百人百話:ヒロタカさん
2012-04-09
百人百話:ヒロタカさん 書き起こし「ぼちぼちいこか」氏から
Q.自己紹介をお願いします。
私の名前はヒロタカと申します。
出身は横浜です。仕事は建設関係で、仕事で北海道から東北、東京都にでてきています。
家族構成は、私と妻と3歳の娘、お腹の中に胎児がいるという状態です。
今、妻も仕事はしてるんですが、今月から産休に入っている状態です。
Q.苗字を控えたいということですが、それはどういう理由から?
苗字を出したくないって言うのはですね、妻も仕事をやってるものですから、妻の仕事仲間の人間関係もありますので、やっぱり名前を出してしまうと人間関係が崩れるのは嫌なので、そこは控えさせてもらいました。
Q.奥さんの仕事には、どういった差し障りがあるのですか?
私の妻の仕事は福祉関係をやってるんですけど、やはり妻の仕事の仲間たちは、これからもずっと福祉関係の施設で働いていこうとしているわけですから、そこでみんな子供が居ないわけなんですね。やっぱり子供居る人は少ないので、どうしてもごく少数派の子供がいる妻の立場の人間は、避難とか考えるんですけど、子供が居ない人は全く避難というよりも、自分たちの生活の糧を如何に守るかというのが重要なわけですから、やはりそこでちょっと言いたいことも職場内で言えないというところもあるので、妻の旦那が批判的なことを言ってるというのが知れわたると、やっぱり妻の職場での立場が脅かされるっていうのがあると思います。
Q.その”空気”についてお話いただけますか?
福島県全体そうだと思うんですけど、放射能の話、放射能で汚染されてるっていうことが大きくなるんですね。自分たち、みんなが避難しなきゃなんないんじゃないかということになると、みんなその仕事もできなくなってしまうわけですね。みんなはそれは嫌なんです。やっぱりここの土地に生まれて育ってるわけですから、この土地を離れたくない。仕事もずっと続けていきたい。
そうなるとやっぱり、「放射能はあるにしても大したことは無いんだ」とみんな思いたいという部分があるわけですね。
ただ、子供が居る我々は、大丈夫だと思いたいでは済まないので、駄目なら対処しなきゃなんないっていうところがある。それはそう思おうとしてる職場の人たちに言っても、受け入れてもらえないという感覚で、どうしてもこちらは口をつぐむしかなくなるみたいな状態にあるわけですね。
そういうところでこういう本音を職場の人に言ってしまうと、
「何なの?俺たちの職場を危うくするようなことをするんじゃないよ」
と思われてしまうので、そこが・・・空気の差があるというのかな・・・、そういうのがあります。
Q.福島に来られた経緯をお話しください。
私はこの福島県に来たのは、大体13年くらい前、仕事できたんですけど、そこで妻と知り合いまして、結婚して11年くらい経つんですね。
3年前にやっと子供ができまして、今3歳くらいになってる状態です。
Q.お仕事で別の場所に行く機会はなかったのですか?
本社は東京で、今までも転勤は北海道の方から東北、東京の本社のほうに転勤はあったんですけれども、会社に希望をすれば関西でも九州でも、叶えられるか判らないですけど、希望は出すことはできるという状態ではありました。
Q.福島に根を下ろそうという気持ちはあったのですか?
結婚を機に福島にずっと永住したいという考えかどうかっていうのは、それは会社には希望としては伝えはしましたけど、それは叶う話でもないなというのは最初からわかってまして、最悪単身赴任でもいいかなということで、妻も仕事してますから、子供は福島において、いざ転勤とかになれば、私だけ動こうかなと思ってたんですが、今回のこういう状態で、逆に子供をここに残して私だけ転勤しても何もなりませんので、行くなら家族を連れて行きたいなと今思っているんですけど。
Q.3.11の時は、どこでどのように地震に遭われたのですか?
3.11の地震の時に、福島駅付近で会社の支店に居たんですが、もう何分もずっと揺れる中で、ビルの2階だったんですけど、机の下にもぐるなんて初めてのことでしたし、あんな長い時間続く地震、もう潰れるかと思うくらいの揺れでしたね。
Q.その後どういう状態でしたか?
地震の後は電話も何も通じない状態だったんですが、ただ職場の人が携帯でテレビは見られる、携帯はつながらないんですけど、インターネットもつながらないんだけど、テレビは見れたんじゃなかったかなと思います。そのテレビを見ると、NHKのニュース速報とかで、『津波予報が6m』だとかは見ました。
ただ、誰かと連絡はつけようがなかったですけど。
近くに福島駅があったんで、そこに歩いていったんですけど、バスも止まってるし、信号も電気ついてない。駅にはどんどん人が集まってくる。駅の中には入れない状態。みんなはどうやって帰ろうかっていうような状態が続いてました。
Q.ご家族の避難は、どのようにされたのでしょうか?
会社の同僚の車で送ってもらいまして、福島から郡山まで大体1時間半くらい。その間、道路も信号、全部ついてないわけですね。ただ、そういう場合っていうのは、優先の国道が必ず優先になるので、結局信号がないので、全部青信号をつっきるような形で、結構車の量は多かったんですけど渋滞も無く家に着いたんです。
そこで初めてやっと無事が確認できたという感じですね。家族の。
Q.お子さんたちも無事に帰られたのですか?
子供も無事に妻が迎えにいって、地震の直後に、それで家に帰ってきた。
Q.原発の事故はどのようにお知りになったのでしょうか?
原発の事故ははテレビです。テレビで知りました。
事故というか爆発は判らなかったんですね。確か、ニュースでは爆発した後の骨組みは映像で出てたんですけど、12日の4時半とかですかね。ただ、コメンテーターも学者も、「爆発のように見える」と誰かが言っても、
「そうとも見えるけども、わからない」
どのテレビを回してみても、
「よくわからない」
という話だったので、でも私はどうみても、これは爆発があってそれをみんなで意図的に隠そうとしてると思ったんですね。隠そうという意図がわかったんで、わかったというか思ったので、
「これは相当なことが起きてるんだろうな」
と思って、もうその場でとりあえず逃げるだけ、走るだけ走って逃げちゃおう。走ってる間にラジオで聞いて、大丈夫なら引き返して帰ろうということで、一応とりあえず車に荷物を積んで、12日夕方には南下しようとしました。
Q.12日は何をしていたのですか?
12日は、朝から断水してましたので、朝からずっと水汲みに並んでまして、夕方やっと4時ころ帰ってきて、ソファに横になっててテレビをつけた時に、もう1号機が骨組みになっていたという状態ですね。
Q.震災以前は、原発に関してどのくらいの知識・関心をお持ちでしたか?
私、ここの郡山の家を買うに当たっては、今まで起きたことも無いような大洪水や異常気象が続いてましたから、竜巻とかいろんな要素を考えて、土地を考えて家を建てたんですね。
だから、どんな天変地異が起きても大丈夫だと思って買ったんです。
原発があるってことも、うすうすは知ってたんですけど、海沿いにあるので、気流はどうしても西に東回りに吹きますから、まさか80㎞も西の方に吹くなんて思ってなかったので、原発は安全だろうと思っていました。それが原発にやられちゃったという感じですね。
Q.土地を選んだ理由は、具体的に何だったのですか?
家の土地を選ぶ基準は、やはりその周辺で低い場所に無いこと。どんなに大雨が降っても水が溜まらないところ、流されないところということをまず第一に考えました。原発のほうも少しは考えたんですけど、気流の流れからしても西に流れることはまずないだろうと、どう考えてもジェット気流というか偏西風が向こう流れてますから、東の方ですから・・・と思ってたんですね。
だから、原発・・・でまさか漏れが、漏れが、そんな漏れがあったとは思わなかった・・・
Q.地震については対策をしていたのですか?
地震について今の土地を選んだのは、もともと山を削り取った土地なので、埋め立てた土地じゃない。そういうのは知ってましたので、地震についても関心があってというのは確認はしました。地盤が強固な土地を選んでました。
Q.何年前にローンはいくらくらいで購入されたんですか?
家を買ったのは、3年前くらいだと思います。ローンは35年組んでますので、今私43、40歳くらいの時に買いましたので、75歳までのローン。だから、今でも75歳までのローンが残っています。
Q.地震で家に影響は出なかったのですか?
外壁のヒビっていうか、基礎にちょこっとひび割れが入った程度でした。ですから、今の家を建てるにあたって考えた大雨とか地震とか、そういう自然災害、どんな自然災害があっても大丈夫だろうと考えに考えて決めた土地だったんですよ。
原発・・・の放射能がまさか、こんな形で来るなんて、全く予想ができなかったですね。
Q.3.11の時、原発に対してどの程度の知識をお持ちだったのですか?
私は放射能の対する危険性の認識っていうのは、まずほぼ一般人と同じでして、ただ放射能は危険に決まってるということ。だから、危険に決まってるので、今以上に危ないものだと思ってましたね。
Q.12日の避難の様子を教えてください。
3月12日の夕方5時ころから車に乗って国道の方を南下し始めたんですけど、その時にふっと思ったのは、私と同じ考えの人は何十万と居るだろうと思ったんです。だから、1秒でも早く南下を始めないと、道路が渋滞して南下できなくなって放射能のまみれてしまうと思ったんですね。
でも、周り近所を見ても、何も動いてる気配がないんですけども・・・ただ4号に出ればすごい車があるんだろうという覚悟で、1秒でも早くということで行きました。
やっぱり渋滞してたんですね。
「あ、やっぱり」
と思ったんですけど、それは地震で国道がただ陥没とかしてて、復旧工事中だったんです。それのちょっとした渋滞でそれを抜けたら全然混まない。だから、普通の人の感覚と私の感覚と違うのかなと思いながら、南下をずっとしてたんですけど、そのころって、ガソリンスタンドも??ってて、ガソリン売ってなかったんですけど、たまたま宇都宮まで出て宇都宮のスタンドがちょうど3000円分入れられるということで、30分くらい待って入れられたんです。それで、何とか南下がスムーズにいったという感じですね。
Q.どちらまで行かれたのですか?
実家の横浜まで行きました。途中、ラジオを聞きながら、戻る選択肢もありましたので、大丈夫であれば戻るつもりだったんですけど、確かラジオの情報を聞くとどんどん悪い情報ばっかりになっていったような気がするんですね。放射能の値が上がってないという報道もあったんですけど、そんなものはなから当てにならないだろうと思ってましたので、とりあえずこれは横浜まで行って、2,3日、こういう時だから会社休んでも大丈夫だろうということで、とりあえず横浜まで行っちゃえということで行っちゃいました。
Q.その時のご家族の様子はいかがでしたか?
私はテレビの科学者だとかコメンテーターの対応、あたふたしてる対応を見ていて、もうこの人たちもコメンテータの人たちも騙されてるんだろうなと思って、というような画面なんですね。科学者は知ってるくせして知らないふりしてるっていうのは、もう素人が見てもわかるような状態だったんで、もう「30分以内に逃げるぞ」って言ったんで、言われた妻の方からすれば、もう何が起きてるかわからないけど、とりあえず準備しなきゃということで、妻の方は考えてる余裕がなくて、とりあえず車に乗って横浜に向かう中で状況は・・・。
私も説明できないんですよ。何が起こってるのか判らない。ただ、とんでもないことが起きてるらしいとしかわからないで、そういうことは話しながらラジオ聞きながら、横浜に向かったんですけど、妻はだから、その日の夜も考える余裕もなく、とりあえず避難をしようという形でいいかなという程度のことだったと思います。
Q.横浜に着いてから、1号機の爆発のことはお知りになったのですか?
