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百人百話:布施大輔さん

  百人百話:布施大輔さん   書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から

 郡山出身の布施です。年齢は37歳です。
 仕事は、今ちょっと引っ越し準備中なので、昼間友達の内装の仕事を手伝い、夜は代行の仕事をしております。運転代行の仕事をしております。
 家族は自分と嫁と、今1歳の娘がいます。
 結婚したのは、3年前ですね。
 嫁は福島県の白河市の出身です。

【郡山市】

 郡山は空気も綺麗だし、食べ物もおいしい、水もおいしい。それに人柄もすごい良い人たちばっかりなので、僕は大好きです。
 郡山の特色としては、自分の仲間内になっちゃいますけども、とりあえず絆が強い。ほかもそうかもしれないですけど、皆絆が強くて、良い人たちばかりです。

【生い立ち】

 自分は郡山市の大槻町のほうで幼稚園、小学校、中学校と過ごしまして、高校は行ってないです。すぐ仕事を始めました。自分は。
 まぁ、悪いことばっかやってたんで<苦笑>、なので、中学校もあんまり行ってなかったんですよ。実際。
 それで中学校2年の時点で「あなたはここに置いておけないので、転校してください」と言われ、その郡山市大槻町の大槻中学校から郡山市の第三中学校に飛ばされました。
 自分らのときは、ビーバップハイスクールっていうのが全盛期で、不良映画の。そういう影響もありつつ、中学校から自分は暴走族やってたので、あんまり家にも帰らず・・・なんて言うんですか、校内暴力全盛期というか、それで学校の中で一人で暴れまわってたので、それで学校の校長先生に「これ以上はうちにはいちゃだめだ」と言われ、それで家族を巻き込み転校しました。
 ずっと空手をやってたので、あとうちの親父がすごいガタイがよくて、親父に殴られてたので、同級生とかに殴られても痛くねぇなみたいな感じですね。<苦笑>
 父さんはちょっと・・・やっちゃいけない仕事の関係です<苦笑>

Q.本職の方?

 まぁ・・・半分ですね。ぎりぎりこっちの世界かなくらいの。

Q.ぎりぎりセーフなんですか?アウトなんですか?

 ぎりぎりアウトですね。多分。今はセーフです。

【家族】

 気づいた時には、うちの親父が家に居ない。帰ってくるのも2,3か月に1回くらいで、帰ってくれば殴られ、みたいな感じでしたね。自分は。
 うちの親父が車の中古販売店をやっておりまして、それでそっちの人とのお付き合いもあり、気がつけば自分の周りにはそういう人たちがたくさん居るような状況でしたね。父親もずーっと郡山生まれ郡山育ちで、うちのお爺さんも郡山生まれ郡山育ちです。お爺さんも暴れん坊でした。そこまで遡っても暴れん坊です。
 車屋をやってた当時、郡山で一番でかい組織の組長さんがいらっしゃって、その方がうちにもしょっちゅう来てたし、自分もその事務所というか、のお手伝いもさせられたし、その組長さんのお家にもしょっちゅう行ってたので、なので、「あぁ多分うちの親父はアウトかな」って中学校の時に思いました。

【父親に「どっちが本職ですか?」と聞きましたか?】

 中学校2年くらいの時に、うちの親父と取っ組み合いの喧嘩をしてて、それでその時に立てないくらいまでやられて、それでうちの親父が上に登って、
「俺は素人じゃねぇんだぞ。プロなめんなよ」
って殴られたときに、
「あ、そうなんだ」
って聞いて「そらそうだ」って言われたので確信しましたね。はい。身体でぶつかって破れました。
 ちゃんとしっかりといただきました。
「プロをなめんなよ」と。

【転校に対する父親のリアクション】

 その決め手となった理由というのが、一人中学校の先生がいて、セクハラばっかりしてる先生だったんですよ。女子に。それで、女子が嫌がって他の校長先生とかに言っても全然話を取り合ってくれない。それで、やっぱり自分がその先生のところに行き、
「こういうことをしてるだろ?」
と問いかけて、それで「してない、してない」ってなって、それでされた女の子たち十数人くらい後ろに連れてきて、
「10人くらいいるんだけど、お前どうするんだ?」
っていってもずーっとしらばっくれてたので、それで自分がむかつき、やっちゃいけないんですけど殴りかかり、それが原因で転校になったので、理由をうちの親父に言ったら、
「それはお前は悪くない。そういうふざけた中学校はこっちから辞めてやろうよ」
という感じだったので、すんなり転校はいきました。
 そこの行った転校した先の中学校が、運悪く郡山で一番強いやつがいる中学校で、それで転校初日にやっぱりトイレに呼び出され、
「ちょっとお前ガラ悪いんじゃないのか?」
っていうふうになって、そこで10人くらいにボコボコニされ、10対1じゃなかったですかね。俺も生意気に言ってたんで「全員で来いよ」みたいな。そしたら全員で来られてボコボコニされ、でも次の日には、その一番強いやつと同じクラスだったので、自分で話しに行って、そしたらやっぱ頭張ってるだけあって、すごい話のわかるやつで
「お前も途中で転校してきていろいろ訳わかんねぇと思うから、とりあえず同じクラスだし、これ以上争っててもしょうがないから一緒に仲良くやろう」
って言われ、次の日からはみんなと仲良く暴れてました<笑>。
 自分、あんまり頭が良くないので、学校の先生たちにも
「お前、行けるとこないよ」
と言われ、それであんまり高校行っても、絶対中退する自信があったので、親に迷惑かけるのであれば、最初からいかないで自立して仕事をしようと思い、それで高校に行きませんでした。
 自分の場合は、家のパナホームってあるんですけど、その家の鉄筋のパナホームっていうのは鉄筋でできてるので、その当時は。その鉄筋の柱とかを建てたり、要は家の土台作りというか、鉄筋建てて屋根まで組んで床を入れてっていう仕事をしてましたね。
 その働いた場所をなんで選んだかというと、憧れてる暴走族の先輩がいらっしゃって、どうしてもその人のもとで修業をしてみたい、その人がどういう生き様をしてたのかを見てみたいっていうのがあり、そこに勤めて・・・男気というかそういうのを学んだ感じですね。
 その先輩は自分より6つ、7つくらい上だったので、その当時は暴走族からは足を洗ってたんですけど、結構郡山じゃすごいでかいところの初代の頭の人だったので、自分たちの代くらいまで名前がわかるくらいの人たちだったので、その人がどういう人なのかと近づいていきました。
 近づいていって、自分の、自分も中学校から暴走族をやってたので、仲間内で先輩たちがやってる暴走族に入ったんですけど、やっぱり先輩がいるとやり辛いっていうのもあり、これなら自分たちで暴走族作った方がいいんじゃないっていう話になり、当時5人くらいで自分たちで新しく暴走族を作り、それで毎日毎日、郡山の駅前を4台、5台くらいで走ってました。
 自分たちがやってた時は、もう郡山駅前が東北のシカゴとか呼ばれてた時代だったので、走る度にそういう人たちが木刀もって追いかけてきたり、郡山駅前のアーケードとか走るとビール瓶が飛んで来たり、捕まりゃそのまま連れていかれたり。
 暴走族を引退したきっかけというのは、やっぱり音楽に出会い、それで18歳のときは今みたいなヒップホップじゃなくバンドをやりたくて、本気で音楽やろうと思い、暴走族は引退しました。
 実際16くらいの時に、そのプロのスカウトの人たちが3組くらい、「うちもいいよ」「うちもいいよ」「うちもいいよ」とドラフトにかけられ、「いや、僕はとりあえず今回は保留にします」と。親父にも相談したんですけど、やっぱり息子にはそういう道を歩んでほしくなかったらし「絶対ダメだ」と言われ、そういうのもあり、とりあえず1年考えるっていうあれだったんですけど、1年後に音楽を本気でやりたいと思い、それで全部3チームは断りました。
 うちの場合は絶対継ぐなっていうのがありました。真面目にやれとは言いませんでしたけど、「そういうチームに入るといろいろと問題もあるし、チームに入らないで個人で動いてた方が楽だぞ」と言われ、そう考えりゃ自由が一番いいかなと思い。
 でもうちの親父は絶対反対してたみたい。なので、助かりました。反対がなければ多分、そっちの道を行ってました、自分は。

