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もうすぐ北風が強くなる

県民の怒りは日本に広がる:目取真俊

 沖縄基地

   沖縄在住の作家・目取真俊氏 「県民の怒りは日本に広がる」  3/30  日刊ゲンダイ

  海保の排除手法はまるで「海の公安」

 沖縄県と安倍政権との対立はもはや、さながら戦争状態だ。
 基地移設反対の沖縄の民意を無視し、抗議する人々を排除し、翁長雄志知事が辺野古への移設関連作業の停止指示を出せば、その執行停止を申し立て、官房長官が「(翁長知事の指示は)違法だ」「無効だ」とわめきたてる。
 そこから見えるのは力による民主主義の否定と、沖縄蔑視だけではないか。
 沖縄で抗議活動を続ける芥川賞作家、目取真俊氏(54)に聞いた。

――沖縄の辺野古移設反対の民意は明確なのに、それを無視して政権が“悪いのは沖縄だ”と言わんばかりですね。

「沖縄防衛局は昨年9月以来、約半年ぶりに海底ボーリング調査を再開しています。
 この間、沖縄県知事選挙と衆議院選挙がありました。いずれも辺野古新基地建設反対を公約に掲げた候補者たちの圧勝でした。県知事選挙では翁長氏が仲井真氏に10万票近い大差をつけ、衆議院選挙では県内全選挙区で自民党候補は落選しました。
 生活の党、社民党、共産党、無所属の候補が選挙区で当選するというのは、ヤマトゥ(日本本土)では考えられないことだと思います。
 日本政府・防衛省の調査再開は、この沖縄の民意を踏みにじるものです。
 調査を中止して計画自体を再検討すべきであり、警察や海上保安庁の暴力を使って調査を強行するのは許されません

――目取真さんご自身、行動する作家として抗議活動に参加していますが、辺野古の現場では、どのようなことが行われているのでしょうか。

「昨年7月からキャンプ・シュワブのゲート前(陸)と海の両方で抗議行動に参加してきました。
 陸の方では県警機動隊を使った弾圧がエスカレートしています。
 昨年7月の最初の頃は抗議行動の参加者も数十人単位で、民間警備員も数人しかいませんでした。抗議行動が大きくなるにつれて、ゲートの警戒や弾圧体制も強化され、機動隊による市民の強制排除も頻繁に行われるようになりました。
 女性やお年寄りが機動隊に押し倒されてけがをしたり、基地のガードマンが現場のリーダーを拘束する事態も起こっています。
 暴力的弾圧により力で県民の運動を抑え込むという政府の意思がはっきりと見えます」

――それは海上でも?

「海上保安庁の保安官たちが、拘束のためにカヌーを転覆させたり、海に落ちたカヌーメンバーの顔を海に沈めて海水を飲ませる嫌がらせを行っています。
 抗議船にも乗り込んできて、船長や乗員はけがを負わされています。肉体的・精神的ダメージを与えて海に出られなくしようという意図が見えます。
 メディアが報じると一時的にやみますが、しばらくすると暴力を繰り返す。
 辺野古に来ている海上保安庁のメンバーは、人命救助を目的に来ているのではありません。海上での犯罪に対処する『海の公安警察』であり、テロ対策や外国の密輸・密漁船と同じ感覚で市民のカヌー、抗議船に対処すれば、けが人が出るのは当たり前です」

  暴力で心を抑圧することはできない

――安倍政権はなぜ、民意を無視し、事業を急ぐのでしょうか。

「既成事実をつくって埋め立ての本体工事に入れば、沖縄県民に諦めムードが広がり、抗議行動も停滞、縮小するという判断を政府は持っているのでしょう」

――最初から沖縄の民意なんて聞く気がない?

