ISISとは何者か、誰の利害か
2015-01-24

バグダーディ
ISISとは何者か?
何故、豊富な資金と兵站、軍事力を備えるに至ったのか?そして彼らの行動によって誰が喜び、誰が被害を受けているのか?
彼らの系譜は米国が養成訓練したアルカイダである。資金はサウジ(バンダル王子)、カタール。
彼らはイスラムを名乗るにしては、まるでタブーであるようにイスラエル批判をしない、パレスチナ養護さえしない。
著名な調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、サウジ、イスラエル、米国による作戦といっているが、そのとおりであろう。
狂気の過激宗派であるワハブ派が英国などの支援でアラビア半島を略奪占領したのが、サウジアラビアの建国である。
今、ISIS「イスラム国」を名乗る勢力が異常な拡大を見せているのは、サウジの建国と極めてよく似た形態をとっている。
米英仏は第一次大戦で巨大なオスマン帝国を二十数か国に分解した。中東に覇者を作らせず、欧米の支配下に置くためであることは言うまでもない。
冷戦崩壊後はアラブ復興社会主義(イラク、シリア)、イスラム革命(リビア)を破壊すること。中東をさらに混乱分断し弱体化を進めてきた。
彼らISISは残ったシリア、イラクを滅ぼし、イラン、ロシアを泥沼に引きこもうとする。
イスラエル、サウジ、フランス、米英の利害とまったく一致するわけである。
はっきりというなら、ISISという武装集団の背後には、米英の軍産複合体とイスラエルが立っている。
フランステロ攻撃の結果的な影響とECB量的緩和も利害は同様であることに注意すべきだ。
なぜ、このタイミングで安倍某は唐突に中東訪問をしたのか、なぜ、エジプトであのようなスピーチをしたのか。原稿はどこから来たのか。
日本については、自衛隊を米軍の属軍とする、集団自衛権の行使に向けて「仕組まれた計画」の可能性は高い。
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安倍首相がISと戦う国々を支援すると発言した直後に身代金が要求されたが、ISの黒幕は米国の疑い 1/21 櫻井ジャーナル
安倍晋三首相がエジプトで開かれた「日エジプト経済合同委員会」で「イスラム国」と戦う国々へ総額で2億ドルを提供すると発言した3日後、その武装集団(IS。ISIS、ISIL、IEILとも表記)が日本人ふたりを拘束しているとインターネット上で表明、2億ドルの身代金を要求しているという。
安倍首相は軍事的支援を否定しているようには思えず、アメリカ政府の言動を考えれば、「非軍事的な手法」も軍事と深く結びついていると言わざるをえない。
拘束されたふたりとは後藤健二と湯川遥菜だとされている。
湯川は昨年8月に、また後藤は昨年11月にそれぞれシリアでISに拘束されたようで、安倍首相は支援発言時に事情を承知していたはず。
状況から考えてふたりはトルコ経由でシリアへ密入国したのだろうが、そうなると、最初からISの管理下にあった可能性が高い。
ここにきてトルコはロシアとの関係を深めているが、言うまでもなく、NATO加盟国としての側面がある。
2011年3月にアメリカを中心とする西側諸国やペルシャ湾岸の産油国などがシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すプロジェクトを顕在化させた際、その拠点としてトルコが使われている。
この反シリア政府軍とISの背景は同じで、ふたつを区別することは間違いだ。
トルコにはアメリカ空軍のインシルリク基地があり、そこではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、あるいはイギリスやフランスの特殊部隊員が反シリア政府軍の戦闘員を訓練している。
そうした戦闘員を雇っているのがサウジアラビアやカタールなどだ。
シリアと同じ時期にリビアでも体制打倒プロジェクトが始まり、2011年10月にムアンマル・アル・カダフィが惨殺されている。
このときにアメリカが地上軍として使った戦闘集団の中心、LIFGはアル・カイダ系。
実際、カダフィ体制が崩壊した後、反カダフィ派の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。
すぐに映像がインターネット上で流れ、イギリスのデイリー・メール紙など「西側」のメディアもその事実を伝えている。
