戦争責任とは?「国体」とは?
2015-09-12
いつの間にか、権利の行使である年次休暇をないがしろにして国民一律の馬鹿祝日を増やす政府は、位置の間にか9月22日の秋分の日を23日に移して22日を「国民の日」とやらにしてしまった。
天文学上の期日をずらすのもめちゃくちゃであるが、その後を「国民の日」とはナンジャラホイである。
まさしく、いかにも「非国民の日」である。
「国体」とはなんなのか? ところで、天皇制とはなんなのか?なんだったのか?
元“軍国少年”の天皇批判 渡辺 清著 『砕かれた神」 うぃんぐ出版企画センター
「歴史の偽造」が策動され、昭和天皇の「戦争責任」も不問にし、天皇を「平和主義者」とするような「歴史教科書」が登場しようとしている。本書は、反動派が模範とする天皇を神格化した戦前教育を信じきり、十六歳で海軍に志願、終戦時十九歳の元“軍国少年”の激変する天皇観と、終戦直後の富士山麓の農村での生活を綴った手記である。終戦の年の九月二日に始まり、翌年四月二十日で終わる、八カ月弱のことである。
九月二日、「『天皇陛下が処刑されるかもしれない』という噂が村うちに流れている。……天皇陛下といえば、『神聖ニシテ侵スヘカラス』『一天万乗の大君』であり、『現人神』であり、この国の『元首』ではないか。その天皇陛下が、たとえ噂にもせよ絞首の刑に擬せられているとは、考えるだけでも畏れおおいことだ。……この噂が本当だとしても、天皇陛下が敵の手にかかるようなことはまずないだろう。……立派に自決することによって、なんぴとも侵し難い帝王の帝王たる尊厳を天下にお示しになるだろう」という思いが一変するのは、天皇がマッカーサーを訪問し、例の写真が新聞に載った九月三十日のことである。
「こんなことがあってもいいのか。……訪ねた先方の相手は、おれたちがついせんだってまで命を的に戦っていた敵の総司令官である。『出てこいニミッツ・マッカーサー』と歌にまでうたわれていた恨みのマッカーサーである。……天皇には恥というものがないのか」「おれのこれまでの天皇にたいする限りなき信仰と敬愛の念は、あの一葉の写真によって完全にくつがえされてしまった。おれは天皇に騙されていたのだ」
十一月二日、「天皇は伊勢神宮に参拝して、『終戦の報告』をしたというが、無条件降伏をしてしまって、いまさら伊勢神宮でもあるまい。だいいち神様なんか戦争になんの関係もない。実際、戦争で苦しみ犠牲になったのは、ほかでもないわれわれ国民なのだ、とすれば、そんなことよりも先ず国民にむかって、敗戦の責任を明らかにして謝罪すべきではないのか」
「天皇に裏切られた」との悔いは、彼を“軍国少年”に仕立てあげた連中への怒りとなる。大政翼賛会の役員として幅をきかせ、「天皇の大御心」「日本は東亜の盟主」などと扇動していた小学校の校医が、青年団員を集め、「こんどの戦争は、正義の戦さとか、聖戦とか言われていましたが、それは真っ赤な嘘で、実は侵略戦争でした。……これからは民主主義に徹して」と話をする。「おれは聞いていてこっちが恥ずかしかった。前非を悔い沈黙しているならまだしも、ついせんだってまでお先棒をかついでいた軍国主義に臆面もなくさかしらな批判を加え、民主主義だの文化国家だのと説教をたれる」
十一月二十七日、「四辻の電信柱に日本共産党の『天皇制打倒』『人民共和政府樹立』と書いたビラが貼ってあるのをみた。『人民政権』というのは、どんな政権か、具体的にはよくわからないが、『天皇制打倒』については文句なしに賛成だ。それにしてもいままで蛇蝎のごとく嫌っていた『赤』の意見に共鳴するとは、われながら変わったものだ」と、わずか三カ月の変化を語る。だが、その天皇批判は、“特攻隊くずれ”のアナーキーなものと大差なかった。そこに階級的な視点が加わりだすのは、知人からすすめられた河上肇の『近世経済思想史論』と『貧乏物語』を読んでからだった。
農作業が休みとなる正月、彼はこの二冊を読破する。
「資本家階級と労働者階級の対立、資本主義と社会主義の形態、生産力と生産関係、不変資本と可変資本、剰余価値と剰余労働等々、どれも目新しい言葉ばかりだった……。小説以外でこんなに熱中して読んだ本ははじめてだ。中でも(『思想史論』の)『第三講カアル・マルクス』は衝撃的だった。一節ごとにぐいぐい惹きこまれ、探照灯でもあてたように、なんだか急に眼の前が明るくなったような気がした。いままで皆目見当もつかなかった世の中の仕組みというものを、これでいくらかつかむことができたような気がする。うれしかった」