【音楽】

 18に出会った音楽っていうのは、パンクロックっていうジャンル。それでまずは音楽を聞いて、曲を聞いて鳥肌がたったというのが初めてだったので、そのパンクを聞いて、聞けば聞くほどすごい体中鳥肌が立ってきて、それでそれは自分でもやりたいと思い、バイトしたお金でギターを買い、そこから始めました。
 初めて聞いたのはパンクのLaughin' Noseの『Get the Glory』っていう歌がありまして、定番っちゃ定番なんですけど。それを聞いて鳥肌が立ちました。
 それでその音楽を進めてくれた人が、ちょうどバンドをやってて、進めたやつはボーカルやってたんですけど
「ギターが一人抜けるので、お前ギターやらねぇ?」
って言われて、それなら俺に是非やらせてくれとなってギターを購入し、死ぬほど練習して、あの当時俺らが聞いてたのはインディーズとかだったので楽譜がなかったんで、聞いて耳で覚えて、そのコードを引いて身体で覚えるみたいな感じでやって、初めてギターを始めて半年くらいでライブを体験して、
「もう人前でやるのはなんて気持ちいいんだ」
って。
 今まで怒られてきたばっかりだったので、人から注目されて・・・キャーキャー言われたとかそういうのが初めてだったので、それに快感を覚えて、そこからずーっと彼とはバンドをやってました。

