ただいま被曝中(51)嫌われる勇気
2014-08-22
嫌われる勇気 8/22 「ただいま被曝中」氏から
昔から『自信満々なのが癇に障る』とか『人を馬鹿にしている』とかよく言われますww
実際はいつも自信が無くて不安だらけだし、全く人を馬鹿にしているつもりはないのですが、そういわれてしまいます。
小学校のころから『お前は人を、おれを馬鹿にしているだろう!』と突然教員から言われたりもしていました。
この手の言いがかりwwを言ってくる人々は決まって『偉い方(笑)』です。
ご自分の立ち位置をとても大切にされている方で、一番でありたいと願う方々が多いようにお見受けします。
www
充分にバカにした言い回しになってしまいましたww
しかし、実際はそれほどバカにしていません。
ほとんど眼中にないと言うか、皆さんフラットに同じ人間であるとしか思っていないだけです。
特別扱いされたがっているのは感じますが、そうしないためイラっとされるのかもしれませんね。
本屋でこんなのを見つけました。
アドラーの心理学です。
個人的には、アドラーと比べたらフロイトなど子供だましです。
良くありがちな・・・
またこれを言うと批判を浴びそうなのでひかえますwww
アドラー思想の本はいろいろ出版されていますが、この本が一番読みやすくて理解しやすいと思うので、お勧めしておきます。
『嫌われる勇気』と言う本です。
主題自体は少し誤解をされやすい題名ですが、読み進むと理由が判ります。
一部かいつまんでみましょう。
ある青年が喫茶店においてコーヒーを飲んでいると店員がテーブルをひっかけ、青年のスーツにコーヒーをこぼしてしまいました。
青年は本来とても穏やかな性格でしたが、あまりの衝撃に怒りがこみあがって、立ち上がって店員を怒鳴りつけました。
店員は平謝りをして謝罪しました。
この出来事は、フロイトで言うところでは『店員がコーヒーをこぼした事による【原因】が怒鳴ると言った結果を招いた』という事になります。
しかしアドラー理論では異なります。
この青年は『怒鳴る』という【目的】があってそのようにしたのだというのです。
落ち着いて静かに指摘しても店員は全面的に非を認め謝罪したであろうことは明白であるにも関わらず、怒鳴るという表現を選択したのだというのです。
この本は青年と哲学者の対話形式で話が進みます。
最初は青年と同じ気持ちで読み進めますが、だんだんアドラーの理論が理解できるようになって、目から鱗が、裸になるほど落ちてきますww
必読ともいえるお勧めの本です。
ご紹介しておきます。
それによって、私は非難される事が減って、理解される事が多くなればと心より願います(笑)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※(以下は北風のコメント)
私はアドラーというのはどうも生産性向上のためのテクニカル人間関係論とか自己啓発とかに援用される場合が多いように思っていました、ゆえに、実はアドラーそのものは読んでおりません。
読んだのはフロイト、ユング、ライヒなどです。アドラーも初期には彼らの仲間であった、つまり精神分析という認識分野を作り上げた仲間だったはず。
「ただいま被曝中」氏が「またこれを言うと批判を浴びそうなのでひかえます… 」っと言っていますが、なぜアドラーを薦めるに至ったのかは、そのうちご本人からの具体的な話があると思います。
とりあえずは、アドラー「嫌われる勇気」については、次の要約項目から想像してください。
アドラー心理学(基本編) 「じぶんハック」のブログから
まずはアドラー心理学を理解するうえで、基礎となる考え方をご紹介します。
世界はシンプル、複雑にしているのは自分自身
世界や人生が複雑なのではなく、自分が複雑にとらえているだけ
自分が色眼鏡を外せば世界と人生がシンプルであることに気づく
「原因論」を否定し、「目的論」の立場をとる
人は「過去の出来事」に行動を縛られたりはしない(原因論の否定)
常に「未来の目的」のために行動を選びとっている(目的論の肯定)
ゆえにトラウマは存在しないし、感情に支配されることもない
これまでの人生に何があったとしても、今後の人生を生きる上で何の影響もない
人は「自分を変える」ことができる
起こったことをどう解釈するかは「ライフスタイル」(性格、思考パターン、人生観)で決まる
人は「ライフスタイル」を自ら選んでいる
いま選んでいるライフスタイルで不幸ならば、もう一度選びなおせばいいだけ
すべての悩みは「対人関係」
個人で完結する内面の悩みというものは存在しない
どんな悩みにもどこかで他者が介在する
「間違った劣等感」と「劣等コンプレックス」を捨てる
理想とする自分に対していまの自分が「足りていない」と感じるのは「正しい劣等感」
他人と比べて自分を「劣っている」と感じるのは「間違った劣等感」
「自分はここが劣っているから○○できない」と考えるのは「劣等コンプレックス」
承認欲求を否定する
