ロシア、欧米の経済制裁に報復措置
2014-08-08

奢る平家は久しからずや。
傲慢のかたまりとしか言いようのない米国のの単独覇権と、それに利害が合わないにもかかわらず追従するEU、カナダ、豪州。
ついにロシアは欧米の脅しと経済制裁に報復措置を決断した。
当面は農産物の輸入禁止である。
さらに可能性としては膨大な輸出がある。ガス、石油、電力、鉱物資源、農産物からロケットエンジンなどまで考えられる。
メドベージェフは欧米民航機のロシア上空通過の禁止あるいは通過料引き上げも検討するとした。
今回の農産物では、特にロシアの需要が大きいEUは、利益率を下げても第三国経由で輸出することになるだろう。
ロシアはBRICSなど米国に追随しない主要国の反応を確かめてから決断したようである。
報復措置対象国以外の農産物輸出大国としては、友好国の中央アジア諸国以外に、アルゼンチン、ブラジル、南アフリカ、ニュージーランド、インドネシア、メキシコなどがある。
少なくとも、EUよりもはるかにロシアは「困らない」。
ロシアは旧ソ連以来の自力経済体制、世界一の国土、鉱産資源、大量生産工業が弱いが、原材料から先端高度製品までの一貫した自立システムをもっている。
もともと基本的に「経済制裁」には強い体制、産業構造なのだ。
同時にウクライナは軍と社会施設の崩壊が進んでいる。
各都市でテッツからの温水供給が途絶え始めている。国民は冬の暖房を心配し始めているだろう。
ドネツク、ルガンスクを包囲したはずのウクライナ軍は、ロシア国境と義勇軍に逆包囲される形となり、輸送機が義勇軍に撃墜されて食糧、弾薬の補給も無くなってしまった。
負傷兵の手当もできず、ロシア国境に沿って包囲から脱出しようとしたが、もちろんロシア軍に発見されて無条件投降した。投降があきらかなだけで500人はいたようである。
同じ逆包囲、補給なし状態の数千人が投降する可能性。
ウクライナ空軍が機能しなくなった。陸軍は非武装住民混じりの義勇軍とは戦いたくないので負傷者が増えるばかり。
キエフ政権の武装勢力はネオナチ親衛隊と外国傭兵の合わせて数千人に減る可能性がある。
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ロシア政府 禁輸リストを発表 8/7 ロシアの声
プーチン大統領は水曜、対ロ制裁を導入した諸国からの農産物・原料・食料品の輸出を禁止する決定を下した。
内閣府のサイトに7日、ロシアが輸入を制限する品目のリストが掲載された。
文書には、「ロシアへの輸入が1年間禁止された米国、欧州連合(EU)、カナダ、オーストラリア、ノルウェーからの農作物、原料、食料品のリストが確認された」と記されている。
リストには、冷蔵、生鮮、冷凍の牛肉や豚肉、鶏肉、塩漬け、乾燥、薫製された肉、魚、甲殻類、その他の水産無脊椎動物、牛乳、乳製品、野菜、根菜、果物、ナッツ類、ソーセージその他これに類する肉製品、チーズおよびこれに類する製品、肉の副次品および血液などが含まれている。
リストには、植物性脂肪を基盤としたチーズ、カッテージチーズを含むそのまま食べられる食品や、植物性脂肪を基盤にした牛乳を含む食品も掲載されている。
なお、幼児食用の品は対象外となる。
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米国の命令には背けないEUや日本に合理的判断を期待できないと悟った露国は制裁への報復を決断 8/7 櫻井ジャーナル
ロシアのウラジミル・プーチン大統領は自国に「制裁」を科している国々、つまり日米欧に報復する決断をした。
今後1年間農産品の輸入を禁止または制限するのだという。
この段階まで報復しなかった理由はEUや日本がアメリカの暴走にブレーキをかけることを期待していたからだろうが、こうした国々の支配層はアメリカに抵抗できないことを確認し、踏ん切りをつけただけでなく、恐らく、アメリカが戦争を仕掛けてくるなら受けて立つと腹をくくった。
ロシアの報復を批判する声明をEUは発表したが、滑稽である。
制裁が話題になり始めた直後から、経済制裁で最もダメージを受けるのはEUだと指摘されていた。
ロシアはEUを必要としないが、EUはロシアが必要だからだ。
これまでロシアが報復しなかったことを感謝しなければならない。
実は、アメリカの経済界も政府のロシア制裁には反対している。
「西側」の経済がダメージを受けると認識しているからだが、そうしたことを気にしない勢力が現在のホワイトハウスを動かしている。
戦争自体を目的としたり、ウクライナやロシアを乗っ取り、略奪したいと望んでいる欲望で目の眩んだ連中だ。