アル・カイダの歴史をさかのぼると、1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密工作に行き着く。
パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官だったナシルラー・ババールによると、1973年からアメリカはアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、79年にはブレジンスキーの戦略に基づいてCIAがイスラム武装勢力に対する支援を始めた。
ソ連をアフガニスタンへ引っ張り込むために挑発を繰り返し、その思惑通りに同年12月、ソ連軍の機甲部隊が軍事侵攻してくる。
このソ連軍と戦わせるために編成されたのがイスラム武装勢力。
アメリカを中心とする勢力は戦闘員を集めて訓練、資金や武器を提供した。
こうして訓練を受けた「ムジャヒディン」のデータベースがアル・カイダ(アラビア語で「ベース/基地」を意味)だとイギリスの外相を務めたロビン・クックはガーディアン紙で書いている。
この指摘は正しいと見られているが、この記事が掲載された翌月、クックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡してしまう。享年59歳。
リビアでのプロジェクトを終えたアル・カイダの戦闘員は武器を携えてシリアへ移動する。
その時にマークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。
リビアのカダフィやイラクのサダム・フセインはアル・カイダ系の戦闘集団を弾圧していたが、そうした体制をアメリカが破壊するとそうした集団は勢力を拡大させていく。
イラクではアメリカが先制攻撃した翌年、2004年にAQIが組織され、06年1月にはAQIを中心にしていくつかの集団が集まってISIが編成された。
ロシアの抵抗もあってアメリカ/NATOがシリアの体制転覆に手間取る中、ISIはシリアへ活動範囲を広めてISと呼ばれるようになる。
2012年にアメリカの情報機関や特殊部隊はヨルダンの北部に設置された秘密基地で数千人とも言われる戦闘員を訓練しているが、少なくともその一部がISに参加して戦うことになる。
ISの名前が知られるようになったのは昨年6月、イラク北部の都市、モスルを制圧してからのことだが、この軍事侵攻には疑惑がある。
ISの動きをアメリカはスパイ衛星、通信の傍受、あるいはスパイ網などで把握していたはずなのだが、全く反応していない。
首相だったノウリ・アル・マリキはモスルが陥落した後、メーディ・サビー・アル・ガラウィ中将、アブドゥル・ラーマン・ハンダル少将、ハッサン・アブドゥル・ラザク准将、ヒダヤト・アブドゥル・ラヒム准将を解任している。
このマリキは昨年3月、サウジアラビアやカタールを反政府勢力へ資金を提供していると批判しているが、アメリカとの関係も悪化していた。
反政府軍対策のため、イラク政府は2011年と12年、アメリカに対してF-16戦闘機を供給するように要請、契約もしていたのだが、2014年の段階で納入されていない。
そこでマリキはロシアへ接近。次の選挙でマリキは勝利し、首相続投になるのが普通だったが、辞めさせられている。
ところで、1月18日、シリアではISと戦っていたヒズボラの部隊がイスラエル軍に攻撃され、その際にイラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部が殺されたという。リビアに対する攻撃におけるNATOと同じように、イスラエルがアル・カイダ/ISを支援しているように見える。
アサド体制よりアル・カイダの方がましだと駐米イスラエル大使のマイケル・オーレンが発言したのは2013年9月のこと。
調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの秘密工作が始まったと書いている。
シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを倒すことが目的。その後の展開を見ると、この三国同盟は手先としてアル・カイダ系武装集団を使っている。
ISが拘束している人物の処刑を誇示するようになったのは昨年8月。