私はインターネットってあんまり詳しくなくて、映像とかも見たこと無かったので、そういう情報の入手の仕方が判らなかったんですね。避難する直前も、インターネットの環境あったんで、ネットで繋いで調べたんですけど、でもそういうサイトに、検索の仕方がわからないので辿りつかず、情報がやっぱりテレビしかない状態。
横浜に着いたら着いたで、まさか横浜に来るとは思ってないので、ニュースとかもそんなに気にしないっていうか、もうとりあえず安全地帯に居るからということで安心しきっちゃって、数日を過ごしました。2,3日。
15日の爆発も知らなかったかもしれ・・・14日の爆発ですか?も、知らなかったような気がします。
Q.では、横浜で過ごしている間は帰省という感じだった?
私は、やっぱり久しぶりに横浜に帰省しましたので、久々の我が家ということで、しかも会社も再開してなかったので、家でゴロゴロして数日間過ごしてるっていう感じだったんですよね。
Q.お戻りになったのはいつ頃ですか?
3月の・・・下旬には戻ったんですね。
戻るにしても、私は横浜から本社の通えばよかったんで、避難をずっと継続したかったんですけど・・・。
Q.福島ではなく、東京本社に変えてくれと?
会社とすれば福島は大変なことになってるので、「このまま本社にいればいいじゃないか」というのは会社のほうから言ってもらってたので、私とすればこのまま東京で暮らすのも安心なので、そのつもりでいたんですけど、やはり妻のずっと続けてきた仕事も、同僚ももうとっくの昔から同僚は復帰してたので、福島県も政府も、爆発があっても30㎞圏外は問題ないってずっと言ってましたから、仕事も普通に再開されましたし、同僚も。
その中で復帰してないのはうちの妻だけなので、妻とすれば「早く戻らなけいと皆に申し訳ない」という状態だったんですね。
それで、妻がどうしてももう、もう帰らなければいけないということで、3月の下旬に1度というか、それで帰ったというか、福島の郡山のほうに。
Q.政府・メディアのプロパガンダについて、この時どのように感じておられましたか?
3月下旬の時点でも私は真実はよく判ってませんでして、その時点で唯一の情報源が中部大学の武田教授のブログっていうんですか。その3月下旬の頃にそういうのがあるっていうのがわかったくらいで、どうもその人が言うには、
「危険だったんだけど、これからどんどん危険じゃなくなるだろう」
みたいなことが書いてあったんですね。だから、政府は大丈夫だって言った中で、大丈夫じゃないと言ってた武田さんが「これからどんどん大丈夫になる」って言ってるんだから、大丈夫にはなっていくんだろうけれども、でも念には念を入れて戻らないに越したことはないと思ってたんですけど、妻の強い、同僚に対する・・・同僚に悪いと思うということで押し切られて、という話になったんですけど。
Q.戻られた時は、一時的なつもりだったのか、それとも完全に戻るつもりだったのですか?
私は郡山に戻るにあたっては、政府がもしウソであれば、ウソがそんなに長く続かないだろうと思ったんです。ウソであれば、どうせウソをついてるっていうのは、最初のパニックさえ収めてしまえば、どうせ人間動かないだろうと思ってるだろうから、もう4月に入ると本当のことを徐々に言ってくるだろうから、本当のことが出てきた時点で、もう一回避難すればいいやと思ってたんです。そうすれば妻も納得するという気持ちだったんですけど、でもいつまでも「大丈夫だ、大丈夫だ」って生活を始めるっていう流れだったんで、
「これは本当のことを言わないで、ずっと続けていくつもりなんだろうか?」
と思ったんで、もうそれで怖くなったんで、うちの妻も通える範囲の猪苗代の方に・・・妻も「そこだったら避難してもいいよ」って最終的には言ってくれたので、とりあえず猪苗代の宿泊施設に避難したんです。
Q.奥さんとは具体的にどういう話し合いをされたのですか?
私の妻は、もともと最初から真実を知るつもりはない。ただ、普通に暮らしたいだけ。どうも福島県の人たちをみんな見てると・・・みんなもそうな気がする。
みんなそんなこと考えて暮らしていない。『今までと同じ暮らしがなんでできないんだ?』っていう考えがあるのか、私にはちょっと理解できないですけど、そういうのがあって、うちの妻も真実がどうなんだ?っていうのはどうでもよくて、周りの人間がどうしてるかっていうことなんですね。周りが気を付けてれば、私も平等に気を付けなけくてはいけない。みんなが気を付けてれば、私も平等に気を付ける。周りと同じことやっていけば、大きく間違うことはないだろうという考えで。
Q.具体的にどういう言い方だったのですか?
妻の考えは、私にはしゃべってはくれないので、妻の言動から自分なりに噛み砕いて判断するとそうなんだろうなと、今思えば・・・。
Q.ヒロタカさん自身は、その時点で危険だとお考えだったのですね?
・・・そうですね。
避難をしたのは4月の1日だかちょっと忘れましたけど、郡山に戻って1週間は郡山で普通に生活をしたんです。その後、1週間生活してる中で、政府が本当のことをどうも言わないなと思ったので、これは長期戦になるなと思ったんです。長期的に隠すつもりなんだなと思ったんで、であれば、本当のことが出るまでは身を隠すしかないと思ったんで、避難をしようと思ったんですね。
その時点で知識は武田教授の知識だけで、15日くらいにはものすごい放射能があったんだけども、今は要素も半減期、半減期でどんどん少なくなってるから、問題はヨウ素なんだな、ヨウ素はもうそろそろ大丈夫だよっていう考えも、妻はそこの知識までは判っていたので、だから妻もその時点で「もう心配ない。大丈夫なんだから」と思っちゃってから考えてない。
だから、私は、ならそれを政府が説明すればいいのに、政府はずっとなんか細かいことを説明せずにずっと来てるので、まだいろいろあるんじゃないかなと思って・・・、避難というか郡山に長期的に戻れないであろうということは、その時から思っていました。
Q.周りの人と同じなら良いという考えについて、少し詳しくお話しください。
3月下旬の郡山に戻った時ですね、隣の家の住民も、後から聞いたら
「実は私も避難した次の日には、二日後くらいには千葉の方に避難したんだよ」
っていう話は、3月下旬に帰ったらちょうどそちらの家も帰ってきて、そういう話をしたんですよ。そっちの家の人も、なぜ帰ってきたのかっていうと、やはり
「仕事が始まっちゃったから。学校も始まっちゃうでしょ?」
っていうことで、
「でも、本当は帰ってきたくないよね」
って、多分隣の家もそうだったんで、みんなその時点ではそうだったんでしょう。どうやら危なそうだっていうのは、みんなわかってる。でも、仕事が始まっちゃうのに仕事やらないと、これから食っていけない。学校始まったら学校に戻らないと、子供が仲間外れにされちゃう。最初いかないと、やっぱり4月ですから仲間外れにされちゃうっていうお母さん同士の想いみたいで。
しょうがなく皆戻ってきたっていうのが現実だと思うんですけど。
いざ避難はしないんだと皆もそこで決めちゃってるわけですね。『ここで暮らしていくしかない』と自分の気持ちに整理を、多分そこでつけたんだと思うんですね。そうすると、もう選択肢がそれから避難するっていうのはあまり考えたくないっていうのがあったんだと思うんです。
妻の考えは、周りと平等ならいいという考え。
私はいろいろ話したんですけど、
「でもガンになる可能性だってかなり高くなるんだよ。みんながガンになって、子供がガンになるんじゃ、赤信号みんなで渡ったら、みんなダンプカーに引かれて信者う、そんな状態なのにそれでも親としていいの?」
っていう話をしたんですけど、
「みんながそうならそれでいい。郡山の市民がみんな平等に危険性があるなら、私はそれでもいい」
という返事を聞いて・・・私もそれを聞いた時には、
「あ、だから避難を今嫌がるっていうか、嫌がるのかな・・・」
ってなんとなくわかるような気もしたんですけど・・・。
Q.猪苗代に避難しようとなった時の様子は?
今回避難する・しないの話になった時には、どうしても妻の実家が郡山ですから、もう近所に妻の両親もいますので、やっぱり相談をするんですね。
やっぱり妻の両親は、自分に小さい子がいるわけでもないですし、そんなに心配してない。その中で「自分の娘がここまで頑なに避難は嫌だ、自分の仕事も続けたい」って言ってるんだから、とりあえず皆も避難してないんだし、このまま居たらどうだろうっていうことだったんですよ。
でも、私は現実はそうじゃない。
その頃は、大体4月上旬くらいには、いろんな人の意見をネットで見られるようになってたので、小出さんの言ってることとか、ゴフマンさんの言ってることだとか、いろんな世界中の危険警鐘を鳴らしてる人たちのコメントがなんとなく入ってきてたんで、
「これはもう大阪、関西方面に避難するしかないので、全部捨てて逃げよう」
っていうのが私の考え。
多分仕事は転勤して続けられるだろうと思ってたので。
Q.家のローンについては、どのようにお考えですか?
実際避難をしようとして妻の両親に相談した時、一番ネックになったのは、やっぱり
「家のローンをどうするんだ?今は二人で働いてるから払える。これ、片一方の仕事を妻が辞めて、私の今の仕事だけでいった場合に、避難した先で雇ってもらえるかもまだわからない。それでローンが払っていけるのか?」
って言われたときに、恐らく払えない。だから、もう売るしかないって話をしたときに、
「売れればの話だろ」
って言われて、確かに売れなければその間ずっとローンを払わなきゃなんないので、そう考えた時に・・・でもそうなったときには、そんなのは自己破産でもなんでもすればいいんだと私は当時思ってたんです。
『とにかく子供の命が最優先だ』
と思ってたんですね。
そういう話もあって、妻もどうしてもやめたくないということもあったので、いつまでたっても両方とも、私は避難したい、向こうは絶対避難しない。もう平行線。
そんなことがずっと続いても、子供にとって良いわけないので、とりあえず最大の妥協ということで、じゃあ猪苗代なら仕事辞めずに避難もできるでしょう。線量もすくないですし。
ということで猪苗代に避難することになったんですけど。
Q.猪苗代までの距離について教えてください。
それで猪苗代っていうのは、郡山から大体20㎞くらいなんですけど、郡山は大体第一原発から60㎞くらいだと思うんです。猪苗代のところで大体80㎞くらいだと思うんですよ。20㎞くらい離れたところになるんですけど。
Q.家、それからお子さんの学校はどうされたのですか?
避難した後の家は、避難するにしても妻は承認した条件っていうのは、
「1か月だからね」
とりあえず1か月して、私はまた1か月もすれば、また新たな情報が出てくるだろうと思ったので、そうすればその情報で妻を説得できると思ってたので、とりあえず1か月様子見だということになりました。だから家はそのまま。電気も冷蔵庫もつけっぱなしで出てきた状態ですね。
そのころは、まだ子供の保育園も通えましたので、妻の仕事に行くときに連れていけたので保育園はそのまま・・・通わせたままの状態でした。
Q.猪苗代での1か月はどのような感じでしたか?
あ、間違えました!
えーっと、娘の保育園はですね、休ませたんですね。保育園に籍は残したまま、郡山に娘を通わせたら同じことなので、同じ空気吸っちゃうんで、通わすことはできないということで、猪苗代の宿泊施設に妻の母親に来てもらって、一緒に住んでもらって、妻の母親に子供を見てもらって、私と妻が仕事に行く。でまたそこに帰って、おばあちゃんと娘4人でご飯を食べて、家の妻の母親は、土日うちらパパ・ママが休みの時に家に帰ってもらって、休みじゃないけど帰ってもらってまた月曜日にきて面倒を見てもらうということで生活をしてましたね。
Q.1か月経った時はどのような感じだったのですか?