「ここで見なければいけないのは、現場の機動隊や海保に強硬な弾圧を指示している安倍首相、菅官房長官の沖縄県民に対する姿勢だと思います。
 沖縄県民がどれだけ反対しても無視し、力で抑え込もうという安倍政権の意思が現場での機動隊・海保の暴力として表れています。
 人間には自尊心もあれば誇りもあります
 暴力で抗議行動を抑えつけても、心まで抑圧することはできません
 暴力は人の心に怒りと憎しみを呼び起こします。翁長知事と対話することさえせず、暴力を使って『粛々』と作業を進める安倍政権のやり方は最悪の手法です。
 それは沖縄県民に政府への敵愾心と怒り、反ヤマトゥ感情を増幅させるだけです」

――菅義偉官房長官は「日本は法治国家だ。法令に基づいて粛々と進めていくのは当然」と言い放っている。一方、安倍政権は翁長知事といまだに面会すらしません。

「安倍首相や菅官房長官は、辺野古新基地建設が県民の大多数から拒否されているのを知っている
 自らに正当性がないのを自覚しているから、翁長知事と面会せず、法令という形式面を強調するのでしょう。
 しかし、機動隊や海保の暴力を使って工事を強引に進めれば、沖縄県民の心情はどんどん悪化し、政府だけでなく日本全体への反発、離反意識が強まるでしょう」

――安倍政権は改憲にも突き進んでいます。目取真さんは「憲法と日米安保条約はセット」と唱えていますね。

「憲法学者の古関彰一氏の著作から学んだことですが、日本国憲法1~8条の天皇条項と憲法9条、沖縄の軍事基地集中は三位一体のものとして成り立ったということです。
 第2次大戦後、米国は日本の占領統治を円滑に進めるために天皇制の維持を必要とした。
 しかし、それは日本に侵略されたアジア諸国に不安と反発を引き起こす。
 そのために憲法9条で日本を非武装化し、再び侵略国家とならない担保をつくった。
 同時に共産圏の拡大を狙うソ連に対抗するために沖縄に巨大な米軍基地を造ったという構図です。
 日本の戦後は、憲法9条と日米安保条約の間に横たわる矛盾を沖縄に米軍基地を集中させることで大多数の国民の目からそらし、国民の側もまた見ないふりをして米軍基地提供に伴う負担を回避してきたのではないでしょうか」

  中央のメディアのうぬぼれと沖縄差別

――沖縄地元紙の報道と異なり、在京メディアはほとんど問題を報じません。

「メディアが政府の代弁者となれば、それはジャーナリズムとしての死だと思います。
 政府の方針に何でも反対しろという短絡的な考えではありません。政府の方針を検証し、誤りや不当性があればきちんと批判していくことです。
 辺野古新基地建設を進める日本政府の沖縄に対する今の姿勢に疑問を抱かないとすれば、それは政府の立ち位置に同一化してジャーナリストとしての批判精神を失っているとしか思えません。
 また、そもそも関心がないなら、ジャーナリストとしての感度が鈍っているか、沖縄に基地を押しつけておいてかまわない、という差別意識があるからでしょう。
 東京に住む人たちは自分たちが日本の中心にいて、あらゆる情報が集まってくるので、もっとも多くの知識に恵まれ、広い視野で見ること、考えることができている、とうぬぼれているのかもしれません。
 しかし、沖縄のことは、どれだけ見えているでしょうか」

――メディアにも差別意識がある?

「日本と沖縄の間の断絶はこの10年でも拡大する一方です。
 沖縄の中では、もはや日本を見限った方がいい、日本は沖縄を利用することしか考えず、基地問題をどれだけ訴えても関心を持たない日本人に期待してもしょうがない、という意識が広がっていると思います。
 私はもうヤマトゥのメディアが報道しないことを嘆くこと自体バカバカしいと感じています

――今後について、どうみていますか?