自分は他者の期待を満たすために生きているのではない
同時に他者も自分の期待を満たすために生きているわけではない
ゆえに人間の承認欲求は否定されなければならない
課題を切り分ける
人はそれぞれ自分の課題に立ち向かうために生きている
「自分の課題」と「他者の課題」を分離して考え、「他者の課題」には踏み込まない
自らが信じる最善の道を選ぶことが「自分の課題」で、その選択を他者がどう評価するかは「他者の課題」
自由とは「他者から嫌われること」
すべての人から嫌われないようにする生き方は不自由だし、実質不可能なこと
自由を手に入れるために支払うべき当然のコストは「他者から嫌われること」
わざわざ嫌われる、のではなく、嫌われることを恐れずに前に進む
「対人関係」で目指すゴールは「共同体感覚」
「共同体感覚」は他者を「仲間」だと思え、そこに自分の居場所があると感じられる感覚のこと
この感覚を持てれば、すべての「対人関係」の問題は解決する
「共同体」とは、家庭、職場、社会・国家、人類、動植物、無生物、過去、未来など文字通り「すべて」
自分の正確な大きさをとらえる
課題の分離で「自分にできること」と「自分にできないこと」を理解する
それ以上分けられない「個人」としての自分を理解する(心と体、理性と感情、意識と無意識など)
自分は世界の中心などではなく、「共同体の一部」であることを自覚する
すべての人と「横の関係」を築く
「縦の関係」を否定し、すべての人間関係を「横の関係」にする
会社の上司に対しても、自分の子どもに対しても「同じではないけれど対等」という意識を持つ
褒めることも叱ることもしてはならない(相手を評価して操作することが目的になるため)
純粋な感謝をするのみ(ありがとう、うれしい、助かったよなど)
人はここに存在しているだけで価値がある
誰かがかろうじて命をとりとめたとき、無事に存在してくれているだけで喜びを感じるもの
人はありのままの姿で、ここに存在してくれているだけで喜び、感謝を伝えるべき対象である
※ この要約項目の引用者がどちらかと言えば自己啓発系統の人なので、偏ってる可能性はありますが、およそ何にせよすべての引用は偏りがあるもの。わたしたちの想像力がそれを克服します。
アドラーはフロイトなどとはかなりカテゴリーの異なる発展をしています。
かなり小市民的な認識要素を許しています。
が、同時に非常に社会共同的で、核心的で革命的な人間についての認識論のようです。
昔から『自信満々なのが癇に障る』とか『人を馬鹿にしている』とかよく言われますww
実際はいつも自信が無くて不安だらけだし、全く人を馬鹿にしているつもりはないのですが、そういわれてしまいます。
小学校のころから『お前は人を、おれを馬鹿にしているだろう!』と突然教員から言われたりもしていました。
この手の言いがかりwwを言ってくる人々は決まって『偉い方(笑)』です。
ご自分の立ち位置をとても大切にされている方で、一番でありたいと願う方々が多いようにお見受けします。
www
充分にバカにした言い回しになってしまいましたww
しかし、実際はそれほどバカにしていません。
ほとんど眼中にないと言うか、皆さんフラットに同じ人間であるとしか思っていないだけです。
特別扱いされたがっているのは感じますが、そうしないためイラっとされるのかもしれませんね。
本屋でこんなのを見つけました。
アドラーの心理学です。
個人的には、アドラーと比べたらフロイトなど子供だましです。
良くありがちな・・・
またこれを言うと批判を浴びそうなのでひかえますwww
アドラー思想の本はいろいろ出版されていますが、この本が一番読みやすくて理解しやすいと思うので、お勧めしておきます。
『嫌われる勇気』と言う本です。
主題自体は少し誤解をされやすい題名ですが、読み進むと理由が判ります。
一部かいつまんでみましょう。
ある青年が喫茶店においてコーヒーを飲んでいると店員がテーブルをひっかけ、青年のスーツにコーヒーをこぼしてしまいました。
青年は本来とても穏やかな性格でしたが、あまりの衝撃に怒りがこみあがって、立ち上がって店員を怒鳴りつけました。
店員は平謝りをして謝罪しました。
この出来事は、フロイトで言うところでは『店員がコーヒーをこぼした事による【原因】が怒鳴ると言った結果を招いた』という事になります。
しかしアドラー理論では異なります。
この青年は『怒鳴る』という【目的】があってそのようにしたのだというのです。
落ち着いて静かに指摘しても店員は全面的に非を認め謝罪したであろうことは明白であるにも関わらず、怒鳴るという表現を選択したのだというのです。
この本は青年と哲学者の対話形式で話が進みます。
最初は青年と同じ気持ちで読み進めますが、だんだんアドラーの理論が理解できるようになって、目から鱗が、裸になるほど落ちてきますww
必読ともいえるお勧めの本です。
ご紹介しておきます。