1か月経ったときに、政府からの情報っていうのは、まったく変わってなかったと思うんですね。
政府はもう学校も始めさせましたし、なにしろ何か野菜に放射能があるとかなんとかいっても、全部風評被害という言葉で片付けてしまって、結局危なくないんだっていうことばかりを宣伝してるような状態なんで、それにまんまとはまったじゃないですけど、どうしても学校があって戻らざるを得なかった人たちも、戻ってしまった以上、そこで政府の皆が大丈夫だっていうので、もう『大丈夫』を信じるしか、もう街全体が『大丈夫、大丈夫』と言いだすような状態になって、避難する人に電話とかすると、
「みんな普通に暮らしてるから、帰ってきなよ」
ってみんながみんなで言いあうような空気になってたんですね。
だから、その状態っていうのは、4月の避難を始めるときから何も変わってない状態で、私にとっては情報が・・・。
そのくらいたってると、更に情報を隠ぺいしてるっていうのは、もっと確信に近づいてきてましたから、この状態で郡山に戻るっていうのは絶対有り得ないので、とりあえずまた1か月すれば新しい情報、また一か月更新、一か月更新っていうのが続いたわけです。
6月いっぱい、そこの宿泊施設が7月になるとオンシーズンになってしまうので、忙しくなるから出てほしいということになったので、どこかアパート探さなきゃなんないなと思ってたんですね。もう私は帰るっていう選択肢は、6月末の時点で・・・一応あったんですけどね、皆が『大丈夫、大丈夫』っていう話は、いろんな人に話を聞いて『大丈夫』っていう人たちの話で、大丈夫な根拠があっていってるのかどうかを知りたかったので、いろんな人に意見を聞いて回ったんです。
そうすると、大丈夫な根拠は無い。みんな無い。
Q.大丈夫な根拠として、どういうことが言われていたのですか?
あの、いろんな人に大丈夫の理由を聞くんですけど、大体子供居ない人たちが大丈夫っていうのは、やっぱり政府とか新聞とかテレビとかが
「誰も危険だなんて言ってないでしょ。それを危険だっていう意味がわからない」
最初からもう全然考えもしないという人と、あとはやっぱり子供が居るんだけど、戻ってきた人とかは、やっぱりICRPの考えを信じるわけですね。そうすると、危険があるかもしれないけども、ICRPだったら20mSvでも何千人だか何万人に1人でがんで死亡とかの確率ですね。
「そんなのうちの子供が当たるわけないじゃん」
っていう考えなんです。確かにそういうような話はそうなんですけど、「1000人に1人がガンになって死ぬんだよ」って言われても、
「別にそんなの1000人に1人なんてあたるわけないし、そのために自分の仕事も家も全部捨てるなんて馬鹿げてる」
っていうのはわかる。
結局大丈夫だっていう人は、ICRP考えが根拠になってて、でも私はそのころは小出さんの話とかゴフマンさんの話とかも聞いてたので、自分なりに計算すると、もう・・・50人とか30何人にガン死者も心配だけど、死なないガンになる確率だってあるし、心臓病だって動脈硬化だって、あらゆる健康被害と、あと孫の孫の隔世遺伝の染色体異常を考えたら、もう2,3人に一人、二人に一人は確実になっちゃうだろうと思ったんです。
だから、大丈夫といってる人が私を安心させてくれる理論がどこにも無かったので、だから、避難をそのまま続けなきゃなんないなと。
妻が大反対でしたけど。
だから、もうその頃はもう離婚してでも子供を守りたいって思ってましたので、何が何でも避難は譲れないと、そういう言い合いっていうのが毎日言い合いでした。
奥さんにそういう確率の話をしてもですね、奥さんは最初から、
「たとえ二人に一人が子々孫々にわたる被害があるにしても、郡山の人たちが皆同じならそれでいい。」
「でも、それが本当にそうかどうかなんて判らないでしょ!ICRPの考えが正しいって言ってるんだから、世界の科学者は。そっちが正しいかもしれないんだけら、そっちが正しければ、何千人だか何万人に一人の確率なんて、許容できるでしょ」
っていう考えなんですね。
そこについても、私は意見も正しいっていう根拠はどこにも無い。根拠っていうのは、どっちが正しいか判らない。そこは結局平行線のままになってるんですね。
Q.低線量被曝の影響についてはわからないということをどう解釈するか、お二人の違いについてお話ください。
もう私の人生の目的は、『子供を成長させる』というのが私の生きている意味だと思っていますから、子供が健康被害に遭うかもしれないという状態は、もう全然生きてる意味が無くなってしまうので、どうしてもそこは最大限になっちゃいますよね。なっちゃいました。
私はもともとステレオタイプ、
「世の中の人間がステレオタイプになるのは、ものすごい危険だ」
というのは、もともと持ってたんです。だから、でも、妻の場合は、
「そんなことを考えるほうがオカシイでしょ。別に皆と同じで何が悪いの?」
っていうふう。だから今回でも、私は他の人が何と言おうが、自分が納得できないと信じれないので、特に子供の命かかってるんで、で、勉強するしかないですよね、誰も教えてくれないので。
妻は、そんなことはないっていうか、みんながそんな、世論を見てればおのずとわかるでしょっていう考えなんで、そういうところの違いだと思います。
Q.情報の収集経路に関して、両者の違いはありますか?
情報収集の考えで、避難しない人と避難してる人の情報収集の違いっていうのは、多分・・・無いんじゃないかなと思う、インターネット使えない人は、もちろんテレビと新聞しかないので、避難しなくてもいいよという人が結構いる。そういう意味で、避難しない人は多いのは確かなんですけど、ネットを昔からやる人で、情報もいろいろ入手できる人でさえ、避難しない人はたくさん居るわけですね。
私と何が違うかっていうと、もうそういう人たちっていうのは、小学校とか始まっちゃった時点で、親たちは大丈夫と思うしかない状態で子供たちを行かせてるわけですね。もう毎日、毎日。その中で新しい情報がネットで入ってきてもい行かせてもらうとすれば大丈夫な情報しか、安心するための『大丈夫』な情報を探そうとしてると思うんですね。どうしてもICRPのほうの情報を引っ張ってきて、
「だから大丈夫、だから大丈夫」
って自分で安心させるための情報を求めてるから、安心だと思いこんでるんじゃないかなと思うんですね。
私とかは逆に最初から「危険だろう」から始まってるので、危険な情報から入手。もちろんICRPもあったので、どっちか片方を入手しちゃうと危険というか、偏っちゃうので。両方引っ張るときに、じゃあどっちかがウソついてるんだなと考えた時に、背景とか考えると、どうしたって大丈夫っていうほうには利益があるわけですね、裏に。でも危険だってい言う人たちには利益が無いじゃないですか。
っていうことは、嘘つくとすれば、「安心・安全」を言ってる方が、どっちかがウソであるならば、「安心・安全」の方が絶対ウソであると私は思ってるんです。
だから、そこの自分を安心させようと思って情報を仕入れてる人とそうでない人との違いはあるんじゃないかと思いますね。
Q.奥さんはネット使われるんですか?
私の妻はインターネットはできるんですけど、仕事の合間にはほんとにニュースを見る程度しか時間がない。あとは・・・時間がないから、インターネットも今までもそんなにやったことはないですし、今までも調べることはあまりできない状態だったんで。
Q.奥さんとは何をもって歩み寄られたのですか?
歩み寄りは今までですね、例えば6月下旬で宿泊施設から「出てくれ」と言われて、アパートを探して新しく入ったんですけど、入るにあたっても、最後の最後まで妻は納得はしなかったんですね。
でも、もう日にちがどんどん迫ってくるわけですよ。残り5日くらいのときに、向こうの両親も間に入ってくれて、いつまでも並行したときに結局何もできない、どこにも行けなくなっちゃう。どこにも行けなくなった場合には、結局多分そうなると、元に戻るしかなくなっちゃうんです、郡山に。私はそれは絶対に許せないっていうか、子供に対してできないので、もしそうなら、「離婚する」。そこまで言わないとダメだなと思ったんで、
「もしそうであれば、子供がいたことも記憶から消し去る、もう好きに生きてくれ」
というところまで言ったんですけど、そこでやっと初めて考えてくれたみたいな。
「離婚するくらいなら、今までの生活が続くだけだから、避難生活を続けてあげて、しょうがないから」
ということで、今ずっと続いてるんです。
Q.シングルファーザーになるというのではなく、子供はいなかったと考えるとはどういう意味ですか?
離婚するにあたって、子供は絶対にとりたかったんですけど、妻ももちろん死んでも譲らないというふうになりますよね、どうしても。そうであれば、そこでそれ以上やっちゃうと誘拐とかの話になっちゃいますから、お互い。それはそうなると思ったので、それ以上やっちゃうと。だからそしたら、私の記憶から子供がもともと居なかったと思いこむしかないなと、そういう・・・そうするという考えになりました。
その時のことを思うと・・・<顔を両手で覆って、涙されています>・・・すいません。
精神的にも完全に追い込まれてましたから、あの時には・・・。
Q.他の福島の人たちは、どのような考えだと思いますか?
一般の人たちは、多分私が思うには、今はもう大丈夫だと自分自身で思おうとずっとしてきて、今は本当に大丈夫だと思っちゃってるみたいですね。
最初は大丈夫だと思おうとしてたんですけど、周りも皆大丈夫だって言ってるじゃないですか。マスコミとかも。だから、本当に大丈夫なんだろうと、ただ、NHKとかでも最近は「でもやっぱり危なかったんだよ」みたいな感じに、徐々に本当のことが出てきてるんで、
「本当は危ないんだろうけど、でもそれほどでもないんでしょ」
っていうのが、今みんなの考えなんですね。
Q.夫婦の間の緊張感というのは、今はどういった感じなのでしょうか?
今はですね、今は、福島県の人たちも、うすうす・・・当初は全く大丈夫だと思ってたんです。今は、うすうす危険性はみんな判ってるんです。だから、うちの妻なんかの同僚も
「あの時避難してて正解だったね」
って言ってくれる人が、ぽつぽつと最近出てきてるわけですよ。それでやっと妻も、言葉にしては私に言わないですけど、「避難してて良かったかもしれないね」という感じに、今なってきてるので、今やっと家族が一つになってきたのかなっていうような状態ですね。
Q.良かったですね。
今は良かったなと、今の状態。4カ月くらいで8㎏s痩せて、半年で10、11㎏sくらい痩せました。ただ、それはストレスだけじゃなくて、多分お酒を一滴も飲まななかったので、それが一番だと思うんですけど。
私は3.11から11kgs、12kgsくらい痩せたんですけど、初めて健康診断でオールAでした<笑>肝臓から全て。私の健康には良かったのかなとは思いますけど。
Q.郡山の家はそのままキープしているんですか?
郡山の家はキープしたままですね。妻も今の考えでは戻れる・・・いつ戻れるんだろうと今思ってるとこでして、でも、私は多分、もう何十年も戻れないというか、どう考えても売るしかないだろうと私は思ってるんですけど、やっぱりうちの妻はまだそこまで踏ん切りがつかなくてですね、
「除染すれば帰れるんじゃないかな」
という思いでいると思うんで。多分、今の状態のままローンを払いながら避難生活が続いていくことになると思います。
Q.除染についてはどの様にお考えですか?
本当に福島県全体の山とか田んぼとか、田畑とか、全て剥いで綺麗になるんであれば、戻れるなと思うんですけれども、確か今日だか昨日、IAEAが除染に対する助言をしてましたね。あまり有効じゃないとか、やらないほうがいい、やってもしょうがない、有効なところだけやればいい。あれ聞いてると、多分日本もそれを盾に多分やりやすいとこだけしかやらないだろうなと思ってるので、町の除染しやすいところから除染したって、また台風でも強風でも吹けば飛んできちゃいますよね。だから、今の状態の除染をしたから戻れるのは、私は思えないです。
Q.奥さんとは近い将来についてどのような話をされていますか?
