翁長氏9/22国連人権理事会
2015-09-25

翁長氏 国連人権理事会で演説2015年9月22日(火) 批評.com
com
翁長沖縄県知事の国連スピーチ(全文と訳文) 沖縄県の翁長雄志知事が、ジュネーヴで行われた国際連合人権理事会(United Nations Human Rights Counci, UNHRC)の第30回定期会合に出席して、政府が進める普天間基地の辺野古移設を進める政府を厳しく非難しました(9月22日)。スピーチは、日本時間0時8分(現地時間21日17時8分)過ぎから約2分間にわたって、日本のNGO「市民外交センター」の時間枠を利用して行われました。
以下、英語スピーチの全文とその訳文を掲ます(参照元はUN WEB TV。聴き取りと翻訳は批評.COMによる)。スピーチに対する篠原の論評については、産経デジタルのオピニオン・サイト「iRONNA」の拙稿『沖縄県民も安保も「人質」、「政略」の臭いさえ漂う翁長氏国連演説』をご覧ください。
【Speech in English】
Thank you, Mr. Chair.
I am Takeshi Onaga, governor of Okinawa Prefecture, Japan.
I would like the world to pay attention to Henoko where Okinawans’ right to self-determination is being neglected.
After World War 2, the U.S. Military took our land by force, and constructed military bases in Okinawa.
We have never provided our land willingly.
Okinawa covers only 0.6% of Japan.
However, 73.8% of U.S exclusive bases in Japan exist in Okinawa.
Over the past seventy years, U.S. bases have caused many incidents, accidents, and environmental problems in Okinawa.
Our right to self-determination and human rights have been neglected.
Can a country share values such as freedom, equality, human rights, and democracy with other nations when that country cannot guarantee those values for its own people?
Now, the Japanese government is about to go ahead with a new base construction at Henoko by reclaiming our beautiful ocean ignoring the people’s will expressed in all Okinawan elections last year.
I am determined to stop the new base construction using every possible and legitimate means.
Thank you very much for this chance to talk here today.
【日本語訳】
議長、ありがとうございます。日本の沖縄県の知事、翁長雄志です。
私は、沖縄の自己決定権がないがしろ(neglect)にされている辺野古の現状を、世界の方々にお伝えするために参りました。
沖縄県内の米軍基地は、第2次大戦後、米軍に強制的に接収され、建設されたものです。私たちが自ら進んで提供した土地は全くありません。
沖縄の面積は日本の国土のわずか0・6%ですが、在日米軍専用施設の73・8%が沖縄に集中しています。戦後70年間、沖縄の米軍基地は、事件、事故、環境問題の温床となってきました。私たちの自己決定権や人権が顧みられることはありませんでした。
自国民の自由、平等、人権、民主主義も保証できない国が、どうして世界の国々とこうした価値観を共有できると言えるのでしょうか。
日本政府は、昨年、沖縄で行われた全ての選挙で示された民意を無視して、今まさに辺野古の美しい海を埋め立て、新基地建設を進めようとしています。
私は、考えられうる限りのあらゆる合法的な手段を使って、辺野古新基地建設を阻止する決意です。
今日はこのようにお話しする場を与えて頂き、まことにありがとうございました。
このスピーチに先立って、市民団体が国連施設内で開催したシンポジウムで約20分間にわたり講演し、沖縄に米軍基地が集中する「理不尽な現状」を強調するとともに、「基地問題の真犯人は誰か謎解きをしてもらいたい」と訴えました。このシンポには、琉球新報の潮平芳和編集局長と沖縄タイムスの阿部岳北部報道部長も参加し、知事同様、政府の姿勢を批判しています。
翁長知事の人権理事会におけるスピーチは、現地時間の22日にも行われる予定でしたが、前日示された日本政府の見解への反論というかたちで、島ぐるみ会議の女性メンバーが代行しました。また、同日計画されていた国連人権理事会の先住民族の権利に関する分科会での講演も中止されました。
知事が予定を変更した理由については、さまざまな憶測を呼んでいます。公式には、人権理事会の待機時間が長かったため予定をこなせなかった説明されていますが、人権理事会が、3名のカウンタースピーチを認めたことが予想外だったため、22日のスピーチ・講演を取りやめたともいわれています。
ほとんど報道されていませんが、知事のスピーチに対するカウンタースピーチは、嘉冶美佐子・ジュネーブ国際機関代表部大使、我那覇真子「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」代表のおふた方によって行われています。プログラムには、石垣市議・砥板芳行氏のスピーチも予定されてましたが、時間的な制約もあり、我那覇氏のスピーチに砥板氏の主張も含められた
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Hさんのこと
2015-09-20

夫婦の会話とままごと遊びの会話
Hさん
94歳のHさんは脳梗塞で左半身麻痺、左がわの手足は拘縮が著しい。
自力ではほとんど動けず、オムツは日に2回取り替える、また、褥瘡を防ぐために身体の向きを変える。
言葉はほとんど話す能力を失っており、身振りなども手先を上げるくらいなのでコミュニケーションの能力もほぼ失われている。ただ聴覚は残っていて、大声なら聞こえているようである。
就寝前にベッド周りのカーテンを回して閉めに行くと眼は半開きで眠っている。
言葉をほぼ失ってしまったHさんである。
だが、毎日6時か7時に奥さんが来てベッドそばに座るのだが、この時奥さんとは30分ほども「話」をしているのである・
奥さんはHさんの方に上半身を傾け、30cmくらいに近寄って話を聞き、そして話す。
「………………..!」
[----------------うん」
「-----------------?]
