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もうすぐ北風が強くなる

孫崎亨氏講演「戦後史の正体」

普天間
 普天間

【IWJ配信】政権公約を実現する会(鳩山グループ)勉強会 講師:孫崎享氏 7/24 書き起こし「shimanamis」から

 (新著『戦後史の正体』で)単に歴史を書くつもりではなかった。ただ、一人の国民として私は民主党(政権)ができたとき、本当に期待をした。
 これで日本が変わる、そう思っていたし、多くの国民も期待したと思う。しかし、いつの間にか変なことが起きた。

 多分、それは中心の柱であった鳩山氏と小沢氏が舞台から消えさせられたということだと思う。それは二人の問題ではない。
 日本が1945年9月2日に降伏文書に署名してから今日まで、対米自立を訴えてきた人は皆、潰されてきた。そして潰すのは基本的に日本人。ここが非常に重要なポイント。

 日本人が、日本のために自立を唱える人を潰してきた。これは一度勉強し直す必要があると思った。こういうことを言うと、新聞記者や学者は「それは陰謀論だ。アメリカは友人の国なのだから、おかしいことをするはずがない」という。
 しかし、おかしいことは起こる。それは政治家と同時に、官僚の我々も分かっている。

 ここにいる三宅雪子氏の父は外交官。ベトナム戦争のころ、日本の頭越しに、米中関係が進んでいるということがあった。日本外交にとっては、対米追従をしてきて全てうまくいくと思っていたのがおかしくなって、大反省した。
 同盟国である日本の頭越しに、米中接近が再びあるのはおかしい。絶対に阻止せねばならない。アメリカが日本の頭越しに、ベトナム戦争をやめるのではないかと、心配した。それで外務省が必死になってパイプをつくり、三宅氏の父君がハノイに入るとなった。

 それをアメリカに通報したとき、アメリカは「入ってもいい。しかし北爆があるかもしれない」と言った。場合によっては、爆弾を落とすかもしれないと。そういう歴史を我々外務省の人間は知っている。
 だからアメリカが圧力をかけているということを書けるとすれば、外務省の人間だと思った。アメリカがいろんなことをしてくるのを肌で知っているから。それで書いたのがこの本。

 全く偶然だが、今日が発売日。本を書いた後どういう運命を辿るかは本次第。ごく一部の方にパイロット版が配られた。ツイッターで面白い本が出るらしいと、出版前に6千部の予約。アマゾンでも4日くらい予約の段階にもかかわらずトップになった。
 日本の中にかなり熱いグループができている。おかしい。日本の動きはどこか狂っている。どこがおかしいか突き詰めてみたいという人たちがいて、本の中身も分からないのにそれだけの注文があった。

 重要なことは、この本を書いて気が付いたことは、いわゆる自主を唱える人は、我々が思っているよりも多い。並べていくと、重光葵、これは降伏直後、石橋湛山、芦田均、違ったイメージを持っていると思うが岸伸介、鳩山一郎、佐藤栄作、田中角栄、ASEAN外交・独自外交という意味で福田康夫、宮沢喜一、細川護熙、鳩山由紀夫。

 自主派の追い落としをすることについて、日本社会の中に自主派の首相、指導者を引きずり下ろすシステムができていると思う。その中心をなす一つは検察。
 特捜部の前身はGHQ指揮下の隠匿物資の摘発捜査部。非常に古い時代から、米国と一緒になって政治家追い落としの中心になっている。

 そして、非常に大きな役割を果たすのはやはり報道機関。日本のマスコミの中に、米国と特別な関係を持つ人々を育成して、自主派を落とす。
 そこに財務省、外務省、防衛省、大学等に米国と特別な関係を結ぶ人材を育成する。

 追い落としのパターンを見ていくと、占領時代は占領軍自らが公職追放。鳩山一郎や石橋湛山。 検察が起訴をして、マスコミが大々的に報道し、政治生命を絶つ。これが芦田均、田中角栄、そして小沢一郎。政権内の重要人物を切ることを求め、結果的に内閣を崩壊させる。鳩山政権、細川政権。
 米国が支持してないことを伝え、党内の反対勢力を強める。鳩山由紀夫、違ったイメージを持っていると思うが福田康夫。
 そして選挙、大衆動員で政権を崩壊させる。こういうことがある。この流れは、戦争が終わったそのときから。