将来の話はですね、今までもずっとそうだったんですけど、ほとんどがひと月後、3か月後しか見れないんですね。その後どうなるかっていうのは全く予想ができなくて、ただ今の時点では、妻も来年の3月までは今のままの生活を続けていくつもりになってくれたので、とりあえず5か月、6か月くらいのは今安心してるんですけど、じゃあその後どうするかっていう話は、恐らく妻もこの生活がずっと続いてくんだろうなと思ってると思いますね。
私も正直判らないですね。もう遠くに避難するなら早い方がいいと思ってますので、関西とか。早くそこで基盤を作って子供の成長もありますから。
ただ、今猪苗代。どうみても人口も少ないし、今住んでいるところの近くにスーパーもないし、習い事させたくても習い事させるところが無いし、どうしても子供を育てるのにいい環境とは思えないんですね。
だから・・・わからないですよ?都会がいいのか田舎がいいのか、子供にとったら田舎の方が良い場合だってたくさんあるわけですから、そういう観点で私たちが考えを変えていくのか、それとも今まであった時間どおりにどこか安全な都会を探して引っ越すのかになるんでしょうけど、そこのところがまだ1年後、2年後が見えてないです。先が見えないです。
Q.お腹に赤ちゃんがいるということについて、どのような話をされていますか?
お腹の赤ちゃんの予定日は、11月、来月なんですけど、お腹に赤ちゃんがいるというのがわかったのが、5カ月の時点でして、ちょうど離婚するって言ってる時にはお腹に赤ちゃんがいるとは思わなかったんですね。
そのころ、妻も便秘が酷くてお腹が出てくるくらい便秘がすごいということで病院に行ったら、赤ちゃんが居たという。
逆算すると3.11のちょっと前にできた子なんじゃないかと思うので、またいでるんですね。
やっぱりそこでも赤ちゃんがいると分かった時点で、妻もちょっと考えが変わったんじゃないかなと思ったんですけど・・・。
Q.お腹に赤ちゃんがいると聞いた時、どのような感情を持たれましたか?
もちろん離婚すると言っても、離婚したい気持ちなんてさらさらなかったので、もちろん子供が居るって聞いた時は、最初は100%浮気の子だと思ったので、3.11で記憶がそれ以前の記憶がもう全くもって割れちゃってるんで、そんな子供が出来てるわけがない。うちの妻もそう。
だからなぜできたか判らないというところから始まって、でもよくよく考えてみたら、「なんかあったかもしんないね」ということで。
子供ができて、判ってからは、妻の態度も若干軟化したというか・・・ですね。
ただ、子供ができたからといって、仕事を辞めるとかそういうことは全く。やっぱり「仕事は絶対に辞めたくない。」避難も今の生活よりは避難を絶対しないという考えに変わりはないですね。
Q.お腹に赤ちゃんがいると聞いて、もう少し優しくしようとか思われましたか?
ちょっと経ってからはですね、自分の子だと確信してからは、それは嬉しかったですよね。嬉しいんですけど、嬉しいし、嬉しい・・・のと同時に、3.11またいでますから、やはり身体というか放射能の影響がどこまであるかどうかっていうのは、心配ですよね。今でも心配ですね。
子供に対する・・・
でも子供ができたからといって、特に家族に対する考えが変わっとかっていうのは特には無いですね。子供が何よりも大事だって考えももともとですから、子供ができたから変わったっていうのは、特には無いです。
ただ離婚をどうのこうのとか、妻を心配させるようなことは言えない、しないほうがいいなと、それはもちろん、それは最初から思ってたんですけど、それを言ってるといつまでも平行線が変わらないので、言うべきところは言っていかなきゃなっていうのを、子供ができたから変わったっていうのは特には無いですね。
Q.お腹の子への放射能の影響をどのように考えておられますか?
放射能が子供に、胎児に対する影響っていうのは、やっぱりチェルノブイリの後の周辺の汚染地域でも影響が出てますけど、だからそれと今回と同じかというと、多分ちょっと違うんだろうなとは思っていて、あの時、あの時っていうのは、チェルノブイリ周辺っていうのは、やはり汚染された食べものをたくさん食べてますよね。今、郡山市とか福島の人たちって、多分ちょっとそんな危険な、その人たちによりは安全なものを食べてるので、そこまで酷くは無いんだろうけども、問題は・・・初期に吸い込んだ放射性物質の影響。今でも飛んでますよね。少ないですけど少ないものを継続的に吸っている影響がどこまで出るのかって、多分誰もいってないと思うんです。0.00何とかベクレルの空中を浮遊してる物質、それはセシウムだけの話なんですけども、ずっとプルトニウムとか言ってないですからね。でも判らないけども、子供のことを考えるとやっぱりこういう空気の中で暮らすべきじゃないな・・・としかありませんね。
他人事なら「このくらい大丈夫だよ」って私も言っちゃうかもしれないですけど、自分の子供を思って考えれば、絶対に暮らさせたくないですよね。福島市とか二本松、郡山、この辺のところですね。
Q.ご自身でも線量計は購入されたのですか?
そうですね。ネットで当初購入しました。線量計は5月くらいの時点でインターネットで購入して、自分の家の周りだとか家の中とか測ったりはしましたね。
Q.数字はどのくらいでしたか?
私の家の庭ですと、大体1マイクロは無いくらいじゃないでしょうか。自分で庭の畑とか除染して、捨てるところがないので片側に寄せてあるんですね。寄せてある方はすごい高いですね。やっぱり2.7とかそのくらい上がっています。。異常に高いのは、駐車場の境目の隙間に溜まるんですけど、そこはどうしても雨が流れた後濾しちゃう。それを2か月くらい前に測ったら4マイクロシーベルト/時ですか。
Q.動いていってしまうというのを実感されたわけですね。
線量計で、放射線測定器で増減がわかるくらいの放射能は、ものすごい量だと思うんです。だから、例えば今空中にかすかに飛んでるじゃないですか。それを線量計で測って今??絶対わかんないじゃないですか。それと同じで、放射線の量はほとんど気にはしてないんです。放射線っていうのは、別に皇居のある世田谷だって、あそこはもう常に今までも高かったんですよね、放射線が。あの辺の人たちが放射線高い中でずっと何十年も暮らしてたわけですよね。だから、放射線っていうのは、やぱり私は気にしてなくて、それよりもやっぱり放射性物質の方が舞い上がったり、手をついて人間の中に持ち込んじゃって、布団の中に入っちゃって吸い込んじゃうとかそっちの方がよっぽど怖いと思うんです。
だから、放射線は、放射性物質の量の指標ではありますけど、あんまりそれで高い・低いとかは、最近は全然気にしなくなりました。
この辺全体にあるんだと思うしかないんで。
Q.主に気を付けているのはどういうことですか?
放射能から身を守る方法としては、つまりはマスクをつけて歩くということと、食べ物はスーパーでできるだけ西側のものを選んでるんですけど、最近売ってないんです。売らなくなってきたんですね。
この辺はヨーク・ベニマルっていうのはこの辺のスーパーどこにもあるんですけど、3か月くらい前だと西側の野菜がかなりあったんですけど、なんか最近は北海道産、もしくは近辺で関東とか福島近辺だけみたいになってきてますね。
Q.それはなぜですか?
やはり、県民があまり気にしなくなってきたんじゃないのかなと思います。
わざとそうしてるんじゃないかなと思うんですけど、結局、東日本の野菜が売れなくなると、みんな農家困っちゃいますよね。だからわざと西日本の野菜を徐々に少なくして、この辺の野菜を徐々に食べさせるように、業界全体で仕組んでやってるんじゃないかなということを最近思ってきてるので、ネットで野菜類とか食材を、もう遅いんですけど、今からでもそうしようかなと思って、ネットで購入しはじめたところで、まだ頼んだんだけど来てない状態です。
Q.これから自分たちはどの様に生きていくつもりなのか、ミクロな点について。そして、自分たちだけではどうす
ることもできないマクロな点についてもお聞かせください。
まず、私の家族がどうやって生きていくかですけど、どうやって生きていくかっていうのは、さっき言ったように、全然先が見えない。私個人の意見はあるんですけど、もちろん安全なところで自由に外の空気を吸わせて・・・育てたいという気持ちがあるんですけど、妻は仕事もあるし家のローンもあるし、そう考えるとそれもできないかなと。本当にわからない。どうしたらいいか判らないんで、その場、その場で考えた最良の道に行くしかないので、今は判らないというような現状で。
それをどう周りから打破してもらうかっていう考えになった時に・・・どう考えてもこの原発の事故は、国が推進してきて国の責任でやってるわけだから、今問題になってる仕事の問題だとかローンの問題だとか、せめて家のローンの金利分だけでも負担してもらいたいなというようなところで。
あと、仕事、収入ですよね。だから、これもどうにもなんない。だからそこを何とかしてもらうしかないんですよね。国には。
私、原発、今後どうしたらいいかというところまで判らないので、原発の・・・私、今まで子供を守ることしか考えてきてないので、脱原発とかそんな余裕なかった。もともとそんなことも考えたこと無かったので、今まで子供の命どうするかしか考えてきてないんですから、脱原発っていうのは後の話。今後のあれですよね。だから、でもそれを考えるにしても、結局中国だとか北朝鮮が核武装してる中で、日本は核、結局原発っていうのは核ミサイルの確保みたいなもんですよね。核武装するための、いつでも作れるようにしておく、もしくは今あるかもしんないみたいな状態のための原発だと思っていますから。
Q.電力供給のための原発だと思っていましたか?
あー、全然思ってなかったです。
電力供給と今言われて、そういう考えもあったんだなと思うくらいで、第一は政治家があそこまで頑なに原発を維持したい理由は、核ミサイルのためなんだなと思っていて、あれなくなっちゃうと結局核の脅しに屈してしまうから、日本は結局今後生き残っていくためには、やっぱ核の脅しに負けないものを持ってなきゃダメだという考えがあって、原発を捨てられないとしか思えない。でなければ、こんなに皆が止めようっていって止めないんだから、それしか考えれらないですね。
あとは、原子力利権とかあるんでしょうけど、原子力利権ってここまで言われてて、本当に果たして利権のために、それだけのために止めないんだろうか?石原慎太郎も中曽根も今までずっと推進してきて、未だに推進の立場を変えないし、石原さんの息子も未だに推進の立場ですけどね。
あれはあからさまにお金が出るためでそんなことを言ってるんじゃ、もう選挙で負けて終わりじゃないですか。どう考えても信条があるんだろうから、やっぱりそういう日本を守るため、日本が独立していくためにどうしても捨てらんないと思ってるんじゃないのかなと思っちゃうんですね。
だから、私はそこまで考えがいってないのであれなんですけど<苦笑>私はそこまでしか判らないです。あとは、原発がその先どうなるかっていうところまでは、まだこれからの勉強ですね。
Q.原発は核保有を含むということについて、今の時点で判断は保留ということですか?
原発はだからこんなに要らないはずだと思うんです。核爆弾作るためだとか、こんなに要らないだろうと思っちゃうんで、もしやそういう意味で北朝鮮とか中国から攻められないための防御のためのものだったら、それだけにしておいて、どこにするかは別にして、こんなにたくさん要るわけないと思いますね。
だから、どんどん少なくしていくべきっていうのは、もちろんですね。
Q.今の時点で日本のどこに避難しても原発があり、どこにでも巨大地震が起こり得るということについて、どうお考えですか?
もちろん、結局どこに避難してもまたそこで事故が起こったら同じことになるじゃないかってなるんですけど、今度避難するとなったら、もちろん原発の近くには避難しないんですけど、どうしても爆発すれば風に乗って絶対に被害は被るわけですよね。だから、それは爆発したっていう状態は、多分今後もネットとかで出るでしょうから、爆発してから逃げればなんとかなるだろうとは思うんですけど・・・。
だから、今原発を無くせばいいかというのは判らないですけどね・・・。
原発はもともとは今回の事件がずっと起きてきて、ずっと思ってました。原発は無くても電気は供給できるだろうって、なんか皆言ってますけど、原発が無いに越したことはないです。ただ、なぜ無くなる方向に行かないのかが、すごく疑問に思うだけで、まだなんか裏があるんじゃないのかなと思ってるだけなんですけど。
Q.自己紹介をお願いします。
私の名前はヒロタカと申します。
出身は横浜です。仕事は建設関係で、仕事で北海道から東北、東京都にでてきています。
家族構成は、私と妻と3歳の娘、お腹の中に胎児がいるという状態です。
今、妻も仕事はしてるんですが、今月から産休に入っている状態です。
Q.苗字を控えたいということですが、それはどういう理由から?