アメリカがISに対する空爆を始めたことに対する報復だとしてジェームズ・フォーリーの首を切り落としたと宣伝されたのだが、首の前で6回ほどナイフは動いているものの、実際に切っていないうえ、血が噴き出していないことから、カメラの前で彼は殺されていない可能性が高いと言われている。
こうした場面を公表したのは、アメリカによるシリアに対する空爆を正当化することにあるのではないかという声もあった。
実際、9月23日に空爆を始めたが、当日、現地で取材していたCNNのアーワ・デイモンは翌日朝の放送で、ISの戦闘員は空爆の前に極秘情報を入手し、攻撃の15から20日前に戦闘員は避難して住民の中に紛れ込んでいたと伝えている。
ふたりの日本人が写った映像も合成されているように見え、何らかの反応をアメリカや日本から引き出すための演出なのかもしれない。
この問題を見る場合、忘れてならないことは、ISをアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが動かしている可能性があるということだ。
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世界の資金はどこへ流れるのか:野口
2015-01-24
資金の流れが大きく変わった 世界のマネーはどう動くか? 1/22 野口悠紀雄 ダイヤモンド・オンライン
現在、世界的な投機資金の流れが大きく変化している。それが、原油価格、為替レート、株価などを揺さぶっている。
また、異常とも言える金利の低下現象が世界的な規模で起きている。
なぜこうした動きが生じたのか? 世界はいまどこに向かっているのか? これらについて考えることとしよう。
過去10年程度の世界的な投機資金の動き
金融市場の動きは非常に複雑だ。国際収支統計など資金の流れを直接記録する統計はあるが、金融市場の動きを分析するのには、いかにも不十分だ。
実際に何が生じているかを掴むには、金利や為替、原油価格などの価格データから間接的に推測せざるをえない。
複雑な現象を間接的に把握しなければならないので、大局的な動きをまず掴んでおく必要がある。
そこで、2004年頃以降の動きを概観し、その延長線上に、最近起きていることを位置づけてみよう。
【第1期】アメリカ住宅価格バブル(04~07年)
アメリカの経常収支赤字が拡大し、日本、中国、産油国からアメリカへ資本が流入した。この資金は住宅ローン担保証券(MBS)市場に流入し、住宅価格バブルを引き起した。
【第2期】アメリカ金融危機(07~09年)
07年にMBSの価格が暴落し、金融危機が起こった。その最終段階が、08年9月のリーマンショックだ。
金融危機の進展につれて、投機資金は、原油等の資源・商品に向かい、原油価格を始めとする一次産品価格を急騰させた。
これらは実需の増加で引き起こされたものではなく、投機資金流入の結果だ。
しかし、08年秋以降は急落した。08年10月末の原油価格は1バレル60.51ドルとなり、140ドルを超えた7月の水準に比べると、42%程度の水準にまで低下した。
アメリカはリーマンショック直後から金融緩和政策を開始したので、投機資金は供給され続けた。
しかし、MBSはもはや有利な投資対象ではなくなったので、投機資金はヨーロッパに向かい、東欧、イギリス、アイルランド、スペイン等で住宅価格バブルを引き起した。
さらに南欧国債に向かった。この結果、南欧国債の利回りは低下した。
【第3期】ユーロ危機(10~12年)
10年にギリシャ財政状況の悪化が表面化し、ユーロ危機が起きた。
10年末から12年夏にかけて、南欧国債の利回りが高騰(国債価格が暴落)した。住宅価格のバブルも崩壊した。
投機資金はユーロ圏から脱出し、セイフヘイブン(安全地域)と見なされた日独米国債に向かった。その結果、ユーロ安、ドル高、円高がもたらされた。
以上は、これまでもよく認識されてきた事柄である。あまり認識されていなかったのは、投資資金が原油にも回帰していたと考えられることだ。
原油価格下落の原因は、実需給の変化でなく、QE3の終了
【第4期】アメリカ金融緩和の終了(2014~15年)
リーマンショック後の期間において投機資金をファイナンスしてきたのがアメリカの金融緩和だが、それが終了した。つまり、「投機の時代」が終わったのだ。
金融緩和の時代には、短期資金の借り入れが容易になるので、借り入れによって総投資額を中核となる資金(年金基金など)の何倍にも膨らませて(レバレッジを掛けて)投資していた。
