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日銀法の改正

  日銀法を再改正するとき  4/19  三橋貴明  Klugから

 昨今、日銀の周辺が何かと騒がしい。これだけ長期間に渡り、デフレを放置していたも同然な以上、当たり前と言えば当たり前なのだが。
 4月5日に、日銀審議委員にBNPパリバ証券の河野龍太郎氏を起用する人事案が参院本会議で審議され、否決された。河野氏の姿勢は、基本的にはデフレ容認、インフレ政策の拒否である。
 しかも、各メディアにおいて日銀の国債買取が「ハイパーインフレーション」に繋がるといった印象操作を繰り返していた。現時点で参議院の国会議員が、
「河野氏では、まともなデフレ対策はできない」
 と、氏の審議委員就任を否決したのは、妥当としか言いようがない。

 河野氏の人事案否決を受け、毎日新聞が「日銀への政治介入 信用落とす愚行やめよ」というタイトルの「社説」を書いていた。社説である以上、毎日新聞が「社」として河野氏の人事案否決を「政治介入」と主張しているわけである。
 だが、筆者は疑問に感じるのだが、参議院が河野氏を審議委員に就任について「国会」という日本国家の最高機関が審議を行い、採決で否決したとして、これの何が問題なのだろうか。
 政治介入といえば、政治介入なのだが、それが何だというのだろうか?

 今さらであるが、日本国家の最高機関は「国民に選ばれた政治家」が判断を下す国会であって、日本銀行ではない。
 また、なぜ国会が最高機関なのかと言えば、そこに集い、議論を交わし、最終的な判断を下す政治家を「国民自身」で選べるからだ。
 日本国は日本国民が選挙で選んだ政治家が最終的な判断を下すからこそ、国民主権国家なのである。別に、「日銀」主権国家ではない。

 そもそも、毎日新聞は「政治介入」について、あたかも「良くないこと」であるかの如く印象操作を行っているが、筆者に言わせれば政治介入こそが政治家の仕事だ
 例えば、官僚が作った法律の草案に対し、「国民主権の束」を背負っている政治家が介入し、自らが代表する「国民」のために圧力をかけ、変えさせる。これが、そもそも政治家の仕事である。
 「政治介入してはいけない」というのであれば、政治家など不要だ。官僚に任せきりで、国家運営をすればいい。

 毎日新聞の社説に限らず、昨今の「政治介入批判」が問題だと思うのは、民主主義の根本から逸脱しているためである。
 例えば、参議院が河野氏を日銀の審議委員就任案を否決したとして(実際にしたが)、結果的に問題が生じた場合、日本国民は反対票を投じた参議院議員たちに「落選させる」形で責任を取らせることが出来る。
 ところが、日本国民は日本銀行の官僚に責任を取らせる手段を持たない。

 かたや、国民が責任を取らせることができる政治家。かたや、責任を取らせることができない官僚。
 果たして、日本国民はどちらの判断に重きを置くべきだろうか。別に、語るまでもないと考えるわけだが。
 ちなみに、河野氏は日銀審議委員に就任できなかったことを受け、
「人類の知恵として中央銀行を政治から独立させ、マネタイゼーション(財政ファイナンス)から しゃ断する制度を改変させる動きが以前より増殖していることに対し非常に危機感を覚える」
 と、与野党で日銀法改正(再改正)の動きが広がっていることを批判していた。

 上記の河野氏の発言の中に、まさしく現在の日本のデフレ深刻化の原因の一端がうかがえる。すなわち、中央銀行の独立性強化について、まさしく「普遍的に正しいアイデア」であるかの如く、頑なに信じ込んでいる愚かさである。
 そもそも、中央銀行の独立が言われ始めたのは、戦後の世界で「インフレーション」に苦しむ国々が増えたためだ。
 政治家の権力や発言力が強すぎ、各国の中央銀行が唯々諾々と国債買取(=通貨発行)を繰り返した日には、確かにインフレ圧力は止められない。