 多くの人は日本が戦争に負けたとき、どのような降伏文書に署名したか知らない。本当はこれがスタート。日本国民が一番最初に知るべき文書。「日本は、ポツダム宣言実施のため、連合国司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する」。これが吉田茂首相。

 そして日本の悲劇は、これをずっとやってきた首相が、日本が独立したあとも首相になった。かつ、吉田学校といわれて、その人脈が継続された。
 その時のアメリカの言い方は「我々と日本国の関係は、契約的基礎ではなく、無条件降伏を基礎とする」「日本の管理は日本政府を通じて行われるが、満足な成果を上げる限度内」、必要なら直接行動をとる権利を我々は持つと。
 これが1945年9月6日。この1945年9月6日は占領以来ずっと続いていて、それで吉田首相が出てきた。

 実は、1945年9月2日に、米国側は日本に対して3つの文書を交付すると言い出した。
 それは、公用語を英語にする、対米国軍への批判は米国軍事裁判を行う、通貨は米軍の軍票にする。基本的には沖縄の状況。
 これをやるということをアメリカは決めた。
 非常に重要なことは、ここで重光は、9月2日に「日本がポツダム宣言実施のため、連合国司令官に要求されたすべての命令を出し、行動をとることを約束する」ということを言った。

 ところがこの3つを言われて、何を感じたかというと、重光は「折衝の文字ならざれば死するとも我帰らじと誓いて出でん」ということで、占領軍がいた横浜に出かける。そして撤回させた。 

 米国側は、我々と日本の関係は契約的基礎でなく、無条件降伏させるとある。だから折衝はしないと言っている。
 その相手に対して、重光は、公用語を英語にする、米軍批判は軍事裁判する、通貨は米軍の軍票にするというのを折衝して、これ(撤回)を達成した。 

 本当なら占領時代の英雄だが、何が起こったかというと、重光は9月15日に外務大臣を辞任させられる。
 わずか2週間で、基本的に日本人が自分たちの英雄を切った。
 戦後、切ってその代わりになるのは吉田首相だが、吉田茂については高坂正尭『宰相 吉田茂』が定番となって、「実際、吉田はマッカーサーと自然に対等の立場をとることができる人物だった」「吉田は何よりも日本の復興のことを何よりも考えていたし、改革がこの目的に反する場合に徹底的に反抗した」と非常に素晴らしい吉田像をつくり、その後の吉田の系譜の人たちを崇めた。 

 しかし、実際はどうだったか。吉田が自ら言ったのは、外務大臣になるときに「鯉がまな板で包丁にびくともしない。あの調子で負けっぷりをよくしてくれよ」と。そう言って外務大臣になった。
 そして「この言葉は私が占領軍と交渉するにあたっての、私を導く考え方だ」と。基本的にまな板の上で包丁にびくともしない、言われたらその通りにする、というのが吉田茂。 

 吉田が平生どう振る舞っていたかというと、多くの国民にとっては非常に傲慢な印象を与えたが、ことアメリカに対しては、帝国ホテルの社長が書いたのは「帝国ホテルのウィロビー(GHQ参謀第2部長)の部屋へ吉田は裏庭から忍ぶようにやってきたりしていた」、何度も何度もやってきたと。
 ウィロビーのところで総理大臣になったり、あそこで組閣をした、という状況が起こってきた。

 それと闘った一人が石橋湛山。占領時代は、多くの日本人は、米国が助けてくれたから飢えから救われたと思っている。教科書はほとんどそのように書いている。では実際どうだったのか?