【バンド名】

 『ホモサピエンス』ですね。
 バンド時代に今でも大親友のBond and JusticeのManbowと出会い、Manbowは僕の一個下なんですけど、僕たちがやってたパンクのイベントに彼も参加してて、彼は違うバンドのドラムをやってて、そこで出会うようになりそこで仲良くなり、それでそのバンドは3年くらいで終わって、ボーカルのやつが「今度は東京に行く」ってなったんで、「東京に行ってプロでやる」っていうふうに言ったんで、自分も「ついてきてくれ」って言われてたんですけど、自分はまだ行くのは早いなと思って、そこで一旦バンドは止めて、1年過ぎて彼が東京でバンドをやってて、また「ギターが足りないから」って言われて助っ人みたいな感じで東京に1年半くらいバンドをやり、で挫折をして、プロの人たち、向こうのインディーズの人たちはすごいうまくて、それを見て衝撃を受けて、
「自分の腕ではこの人たちにはかなわねぇな」
と思い、挫折をして郡山に戻ってきました。
 東京で夢破れ、郡山に戻ってきて、本当にどこにも行くとこが無く、親にもこっちに帰ってきたっていう連絡もできなかったので、それでその当時仲間だった人たちには連絡をして、
「じゃあ今日は家来いよ」
「明日はうちに来いよ」
って言ってくれてたので、そういう生活を3か月くらい続けて、それでそこから多分どこかで親に見つかったんですよ。
「なんで郡山に居るんだ?」
ってうちの親父に見つかり、
「実はこういうあれで・・・夢破れ帰ってきたんだけど、家にも帰り辛い。仕事も何やっていいかわからない」
っていう話をしたら、
「遠慮する必要はないから、とりあえず家に帰ってこい」
と言われ、仕事も「もう一度チャンスをやるから、うちの車屋でやってみろ」と言われ、またやり始めました。
 郡山に戻ってきて、さっきも話が出たDJ Manbowが郡山の駅前のほうで洋服屋さんをやっていて、それを知らずにたまたまそのお店に行ったらManbowがいて、そこで
「何やってんの?お前?」
「ここ俺の店なんだ」
っていうふうになり、そこに通うようになってヒップホップを覚えていき、ヒップホップを聞き、また鳥肌が立ち、これはもうパンク以来の衝撃だと思い、それからヒップホップにどっぷり浸かってきましたね。
 パンクから感じたものは、そのLaughin' Noseとかいうバンドも戦争反対とかそういう歌とかもやってたし、いろいろ社会に向けていろんな言葉をあの人たちなりに発してて、自分たちの作った曲でもそういう・・・政治に向けてとかそういうのもやってたので、自分の場合あんまり興味が無く、ギター弾くばっかりだったんで歌詞とかにあんまり興味がなかったんですけど、その歌詞を聞くとやっぱり政治に対していろいろ言っていたので、知らない間にそういうメッセージが身体の中に入ってるのかなと思います。
 ヒップホップからは、いろいろ学びすぎて何を言っていいかわからないんですけど、自分が感じてるのは、仲間との絆というか、が一番大きいですね。
 ヒップホップに出会い、レコードととりあえずターンテーブルを買い、自分では練習してたんですけど、やっぱり周りにManbowとかがいて、やつはもう何年もDJもやっててうまいし、自分は一度東京で夢破れて挫折してるので、もう一度チャレンジしてみようという気持ちにはなれずに、人前ではやらなかったですね。DJとか。
 自分はDJもちょこちょこやり、自分でもラップを書いたりフリースタイルと言って、そういうのを。今はできなくなっちゃいましたけど、昔は郡山の駅前とかに行くと、沿いう子たちがたまっていて、目の前でラップの言い合いをしてたりとか、そういうのはやってました。
 やってるときは燃えましたね。かなり熱くなり。でも自分の場合は熱くなると手が出ちゃうので。
 自分は23の時に1回目の結婚をして子供ができたので、1回目の結婚をして27で離婚しました。その1度目の結婚してる間は、ずーっと親父の車屋さんで働いてました。その当時は営業とか全てやらせてもらってたので、ほとんど一人でできるくらいにはやってました。
 自分も年々真面目というか、子供もできたので真面目にやってたので、うちの親父としても
「いずれはお前は後継ぐんだからな」
っていう話をされてたので、自分もそのつもりでもいたので、一生懸命その時はやってました。
 27の離婚する前くらいの時に、ちょうどうちの親父がちょっとやらかしちゃいまして、逮捕されるはめになり、それで、その時はすぐ出てきたんですけども、その逮捕されてる間に周りの中古車会社の方からいろいろ責められ、
「出てきたらうちの親父にもう一度社長職としてやらせるのはどうなんだ?」
っていう話がずーっと出てて、今まで働いてた従業員たちもその周りの人たちに言いくるめられるみたいな感じになって、その逮捕されて新聞とかにもでかでか載っちゃったので、もうみんな知ってる感じだったので。
 それで、とりあえずうちの親父は社長を辞めてくださいみたいな感じになり、それで少しは働いてたんですけどやっぱり自分の親父が作った会社で、他の人が社長でやってるっていうのは、自分はすげぇ嫌だったし、その時に自分が「俺が社長やります」って言ったんですけど、
「身内が社長をやるっていうのもダメだ」
みたいな周りの人たちにもすげぇ言われてて、こんな訳わかんない大人の人たちとこれ以上いるのもやだなと思い、辞めました。
 それで辞めてちょっとして、仕事探してたんですけどなかなか無くて・・・。
 要は、前の嫁の方がほかに男を作って出ていったみたいな感じ。その前からあまりうまくはいってなかったんですけど、仕事もなくなり金もなくなりっていうのが多分引き金だったとは思います。大きく言えば、蒸発みたいな感じです。
 仕事上ではなく、うちの親父の知り合いが郡山で風俗を始めるという話になり、どこかケツ持ちを紹介してくれっていう話になり、うちの親父のお兄ちゃん分の人にケツ持ちをしてくれという話をしたら、そのお兄ちゃん分の人が多分高額な月々のお金を請求したらしく、その現場に喫茶店かどこかでそういう話し合いをしてるところにうちの親父の友達が間違ってというか、自分は脅迫されてるんだと思い込んで警察の人を呼んじゃって、そのまま逮捕になっちゃいました。
 結局は警察署に入ってて、うちの親父の友達が取り消してくれたんですよ、被害届を取り下げてくれて、一応出てこれたみたいな。誤解だっていうふうになったんですけど、周りはやっぱり新聞にも出ちゃったし、うちの親父がやってた車屋自体が郡山で一番二番目くらいにでかい中古屋さんだったので、それも社長が暴力団と一緒に何やってるんだっていう話になり・・・いろんなですね。
 お父さん戻ってきてから結構廃人のように・・・今まで信用して使ってきた人たちにもそう言われ、仲間だと思ってきた同じ中古屋さんの人にもぼろくそに言われて、「今まで何をやってたんだ」となり、結構半年くらいは廃人のようになってました。
 その時出てきたばっかりのときは、俺が
「ここの会社を継ぐからそれでいいだろう」
っていったら、うちの親父も「そうしてくれ」。そこでいろいろうちの家族で頑張ってきたんですけど、周りが・・・「株持ってるどうのこうの」とかでいろいろな・・・俺にはよくわかんなかったんですけど、そういうのがあり、駄目になっちゃいました。
 出てきたときに、多分入ってたのは2週間くらい、20日間拘留を多分やったんですよ。その時に結構げっそりしてて、今まで見たことないような、今までは本当におっかない親父っていうイメージだったんですけど、全然その時は覇気もなく、こういう親父は見てられないなぁっていう感じでした。
 その時に、「この会社は俺が守んなくちゃならない」とは思いました。
 正直、自分でも一番は子供が自分の手から離れるっていうのが一番ショックで、それプラスうちの親父もあんなふうになり、自分自身も結構立ち直るまで時間がかかりました。
 その当時は人と会うのも嫌で、外に出るのも嫌だっていうのもあったんで、実家の自分の部屋に鍵を付けて引きこもってたし、体調も悪くなってきてたんで、本当に引きこもり状態でした。
 うちの親父は結構立ち直りが早くて、「自分の車屋なんてもういらねぇよ」っていうふうになり、それでもともとうちの親父麻雀が大好きで、麻雀、雀荘を作り、今でもやってるんですけど、そこで仕事してますね。
 うちの母は、すごい真面目な人で、自分とか親父とかともまるっきり正反対の感じだったんで、本当に俺たちがなんかするたび、親父が何かするたびにきちがいみたいに狂ったように暴れてたんですよね。お母さん<笑>もう学校に呼ばれるたびにうちの母親が来てたんですけど、
「なにやってんの!!!」
みたいな感じで、気性が激しいというか、当時精神的に病んでたと思うんですよ。その当時は。俺も酷い。うちのねぇちゃんも酷かったんですよ。ねぇちゃんも酷くなり、俺も酷くなり、親父はもうずっと酷い。30だったので、それでもうプッツンきてましたね。
 でも当時は、うちの親父はお金がいっぱいあったので、だからお金を何十万何百万単位でうちのお母さんに上げて、新しいAudiとかベンツとか新車が出るたびに与えてたんで、それでお金でなんとかしてたみたいな感じですね。
 うちの親父が捕まって出てきて、そういう方達の縁は全て切ったので、そこから雀荘を始めてその雀荘にもそういう方達は一切入れないという形をとってるので、うちの母も家族みんな安心してます。
 うちの親父が最近よく言うんですけども、
「本当にあの時に捕まって良かった。」
 捕まっていろいろあったけども、いろいろあった中で、やっぱり普通の人が一番いいっていうのがあったらしく。「中途半端でもダメ。そっちの線を越えてもダメ」ってよく自分も言われるんですけど・・・、最近の親父を見てても、昔は目つきがギラギラしてたんですけど、そういうすっぱりそういう人たちの付き合いを辞めてから、生き生きとするようになってきたので、家族としてもそういう生き生きしてる親父を見るのが初めてだったので、本当に線ははっきり引いた方でいいんだなと学びました。
 34の時に今の嫁と、当時友達の紹介だったと思うんですけど会って、今の嫁っていうのは一回り下で、それで「だいぶ若いおねえちゃんだな」と思いながら付き合ってたんですけど、その34の時に子供ができたというふうになったので、籍を入れたんですけど、1人目の子供はお腹の中にいる時点で、「心臓が逆になってる」と言われたんです。
「心臓が左じゃなくて右にある」
と言われて、それでとりあえず生むことはできるんだろうけど、生まれたらすぐに手術をしないときっと名前とか忘れたんですけど、結構ややこしい心臓の病気だったらしくて、生まれてすぐに取り出したらすぐに手術をしてやらないとダメだと言われ、最初郡山の病院で見てもらってたんですけど、「うちじゃ手におえない」となったので、福島医大の方を紹介されて週1回診察に福島医大の方にいってましたね。
 それで結局のところは、生まれる月の最後の検診の時にお腹の中で「心臓の音が止まってる」と言われ・・・。その日は出せないので、
「とりあえず3日間薬みたいなのを貰って様子を見て、その後入院して人工的に陣痛を出してやるので」
と言われたので、その時は家に帰り、その後3日くらいしてまた福島医大の方に行って、人工的に陣痛を起こすやつでやってもらい、息をしてない赤ちゃんを取り出して。
 嫁には見せられなくて、取り出した姿を。嫁も見たくないとなったので、もう自分なりにやって・・・。
 それで1人目の子供はそういう病気があってダメでした。
 その後・・・、おととしにもう一度妊娠したっていうのが判り、じゃあ今度は大事に大事にしようというふうになり、もうその時は嫁はバイトしてたんですけど、バイトをすぐやめさせて、ほぼ自宅監禁くらいの感じで。
 それで次の子は無事に生まれてきました。女の子です。
 まぁ一回目のがあったので、すごい悲しい体験をしてたので、その出てきた瞬間はもう泣くくらい嬉しくて、まして初めての女の子っていうのがあったので、「大事にしないと」と思いました。自分的には、もう結婚する気とか全然なかったんですけど、相手も一回りも下だし、ただ付き合ってるだけみたいな感じだったんですけど、なんか付き合っていくうちにあまりにも下すぎるので、「俺が何とかしてあげなくちゃこの子はダメなんじゃないのか」みたいな感じになってきて、それで子供を作ろうという感じで、籍を入れる覚悟で子供を作って、両方の親に結婚しますというふうに言いました。
 うちの嫁の方も、ちょっとやんちゃしてたらしくて、嫁の親からは
「俺と一緒になって暮らすようになって真面目になった。親ともちゃんとまともに会話するようにまでなれたから、それはあなたのおかげだ」
と言われ、なので全然結婚には賛成でした。
 改めて親になってみて、本当に俺の場合はすげーいっぱい迷惑をかけてきてたので、知らない間に親に迷惑かけて、親に頼ったりもしてて甘えたり・・・もあったので、やっぱり親の存在っていうのはすげぇでかいなと思うし、娘ができて娘には本当に幸せになってほしいし、俺みたいな男にもつかまってほしくもないし。なので大事に育てたいです。
 子供にはすごい優しくしてます。嫁の親にも誕生日とかにはいろいろ買ったりもしてあげてるので、優しくできてるかなとは思います。嫁にはまだいろいろ迷惑かけてるので、もう苦労かけっぱなしですが、幸せな日々でしたね。普通に何もなく、落ち着いて生活してたんで、すげぇ幸せでしたね。