しかし、金融緩和が終了すると、レバレッジを縮小させざるをえなくなる。したがって投機マネーの総額も縮小する。これにより、原油価格下落が引き起こされたと考えられる。
原油価格下落の原因として、シェールガス革命、中国製造業の成長鈍化、サウジアラビアの減産回避、等々が指摘される。これらは、原油の実需給に関するものだ。
しかし、原油価格は、10年以降90ドルを超え、100ドルになっていた。08年7月に140ドルになったことに比べれば低いが、長期的水準より高い。
1980年代後半から90年代は、20ドル程度だったし、2000年代前半には、上昇はしたものの、50~60ドル程度だった。10年以降の価格上昇は、実需の増加では説明できない。
(※ 北風:投機資金が原油市場に回帰していたとの判断は正しいと考える。実需ではまったくない。
だが、米国金融緩和の終了はテーパリングといわれるとおり僅かずつの縮小であり、原油価格の急落とあまりなじまない。
投機市場のいわゆるウェーブを作り出す本流のヘッジファンドは国際金融資本の系列資金であることを考慮するなら、原油価格急落の原因は国際金融資本と米英による意図的な市場操作と見るのが妥当だろう。
ただアカデミズムの経済学者としては、あまり言いたくない言葉だ。)
投機資金の縮小により、株価も影響を受けている。ダウ平均株価は、今年に入ってから下落基調だ。日本の株価も、同じような動きだ。12月初めにピークとなり、その後下落している。
アメリカのイールドカーブが平坦化
こうして、全世界で、安全資産である国債への資金移動が生じている。金利が上がっているのは、ロシアなどの産油国だけだ。
アメリカの10年債利回りは、2014年12月終わりから低下している。12月中は2.2%を超えていたが、いまは1.8%だ(図表1参照)。

ドイツ国債の利回りも低下している。
日本の国債利回りも低下している(ただし、これは、日本銀行の買い入れによる直接的効果の影響も大きい)。
ところで、「金融緩和終了なのに、アメリカの金利が上昇するのでなく、下落しているのはおかしい」と考えられるかもしれない。
しかし、これは不自然な動きではない。金利の動向をより詳しく見ると、図表1に示すように、1年債や2年債の利回りは、上昇しているのだ。
2年債レートは、14年10月下旬をボトムとして、上昇している。1年債の利回りは、12月にかなり上昇した。
その結果、金利の期間構造を示すイールドカーブは、傾きが緩やかになっている。これは、金融緩和が終了する場合のノーマルなパターンである。
為替レートに影響を与えるのは、2年債だと言われる。日米2年債の金利差は拡大しているので、円はドルに対して安くなるだろう。
このように、国または地域間の資金異動も生じているが、あまり大きくはないだろう。それよりは、リスク資産から安全資産への動きが大きいのだ。
ユーロ危機の再現はあるか?
ギリシャの10年国債利回りは、上昇している(2014年8月には5%台だったが、15年1月には一時10%を超えた)。これは、ギリシャの政情不安を反映したものだ。
しかし、イタリア、スペインの国債利回りが低下していることに注目すべきだ(図表2)。
スペインの10年国債の利回りを中期的に見ると、12年夏には7%を超えていた。
しかし、その後継続的に低下し、14年11月下旬からは2%を下回る水準になっている。
15年1月に一時的に上昇したが、すぐに元の水準に戻り、現在では1.5%程度の水準になっている。ユーロ危機当時とは比べ物にならないほど低い水準だ。

イタリアの10年国債も、ほとんど同じ推移だ。12年夏には6.5%程度だったが、最近では1.6%程度である。
これは、上で見た第3期(ユーロ危機)とは明らかに異なる状況である。
11、12年頃には、QE3で膨れ上がっていた投機資金が南欧国債やヨーロッパの住宅投資から逃避し、セイフヘイブンと見なされた日独米に流れ込んだ。それは、日本では円高を引き起した。
それに比較すると、今回のユーロ圏からの資金流出は、さほど多くないだろう。また流出するとしても、主としてドルに戻るのだろう。
実際、ユーロはドルに対しては弱くなった(14年夏には1ユーロ=1.38ドル程度だったが、15年1月には1ユーロ=1.16ドル程度になっている)。
しかし、円に対しては、さほど大きな変化が生じない可能性がある。