「辺野古や高江に来て抗議行動に参加する人たちは、インターネットで情報を得たり、ドキュメンタリー映画の自主上映で現状を知った人たちがほとんどです。
 現場の状況をツイキャスする人も多く、日々の活動を知らせるツイッター、ブログ、フェイスブックがいくつもあります。
 大手メディアの情報発信力は巨大ですが、実際に行動する人たちは自力で情報を得る力を持っています。
 日本人全体が無関心でも、沖縄県民が本気で実力行動を起こせば、基地撤去は実現可能です。
 数千人単位で嘉手納基地の主要ゲートを封鎖し、基地機能を1週間停止させれば、日本政府が何をしようと、米政府は在沖米軍を撤退させるでしょう

▽めどるま・しゅん 1960年、沖縄県今帰仁村(なきじんそん)生まれ。琉球大法文学部卒。83年、「魚群記」で第11回琉球新報短編小説賞受賞。86年、「平和通りと名付けられた街を歩いて」で第12回新沖縄文学賞受賞。97年、「水滴」で第117回芥川賞受賞。
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ユダヤ人と紙幣(信用)創造:ひょう吉の歴史探検

15伊monte
 15世紀イタリア、モンテパスキ銀行証券

 「ひょう吉の歴史探検」から、コロンブスからイングランド銀行に至るユダヤ人と国際金融、紙幣(信用)創造と帝国主義の部分を三題抜粋して紹介します。
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   金儲けの歴史2 スペインのユダヤ教徒

コロンブスが行きたかったのはインドであった。
しかし彼がたどり着いたのはインドではなかった。
彼は終生そこをインドだと思ったいた。
その名残は今のアメリカフロリダの南部一帯の諸島(キューバ、ドミニカ一帯)を今でも西インド諸島という言い方に残っている。
つまり西インド諸島はインドとは似ても似つかぬ所にある。

彼が発見した新大陸からは莫大な銀がヨーロッパにもたらされることになるが、それはコロンブスの死後のことである。
コロンブス自身は失意のうちに死んだ。

彼の目指したインドへの航路は、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマによって開拓されていた。
コロンブスの発見した新大陸との貿易とともに、インド貿易が開けてくる。
スペインはこの貿易によって莫大な利益を上げるが、それもそう長くはつづかなかった。

コロンブスが新大陸を発見した1492年という年は、実はスペインが国内からイスラム勢力を追い払った(国土回復運動・レコンキスタ)年でもある。
それまでスペインにはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が共存していたが、このレコンキスタの完成によって、異教徒は国外追放にされた。

ここで注意すべきはイスラム教徒のみならずユダヤ教徒も国外追放にされたことである。

実はスペイン国内で商業と金融の実権を握っていたのはユダヤ教徒である。
キリスト教徒(カトリック)は利益を求めることを神の教えに反するとしていた。
金融で利子を取ることも認められていなかった。

しかしユダヤ教徒はそうではない。
彼らにとって、商売で利益を上げることは何ら恥ずべきことではなく、また金融業で利子を取ることも当然のことであった。
その彼らが追放されたのである。
彼らの多くはオランダにたどり着くことになる。
当時オランダはスペインの領土であり、オランダという国はまだ無かった。

利益追求を恥じるキリスト教徒と、利益追求を当然のこととするユダヤ教徒。
利益を追求することによって初めて商売は成立する。そのことに長けていたのはユダヤ教徒であった。
宗教改革以前のキリスト教徒は利益追求を恥ずべきことと考えていた。

ではなぜコロンブスは遠洋航海をしてまで利益を追求しようとしたのか。
キリスト教の教えと反するではないか。
実はコロンブスはユダヤ教徒だとする説がある(ゾンバルトの説)

それを論証する力は私にはないが、船乗りたちの一攫千金を夢見る考えは明らかに
キリスト教の倫理観とは違っている。

『太陽の沈まない国』といわれたスペインがその後急速に衰退していく原因は、一般に新大陸からの銀の輸入に頼りすぎたからといわれるが、
最大の理由は商売に長けたユダヤ人が国内からいなくなったからである。

利益を求め一攫千金を夢見るユダヤ人たちの発想はこの後、スペインから彼らが移住したオランダに受け継がれる。

   金儲けの歴史4 銀行の成立

世界で初めての銀行が成立するのは1609年のアムステルダム為替銀行である。
宗教改革を経たとはいえ、まだイギリスのピューリタン革命は起こっていない。
そのような近代の黎明期に市民革命に先立って銀行が発生したのは注目すべきことである。
場所はやはりオランダである。

