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ギリシャ、経済の崩壊と政治の腐敗

 ギリシャの危機は今に始まったわけではなく、60年代からの根の深い階級対立が続いている。
 ギリシャは1967年クーデターにより軍事独裁政権となり、米国がこれを支持した。
 激しい民衆の闘いによって軍内部と警察は分裂崩壊し、1974年に民政復帰する。

 右派政権であるが、1981年左派が勝利し政権を握る。
 1990年再び右派政権、その後左派、右派と交代しながら右派政権時代にゴールドマンサックス社の協力による粉飾決算でユーロに加盟する。
 この粉飾は2009年左派政権となって発覚した。

 こうした状態が続く中で国内産業は発達せず、軍警と国民は対立し、貧困な国民と極一部の富裕層に分解が進むばかりであった。
 以下はユーロ加盟後右派政権時代の2007年末の事件と2009年の闘いと社会状況。
 ここから今に至った。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ギリシャ「700ユーロ世代」の反乱   ル・モンド・ディプロマティーク日本語2009年1月
ヴァリア・カイマキ(Valia Kaimaki)ジャーナリスト、在アテネ 訳:土田修

 「社会闘争の現場へようこそ。今から君は自分自身を守ると同時に、君の闘争を守る必要がある」。ギリシャ政界の長老で、左派の重鎮である80代のレオニダス・キルコスは、「現在デモをしている若者に何か言うことは」と聞かれ、こう答えた。

 2007年12月6日、15歳のアレクシス・グリゴロプロスが警官に殺害された後、中学生や高校生、大学生が、アテネ、テッサロニキ(サロニカ)、パトラス、ラリサ、イラクリオンおよびハニア(クレタ島)、ヨアニナ、ヴォロス、コザニ、コモティニなど、ギリシャの多くの都市の街頭に飛び出した。
 これらのデモは自発的に組織され、SMS(ショート・メッセージ・サービス)や電子メールで集合の場所と時間が飛び交い、かつてないほど猛烈な怒りの爆発となった。

 この反乱にはいくつもの原因がある。警察による弾圧行為は、そのうち最も見えやすいものにすぎない。アレクシスは最初の犠牲者ではなく、犠牲者の中で最若年だというだけだ。
 今回の反乱が醸成された土壌は、言うまでもなく経済崩壊にある。それは世界的な嵐が波及する以前からギリシャに襲いかかっていた。
 もう一つの原因は、深刻な政治危機だ。それは制度の問題であると同時に、心理の問題でもある。この政治危機は、政党と政治家の活動の不透明性を引き金として、あらゆる国家機構への不信にまで至っている。

 アレクシスの殺害はいわゆる「逸脱行為」とはほど遠い。デモ参加者や移民が犠牲になり、関与者が処罰を受けることのないままの、数多くの殺人や拷問の一つにすぎない。
 1985年にも、ミハリス・カルテザスという15歳の若者が警官に殺害されたが、ザルよりもひどい穴だらけの司法制度によって、警官は無罪とされている。
 アテネの治安部隊が、他のヨーロッパ諸国の治安部隊と比べて突出しているわけではない。
 しかしギリシャでは、独裁政権時代の傷口が今なお開いたままだ。
 あの暗い7年間が、社会の記憶の深層にくすぶっている(1)。ギリシャ社会は他国の社会ほど簡単に暴力を許容しはしない。

 その点が、2005年にフランス各地の郊外で起きた騒動とは大きく違う。当時、内務大臣だったサルコジ現大統領は、「法と秩序」という言い方に訴えることで、難局をうまく乗り切った。
 ギリシャでは、弾圧行為に対して統一戦線が結成され、右派政権の基盤を揺るがした。この戦線の先頭には、年端のいかない若年世代がいた。
 もっともなことだ。高校生活は勉強漬けの毎日で、その第一の目的は大学に合格することだ。大学入試は厳しく、すでに12歳から準備が始まる。
 首尾よく大学に入れても、卒業後は、月給700ユーロの職にありつければ良い方だという現実に直面する。

 ギリシャには、こうした「700ユーロ世代」がかなり前から存在する。彼らの一部は、「ジェネレーション700」または「G700」と称する団体を結成して、自分たちの意見の表明や、無料の法律相談の提供といった活動に取り組んでいる。
 というのも、700ユーロを稼ぐ「チャンス」に恵まれた者も、雇用形態は個人請負でしかないからだ。有期雇用でさえもギリシャでは例外的だ。有期雇用には、フランスと同じように、社会保障やボーナス、解雇手当が伴うからだ。
 公共機関にも多い請負契約なら、労働法の埒外である。彼らの状況は「不安定な仕事」どころか、労働者の「レンタル」だとさえ言われている。