【3.11】

 3.11は自宅に居ました。
 自分は自宅で寝てました。しかも全裸で寝てました。寝るときに自分全裸なんで。ほんとに全裸でそのまま寝てた感じで、あの携帯のエリアメールが鳴って、自分が寝てる部屋と隣に嫁と娘がいたんですが、そのエリアメールで叩き起こされ、それで3.11の前に何回か震度4くらいの地震があって、そのエリアメールが来るくらいの。3,4回あったのかな。自分の家はマンションで4階建てなので、古い建物だしすごい揺れるんですよ。震度4くらいでも。そのエリアメールなんて今まで聞いたこともなかったし、それで1回目、2回目、3回目くらいのときにエリアメールが来るたびに、とりあえず外に出ようと。崩れるんじゃないかと思ってたので、とりあえずエリアメールが鳴った瞬間に外に出ようと嫁と話をしてたので。
 その3.11の時もエリアメールが鳴り、嫁と娘のところに行ったらもう既にバックとか持って外にでる準備してたので、自分はパンツだけ履いて、とりあえず嫁に「お前ら外に出ろ」って言ってたんですよ。嫁が玄関に出るときくらいにものすごい揺れが揺れ始まってきて、とりあえず自分も服着てる暇ねぇよとおもって、パンツのまま外に出て。
 階段で降りようかなと思ったんですけど、階段の踊り場もものすごい揺れで、崩れるくらいの勢いで揺れてたんで、嫁はしゃがんで子供抱っこしたまんまで動けなくなって、とりあえず嫁に子供抱っこしてたら子供危ないなと思って、俺が抱っこするって言って、抱っこして「気合で降りろ。絶対崩れるから」って言って、それで4階から俺は階段十何段ありますが、それを全部ジャンプして1階まで降りました。嫁もジャンプして。パンツ一丁で降りました。