このような金融業の中心となったのがユダヤ人である。
宗教改革が起こったとはいえ、キリスト教社会ではお金にからむ仕事は罪悪視されていたため、今や金融業はユダヤ人の専売特許になった。

ユダヤ人はもともと金貸し業を営んでいた。
金貸しをするぐらいであるから、彼らは常に泥棒に狙われる。
その防御のために彼らは立派な金庫を持つようになる。

治安の良い日本ならばそれで終わりの話であろうが、西洋は治安の悪い国である。
少しでも金貨を持っている者はいつ泥棒に入られるか不安でたまらない。
そこで彼らはユダヤ人の金貸し業者に自分の金貨を預けるようになる。
預金という行為はこのようにして始まる。

預金というのは考えてみれば不思議なものである。

自分のお金の安全を図るために他人にそれを預かってもらっているのに、預かってもらった上に利息が付いて返ってくる。
それが現在の銀行預金であるが、この当時はそうではなかった。
金貨を預けた者がその金貨を保管してもらうことに対して逆に手数料を払わなければならなかった。
今で言えば預金者が銀行に手数料を払わなければならなかったのである。

金貨を預けた者は手数料を払い、その代わりに預かり証を受け取った。
金貸し業者は自分の責任で他人の金貨を金庫の中に大事に保管した。

ところが彼ら金貸し業者は一つのことに気づいた。
それまで彼らは自分の金貨を他人に貸していたのだが、借り手が増えてくると自分のお金だけでは足りなくなる。
自分の手持ちの金がないからそういう借金の申し出を初めは断っていたが、
金庫の中の自分の手持ち資金の横には、他人から預かった金貨がうずたかく積まれている。

本来ならば人様のお金に手をつけることはできないのだが、彼らは経験上、それらの金貨の引き出しが同時に発生することはありえず、決して金庫の中が空っぽになることはないことに気づいていた。

時々金貨を引き出しに来る人があっても、すべての客が同時に引き出しに来ることはあり得ないことを経験上知ったのである。
金庫の中には預かった金貨の一部さえあれば、いつでも顧客の金貨引き出しに応ずることができた

ということは、人様のお金であっても、それを借りたい人があれば、貸し出しをして誰も困らないし、自分の儲けにもなる。
そういうことを思いついたのである。

時代は、新大陸との航路やインドへの航路が開け、海外貿易に乗り出し一攫千金を夢見る男たちが増えていた時代である。
彼らはそのような事業に投資する出資者を求めていた。
『オレに投資しませんか、オレに金を貸してください、何倍にもなって戻ってきますよ』
そんな男たちがいっぱいいたのである。
金貸し業者に対する借り入れの申し込みは増える一方であった。

そこで金貸し業者は、顧客の金貨を使って投機的な貸し出しを行い、それに対する利息を得て、ますます儲けていった。
そればかりかオランダのアムステルダムには世界中の資金が流れ込み、世界金融の中心地となった。
アムステルダム為替銀行はこのようなことを制度化する必要から生まれたものである。

ところが金貨を預けた側もだんだんそのことに気づくようになる。
『お前はオレの金を使って金貸し業をして、それで儲けている。その儲けは本来オレの儲けだ。』というわけである。

そうすると金貸し業者はしぶしぶ、
わかった。それでは儲けの一部を分配しよう。

こうやって預金者に利息が分配されるようになる。
これが今の銀行預金の形態になるのである。

ところがこのような金貸し業は次の事態へと発展していく。

金貨を金貸し業者に預けた顧客は、金貨の『預かり証』をもらっている。
その『預かり証』がお金になっていくのである。

例えばAという預金者が、Bという預金者から何か商品を買うとき、
Aは『預かり証』を持って金貸し業者のところに行き、それを金貨に変えてもらい、その金貨でBに支払をするが、Bはそこで得た金貨を保管のためにまた金貸し業者のところに持っていき、また『預かり証』を受け取るのである。

これを繰り返すうちに、AはBに直接『預かり証』で代金を支払うようになる。
これは途中の手間を省いただけで、結果は同じことである。
つまり金貸し業者の発行した『預かり証』が金貨と同じように流通し始めるのである。
これが紙幣の誕生である。