 すなわち、中央銀行を政治(特に財政)から独立させ、政治家の圧力で通貨を発行できないようにすることは、インフレ対策の一環なのである。
 河野氏は「人類の知恵」などと大仰なことを言っているが、中央銀行の独立は単なるインフレ抑制策である。

 すなわち、デフレの国においては、中央銀行の独立性強化は「デフレ促進策」になってしまうのだ。
 現在の日本銀行を見ていれば理解できると思うが、デフレが深刻化している国家において中央銀行の独立性を強めれば、その国は永遠にデフレ局面を脱せなくなる可能性がある
 無論、中央銀行が「正しいデフレ対策」のために、国債買取や通貨発行を増やしてくれればいいが、そうでないケースげ現実にあるのだ。

 日本のデフレ深刻化は、橋本政権による緊縮財政開始の翌年の98年以降である。
 まさに、この98年に日本銀行法が改正され、それまで内閣が持っていた「総裁罷免権」が消滅した。
 また、日銀は大蔵省傘下から、別個の省庁として独立し、総裁の「任命権」は国会が持つことになった。

 98年以降の日本のデフレ深刻化の一因は、間違いなくこのときの日本銀行法改正(と言うより「改悪」)にある。
 日銀法が改正された結果、日本政府や国会は、日本銀行に責任を取らせる手段を喪失してしまったのだ。
 日本政府及び国会が手段を喪失したとは、すなわち「日本国民」が日銀に責任を取らせることができなくなったという話になる。
 我が国は「国民主権国家」であるはずなのだが、98年の日銀法改正以降は「日本銀行」という治外法権な役所が存在しているのだ。

 結果的に、我が国は98年以降、延々とデフレに苦しめられることになった。
 図150-1は、我が国の総合消費者物価指数から価格変動が激しい「食料品」及び「エネルギー」を抜いた物価指数、いわゆるコアコアCPIの推移を見たものだ。
 その国がデフレか否かを判断するためには、総合的な消費者物価指数よりもコアコアCPIが適していると考えられている。

 例えば、08年の7月まで、世界は「資源バブル」の状況にあった。原油価格の指標であるWTIは、同年7月11日に史上最高値である147.27ドルを記録した。
 グローバル資本による「投機」で原油価格が上昇すると、当然、石油輸入国におけるガソリン価格は上昇する。
 実際に、日本の08年7月のレギュラーガソリン店頭価格は180円台まで上昇し、イラン情勢の懸念からガソリン価格が上昇している昨今をすら上回っていた。
 資源バブルによるガソリン価格高騰が消費者物価を引き上がった結果、
「消費者物価が上昇しました。これでデフレ脱却です」
などと言われても、国民としては困ってしまう。

 また、生鮮食料品は天候によって供給が大きく左右されてしまうため、デフレやインフレと無関係に価格が変動しやすい。例えば、天候不順でレタスの産出額が大きく落ち込んだ場合、店頭価格は自然と上昇するだろう。
このケースの場合も、
「食料品価格上昇が消費者物価指数を押し上げました。デフレ脱却です」
などと政府に言われても、やはり困惑せざるを得ないわけである。
というわけで、エネルギーや食料(酒類を除く)を省いた消費者物価指数で測る方が、総合的な消費者物価指数よりもデフレ認定の際には適切と考えられている。すなわち、コアコアCPIだ。

【図150-1 日本のコアコアCPIの推移(対前年比変動率)】
CPI.png
 出典:総務省

 日銀法が改正された98年にコアコアCPIが下落を始め、翌99年にマイナスに突っ込み、その後は延々と「デフレ状態」が続いていることが分かるだろう。
 特に、リーマンショック以降のコアコアCPIは、三年連続でマイナス1%前後となっており、現在の日本がデフレの泥沼で足掻き続けていることが分かる。