EUは声明の中でクリミアの併合とウクライナの不安定化を自分たちの「制裁」を正当化する理由として挙げているが、クリミアの住民が独立の道を選んだ理由はウクライナの選挙で選ばれた政権をネオ・ナチが前面に出たクーデターで倒されたことに危機感を感じたからであり、ウクライナを不安定化させているのもそのネオ・ナチやIMFの要求。そのネオ・ナチを操っているのがアメリカ/NATOだ。(これは本ブログで何度も書いてきたこと。)
理由になっていない。
今回は農産物だけの話に止まっているが、エネルギーに波及するとEUは破綻する。
現在、EUは天然ガスの3分の1以上をロシアからの輸入で賄っているのだ。
これだけの量を補填する体制を数年で整えることはアメリカの能力を超えている。
この程度のことはEUの「エリート」も理解していただろう。
その上で、アメリカの命令に従ったのだ。
いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」で潰すべき潜在的ライバルとされた国々の中にはEUもロシアと同じように含まれていた。
アメリカの立場から見るとロシアへの経済制裁は一石二鳥ということ。
考えてみれば、第1次世界大戦や第2次世界大戦で戦場になったヨーロッパは衰退、それを利用して世界に君臨するようになったのがアメリカだ。
ロシア側から見ると、EUに替わる新たな天然ガスの販売先がすでに存在する。言うまでもなく中国だ。
ロシアと中国は5月21日に天然ガスの供給契約を結び、今後30年間にロシアは中国へ毎年380億立方メートルを供給することになった。
中国としてもこの取り引きには大きな意味がある。
アメリカは中国の石油や天然ガスの輸送ルートをいつでも断つことができるように、南シナ海での軍事力を強化している。日本の「シーレーン防衛」もそうした戦略の一環だろう。
そこで中国はミャンマーやパキスタンにパイプラインを建設しようとしてきたのだが、アメリカはミャンマーとの関係改善を図り、そうした動きを潰そうとしている。
そうした状況の中、ロシアからの天然ガスを確保する意味は大きい。
ロシアへ接近した中国に「制裁」を科すことはアメリカにとって自爆行為だが、それでもやりかねないのがネオコンと戦争ビジネス。
早晩、中国もアメリカに対して持っている幻影を捨てなければならない時が来る。
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フランス農家、ロシアの農産物輸入制限を憂慮 8/7 ロシアの声
フランスの農業団体FNSEAはロシアがEUからの食料品の輸入を制限する決定を下したことに憂慮を抱いている。木曜、フィガロ紙が報じた。
FNSEAのクサヴィエ・ベレナ代表によれば、これまでEUからロシアに輸出されてきた製品は今後欧州諸国だけで分け合うことになり、危機的状況が生まれることになる。
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EUが試算、ロシア禁輸で120億ユーロの損失 8/7 ロシアの声
ロシアの導入する禁輸措置により欧州諸国が蒙る損失は120億ユーロに達する恐れ。
ラジオヴィガウダス・ウシャツカス駐モスクワEU大使は「ガヴァリット・モスクヴァ(モスクワは語る)」に出演したなかでこう語った。
仏の国民農業生産者組合連合(FNSEA)のサヴィエ・ビョレン代表も7日、欧州の農産品の対露輸出の禁止によって、欧州市場は危機的状況に陥る危険性があると指摘している。リアノーボスチ通信が伝えた。
ビョレン代表は、ロシアへの輸出向け生産物がロシア市場に送れない場合は、欧州市場に流入しかねないと指摘し、これによって危機的状況に陥る危険性があると懸念を表した。
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米国農業界、ロシアの輸入制限に失望 8/7 ロシアの声
米国最大の農業団体AFBFはロシアによる制裁措置に失望している。水曜、AFBFのボブ・ストールマン総裁が述べた。
「明らかに政治的な措置だ。この中で一番の敗者となるのがロシアの消費者たちであるということが残念だ」。ロシアの制裁措置が米国農業界に与える影響について尋ねたリア・ノーヴォスチの照会に対して、ストールマン氏は以上のように回答した。
なおストールマン氏は、農業界は食料品輸入制限を発表したロシアの立場を理解している、とも指摘した。
「米国の農業・畜産業界は、もしロシアが食料品・農産品の輸入の禁止・制限について発表しなかったとすれば、むしろより驚いたことだろう」とストールマン氏。
なおストールマン氏は、ロシアの禁輸措置によって米国の農家が受ける損失の可能性については、コメントしなかった。
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ロシア政府: 米国とEUの航空機のロシア上空の飛行禁止を検討 8/7 ロシアの声
ロシアのメドヴェージェフ首相は7日、ロシアは航空会社「ドブロリョート」に対する西側の制裁への報復措置として、欧州および米国の航空会社によるロシア上空の飛行の禁止を検討していると発表した。
