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「福島は今」森園かずえさんインタビュー

   6/28「福島は今」森園かずえさんインタビュー 原子力資料情報室 書き起こし「ぼちぼちいこか」から

    安心・安全キャンペーンですべてが分断された

(澤井氏)皆さんこんばんは。東京の原子力資料情報室です。原子力資料情報室では、『福島は今』というタイトルで、福島現地の皆さんのお話を聞くというシリーズを先月から始めました。
 今日は2回目で、ゲストに森園かずえさんをお招きしています。

 森園さんは、福島県郡山市のご出身で、一時期ちょっと東京にいらしたことがあるんですが、その後また郡山でずっと生活されていました。
 そして3月11日の地震、それから原発の事故を郡山で経験され、その後たくさんの活発な活動を、原子力発電所に対しての問題に取り組まれていますので、今日はいろいろな森園さんの今までの運動、それから今郡山でどんなことが起こってるのかについてお話を伺いたいと思います。
 よろしくお願いします。

(森園氏)よろしくお願いいたします。

(澤井氏)郡山で生まれ育って、そして東京に一時はいらしたんですか?

(森園氏)学生の時からちょっと社会人の間、15,6年ですか、東京にいました。

(澤井氏)3月11日、地震が来るわけですが、どんな状態だったのでしょう?

(森園氏)その日は、私の体調が朝からすごく良くなくて、重たーい感じがずーっとしてて、どうしてもちょっと銀行に行かなきゃいけないということで、つれあいと一緒に車運転してもらって出て、それでもだるいのでとにかく即戻ってきて、あの瞬間覚えてるんです。つれあいがドアのカギを開けた瞬間に地震が来たんですね。
 ものっすっごい揺れ。どんどんどんどんどんっていう地響きのようなのがずっときて、これは大きいぞというので、私は猫2匹一緒に同居してるんですけど、その子たちのことが心配で、すぐ部屋の中に入って、その子たちに「大丈夫よ!」って。後ろ見たらつれあいは居なかったんですけどね。玄関で固まってましたよ。

(澤井氏)もうそこで動けなくなったの?

(森園氏)ものすごい状態だったので。その時に、ゲージをサンルームに置いてたんですね。その中に猫たちも逃げ込んでて、だからゲージを押さえてモノが落ちてくるのをとにかく避けなきゃって押さえて、外を見た時に、お向かい、斜め向かいの方のお宅の瓦の中央部分がパンパンパンパンッって跳ね上がって、それが全部周りにどしゃどしゃって崩れた状況を見ながら地震を耐え抜いたという・・・

(澤井氏)あの時M9が来て40分くらいの間にM7が3回。もちろんその間に小さい余震もたくさんありましたけど、その日はもうずっと地震って感じですか?

(森園氏)もうもう、ずーっと揺れてる。ずーっと揺れてる感じが抜けなく、恐怖心と一緒に固まって、だからもう寝ることもなかった。横になると余計感じてしまう。

(澤井氏)地震の揺れをね?

(森園氏)地球の中っていうんですか?ずっと動いてるなっていうのが感じられたし、音もゴゴゴゴゴっと地面、地下が動いてるのかどうかわからないけど、それをずーっと聞きながら過ごしましたね。1週間近く。

(澤井氏)1週間近くですか。停電はしなかったんですか?

(森園氏)停電はしませんでした。

(澤井氏)そうすると情報をとることはできましたか?

(森園氏)できましたよね。テレビも見ることができて、はい。しっかり支えてあったので倒れることは無かったので、テレビは。

(澤井氏)家の中、別のものが落ちたりとかは?

(森園氏)食器棚が地震の揺れの方向があったみたいで、その方向に安定したもの・・・棚は倒れなかったですね。逆方向向いてたのは、2階の部屋なんかは全部倒れてたんですけど、1階に関しては全部その揺れに合っていたとみえて、ドアが開いて食器は全部出ましたけど、その食器棚自体が倒れるってことな無かったです。あれは不思議な現象でしたね。

(澤井氏)周期が・・・

(森園氏)そうでしょうね。

(澤井氏)じゃあもう地震ずっと来るというと、片づけるとかそんなことは全然?

(森園氏)しなかった。もうしないでそのままでおきましたね。もう片づけをするということは。ただ猫が歩くところ、歩かないようにだけバリケードだけして・・・猫が動かないように、割れたものの上を踏んだりしたら危ないので。

(澤井氏)動物はどうでしたか?

(森園氏)もう本当にひたすらじーっと。最初は泣いてましたよね。にゃあにゃぁやっぱり恐怖心で。でも、そのうちずーっと固まってるっていうか、やっぱり動物も固まってた。カラスとうちの近くに沼っていうか池があるんですけど、そこにシロサギが十何羽毎年来てたんですが、その子たちが一斉に飛び上がって空を旋回した。ものすごかったですね、それは。あの光景は忘れない。

(澤井氏)暗くなってもまだずっと余震がありましたよね。

(森園氏)余震がありましたよね。あの時は酷かったですね。

(澤井氏)その後生活的には、電気は止まらなかったんですよね。他のライフラインは?