それによって、私は非難される事が減って、理解される事が多くなればと心より願います(笑)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
※(以下は北風のコメント)
私はアドラーというのはどうも生産性向上のためのテクニカル人間関係論とか自己啓発とかに援用される場合が多いように思っていました、ゆえに、実はアドラーそのものは読んでおりません。
読んだのはフロイト、ユング、ライヒなどです。アドラーも初期には彼らの仲間であった、つまり精神分析という認識分野を作り上げた仲間だったはず。
「ただいま被曝中」氏が「またこれを言うと批判を浴びそうなのでひかえます… 」っと言っていますが、なぜアドラーを薦めるに至ったのかは、そのうちご本人からの具体的な話があると思います。
とりあえずは、アドラー「嫌われる勇気」については、次の要約項目から想像してください。
アドラー心理学(基本編) 「じぶんハック」のブログから
まずはアドラー心理学を理解するうえで、基礎となる考え方をご紹介します。
世界はシンプル、複雑にしているのは自分自身
世界や人生が複雑なのではなく、自分が複雑にとらえているだけ
自分が色眼鏡を外せば世界と人生がシンプルであることに気づく
「原因論」を否定し、「目的論」の立場をとる
人は「過去の出来事」に行動を縛られたりはしない(原因論の否定)
常に「未来の目的」のために行動を選びとっている(目的論の肯定)
ゆえにトラウマは存在しないし、感情に支配されることもない
これまでの人生に何があったとしても、今後の人生を生きる上で何の影響もない
人は「自分を変える」ことができる
起こったことをどう解釈するかは「ライフスタイル」(性格、思考パターン、人生観)で決まる
人は「ライフスタイル」を自ら選んでいる
いま選んでいるライフスタイルで不幸ならば、もう一度選びなおせばいいだけ
すべての悩みは「対人関係」
個人で完結する内面の悩みというものは存在しない
どんな悩みにもどこかで他者が介在する
「間違った劣等感」と「劣等コンプレックス」を捨てる
理想とする自分に対していまの自分が「足りていない」と感じるのは「正しい劣等感」
他人と比べて自分を「劣っている」と感じるのは「間違った劣等感」
「自分はここが劣っているから○○できない」と考えるのは「劣等コンプレックス」
承認欲求を否定する
自分は他者の期待を満たすために生きているのではない
同時に他者も自分の期待を満たすために生きているわけではない
ゆえに人間の承認欲求は否定されなければならない
課題を切り分ける
人はそれぞれ自分の課題に立ち向かうために生きている
「自分の課題」と「他者の課題」を分離して考え、「他者の課題」には踏み込まない
自らが信じる最善の道を選ぶことが「自分の課題」で、その選択を他者がどう評価するかは「他者の課題」
自由とは「他者から嫌われること」
すべての人から嫌われないようにする生き方は不自由だし、実質不可能なこと
自由を手に入れるために支払うべき当然のコストは「他者から嫌われること」
わざわざ嫌われる、のではなく、嫌われることを恐れずに前に進む
「対人関係」で目指すゴールは「共同体感覚」
「共同体感覚」は他者を「仲間」だと思え、そこに自分の居場所があると感じられる感覚のこと
この感覚を持てれば、すべての「対人関係」の問題は解決する
「共同体」とは、家庭、職場、社会・国家、人類、動植物、無生物、過去、未来など文字通り「すべて」
自分の正確な大きさをとらえる
課題の分離で「自分にできること」と「自分にできないこと」を理解する
それ以上分けられない「個人」としての自分を理解する(心と体、理性と感情、意識と無意識など)
自分は世界の中心などではなく、「共同体の一部」であることを自覚する
すべての人と「横の関係」を築く
「縦の関係」を否定し、すべての人間関係を「横の関係」にする
会社の上司に対しても、自分の子どもに対しても「同じではないけれど対等」という意識を持つ
褒めることも叱ることもしてはならない(相手を評価して操作することが目的になるため)
純粋な感謝をするのみ(ありがとう、うれしい、助かったよなど)
人はここに存在しているだけで価値がある
誰かがかろうじて命をとりとめたとき、無事に存在してくれているだけで喜びを感じるもの
人はありのままの姿で、ここに存在してくれているだけで喜び、感謝を伝えるべき対象である
※ この要約項目の引用者がどちらかと言えば自己啓発系統の人なので、偏ってる可能性はありますが、およそ何にせよすべての引用は偏りがあるもの。わたしたちの想像力がそれを克服します。
アドラーはフロイトなどとはかなりカテゴリーの異なる発展をしています。
かなり小市民的な認識要素を許しています。
が、同時に非常に社会共同的で、核心的で革命的な人間についての認識論のようです。
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