14年12月以降、ユーロが円に対して弱くなったのは事実である。しかし、それは、11月から12月にかけて日銀の追加緩和で大きく円安になったのが元に戻っただけと考えられる。
14年中のレートはほぼ1ユーロ=140円程度だったので、15年1月中旬の値1ユーロ=135円は、さほどのユーロ安とは思えない。
1月25日にはギリシャ総選挙が行なわれ、その結果いかんで、今後の事態がどう展開するかには大きな不確実性がある。
しかし、財政緊縮反対を掲げる急進左派連合が第1党になるとの観測が一般的であるにもかかわらず、現実の為替、国債市場は以上で見たような状況だ。
とすれば、今後ユーロで問題が生じるにしても、ギリシャだけの問題に留まり、11、12年のようにイタリアやスペインを巻き込むような事態にはならないのではないだろうか。
スイスフラン騒動
1月15日に、スイスフラン騒動が起きた。スイス国立銀行(中央銀行)によるスイスフラン上限の撤廃によって引き起こされたものだ。
スイス国立銀行は、2011年9月以降、1ユーロ=1.20スイスフランの上限を守るため、スイスフラン売り、ユーロ買いの介入を無制限に行なってきた。
その結果、スイスの外貨準備高はGDPの7割を超える規模にまで膨らみ、ユーロ建て資産を保有するリスクを無視できなくなっていた。
ECB(欧州中央銀行)が22日の理事会で国債買い入れを決めれば、ユーロはさらに安くなる。
(※ 22日ECBはドイツの反対を押し切り国債買い入れ(量的緩和)を決定した。つまり、ユーロはさらに安くなることが確定してしまった。)
また、上述のようなギリシャの問題もある。これらによってスイスフランへの資金流入が拡大することが予想されるので、上限を撤廃したわけだ。
これを受け、スイスフランが急騰。一時は、1ユーロ=0.86スイスフランと30%近く急騰した。スイスの主要株価指数は大幅に下落した。円も1ドル=116円台に上昇し、株価が下落した。世界中のFX業者が大混乱に陥り、破綻に追い込まれた業者も出た。
これは、ユーロの本格的な下落を意味するのだろうか?
確かにこれは、スイスフランとユーロの関係で引き起こされたものだ。だが、直接的には、フランの無制限介入を行なっていたことの問題だ。
つまり、上限を撤廃したことが問題というよりは、これまで不自然な介入を続けてきたことが問題なのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ スイスフランの暴騰といい、ECBの国債買い入れ(量的緩和)の決定といい、ユーロ圏からの資金流出が激しくなることは疑いない。
ではその資金は何処へ?
これは野口氏のいうとおりだ。
もっぱら米国ドル市場、そしてスイスフラン、わずかに日本円市場ということになる。
米国に最も都合の良いECBの量的緩和決定なわけだ。
現在、世界的な投機資金の流れが大きく変化している。それが、原油価格、為替レート、株価などを揺さぶっている。
また、異常とも言える金利の低下現象が世界的な規模で起きている。
なぜこうした動きが生じたのか? 世界はいまどこに向かっているのか? これらについて考えることとしよう。
過去10年程度の世界的な投機資金の動き
金融市場の動きは非常に複雑だ。国際収支統計など資金の流れを直接記録する統計はあるが、金融市場の動きを分析するのには、いかにも不十分だ。
実際に何が生じているかを掴むには、金利や為替、原油価格などの価格データから間接的に推測せざるをえない。
複雑な現象を間接的に把握しなければならないので、大局的な動きをまず掴んでおく必要がある。
そこで、2004年頃以降の動きを概観し、その延長線上に、最近起きていることを位置づけてみよう。
【第1期】アメリカ住宅価格バブル(04~07年)
アメリカの経常収支赤字が拡大し、日本、中国、産油国からアメリカへ資本が流入した。この資金は住宅ローン担保証券(MBS)市場に流入し、住宅価格バブルを引き起した。
【第2期】アメリカ金融危機(07~09年)
07年にMBSの価格が暴落し、金融危機が起こった。その最終段階が、08年9月のリーマンショックだ。
金融危機の進展につれて、投機資金は、原油等の資源・商品に向かい、原油価格を始めとする一次産品価格を急騰させた。
これらは実需の増加で引き起こされたものではなく、投機資金流入の結果だ。