苗字を出したくないって言うのはですね、妻も仕事をやってるものですから、妻の仕事仲間の人間関係もありますので、やっぱり名前を出してしまうと人間関係が崩れるのは嫌なので、そこは控えさせてもらいました。
Q.奥さんの仕事には、どういった差し障りがあるのですか?
私の妻の仕事は福祉関係をやってるんですけど、やはり妻の仕事の仲間たちは、これからもずっと福祉関係の施設で働いていこうとしているわけですから、そこでみんな子供が居ないわけなんですね。やっぱり子供居る人は少ないので、どうしてもごく少数派の子供がいる妻の立場の人間は、避難とか考えるんですけど、子供が居ない人は全く避難というよりも、自分たちの生活の糧を如何に守るかというのが重要なわけですから、やはりそこでちょっと言いたいことも職場内で言えないというところもあるので、妻の旦那が批判的なことを言ってるというのが知れわたると、やっぱり妻の職場での立場が脅かされるっていうのがあると思います。
Q.その”空気”についてお話いただけますか?
福島県全体そうだと思うんですけど、放射能の話、放射能で汚染されてるっていうことが大きくなるんですね。自分たち、みんなが避難しなきゃなんないんじゃないかということになると、みんなその仕事もできなくなってしまうわけですね。みんなはそれは嫌なんです。やっぱりここの土地に生まれて育ってるわけですから、この土地を離れたくない。仕事もずっと続けていきたい。
そうなるとやっぱり、「放射能はあるにしても大したことは無いんだ」とみんな思いたいという部分があるわけですね。
ただ、子供が居る我々は、大丈夫だと思いたいでは済まないので、駄目なら対処しなきゃなんないっていうところがある。それはそう思おうとしてる職場の人たちに言っても、受け入れてもらえないという感覚で、どうしてもこちらは口をつぐむしかなくなるみたいな状態にあるわけですね。
そういうところでこういう本音を職場の人に言ってしまうと、
「何なの?俺たちの職場を危うくするようなことをするんじゃないよ」
と思われてしまうので、そこが・・・空気の差があるというのかな・・・、そういうのがあります。
Q.福島に来られた経緯をお話しください。
私はこの福島県に来たのは、大体13年くらい前、仕事できたんですけど、そこで妻と知り合いまして、結婚して11年くらい経つんですね。
3年前にやっと子供ができまして、今3歳くらいになってる状態です。
Q.お仕事で別の場所に行く機会はなかったのですか?
本社は東京で、今までも転勤は北海道の方から東北、東京の本社のほうに転勤はあったんですけれども、会社に希望をすれば関西でも九州でも、叶えられるか判らないですけど、希望は出すことはできるという状態ではありました。
Q.福島に根を下ろそうという気持ちはあったのですか?
結婚を機に福島にずっと永住したいという考えかどうかっていうのは、それは会社には希望としては伝えはしましたけど、それは叶う話でもないなというのは最初からわかってまして、最悪単身赴任でもいいかなということで、妻も仕事してますから、子供は福島において、いざ転勤とかになれば、私だけ動こうかなと思ってたんですが、今回のこういう状態で、逆に子供をここに残して私だけ転勤しても何もなりませんので、行くなら家族を連れて行きたいなと今思っているんですけど。
Q.3.11の時は、どこでどのように地震に遭われたのですか?
3.11の地震の時に、福島駅付近で会社の支店に居たんですが、もう何分もずっと揺れる中で、ビルの2階だったんですけど、机の下にもぐるなんて初めてのことでしたし、あんな長い時間続く地震、もう潰れるかと思うくらいの揺れでしたね。
Q.その後どういう状態でしたか?
地震の後は電話も何も通じない状態だったんですが、ただ職場の人が携帯でテレビは見られる、携帯はつながらないんですけど、インターネットもつながらないんだけど、テレビは見れたんじゃなかったかなと思います。そのテレビを見ると、NHKのニュース速報とかで、『津波予報が6m』だとかは見ました。
ただ、誰かと連絡はつけようがなかったですけど。
近くに福島駅があったんで、そこに歩いていったんですけど、バスも止まってるし、信号も電気ついてない。駅にはどんどん人が集まってくる。駅の中には入れない状態。みんなはどうやって帰ろうかっていうような状態が続いてました。
Q.ご家族の避難は、どのようにされたのでしょうか?
会社の同僚の車で送ってもらいまして、福島から郡山まで大体1時間半くらい。その間、道路も信号、全部ついてないわけですね。ただ、そういう場合っていうのは、優先の国道が必ず優先になるので、結局信号がないので、全部青信号をつっきるような形で、結構車の量は多かったんですけど渋滞も無く家に着いたんです。
そこで初めてやっと無事が確認できたという感じですね。家族の。
Q.お子さんたちも無事に帰られたのですか?
子供も無事に妻が迎えにいって、地震の直後に、それで家に帰ってきた。
Q.原発の事故はどのようにお知りになったのでしょうか?
原発の事故ははテレビです。テレビで知りました。
事故というか爆発は判らなかったんですね。確か、ニュースでは爆発した後の骨組みは映像で出てたんですけど、12日の4時半とかですかね。ただ、コメンテーターも学者も、「爆発のように見える」と誰かが言っても、
「そうとも見えるけども、わからない」
どのテレビを回してみても、
「よくわからない」
という話だったので、でも私はどうみても、これは爆発があってそれをみんなで意図的に隠そうとしてると思ったんですね。隠そうという意図がわかったんで、わかったというか思ったので、
「これは相当なことが起きてるんだろうな」
と思って、もうその場でとりあえず逃げるだけ、走るだけ走って逃げちゃおう。走ってる間にラジオで聞いて、大丈夫なら引き返して帰ろうということで、一応とりあえず車に荷物を積んで、12日夕方には南下しようとしました。
Q.12日は何をしていたのですか?
12日は、朝から断水してましたので、朝からずっと水汲みに並んでまして、夕方やっと4時ころ帰ってきて、ソファに横になっててテレビをつけた時に、もう1号機が骨組みになっていたという状態ですね。
Q.震災以前は、原発に関してどのくらいの知識・関心をお持ちでしたか?
私、ここの郡山の家を買うに当たっては、今まで起きたことも無いような大洪水や異常気象が続いてましたから、竜巻とかいろんな要素を考えて、土地を考えて家を建てたんですね。
だから、どんな天変地異が起きても大丈夫だと思って買ったんです。
原発があるってことも、うすうすは知ってたんですけど、海沿いにあるので、気流はどうしても西に東回りに吹きますから、まさか80㎞も西の方に吹くなんて思ってなかったので、原発は安全だろうと思っていました。それが原発にやられちゃったという感じですね。
Q.土地を選んだ理由は、具体的に何だったのですか?
家の土地を選ぶ基準は、やはりその周辺で低い場所に無いこと。どんなに大雨が降っても水が溜まらないところ、流されないところということをまず第一に考えました。原発のほうも少しは考えたんですけど、気流の流れからしても西に流れることはまずないだろうと、どう考えてもジェット気流というか偏西風が向こう流れてますから、東の方ですから・・・と思ってたんですね。
だから、原発・・・でまさか漏れが、漏れが、そんな漏れがあったとは思わなかった・・・
Q.地震については対策をしていたのですか?
地震について今の土地を選んだのは、もともと山を削り取った土地なので、埋め立てた土地じゃない。そういうのは知ってましたので、地震についても関心があってというのは確認はしました。地盤が強固な土地を選んでました。
Q.何年前にローンはいくらくらいで購入されたんですか?
家を買ったのは、3年前くらいだと思います。ローンは35年組んでますので、今私43、40歳くらいの時に買いましたので、75歳までのローン。だから、今でも75歳までのローンが残っています。
Q.地震で家に影響は出なかったのですか?
外壁のヒビっていうか、基礎にちょこっとひび割れが入った程度でした。ですから、今の家を建てるにあたって考えた大雨とか地震とか、そういう自然災害、どんな自然災害があっても大丈夫だろうと考えに考えて決めた土地だったんですよ。
原発・・・の放射能がまさか、こんな形で来るなんて、全く予想ができなかったですね。
Q.3.11の時、原発に対してどの程度の知識をお持ちだったのですか?
私は放射能の対する危険性の認識っていうのは、まずほぼ一般人と同じでして、ただ放射能は危険に決まってるということ。だから、危険に決まってるので、今以上に危ないものだと思ってましたね。
Q.12日の避難の様子を教えてください。
3月12日の夕方5時ころから車に乗って国道の方を南下し始めたんですけど、その時にふっと思ったのは、私と同じ考えの人は何十万と居るだろうと思ったんです。だから、1秒でも早く南下を始めないと、道路が渋滞して南下できなくなって放射能のまみれてしまうと思ったんですね。
でも、周り近所を見ても、何も動いてる気配がないんですけども・・・ただ4号に出ればすごい車があるんだろうという覚悟で、1秒でも早くということで行きました。
やっぱり渋滞してたんですね。
「あ、やっぱり」
と思ったんですけど、それは地震で国道がただ陥没とかしてて、復旧工事中だったんです。それのちょっとした渋滞でそれを抜けたら全然混まない。だから、普通の人の感覚と私の感覚と違うのかなと思いながら、南下をずっとしてたんですけど、そのころって、ガソリンスタンドも??ってて、ガソリン売ってなかったんですけど、たまたま宇都宮まで出て宇都宮のスタンドがちょうど3000円分入れられるということで、30分くらい待って入れられたんです。それで、何とか南下がスムーズにいったという感じですね。
Q.どちらまで行かれたのですか?
実家の横浜まで行きました。途中、ラジオを聞きながら、戻る選択肢もありましたので、大丈夫であれば戻るつもりだったんですけど、確かラジオの情報を聞くとどんどん悪い情報ばっかりになっていったような気がするんですね。放射能の値が上がってないという報道もあったんですけど、そんなものはなから当てにならないだろうと思ってましたので、とりあえずこれは横浜まで行って、2,3日、こういう時だから会社休んでも大丈夫だろうということで、とりあえず横浜まで行っちゃえということで行っちゃいました。
Q.その時のご家族の様子はいかがでしたか?
私はテレビの科学者だとかコメンテーターの対応、あたふたしてる対応を見ていて、もうこの人たちもコメンテータの人たちも騙されてるんだろうなと思って、というような画面なんですね。科学者は知ってるくせして知らないふりしてるっていうのは、もう素人が見てもわかるような状態だったんで、もう「30分以内に逃げるぞ」って言ったんで、言われた妻の方からすれば、もう何が起きてるかわからないけど、とりあえず準備しなきゃということで、妻の方は考えてる余裕がなくて、とりあえず車に乗って横浜に向かう中で状況は・・・。
私も説明できないんですよ。何が起こってるのか判らない。ただ、とんでもないことが起きてるらしいとしかわからないで、そういうことは話しながらラジオ聞きながら、横浜に向かったんですけど、妻はだから、その日の夜も考える余裕もなく、とりあえず避難をしようという形でいいかなという程度のことだったと思います。
Q.横浜に着いてから、1号機の爆発のことはお知りになったのですか?