彼の育ち始めた階級的な視点は、共産党の日和見主義をも容易に見抜く。
一月十七日、「共産党が天皇にたいする『態度を修正』した。これはせんだって帰国した野坂参三という幹部と相談して決めたらしい。それによると、『天皇は軍閥、官僚、財閥等とともに戦争責任を有するものであって、その戦争責任は断乎追及……。ただし政治と全く引離された天皇を存続せしむるや否やの点については国民の判断によるべきである』と言っているが、いままで『天皇制打倒』できた共産党が、ここへきてどうして天皇の存否は『国民の判断による』というふうにその態度を変えたのか……。この声明は、(大多数が天皇を崇拝しているという)『国民の判断』にもたれかかって、結局は天皇存続に手をかすことになる。……天皇に対する国民の判断が誤っていたらそれをキチンと正しくしていく。それが政党の任務ではないのか」
二月一日、河上肇の死を知り「夜、静かに襟を正すような思いで、(前述の)二冊をひらき、とくに傍線を引いておいたところを丁寧に読み返す。おれはこれからもっともっと勉強して河上博士のようなものの考え方を自分のものにしていきたい」と記す。
四月二十日、職に就くために上京する日、天皇との決別の意を込め、「忠実な兵士」として下賜された金品を四千円余と計算、天皇宛てに送りつける。
その後、「戦没学生記念会」や「思想の科学」等で活動するが、その評価は別にして、元“軍国少年”に芽生えた天皇(制)批判が、感情的なものから意識的なものへと移っていく過程は、興味深い。厳しい農作業や田園風景、農地改革で揺れ、戦後民主主義に適応していく大衆の変化等、十九歳の青年とは思えない豊かな表現力も、この手記の魅力である。
(2001年3月・康)
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国際金融資本と明治維新、戦争責任と天皇制に関するページ。
「屈辱の日」、三日後「血のメーデー」
終戦からの米国依存と昭和天皇
日本の秘密:鬼塚
A級戦犯の代わりに罪を問われなかった最高責任者
永続敗戦論からの展望:白井聡
永続敗戦論、白井氏インタビュー
琉球処分から中国侵略戦へ、そして今
原爆は誰が投下したのか?
戦争責任も戦後責任も曖昧にした「昭和天皇実録」なる代物」
米国との開戦を無謀とし、アジア侵略を無視する「通説」
安倍が目論む戦前回帰、国際金融資本と天皇制
民意を無視、琉球処分からの戦争と侵略への戦前回帰
尊敬される日本へ:対米従属を絶つことは戦争責任の国内追及から始まる:白井聡
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九月二日、「『天皇陛下が処刑されるかもしれない』という噂が村うちに流れている。……天皇陛下といえば、『神聖ニシテ侵スヘカラス』『一天万乗の大君』であり、『現人神』であり、この国の『元首』ではないか。その天皇陛下が、たとえ噂にもせよ絞首の刑に擬せられているとは、考えるだけでも畏れおおいことだ。……この噂が本当だとしても、天皇陛下が敵の手にかかるようなことはまずないだろう。……立派に自決することによって、なんぴとも侵し難い帝王の帝王たる尊厳を天下にお示しになるだろう」という思いが一変するのは、天皇がマッカーサーを訪問し、例の写真が新聞に載った九月三十日のことである。
「こんなことがあってもいいのか。……訪ねた先方の相手は、おれたちがついせんだってまで命を的に戦っていた敵の総司令官である。『出てこいニミッツ・マッカーサー』と歌にまでうたわれていた恨みのマッカーサーである。……天皇には恥というものがないのか」「おれのこれまでの天皇にたいする限りなき信仰と敬愛の念は、あの一葉の写真によって完全にくつがえされてしまった。おれは天皇に騙されていたのだ」
十一月二日、「天皇は伊勢神宮に参拝して、『終戦の報告』をしたというが、無条件降伏をしてしまって、いまさら伊勢神宮でもあるまい。だいいち神様なんか戦争になんの関係もない。実際、戦争で苦しみ犠牲になったのは、ほかでもないわれわれ国民なのだ、とすれば、そんなことよりも先ず国民にむかって、敗戦の責任を明らかにして謝罪すべきではないのか」