 普天間問題のときに、最低でも県外と言った。そのときに、首相がそう言ったんだから、外務官僚と防衛官僚は全力で支えないといけないのではないか。それが足を引っ張るとはどういう国なんだ、この国はと。 

 では、その人たちが孤軍奮闘で戦っているかというとそうではない。自分にはもっと強い人間がいると思ってやっている。この構図が、実は戦争からずーっと続いてきた。

 いくつかの柱を見ていくと、一つは経済界。多くの人は財閥解体があったから、経済界は基本的に戦争直後になくなったと思っているが、1946年4月に経済同友会が立ち上がっている。
 米国の青年会議所をモデルにし、その中心人物を見ていくと、桜田武、水野成夫、永野重雄、小林中、鹿内信隆、藤井丙午、堀田庄三、諸井貫一、ショウナイエネゴロウ、麻生太賀吉、中山素平、イマダトキオ。日本の戦後財界をつくった人たちが全部ここに入っている。これが昭和21年に作られている。

 もう一つ、学会。学会というのは中立だと思っているが、1946年にアメリカ学会が創立される。この時に 「協力」がキーワードになって、支援をマッカーサーに依頼する。もちろん昭和21年だから、アメリカ研究に合衆国の如何なる批判も許されない。
 アメリカ研究のセミナーは1950年から1956年まで、毎年日本に招聘される5名の一流の米国教授のもと、7年間計593名が参加、ロックフェラー財団が東大に助成。
 後、京都グループで京都大学と一緒に同様の助成をしていく。 

 京都大学というと戦前のイメージで自主独立の学風があるように思うが、ことアメリカに関しては全然違って、米国従属からスタートした。だからその中心人物であった高坂正尭は『宰相 吉田茂』をハーバード大学に行ってから書いた。

 これらを考えると、日本の流れは最初からできあがっている。そして今日まで続く安保条約をつくるとき、日本との交渉に先立ち、ダレスがスタッフ会議で言ったことは「我々が望むだけの軍隊を、望むだけの場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する。これが根本問題で、これでやる」。
 これが日米安保条約、日米安保体制。どこにそんなことが書いてあるのか?「アメリカが望むだけの軍隊を、望むだけの場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」、今までそんな文書は見たことがないというだろう。確かに言葉は違う。

 だが、行政協定の第2章、「日本は合衆国に対し、必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する」「いずれか一方の要請があるときには、前記の取り決めを再検討しなければならず、施設及び日本に変革すべきことを、合意することができる」。でも合意ができなければそのまま。 
 1951年1月21日から「アメリカが望むだけの軍隊を、望むだけの場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する」、これがずーっと続いていて、岩国のオスプレイまで続いている。

 岩国のオスプレイで野田首相が「配備の問題に何も言えない」と言ったのは、ある意味で米国の考えを代表している。
 だが、私は別途ツイートしたが、あの発言は違う。なぜ違うか。オスプレイの問題は、特に普天間問題に関係するが、普天間問題の一番根本は「沖縄県民の負担を軽減する」という大原則。これで日米が合意している。 

 だから、オスプレイが危険なものである、今まで以上に沖縄の人たちに負担を、危険を与えるということであれば、これは橋本―クリントン対談から続く普天間問題に対する日米合意への根本的なチャレンジ。
 それからいけば、今回のオスプレイについて我々は、米国に文句を言う権利があるといえる。だけど多分、外務省も防衛省もそういう説明をしない。
 外務省、防衛省が言っているのはこの行政協定の気持ちを説明したということだと思う。

 特捜を見ていくと、先ほどの芦田均の話がある。そして田中角栄。竹下登は、違うイメージを持っていると思うが、自衛隊の海外派遣に一貫して反対。橋本もクリントンとはかなり関係がよくなかった。
 この中で小沢一郎の場合と、田中角栄の場合が似ているのは、今までやらない手口を使い始めたということ。
 田中角栄のときには嘱託尋問、アメリカの証言については罪に問わないという約束をする。これはそれまでなかった。なかったことを使って、田中角栄をやった。 
 小沢一郎についても検察特別審査会、今までやらなかったことを使って追い込む。田中角栄と小沢一郎には非常に似たものがあると思う。