「.........................!.........….!」
「---------------うん!」
………………..!,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,?]
「うん!.............................うん!」
夫婦の会話であるから傍の者にはどうせわからないのであるが、明らかに「会話」が成立している。
やはり、夫婦のコミュニケーションというものは絶大で偉大なものと感じる。
思うのは4.5さいの頃のあの「ままごと遊び」である。「お父さん」が帰ってきたら「お母さん」が「お帰りなさい」と言って、そこら辺の雑草などの「食事」を用意して「食べた」ものでした。そこで「子供なり」の「夫婦の会話」をしていたのでしょう。具体的に中身が展開する話はなくともそこに夫婦の「話」
という名の「コミュニケーション」がある。
そのことが目的の「お話」「会話」なのでしょう。
Hさんのご夫婦の会話は会話として具体的には展開されていなくともコミュニケーションとしての目的ある「会話」として偉大」、「絶大」に会話が成立しているのだと思いました。
「毎日来ないとお父さん元気がなくなるから」
Hさんは奥さんとの「会話」で元気をつけているのでした。
私が退院の頃、Hさんは食堂で離れて入るのですが、自分で水差しを掴んで水を飲むまでに回復していました。
戦争責任とは?「国体」とは?
2015-09-12
いつの間にか、権利の行使である年次休暇をないがしろにして国民一律の馬鹿祝日を増やす政府は、位置の間にか9月22日の秋分の日を23日に移して22日を「国民の日」とやらにしてしまった。
天文学上の期日をずらすのもめちゃくちゃであるが、その後を「国民の日」とはナンジャラホイである。
まさしく、いかにも「非国民の日」である。
「国体」とはなんなのか? ところで、天皇制とはなんなのか?なんだったのか?
元“軍国少年”の天皇批判 渡辺 清著 『砕かれた神」 うぃんぐ出版企画センター
「歴史の偽造」が策動され、昭和天皇の「戦争責任」も不問にし、天皇を「平和主義者」とするような「歴史教科書」が登場しようとしている。本書は、反動派が模範とする天皇を神格化した戦前教育を信じきり、十六歳で海軍に志願、終戦時十九歳の元“軍国少年”の激変する天皇観と、終戦直後の富士山麓の農村での生活を綴った手記である。終戦の年の九月二日に始まり、翌年四月二十日で終わる、八カ月弱のことである。
九月二日、「『天皇陛下が処刑されるかもしれない』という噂が村うちに流れている。……天皇陛下といえば、『神聖ニシテ侵スヘカラス』『一天万乗の大君』であり、『現人神』であり、この国の『元首』ではないか。その天皇陛下が、たとえ噂にもせよ絞首の刑に擬せられているとは、考えるだけでも畏れおおいことだ。……この噂が本当だとしても、天皇陛下が敵の手にかかるようなことはまずないだろう。……立派に自決することによって、なんぴとも侵し難い帝王の帝王たる尊厳を天下にお示しになるだろう」という思いが一変するのは、天皇がマッカーサーを訪問し、例の写真が新聞に載った九月三十日のことである。
「こんなことがあってもいいのか。……訪ねた先方の相手は、おれたちがついせんだってまで命を的に戦っていた敵の総司令官である。『出てこいニミッツ・マッカーサー』と歌にまでうたわれていた恨みのマッカーサーである。……天皇には恥というものがないのか」「おれのこれまでの天皇にたいする限りなき信仰と敬愛の念は、あの一葉の写真によって完全にくつがえされてしまった。おれは天皇に騙されていたのだ」
十一月二日、「天皇は伊勢神宮に参拝して、『終戦の報告』をしたというが、無条件降伏をしてしまって、いまさら伊勢神宮でもあるまい。だいいち神様なんか戦争になんの関係もない。実際、戦争で苦しみ犠牲になったのは、ほかでもないわれわれ国民なのだ、とすれば、そんなことよりも先ず国民にむかって、敗戦の責任を明らかにして謝罪すべきではないのか」