(森園氏)水、断水しました。丸5日間断水しましたね。なので、水洗トイレが使えなくなってたので、お風呂の水でまかなってもそれもダメで、あと飲み水も出ませんから、すぐ給水所に走り回って、水を貰いに。

(澤井氏)そうすると原発の事故のことなんかは、水を貰いに行きながら?

(森園氏)何も情報無かったですね。

(澤井氏)情報無しですか?

(森園氏)無しで最初はもう並んでましたよね。並んでた。

(澤井氏)12日とか?

(森園氏)12日も並んでましたね。

(澤井氏)もう水を確保しようというのが?

(森園氏)まずそこが一番。飲み水に関してまず無いですし、そこを確保すること。

(澤井氏)そうすると「原発がなんか大変だ」というようなことは、最初聞いたのはいつ頃なんですか?自覚されたというと変ですけど、原子炉が大変なことになってると?

(森園氏)12日ですかね。12日~13日にかけてですね。その時にテレビ・・・ですね。

(澤井氏)あの爆発、1号機が水素爆発したっていう、やっぱ1号機が水素爆発したときには、「これは大変」っていう感じでしたか?そうでもなかったですか?

(森園氏)「大変」って思ったんですけど、それ以上に地震が強くて、そちらの方の意識が今振り返ると強かったように思います。自分の中では、命が。ただ、二日後、三日後、みぞれが降ったんですね。その瞬間に庭を見て、「あぁ、もう福島県は終わりだな」って思いましたね。要するに
「放射能が混じった雪が降ってきたわけですから、それでもう、あ、もう福島県は終わりだ」
って思ったことだけは覚えています。

(澤井氏)その時はみぞれのなかに放射能が入ってるっていうのは?

(森園氏)もう判ってました。その時は。届いて来てるなっていうのは。だから、雨も雪も降ってほしくなかったっていうふうに思っていましたね。

(澤井氏)その頃の事故とか放射能に関する情報っていうのは、何から得てたんですか?テレビとかですか?

(森園氏)最初の頃は、我が家はまず新聞をとっていなかったので、テレビとラジオだけですね。その後、「あ、インターネットがあるんだ」っていうことで、インターネットを見だしたという、なんとも遅れて・・・そういう状況でした。

(澤井氏)そうすると、3号機も爆発したりして、そういう状況の中ではどんな・・・「ほんとに逃げなくちゃ」とかそんな感じは?

(森園氏)やっぱり避難所ということがすごい頭にはあったんですけど、動物と一緒なので、まず受け入れてもらえないなっていう、そこは判ってましたし、まだ本当に寒かったですしね、車の中で寝起きするのも、まして原発が爆発したんですから危険。飲み水もない。食べ物もない。猫のご飯もないということで、ここにとにかく居ようと決めて、モルタル木造の家に居ました。
 その時は、もう多分中と外とほとんど線量は変わらなかったと思う。ずっとカーテンが揺れてました。家の中とリビングのカーテンが。

(澤井氏)いつも揺れてる感じ?余震で。

(森園氏)それもあるし、あと風も入ってくる。隙間を目張りをしたんですけど、やっぱり古い築20年近く、25年の家だったので、どこからか風が入ってきてたんですよ、ずっと。家の中に。常に揺れていたという。でもそれはずーっとあそこに引っ越してから、冬になると揺れてるのは当たり前だったから、だからもう「外と家の中の線量はほとんど変わらないんだな」というのは自覚していました。放射能が入ってきてるというのはもう・・・。

(澤井氏)放射線とかについては、それまでは何か知識は?

(森園氏)全く無い、無防備な主婦でした。無知。何もというか、プルサーマル導入の時に友人に誘われて、その勉強会とか署名活動とかもしてましたけども、まず何もない。本当に。無知で無関心な主婦でした。

(澤井氏)そうすると、そのカーテン揺れてる時は、放射能っていう意識は無かった?

(森園氏)ありました。その程度のもので、放射性物質というものが浮遊していると、その程度のものですよね。

(澤井氏)その後、そうすると情報として、原発の事故のこととか放射能の危険性というものはどういうふうに入ってきたんですか?普通の主婦の立場で。

(森園氏)私の場合は、自分の身体に症状が4月中旬過ぎくらいから出てきていたので・・・

(澤井氏)症状というのはどういう?

