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もうすぐ北風が強くなる

テロを誘発した安倍外交:孫崎

孫崎

   安倍外交が「イスラム国」のテロを誘発した 孫崎享・元駐イラン大使に聞く  1/27  東洋経済オンライン

1月20日、「イスラム国」が拘束した日本人二人の殺害を予告、身代金を要求する事件が起き、日本国民に衝撃を与えた。また、1月24日から25日にかけて、人質のうちの一人、湯川遥菜さんが殺害されたとの情報が伝えられる事態に至った。日本政府は直接の交渉のパイプがなく、厳しい状況に置かれている。

「イスラム国」に標的にされたことの意味や、今後、日本にとって懸念されるリスクについて、孫崎享・元駐イラン大使に話を聞いた。

   安倍首相の中東での発言や行動が事件を誘発

ネタヤエフ安倍
 安倍は中東歴訪の中でイスラエルを訪問、1月19日にパレスチナ大虐殺のネタニヤフイスラエル首相と国旗の前で共同会見。  

――「イスラム国」が日本に矛先を向けてきた背景をどう見ますか。

安倍晋三首相は中東歴訪の中、1月17日、エジプトで「イスラム国」対策のため、としてイラクやレバノンに2億ドルを支援することを表明した。
2億ドルには難民支援、人道支援という名目が付けられている。
しかし、安倍首相は「「イスラム国」の脅威を食い止めるため」、「イスラム国と闘う周辺各国に」としており、利敵行為とみなされる
人道支援や、後方支援といった名目に日本人は惑わされやすい。

戦闘行為、敵対行為の主な部分は、後方支援なのだ
たとえば、アフガニスタンでイスラム原理主義組織タリバンに対する戦闘を担ったのがNATO(北大西洋条約機構)だが、当初はアフガニスタンの経済復興を支援する、との目的を掲げて軍を派遣した。
だが、タリバンからみれば、NATOの行動は敵対行為、戦闘行為そのものである。
当然、NATO軍の進出に武力で攻撃し、NATO軍も反撃する。
こうした戦闘の連鎖により、当初の経済復興支援という看板とは異なり、2014年に終了するまで長期にわたる大規模なアフガニスタン派兵となった

また、安倍首相は今回、イスラエルを訪問して、イスラエルと日本の両方の国旗の前で、ネタニヤフ・イスラエル首相と両国が連携を強化することを表明した。
これまでもイスラエルとの対話はあったが、このような形式をとることはなかった。
イスラエルとはサイバーテロや無人機など安全保障関連分野での提携を深めようとしている。
イスラム社会の反発は当然、予想されることであり、安倍首相は配慮が足りない。

「イスラム国」の立場からみれば、イスラエルを含む中東諸国を訪問して、公然と「イスラム国」に敵対する示威行動をしたに等しい
「イスラム国」は今回の安倍首相のカイロでの発言を、宣戦布告と見なし、湯川遥菜さん殺害につながってしまった。
安倍首相の中東歴訪と2億ドルの人道支援声明が、残念な結果をもたらしたことになる。

安倍首相の発言はタイミングも最悪であった。
西洋社会とイスラム社会との対立感情はここ数年でかつてなく、高まっている。
とくに、今年1月、パリで起きたイスラム過激派による風刺新聞社「シャルリ・エブド」襲撃事件に対し、フランスのオランド大統領が先頭に立って組織したパリ大行進は、「西洋世界対イスラム世界」の戦いを世界に印象づけた。
さらに、フランスはシリア沖に空母を派遣し、「イスラム国」との対決を鮮明にしていた。

「シャルリ・エブド」紙が掲載した預言者ムハンマドへの風刺画は、多くの識者が指摘しているように、イスラム教やイスラム世界への風刺といったものではなく、誹謗、中傷のレベル
フランス政府も国民もこれを止めようとはせず、さらに表現をエスカレートさせている。
言論、表現の自由にも一定の節度があるはずだ。

