安倍が目論む戦前回帰、国際金融資本と天皇制
2014-12-25

安倍首相が目論む戦前回帰とはウォール街が支配する天皇制国家で、昭和天皇は実際に支配者だった 12/24 櫻井ジャーナル
12月14日が投票日だった衆議院選挙の結果、自民党と公明党は圧倒的な議席を維持した。
日本全体でも個別の政策に関して国民が支持しているわけではなく、投票率も戦後最低の52.66%にすぎず、比例代表で自民党が得票したのは17.44%、与党合計で24.66%であり、小選挙区の場合、自民党は25.33%、与党全体では26.09%。
これで圧勝と呼ぶべきでないと主張する人もいる。
野球で完敗したチームが、得点は圧倒されているものの、安打数では勝っていると強がるようなもので、選挙は議席数を争うものだということを忘れた議論。
ともかく自民党と公明党は公示前と同じ326議席を獲得し、その議席率は68.63%に達した。「2年間の安倍政権に信任をいただいた」とは言えないが、圧勝したのだ。
今後、その議席数を利用して安倍晋三政権は自国の経済を破綻させ、社会を破壊し、国民と国土を侵略戦争を続けるアメリカに差し出す政策を打ち出してくるだろう。
第2次世界大戦の前、1932年までと似たようなことをするということだ。
近代日本は明治維新で始まると言えるだろうが、徳川体制の転覆にイギリスが関与していることは否定できない。
そのイギリスは18世紀の後半から生産の機械化を進めたものの、巨大市場だった中国で売れない。
商品として魅力がなかったということだが、逆に中国の茶がイギリスで人気になって大幅な輸入超過。
この危機を打開するためにイギリスは中国へ麻薬(アヘン)を売ることにしたわけだ。
当然、中国側はアヘンの輸入を禁止しようとする。
そこでイギリスは1840年に戦争を仕掛けて香港島を奪い、上海、寧波、福州、厦門、広州の港を開港させたうえ、賠償金まで払わせている。(※ 第一次アヘン戦争)
これ以降、香港はイギリスやアメリカが東アジアを侵略する重要な拠点になった。
1856年から60年にかけてはアロー号事件(第2次アヘン戦争)を引き起こし、11港を開かせ、外国人の中国内における旅行の自由を認めさせ、九龍半島の南部も奪い、麻薬取引も公認させた。
イギリスが行った「麻薬戦争」で大儲けしたジャーディン・マセソン商会は1859年にトーマス・グラバーを長崎へ派遣し、彼は薩摩藩や長州藩など倒幕派を支援することになる。その邸宅は武器弾薬の取り引きにも使われた。
1863年には「長州五傑」とも呼ばれる井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)が藩主の命令でロンドンに渡るが、その手配を担当したのもグラバー。
渡航にはジャーディン・マセソン商会の船が利用された。
こうしたイギリスを後ろ盾とする人びとが作り上げた明治体制は「現人神」の天皇を頂点とする一種の宗教組織で、当初の天皇は飾り物にすぎなかった。
(※ 北風:当初の明治天皇は倒幕幹部(元勲)の一員、大正天皇は禁治産で、昭和天皇に至って「現人神」は頂点に達してアジア侵略に嵌り込み、否応なく米英との開戦に引きずり込まれる。)
廃藩置県の後に琉球藩をでっち上げるという不自然なことをした後、日本は台湾、朝鮮半島、中国というように侵略していくが、その背後にはイギリスやアメリカの影が見え隠れする。
日露戦争で日本はウォール街のジェイコブ・シッフから資金を調達、ウォール街と結びついていたシオドア・ルーズベルト大統領の仲介で何とか「勝利」している。
関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼った日本はウォール街の強い影響下に入るのだが、1932年にその関係が揺らぐ。
この年に行われた大統領選挙でJPモルガンをはじめとするウォール街が支援していた現職のハーバート・フーバーが破れ、ニューディール政策を掲げるフランクリン・ルーズベルトを選んだのである。
フランクリンは巨大企業の活動を規制して労働者の権利を認めようとしていただけでなく、ファシズムや植民地に反対する姿勢を見せていた。
親戚だというだけでシオドアとフランクリンを同一視するのは大きな間違いだ。
そこで、ウォール街は1933年にクーデターを準備し始めるのだが、この事実は名誉勲章を2度授与された海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー退役少将の告発で発覚する。
についてバトラー少将から聞いたジャーナリストのポール・フレンチはバトラーに接触してきた人物を取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があると聞かされたという。
これも議会の記録に残っている。
皇室とウォール街を結ぶ重要なパイプだったのがジョセフ・グルー。1932年から41年まで駐日大使を務め、戦後はジャパン・ロビーの中心的な存在として日本の「右旋回」、つまり戦前回帰を主導した人物だ。
このグルーの親戚、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻。また彼の妻、アリス・ペリー・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后(九条節子)と華族女学校(女子学習院)で親しくなっている。
言うまでもなく、昭和天皇は貞明皇后の子どもであり、昭和天皇はウォール街と結びついていたということにもなる。
(※ 「昭和天皇は貞明皇后の子ども」は事実であろう。大正天皇との間に生まれたとは当時誰も思わなかった。)
戦後、「日米同盟」の仕組みを作り上げる上で昭和天皇が重要な役割を果たしていたことを豊下楢彦教授は明らかにしたが、その背景にはこうした事情もあった。
吉田茂首相とマッカーサー司令官ではなく、天皇とワシントンとの間で軍事同盟の青写真が描かれていったのである。
「悪いのは全て軍部だった」で内部官僚をはじめとする役人、学者、新聞記者などは責任を回避、その結果が現在の日本につながっている。
