fc2ブログ

もうすぐ北風が強くなる

葬式よりも静かな国会:小沢

 小沢

   私の四十年前から今を見る  小沢一郎氏「あの頃は国会も自民党もエネルギーがあった」  5/13  日刊ゲンダイ

 当時のことで印象に残っているのは、ベトナム戦争の終結(1975年4月)と田中内閣の崩壊(74年12月)だね。
 国会議員の若いので一緒にベトナムに行ったんです。
 大使館は嫌がったけど、ベトコンの激しいところまで行って、そうしたら前を走っていた米軍の軍用車が爆破された。
 その途端に銃撃戦が始まって。機関銃って「ダダダダ」なんて音はしない。「カタカタ」って乾いた音だった。大使館員は青くなっていたけれどね。
 あの時、もうアメリカは勝てないと思った。

 田中先生が(首相を)辞めた時はショックだった。
 なんで辞める必要があったのか、今もってわからないけれど。田中先生はああ見えて、実はものすごく神経がこまやかなんです。
 文芸春秋で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」という文章が出て、あんなのなんてことないのに、先生は「血圧が上がって、血糖値が300くらいになった。大変だ」って言って結局、辞めてしまった。
 それでいったら、僕なんて犯罪人扱いされたんだから、血糖値1000ぐらいになってたっていいくらい(笑い)。
 とにかく辞めたのは残念だった。

 あの頃は国会も自民党もエネルギーがあった。
 日中国交正常化の時なんて自民党の総務会が荒れて荒れて。1年生の時、佐藤栄作首相の施政方針演説を集団で欠席したりもした。
 国会は55年体制で中身は自社談合なんだけれど、表ではワンワンやった。議場の入り口に座り込んだ社会党議員を、突き飛ばして、どかしたり。
 当時は自民党議員の方が若くて、社会党は年寄りが多かったから、すぐやっつけちゃった。

 今は自民党も野党も喧嘩しない。おとなしい。
 だから官邸はいい気になって何でもやる

 安保法制だって、委員会で机を突き飛ばしてでも反対する、っていう騒ぎになったら、そう簡単にいかない。
 マスコミも報道するし、国民の関心も高まる


 驚くねえ。国会が静かで葬式みたい。お経の声さえ聞こえてこないよ。

 75年といえば、12月に三木内閣で科学技術庁の政務次官になった。同期で一番最後。若かったからね。
 誰もやりたがらなかったのが科技庁だったけど、後になってみれば、やってよかった。
 ちょうどその頃、原発の商業化のための研究がなされていて、原子力というのは安全で安上がりで準国産エネルギーだって官僚から教えられた。

 その時、いま問題になっている高レベルの廃棄物について「どうするんだ」と聞いたら、「ガラス固化技術ができておりまして、大丈夫です」という説明だった。
 でも、日本みたいな断層が入り乱れているところは、(地震によって)地下でガラスが壊れる可能性があるから全然安全じゃない。
 その当時は私も疑問を挟むほどの知識がなかったけれど、40年後のいまでも同じ技術しかない。結局全然、進歩していない。
 高レベル廃棄物の処理方法は見つかっていない
んです。
 社会も人間も、40年じゃ変わらないんだよね。
関連記事

 | HOME | 

 

プロフィール

もうすぐ北風

Author:もうすぐ北風
こんにちは。
いろんな旅を続けています。
ゆきさきを決めてないなら、しばらく一緒に歩きましょうか。

最新記事(引用転載フリー)

カテゴリ

経済一般 (118)
経済一般~2012冬まで (161)
日本の経済 (224)
通貨戦争 (70)
ショック・ドクトリン (12)
震災関係 (23)
原発事故発生 (112)
事故と放射能2011 (165)
放射能汚染2012 (192)
汚染列島2013-14 (146)
汚染列島2015-16 (13)
福島の声 (127)
チェリノブイリからの声 (27)
政治 (413)
沖縄 (93)
社会 (316)
小沢一郎と「生活の党」 (232)
健康と食 (88)
環境と地球の歴史 (28)
未分類 (175)
脳卒中と入院 (7)

カウンター

最新コメント

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

このブログをリンクに追加する

カレンダー

04 | 2015/05 | 06
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

最新トラックバック

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

Template by たけやん