それぞれの側で過激な行動に走る人々は少数派だが、イスラム世界は、西洋社会の挑発と迫害が強まったと感じている。

  イスラムとの友好という貴重な財産を失う恐れ

――イスラム社会の日本への見方が変わってくるのでしょうか。

1973年の第1次石油危機後、日本はアラブ・イスラム諸国と良好な関係を築いてきた。
アラブ・イスラム諸国も、日本に対して友好的な感情を抱いてきた。
アラブ・イスラム諸国との友好的な関係という貴重な財産が、安倍首相の前のめりの外交政策により、毀損されるのではないかと強く危惧する。

わたしが外務省に在職していた1980年代に、イスラエルに赴任する大使に向かって、幹部が「現地であまり仕事をするな」と言ったのを覚えている。
日本がイスラエル寄りの国であると思われることにはリスクがあったからだ。
そういう感覚は安倍首相にはまったくないようだ。

1979年11月にイランの米国大使館占拠事件があった。
その後、そこは、年に1度一般に開放されるが、展示の第1室が「広島・長崎への原爆投下」であり、「日本こそは米国の最初の犠牲者である」とされている。
イスラム過激派の心情においても、日本は敵ではない、とされていた

国際社会から承認された「国家」ではないとはいえ、「イスラム国」が日本を西洋世界によるイスラム世界包囲網に与する「敵」と見なしたことの意味は大きい。
イスラム教やイスラム世界を「テロリズム」と結びつける言説が、世界の大衆の間で広がっている。
日本でも今回の湯川さん殺害事件でそうした印象が強まってしまう
だろう。

しかし、イスラム教やイスラム世界を暴力的だと見なす風潮は、欧米メディアの宣伝の結果だ
本来のイスラム教は預言者のムハンマドの出自から明らかなように商人の宗教であり、平和を愛する教義である。
西欧列強が介入する前のイスラム社会は、ほかの宗教を信じる人々と共存していた
自らは攻撃しない。しかし、イスラム教は攻撃されたり、迫害されたりした場合には、抵抗し、抗戦する権利を認めている。

  「米国が東アジアで守ってくれる」というのは幻想

――安倍首相は昨年、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈を閣議決定し、今年中に、行使を可能にする法改正を行います。

安倍政権の前のめりの外交政策には、2つの要因があると考える。

第1には、米国の要望に従い、集団的自衛権の行使などを進めて、日米同盟を深めないと、東アジアの危機に際して米国の支援が得られにくいと危惧しているのだろう。
東アジア危機とは尖閣問題や北朝鮮有事が念頭にある。
しかし、東アジアで米国が何かをしてくれるという期待は幻想に過ぎない。
中東などで日本が後方支援をすれば、日本を東アジアの有事から守ってくれるわけではない

米国のラムズフェルド元国防長官は、「今後の米国の外交政策は案件ごとの組み合わせで決まる」という趣旨の発言をしている。
発言の裏を読むと、「米国は必ず(中国から)日本を守るわけではない」になる。これが本音である。

第2に、安倍首相はすべての政策においてそうであるが、ある案件、事象について、自分の立場を決めたら、その路線を突き進む。
それに伴うリスクを考慮せず、またその立場と違った意見や助言をまったく好まない。
例えば、中曽根康弘元首相は、後藤田正晴のような人を官房長官に据えて、違った意見を聞こうとした。
安倍首相はそのようなスタイルではない。安倍首相の周囲やブレーンには、安倍首相と考えを同じくする人々しかおらず、苦言を呈したり、忠告をしたりする人がほとんどいない。

  集団的自衛権行使に進むとどうなるか

米国の中東政策は米ソ冷戦構造の崩壊以降、歪んでいる
その理由は2つある。第1に軍産複合体の要請であり、第2にイスラエルの存在だ。

1980年代末~90年代にかけては、軍需から民需へ転換する必要があったが、ペンタゴンは軍事力を維持したい。
そこで、敵としてイラン、イラク、北朝鮮と言った不安定な国々を想定した。
だが、これらの国が自ら米国を攻撃するわけはないから、こうした国々の体制を変えるべきだという主張を持って、「中東民主化」という名目で積極介入していった。