私はインターネットってあんまり詳しくなくて、映像とかも見たこと無かったので、そういう情報の入手の仕方が判らなかったんですね。避難する直前も、インターネットの環境あったんで、ネットで繋いで調べたんですけど、でもそういうサイトに、検索の仕方がわからないので辿りつかず、情報がやっぱりテレビしかない状態。
横浜に着いたら着いたで、まさか横浜に来るとは思ってないので、ニュースとかもそんなに気にしないっていうか、もうとりあえず安全地帯に居るからということで安心しきっちゃって、数日を過ごしました。2,3日。
15日の爆発も知らなかったかもしれ・・・14日の爆発ですか?も、知らなかったような気がします。
Q.では、横浜で過ごしている間は帰省という感じだった?
私は、やっぱり久しぶりに横浜に帰省しましたので、久々の我が家ということで、しかも会社も再開してなかったので、家でゴロゴロして数日間過ごしてるっていう感じだったんですよね。
Q.お戻りになったのはいつ頃ですか?
3月の・・・下旬には戻ったんですね。
戻るにしても、私は横浜から本社の通えばよかったんで、避難をずっと継続したかったんですけど・・・。
Q.福島ではなく、東京本社に変えてくれと?
会社とすれば福島は大変なことになってるので、「このまま本社にいればいいじゃないか」というのは会社のほうから言ってもらってたので、私とすればこのまま東京で暮らすのも安心なので、そのつもりでいたんですけど、やはり妻のずっと続けてきた仕事も、同僚ももうとっくの昔から同僚は復帰してたので、福島県も政府も、爆発があっても30㎞圏外は問題ないってずっと言ってましたから、仕事も普通に再開されましたし、同僚も。
その中で復帰してないのはうちの妻だけなので、妻とすれば「早く戻らなけいと皆に申し訳ない」という状態だったんですね。
それで、妻がどうしてももう、もう帰らなければいけないということで、3月の下旬に1度というか、それで帰ったというか、福島の郡山のほうに。
Q.政府・メディアのプロパガンダについて、この時どのように感じておられましたか?
3月下旬の時点でも私は真実はよく判ってませんでして、その時点で唯一の情報源が中部大学の武田教授のブログっていうんですか。その3月下旬の頃にそういうのがあるっていうのがわかったくらいで、どうもその人が言うには、
「危険だったんだけど、これからどんどん危険じゃなくなるだろう」
みたいなことが書いてあったんですね。だから、政府は大丈夫だって言った中で、大丈夫じゃないと言ってた武田さんが「これからどんどん大丈夫になる」って言ってるんだから、大丈夫にはなっていくんだろうけれども、でも念には念を入れて戻らないに越したことはないと思ってたんですけど、妻の強い、同僚に対する・・・同僚に悪いと思うということで押し切られて、という話になったんですけど。
Q.戻られた時は、一時的なつもりだったのか、それとも完全に戻るつもりだったのですか?
私は郡山に戻るにあたっては、政府がもしウソであれば、ウソがそんなに長く続かないだろうと思ったんです。ウソであれば、どうせウソをついてるっていうのは、最初のパニックさえ収めてしまえば、どうせ人間動かないだろうと思ってるだろうから、もう4月に入ると本当のことを徐々に言ってくるだろうから、本当のことが出てきた時点で、もう一回避難すればいいやと思ってたんです。そうすれば妻も納得するという気持ちだったんですけど、でもいつまでも「大丈夫だ、大丈夫だ」って生活を始めるっていう流れだったんで、
「これは本当のことを言わないで、ずっと続けていくつもりなんだろうか?」
と思ったんで、もうそれで怖くなったんで、うちの妻も通える範囲の猪苗代の方に・・・妻も「そこだったら避難してもいいよ」って最終的には言ってくれたので、とりあえず猪苗代の宿泊施設に避難したんです。
Q.奥さんとは具体的にどういう話し合いをされたのですか?
私の妻は、もともと最初から真実を知るつもりはない。ただ、普通に暮らしたいだけ。どうも福島県の人たちをみんな見てると・・・みんなもそうな気がする。
みんなそんなこと考えて暮らしていない。『今までと同じ暮らしがなんでできないんだ?』っていう考えがあるのか、私にはちょっと理解できないですけど、そういうのがあって、うちの妻も真実がどうなんだ?っていうのはどうでもよくて、周りの人間がどうしてるかっていうことなんですね。周りが気を付けてれば、私も平等に気を付けなけくてはいけない。みんなが気を付けてれば、私も平等に気を付ける。周りと同じことやっていけば、大きく間違うことはないだろうという考えで。
Q.具体的にどういう言い方だったのですか?
妻の考えは、私にはしゃべってはくれないので、妻の言動から自分なりに噛み砕いて判断するとそうなんだろうなと、今思えば・・・。
Q.ヒロタカさん自身は、その時点で危険だとお考えだったのですね?
・・・そうですね。
避難をしたのは4月の1日だかちょっと忘れましたけど、郡山に戻って1週間は郡山で普通に生活をしたんです。その後、1週間生活してる中で、政府が本当のことをどうも言わないなと思ったので、これは長期戦になるなと思ったんです。長期的に隠すつもりなんだなと思ったんで、であれば、本当のことが出るまでは身を隠すしかないと思ったんで、避難をしようと思ったんですね。
その時点で知識は武田教授の知識だけで、15日くらいにはものすごい放射能があったんだけども、今は要素も半減期、半減期でどんどん少なくなってるから、問題はヨウ素なんだな、ヨウ素はもうそろそろ大丈夫だよっていう考えも、妻はそこの知識までは判っていたので、だから妻もその時点で「もう心配ない。大丈夫なんだから」と思っちゃってから考えてない。
だから、私は、ならそれを政府が説明すればいいのに、政府はずっとなんか細かいことを説明せずにずっと来てるので、まだいろいろあるんじゃないかなと思って・・・、避難というか郡山に長期的に戻れないであろうということは、その時から思っていました。
Q.周りの人と同じなら良いという考えについて、少し詳しくお話しください。
3月下旬の郡山に戻った時ですね、隣の家の住民も、後から聞いたら
「実は私も避難した次の日には、二日後くらいには千葉の方に避難したんだよ」
っていう話は、3月下旬に帰ったらちょうどそちらの家も帰ってきて、そういう話をしたんですよ。そっちの家の人も、なぜ帰ってきたのかっていうと、やはり
「仕事が始まっちゃったから。学校も始まっちゃうでしょ?」
っていうことで、
「でも、本当は帰ってきたくないよね」
って、多分隣の家もそうだったんで、みんなその時点ではそうだったんでしょう。どうやら危なそうだっていうのは、みんなわかってる。でも、仕事が始まっちゃうのに仕事やらないと、これから食っていけない。学校始まったら学校に戻らないと、子供が仲間外れにされちゃう。最初いかないと、やっぱり4月ですから仲間外れにされちゃうっていうお母さん同士の想いみたいで。
しょうがなく皆戻ってきたっていうのが現実だと思うんですけど。
いざ避難はしないんだと皆もそこで決めちゃってるわけですね。『ここで暮らしていくしかない』と自分の気持ちに整理を、多分そこでつけたんだと思うんですね。そうすると、もう選択肢がそれから避難するっていうのはあまり考えたくないっていうのがあったんだと思うんです。
妻の考えは、周りと平等ならいいという考え。
私はいろいろ話したんですけど、
「でもガンになる可能性だってかなり高くなるんだよ。みんながガンになって、子供がガンになるんじゃ、赤信号みんなで渡ったら、みんなダンプカーに引かれて信者う、そんな状態なのにそれでも親としていいの?」
っていう話をしたんですけど、
「みんながそうならそれでいい。郡山の市民がみんな平等に危険性があるなら、私はそれでもいい」
という返事を聞いて・・・私もそれを聞いた時には、
「あ、だから避難を今嫌がるっていうか、嫌がるのかな・・・」
ってなんとなくわかるような気もしたんですけど・・・。
Q.猪苗代に避難しようとなった時の様子は?
今回避難する・しないの話になった時には、どうしても妻の実家が郡山ですから、もう近所に妻の両親もいますので、やっぱり相談をするんですね。
やっぱり妻の両親は、自分に小さい子がいるわけでもないですし、そんなに心配してない。その中で「自分の娘がここまで頑なに避難は嫌だ、自分の仕事も続けたい」って言ってるんだから、とりあえず皆も避難してないんだし、このまま居たらどうだろうっていうことだったんですよ。
でも、私は現実はそうじゃない。
その頃は、大体4月上旬くらいには、いろんな人の意見をネットで見られるようになってたので、小出さんの言ってることとか、ゴフマンさんの言ってることだとか、いろんな世界中の危険警鐘を鳴らしてる人たちのコメントがなんとなく入ってきてたんで、
「これはもう大阪、関西方面に避難するしかないので、全部捨てて逃げよう」
っていうのが私の考え。
多分仕事は転勤して続けられるだろうと思ってたので。
Q.家のローンについては、どのようにお考えですか?
実際避難をしようとして妻の両親に相談した時、一番ネックになったのは、やっぱり
「家のローンをどうするんだ?今は二人で働いてるから払える。これ、片一方の仕事を妻が辞めて、私の今の仕事だけでいった場合に、避難した先で雇ってもらえるかもまだわからない。それでローンが払っていけるのか?」
って言われたときに、恐らく払えない。だから、もう売るしかないって話をしたときに、
「売れればの話だろ」
って言われて、確かに売れなければその間ずっとローンを払わなきゃなんないので、そう考えた時に・・・でもそうなったときには、そんなのは自己破産でもなんでもすればいいんだと私は当時思ってたんです。
『とにかく子供の命が最優先だ』
と思ってたんですね。
そういう話もあって、妻もどうしてもやめたくないということもあったので、いつまでたっても両方とも、私は避難したい、向こうは絶対避難しない。もう平行線。
そんなことがずっと続いても、子供にとって良いわけないので、とりあえず最大の妥協ということで、じゃあ猪苗代なら仕事辞めずに避難もできるでしょう。線量もすくないですし。
ということで猪苗代に避難することになったんですけど。
Q.猪苗代までの距離について教えてください。
それで猪苗代っていうのは、郡山から大体20㎞くらいなんですけど、郡山は大体第一原発から60㎞くらいだと思うんです。猪苗代のところで大体80㎞くらいだと思うんですよ。20㎞くらい離れたところになるんですけど。
Q.家、それからお子さんの学校はどうされたのですか?
避難した後の家は、避難するにしても妻は承認した条件っていうのは、
「1か月だからね」
とりあえず1か月して、私はまた1か月もすれば、また新たな情報が出てくるだろうと思ったので、そうすればその情報で妻を説得できると思ってたので、とりあえず1か月様子見だということになりました。だから家はそのまま。電気も冷蔵庫もつけっぱなしで出てきた状態ですね。
そのころは、まだ子供の保育園も通えましたので、妻の仕事に行くときに連れていけたので保育園はそのまま・・・通わせたままの状態でした。
Q.猪苗代での1か月はどのような感じでしたか?
あ、間違えました!
えーっと、娘の保育園はですね、休ませたんですね。保育園に籍は残したまま、郡山に娘を通わせたら同じことなので、同じ空気吸っちゃうんで、通わすことはできないということで、猪苗代の宿泊施設に妻の母親に来てもらって、一緒に住んでもらって、妻の母親に子供を見てもらって、私と妻が仕事に行く。でまたそこに帰って、おばあちゃんと娘4人でご飯を食べて、家の妻の母親は、土日うちらパパ・ママが休みの時に家に帰ってもらって、休みじゃないけど帰ってもらってまた月曜日にきて面倒を見てもらうということで生活をしてましたね。
Q.1か月経った時はどのような感じだったのですか?
