行だけを抜き出して「これ違っているじゃないか」と言ってくるんだよ。
しかも、そこを強調して全体が違っているかのように印象づけようとする。
それが予想できるから一行一行をよく吟味して、その裏づけとなるデータを用意しておく。その確認作業がなければ早く書けるよ。
今度出す本は、文藝春秋で書いている不定期連載をまとめたものと、もう二冊は患者団体との共著で出そうとしている。
将来は「がんは放っておいたらどうなるか」といったテーマでも書こうかと思っている。
―先生は講師として、後進を指導する立場でもありますが、最近お感じになったことなどあれば。
人間的に素直で良いが、学問に執着しないね。だいたい本を読まない。
僕は研修医の時から時間があれば、机にかじりついて専門書を読んでいたので、余計にそう思うのかもしれないが、そうした人を見かけない。そんなことで良いのかね、と思うことがある。
そういえば僕の学生時代に比べて、持ち歩く教科書が薄くなったような気がするな。洋書を読む学生も見ない。国家試験にしてもマニュアル化が進みすぎている。
僕らの時も国家試験対策はあったが、今ほどじゃなかった。学生時代に『New England Journal of Medicine』を読んで、ディスカッションしたりもした。
国家試験対策のマニュアル本を読む程度じゃいけない。
また、何でも「上の人に言われたから」とか「本に書いてあるから」など、無条件に信じるのは良くない。
疑問を持つことが大切だと思う。疑問を持って質問をし、相手に答えてもらい、それを踏まえて、また質問するというディスカッションが必要だ。
よく「何か質問はないか?」と聞くんだけど、めったにないんだよね。
―質問する、ということがわからない?
うん(笑)。自分のことで恐縮だけど、僕は不真面目なところがあって、学生時代はクラブが忙しかったり、授業がつまらなそうだったりすると授業に出席しないことがよくあった。
それでも出席した時ぐらいは、記念に一つは質問をして帰ろうと思っていた。
そのためには講義をきちんと聴いておかないと、トンチンカンな質問になってしまうわけだ。それが疑問の立て方の訓練になって今に役立っている。
学生にもそうした意識を持ってもらいたい。
なぜこういうことを言うかというと、今後の医療に役立つと思うからなんだ。
繰り返しになるが、これから医者は実力のある者しか残れなくなり、淘汰が進む。選抜されるためには「教えられたことだけをやっていく」だけでは通用しない。
つまり日々の医療の中でクリエイティブでなければならない。これは一朝一夕にはできないから、学生の時期に学んで身につけておく。
クリエイティブになる、ということは古いものから一旦離れて、その悪い部分を壊すことだ。
そのために自分で考え、疑問を持つことが重要になる。
―若手の医師に、もっとコミュニケーション力を身につけてもらうことが大切である、とよく聞きます。すぐには身につきませんが、何かコツがあれば。
基本は人の話をよく聞くことだね。
ただ無制限に聞くのではない。僕も患者の話がとりとめない時は「ポイントだけ言ってください」と言います。
しかし言いたいことは全部言わせないといけない。日常での3分診療、5分診療では語り尽くせないこともあるから、あらかじめ紙に書いておいてもらう。
場合によっては診察日とは別枠で、時間を設けてしっかり聞くことが必要だ。聞くことでコミュニケーションの大体8割はとれる。
―聞いてもらうだけで患者さんも安心しますからね。
そうそう。その時に必ず相手の目を見て話すことが大事。
―目を見て話さないと信用してもらえず、人間関係も作れませんからね。患者さんもいろいろ病気などについて勉強することが多くなってきましたが、やはり感じられますか?
すごいよ。それこそ今はインターネットで情報を入手できるからね。
―患者さんの質問内容も濃いものになってきていると思いますが、そのためには勉強を続ける必要があるわけですね。
少なくとも自分の専門領域については、答えられなければいけない。そのための研鑚を積んでもらいたい。
―ところで、先生ご自身はインターネットは活用されていますか?
一時やっていたが、時間をとられるので今は接続を切っている。メールもやらない。不便は感じないな。
―スポーツなども、いろいろされたようですが最近はどうですか?