現状でも、国防費は削減する方向にあるが、イラク、アフガニスタン戦費は別枠ということになっていた。
しかし、オバマ大統領はアフガニスタン、イラクからの撤退を進め、昨年は軍需産業でも人員整理が行われていた。
そこへ、「イスラム国」が台頭してきたことで、軍需産業の株価は暴騰している。

今後、集団的自衛権行使の法整備が進み、日本が後方支援という名目で、中東地域に自衛隊を派遣する方向にある。
するとどういうことが予想されるのか。今回の事件は教訓になっている。
アラブ・イスラム世界と長年かけて築いた良好な関係や、信頼は毀損されていき、日本人が「テロ」の対象になることが懸念される。
今回のイスラム国の人質殺害事件がその嚆矢であってほしくない

まごさき・うける●1943年旧満洲国鞍山生まれ。東京大学法学部中退、外務省入省。英・米・ソ連・イラク・カナダ駐在、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。防衛大学校教授(公共政策学科長、人文社会学群長)を経て、2009年に定年退官。著書に『戦後史の正体』、『日本の国境問題』(ちくま新書)、『戦後史の正体』(創元社)、『これから日本はどうなるか――米国衰退と日本』(ちくま新書)『小説外務省-尖閣問題の正体』(現代書館)など著作多数。
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西欧に対するイスラムの怒り、神と共にある自由

   前編:西欧に対する「イスラムの怒り」とは?  内藤正典・同志社大学教授に聞く  1/26  東洋経済オンライン

風刺新聞紙「シャルリ・エブド」襲撃に始まる一連のテロ事件をきっかけに、フランス政府は「テロ、イスラム過激派との戦争」を宣言。欧州では警備が強化され、逮捕者が続出するなど緊張感が高まっている。
一方で、「シャルリ」紙が執拗に預言者ムハンマドの戯画を掲載したことに、イスラム社会でもデモや抗議行動が広がっている。不満を抱えた若者の「イスラム国」への流入が増大するなど、9.11米同時多発テロ以降、欧米社会とイスラム社会との対立はかつてなく激化している。

イスラム移民が西欧でどのような環境に置かれているのか、イスラム社会、イスラム教徒が西欧の何に怒っているのか、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科長の内藤正典教授に話を聞く。

  「やり過ぎ」という批判が通用しないフランス人

――暴力は許されない、とはいえ、「シャルリ・エブド」紙のことさらにイスラム教徒の宗教的感情を傷つけようとするやり方には、日本人から見ても納得しがたいものがありました。

日本だけでなく、イギリスでもアメリカでも「シャルリ・エブド」紙によるイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画は、風刺という範囲を超えて、神や預言者を冒涜しており、「やり過ぎである。表現の自由にも節度がある」という意見が多い。
だが、「やり過ぎだから自制しなさい」という論理はフランスには通じない

フランス共和国の理念は「ライシテ」というものだ。
カトリック教会が個人の行動や価値観にまで干渉し、人生そのものを支配しようとして、王権と結託して、人民を抑圧してきた。
これに対するフランス革命をはじめとする長年の闘いを経て、1905年に「国家と教会の分離法」を持って、「宗教は公の領分に関わってはならない」とした。
これが「ライシテ」。

日本には「ライシテ」に合う訳語がないので、とりあえず「世俗主義」と訳しているが、単なる「政教分離」ではない。
「政教分離」は「政治と宗教を切り離しなさい」程度の意味だ。
しかし、「ライシテ」は個人が公の場で宗教を持ち出すことも禁じている

これが徹底されることで、フランスは、宗教から自由になった。
例えば、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たちにとっては、生きやすい社会をつくることになった。
フランス人にとってはかけがえのない権利である。

私はムハンマド

「シャルリ・エブド」紙が預言者ムハンマドの風刺画を繰り返し掲載したことに対する抗議デモ。フランスの旧植民地・アルジェリアで1月16日に行われたもの。「私はシャルリ」に対抗して、「私はムハンマド」の標語が掲げられている(ロイター/アフロ)