(森園氏)へんな違和感がある頭痛が続いてはいたんですね。その後4月中旬、末くらいから咳がまず止まらなくなった。4月2日に私のつれあいと猫と自分もちょっと福島県から出ようと思って、東京に移動したんですね。実家があったので、そこに猫とつれあいを置いて、自分は5日後に郡山に戻ってきたんですね。ずっとそこで暮らしていたんですけれども、その間、除染をしてしま・・・除染というか、カーテンが揺れることにどうしようもなく恐怖感を感じていたので、縁の下っていうんですか?換気口、あそこを防ぎたくて、一応防護はしました。けれども、芝生の上に寝る感じで一生懸命塞いで歩いたんですね。そういうこともあったりしたせいか、4月末にのどの痛みから始まって、鼻血を出したのが一度ありましたね。朝っていうか、起きる前にバーッと出たことが一度あって、それがすごく量が多かったので、ちょっとびっくりして。それからあと倦怠感。起きて行動できない。ものごとを考えられない。集中力が全く無くなる、だるいというのがずっと続いていて、「一体何なんだろう?」って恐怖で固まってたから余波なのかなとか思いながら、いろいろ下痢もあって、紫斑が出てきて、ケロイド状態のものがちょっと足に出たりしていたのがありました。

(澤井氏)相当出たんですか?

(森園氏)出ましたね。この足のところに出ました。この辺とかにも出てて、なんだろうな?っていうのが。

(澤井氏)それはじゃあ・・・ずっと続いたんですか?

(森園氏)出てきては消える。出てきては消えるという感じでしたね。下痢に関しては、今もまだちょっと無理を続けるとあります。何がいけないのか判らないんですけど。

(澤井氏)そういう症状は、もう1年以上経ってるんですけど、ずーっとですか?

(森園氏)4月末からずっと7月、いろんな4月に入ってから、田中優さんとチェルノブイリの架け橋の野呂美加さんの講演があって聞きに行ったときに、いろんな手当の仕方を教えていただいて、とりあえず何でもやろうと思って全部やりました。
 少しずつ免疫力をアップしながら、気持ちもリラックスしながら・・・でもリラックスなんて当然できませんでしたけどね。それを続けていく中で、12月くらいまでかかって身体が段々楽になってきましたね。

(澤井氏)楽にはなってきたんですね。症状は・・・

(森園氏)症状は楽になってきました。12月には。

(澤井氏)そうすると、もうその頃には放射線とか放射能と身体の関係とかっていうのは、ものすごく学んで?

(森園氏)学んで、その間に次から次にセミナーをしていただいてたので、片っ端から参加できるものは参加してきてました。

(澤井氏)もう、国側から山下先生とか、「安全です」みたいのも、そういうのもご覧になってました?

(森園氏)見てました。テレビで見てました。でも、インターネットとかセミナーに行ってると真逆のことを言ってるのでね、「あ、これは御用学者と言われている方々の話は、私には受け入れることはできない」ということで。

(澤井氏)もう全く逆?

(森園氏)逆、真逆でしたよね。

(澤井氏)「安全です」っていうのと「危険です」っていうのと。

(森園氏)はい。「ちゃんと防護してください」と言ってくださる方々と真逆でしたからね。3月の時点でもう山下・・・今は福島大学の副学長になっていらっしゃいますけど、もう入ってきてますからね、福島県に。それで「私が来たから安心ですよ。100ミリシーベルトまで大丈夫ですよ」って彼がまず言って歩いたことで、全ての流れが『安心・安全キャンペーン』に向いていったのは、これは事実ですから。
 その中で、私たちの人間関係、ご近所の関係、全てが分断されていったという事実がありますのでね。

(澤井氏)『分断』というのは具体的には、もうお話ができなくなっちゃう感じですか?

(森園氏)そうですね、例えば身内の中でも、母が74歳なんですけど、最初から3月の時点から4月、5月になって庭仕事を始める、畑仕事を始める。でもいろいろ勉強し始めてて、少しずつ「やっちゃだめだよ」っていう話。でも絶対咬みあわないですね。
「テレビでは、NHKでは安全だって言ってるんだから、大丈夫なんだよ」
って、それでその頃は・・・。

(澤井氏)ご近所とかもそうですか?

(森園氏)ご近所も、皆さんそれなりに心配してらして、お孫さんはもうすぐよそに避難させて、もう呼べないという方とか。一軒一軒、後から活動する中でご近所伺ったときに、皆さんやっぱりボロボロっと泣かれるんですよ。
「やっぱり居ちゃいけないんでしょ?孫を呼んじゃいけないんでしょ?」
って。それがやっぱり辛かったですね。判っていてもここに居なきゃいけないっていう・・・。

(澤井氏)それで、福島の汚染の状態をちょっと今、これはあれですよね、文科省のモニタリングですよね。
 それで、福島が大変な・・・飯舘に向かって原発から北西側に向かってもちろん大変なんですけど、今20㎞圏に人は居ない状態になっています。
 飯舘村も今全村避難ということで、人が居ない状態になってて、逆にこのブルーのところですよね。福島とか二本松、郡山で普通に皆さん暮らしてる状態なんですけど、その除染ということが始まっていくと思うんですけど、どんなふうに実際は行われたんですか?写真をちょっと・・・。

(森園氏)そうですね、我が家の除染の写真とか公園の除染・・・
 これですね。これ公園です

 それで、ここですね。ここに穴を掘って、そこにシートを敷いて、もう一枚にシートがあって、これですね。それを敷いて土を被せる。穴に入れてからその上に汚染されてない土を入れる。

(澤井氏)それでシートをかぶせるんですか?