 現実が図150-1の通りである以上、政治家が「インフレを嫌悪している」としか思えない河野氏を日銀審議員に就任させなかったのは、当然であろう。
 あるいは、「誰からも罷免されることがない」白川日銀総裁を問題視し、日銀法再改正を求める声が「政治家」から上がってきたのも、当たり前すぎるほど当たり前だ。

 現在の日銀法のままでは、総裁を罷免することは「誰にもできない」
 ちなみに、内閣総理大臣は国会(すなわち、日本国民に選ばれた政治家)において不信任案が可決されると、総辞職もしくは解散しなければならない。
 すなわち、現時点において白川総裁の権力は、野田総理大臣をも上回っているという話になる。(現行の日銀法だと、そうなる)これほどバカバカしい状況は、ちょっと他に例が思いつかない。

『2012年4月10日 日本経済新聞「日銀総裁、物価の安定「短期間に一気に実現しない」」
 日銀の白川方明総裁は10日の金融政策決定会合後の記者会見で、金融政策で目指す物価の安定について「短期間に一気に実現するものではない」との認識を示した。
 「物価の安定は中長期的に実現するものであり、(物価が安定したといえる)望ましい状況を実現するために(どのような金融政策をとるのかは)そのときの経済情勢に依存する」と語った。
 「中長期的な物価安定のメド」として目指す消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率でプラス1%については「毎年点検していく」として、今後はこの水準を見直すことに含みを持たせた。
 もっとも、過去の日本のCPI上昇率は「(1980年代後半の)バブル経済の時期でも他の先進国に比べて低い水準だった」と指摘。
 そのうえで「プラス2%を掲げて政策を運営すると、過去に経験のない事態が起きるので大変不確実性が高く、経済活動にも悪影響を与える」と述べ、「海外が2%だからといって、日本も2%を目指すというのは必ずしも適切ではない」との考えを示した。』

 日本銀行の白川総裁は、4月10日の金融政策決定会合後の記者会見において、
「(物価安定は)短期間に一気に実現するものではない。物価の安定は中期的に実現するもの」
「望ましい状況を実現するためにどのような金融政策を採るのかは、そのときの経済情勢に依存する」
「プラス2%を掲げて政策を運営すると、過去に経験のない事態が起きるので大変不確実性が高く、経済活動にも悪影響を与える」
 と、極めて印象的に「デフレ対策拒否」の発言を繰り返した
 これでは、諸外国が日本のデフレ継続を確信し、円が買われることになると予想していたが、まさにその通りになった。本原稿執筆時点の日本円の為替レートは、対ドルが80.67円、対ユーロが105.04円となっている。対ドルで80円を切り、対ユーロで100円を切るのも時間の問題だろう。

 そもそも、日銀及び総裁、あるいは「日銀派」の言論人やアナリストたちが理解していないと思われる事項が複数ある。

 一つ目は「物価の安定」とは、別に消費者物価変動率をマイナスに維持することではないという点である。
 さらに、中央銀行の独立とは「物価の安定を実現するための手段」の独立であり、目標設定のそれではない
 日本国民が責任を取らせることができない日銀官僚が、勝手に我が国の「物価の安定」の定義を定めて良いはずがない。 

 すなわち「物価の安定」の定義(インフレ率の目標)は政府が決定し、日銀は「独立した手段」でそれを達成する。
 達成できなかった場合は、「政治家」が日銀総裁に責任を取らせるというスタイルが正しいのだ。
 特に、デフレ期には政治家が日銀にデフレ脱却に向けた圧力をかけるのは当然であって、それを、
「日銀への政治介入 信用落とす愚行やめよ」(毎日新聞)
 と批判し、
「中央銀行を政治から独立させ、財政から遮断する制度」
 を「人類の知恵」(河野龍太郎氏)などと大仰に呼びならわすことは、デフレについて理解が足りない「愚者の態度」としか、表現のしようがないのである。

 河野氏の日銀審議委員就任の人事案や、日銀法再改正を巡る言論を見ていると、結局のところ日本のデフレが「情報の歪み」によってもたらされ、悪化していることがよく分かる。
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