だから、言論の場で宗教や神におもねる必要もないので、「涜神の権利がある」ということすら言われる。「シャルリ・エブド」の風刺画にも宗教を題材とするものがある。

ただし、人種や民族や宗教を理由に特定の集団や個人を差別することはフランスでもできない。
神や預言者を冒涜しても許されるが、「イスラムを信じる人は野蛮だ」といった女優は罪に問われている

  「シャルリ」はイスラムにとってはヘイトスピーチ

一方、イスラムにとっては、預言者ムハンマドと自分は分かちがたい存在であり、ムハンマドがいたからこそ自分がいる、というほどの拠り所となっている。
自分たちのアイデンティそのものであり、母親のようなもの
ちなみに、欧米ではイスラムは女性差別的だということばかり喧伝されているが、イスラム教徒の家庭で、一番偉いのはお母さん。
だから、多くのイスラム教徒にとって、預言者を侮辱することは自分を全否定されたと感じ、ヘイトスピーチであり、人種差別であると受けとったはず

両者は永遠に平行線です。フランス共和国のライシテ原理とイスラム教徒の原理は、協約不能な二つの原理だから、これからも衝突は続く。

不幸なことに、いじめの問題と同じで、フランスの人たちは、預言者を冒涜することがどれほどイスラム教徒を傷つけているかの自覚がなく、執拗に繰り返す
しかし、ここで考えなくてはならないのは、それほどの仕打ちを受けても、フランスにいるイスラム教徒500万人のうち、今回のような事件を起こすのはわずかな人数だということ。

逆にいえば、イスラムはそれほどに寛容な宗教。
欧米社会では、イスラム教徒は暴力的だとかテロに走るとか思い込んでいるが、まったくそんなことはない。
ムハンマドは商人であり、イスラム教は商人の宗教としての性格をもつ。
平和でないと商売は成り立たない。イスラムでは商取引の公正は非常に重視されている

  「言論の自由」も二重基準であるので説得力を欠く

――事件後、国会ではフランスの議員達がラ・マルセイエーズを歌い、テロやイスラム過激派との戦いを宣言しました。

「武器を取れ市民、隊列を組め、進もう、進もう、汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで」という歌詞。
ふつうは歌わないとのことで、今回の事件で、右まで左まで一致団結したのだが、共和主義の高揚を感じる。

パリでの追悼大行進は「言論の自由」を掲げていたが、皮肉なことに、この行進に参加した外国の首脳たち、最前列でカメラに写ろうとしていた人たちがどれだけ、自分の国で言論弾圧をしていることか
特にイスラエルのネタニエフ首相が最前列にいたことは、中東諸国から厳しい非難の的となった。

参加者の中には、「私はシャルリ」というプラカードを掲げるほか、ペンを振っていた人も多かった。
これはもちろん、「ペンにはペンを、言論には言論で対抗せよ」という意思表示。
しかし、フランスは、中東やアフリカで何をやってきたのか。
米国と一緒になって空爆することで、テロリスト以外の無辜の人々に犠牲者を出している。

イスラム教徒から見れば、これがダブルスタンダード(二重基準)でなくてなんだ、という怒りがある。
フランスは過去の植民地支配についても国家として謝罪しておらず、こうした歴史認識も旧植民地の人々や移民のあいだに潜在的不満となっている。

日本人の多くはフランスを、自由で多元文化的な寛容な社会、美術館やブランド品に象徴される優れた文化の国と見なしているが、それは一面に過ぎない。
こと世俗主義、政教分離、言論の自由などフランス共和国の原理に関わるテーマでは、妥協の余地がなく、7月14日(革命記念日)には戦車が街を走り回る戦闘的な面も併せ持っている。

  多文化主義の国とフランスでは移民政策に違い

わたしはトルコの研究者なので、トルコがドイツを筆頭に西欧各地に大量の移民を送り出したことから、西欧でイスラム教徒が置かれた立場を、各地を訪問してフィールド調査してきた。