現在の日本の紙幣もこれと同じ仕組みを取っている。
日本人は日本の紙幣は政府が発行したと思っている人が多いが、
よく見てみると1万円札には『日本銀行券』と書いてある。
これは政府が発行したものではなく、日本銀行が発行したものである。
この制度は今言ったようなヨーロッパの制度が日本に流入したものである。

しかし日本人が紙幣は政府が発行したと思っているのが間違いかというと、あながちそれは間違いではなく、
江戸時代に諸藩が発行した藩札は、藩を一つの地方政権だと考えれば、政府紙幣に近いものである。
また明治新政府が、戊辰戦争や西南戦争の戦費をまかなうために発行した太政官札や民部省札というのは政府紙幣である。
そういう形を近代化の過渡期の変則的な形だと思う必要はない。
紙幣には本来、政府紙幣と銀行券の2種類があることは経済学の教科書にも載っていることである。
現在でも政府紙幣の発行は政府内で検討されている。

ここでヨーロッパで何が起こったかということが大事である。

お金の発行元が変わったのである。
金貨・銀貨はそれまで確かに国家が発行するものであった。
国家が貨幣の発行権限を持つのはローマ帝国以前から行われてきたことである。

ところがヨーロッパでは紙幣の発行に際して、その発行権が国家から銀行へと変わったのである。

理屈は合っているように見えるが、このことがどのような意味を持つかはまだいくつかの段階を経なければ明らかにならない。

   金儲けの歴史5 イングランド銀行

銀行家は金庫にねむる預金者から預かった金貨を他人に貸してその利子によってますます富を蓄えていったが、
よく考えてみるとわざわざ金貨を貸す必要がないことに気づいた。

というのは、預金者から預かった金貨と引き替えに発行した『預かり証』がすでに紙幣として流通し始めていたからである。
わざわざ金貨を貸し出さなくても、この『預かり証』を紙幣として発行すればいくらでもお金を貸すことができることに気づいたのである。

銀行家が発行する『預かり証』は本来は銀行家の金庫にねむる金貨の量に見合うものでなければならなかったのだが、そんなことに気づく者は誰もいない。
銀行家はその気になればいくらでも紙幣となる『預かり証』を発行することができたのである。

これが『銀行券』の誕生である。
この『銀行券』という紙幣を本格的に発行する銀行として誕生したのが、1694年のイングランド銀行である。
イギリスという小さな島国がなぜ7つの海を股にかける大英帝国に発展することができたかという秘密もここにある。

当時のイギリスは市民革命(ピューリタン革命、名誉革命)を成し遂げたばかりであった。
それまでの王に代わって新しく迎えた王はオランダの総督であったウィリアム3世である。
(※北風 オラニエ公ウィレム。現在ビルダーバーグ会議の主催者は彼の子孫である。)
このオランダ出身の王に一緒について来たのが、オランダで金融業に精通した多くのユダヤ人であった。

イギリスのロンドンはオランダのアムステルダムに代わって世界の金融の中心になる。その金融街がロンドンのシティである。

内乱を終えたイギリスはそれも束の間、フランスとの激しい植民地争奪戦争に向かわなければならなかった。
戦争にはお金がかかる。

そこで頼ったのが銀行である。
政府は銀行にはいくらでもお金があると信じた。
実際には銀行にはお金はなかったのだが、銀行は今言ったような経緯からいくらでも紙幣を印刷し、それを誰も怪しまないようになっていた。

どんなお金でもお金として通用する以上、資金力の差が戦争の勝負を決する
イギリスとフランスの国力の差はなかったが、戦争のための資金調達の面で決定的な違いがあった。
イギリスは国債を発行しそれをイングランド銀行に引き受けさせることによっていくらでも資金を調達することができた。

1700年代を通じて、イギリスとフランスはアメリカ植民地をめぐって何回も戦うのだが、最終的にアメリカ植民地はイギリスのものになった。
イギリスはフランスに勝利したのである。
これと同じことはインドにおいても起こっており、イギリスはフランスと戦ったが、ここでもイギリスが勝利している。