メドヴェージェフ首相は、「ローコストキャリアと呼ばれるロシア初の格安航空会社は8月4日、これらの非友好的な制裁の結果、活動の停止を余儀なくされた。
欧州の全ての取引先はリース契約、メンテナンス、保険、航空情報の提供の合意に基づく自分たちの義務の遂行を拒否した」と指摘した。
メドヴェージェフ首相は、「これが原因で、ロシア国民には問題が起こった。私たちはその問題を解決しなければならない」と述べた。
またメドヴェージェフ首相は政府会合で、ロシアはロシア領を経由するウクライナの航空会社の便のトランジットを禁止していると発表した。
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ウクライナの大都市でお湯が止まり始める 8/7 ロシアの声
ウクライナ南部・東部のマリウポリで6日からお湯が止まった。地元のウェブサイトが伝えた。なお地元当局はすでに、この決定を取り消すと発表した。
これより先、ウクライナの首都キエフでガスを節約するためにお湯が止まった。
多くの住民は、ボイラーを購入している。家電製品の店主がイタル・タス通信の記者に語ったところによると、「キエフでこれほど給湯器の需要が高まったことはなかった」という。
キエフでは大量の給湯器の設置を受け、電気温水器が使用された場合、送電網が加熱する可能性がある。
キエフ市議会の住宅に関する委員会の委員長を務めるアレクサンドル・クリュス氏は、「キエフには、電力の耐久性に余裕のある地域はひとつもない」と語り、「以前は週に1-2台のボイラーが購入されていたとしたら、今は1日に4-5台のボイラーが購入されている」と述べた。
(※ 旧ソ連と東欧諸国の都市はふつう暖房と給湯が地域集中の暖房センター(テッツ)から地下パイプで各戸に供給されており、個別住宅はその設備を持たない。
また、燃料と電気はソ連時代は無料、現在も非常な低価格であるのは友好国価格による。ウクライナはもちろん除外される。)
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ウクライナのスペツナズ、銃口をキエフに向けかえる用意あり (VIDEO) 8/7 ロシアの声
ウクライナ国防省諜報総局の特務班の戦士たちが記者らに対し、戦争および政権への自らの態度のあり方を明かした。
「権力者らには、人が何人死のうとどうでもいいのだ。彼らにとって我々は肉だ。
我々が誰のために戦っているのか分からない。どうやら彼ら(キエフの政治家ら)がよい暮らしをするために戦っているのだろう。
こんな英雄たちが誰に必要だと言うのか?負傷者が山積している。しかし戦地から運びだすことも誰にも出来ない。今に壊疽が始まるかも知れない。
上層部にとってはどうでもいいことなのだ。我々など一顧だに値しないのだ。
将軍らの知るただ一つのことは、テントはしっかり立たなくてはならない、ということだけだ。
政権は変わったが、国民は無視されたままだ。
ある一味が別の一味から政権を奪取しただけだ。
この間唯一の変化と言えば、クリミアが今や無く、多くの人が死んでいることだ。
2月のマイダンなど、彼らには取るに足りないことに思えるのだろう。我々は誰のことも哀れには思うまい。
我々は何のために死んでいくのか?雀の涙の俸給のため?
軍事委員部には太鼓腹が座って金勘定している。
われらが大国は肥溜めの中にあった、これからもあるだろう。
ウクライナ政権が本物の軍事政権に取って代わられるまで、いかなる変化も見込めない。軍隊が権力を握り、有力者の子弟どもを悉くナイフで貫くまでは。
彼らは絶滅させねばならない。まだ小さいうちに、根絶やしにしなければならない。そしたら奴らも怖くなるだろう。
そんな奴らが政権に、また買収された将官どもの中に残っている。奴らは胡坐をかいて、休んでいる。戦え、死ね、そしたら軍事委員会がまた新しいのを寄越すから、と。
ヤヌコーヴィチが退けられて、何が変わった?兵士たちは政権に欺かれている。もし彼らがそれに気が付けば、誰も武器を手放しはしない。
我々は武器・兵器とともにキエフに進撃し、全てを均し、そこに庭を作ろう」
ロシアのインターネットより
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集団自衛権に興奮して喜ぶ「ジャパン・ハンドラーズ」
2014-08-08
戦後、米ソの冷戦時代から今に至るも日本のマスコミと政治を支配してきた米国軍産複合体。
その現在のエージェントがジョセフ・ナイ、アーミテージ、グリーンなどCSIS系統の人脈である。
米国民主党オバマ政権の公式役職には何の関係もない人脈だが、戦後日米安保の巨大利権と結びついている彼らは、日本のマスコミと政治を支配する力を持っているがために、米国政府も対日政策では彼らを利用しつつ、利用される関係が続いている。