「政教分離」の論理は、欧州各国で異なるので、移民への対応の仕方はまったく異なる。

イギリスは、国家の教会としての英国国教会をもつが、多文化主義を取っている。
だから、ベンガル、カシミール等の人たちがそれぞれに集まって住むと、そうしたコミュニティを認めて、それぞれに生活の便宜のために、ベンガル語の標識などができる。
行政が公的に対応
を取る。

オランダ多文化主義の国だが、多極共存型。
カトリック、プロテスタント、イスラム、無神論者、それぞれがコミュニティを立てて、それぞれが平等で並立してきた。お互いに干渉しないことで、衝突を避けてきた。
ただし、9.11以降は、イスラム教徒に対して、「あの人達は怖いテロリストではないのか」という嫌悪感が広がり、イスラム・フォビア(反イスラム感情)が急激に高まった

これに対し、ドイツは伝統的に多文化主義をとらない。
ドイツでは政教分離は弱く、キリスト教国と言っても間違いとはいえない。キリスト教徒には教会税も課される。
ドイツのイスラムへの反感は、宗教の違いからきている
しかし、フランスのイスラムへの反感は、宗教を認めない世俗主義からきている
他の国のゆるい政教分離とはまったく異なる。

  低所得者向け住宅から抜け出せない

しかし、それでは、平等主義を掲げるフランスに差別がないかと言えば、実態はそうではない。
パリ中心から20キロメートルほどにある郊外に、イスラム教徒が多く住む公営団地がある。
フランスは、そこに移民を閉じ込めたのではないし、イスラム教徒移民を隔離したのでもない。
だが、彼らは低所得層向け住宅に集住している。
彼らから見ると、平等は建て前で、移民イスラム教徒が今でも差別と偏見にさらされており、若者が世に出る展望を見いだせない現実がわかる。

たとえば、就職を希望してある会社に電話する。アフマド、アリー、オマールなどイスラム教徒に多い名前を名乗ったとたんに、「申し訳ございません。求人はありません」とスマートにかわされて、断られる。
フランスなので、「イスラム教徒だから、移民だから」と属性による物言いは決してしないが、事実上属性で差別されている

しかし、差別がないことが前提になっており、さらに、宗教を捨てて、個人としてのフランス人であることを要求し、コミュニティを認めていないので、政府は「イスラム教徒の移民」という集団として処遇することはない
アメリカのように、差別されてきた集団に一種の特別扱いをする必要があるという発想はない。

   後編:イスラムが求めるのは「神とともにある自由」

ジダン
2006年ドイツで開催されたFIFAワールドカップで、フランスのスター選手ジネディーヌ・ジダンが、イタリアのマルコ・マテラッツィ選手に「頭突き」を食らわせて退場に。この時、ジダンに何が起きたのか(ロイター/アフロ)

  広がるイスラム教への覚醒とフランスとの軋轢

――お話を伺っているとフランスはイスラム教徒が暮らしにくい国という印象ですが、イスラム教徒は500万人もいるということですね。

フランスの場合、移民イスラム教徒の出身地はチュニジア、アルジェリア、モロッコなどアフリカにおけるフランスの旧植民地が主。
戦後、西欧が復興する過程で労働力不足が起きて、安い労働力を求めて、移民を受け入れた。

移民1世にとっては、生活が第一だから、イスラムを脇に置いた。貧しい中、イスラム教で禁止されているアルコール、麻薬、買春に走る移民も多数いた。

ところが、だんだんに生活が落ち着いてくると、拠り所を求めて、移民2世、3世の中で、1980年頃からイスラムへの回帰が始まった。

モスクへ通うようになった若者達は、そこで「癒やし」を見出し、素行不良が収まっていく。
息子、娘がイスラムに覚醒して、道徳的な逸脱から脱したことを親たちはむしろ喜んだのである。