 全部とばしていきましたからね。子供抱っこして。
 それでとりあえず外に出て、外に出たくらいの時は、多少落ち着いてはいたんですけど、その後余震とかもあって、とりあえずパンツ一丁だから何も出来ないってなって、上に一回戻ったんです。それで車のカギと自分の服を着て、家に戻ってとりあえずすぐ着れるものと思ってジャージ着て、車のカギ、財布を持ってもう一度外に出て、出たくらいにすごい地鳴りというか、ゴーッっていう音がすごいしてたしエリアメールは鳴りっぱなしで。自宅の駐車場で車の中でちょっと過ごしてました。
 その後、うちの実家が今住んでる場所から車で2,3分くらいなんで、とりあえず実家にうちの母親がいるから実家が心配だったので、電話もつながらないし、行ったほうが早いなと思って実家に行ったんですけど、家の中に入ったらもう全部が全部散乱してて、うちの母親の車はあったんですけどいくら探しても母親は居ない。
「あ、やばいやばい!どっかに居るのかな」
と思って何回も母親に電話しても繋がらず、それでうちの妹にとりあえず電話してみようかと思ったら、うちの妹は一回でなぜかつかまったんですよ。妹に「おまえどこにいるんだ?」って言ったら、
「うちの母と一緒にモールで買い物してた。その時に地震があった」
「帰って来られるか?」
「ショッピングモールの立体駐車場に車を入れたんだけど、その立体駐車場が崩れて車が出せない」
となって、
「じゃあ迎えに行く」
って言って迎えに行った感じです。
 こっちは地震以外はほとんど影響が無かったんで、とりあえず実家で過ごして12日の爆発があり、それもテレビで見たんですけども、「爆発したからじゃあどうなんだ?」っていうふうなのは全然わからず・・・全然わからないでしたね。危ないっていうのは判ってましたけど、チェルノブイリも爆発して大変だっていうのも判ってはいたんですけど、どんなふうに大変だったかっていうのが全然わからず、とりあえず原発が爆発した、放射能が降ってくる。とりあえず家からは出ないようにしようというふうになり、窓を隙間とかなく閉め切ってた感じですね。
 それからは、ほとんどその当時、俺インターネットとかも全然やってなかったので、ほとんどテレビの情報くらいしか入って来なくて、テレビでは「今すぐ被害はありません」みたいな、そんなことを言ってたのでとりあえず家から出なけりゃまぁ大丈夫なのかなとは思っていて、でも家を出ないとガソリンも入れられない。食料も入らないっていうのもあったんで、とりあえず家族だけは「家から出るな。俺が全部やるから」っていって、食料とかは全部自分が買い物に行き、自分だけ外に出てた感じですね。
 初期のうちは全然情報が入ってこなかったので、どういうふうになるかっていうのは全然わからず、とりあえず危ないっていうのは漠然と頭の中にあって、それで放射能も降ってるし、でもどうすることもできず、ただ外に出なきゃいいかと思って最初のうちは。
 原発がいわきあるのは知ってましたけども、まさか郡山までは降ってくるっていうのは頭になくて、降ってきてもそこまで大量に降るわけでもないのかなっていうふうに思ってました。
 自分の場合は、Mambowが居たので、彼からの彼と連絡をとれるような状況になってから「放射能やばいんじゃないの?」っていう話になって、4月終わりくらいですかね。それまでは危ないとは思ってましたけど、とりあえず嫁と子供だけは外に一歩も出さない。買い物とかは全部俺がいくというふうにやってたので、家の中なら大丈夫かなっていうふうには思ってました。
 その時点でMambowと話をして、Mambowはオペレーションコドモタチの横川さんとかDELI君とかのUstで中継、しゃべったりとかしてたので、いろいろ「放射能がやばい」とかそういう情報を彼は聞いてたらしいので、その聞いてた内容の情報を俺が彼から聞くような感じで、「郡山はこれだけあるし、とりあえずマスクだけは絶対して」って言われて、言われる前から自分でも外に出るときは必ずマスクはしてたんです、一応。マスクはしなくちゃならない。後は、子供はここに置いておいちゃまずいという話をずーっとしてて、
「でも置いておいちゃ駄目って言われても、じゃあどうすればいいんだ?」
って5月、???までずーっと悩んでたんですよね。どうすりゃいいんだっていうのを。
 それで、6月くらいにオペレーションコドモタチの横川さんとDELI君とかが福島と郡山をガイガーカウンタで測りに来てくれるっていうのがあって、その時に俺んちも測ってくれるっていう話になったんです。自分は5月の終わりくらいからツイッターを始めるようになり、それでツイッターも全部Mambowから教えてもらったんですけど、とりあえずMambowが横川さんとかDELI君とか岩上さんとかもフォローしてて、「こういう人たちをフォローしてれば、情報が流れてくるから」っていうのを教えてもらって、そこからいろいろ自分でも「なんかおかしいな」って思い始め、いろいろ調べようかなと思い始め。
 それで測りに来てくれるっていうのは、最初はMambowの家とMambowの子供が通ってる学校を測りに来てくれるっていうのがメインだったんですけど、そのついでにMambowが話をしてくれて、「俺の先輩の家も測ってくれないか」ということで、ついでに俺の家も測ってもらったみたいなのが実際。
 6月の時点で、自分の家の前が空間で約2マイクロくらい。自分ちの前の側溝がマイクロ、7マイクロくらい。自分の家の中を測ってもらったら、自分の家は鉄筋コンクリートなんで、中を測ってもらったら平均的に0.15くらいで、一番高くて0.23とかくらいだったんで、自分的にはその数字を聞いてすげぇ低いなと思って、
「すげぇ低いですよね?」
って聞いたら、横川さんとDELIさんに
「馬鹿を言うな!これで低いなんて言ってたら、千葉とか東京あたりの外でこのくらいあるんだから、お前らが千葉とか東京の外で暮らしてるようなもんんだよ。この中でも」
ってそれを言われて、「この数値でまずいんだ」って思い・・・、そこからですね。いろいろ考えようかなと思ったし、自分でガイガーを手にしようかなと思って、考えました。
 初めてUstとか見て、正直すげぇびっくりして、福島県内全体そうですけども、安全デマみたいなのが流れてたじゃないですか。大先生が出てきて、「3.8マイクロまでは大丈夫だ」とか、それは自分は信用はしてなかったですけど、とりあえず子供は外に出さなきゃ大丈夫かなと思ってたんで、でもそのUstとかを見て、本当にここはまずいんだって思うようになり、ちょっとある種ショックでしたね。