中学の頃から柔道をやったり、ギターやコントラバスを弾いたり、大学ではお茶を習い、ボートを漕いだが、やっぱり今の趣味は勉強だね(笑)。しばらく走ったりもしたけどやめちゃった。
―先生自身の健康は大丈夫でしょうね(笑)?
バタッと倒れるかもしれないね(笑)。
尊敬される唯一の職業
―医師会については、いろいろとご意見もあるかと思います。
有害だね。もっと権益を手放さないとダメだ。もっと開かれた医療にしなければいけない。
今、医療改革に抵抗していますよね。確かに経済優先で医療改革を行うのは経済弱者の問題があるが、さまざまな既得権益を取り払うことについては、国民は迷惑しない。
だが、業界や医師会しか見ていない厚労省では改革も何もできない。
官僚というのはマーケットを見るものだ。つまり、どこを、何を保護した時に、自分らの役所が栄えるかを常に考えている。
それが国民を守らないで業界を守ることにつながる。これはどの官庁でも同じだ。
―厚労省は直接、人の命を預かる医療を管轄する役所であるから問題も大きい。何か手は?
今あなたが言った「人の命を預かる」部門だからこそ、官庁の中では厚労省が一番変わりやすいといえる。
例えばハンセン氏病訴訟での、控訴断念といったドライスティックな動きもある。
―医療過誤も多くなっています。
今までもあったが、表面化していなかっただけだ。
―患者側も勉強するようになって、言いくるめられなくなったということですね。
そう。医療裁判が増えるのは当たり前だと思うね。でも本当は裁判になる前に、専門家集団で解決しなければいけない。
具体的には、ミスを認めて、医者や病院に賠償金を支払わせるといったことになる。
また、何でも医療裁判になるというというのはおかしい。その前に話し合いで解決できる場合もあるわけだからね。
―医療裁判の場合、原告側がミスを証明したくても、証拠となるデータを被告側がすべて持っていることが問題です。カルテ開示も一部では始まってはいるが、まだ十分ではありません。
裁判制度の仕組みの中に、医療過誤を入れるのが間違いだと思う。すべて訴えた側が証明しなくてはならない現在の制度に医療過誤はフィットしない。
貸し金訴訟だったら証文もあるし、交通事故は人が死んでいれば大体は轢いたほうに過失がある。こういった場合、原告は勝てる。だいたい交通事故なんて、あまり裁判にもならないでしょ?
その点で100%原告が証明する裁判制度で、最も問題があるのが医療過誤なんだ。
あなたが言ったように「証拠は全部被告に握られている」しね。
ところが専門家が見れば、どちらが悪いかなんて、すぐわかるものだ。
そういった医療の専門家が審判に加わり、公平に判断を下し、責任をとらせるという仕組みが必要だ。
今はそういった制度もないし、仮に作ったところで、今でも医療裁判では、被告有利の鑑定が多いから期待はできない。
そこで僕らは公平な鑑定をやろうという考えで、医療事故調査会を立ち上げたわけです。
―医療裁判は一般の民事訴訟と比べて、平均審理期間が4倍近くかかるそうですね。
時間の問題はあまり強調しないほうが良い。原告は不公平な裁判をされるくらいなら、時間がかかっても良いと思っている。
裁判問題のポイントは、国民世論の盛り上がりと鑑定をする医者たちが、真に公平になれるかどうかにかかっている。期待薄だけどね。
―最後に、先生にとって医師とは何でしょうか?
医者はお金をいただいて、しかも原則手放しで尊敬してもらえる唯一の職業だと思う。
世間はリストラもあって、すごく大変な時代を迎えている。そんな中でも医療界は恵まれている。
将来、社会がどうなるかはわからないが、医療を提供して喜んでいただけるということは、変わらなく続いていくと思う。
そこにおいて、医者は自信をなくす必要はないし、やりがいもある。そうした仕事に従事しているのだから一所懸命やらないといけない。
―ゆえに日々勉強をするわけですね。長い時間どうもありがとうございました。
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