(森園氏)シートを敷いてから。逆ですね

(澤井氏)あと、この辺も・・・

(森園氏)この辺は全部芝生というか、雑草が全部、土ごと剥ぎ取ってるんですね。全部。芝生だったんですけど、それも全部剥ぎ取って、あそこへ捨てると。

 これは去年の9月に台風15号が来た時に、母の地域が水があふれてしまったんですね。その時に放射性物質を大量に含んだものが流れてきた地域です。そういう地域に住んでいるんですけどね。
 我が家の庭の・・・これがサンルームがこちらなんですね。せめて1m、2mくらいは頑張って剥ぎ取ろうということで、野原兼芝生だったんですけど、全部剥ぎ取ったんですね、これ。

(澤井氏)これ、住民がやったんですか?

(森園氏)私と一般市民がやりました。どのお宅も。

(澤井氏)そこに住んでる方が?

(森園氏)住んでる方がやる。

(澤井氏)「やってください」って言われた?

(森園氏)東京電力に電話したんですね。「除染に来てください」って。「承ります」だけで、「そこまで手が回りません」と言われました。はっきり。3月、4月、5月の時点で。

(澤井氏)そうすると、後は住民の方々が?

(森園氏)自主的にやってました。あと、お金が許す範囲で業者に頼んでやってもらうとか。

(澤井氏)これは公的な補助みたいなのは?

(森園氏)一切出ません。

(澤井氏)一切?

(森園氏)一切ないです。去年の段階で無いです。

(澤井氏)そうするとこの土なんかは、どういうふうに?

(森園氏)庭の隅に、33袋、普通の買い物袋ありますよね、あれが33袋できて、それを積み上げてブルーシートをかぶせて置いてあります。

(澤井氏)なるほど、そうですか。

(森園氏)だから、「自宅の敷地内で保管してください」という。

(澤井氏)あぁ、中で。

(森園氏)実際そうですよね。放射性物質って移動させちゃいけないって法律がちゃんとありますよね。なので、自宅の中で保管する分には庭で。

(澤井氏)あと、この写真

(森園氏)これは静岡の方が「食べるもの、みんな汚染されてるんでしょ?だから送るわ」って、りんごやナシやみかんを送ってくれましたね。当時、お味噌とかおもちとか、安全なものを送ってくれました。

(澤井氏)じゃあ、夏前までっていうのは、大体除染したりとか、なんか生活の防衛に追われて?

(森園氏)ずっと追われてましたね。体調も良くなかったので、寝たり起きたりしてましたので、外での活動ができるまでは行ってなかったので。でも除染をした後は、1週間は寝込んでましたね。具合が悪かったです。

(澤井氏)家の中の線量とか下がりましたか?

(森園氏)当時は0.6とか2階に行くと0.8とか0.9とか。1階は0.6とかリビングであったので、当時。

(澤井氏)上の方が高い?

(森園氏)屋根の方からなんでしょうかね。上のほうが高かったですね。1階で一番低い所探して、そこに皆まとまってみたいな、そういう状態。

(澤井氏)今は?

(森園氏)今は0.25から、昨日の朝0.25で、そのうち昼間になったら非常に上がってきて、0.47まで上がりましたね。リビングのこのくらいのテーブルの上で。空間線量が。

(澤井氏)上がったり下がったり相当ありますか?

(森園氏)ありますね。でも昨日は特に幅が大きかったです。なぜかわからないですけど。

(澤井氏)原子炉とまだこの空気は繋がってる状態なので、放射能が3月ほどではないですけど出てるわけですよね。
(森園氏)まして、今4号炉の瓦礫の処理が始まったようなことも、昨日随分ツイッターで流れていたので、だからそういう作業をするときは、やっぱり県民に教えてほしいですよね。「こういう作業をするので、風が強い地域では気を付けてください」とか、そういうことをきちっとお知らせをしてほしい。「明日はこういうスケジュールで福一ではこういうことをやりますから、県民の皆さん、こういう防護をお願いします」とか。こういうことがあってもいいのではないかと思って、1年3か月経ちましたね。一切無く。

(澤井氏)一切、情報が来ない?