つまりイギリスはアメリカもインドも手に入れたのである。
それはイギリスがイングランド銀行といういくらでも紙幣を発行できる『打ち出の小槌』と結びつき、そこから無尽蔵の資金提供を受けていたからである。

銀行はこのようにして無から有をつくり出し、その資金を政府に提供していた。

しかし借りたものは返さなければならない。いくら無から有をつくり出した紙幣であるとはいえ、国債を発行してお金を借りている以上政府はイングランド銀行に対して借金の返済をしなければならなくなる。
その返済額は莫大なものである。

(※北風 元金については信用創造なので借り換え処理が可能であるが、金利を払わないわけにはいかない。紙幣増刷によってインフレがと金利高騰が続くために、金利負担だけでも莫大な額となってゆく。)

イギリスは国民からの増税に頼るが、その増税も限界に達し、今度は植民地アメリカに重税を課そうとする。
それへの反発から起こるのが1775年のアメリカ独立戦争である。
この結果アメリカはイギリスから独立するのである。

こう見ると、一見世界の覇者はイギリスのようだが、本当の勝者はイングランド銀行である。
イングランド銀行は国家と結びつくことによって大きくなり、戦争をするたびに絶大なる力を持つようになった。

やがてイングランド銀行は国家の財政を管理する『政府の銀行』となり、国家の紙幣を発行する『発券銀行』となる。
しかしこのような銀行はあくまで民間の銀行である。

ここでお金の流れは、国民 → 国家 → 銀行、と流れていく。
最終的に国民の富は銀行に流れる仕組み
が作られたのである。

このような時代にロスチャイルド家は登場する。
ちなみに、このことは最近高校の教科書に記述されるようになった。

『名誉革命後のイギリスでは、1694年にイングランド銀行が創設され、政府の発行する国債を引き受けた。……イギリス政府は、戦争時、容易に大量の国債を発行することができるようになったが、その利子を払うために、国民にますます思い税を課すようになっていった。……イギリス政府は、大量の国債を発行してその利子を税金で支払いつつ、対フランス戦争を戦い、植民地を拡大する政策を進めた。』
(新編 高等世界史B 新訂版 帝国書院 P212~213)
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 以下は資本主義と国際金融寡頭勢力に関連するページ。

世界通貨戦争(2)表向きの混乱
国際金融資本の成立
信用創造と言えば聞こえは良いが
信用創造とは
通貨、金利と信用創造の特殊な性質
信用創造(3)無政府的な過剰通貨
金(gold)のバブルは崩壊し始めた
動乱の2012年(3)通貨と国債、デ・レバレッジ:吉田
国際金融資本が仕掛けたヨーロッパの危機
通貨戦争(66)金の暴落…….! 
野村・モンテパスキ事件と国際金融寡頭勢力
英中銀がナチスに協力、チェコの金を売り払う
9.11の謎、ユダヤ人と国際金融資本
軍産複合体とは?国際金融資本の凶暴な片割れ
軍産複合体とは?アシュケナディムとシオニスト
通貨戦争(69)金貨価格の不正操作
伝説の詐欺師ジョン・ロー、国債と通貨の増刷:野口
SWISS LEAKS 国際金融資本と米国
中国は金の値決めに影響力を持ち始める
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食の裏側、野菜サラダ

   某ファミレス「人気サラダ」の裏側  2014/6/10 河岸 宏和  東洋経済オンライン

N君:あっ、サラダが来ました! 健康のために、外食ではサラダをよく頼むようにしているんです。

河岸:でも、このサラダ、工場で切って運んできた「カット野菜」だよ。「次亜塩素酸ソーダ」(消毒液)で何度も洗浄しているから、味も栄養もかなり抜け落ちているよ。

N君:えっ!? マジですか!?