「天皇に裏切られた」との悔いは、彼を“軍国少年”に仕立てあげた連中への怒りとなる。大政翼賛会の役員として幅をきかせ、「天皇の大御心」「日本は東亜の盟主」などと扇動していた小学校の校医が、青年団員を集め、「こんどの戦争は、正義の戦さとか、聖戦とか言われていましたが、それは真っ赤な嘘で、実は侵略戦争でした。……これからは民主主義に徹して」と話をする。「おれは聞いていてこっちが恥ずかしかった。前非を悔い沈黙しているならまだしも、ついせんだってまでお先棒をかついでいた軍国主義に臆面もなくさかしらな批判を加え、民主主義だの文化国家だのと説教をたれる」
十一月二十七日、「四辻の電信柱に日本共産党の『天皇制打倒』『人民共和政府樹立』と書いたビラが貼ってあるのをみた。『人民政権』というのは、どんな政権か、具体的にはよくわからないが、『天皇制打倒』については文句なしに賛成だ。それにしてもいままで蛇蝎のごとく嫌っていた『赤』の意見に共鳴するとは、われながら変わったものだ」と、わずか三カ月の変化を語る。だが、その天皇批判は、“特攻隊くずれ”のアナーキーなものと大差なかった。そこに階級的な視点が加わりだすのは、知人からすすめられた河上肇の『近世経済思想史論』と『貧乏物語』を読んでからだった。
農作業が休みとなる正月、彼はこの二冊を読破する。
「資本家階級と労働者階級の対立、資本主義と社会主義の形態、生産力と生産関係、不変資本と可変資本、剰余価値と剰余労働等々、どれも目新しい言葉ばかりだった……。小説以外でこんなに熱中して読んだ本ははじめてだ。中でも(『思想史論』の)『第三講カアル・マルクス』は衝撃的だった。一節ごとにぐいぐい惹きこまれ、探照灯でもあてたように、なんだか急に眼の前が明るくなったような気がした。いままで皆目見当もつかなかった世の中の仕組みというものを、これでいくらかつかむことができたような気がする。うれしかった」
彼の育ち始めた階級的な視点は、共産党の日和見主義をも容易に見抜く。
一月十七日、「共産党が天皇にたいする『態度を修正』した。これはせんだって帰国した野坂参三という幹部と相談して決めたらしい。それによると、『天皇は軍閥、官僚、財閥等とともに戦争責任を有するものであって、その戦争責任は断乎追及……。ただし政治と全く引離された天皇を存続せしむるや否やの点については国民の判断によるべきである』と言っているが、いままで『天皇制打倒』できた共産党が、ここへきてどうして天皇の存否は『国民の判断による』というふうにその態度を変えたのか……。この声明は、(大多数が天皇を崇拝しているという)『国民の判断』にもたれかかって、結局は天皇存続に手をかすことになる。……天皇に対する国民の判断が誤っていたらそれをキチンと正しくしていく。それが政党の任務ではないのか」
二月一日、河上肇の死を知り「夜、静かに襟を正すような思いで、(前述の)二冊をひらき、とくに傍線を引いておいたところを丁寧に読み返す。おれはこれからもっともっと勉強して河上博士のようなものの考え方を自分のものにしていきたい」と記す。
四月二十日、職に就くために上京する日、天皇との決別の意を込め、「忠実な兵士」として下賜された金品を四千円余と計算、天皇宛てに送りつける。
その後、「戦没学生記念会」や「思想の科学」等で活動するが、その評価は別にして、元“軍国少年”に芽生えた天皇(制)批判が、感情的なものから意識的なものへと移っていく過程は、興味深い。厳しい農作業や田園風景、農地改革で揺れ、戦後民主主義に適応していく大衆の変化等、十九歳の青年とは思えない豊かな表現力も、この手記の魅力である。
(2001年3月・康)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国際金融資本と明治維新、戦争責任と天皇制に関するページ。
「屈辱の日」、三日後「血のメーデー」
終戦からの米国依存と昭和天皇
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A級戦犯の代わりに罪を問われなかった最高責任者
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