 もう少し言うと、多くの人は米国に対してあまり述べてないと思っているが、重光は米軍撤退提言をしている。
 「米軍の地上軍を6年以内に撤退させる。米国海空軍の撤退については、これも地上軍の撤退から6年以内に行う。米軍基地の在り様はNATO諸国と同じようなものにする。在日米軍支援のための防衛分担金は遠く廃止する」。
 アメリカは自分のためにいるのだから、何も我々が金を出す必要はない。必要でなければ帰ってもらえばいい、という態度。

 重要なことは、安保改定で岸首相は、安保条約で行政協定も改定するということをやった。
 話は込み入ってくるが、私のポイントは、「多分、安保条約と行政協定を変えようとしてきた岸はアメリカにとって望ましい人ではない。しかし岸を落とすには自民党の勢力ではなかなかできない」ということで、アラブの春と同じように、民衆の運動を使って岸首相を追い込んだということだと思う。
 6月8日のアメリカの介入の中で、CIA長官が述べたのは「日本のために望ましいのは、岸首相が辞任し、できれば吉田に代わること」。吉田茂と池田勇人は同じようなもの。

 外務省の中にも自立派というのは実はいた。その一つは、昭和44年6月、「在日米軍基地は逐次縮小整理するを原則として、自衛隊がこれを引き継ぐ」というのがあった。
 田中角栄のときには、三木首相が親書を出して、司法共助協定に調印という特別なことをして、追い落としを行う。

 1945年から今日までいろんなことがあるが、一番のポイントは、米国が誰かを好ましくないと考えたときに、日本の誰かに通達する。
 そうするとその追い落としを行う組織が日本の中にはしっかりできている。こういうことだと思う。

・・・・・ 以下質疑応答の孫崎氏回答部分のみ。

 ドイツは戦後国がなくなった。地方分権みたいな形になって、国というものがなくなった。しかし、冷戦が出てきて、ソ連と戦うには日本とドイツをもう一度利用したほうがいいとなり、ドイツという国をもう一度認めた。 

 ここで非常に重要なのは、日本の場合は形式的に、先ほどすべてのものは米国が決めるとあったが、ワンクッションおいた。おいたから、日本は独立しているような印象を持ってきた。
 本当の政策は皆アメリカが決めているにもかかわらず、吉田首相が我々が全部しているような顔をしているから、自主をとらなければならないという国民感情が強くなかった。

 ところがドイツは完全になかった。いかに我々は自主的な国をつくるかということを必死に考えた。
 ということで、出発点からして、我々の国がなくなってドイツという国をどうやって立ち上げるか、ばらばらにされている中でどうすればドイツ国家が立ち上がるかを必死で考えた。それが今日の姿。

 日本の場合は、残念ながら隠れて、吉田首相が自主があるというような形で占領を切り抜け、その政権がそのまま戦後になったために、本当の意味で自主を追求する気持ちが芽生えなかった、ということではないかと思う。

 ドイツのようにしなくてもいいが、本の最後にカナダのことを書いた。カナダはアメリカの隣にあり、日本以上に厳しいことをやられている。
 ピアソンという首相がいる。ピアソンはベトナム戦争反対の気持ちを持った。
 それを発言したから、本当にジョンソン・アメリカ大統領に肉体的に吊し上げられた。それを1時間半やられた。米国とカナダの人はその状況をずーっと見ていた。
 ところがピアソンがだめであっても、自主外交を続けるという姿勢をカナダの首相はずっと続ける。
 先ほどの石橋湛山ではないが、一人の首相がやられても、次の首相は同じ政策を続ける。
 またやられるかもしれない。だけどそれを2回、3回と繰り返せば、もうしょうがないと思って日本の自主的な努力をあきらめざるを得ない、その努力をしなかった。 

 要するにやられるのはしょうがない、やられてもやられても頑張りぬく、これが日本の中になかった。
・・・・・・・・・

 (スパイ事件で)考えて欲しいのは、この間の中国書記官事件。これはスパイとしては何もない。だけど大変政治上の効果はあった。
 TPPの問題と関係していると思う。鹿野農林大臣がTPP反対だとずっと言っていた。野田首相訪米時に、やはり鹿野大臣反対により、TPP賛成と言えなかった。
 多分次の農林大臣、最初はTPP反対のようなことを言ったが、3・4日経つと「私は閣僚の一員として行動する」と言っている。
 だから、多くの場合にスパイ事件の問題は、スパイ事件そのものよりは、スパイ事件と関連するその後でてくる政治的な問題は何かということを考えるのが重要。