(森園氏)はい。来ない。出さない。全部出してくるのはあと。昨日そういうことをやってたっていうのを、昨日始まった後に誰かがその情報を得て、ツイッターで流してくれたので、
「あ、そういう作業してるんだ?じゃあマスクして出なきゃね」
とか、そういう形ですね。

(澤井氏)情報公開でちょっと今、サイトのことが出たので、皆さんご存じかもしれないですけど、ちょっとまず、今それぞれどんな状況かっていうのがあって、4号機の方ですけどこの燃料の取出しをやるということで、建屋がまだこんなとこまで行ってないわけですけど、こんな建屋を作って燃料をここから取り出そうということを東京電力が考えてる状態なんですね。 
 それで、この下に書いてあるんですけど、原子炉の中にもともとあったのと、使用済燃料プールの燃料集合体の数なんですけど、これ、例えば1号機400体は溶けちゃってるわけです。メルトダウンしちゃってて、プールに292っていうんですけど。これは2号機、3号機ですね。4号機が原子炉に1本もなくて、全体でプールに1535体入っている。そのうちの使用済燃料が1331で、新燃料が204体入ってるという・・・これは東京電力が出したんですけど。
 それでですね、実はアメリカの情報でこの燃料プールの燃料の並びが公表されてるんです。信じられないことなんですけど。

 これなんですけど、4号機の燃料プールにこういうふうに発熱量ごとに燃料の並びが、実はこれ、アメリカから情報が来ているんですが、どう考えてもこれは普通に考えても東京電力が出さなければ絶対出ない。それでですね、この問題の何がおかしいかというと、アメリカのエネルギー省が発表した資料は、去年の5月に発表した資料なんですよ。

(森園氏)これが?

(澤井氏)去年の5月ですよ?それで、その発表されたものを日本の原子力学会がですね、要するに『不適切な情報開示の例だ』といってクレームをつけたわけです。要するに、日本の原子力学会に提供されないような使用済燃料プールの燃料配置の図をですね、東京電力、保安院、そしてアメリカというふうに行ってるんだと思うんですけど、アメリカには提供してるんです。で、アメリカはだから4号機はすごい心配してる。
 という、もう逆立ちした話なんですよね。
 で、日本の逆に原子力学会の先生方が「どういうことなんだ?」ということで問題にされて、私たちも初めてわかったんです。

(森園氏)最近ですか?

(澤井氏)それは7月4日の段階です。

(森園氏)出てはいるんですよね。

(澤井氏)そういう形で、こういう発熱量高いのは赤いのは、使用済燃料で、一番低いのは多分、合間にちょっと入ってるんですけど新燃料が入ってる。
 こういう4号機の使用済燃料の並びがこうなってるんだっていう、はっきりいって国民には一切、未だに出してないんですよ。東京電力としては出してない。アメリカ経由でこういう情報が私たちに・・・

(森園氏)全てアメリカ経由ですね。SPEEDIにしてもしかり、全て。

(澤井氏)本当にこの情報が、福島県民に何もこないですねということの・・・表れだと思います。

(森園氏)典型ですね。これから4号炉に関しては、それだけ危機的な状況にも関わらず、去年の12月16日に冷温停止状態だといい、収束宣言を野田首相がし、今に至ってるわけですけれども、でも世界はこの4号炉に注目してる。まして私たちは郡山市は58㎞、56㎞の場所ですけれども、
「もし4号炉に何かあった際に、じゃあヨウ素剤の配布はどうなんだ?避難経路はどうするんだ?どういう順番で避難をしていけるんだ?」
 一切そういうことが、未だに作成も多分されてないのか、されてあるのかもわからない状態。ほんと、酷い状態ですよね。

(澤井氏)何があるか判らない状況の中で、福島の人間がただ・・・もっと酷いのは大熊とか人を返すというような・・・

(森園氏)川内村でもそうですけど、今帰還宣言で、どんどん今まだまだ高い線量の中に帰還宣言をされて、帰らざるをえない状況ですよね。

(澤井氏)そうなんです。まだこれから計画されている状態ですけど、警戒区域の中の方に、絶対帰れないだろうという期間困難区域というのが指定されていますが、居住制限区域とかですね、避難指示解除準備とか、いろんな形で今国が除染して「現地に帰ろう」という返そうという形で、帰りたいという皆さんの気持ちは判るんですけど、本当にこれは帰って大丈夫なのか?というのは大きな・・・

(森園氏)問題ですよね。まず、子供たちに対して、何のサポートもないまま、除染をしてから、最初の話は「除染をするときは子供たちを避難させて、除染が終わったところに帰します」という細野大臣の話だったと思うんですが、今やそれよりまず「帰りなさい、帰りなさい。除染をしながら子育てしなさい。」と、そういう強硬的な、何のためにそういうことをしようとしてるのか判らないような状況に・・・。

(澤井氏)除染をしても一時ちょっと下がるんですけど、結局同じように戻ってしまっているんですよね。そうすると、全然線量の高いところに結局帰るという形ですよね。

(森園氏)それが、このあと1年経ち2年経ち、どういうふうにそれが私たち大人でさえ健康的な被害、状況が出てきてる。もう既に子供たちには影響が出てきてますし、それを考えた時に、ちょっと怖い・・・ですよね。

(澤井氏)子供さんの異常というのは、具体的にはどんな症状が?