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国際金融資本と明治維新、戦争責任と天皇制に関するページ。
「屈辱の日」、三日後「血のメーデー」
終戦からの米国依存と昭和天皇
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ヨーロッパの本心:ルキヤノフ
2014-12-25

ヨーロッパの本心
2014年12月22日 フョードル・ルキヤノフ, 外交・防衛政策会議議長 ロシアNOW
12月はその1年をふり返る月であるが、2014年の総括は難しい。
ウクライナ情勢、中東の「イスラム国」、原油安を招いた石油輸出国機構(OPEC)の思惑のいずれも現在進行形であり、依然として先行き不透明である。
同時に、一つの時代が四半世紀を迎えている。
25年前の1989年12月18日、「ヨーロッパにおける社会主義陣営の終わり」という時代劇の最終エピソードが始まった。
ルーマニアでは、22年間国を支配していたニコラエ・チャウシェスクに対する、大規模な反対デモが勃発。ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリアなど、東側全体ですでに、平和的な変革が起こっていた。
ルーマニアは悲劇的な例外であった。国家元首であるチャウシェスクと夫人は、「革命時代の法則に従い」、射殺された。
社会主義陣営の終わりから25年
あれから25年が経過し、これらのできごとが、「アラブの春」やウクライナの独立広場と比較されながら、ひんぱんに想起されている。
2011~2014年に起きていることの性質を考えると、ビロード革命とは呼べないものの、ルーマニアにはある程度近いと言える。
ルーマニアはその社会的、政治的な条件において、他の国ほど民主的変革への準備ができていなかったが、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)という欧米組織の拡大の波に飲み込まれた。
それらの組織に加盟すると、現代的な民主主義規範に従って社会および国家を変えることを余儀なくされる。
ルーマニアの変革は成功したとは言えないが、規範に従うことで、過去の嫌な政治現象に戻ることが抑えられる。
それでもすべてがスムーズとはいかない。
最近退任したばかりのトラヤン・バセスク元大統領は民族主義的なポピュリストの代表格であったし、隣国のハンガリーではヴィクトル・オルバン首相が、ほぼすべての分野でEUの公式な方針に反するような路線をとっている。
もっとも、欧州大西洋組織という抑止力がなければ、民族主義的ムードや報復主義的ムードははるかに強かったであろうが。
中東、ウクライナに対しては、その抑止組織が仲間意識を持っていない。
ヨーロッパもアメリカも、中東やウクライナの情勢を世界の民主化の波の一部と見なしながら同情したが、「自由の勝利」国として西側社会へ加えるような話は出さなかった。
中東や北アフリカの場合、それは理解可能である。違いが明白だからだ。
もっともEUがそれらの国を近隣プログラムに含め、パトロンの役を買って出ることを、これらの地域が妨げるようなことはなかったが。
重大な危機が発生してみると、ヨーロッパにはほとんどツールが存在しないことが判明した。
EUがウクライナを仲間に入れない理由とは
ウクライナについては不可解である。
それは統合が提案されるはずの国家圏に、ウクライナが明らかに収まっているためだ。
連合協定のようなEU側の義務が発生しない中間形式ではなく、1990年代、2000年代に中央ヨーロッパおよび東ヨーロッパであったような通常プロセスの話、また条件がそろった場合(受け入れ側の裁量で範囲が広がることは明白だが)に自動的に加盟できる、候補国の地位獲得の話である。
EUが(依然として)ウクライナを仲間に入れない理由とは何なのだろうか。
ウクライナはまだ準備ができていないといった主張に説得力はない。アルバニアはEU加盟候補国になっているのだから。
ヨーロッパ人は「ロシアを刺激したくなかった」と言うのが好きだが、それは本音ではない。
本当にどこかの国の加盟を望んでいるのであれば、ロシアの意見など取るに足らぬものであろう。
ヨーロッパは昔からあることを認識していた。
それはウクライナが非常に問題の多い国であり、加盟の基準に到達するためには、並々ならぬ努力を要することを。(※ 端的に言い切ればそのすさまじいほどの汚職、利権の政治体質と途方も無い闇経済。)
だが懐疑的な態度は何よりも、ウクライナがヨーロッパ領域の自然かつ不可欠な一部であるというはっきりとした感覚が、ヨーロッパにないことと関係している。
敵の敵は味方か
EUの積極的な政策とは、ウクライナを仲間に入れたいというヨーロッパ諸国の気持ちからきているものではなく、ロシアに対する反感からきているものであり、それがウクライナのドラマなのである。
連合は裏目に出た。ロシアとEUの対立の結果、ウクライナは以前よりもEU加盟から遠のいている。
ヨーロッパは起こっていることに呆然とし、この危機によって生じる自分たちのコストをいかにして最小限に抑えるかについてばかり考えている。
2014年の主なポイントとは、おそらく、これまでの四半世紀と同様、可能性の限界が見えたということではないだろうか。
EUが自分たちへのダメージなしにこれ以上拡大することは無理であり、非加盟国にかかるコストは、EUのふところに合わない。
ロシアは自国の国境に沿って非友好的な統合体が広がるのを妨げることもできる。
だが本腰を入れるほどのことではない。
ウクライナや「中間」国にとって、これは悪いニュースである。
そしてある結論に達するべきである。
それは対立をあおるのではなく、むしろ協力に寄与するということ。
今のところ、起こっていることは逆である。
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