1か月経ったときに、政府からの情報っていうのは、まったく変わってなかったと思うんですね。
政府はもう学校も始めさせましたし、なにしろ何か野菜に放射能があるとかなんとかいっても、全部風評被害という言葉で片付けてしまって、結局危なくないんだっていうことばかりを宣伝してるような状態なんで、それにまんまとはまったじゃないですけど、どうしても学校があって戻らざるを得なかった人たちも、戻ってしまった以上、そこで政府の皆が大丈夫だっていうので、もう『大丈夫』を信じるしか、もう街全体が『大丈夫、大丈夫』と言いだすような状態になって、避難する人に電話とかすると、
「みんな普通に暮らしてるから、帰ってきなよ」
ってみんながみんなで言いあうような空気になってたんですね。
だから、その状態っていうのは、4月の避難を始めるときから何も変わってない状態で、私にとっては情報が・・・。
そのくらいたってると、更に情報を隠ぺいしてるっていうのは、もっと確信に近づいてきてましたから、この状態で郡山に戻るっていうのは絶対有り得ないので、とりあえずまた1か月すれば新しい情報、また一か月更新、一か月更新っていうのが続いたわけです。
6月いっぱい、そこの宿泊施設が7月になるとオンシーズンになってしまうので、忙しくなるから出てほしいということになったので、どこかアパート探さなきゃなんないなと思ってたんですね。もう私は帰るっていう選択肢は、6月末の時点で・・・一応あったんですけどね、皆が『大丈夫、大丈夫』っていう話は、いろんな人に話を聞いて『大丈夫』っていう人たちの話で、大丈夫な根拠があっていってるのかどうかを知りたかったので、いろんな人に意見を聞いて回ったんです。
そうすると、大丈夫な根拠は無い。みんな無い。
Q.大丈夫な根拠として、どういうことが言われていたのですか?
あの、いろんな人に大丈夫の理由を聞くんですけど、大体子供居ない人たちが大丈夫っていうのは、やっぱり政府とか新聞とかテレビとかが
「誰も危険だなんて言ってないでしょ。それを危険だっていう意味がわからない」
最初からもう全然考えもしないという人と、あとはやっぱり子供が居るんだけど、戻ってきた人とかは、やっぱりICRPの考えを信じるわけですね。そうすると、危険があるかもしれないけども、ICRPだったら20mSvでも何千人だか何万人に1人でがんで死亡とかの確率ですね。
「そんなのうちの子供が当たるわけないじゃん」
っていう考えなんです。確かにそういうような話はそうなんですけど、「1000人に1人がガンになって死ぬんだよ」って言われても、
「別にそんなの1000人に1人なんてあたるわけないし、そのために自分の仕事も家も全部捨てるなんて馬鹿げてる」
っていうのはわかる。
結局大丈夫だっていう人は、ICRP考えが根拠になってて、でも私はそのころは小出さんの話とかゴフマンさんの話とかも聞いてたので、自分なりに計算すると、もう・・・50人とか30何人にガン死者も心配だけど、死なないガンになる確率だってあるし、心臓病だって動脈硬化だって、あらゆる健康被害と、あと孫の孫の隔世遺伝の染色体異常を考えたら、もう2,3人に一人、二人に一人は確実になっちゃうだろうと思ったんです。
だから、大丈夫といってる人が私を安心させてくれる理論がどこにも無かったので、だから、避難をそのまま続けなきゃなんないなと。
妻が大反対でしたけど。
だから、もうその頃はもう離婚してでも子供を守りたいって思ってましたので、何が何でも避難は譲れないと、そういう言い合いっていうのが毎日言い合いでした。
奥さんにそういう確率の話をしてもですね、奥さんは最初から、
「たとえ二人に一人が子々孫々にわたる被害があるにしても、郡山の人たちが皆同じならそれでいい。」
「でも、それが本当にそうかどうかなんて判らないでしょ!ICRPの考えが正しいって言ってるんだから、世界の科学者は。そっちが正しいかもしれないんだけら、そっちが正しければ、何千人だか何万人に一人の確率なんて、許容できるでしょ」
っていう考えなんですね。
そこについても、私は意見も正しいっていう根拠はどこにも無い。根拠っていうのは、どっちが正しいか判らない。そこは結局平行線のままになってるんですね。
Q.低線量被曝の影響についてはわからないということをどう解釈するか、お二人の違いについてお話ください。
もう私の人生の目的は、『子供を成長させる』というのが私の生きている意味だと思っていますから、子供が健康被害に遭うかもしれないという状態は、もう全然生きてる意味が無くなってしまうので、どうしてもそこは最大限になっちゃいますよね。なっちゃいました。
私はもともとステレオタイプ、
「世の中の人間がステレオタイプになるのは、ものすごい危険だ」
というのは、もともと持ってたんです。だから、でも、妻の場合は、
「そんなことを考えるほうがオカシイでしょ。別に皆と同じで何が悪いの?」
っていうふう。だから今回でも、私は他の人が何と言おうが、自分が納得できないと信じれないので、特に子供の命かかってるんで、で、勉強するしかないですよね、誰も教えてくれないので。
妻は、そんなことはないっていうか、みんながそんな、世論を見てればおのずとわかるでしょっていう考えなんで、そういうところの違いだと思います。
Q.情報の収集経路に関して、両者の違いはありますか?
情報収集の考えで、避難しない人と避難してる人の情報収集の違いっていうのは、多分・・・無いんじゃないかなと思う、インターネット使えない人は、もちろんテレビと新聞しかないので、避難しなくてもいいよという人が結構いる。そういう意味で、避難しない人は多いのは確かなんですけど、ネットを昔からやる人で、情報もいろいろ入手できる人でさえ、避難しない人はたくさん居るわけですね。
私と何が違うかっていうと、もうそういう人たちっていうのは、小学校とか始まっちゃった時点で、親たちは大丈夫と思うしかない状態で子供たちを行かせてるわけですね。もう毎日、毎日。その中で新しい情報がネットで入ってきてもい行かせてもらうとすれば大丈夫な情報しか、安心するための『大丈夫』な情報を探そうとしてると思うんですね。どうしてもICRPのほうの情報を引っ張ってきて、
「だから大丈夫、だから大丈夫」
って自分で安心させるための情報を求めてるから、安心だと思いこんでるんじゃないかなと思うんですね。
私とかは逆に最初から「危険だろう」から始まってるので、危険な情報から入手。もちろんICRPもあったので、どっちか片方を入手しちゃうと危険というか、偏っちゃうので。両方引っ張るときに、じゃあどっちかがウソついてるんだなと考えた時に、背景とか考えると、どうしたって大丈夫っていうほうには利益があるわけですね、裏に。でも危険だってい言う人たちには利益が無いじゃないですか。
っていうことは、嘘つくとすれば、「安心・安全」を言ってる方が、どっちかがウソであるならば、「安心・安全」の方が絶対ウソであると私は思ってるんです。
だから、そこの自分を安心させようと思って情報を仕入れてる人とそうでない人との違いはあるんじゃないかと思いますね。
Q.奥さんはネット使われるんですか?
私の妻はインターネットはできるんですけど、仕事の合間にはほんとにニュースを見る程度しか時間がない。あとは・・・時間がないから、インターネットも今までもそんなにやったことはないですし、今までも調べることはあまりできない状態だったんで。
Q.奥さんとは何をもって歩み寄られたのですか?
歩み寄りは今までですね、例えば6月下旬で宿泊施設から「出てくれ」と言われて、アパートを探して新しく入ったんですけど、入るにあたっても、最後の最後まで妻は納得はしなかったんですね。
でも、もう日にちがどんどん迫ってくるわけですよ。残り5日くらいのときに、向こうの両親も間に入ってくれて、いつまでも並行したときに結局何もできない、どこにも行けなくなっちゃう。どこにも行けなくなった場合には、結局多分そうなると、元に戻るしかなくなっちゃうんです、郡山に。私はそれは絶対に許せないっていうか、子供に対してできないので、もしそうなら、「離婚する」。そこまで言わないとダメだなと思ったんで、
「もしそうであれば、子供がいたことも記憶から消し去る、もう好きに生きてくれ」
というところまで言ったんですけど、そこでやっと初めて考えてくれたみたいな。
「離婚するくらいなら、今までの生活が続くだけだから、避難生活を続けてあげて、しょうがないから」
ということで、今ずっと続いてるんです。
Q.シングルファーザーになるというのではなく、子供はいなかったと考えるとはどういう意味ですか?
離婚するにあたって、子供は絶対にとりたかったんですけど、妻ももちろん死んでも譲らないというふうになりますよね、どうしても。そうであれば、そこでそれ以上やっちゃうと誘拐とかの話になっちゃいますから、お互い。それはそうなると思ったので、それ以上やっちゃうと。だからそしたら、私の記憶から子供がもともと居なかったと思いこむしかないなと、そういう・・・そうするという考えになりました。
その時のことを思うと・・・<顔を両手で覆って、涙されています>・・・すいません。
精神的にも完全に追い込まれてましたから、あの時には・・・。
Q.他の福島の人たちは、どのような考えだと思いますか?
一般の人たちは、多分私が思うには、今はもう大丈夫だと自分自身で思おうとずっとしてきて、今は本当に大丈夫だと思っちゃってるみたいですね。
最初は大丈夫だと思おうとしてたんですけど、周りも皆大丈夫だって言ってるじゃないですか。マスコミとかも。だから、本当に大丈夫なんだろうと、ただ、NHKとかでも最近は「でもやっぱり危なかったんだよ」みたいな感じに、徐々に本当のことが出てきてるんで、
「本当は危ないんだろうけど、でもそれほどでもないんでしょ」
っていうのが、今みんなの考えなんですね。
Q.夫婦の間の緊張感というのは、今はどういった感じなのでしょうか?
今はですね、今は、福島県の人たちも、うすうす・・・当初は全く大丈夫だと思ってたんです。今は、うすうす危険性はみんな判ってるんです。だから、うちの妻なんかの同僚も
「あの時避難してて正解だったね」
って言ってくれる人が、ぽつぽつと最近出てきてるわけですよ。それでやっと妻も、言葉にしては私に言わないですけど、「避難してて良かったかもしれないね」という感じに、今なってきてるので、今やっと家族が一つになってきたのかなっていうような状態ですね。
Q.良かったですね。
今は良かったなと、今の状態。4カ月くらいで8㎏s痩せて、半年で10、11㎏sくらい痩せました。ただ、それはストレスだけじゃなくて、多分お酒を一滴も飲まななかったので、それが一番だと思うんですけど。
私は3.11から11kgs、12kgsくらい痩せたんですけど、初めて健康診断でオールAでした<笑>肝臓から全て。私の健康には良かったのかなとは思いますけど。
Q.郡山の家はそのままキープしているんですか?
郡山の家はキープしたままですね。妻も今の考えでは戻れる・・・いつ戻れるんだろうと今思ってるとこでして、でも、私は多分、もう何十年も戻れないというか、どう考えても売るしかないだろうと私は思ってるんですけど、やっぱりうちの妻はまだそこまで踏ん切りがつかなくてですね、
「除染すれば帰れるんじゃないかな」
という思いでいると思うんで。多分、今の状態のままローンを払いながら避難生活が続いていくことになると思います。
Q.除染についてはどの様にお考えですか?
本当に福島県全体の山とか田んぼとか、田畑とか、全て剥いで綺麗になるんであれば、戻れるなと思うんですけれども、確か今日だか昨日、IAEAが除染に対する助言をしてましたね。あまり有効じゃないとか、やらないほうがいい、やってもしょうがない、有効なところだけやればいい。あれ聞いてると、多分日本もそれを盾に多分やりやすいとこだけしかやらないだろうなと思ってるので、町の除染しやすいところから除染したって、また台風でも強風でも吹けば飛んできちゃいますよね。だから、今の状態の除染をしたから戻れるのは、私は思えないです。
Q.奥さんとは近い将来についてどのような話をされていますか?