 若者たちが激しく反発しているのは、こうした暴力的な雇用状態に対してだ。
 統計機関メトロン・アナリシスのストラトス・ファナラス所長は、次のように述べる。「景況指数も市民の期待値もかつてないほど悲観的だ。人々は絶望しており、状況が良くなるとは思っていない。
 しかも、そうした認識は社会階層や教育水準、性別とは無関係だ。1981年から月例報告を出してきた経済産業調査財団からも、けた外れに低い経済指標が出てきている」

若者たちの政治不信

 こうした沈滞ムードの中で、一般大衆には状況分析の手段がない。そこに警察の暴力行為が起きたことで、彼らも受け身の態度を改め、政治的陣営の区分がはっきりするようになった。
 いつもは方向性の定まらない「人々が、あの殺害事件については、明らかに善悪二元論で捉えている。この悲劇によって、再び善悪の区別を付け、自分の立場を決めるようになったのだ」とファナラス所長は話す。

 だが、こうした社会関与の姿勢が、政治関与の姿勢であるとは言えない。政治体制と政党に対する若者の不信はそれほど大きい。
 ギリシャの政治は、1950年代以来、3つの勢力によって取り仕切られてきた。政権を交替で担ってきたのは、新民主主義党(ND、右派)と全ギリシャ社会主義運動(PASOK、社会主義)の2大政党である。
 ギリシャ共産党(KKE、いわゆる「在外派」)は、スターリニズムの伝統があるため(2)、それらに替わる勢力とは見なされていない。

 他方、いわゆる「国内派」共産党(1968年に結成)を軸とする急進左派運動の連合体(SYRIZA)には、若者たちとの回路がある。
 そのため、2007年9月の総選挙では得票率わずか5.04%にすぎなかったのが、6カ月後の世論調査では支持率13%に急伸している。

 SYRIZAの中で最大勢力の左翼運動エコロジー連合(Synaspismos、旧左翼進歩連合)の代表選で、33歳のアレクシス・ツィプラスが選ばれたことも支持率を大きく押し上げた。
 目下の問題について独自の立場をとっているだけでなく、大統領のレセプション(3)に移民の若い女性を連れて行くなど「メディア受け」する言動が、一部の若者の共感を呼んでいる。
 SYRIZAは、瞬間風速的な支持が収まった現在も、8%の支持率を得ている。こうした変動を理解できないKKEよりずっと高い。

 体制批判的左派の中での覇権争いの結果、KKEは、ND政権および国民正統派運動(LAOS、極右[4])と手を組んだ。SYRIZAを公然と「暴徒の吹きだまり」呼ばわりしてくれたからだ。
 政権側には、暴動の真の原因についての議論から世論の関心を逸らすのに、スケープゴートが必要だった。PASOKはと言えば、政権復帰の前倒しを狙っていることから、沈黙を守った。

 現在の事態に関して、政府には大いに責任がある。2004年、政治の透明化を公約して、第一次カラマンリス内閣が発足した。
 カラマンリス政権は、歴代政権以上にスキャンダルにまみれてきた。汚職、豪勢な暮らし、縁故主義など、スキャンダルの種には事欠かない。最新の事件は、アトス山の修道院への国有地の違法な売却だが、その責任者はまだ明らかになっていない。
 この国は汚職まみれであり、何をやっても罪に問われることはないのだと、若者が考えるのももっともだ。
 「破壊行為」や放火を行う最も過激なデモ参加者は、バンダナや目出し帽で顔を隠しており、「覆面族」と呼ばれている。
 彼らが好んで集まるのが、アテネ市中心部のエクサルヒア広場、アレクシスが命を落とした場所である。警察は、この種の若者への仕返しを夢見ている。
 このギリシャ版「グリニッジ・ヴィレッジ」が(5)、アテネ工科大学の横にあるだけになおさらだ。そこは、1973年に若者が独裁政権に決戦を挑んだ場所である。
 アナーキストと治安部隊との対決は、昨日や今日に始まったことではない。

 全世界のテレビに流された映像で特に目立ったのは、これらの集団による放火の光景である。注意深い視聴者なら、見慣れた光景と大きく違う点があることに気付くだろう。「暴徒」の数が以前よりもずっと増えていた。
 また、アテネだけでなく、全国各地の都市が舞台となった。さらに、そうした都市部での暴力行為は何日も続いた。
 つまり今回は、これまで大部分はアナーキズムと無関係だった多数の若者が、暴力行為に加わっていたのだ。あちこちに築かれたバリケードの背後には、13歳、14歳の中学生たちまでいた。

2つのでっち上げ

 政府は「覆面族」の姿を強調し、「民主主義への侵害だ」と言い立てた。
 「いったい、どの民主主義のことを言っているのか」と、政府に抗議する人たちは反論する。中学生や高校生が警察署へ向けて投石したり、銀行支店の破壊に加わったりしたことは、紛れもない事実である。 
 しかし、その数日前、数十万人の国民の貧困化に関心を払わない政府が行ったのは、銀行に対する280億ユーロもの資金提供だった。
 にもかかわらず銀行は、民間の債権回収会社を通じて、侮辱や脅迫、差し押さえといった手段により、少額融資の取り立てを進めている。