一方、フランス側はイスラム回帰の動きに対して、怒った。
なぜ、フランス人にならないのか、なぜ、「啓蒙されないのか」と。
フランス人の考えは、「遅れた連中を啓蒙してやっている」というもの。「21世紀にもなってなぜ宗教から離れられないのか」という。
移民の支援団体の人でさえ、話をすると「彼らは遅れているから」と「遅れている」を何度も連発する。

最初に行動したのが若い女子だった。
1989年、いっさいの宗教的シンボルを排除する公立学校にスカーフを着用して通い始めた。
スカーフを着用した女子は、受け身ではなく、積極的にライシテに挑んだ
だが、学校はスカーフ着用を認めなかった。その対応策として、フランス政府は2004年から法律で公立学校に通う生徒がスカーフやベールなどを着用することを厳格に禁止した。

2011年の9.11テロ以降は、ごく少数のイスラム原理主義者と普通のイスラム教徒を同じ「テロリスト」と見なす欧米のプロパガンダが広まり、嫌イスラム感情に拍車がかかる。
こうした中、パリの「わたしはシャルリ」という行進にスカーフを被った移民が参加しているのは踏み絵を踏まされているような気持ちだろう

  「悪意ある挑発をした人間は罰せられない」

2006年FIFAワールドカップの決勝戦で、サッカーのスター選手ジネディーヌ・ジダンがイタリア代表のマルコ・マテラッツィに頭突きを食らわせて退場になった。
サッカー人生の最後になぜそんなことをしてしまったのか。

フランスの多くのメディアが、人種差別的な発言をされたのだろうと書き立てた
それは違う。ジダンも何を言われたのか、問い詰められても答えなかった。
そのとき、私はイスラム教徒たちに聞いてみた。皆「何を言われたかは想像がつくが、口にはできない」と答えた。
イスラム教徒が瞬間的に暴力も辞さない怒りを爆発させるのは、女性の親族を性的な表現で冒涜されたときだけだ。
これは最大の侮辱であり、そういうことをイスラム教徒にすると、刃傷沙汰は避けられない


ジダンがその後、テレビに出てなんと言ったか。「サッカーファンの子ども達に謝りたい」と言った。
しかし、それでは「頭突きを食らわせたことを後悔しているか」と聞かれて、「いつも悪意ある挑発をした人間は罰せられない。しかし、暴力で応じた人間は必ず罰せられる」と答えた。
当時の大統領ジャック・シラクは、その後非常に気を遣って、彼を官邸に招いて、労をねぎらったりした。

――しかし、今回の事件では、フランスは国を挙げて挑発者を擁護したわけですね。

だから、リスクは高まった。
これからも事件は起きる。悲しいがこれが現実だ。
フランスはテロの芽を摘むためには、自分たちも暴力に訴えざるを得ないと思っている。
フランス人は隣の国すら受け入れていないライシテ、世俗化をユニバーサルな価値だと思っている
植民地支配についても「啓蒙してやった」としか思っていない。しかし、そういう姿勢でいる限り、テロの芽を摘むことはできないだろう。

  イスラム国の台頭、危険な安倍政権の選択

――傲慢すぎるのではありませんか。20世紀、21世紀と西欧の論理では戦争の繰り返しから脱却できていない。

そうです。人権とか、民主主義とか、政教分離に尊い価値はありますが、それではなぜ、欧州は2度も対戦を繰り返して焦土と化したのだ、とイスラム教徒は言う。一方、イスラム側にも大きな問題がある。問題が起きたときに、「それは一部の過激主義者の問題でイスラムの問題ではない」と逃げる。しかし、欧米ではもう「容疑者はイスラム教徒」とされてしまう。

――イスラム法学者が解決を図れないのはなぜですか。

宗教指導者たちは、現存する国家に属しています。
国家に逆らって物を言うことができなくなっている。イスラムの多くは西欧流の自由ではなくて、「神とともにある自由」を求めている。
そうして、救いがないなかで、歪んだ形で台頭したのが、「イスラム国」。
不安な彼らの心に、過激なリクルーターが入り込むのは容易なことだ。