前回に引き続き、ここは都内某所にある大手ファミレス・チェーン店です。新刊『「外食の裏側」を見抜くプロの全スキル、教えます。』執筆のための“市場調査”で、編集者のN君(34歳)と一緒に足を運びました。

前回は、この店の「人気ハンバーグの裏側」を紹介しました。自他共に認める「肉のプロ」として、「植物性タンパク」でカサ増ししたハンバーグに激怒したという話をしましたが、今回、取り上げるのは「人気サラダの裏側」です。

N君のように、健康に気遣って、外食でよくサラダを頼む人は多いものです。ファミレスでもイタリアンでも居酒屋でも、サラダは人気メニューのひとつです。
でも、そのサラダ、本当に「おいしい」と思って食べているでしょうか? 野菜本来の味がきちんとするでしょうか? ドレッシングの味が「不自然」に濃かったりしませんか?

結論から言うと、ハンバーグ同様、このファミレスのサラダも「ひどい」の一言でした。とりわけ「レタスは論外」とさえ思いました。

しかしそれもある意味、当然です。「儲けのため」「利益のため」に、肉の割合を減らして「植物性タンパク」でカサ増ししたハンバーグを出すような店です。そういう店が、サラダだけは、こだわった「いいもの」を出すでしょうか?

税込み500円以上するので、決して安いサラダではありません。にもかかわらず、何がそれほどよくないのか? なぜ「レタスは論外」なのか?

今回は、某ファミレスの「人気サラダの裏側」を公開します。

  サラダのレタスは2~3日前に切ったもの

N君:このサラダ、「カット野菜」ということですが、この店の厨房で野菜をカットしていないんですか?

河岸:やってないね。工場でカットして「次亜塩素酸ソーダ」(消毒液)で洗浄したものが袋詰めされて入ってくるの。それを店で小分けして、お皿に盛り付けて出しているだけ。

N君:それを「見抜くスキル」ってあるんですか?

河岸:サラダがカット野菜かどうかは「レタスの形と色」を見るのがいちばんわかりやすいと思う。
このレタス、形が「真四角」でしょう。
レタスは金気を嫌うから、本当は手でちぎらなくてはいけない
包丁で切ると、変色しちゃうから。でも、手でちぎったら、こんなに真四角にならない。

N君:ホントだ……。

河岸:もうひとつ「レタスの端の色」を見るの。このレタスは2~3日前に切ったものだね。

N君:なぜ2~3日前に切ったレタスだとわかるんですか?

河岸:レタスの端が茶色く変色しているでしょう。
1日ではここまで茶色くならない。2日以上は経っていると思う。
そんなに時間の経ったレタスを出すなんて、飲食店として論外だよ。

N君:なるほど、サラダの良し悪しは「レタスの形と色」を見ると素人でもわかりやすい、ということですね。

河岸:そう。「形が真四角」で「端が茶色」のレタスは、工場で切って時間の経った「カット野菜」の確率大。
ただ、サラダの上にかかっていたチーズは、注文が入ってから、かけたと思う。チーズは生きていたから。

サラダ
工場でカットして運んできたレタスは「形が真四角」(機械でカット)で「端が茶色」(時間が経過)のことが多い。

  ドレッシングが濃すぎるサラダは「カット野菜」の確率大。「厨房」と「段ボール」も貴重な情報源

健康のために外食ではサラダをよく頼むものの、「ファミレスで食べるサラダは特においしくない……」と感じたことはないでしょうか。

普段、何気なく食べている人も、今度食べるときには、ドレッシングがかかっていない、野菜だけのところをじっくり味わって食べてみてください。
野菜本来の味がきちんとするでしょうか?

ファミレスのサラダに野菜本来の味が感じられないのは、冒頭でも述べたように、「次亜塩素酸ソーダ」(消毒液)で何度も洗浄し、おいしさも栄養も抜けてしまったカット野菜を使っているからです。

だから、濃い味のドレッシングをかけてごまかしているのです。
もちろんそのドレッシングも、添加物がたくさん入った業務用です。

「カット野菜」かどうかを見極めるポイントは、先ほど述べた「レタスの形と色」に着目することですが、もうひとつの簡単なコツは「野菜の味」と「ドレッシングの味」に注目することです。
外食店では、味が抜け落ちた野菜を食べさせるために、ドレッシングの味を妙に濃くしている店が少なくありません。