しかし、08年秋以降は急落した。08年10月末の原油価格は1バレル60.51ドルとなり、140ドルを超えた7月の水準に比べると、42%程度の水準にまで低下した。
アメリカはリーマンショック直後から金融緩和政策を開始したので、投機資金は供給され続けた。
しかし、MBSはもはや有利な投資対象ではなくなったので、投機資金はヨーロッパに向かい、東欧、イギリス、アイルランド、スペイン等で住宅価格バブルを引き起した。
さらに南欧国債に向かった。この結果、南欧国債の利回りは低下した。
【第3期】ユーロ危機(10~12年)
10年にギリシャ財政状況の悪化が表面化し、ユーロ危機が起きた。
10年末から12年夏にかけて、南欧国債の利回りが高騰(国債価格が暴落)した。住宅価格のバブルも崩壊した。
投機資金はユーロ圏から脱出し、セイフヘイブン(安全地域)と見なされた日独米国債に向かった。その結果、ユーロ安、ドル高、円高がもたらされた。
以上は、これまでもよく認識されてきた事柄である。あまり認識されていなかったのは、投資資金が原油にも回帰していたと考えられることだ。
原油価格下落の原因は、実需給の変化でなく、QE3の終了
【第4期】アメリカ金融緩和の終了(2014~15年)
リーマンショック後の期間において投機資金をファイナンスしてきたのがアメリカの金融緩和だが、それが終了した。つまり、「投機の時代」が終わったのだ。
金融緩和の時代には、短期資金の借り入れが容易になるので、借り入れによって総投資額を中核となる資金(年金基金など)の何倍にも膨らませて(レバレッジを掛けて)投資していた。
しかし、金融緩和が終了すると、レバレッジを縮小させざるをえなくなる。したがって投機マネーの総額も縮小する。これにより、原油価格下落が引き起こされたと考えられる。
原油価格下落の原因として、シェールガス革命、中国製造業の成長鈍化、サウジアラビアの減産回避、等々が指摘される。これらは、原油の実需給に関するものだ。
しかし、原油価格は、10年以降90ドルを超え、100ドルになっていた。08年7月に140ドルになったことに比べれば低いが、長期的水準より高い。
1980年代後半から90年代は、20ドル程度だったし、2000年代前半には、上昇はしたものの、50~60ドル程度だった。10年以降の価格上昇は、実需の増加では説明できない。
(※ 北風:投機資金が原油市場に回帰していたとの判断は正しいと考える。実需ではまったくない。
だが、米国金融緩和の終了はテーパリングといわれるとおり僅かずつの縮小であり、原油価格の急落とあまりなじまない。
投機市場のいわゆるウェーブを作り出す本流のヘッジファンドは国際金融資本の系列資金であることを考慮するなら、原油価格急落の原因は国際金融資本と米英による意図的な市場操作と見るのが妥当だろう。
ただアカデミズムの経済学者としては、あまり言いたくない言葉だ。)
投機資金の縮小により、株価も影響を受けている。ダウ平均株価は、今年に入ってから下落基調だ。日本の株価も、同じような動きだ。12月初めにピークとなり、その後下落している。
アメリカのイールドカーブが平坦化
こうして、全世界で、安全資産である国債への資金移動が生じている。金利が上がっているのは、ロシアなどの産油国だけだ。
アメリカの10年債利回りは、2014年12月終わりから低下している。12月中は2.2%を超えていたが、いまは1.8%だ(図表1参照)。

ドイツ国債の利回りも低下している。
日本の国債利回りも低下している(ただし、これは、日本銀行の買い入れによる直接的効果の影響も大きい)。
ところで、「金融緩和終了なのに、アメリカの金利が上昇するのでなく、下落しているのはおかしい」と考えられるかもしれない。
しかし、これは不自然な動きではない。金利の動向をより詳しく見ると、図表1に示すように、1年債や2年債の利回りは、上昇しているのだ。
2年債レートは、14年10月下旬をボトムとして、上昇している。1年債の利回りは、12月にかなり上昇した。
その結果、金利の期間構造を示すイールドカーブは、傾きが緩やかになっている。これは、金融緩和が終了する場合のノーマルなパターンである。
為替レートに影響を与えるのは、2年債だと言われる。日米2年債の金利差は拡大しているので、円はドルに対して安くなるだろう。
このように、国または地域間の資金異動も生じているが、あまり大きくはないだろう。それよりは、リスク資産から安全資産への動きが大きいのだ。
ユーロ危機の再現はあるか?