――先生は、最新刊の著書で安倍政権の集団的自衛権行使を可能にする政策に異議を唱えていらっしゃいます。

安倍首相は集団的自衛権行使を可能にすることで、普通の国になると思っているが、世界は変わってしまっている。
「国家対国家」の戦争の時代ではもうなくなり、「国家対テロ組織」の時代になっている

現状からすると、米国が、いろんなところに手を出した結果、収拾に困ったところについて、日本に後方支援を求めてくる可能性が高い。
米国が関与しているほとんどが中東、イスラム圏
残念ながら、日本では差別意識も低いかわりに、イスラムについて知識もない。

しかも、イスラムの人々は16億人、さらに数が増えていっていずれ20億人になる。
敵に回すのではなく、ビジネスの相手とすべきです。

ないとう・まさのり●1956年生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著作多数。最新刊『イスラム戦争-中東崩壊と欧米の敗北』(集英社新書)
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円安とは賃金の自動引き下げ:野口

NY原油

NYドル円
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   円安の賃金引き下げ効果 原油価格下落で明らかに  野口悠紀雄  週刊ダイヤモンド1月31日号

 原油価格は、2014年夏には1バレル100ドル程度だったが、15年1月中旬には40ドル台にまで下がった。数カ月で半分以下になったわけだ。

 1年程度の期間で見れば、異常なことのように思われる。しかし、長期的趨勢を見れば、「下がっている」というより、ここ数年上がり過ぎていたのが元に戻ったのだということがすぐに分かる。

 米金融緩和政策の終了で投機マネーが原油から逃げ出したためだ。投機の時代が終わり、ノーマルな傾向に回帰しているのである。だから、現在の水準は一時的なものではない。

 日本の原油輸入額は、現在年間14兆円程度である。仮に為替レートが一定なら、7兆円超の輸入減になる。これだけで貿易赤字は半減する。
 所得の海外流出がそれだけ減るわけだ。日本は世界第3位の原油輸入国なので、原油値下がりによって世界で最も恩恵を受ける国の一つだ。

 年間7兆円というのは、消費税率3%の税収にも匹敵するほどの大きさである。また、発電用燃料であるLNG(液化天然ガス)の輸入額ともほぼ同じである。
 LNGの輸入額は発電の火力シフトによって年間3兆円程度増加したが、その増加分を優に吹き飛ばす。つまり、原発再稼働は必要なくなったわけだ。本来なら、原油値下がりを契機として、経済全体が活気を取り戻すはずである。これこそが経済の好循環だ。

 しかし、いま日本の消費者は、それほど大きな変化が起こっていると実感しにくい。なぜなら、ガソリン価格がさほど低下していないからだ。
 昨年夏に1リットル159円程度であったガソリン価格は、130円程度と、約8割の水準になった。アメリカのガソリン価格が、昨年夏の3.7ドル程度から最近の2.2ドルまで約6割の水準に下がったのと対照的だ。

 日本のガソリン価格があまり低下しない一つの理由は、税の比率が高いことだ(ガソリン税と石油税、消費税で、1リットル70円程度の税がかかる。アメリカではガソリン税の比率は本体の2%未満の州が多い)。
 それだけでなく、為替レートが円安になり、原油価格下落を打ち消している効果も大きい。そのため、円ベースの貿易収支も右に述べたほどは縮小しない

  日本人の賃金は ドルベースで下落している

 「アメリカではガソリン価格が約6割に下がったが、日本ではそれほど下がっていない」と言った。

 しかし、見方によっては、日本でもアメリカと同じようにガソリン価格は下がっているのだ。

 日本のガソリンスタンドが、価格をガソリン本体と税に分けて表示し、本体についてはドル価格も表示しているとしよう。
 昨年8月、為替レートは1ドル100円で、ガソリン価格は1リットル150円だったとする。それが、今年1月には、為替レートは1ドル120円で、ガソリン価格は130円になったとする(数値は現実に近いが、分かりやすいように単純化してある。また、以下の計算も、税について若干の簡略化をしている)。