 そのもっと大きい問題はゾルゲ事件。
 ゾルゲ事件の一番大きな問題は、ゾルゲ事件によって対米戦争に反対していた人たちの力が全部なくなった。
 あの時ゾルゲと関係したのが朝日新聞の記者で、朝日新聞は昭和会というグループに入っていて、その昭和会の人たちは基本的に対米戦争に反対していた
 ゾルゲ自身は日本に対するスパイの痕跡はない。だから挙げても大したことはなかった。
 問題は、あの事件によって第二次世界大戦に行くのを反対していた自由派の人たちの政治生命がなくなっていった。

 これからもいろんなものが起きてくると思うが、スパイ事件は、スパイ事件そのものよりも、その後に続く政治的な問題が非常に重要。

 今、もう一つ考えなければならないのは、今日本が外国の勢力でどの国に浸食されているか。ロシアじゃない。中国でもない。
 めちゃくちゃな浸食のされ方をしているのは、アメリカ。これでもって日本の政界、官界、マスコミ、全部が侵されている。これに全くスポットが当たっていない。
 本当にスパイにことを考えるなら、米国にやられている状況はどうかということを考えなければならない。
 この本に書いてあるが、1990年くらいから、CIAは経済活動をCIAの活動の40%にすると言った。ターゲットは日本。
 1990年からCIAは日本に対して工作すると言っているようなもの。だが、誰もそこを追求しない。
・・・・・・・・・・・・

 オスプレイについてだが、外務省はタテ割りなので、自分の分野以外分からない。ただ関連していうのは、少なくとも海兵隊は日本の安全には何の関係もない。
 空軍と海軍はひょっとすると関係あるかもしれないが、海兵隊は自衛隊ができる部隊なのだから、海兵隊に危険なものを持って、日本に滞在してもらわなければならないということは何もない。
 これは非常に大きなポイントだと思う。
・・・・・・・・・・・

 岸信介。今回勉強すればするほど、やはり怪物。
 冷戦が一体いつ起こったか。ある人は朝鮮戦争だといい、ある人は1948年だというが、岸は1946年8月くらいには冷戦が起こると思っている。それも何も情報がなくてではなく、プラウダに基づけばと言っている。
 監獄の中にいながら、日本でロシア語の新聞なんか誰も読まないときに、プラウダによれば冷戦が起こると言っている。
 1946年。そして面白いことは、彼は「これで俺の首はつながる」と言っている。 
 要するに岸は、冷戦になればもう一度日本の力を利用するだろう、利用するとすれば俺の政治手腕に頼ってくるにしようがない。
 俺を使いにくるなら使え、でも俺もやることはちゃんとやる。そのちゃんとやるとところを日本は知らせなかった。岸がやろうとしたことは、軍における対米自立。

 米軍はいらない。その前に重光が交渉しているのも見ていて、どうすべきかを考え、先ほどの日米安保条約と地位協定に手を付けた。
 岸は自分の首相としてのエネルギーの60%、70%を安保条約につぎ込んだと言っている。岸のことは安保条約の関係で考えるべきだと思う。
 地位協定について言えば、合意しなければ基地をどうにかすることはできない。文面からいくとそうなっている。
 ところが、できる手立てを岸はつくった。何をするかというと、一度安保条約を破棄する、そして同じものをもう1回つくる。

 日米地位協定は、安保条約との関係で存続すると言っている。だから一度安保条約を切れば、現行の地位協定は切れる。
 そして新しい安保条約のもとに、次の地位協定をつくればいい。
 今の地位協定で米軍の配置をどうしよとかやろうとすると、米軍がNOと言えば何もできない。
 しかし、 今の安保を一回切り、もう一度同じものをつくる。それでいい。切ることで、我々の意向が入った地位協定ができる。