将来の話はですね、今までもずっとそうだったんですけど、ほとんどがひと月後、3か月後しか見れないんですね。その後どうなるかっていうのは全く予想ができなくて、ただ今の時点では、妻も来年の3月までは今のままの生活を続けていくつもりになってくれたので、とりあえず5か月、6か月くらいのは今安心してるんですけど、じゃあその後どうするかっていう話は、恐らく妻もこの生活がずっと続いてくんだろうなと思ってると思いますね。
私も正直判らないですね。もう遠くに避難するなら早い方がいいと思ってますので、関西とか。早くそこで基盤を作って子供の成長もありますから。
ただ、今猪苗代。どうみても人口も少ないし、今住んでいるところの近くにスーパーもないし、習い事させたくても習い事させるところが無いし、どうしても子供を育てるのにいい環境とは思えないんですね。
だから・・・わからないですよ?都会がいいのか田舎がいいのか、子供にとったら田舎の方が良い場合だってたくさんあるわけですから、そういう観点で私たちが考えを変えていくのか、それとも今まであった時間どおりにどこか安全な都会を探して引っ越すのかになるんでしょうけど、そこのところがまだ1年後、2年後が見えてないです。先が見えないです。
Q.お腹に赤ちゃんがいるということについて、どのような話をされていますか?
お腹の赤ちゃんの予定日は、11月、来月なんですけど、お腹に赤ちゃんがいるというのがわかったのが、5カ月の時点でして、ちょうど離婚するって言ってる時にはお腹に赤ちゃんがいるとは思わなかったんですね。
そのころ、妻も便秘が酷くてお腹が出てくるくらい便秘がすごいということで病院に行ったら、赤ちゃんが居たという。
逆算すると3.11のちょっと前にできた子なんじゃないかと思うので、またいでるんですね。
やっぱりそこでも赤ちゃんがいると分かった時点で、妻もちょっと考えが変わったんじゃないかなと思ったんですけど・・・。
Q.お腹に赤ちゃんがいると聞いた時、どのような感情を持たれましたか?
もちろん離婚すると言っても、離婚したい気持ちなんてさらさらなかったので、もちろん子供が居るって聞いた時は、最初は100%浮気の子だと思ったので、3.11で記憶がそれ以前の記憶がもう全くもって割れちゃってるんで、そんな子供が出来てるわけがない。うちの妻もそう。
だからなぜできたか判らないというところから始まって、でもよくよく考えてみたら、「なんかあったかもしんないね」ということで。
子供ができて、判ってからは、妻の態度も若干軟化したというか・・・ですね。
ただ、子供ができたからといって、仕事を辞めるとかそういうことは全く。やっぱり「仕事は絶対に辞めたくない。」避難も今の生活よりは避難を絶対しないという考えに変わりはないですね。
Q.お腹に赤ちゃんがいると聞いて、もう少し優しくしようとか思われましたか?
ちょっと経ってからはですね、自分の子だと確信してからは、それは嬉しかったですよね。嬉しいんですけど、嬉しいし、嬉しい・・・のと同時に、3.11またいでますから、やはり身体というか放射能の影響がどこまであるかどうかっていうのは、心配ですよね。今でも心配ですね。
子供に対する・・・
でも子供ができたからといって、特に家族に対する考えが変わっとかっていうのは特には無いですね。子供が何よりも大事だって考えももともとですから、子供ができたから変わったっていうのは、特には無いです。
ただ離婚をどうのこうのとか、妻を心配させるようなことは言えない、しないほうがいいなと、それはもちろん、それは最初から思ってたんですけど、それを言ってるといつまでも平行線が変わらないので、言うべきところは言っていかなきゃなっていうのを、子供ができたから変わったっていうのは特には無いですね。
Q.お腹の子への放射能の影響をどのように考えておられますか?
放射能が子供に、胎児に対する影響っていうのは、やっぱりチェルノブイリの後の周辺の汚染地域でも影響が出てますけど、だからそれと今回と同じかというと、多分ちょっと違うんだろうなとは思っていて、あの時、あの時っていうのは、チェルノブイリ周辺っていうのは、やはり汚染された食べものをたくさん食べてますよね。今、郡山市とか福島の人たちって、多分ちょっとそんな危険な、その人たちによりは安全なものを食べてるので、そこまで酷くは無いんだろうけども、問題は・・・初期に吸い込んだ放射性物質の影響。今でも飛んでますよね。少ないですけど少ないものを継続的に吸っている影響がどこまで出るのかって、多分誰もいってないと思うんです。0.00何とかベクレルの空中を浮遊してる物質、それはセシウムだけの話なんですけども、ずっとプルトニウムとか言ってないですからね。でも判らないけども、子供のことを考えるとやっぱりこういう空気の中で暮らすべきじゃないな・・・としかありませんね。
他人事なら「このくらい大丈夫だよ」って私も言っちゃうかもしれないですけど、自分の子供を思って考えれば、絶対に暮らさせたくないですよね。福島市とか二本松、郡山、この辺のところですね。
Q.ご自身でも線量計は購入されたのですか?
そうですね。ネットで当初購入しました。線量計は5月くらいの時点でインターネットで購入して、自分の家の周りだとか家の中とか測ったりはしましたね。
Q.数字はどのくらいでしたか?
私の家の庭ですと、大体1マイクロは無いくらいじゃないでしょうか。自分で庭の畑とか除染して、捨てるところがないので片側に寄せてあるんですね。寄せてある方はすごい高いですね。やっぱり2.7とかそのくらい上がっています。。異常に高いのは、駐車場の境目の隙間に溜まるんですけど、そこはどうしても雨が流れた後濾しちゃう。それを2か月くらい前に測ったら4マイクロシーベルト/時ですか。
Q.動いていってしまうというのを実感されたわけですね。
線量計で、放射線測定器で増減がわかるくらいの放射能は、ものすごい量だと思うんです。だから、例えば今空中にかすかに飛んでるじゃないですか。それを線量計で測って今??絶対わかんないじゃないですか。それと同じで、放射線の量はほとんど気にはしてないんです。放射線っていうのは、別に皇居のある世田谷だって、あそこはもう常に今までも高かったんですよね、放射線が。あの辺の人たちが放射線高い中でずっと何十年も暮らしてたわけですよね。だから、放射線っていうのは、やぱり私は気にしてなくて、それよりもやっぱり放射性物質の方が舞い上がったり、手をついて人間の中に持ち込んじゃって、布団の中に入っちゃって吸い込んじゃうとかそっちの方がよっぽど怖いと思うんです。
だから、放射線は、放射性物質の量の指標ではありますけど、あんまりそれで高い・低いとかは、最近は全然気にしなくなりました。
この辺全体にあるんだと思うしかないんで。
Q.主に気を付けているのはどういうことですか?
放射能から身を守る方法としては、つまりはマスクをつけて歩くということと、食べ物はスーパーでできるだけ西側のものを選んでるんですけど、最近売ってないんです。売らなくなってきたんですね。
この辺はヨーク・ベニマルっていうのはこの辺のスーパーどこにもあるんですけど、3か月くらい前だと西側の野菜がかなりあったんですけど、なんか最近は北海道産、もしくは近辺で関東とか福島近辺だけみたいになってきてますね。
Q.それはなぜですか?
やはり、県民があまり気にしなくなってきたんじゃないのかなと思います。
わざとそうしてるんじゃないかなと思うんですけど、結局、東日本の野菜が売れなくなると、みんな農家困っちゃいますよね。だからわざと西日本の野菜を徐々に少なくして、この辺の野菜を徐々に食べさせるように、業界全体で仕組んでやってるんじゃないかなということを最近思ってきてるので、ネットで野菜類とか食材を、もう遅いんですけど、今からでもそうしようかなと思って、ネットで購入しはじめたところで、まだ頼んだんだけど来てない状態です。
Q.これから自分たちはどの様に生きていくつもりなのか、ミクロな点について。そして、自分たちだけではどうす
ることもできないマクロな点についてもお聞かせください。
まず、私の家族がどうやって生きていくかですけど、どうやって生きていくかっていうのは、さっき言ったように、全然先が見えない。私個人の意見はあるんですけど、もちろん安全なところで自由に外の空気を吸わせて・・・育てたいという気持ちがあるんですけど、妻は仕事もあるし家のローンもあるし、そう考えるとそれもできないかなと。本当にわからない。どうしたらいいか判らないんで、その場、その場で考えた最良の道に行くしかないので、今は判らないというような現状で。
それをどう周りから打破してもらうかっていう考えになった時に・・・どう考えてもこの原発の事故は、国が推進してきて国の責任でやってるわけだから、今問題になってる仕事の問題だとかローンの問題だとか、せめて家のローンの金利分だけでも負担してもらいたいなというようなところで。
あと、仕事、収入ですよね。だから、これもどうにもなんない。だからそこを何とかしてもらうしかないんですよね。国には。
私、原発、今後どうしたらいいかというところまで判らないので、原発の・・・私、今まで子供を守ることしか考えてきてないので、脱原発とかそんな余裕なかった。もともとそんなことも考えたこと無かったので、今まで子供の命どうするかしか考えてきてないんですから、脱原発っていうのは後の話。今後のあれですよね。だから、でもそれを考えるにしても、結局中国だとか北朝鮮が核武装してる中で、日本は核、結局原発っていうのは核ミサイルの確保みたいなもんですよね。核武装するための、いつでも作れるようにしておく、もしくは今あるかもしんないみたいな状態のための原発だと思っていますから。
Q.電力供給のための原発だと思っていましたか?
あー、全然思ってなかったです。
電力供給と今言われて、そういう考えもあったんだなと思うくらいで、第一は政治家があそこまで頑なに原発を維持したい理由は、核ミサイルのためなんだなと思っていて、あれなくなっちゃうと結局核の脅しに屈してしまうから、日本は結局今後生き残っていくためには、やっぱ核の脅しに負けないものを持ってなきゃダメだという考えがあって、原発を捨てられないとしか思えない。でなければ、こんなに皆が止めようっていって止めないんだから、それしか考えれらないですね。
あとは、原子力利権とかあるんでしょうけど、原子力利権ってここまで言われてて、本当に果たして利権のために、それだけのために止めないんだろうか?石原慎太郎も中曽根も今までずっと推進してきて、未だに推進の立場を変えないし、石原さんの息子も未だに推進の立場ですけどね。
あれはあからさまにお金が出るためでそんなことを言ってるんじゃ、もう選挙で負けて終わりじゃないですか。どう考えても信条があるんだろうから、やっぱりそういう日本を守るため、日本が独立していくためにどうしても捨てらんないと思ってるんじゃないのかなと思っちゃうんですね。
だから、私はそこまで考えがいってないのであれなんですけど<苦笑>私はそこまでしか判らないです。あとは、原発がその先どうなるかっていうところまでは、まだこれからの勉強ですね。
Q.原発は核保有を含むということについて、今の時点で判断は保留ということですか?
原発はだからこんなに要らないはずだと思うんです。核爆弾作るためだとか、こんなに要らないだろうと思っちゃうんで、もしやそういう意味で北朝鮮とか中国から攻められないための防御のためのものだったら、それだけにしておいて、どこにするかは別にして、こんなにたくさん要るわけないと思いますね。
だから、どんどん少なくしていくべきっていうのは、もちろんですね。
Q.今の時点で日本のどこに避難しても原発があり、どこにでも巨大地震が起こり得るということについて、どうお考えですか?
もちろん、結局どこに避難してもまたそこで事故が起こったら同じことになるじゃないかってなるんですけど、今度避難するとなったら、もちろん原発の近くには避難しないんですけど、どうしても爆発すれば風に乗って絶対に被害は被るわけですよね。だから、それは爆発したっていう状態は、多分今後もネットとかで出るでしょうから、爆発してから逃げればなんとかなるだろうとは思うんですけど・・・。
だから、今原発を無くせばいいかというのは判らないですけどね・・・。
原発はもともとは今回の事件がずっと起きてきて、ずっと思ってました。原発は無くても電気は供給できるだろうって、なんか皆言ってますけど、原発が無いに越したことはないです。ただ、なぜ無くなる方向に行かないのかが、すごく疑問に思うだけで、まだなんか裏があるんじゃないのかなと思ってるだけなんですけど。
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