【ガイガーカウンタと除染】

 とりあえず自分でガイガーを手にしようと。でも6月の時点でどのサイトを見てもガイガーが手に入らない。早くても6月の時点で早くて8月入荷とか9月入荷とかいうのだったんですけど、毎日毎日いろんなサイトを見てなんとか手に入らねぇかと思って。
 実際手にできたのは7月の終わりくらいにやっとロシア製の安いやつですけど、安いっていてもその当時は5万、6万くらいしたので、それを手に入れてそこから自分で測ろうと思い測り始めて・・・ですね。その当時ガイガー検出で当時自分の家は、1マイクロなかったですよ。0.9とかまである程度は下がっていて、でも0.9でもすげぇ高けぇんだと思い。でも家の中も測って、家の中も大体0.15くらいで「じゃあこれどうしたらいいだろう」って考えてたら、ネットとかに拭き掃除も良いとか書いてあったんで、そこから毎日拭き掃除するようになり、今では0.06とか上がっても0.12くらいまで下がるようにはなりました。
 自分の場合は毎日拭き掃除。一日も休んでないので、拭き掃除っていうのが。なので、休んだらどうなるかっていうのが判んないですけど、でも明らかに毎日やってればそのくらいまで落ち着くくらいまでになると思うんですけど、でも鉄筋コンクリートっていうのがあると思います。自分の実家なんて未だに中で0.4とか2階で0.6くらいあるんで、木造ですね。掃除してもそこまで下がんないんですよ。0.1とか下がって、また1週間くらい下がって位なんで。
 除染は実家の方で、俺一人で高圧のやつを借りてきて、一度やったことがあるんですけど、屋根も全部吹き飛ばしてやったときはあるんですけど、やっぱりあれ何月くらいかな、やったの・・・。8月くらいにその除染をやってみて、ちょっとは下がるんですけど、やっぱり飛ばした分は今度周りが余計にすごく高くなっちゃって、家の周りの木とかドブとかに全部飛んじゃった感じで、これは高圧もできねぇなと思って。?????飛んじゃったんですよ。だからこれはもう絶対除染無理だな。そこからもう自分は何回も除染は無理って言ってるんですけど、郡山での除染活動としては毎週週1くらいでどこかしらで行われてる感じで、大体通学路とか小学校中学校の通学路がメインなんですけど。
 結構自分、ガイガーで毎日測ってるので、除染する前と後も測ってるし、その周りも測ってるんですけど、確かに除染したところは多少は下がるんですよ。例えば、1マイクロありました。除染しました。そしたら0.6とか0.5くらいには下がるんですけども、多分その高圧で流してるだけなんで、その周りを測りに行くと、今度は3マイクロ出たとか4マイクロ出た。その周りはやるまえは除染した場所と変わらないくらい、1マイクロなら1マイクロくらいです。
 その除染したとこだけ下がり、その周りに今度は拡散されて、周りが1マイクロから3マイクロとかくらいに上がる感じですね。
 郡山に関しては、除染は9月くらいから「除染しよう、除染しよう」というふうになって、先月10月くらいに郡山の市のホームページを見ればわかるんですけども、除染にもボランティアを雇おうみたいなのがあり、
『除染する場所を例えば通学路とか小学生が遊ぶ公園とか限定なんですけども、それを除染するのであれば市で50万まで出す。そのかわりボランティアもあなたたちが集めてください。それか、町内会でやってください。でも市は50万だします。その50万でガイガーカウンタなり高圧洗浄機を買ってください。』
っていうのはでかでかと載ってるので、周りは本当に除染ムードいっぱいですね。近所で除染してるグループがあったんで、自分はわざわざガイガー持っていって、
「除染するのはいいんですけど、周りは今このくらいの数値ですよね」
っていうのを見せて、周りが1マイクロです。じゃあ除染やってくださいってやった後に、その水とかが飛んだところを測って見せて、
「このくらい上がってるんですけどここはどうするんですか?ここも除染するんですか?」
っていうふうにわざと聞いてみたんですよ。
「でもここは子供たちがあまり通らないような場所だから、ここは別にいいんだよ」
みたいなこと言われて、それでもうムカついて、でも言ってもダメだろうと思って、とりあえず子供たちが歩く場所っていうか通学路だけ良ければその周りにだって家もあるし、その家の中には子供は居ないのかっていう話にもなるんですよね。ましてや子供とかなんて草とか触って歩くわけですから、その草だって何マイクロあるか判んないじゃないですか。
 だから除染については、すげぇムカついてますね。あれは。
 除染に関しては、まず自分の家をやったっっていうのもありますけど、そのほかに除染活動してる人たちの場に行って、除染する前と除染した後、除染した周り、それを何回も自分で行って測って、その除染してる人たちにも「このくらいの数値だよ」っていうのを見せたりもしてるんですけども、やっぱり除染してる人たちは、完全に除染キャンペーンでやられちゃってる人たちばかりなので、俺が一人で行ってそんなガイガーを見せても、「とりあえず今下がってるんだからいいんじゃない」みたいなノリなんで。でも俺は自分で測らないと納得しないので、もう何度も除染した後測って「もう絶対これは無理だな」って自分の身体で確信してるし、ネットとかの情報もありますけども、やっぱり自分で見ないと納得しないんで、高い場所でも低い場所とかも除染できる・できないっていうの、納得しないんで、測りに測りまくった結果が俺は『除染無理』ってなってるので、なので、この除染キャンペーンにはムカついてます。