(森園氏)今でてきてるのは、やっぱり避難された方々がまず中心に甲状腺のエコー検査をされたということで、それで嚢胞やしこりが見つかってるという話、皆さんも新聞等でご覧になってると思うんですけど、そういう子たちがこれから大丈夫なのかと。
 その汚染地域で現にそうやって見つかって、これから手当てをしていかなきゃいけない子たちをまた帰還させて、汚染されたところで生活をしていくことで、本当に健康を保てるのか?と。判らない部分ですよね、実際。

(澤井氏)チェルノブイリの経験でも甲状腺ガンなんかは、事故の4年後とか5年後とかその辺りから増えてくるというデータが、ベラルーシのデータだと思うんですけど。

 ベラルーシのデータですけど、下の方がお子さんの甲状腺ガンの発症数のデータですけど、一番端が1986年の事故があったとき。その年は多分平均値くらい、普通の自然の状態だと思うんですけど、5年後とか6年後、7年後にずっと倍々ゲームで出て発症してらっしゃるんですね。この全く同じことが起こるというふうには断言はできないですが、ただ、この1年経ったから何かあるよっていうことではないけれども、大きな影響が出てくるだろうという。
 下のデータは15歳までなので、だんだん減っていくんですね。
 上の方が大人、15歳以上のデータで・・・

(森園氏)移行してるんですか。

(澤井氏)そうですね。だから今ずーっと上がりっぱなし。

(森園氏)すごいですね、この対比。

(澤井氏)だから、時間が経ってきて、何年も経ってから影響が出てくるっていうのがありますよね。

(森園氏)でも、実際甲状腺ガンだけではないっていうのが、もう・・・皆さん、もう判ってるとおりに出ていて、郡山でも突然死が増えてるねって。新聞がありますよね。そうするとそれをよく見てらっしゃる方が居て、「20代の方が最近多いのよ」っていうのがここ1カ月聞きます。

(澤井氏)突然死・・・

(森園氏)突然死。心筋梗塞ですか?が多いと。それが新聞に1日おきに20代の方が出てると先月おっしゃってましたね。そこだけをきちっと勉強、調査されてる方がいらっしゃって、「一体この現象は何なの?」って。
 本当にいろんな状況に、これから福島県がなっていくのか・・・ならないことを祈ってますけどね。山下氏が言ってるように、
「ニコニコ笑って過ごしていれば、放射能には負けない。大丈夫だ」
って本当にそうなるのかどうか。3年後、5年後にどういう事態が待ってるのかというのを考えて・・・

(澤井氏)本当にそういう意味では今線量が高いと言われている福島とか郡山で、やっぱり生活続けるということの問題。

(森園氏)問題ね。私たちも福島に言って、そのことを大きな声で言えない状態。言えない空気がもう作られてしまっていて、去年の3月、4月、5月からずっと『安心・安全キャンペーン』がずーっと続いてますから、国が言ってる「御用学者、医者が言ってる、科学者が言ってるから大丈夫なんだ」って、それでもう聞く耳を持たない方がだいぶ増えてまして、今も学校に至っては、去年まで3時間ルールっていうのがあったんですけど、それもこの4月から解除になってまして、6月、昨日ですね、福島市でプール開きがあったんですよ。

(澤井氏)学校のプール?

(森園氏)学校のプール。小・中。もうそのことを考えても『異常さ』。子供たちを参加させて『安全・安心キャンペーン』を大人が次から次に、毎週土日に行っているこの福島県の異常さっていうのは、ホント外の県外の方に知ってほしいなと思いますね。

(澤井氏)毎週行われてるキャンペーンっていうのは、具体的には?

(森園氏)例えば、ツイッターでも流れてましたけど、市のマラソン。1.2マイクロから2マイクロ。1.8、1.9、場所によっては2マイクロあるところも、去年の7月にマラソン大会してますよね。駅伝大会。子供たちが参加してるの。
 あと、ロードサイクル大会。
 もっとおかしいのが、地産地消だった全国ラーメン試食大会。食べることで言えば。
 そういう形で、毎週土日キャンペーンしてます。
 幼稚園生5人一組で駅伝、20m走駅伝大会。幼稚園生ですよ?そこが1マイクロ超えてる場所ですよ?

(澤井氏)皆走らせる?

(森園氏)はい。それが商工会議所を中心に、もう市も「安全なんだから大丈夫なんだ」ってことで子供参加型のキャンペーンです。

(澤井氏)子どもを特にターゲットというか・・・

(森園氏)ターゲットに使ってる。同じ大人として、ちょっと信じられないことがまかり通っているのが福島県です。南相馬もそうだということを伺ってますし、福島市もそうだし、郡山市もそうですし、

(澤井氏)もう皆で安全だから親しみましょうというか。

(森園氏)あの光景は何とも言えませんよね。もうお母さん方も「安全なのかしら?」って思いながらも、ずーっと家の中にいるのもね、大変じゃないですか。その苦労を1年3か月続けてきたので、やっぱりなんて言っていいんでしょうかね。無味・無臭。ね?色もついてないわけですから、ふっと外に出た瞬間、何も変わらないんですよ。
「あぁ、大丈夫だ」
って私でさえ思ってしまう。毎朝ドア開けたり、毎朝カーテンを開けた瞬間、
「あぁ、何も変わらない。大丈夫なんだ」
って思いたくなる。

(澤井氏)もう、ちょっとすごい1年以上経っても、毎日シーベルト、ベクレルみたいな話をしてても、はっきりいって聞きたくない?