野菜の味がしないな……。そのわりにドレッシングの味が濃いな……

そういうサラダに当たったとすれば、ファミレスに限らずとも、その店は「カット野菜」を仕入れている確率が高いといえます。

サラダドレッシング
工場でカットして袋詰めされた野菜が店に運ばれてくる。厨房では袋をあけて、皿に盛り付け、ドレッシングをかけるだけ。

もうひとつ、もし可能なら、店の「厨房」と食材の入った「段ボール」をのぞき見ることです。
その2つを見ることで、その店が隠しておきたい「全貌」がわかります。チェーン店はどこも厨房が客席から見えにくい造りになっていますが、通路から垣間見える店も少なくありません。

厨房の中をのぞき見ることができれば、素材(野菜、肉、魚)があるかどうかを見てください。
素材が見当たらない店では、「カット野菜」に限らず、仕入れ品を使っている確率は高いでしょう。

段ボール
「厨房」と「段ボール」は貴重な情報源。店が隠しておきたい「裏側」を垣間見ることができる。

また段ボールも貴重な情報源です。段ボールを見ることで、その中に何が入っていたかがわかります。

「群馬産キャベツ」とあればキャベツを丸ごと仕入れたことになりますし、段ボールに「カット野菜」とあれば、カットしたキャベツを仕入れたことになります。「ひじき煮」などとあれば、ひじきの煮物の仕入れ品です。

こういった段ボールやコンテナは、店の裏口に積まれていることもよくあるので、裏手に回ってみると、その店の「全貌」がわかることもあります。

河岸:そもそも、日本に入ってくる輸入野菜のうち、95%は外食・中食に回されるの。スーパーでは輸入野菜は売れないからね。

N君:確かに、スーパーの売り場を見ると、国産の野菜が圧倒的に多いですね。

河岸:じゃあ、輸入野菜はどこに行くと思う?

N君:……外食ですか?

河岸:そのとおり。外食・中食に回されるの。そのうえ輸入野菜の半分以上は中国野菜なの。ということは……。

N君:僕たちは知らず知らずのうちに「中国野菜」を外食でたくさん食べているということですか!? 知らなかった!

下記の図表1と図表2は、日本における輸入野菜の推移を表したものです。出典は農林水産省が発表している「加工・業務用野菜をめぐる現状」(リンク先PDF)になります。

輸入野菜

出典:「加工・業務用野菜をめぐる現状」(農林水産省)、リンク先でpdfを見ることができます。

このグラフを見てもわかるのは、日本に入ってくる野菜の半分以上は中国産であり、輸入野菜のうち95%は外食・中食で使われているという「事実」です。

第1回目「『680円激安ステーキ定食』の裏側」で、「スーパーで売れない2年前の米が外食に回される」という話をしましたが、それと同じ理屈です。

言うまでもなく、スーパーでは中国野菜は売れないのです。
だからスーパーでは売れない中国野菜が、必然的に外食に回ってくるのです。
スーパーでは避けられているはずの中国野菜の輸入が伸びているのは、ほかならぬ、この理由によります。

生協の宅配をとっていたり自然食品を日頃から買っているような食の意識の高い人は、「うちは中国野菜は買いません!」とよく口にします。
しかしそういう人も、外食するときに、野菜を口にすることは多いと思います。

私は何も「輸入野菜が悪い」「中国野菜が悪い」と言っているわけではありません。
ただ、中国野菜を避けているつもりでも、知らず知らずのうちに、中国野菜をたくさん食べてしまっている「現状」があることを、お伝えしたいのです。

ただ、第1回目の「ニセモノステーキの見抜き方」、今回の「カット野菜の見抜き方」のように、食べ物の「見た目」だけでも、いいもの、おいしいものを見分けることは十分可能です。新刊の中では、そういう誰でもできるスキルを中心に解説しました。

なぜなら、「一口食べて添加物を言い当てる」というようなプロにしかできない高等テクニック(?)を披露しても、マネできないからです。
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