ギリシャの10年国債利回りは、上昇している(2014年8月には5%台だったが、15年1月には一時10%を超えた)。これは、ギリシャの政情不安を反映したものだ。
しかし、イタリア、スペインの国債利回りが低下していることに注目すべきだ(図表2)。
スペインの10年国債の利回りを中期的に見ると、12年夏には7%を超えていた。
しかし、その後継続的に低下し、14年11月下旬からは2%を下回る水準になっている。
15年1月に一時的に上昇したが、すぐに元の水準に戻り、現在では1.5%程度の水準になっている。ユーロ危機当時とは比べ物にならないほど低い水準だ。

イタリアの10年国債も、ほとんど同じ推移だ。12年夏には6.5%程度だったが、最近では1.6%程度である。
これは、上で見た第3期(ユーロ危機)とは明らかに異なる状況である。
11、12年頃には、QE3で膨れ上がっていた投機資金が南欧国債やヨーロッパの住宅投資から逃避し、セイフヘイブンと見なされた日独米に流れ込んだ。それは、日本では円高を引き起した。
それに比較すると、今回のユーロ圏からの資金流出は、さほど多くないだろう。また流出するとしても、主としてドルに戻るのだろう。
実際、ユーロはドルに対しては弱くなった(14年夏には1ユーロ=1.38ドル程度だったが、15年1月には1ユーロ=1.16ドル程度になっている)。
しかし、円に対しては、さほど大きな変化が生じない可能性がある。
14年12月以降、ユーロが円に対して弱くなったのは事実である。しかし、それは、11月から12月にかけて日銀の追加緩和で大きく円安になったのが元に戻っただけと考えられる。
14年中のレートはほぼ1ユーロ=140円程度だったので、15年1月中旬の値1ユーロ=135円は、さほどのユーロ安とは思えない。
1月25日にはギリシャ総選挙が行なわれ、その結果いかんで、今後の事態がどう展開するかには大きな不確実性がある。
しかし、財政緊縮反対を掲げる急進左派連合が第1党になるとの観測が一般的であるにもかかわらず、現実の為替、国債市場は以上で見たような状況だ。
とすれば、今後ユーロで問題が生じるにしても、ギリシャだけの問題に留まり、11、12年のようにイタリアやスペインを巻き込むような事態にはならないのではないだろうか。
スイスフラン騒動
1月15日に、スイスフラン騒動が起きた。スイス国立銀行(中央銀行)によるスイスフラン上限の撤廃によって引き起こされたものだ。
スイス国立銀行は、2011年9月以降、1ユーロ=1.20スイスフランの上限を守るため、スイスフラン売り、ユーロ買いの介入を無制限に行なってきた。
その結果、スイスの外貨準備高はGDPの7割を超える規模にまで膨らみ、ユーロ建て資産を保有するリスクを無視できなくなっていた。
ECB(欧州中央銀行)が22日の理事会で国債買い入れを決めれば、ユーロはさらに安くなる。
(※ 22日ECBはドイツの反対を押し切り国債買い入れ(量的緩和)を決定した。つまり、ユーロはさらに安くなることが確定してしまった。)
また、上述のようなギリシャの問題もある。これらによってスイスフランへの資金流入が拡大することが予想されるので、上限を撤廃したわけだ。
これを受け、スイスフランが急騰。一時は、1ユーロ=0.86スイスフランと30%近く急騰した。スイスの主要株価指数は大幅に下落した。円も1ドル=116円台に上昇し、株価が下落した。世界中のFX業者が大混乱に陥り、破綻に追い込まれた業者も出た。
これは、ユーロの本格的な下落を意味するのだろうか?
確かにこれは、スイスフランとユーロの関係で引き起こされたものだ。だが、直接的には、フランの無制限介入を行なっていたことの問題だ。
つまり、上限を撤廃したことが問題というよりは、これまで不自然な介入を続けてきたことが問題なのである。
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※ スイスフランの暴騰といい、ECBの国債買い入れ(量的緩和)の決定といい、ユーロ圏からの資金流出が激しくなることは疑いない。
ではその資金は何処へ?
これは野口氏のいうとおりだ。
もっぱら米国ドル市場、そしてスイスフラン、わずかに日本円市場ということになる。
米国に最も都合の良いECBの量的緩和決定なわけだ。
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