ドル高転換で資産収奪を図る米国、協力するアベノミクス
2014-10-08
ドル高政策に転じた米国政府 その真意は? 10/7 闇株新聞
1971年8月15日にニクソン大統領がドルと金の交換を停止してしまい、1976年1月から世界の通貨制度は変動相場制に移行して現在に至ります。
変動相場制のドルは基本的に下落を続けていますが、過去2回だけ明確な「ドル高政策」を推進した時期があります。
1回目はレーガン政権(1期目)が1981年1月に発足した直後から1985年初めまで標榜した「強いドル政策」で、ドルは1978年の1ドル=175円から1985年初めには1ドル=260円まで上昇しました。
変動相場制移行直後のドルは当然に不安定だったのですが、「強いドル政策」は高金利も伴ったため世界中から投資資金が米国に流入し、不安定だった米国経済を劇的に改善させました。
何よりもドルが金に代わって世界の基軸通貨となりました。「紙切れのドル」が有史以来の価値基準だった「金」になり代わって現在に至ります。
ちなみに行き過ぎたドル高は米国産業界の反発を買い、1985年9月の「プラザ合意」でドルの水準を大幅に引き下げた結果、1988年初めには1ドル=120円になってしまいました。
ちょうど対外投資が完全に解禁されたため「狂ったように」ドル債投資を行っていた日本の機関投資家や簡保・郵貯などが「大損」となりました。
2回目はクリントン政権(1期目)の途中、1995年8月からルービン財務長官が標榜した「強いドルは米国の国益」で、ドルは日米通商問題のこじれから1995年4月に1ドル=79.75円だったところから1998年8月には1ドル=147円まで上昇しました。
直接の理由は1984年12月の「メキシコ通貨危機」で米国からの資本流出が懸念されたからですが、再び加速した米国への資本流入が長期金利を低下させ株高をもたらし、米国経済を回復させて財政黒字まで実現していました。
ちなみに行き過ぎたドル高は、ドル建て債務の多かったロシア、タイ、韓国、アルゼンチンなどの経済危機を招いてしまいました。
2回しか前例がありませんが、米国政府がドル高政策に転じたときは「それなりの意味があり」、またそのツケは必ず外国に回されることになります。
そして現在、米国政府は3回目の「ドル高政策」に転じたと考えます。
前2回と違いキャッチコピーがありませんが、そのうちオバマ大統領かルー財務長官から出てくるはずです。
それでは米国政府が「ドル高政策」に転じた理由は何でしょう?
世界的に「経済減速」「インフレ率低下」「長期金利低下」「資源・エネルギー価格低下」が続くと思われるため、比較的経済が回復している米国は「ドル高政策」により世界から投資資金を流入させ、さらなる株高・不動産市況の好転を通じて米国経済の優位性を一気に高めるためと考えられます。
もっとわかりやすくいうと、日本に残る金融資産を一気に掻っ攫う(かっさらう)ためです。
そのためにFRBは量的緩和(QE3)を打ち切り、景気回復が本格的であることを確認する前に来年からの利上げ予想を市場に植え付けたのです。
来年から実際に利上げするかどうかは、来年にならないとわかりません。
日本では、すべての証券会社や銀行や運用会社が(ドル資産だけとは限りませんが)外貨資産営業推進のオンパレードで、すべてのエコノミストや評論家は「ドル高・円安」の大合唱です。
安倍首相は2回目の消費増税を年内に決定してしまうために株高しか頭になく、旧大蔵官僚の黒田日銀総裁は(消費増税のためには)躊躇なく追加量的緩和に踏み切ると言明しています。
日本政府と日銀は、意識的であるかどうかは不明ですが、見事に米国政府の「ドル高政策」に協力していることになります。
「そんな大げさな」と考えられると思いますが、これが長く米国の為替政策を見てきた本誌の「直感」です。大きくは外れていないはずです。
1971年8月15日にニクソン大統領がドルと金の交換を停止してしまい、1976年1月から世界の通貨制度は変動相場制に移行して現在に至ります。
変動相場制のドルは基本的に下落を続けていますが、過去2回だけ明確な「ドル高政策」を推進した時期があります。
1回目はレーガン政権(1期目)が1981年1月に発足した直後から1985年初めまで標榜した「強いドル政策」で、ドルは1978年の1ドル=175円から1985年初めには1ドル=260円まで上昇しました。
変動相場制移行直後のドルは当然に不安定だったのですが、「強いドル政策」は高金利も伴ったため世界中から投資資金が米国に流入し、不安定だった米国経済を劇的に改善させました。
何よりもドルが金に代わって世界の基軸通貨となりました。「紙切れのドル」が有史以来の価値基準だった「金」になり代わって現在に至ります。
ちなみに行き過ぎたドル高は米国産業界の反発を買い、1985年9月の「プラザ合意」でドルの水準を大幅に引き下げた結果、1988年初めには1ドル=120円になってしまいました。
ちょうど対外投資が完全に解禁されたため「狂ったように」ドル債投資を行っていた日本の機関投資家や簡保・郵貯などが「大損」となりました。
2回目はクリントン政権(1期目)の途中、1995年8月からルービン財務長官が標榜した「強いドルは米国の国益」で、ドルは日米通商問題のこじれから1995年4月に1ドル=79.75円だったところから1998年8月には1ドル=147円まで上昇しました。
直接の理由は1984年12月の「メキシコ通貨危機」で米国からの資本流出が懸念されたからですが、再び加速した米国への資本流入が長期金利を低下させ株高をもたらし、米国経済を回復させて財政黒字まで実現していました。
ちなみに行き過ぎたドル高は、ドル建て債務の多かったロシア、タイ、韓国、アルゼンチンなどの経済危機を招いてしまいました。
2回しか前例がありませんが、米国政府がドル高政策に転じたときは「それなりの意味があり」、またそのツケは必ず外国に回されることになります。
そして現在、米国政府は3回目の「ドル高政策」に転じたと考えます。
前2回と違いキャッチコピーがありませんが、そのうちオバマ大統領かルー財務長官から出てくるはずです。
それでは米国政府が「ドル高政策」に転じた理由は何でしょう?
世界的に「経済減速」「インフレ率低下」「長期金利低下」「資源・エネルギー価格低下」が続くと思われるため、比較的経済が回復している米国は「ドル高政策」により世界から投資資金を流入させ、さらなる株高・不動産市況の好転を通じて米国経済の優位性を一気に高めるためと考えられます。
もっとわかりやすくいうと、日本に残る金融資産を一気に掻っ攫う(かっさらう)ためです。
そのためにFRBは量的緩和(QE3)を打ち切り、景気回復が本格的であることを確認する前に来年からの利上げ予想を市場に植え付けたのです。
来年から実際に利上げするかどうかは、来年にならないとわかりません。
日本では、すべての証券会社や銀行や運用会社が(ドル資産だけとは限りませんが)外貨資産営業推進のオンパレードで、すべてのエコノミストや評論家は「ドル高・円安」の大合唱です。
安倍首相は2回目の消費増税を年内に決定してしまうために株高しか頭になく、旧大蔵官僚の黒田日銀総裁は(消費増税のためには)躊躇なく追加量的緩和に踏み切ると言明しています。
日本政府と日銀は、意識的であるかどうかは不明ですが、見事に米国政府の「ドル高政策」に協力していることになります。
「そんな大げさな」と考えられると思いますが、これが長く米国の為替政策を見てきた本誌の「直感」です。大きくは外れていないはずです。
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