 時として暴力的に表現された若者の怒りは、特段の政治的な期待を表しているわけではない。
 極左を除いた諸政党が運動の要求に耳をふさいでいる以上、それも仕方ないことではないだろうか。
 先のファナラス所長は「対話が開かれることもなければ、メッセージが受け取られることさえない。当然ながら、何かしらの結論が導き出されることもない。まるで若者が『破壊行為』に飽きれば反乱が終わると期待しているかのようだ」と話す。
 彼の予想では、デモ参加者の多くは自宅に戻るだろうが、それも次に何らかの口実による挑発を受けるまでのことにすぎない。
 一部の者たちは、暴力的な集団に引き込まれていくだろう。
 「以前、カルテザスが殺された後に起きた現象だ」とアレクサンドロス・イオティスは言う。元ジャーナリストで、アナーキスト的な共産主義グループの一員として、フランス、スペイン、ギリシャで活動していた経歴を持つ。
 「特に拡大したのが、テロリスト組織『11月17日』だった(6)」。活動からは引退したイオティスだが、デモ行進で若者が振りかざしていた旗の大部分が、赤と黒の組み合わせだったことを指摘する。

 テレビをはじめとするメディアが流した政府のプロパガンダには、特に目に付く点が2つある。
 1つは事件の中で移民が果たした役割の強調だ。放火された商店からの略奪は、飢えた移民の仕業だと言うのだ。
 アジアでは「デモ行進し、破壊行動を行い、盗みを働くのは普通の出来事だ」というコメントが、テレビで流れさえした。
 だが、暴力を働いたのは他の誰にもまして、腐敗した政治体制に憤慨したギリシャ人たちだった。ロマ人が略奪に加わった主な動機は、警察による弾圧の忘れられた犠牲者である仲間の仇を討つことにあった。

 略奪に走ったのは飢えた群衆であり、その大半はギリシャ人である。
 ある男子学生はこう評する。「新しい現象だ。以前、デモでは学生と労働組合が先頭に立ち、次いでSYRIZAを最後尾に政党が行進した。その後にアナーキストが来た。
 状況が緊迫すると、彼らはSYRIZAの列に紛れ込み、皆が一緒くたに警察にぶちのめされた。
 今ではアナーキストの後に、新たな集団が続いている。移民、麻薬常用者、窮迫者など、飢えた人たちだ。デモに行けば食べ物があると知っているからだ」

 政府とメディアによる2つ目のでっち上げは、法を守り、暴徒を追い払うために、「腹を立てた市民」が相互連携したというものだ。
 事実は逆である。市民が追い払おうとしたのは警官だった。商店主は警官に「消え失せろ」とどなり、通行人は逮捕された中学生を救おうと警官に飛び掛かった。
 子供たちを自宅に引き留めておくことができないので、彼らを守るために両親や祖父母も一緒に街頭に繰り出した。
 そこにあったのは、報じられたものとはあべこべの世界だった。

 今回の運動は長期化するのだろうか。「世界経済危機がじきにこの国に押し寄せ、若者の大半が社会の隅っこへ追いやられたままで、教育問題が一朝一夕には改善されず、政治家の汚職がすぐにはなくならない以上、火に油を注ぐ材料には事欠かないだろう」と、ジャーナリストで政治評論家のディミトリス・ツィオドラスは強調する。

 今や、ギリシャだけの問題ではない。ギリシャの運動は国外への「輸出」に成功した。
 というか、他の国々の運動と同調した。そこにはもっともな理由がある。第二次世界大戦後初めて、自分の両親より良い生活を望めない世代が出現した。
 それは、ギリシャだけの現象というにはほど遠い。

(1) 1967年4月から1974年7月まで、ギリシャは軍事政権によって支配されていた。
(2) 第20回ソ連共産党大会が開かれ、スターリニズムの犯罪についてのニキータ・フルシチョフの秘密報告が出た1956年の時点で、ソ連は崩壊していたという見方を取っているほどである。
(3) ギリシャ民政復帰34周年の記念レセプション。
(4) この人種差別・反ユダヤ主義政党が2007年の選挙で議席を得たことで、1974年以来初めて極右が国会に復活した。
(5) グリニッジ・ヴィレッジは、ニューヨーク市マンハッタンの芸術家・学生街で、1960年代には、反体制的なアンダーグラウンド文化の中心地となったことで知られる。[訳註]
(6) この極左武装グループは1975年に創設され、2002年に壊滅するまで、数々の暗殺事件の犯行声明を出している
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