 昨年夏には、1リットルの価格を次のように表示していたはずだ。
 本体80円(0.8ドル)、税70円。
 それが今年1月には、次のようになる。本体60円(0.5ドル)、税70円。
 このように、本体価格は0.8ドルから0.5ドルへと約6割の水準に低下している。これは、アメリカ国内の場合とほぼ同じ低下率である。

 日本で生活していても、アメリカの会社からドルベースで給料をもらっている人なら、ガソリン本体価格がアメリカ並みに低下しているのを享受することができる(この他に税を支払う必要があるが、これは住んでいる国の事情で決まるので、やむを得ない)。

 「日本人がそうした利益を享受できないのは、給料が下がっているからだ」と解釈することができる。次の数値例を考えると、これが理解できるだろう。

 給料は、1時間当たりアメリカで16ドル、日本で1600円であるとしよう。
 昨年夏には、ガソリン本体10リットルの価格が、日本で800円、アメリカで8ドルだったとすれば、それを買うために、日本でもアメリカでも、30分働く必要があった。
 今年1月には、アメリカ人は約20分働けばよい。しかし、日本人は約23分働く必要がある。昨年より良くはなったが、アメリカ人ほどではない。

 その理由は、日本人の給料がドルベースで見ると、1時間16ドルから約13ドルへと、8割ほどの水準に引き下げられたからだ。
 つまり、円安とは、日本人の給与を引き下げることなのである


  いまこそ円安の意味を理解すべきだ

 日本人が給与下落に気付かないのは、日本国内の物価もドルベースで同じように下がっているからだ(ただし、正確に言うと、物価は給料ほどは下がらない。従って、少しは貧しくなる。これが、「実質賃金が下落している」ということだ。しかし、この変化は大きなものではないので、気付きにくい)。

 このプロセスで得をしているのは、輸出業者である。
 なぜなら、第1に、輸出品の販売価格をドルベースで変えていないからだ(原理的には下げることも可能だが、その戦略を取っていない)。
 第2に、国内で購入する原材料の価格がドルベースで下落している。特に賃金が下落している。だから利益が増えるのである

 以上で述べたことは、実は当たり前のことである。それを分かりにくく説明しているだけと思われるかもしれない。しかし、次の2点は、こうした説明をしないと気付かないだろう。

 第1は、「企業が努力したから利益が増えたのではない」ということだ。
 賃金が自動的に安くなってくれたから、利益が増えたのだ


 だから、労働者としては、ドルベースでの給与が一定になるように賃上げを求めてもよい。
 つまり、2割の引き上げを求めてもよい。数パーセントの賃上げでごまかされてはならない。
 なお、これが実現した場合には、他の物価も2割上がる
だろう。

 第2は、輸出と外国人旅行者の違いである。輸出量は伸びないが、外国人旅行者は顕著に増加している。
 これは、外国人から見て、日本の輸出品の価格は変わらないが、日本のホテル代や食事代は2割ほど低下したからだ。
 つまり、日本のホテルやレストランは(※ 大部分が日本人のため)、安売りして客数を伸ばしているのだ。
 ドルベースで見た売上高が増えているかどうかは、分からない。利益増加率が高いのは、輸出の方である。

 以上のことは、落下するエレベーターの中に閉じ込められた鳥に喩えることができる。外界を基準にすれば鳥も落ちているのだが、エレベーターの外が見えないので、それに気付かない

日本人も、海外旅行をしないと、自分が貧しくなっていることに気付かない。昔のドイツ人は強いマルクを歓迎した。南欧に行って王侯貴族の旅行を楽しめたからだ。
 いまユーロという巨大エレベーターの中に閉じ込められて、ドイツ人からこうした感覚は失われているかもしれない。

 日本の革新勢力は、「円安とは賃金の自動引き下げ」ということを、まったく理解していない。民主党も円安を求めた。

 原油価格急落のように大きな出来事が起こると、「なぜガソリン価格が下がらないのだろう?」と多くの人が考え、エレベーターの外の様子を見ようという気持ちを起こすだろう。
 いまは、円安の意味について考える絶好の機会である。
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