 安保条約を破棄するには、締結から10年経ったら通告すればいい。そうすれば1年後に廃棄になる。通告だけでいい。
 それを岸が盛り込んだ。岸のときにはできなかったかもしれない。だけど1970年以降の政治家に出来るように仕組んだと思う。今も「1年後にやめる」と通告すればいい。
 それが地位協定改定にいちばん早い。今の話は自分で分かったのではなく、2日前にツイッターの人か電話があった。
 「先生の本を読んでいる。岸がこういうことをしたとあるが、岸が10年でやめると言い、地位協定とこういう関係になっているのを、なぜ言わないのか」と言われた。

 私は気づかなかった。ツイッターはいろんな人がいろんなことを教えてくれる。
 ・・・・・・・・・・・・

 TPP。日本の輸出は対米15.5%、対東アジア38.5%。今もう中国に対する輸出の方が、アメリカに対するよりもはるかに大きい。この数字を言える政治家は誰もいない。
 現実は東アジアに移っている。これが一つめの神話。

 もう一つの神話は、日本はアメリカと一体になって繁栄してきた、この大きな神話。
 1985年までそうだった。簡単なこと。二つのことを並べればいい。日本はこの20年経済的に「失われた20年」といわれている。
 「失われた20年」の間、日本は対米従属をやってきた。

 対米従属をやって「失われた20年」。では「失われた20年」に何があったか。
 一番簡単なことは、1990年くらいに、世界の銀行のトップに日本の銀行が何行あったか。1位~6位、そしてもう一つで7行あった。今9位に1行あるだけ。
 1990年から今日まで日本はアメリカと一体で繁栄したのでははない。逆。
 なぜ日本の銀行がそれほど凋落したのか。いろんな説明があるが、バーゼル協定。バーゼル協定で自己資本を大きくしなければならないという特別な条項、日本の銀行に不利なものが入って、日本の銀行は潰れていった。

 もう一つ大きなことは、1985年のプラザ合意。これでもって240円が12年で140円に。当時の政治家は誰もそんなにひどいことになると思わなかった。せいぜい10%だと思った。
 しかしそれは偶然に起きたのではなく、そのときベーカーは、もういちいち貿易交渉をするのは馬鹿馬鹿しい、為替でやればいいと意識的に円高にした。
 それから日本企業は海外進出にいく。日本は空洞化させられる。

 こういうものを見ると、米国には明確な戦略がある。しかし我々は気が付かないで、ただ米国についていれば日本の繁栄がある、これは大きな神話。ここから脱しなければいけないということで、『戦後史の正体』を書いた。
 ・・・・・・・・・・・・・・

 重光の米軍撤退提言。重光は6年以内に地上軍を撤退させ、海空軍を撤退させると言った。大変なことを言ったわけだが、そのとき米軍はどう対応したか?
 やはりこれを受け止めた。重光を排除しろという人たちはいた。 
 しかし日本側の意思ならばと、米国大使は本国に対し「緊急時に米軍派遣する権利は維持しよう」「海兵隊も一般的に無期限に維持される、を変えるべきだ。しかし、我々は日本に合わせるよりもより有利な取り決めを手に入れたい」と言っている。

 全面的にけしからんから出来ないようにしろ、と言っているのではない。日本が言っていることも併せて考えようといっている。我々が言ったことをまったく聞かないというのではない。如何に言うか
 重光が最初に言ったのは、3文書のとき、降伏文書では連合国のいう通りにしなければいけないと言っている。
 しかしそう言いながら、重光が外交交渉をすればできる

 結局、我々はアメリカがこう思うだろうということを忖度し過ぎて交渉していない。思ったら、こうあるべきということを、真剣にやるべき。

 私が外務省にいたとき、そんな大きいことはしていない。しかし、アメリカの交渉では勝ちきったことがある。
 一つは情報衛星。アメリカは長い間、情報に日本の軍事は使わせないと言った。テポドン事件があったとき、独自情報衛星を打ち上げることを日本は内閣は決めた。