「天皇に裏切られた」との悔いは、彼を“軍国少年”に仕立てあげた連中への怒りとなる。大政翼賛会の役員として幅をきかせ、「天皇の大御心」「日本は東亜の盟主」などと扇動していた小学校の校医が、青年団員を集め、「こんどの戦争は、正義の戦さとか、聖戦とか言われていましたが、それは真っ赤な嘘で、実は侵略戦争でした。……これからは民主主義に徹して」と話をする。「おれは聞いていてこっちが恥ずかしかった。前非を悔い沈黙しているならまだしも、ついせんだってまでお先棒をかついでいた軍国主義に臆面もなくさかしらな批判を加え、民主主義だの文化国家だのと説教をたれる」
十一月二十七日、「四辻の電信柱に日本共産党の『天皇制打倒』『人民共和政府樹立』と書いたビラが貼ってあるのをみた。『人民政権』というのは、どんな政権か、具体的にはよくわからないが、『天皇制打倒』については文句なしに賛成だ。それにしてもいままで蛇蝎のごとく嫌っていた『赤』の意見に共鳴するとは、われながら変わったものだ」と、わずか三カ月の変化を語る。だが、その天皇批判は、“特攻隊くずれ”のアナーキーなものと大差なかった。そこに階級的な視点が加わりだすのは、知人からすすめられた河上肇の『近世経済思想史論』と『貧乏物語』を読んでからだった。
農作業が休みとなる正月、彼はこの二冊を読破する。
「資本家階級と労働者階級の対立、資本主義と社会主義の形態、生産力と生産関係、不変資本と可変資本、剰余価値と剰余労働等々、どれも目新しい言葉ばかりだった……。小説以外でこんなに熱中して読んだ本ははじめてだ。中でも(『思想史論』の)『第三講カアル・マルクス』は衝撃的だった。一節ごとにぐいぐい惹きこまれ、探照灯でもあてたように、なんだか急に眼の前が明るくなったような気がした。いままで皆目見当もつかなかった世の中の仕組みというものを、これでいくらかつかむことができたような気がする。うれしかった」
彼の育ち始めた階級的な視点は、共産党の日和見主義をも容易に見抜く。
一月十七日、「共産党が天皇にたいする『態度を修正』した。これはせんだって帰国した野坂参三という幹部と相談して決めたらしい。それによると、『天皇は軍閥、官僚、財閥等とともに戦争責任を有するものであって、その戦争責任は断乎追及……。ただし政治と全く引離された天皇を存続せしむるや否やの点については国民の判断によるべきである』と言っているが、いままで『天皇制打倒』できた共産党が、ここへきてどうして天皇の存否は『国民の判断による』というふうにその態度を変えたのか……。この声明は、(大多数が天皇を崇拝しているという)『国民の判断』にもたれかかって、結局は天皇存続に手をかすことになる。……天皇に対する国民の判断が誤っていたらそれをキチンと正しくしていく。それが政党の任務ではないのか」
二月一日、河上肇の死を知り「夜、静かに襟を正すような思いで、(前述の)二冊をひらき、とくに傍線を引いておいたところを丁寧に読み返す。おれはこれからもっともっと勉強して河上博士のようなものの考え方を自分のものにしていきたい」と記す。
四月二十日、職に就くために上京する日、天皇との決別の意を込め、「忠実な兵士」として下賜された金品を四千円余と計算、天皇宛てに送りつける。
その後、「戦没学生記念会」や「思想の科学」等で活動するが、その評価は別にして、元“軍国少年”に芽生えた天皇(制)批判が、感情的なものから意識的なものへと移っていく過程は、興味深い。厳しい農作業や田園風景、農地改革で揺れ、戦後民主主義に適応していく大衆の変化等、十九歳の青年とは思えない豊かな表現力も、この手記の魅力である。
(2001年3月・康)
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「屈辱の日」、三日後「血のメーデー」
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日本の秘密:鬼塚
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