【避難】

 7月の終わりくらいに自分でガイガーカウンタを手に入れて、いろいろ測るようになり、ネットでいろいろ調べるようになり、うちの子供も生まれたばっかりだったので、ここに置いておいたんじゃ絶対危ないだろうなっていうのもあり、最初オペレーションコドモタチの横川さんも「北海道に来なよ」って誘われてたんですけど、いきなり北海道っていうのも遠すぎるし、自分の仕事もあるし、とりあえずは近場のあんまり数値が高くない安全なところを探してみて、まず嫁の友達が新潟に避難してる子がいて、そこに「ちょっとの間居てもいいよ」と言われ、そこに大体9月くらいから1か月くらいいて、その後に嫁のおねえちゃんが千葉の中央区の方に居て、千葉も高いとは言われるんですけど、そこの中央区を測りにいったら、外で0.08。風が吹いても0.1くらいで家の中も0.05、0.06くらいだったので、「ここでは大丈夫だな」と自分で判断して、10月過ぎくらいから千葉のお姉ちゃんの家に今もお世話になってる状況です。
 うちの嫁は、ガイガーカウンタを見て、その数値を見せてるので、これは危ないっていうのも自分なりに判ってるらしく、それで自分もネットとかで調べて、一番は自分でガイガーを持って、郡山を測ってるっていうのが一番ですけど、ここはこのくらいの数値がある。家の前の駐車場は未だに0.8くらいあるというのを言い聞かせてたら、じゃあ嫁も
「あぶないんだね。」
って。事故以来ほとんど外に出ていないので、自由に外に出て遊びたいっていうのがまず一番に頭にあったらしく、それならばアパートを借りるわけではなかったので、友達の家やおねえちゃんの家に行くんで、気軽に行く感じだったんで、嫁は全然喜んで行った感じですけども。
 うちの親も俺がいろいろ言ってるせいもあるのか、多少気にはしてくれてるんで、放射能のことに関して。なので、そこまで避難するのに反対ではないんですけども、嫁の実家のお父さん、お母さんは、もう全く気にしない人たちで、
「テレビ・新聞で安全って言ってるんだから、大丈夫だろう」
と。それで、未だに福島県内のテレビには、環境放射能っていって、区切られて1時間に1回くらい、どこどこは何マイクロですっていうのが流れるんですよ。それを見て、
「郡山はじゃあ今は0.8くらいだから全然下がったんだから、これからはもっと下がるんだろう」
っていうのが頭にあるらしく、本当にテレビ・新聞の安全デマにやられてる感じの人たちなので、あまり避難させるのは・・・良くは思ってないですね。嫁の方の親とは多少対立はしてますね。
 まぁ本格的に避難を考えたのは、自分も含めて避難をしようと考えたのは、やっぱり自分が結構チャレンジャーなので、郡山で高い場所が出たっていうと自分で確認しに行っちゃうんですよ。この前も郡山の駅前で80マイクロ出たっていうのがあり、報道されてその80マイクロ出たけども、土を掘って2マイクロまで下がりましたっていうのがあったんで、「ほんとかよ!?」と思って、とりあえず夜中測りに行って、その現場について土の色が変わってたんですよ。その土の上にガイガーを置いたら0.7くらいなんですけど、その20㎝くらい脇の植え込みは10マイクロくらいあって、その80マイクロ出た場所っていうのは太い柱があって、雨どいがあるんですよ。その雨どいを伝って溜まったのが80マイクロで、でもその雨どいを見たら前と後ろにもあったんですよ。これ、後ろ多分測ってないだろうなと思って、後ろを測りにいったら30くらい出たんですよ。それで次の日に市役所に電話したんですよ。
「80マイクロ出た場所を測りに行ったんですけど、その周りも測りましたか?」
と郡山市役所の放射能対策本部みたいなのが今あって、そこに電話したんですけど、そしたら
「うちの方でも測ってるし、核種も測れるやつで測ったらセシウムしか出てなくて、数値的にもそんなに出てないですよ」
っていう話だったので、僕が昨日行って測ったら30マイクロくらい出てるし、それは写真にも撮ってるし、ツイキャストもそれをフォローしてくれてる方も見てくれてたんですよ。
「どういう測り方をしましたか?」
っていう話になって、そんなパッと測った時点で一気に20くらいいったんで、手に持ってるの怖いから置くじゃないですか。置いてちょっと経ったら30以上あったんで、「これはやばいな」と思って、またガイガーをパッととっていったんですけど、それは対策本部の人はどういう測り方をしたのかっていう話になって、
「地面につけましたよ」
って言ったら、
「いや地面につければそのくらい出ますよ」
っていう話になって。
「いやいや違うだろう。30マイクロも出てるのに、なんでそれを・・・ちゃんと確認したってさっき言いましたよね?」
「私らが測った時はそんな数値は出てないのでおかしいです」
って言われて、
「基本的に郡山では地表10㎝離して10マイクロ出たら対応しますけども、地面につけて測ったんではそのくらい出る場所もいっぱいあるので対応しません。」
って言われて、
「30マイクロも出てるんだから10㎝話しても10マイクロ以上出るよ」
って言ったんですよ。
「いやでも、そういうふうにやってもらわないと」
と言われて、
「じゃあお宅はもう一回俺らに測りに行けって言ってるんですか?」
って聞いたら、
「はい。」
って言われて、あぁもうこいつは何を言っても無理だなと思って、最後に電話対応してくれた方が何という方か忘れましたけど、
「実際私の家の雨樋も10マイクロありますからねー。」
って言われて、それ聞いて「あぁこいつらにもう何を言っても無駄だろうな」と思って、それで辞めました。
 自分の持ってるガイガーは20マイクロまでしか測れないんですよ。その30マイクロ測ったっていうのは、自分の後輩が持ってる、DELI君とかが持ってるようなやつ、Inspectorで測ったので、自分ので測ってたら郡山の第三中学校の正門の前の道路、コンクリートが17とか、結構俺の20で振り切れる場所、まだありますね。
 オペレーションコドモタチで北海道に行こうっていうのが、結構8月くらいから考えてて、でも北海道は遠い。自分は行くのは嫌だっていうのがあったので、嫁と子供だけなら北海道でもいいかなと思ったら、最初嫁は「北海道は遠いから行きたくない」っていうのがあって、自分が行くのが嫌だっていうのは、やっぱり郡山に愛着があるし、やっぱり何十年、30年以上ここに住んでるんで・・・多分人一倍この町を好きなんじゃないかなと思うのもあるし、北海道に自分も行ってちゃんと生活できるかという不安もあるし、一番はここが好きだからっていう、それだけですね。
 でも、自分も北海道に行こうかなって決めたのは、もともと自分、不整脈もちなんですけども、9月くらいから酷くなり、不整脈はもともと中学校くらいから受診しててお医者さんから薬もらったりしてて、たまーにですけど症状は出てたんですけど自覚症状としては、鼓動がものすごい早くなる。あとは早くなったあと遅くなったりも。鼓動が定まらないっていうんですか。いきなり早くなったりいきなり遅くなったり。たまにバクッとなって一瞬止まるくらい、一瞬止まってまた動き出すみたいな、そんな感じのが9月くらいからしょっちゅうなってきて、線量を測りに行って空間線量でも地表でも高いところに行くと、ちょっと気持ち悪くもなるし、その日の夜は必ず不整脈が起こるというか、心臓も早くなるし、とにかく心臓が何かしらになるんですよ。測りに行くと。
 普通に出歩いてる分にはそこまではなんないんですけど、やっぱり1.5とか超えるくらいの場所に行くと、マスクしてても必ず気持ち悪くなるし、測りに行った夜は必ずちょっと動けないです、それは。
 なので、もうこれは危険かな。身体がもう危険を出してるんだなと感じてるので、実際に。実家を除染してる最中もちゃんと普通のマスクじゃなく3Mのマスクをしてカッパも来てゴーグルもしてやってたんですけど、その後にやっぱり気持ち悪くなったし、心臓もバクバクしたし、だから除染中も気持ち悪くなってましたね。なので、全員が全員不整脈持ってる人がそうなのかっていうのはわかりませんけど、俺の場合はもう完全に心臓がやばいんじゃないかなって自分で思ってます。
 もともと中学の時に受診して、そんなに病院に行ってないので、なんでその不整脈だっていうのが判んないですけど。最近も受診するわけじゃなく、もともと不整脈の友達がいるので、その薬を貰って飲む感じなので、医者は嫌いなんで行かないです<苦笑>。