 すぐにアメリカはダメだと言ってきた。防衛庁は降りた。防衛庁は「我々はアメリカの情報をもらっているから別にいいじゃないか」と降りた。外務省のあんぽんたんも降りた。
 しかし私は基本的に情報屋の人間としてやるべきだと思った。それで米国側に言った。

 何を言ったかというと、「我々は今、北朝鮮のテポドンが落ちて、日本国民に大変なことが起きた。そして情報が十分ではないから、独自のものをしっかり持たなければならないと思っている。
これをあなたたちは潰すのか。潰したら我々がやりたいということと、日米同盟は違うということを、あなたたちが示すことになる
そうしたら我々は日本の安全は米国と一緒であるべきだという気持ちにはなれない。
やはり、できるだけ日本の安全と米国の考えていることが一緒でなければ、我々は一体になれないんだから、ここでは日本の独自衛星を認めるべきだ」と。
結局は、それは向こうが聞いた。いろんなことがあったが。米国に我々が言ったら、聞かないということではない。

 結局長い間、日本の中で、残念ながら「アメリカにくっついていればいいんだ。そちらの方が力が強いんだ」ということだと思う。私は官僚をしていた。官僚のときの首相に橋本龍太郎。

 総理に叱られるのは大変なことだから、どんなことがあっても基本的には総理の意向に反することがないようにと思っていた。
 外務省の情報漏えいがあり、橋本に怒られた。「もう外務省とは仕事をしない」と言われた。そういうことがあった。
 やはり総理にそういうことを言われたら、それに一生懸命になるよう努めるのが普通の官僚。
 しかし、残念ながら日本の官僚の中で、特に外務省と防衛省はアメリカに従属していた方が自分の身が安全だと思っている。
 そちらの方が体制の中で生きていけると思っている。そこが一番大きな問題。

 今更だが、もしもあの時に(鳩山首相が)何をすべきだったかというと、私は、一番最初に首相が、自覚がある者の首を1回切る。
 「俺の意向と沿わないなら俺と仕事する必要はなから辞めてくれ」と、1回か2回されたらよかったかなと思って見ていた。

 ここで鳩山氏から告白。「官僚だけでなく、その上に立つ2大臣も。その2人というわけではないが、首相である私に対し面従腹背だと平気で言った。
 ・・・・・・・・・・・・・

 世界の世論調査、例えばBBCでは、もっと発言力を持って欲しいといったらどの国が1番に上がるかというと日本。
 日本は決して武力で相手の国に押し付ける国ではない。対話であり、経済な結びつきで世界の秩序をつくっていける国だ、だから発言してほしい。無視されているわけではない。

 日本に発言してほしいという世界の感じがある。私は、これを受け止めて頑張れる時期はそんなにない。だから頑張ってほしいと思う。

 イランに関して言えば、北朝鮮も同じだが、強く出て潰れる国ではない。強く出れば強くなる国。体制を固める国。
 そういう中で、例えば私が駐在したときのハタミ大統領は西側との「文明間の対話」ということで、彼らは対話をしようとした。
 そのときは対話の中で、安全保障、原子力の問題をストップすると言っていた。
 だから対話をすることで、実は我々は相手方の敵対的な国々の平和を望む勢力を高めていける。
 力でいけば力の人たちが強くなる。

 特にイランは、当時世界で最も信頼できる国はどこかというと、G8の中で日本だった。
 イランだけでなく、日本に対する期待というのは世界中いろんなところにある。

 その時のイメージは、日本は世界の秩序を平和手段でもって達成していく。
 経済的な結びつきやそういうもので達成していく国であって、その理念をもっと強く出してほしい、これが世界の期待。 (了) 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 このブログ内の孫崎氏関連ページ。

尖閣(釣魚)事件(8)政権崩壊へ自滅か
世界通貨戦争(20)TPPは日米不平等条約
第一原発は既に「深刻な事故」のレベル
震災・原発の状況と孫崎氏
孫崎氏原発情報3/23
孫崎亨氏講演:領土問題と日米関係の事実
戦後米国支配とかいらいマスコミに鉄槌を」。
孫崎亨、岩上対談:原発と日米関係
孫崎亨、田中康夫対談「戦後史の正体」
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