(森園氏)もう聞きたく・・・疲れますよ。疲れましたよね。

(澤井氏)そういうお気持ちは?

(森園氏)私もあります。

(澤井氏)そうですよね。

(森園氏)それが小さなお子さんいらしたら、尚更だと思いますよね。

(澤井氏)外で遊びたいし。

(森園氏)遊びたいしね。だから、そのことを思うと、もうなんか胸が本当に締め付けられるような。だから本当に3年後、5年後、何も無いで、10年後、何も無いって祈るだけですよね。どんな前例があろうが・・・。

(澤井氏)でも、やっぱり皆さん、やっぱ不安を抱えてるわけですよね。

(森園氏)抱えてます。抱えてます。でも、大人が声を挙げない限り、子供は挙げられませんよね。

(澤井氏)知らないですよね。自分たちがそういう状況にいることを知らないし。
 それで森園さんがいろんな活動を今されているわけなんですけど、ちょっといくつか。
 最初のきっかけは、あれですか?女たち?

(森園氏)これは10月27、28、29日と経産省テント広場が去年の9月から、そこに集おうということで、経産省の前に行って抗議をしようということで、
「遂に福島県が立ち上がり、そして座り込む」
という。

(澤井氏)すごくいいキャッチコピーだと思ったんですけど。今、類子さんとか本当に頑張ってる人たちが。やっぱりあれですか?このいろいろ悶々とした生活、おかしいと思ってて、何かしなきゃいけないと思った人たちが連絡を取り合って・・・

(森園氏)大体子供を放射能から守る福島ネットワークに関わってる方も多くて、私もそこに去年の7月から活動参加させていただいてるんですけど、そこのつながりもあって、こうやって女たちだけでまずは立ち上がろうと。それで3日間。その後全国の女たちに引き継いでいただいて活動が始まった・・・

(澤井氏)私も行きました。

(森園氏)あ、そうなんですか!

(澤井氏)子供たちの保養をまず、活動を最初にやられたと?

(森園氏)そうなんです。体調が悪かったので、5月の子供福島の立ち上げの時には参加できなかったんですけど、7月に少し外に出ることができるようになって動けるようになった時に、この中に、ちょっと写真を撮ってる本人がひとみさんという方なんですが、その方に誘われて、「保養の子供たちの受付をしてくれないか」ということで、スタッフとして参加したのがきっかけで、少しずつ外に出て活動するようになりました。

(澤井氏)やっぱり子供たちをちょっとでも出して、保養をしてもらうというのは、やっぱり効果は大きいですか?

(森園氏)やっぱり大きいそうですね。これはチェルノブイリでも今もまだ、26年経った今も続いてるそうですよ。

(澤井氏)そうですね。

(森園氏)1年の間に40日間を2回、保養。

(澤井氏)福島に居たら線量も高いし、それから汚染されたものも食べなければならない可能性が高いですから、その汚染されていないところに行って、要するに人間がセシウムを出す、排毒するという。半減期もあるから40日ということがあると思うんですけど、一応1回出せば、また違うという・・・。

(森園氏)また違うという考え方で。ですからチェルノブイリでも、既に経験してることなんですから、学んでなんでも取り入れてやっていけばいいことだと思うんですよね。それが全て、すべて拒否というか、何もされていない。そして給食もやっとですよね。ベクレル測る状況になってきて。でもそれも数字もまだまだ高かったりしてますよね。でもそれはなぜ数字が高いかというと、経済を優先するっていう部分がやっぱり・・・

(澤井氏)福島産のものでということですよね。

(森園氏)地産地消ということですよね。

(澤井氏)ホント、チェルノブイリの時は、非汚染地帯から食料を運んだって、社会主義の国・・・

(森園氏)でさえ・・・

(澤井氏)「でさえ」なのか「だからできた」のかありますけど、逆に豊かな日本で、本当に安全なものを福島に送らなきゃいけない、そういうシステムを社会的に確率することが必要だと思うんですけどね。

(森園氏)これからでも遅くはないのでね、きちっと未来の宝ですからね。ね。これからの。

(澤井氏)それで、女たちのいくつか、これ経産省前ですね。運動がずっと続いてるんですけど・・・

(森園氏)この方はあれですね、30㎞圏内で牧場をやられてる方が経産省前で訴えて、これは渋谷ですかね。

(澤井氏)なんかもう・・・やっぱり東京へ来て言いたいですよね。

(森園氏)もう・・・マイクもたせていただいて、首相官邸でも何度も叫んできましたけれども、届くことなく大飯原発再稼働にひた走りにひた走っている今の政治、政府に対して、本当に怒りと・・・何でしょうね。悲しみというか、そういうのがありますね。