【映画『チェルノブイリハート』】

 以前チェルノブイリハートを見て、本当に・・・ビビるくらい衝撃を受けて、今までネットとかでも調べてましたけど、なるべくチェルノブイリの動画とかは見ないようにしてたんですよ。怖いっていうのもあったし、現実を受け入れたくないっていうのもあったのかもしれないですけど、でも上映するっていうのがあって、これは是非見に行かないとと思って見て、本当にすげぇ衝撃を受けて、心臓の病気のこともあったので自分も不整脈もあるし、もしかして娘にも自分みたく不整脈とかある可能性もあると思うので、とりあえず・・・あれにはビビりましたね。娘があんなふうになったらどうしようって考えると、ちょっと嫌ですね。
 自分の1人目の息子は、3.11よりだいぶ前なんですけど心臓の疾患で生まれられなかったわけですけども、自分も先天性かどうかよくわからないですが心臓に不整脈があり、その息子も自分のせい・・・自分の遺伝なのかもよくわからないし、どうなのかもよくわからないですけど、まぁ・・・明らかに自分の場合は3.11以降放射能が出て、その影響で心臓が弱ってきてる部分がかなりあるので、3.11前はほとんどっていうほど激しい運動をした後くらいだったので、苦しかったのは。でも、ここ最近は激しい運動も何もしてなくても、数値の高い場所で心臓が苦しくなるわけで、なので自分の場合は自分の身体で体感してるので、もう絶対ここに居たんじゃ俺は長く生きられねぇなとも思うし、ましてや自分の娘もまだ1歳なので、はっきりちゃんとした検査はしたことはないんですが、今のところ心臓もなんともないっていう、あれではありますけど、自分の娘なんで、先天性の影響で心臓に不整脈がある可能性もあるだろうし、俺でこんなに苦しいんだからもっと小さい子は、そんな不整脈とかあったらもっと苦しい想いをすると思うので、そんな場所には、この町は大好きですけど、この町には俺もいられないし、ましてや小さい娘を置いておけないので、なので避難を決めました。
 最近病院とかでも、いろいろストレスが原因で病状が出てるとかそういう話もよくあるんですけども、本当に3.11以前ほとんどストレスも感じず生活してきて、もう幸せ、娘が生まれて家族も仲良くなり、幸せ絶頂くらいのときに3.11の地震があって、それで放射能が出て、それで郡山は全然津波の影響とかもなかったし、ストレス・・・放射能が無ければストレス貯めようがないんですよね。だから、そのストレス、ストレスって言ってる人たちは何を言ってるんだろう?
 そのストレスのせいで俺の心臓はこんなに悪くなってるのかなって思うと、全然俺ストレスは無いんで、明らかに放射能の影響だとは思うんで・・・、完全に俺の場合はストレスで心臓は悪くはなってないです。
 北海道は来月の12月、オペレーションコドモタチのあれで行くので、12月28日こっちを出発。場所が札幌の福島県内の人が住んでる雇用促進住宅っていう団地があるんですよ。4棟くらい建っててほぼ福島県民が住んでるっていう場所があるんで、自分もそこに行きます。
 下見は済んでないです。いきなり行きます。
 でも、向こうに行ってる人たちから情報を貰ってるし、あとはボンジャスの??とかManbowとか何回か行って現地の状況とかも見てるので、寒さは苦手ですね。全裸で寝れなくなるっていうのは・・・俺服着ると寝られないので、それがちょっと心配なんです。ストーブつけっぱなしで寝るしかないのかなって<笑>

布施大輔さんは百人百話の撮影後、北海道ではなく盟友DJ mambowさんのご家族が避難している新潟に奥さんと娘さんを避難させ、大輔さん本人は、現在単身郡山に残り、避難希望者の相談、支援などに奔走中。
 週末は、愛する家族と新潟で暮らしている。
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