(澤井氏)何も・・・政府は、この事故を反省してませんよね。

(森園氏)ませんね。政府もそうですし、東電も昨日株主総会行われて、テレビでニュースを全部チェックしましたけど、彼らの雛壇に揃ってるあの姿を見た時に、「一体ここはどの国なんだ?」って思いませんでした?あの映像は。

(澤井氏)もう何年も前と同じのを毎年。

(森園氏)あの顔ぶれも、誰も辞任もしてなければ反省もしていない。同じ人間とは思えないですね。

(澤井氏)そうですね。それで、平均給与は500万円を超える、この大犯罪をやった東京電力が何の痛みも無いという状態になってる・・・。

(森園氏)話を聞くと、これから消費税が上がるそうで、その中で生み出される消費税が東電や大銀行の救済に当てられるっていう話も聞いてしまうと、一体何を考えてるんだ?と。誰も責任を取らないでいるのに、一体どの方向に日本は本当に進んでいくのかな?と。

(澤井氏)本当に、その怒りっていうのは、ちょっと福島の人の怒りは表しようがない・・・

(森園氏)無いですね。悲しみの底についているので。

(澤井氏)でも「女たちは立ち上がって黙らないぞ」ということで、今度はお知らせをちょっと。

(森園氏)そうですね。

(澤井氏)是非東京近郊の皆さん。時間の可能な方、明日、原発いらない福島の女たちが行動するので、ちょっとご紹介をお願いします。
 13:00からですね。経済産業省前のテント広場で集会をまずやりますよね。これは福島からの皆さんも駆けつける。是非福島の人、遠くからお見えになりますので、お金使って本当に大変だと思うんですけど。

(森園氏)でも、発起人の方が北海道の泉さんという方なんですね。あと九州の石丸さんという方もいらっしゃって。だから、もう全国ですよね。

(澤井氏)そして、その経済産業省前のテント前で集会の後に、15:00からは参議院会館です。女性国会議員との院内集会ということで、これは男の方でも志が有る方は入れてくださるそうなので、是非、参加していただきたいと思います。別に女だけということではないので。

(森園氏)一応女性ということで、やってますけれど、一緒に戦っていこうと。

(澤井氏)そしてメインイベントですね。17:00です。夕方17:00に国会議事堂の正門。南側になりますよね。普段はほとんどの方が通らないと思いますが、国会の正門前でアピール行動ということで、これは用意して?

(森園氏)十数名くらいですけれども、諸々皆さんの想いを語っていうこということで、北から南の全国から駆け付けた原発いらない女たちのメンバーがアピールします。

(澤井氏)それが終わったら、ずっと行われてます首相官邸前の抗議行動という、それに合流するとなってますけど、ホントあれですよね。月に何回も東京に来ますよね。

(森園氏)6月はものすごい頻度で来てました。保養をかねてという状態でも、東京もだいぶ汚染がちょっとありますので、なかなか・・・。

(澤井氏)じゃあもう皆さん、交通費とかもホント大変だと思うんですね。

(森園氏)皆さんからやっぱりカンパしていただいて、援助していただきながら、その中でやりくりをして、できるだけ自分たちで動いてます。

(澤井氏)これは本当に息の長い、はっきりいって放射能はエンドレスなので、本当にこれからもね、放射能に負けない、女はすごい長生きなんだけど、それでも放射能には勝てないですよね。

(森園氏)どの先生だったか、「放射能はとにかく美容には良くない」と強くおっしゃってる先生はいらっしゃいますね。老化を進めるということで、内臓の老化を進めるということで。

(澤井氏)だけど、やっぱりこれは女たちが放射能に負けないで・・・

(森園氏)とにかく1日も早く子供たちを避難、疎開させることをしていただきたいと。今からでも遅くないです。そのためにいろんな優秀な方が霞が関に集まってるのですから、そのことを進めていっていただきたい。保養のことも進めていっていただきたい。

(澤井氏)そういう志が有る方なんかは、連絡すればいろんな形で協力できる・・・

(森園氏)この夏休みも全国で受け入れ態勢を去年と同じように整えてくださって、もう皆さん申し込んで参加する・・・

(澤井氏)やっぱり参加したいというお子さんは多いですか?

(森園氏)そうですね。やっぱり送り出すという、子供だけで送り出しているお母さん、ご家族たくさんいますのでね。1週間とか。

(澤井氏)やはり逆にお子さんにしても、すごくもちろん健康のためにもいいわけですけれども、親元を離れた生活っていうのも、それはそれで刺激になっていきますよね。

(森園氏)人生の中の一つの・・・。

(澤井氏)是非、全国の皆さん、本当に小さい単位でもいいんですが、是非福島の子供たちを保養させていただいて、ちょっとでも放射線の低い所に行って、安全でおいしい食べ物を食べるという、そういう取り組みを彼女たちは進めていますので、ご協力をお願いしたいと思います。

(森園氏)これから長い・・・

(澤井氏)そうですね、細く長くやっていかないといけないと思います。
 今日は本当にどうもありがとうございました。

(森園氏)ありがとうございました。
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