米国の日本研究者の間では彼らを、「ジャパン・ハンドラー」と呼ぶ。
このことはもちろん、日本の大手マスコミ系統では決して使わない言葉である。
集団自衛権、TPP、原発再稼働から消費増税、異次元金融緩和に及ぶこの国の政策はほぼすべてが米国の国益に従い指示されて実行しているものであり、彼ら「ジャパン・ハンドラー」が具体的に指導監督している代物である。
閣議決定による憲法の無法化となった集団自衛権だが、対米関係での実行行為はさらにどこに踏み込んでゆくのか。
今後の日米軍事関係というわけだが、秘密でも何でもない。日本のマスコミが報道しないだけで、ジャパンハンドラーズは既に提示しているのである。
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対中強硬策、「南シナ海日米共同監視」浮上
"ジャパン・ハンドラー"が突き動かす安倍政権 高橋 浩祐 :ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員 東洋経済オンライン

南シナ海に展開する中国の 沿岸警備艇(2014年7月撮影、ロイター/アフロ) 。日米がこの海域を共同監視するようになる可能性が高く、その場合、中国からの猛反発が予想される
国論が二分するなか、集団的自衛権の行使容認を決めた安倍政権。拙速な閣議決定や国会運営への国民の批判が高まり、新聞やテレビの世論調査では内閣支持率が軒並み40%台に落ち込んだ。
しかし、それに反比例するかのごとく、日本の同盟国、米国での安倍首相の株はぐっと上がった。
米政府は、日本の決定が日米の同盟強化につながるとして、歓迎の意向を示した。
米国の本音としては、国防予算が削減されて自らの余力がなくなってきているなか、中東やウクライナ等で新たな問題が次々と勃発、日本にアジア太平洋地域を中心に安保負担をもっと担わせ、自らは負担減を図りたい意向がある。
米国にしてみれば、安倍首相はそうした米国の期待に応えてくれた。
それでは、米国は日本の集団的自衛権の行使容認で、今後、具体的に日本にどのような行動を求めてくるのだろうか。
その一つとして、年末までに見直される予定の日米防衛協力指針(ガイドライン)の中で、南シナ海での日米共同監視活動の実施を求めてくることが予想される。
それを予兆させるのが、日米の安保外交政策を主導してきたジャパン・ハンドラー(日本を操る人)と呼ばれる米国の国務省や国防省の元役人たちの意向だ。
ジャパン・ハンドラーが安倍首相に「謝意」
日本の集団的自衛権の行使容認を誰よりも喜んでいるのは、米政府よりも、そうしたジャパン・ハンドラーたちだ。
7月24日付の読売新聞の記事によると、リチャード・アーミテージ元米国務副長官やジョセフ・ナイ・ハーバード大教授らは、7月15日に首相官邸を訪ね、今回の閣議決定について安倍首相に「謝意を伝えた」という。
このことは何を意味するのか。
安倍首相は集団的自衛権の行使について「国民の命や暮らしを守る」ことを前面に掲げて訴えてきたが、もともと米国から謝意を伝えられるような施策だったということだ。
こうしたジャパン・ハンドラーたちは、謝意を伝えるばかりではない。
自らが目指す施策遂行に向けて行動を起こしてきた。
カート・キャンベル前国務次官補(東アジア・太平洋担当)やマイケル・グリーン元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は6月2日、集団的自衛権の行使容認に難色を示していた公明党の山口那津男代表と極秘に会談。
そして、日米ガイドラインの年内改定に間に合うよう、閣議決定を早めるために圧力をかけた。
日本の国内メディアではほとんど批判が起きなかったが、国論を真っ二つにするような国内問題をめぐって、米側がこのように与党幹部に圧力をかけることは、完全に内政干渉だ。

7月14日にはアーミテージ氏やナイ氏、グリーン氏に加え、ジョン・ハムレ戦略国際問題研究所(CSIS)所長やデニス・ブレア元国家情報長官らジャパン・ハンドラーたちが一堂に会する記者会見が東京であった。笹川平和財団が主催する「日米安全保障研究会」の中間報告の場に彼らが集ったのだ。会場のホテルオークラ東京には、筆者を含め、約70人の内外の記者や撮影クルーが取材に来ていた。
(※ 写真は左からグリーン、ジョセフ・ナイ、ブレア、ハムレ、アーミテージ)
笹川平和財団といえば、戦前は右翼政治家で、戦後は一時、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘留された故・笹川良一氏が創立した財団法人日本船舶振興会(現・日本財団)の下部組織。
笹川平和財団という日本最大級の公益財団法人が、米国の対日政策の重鎮たちをもてなしている姿は、日本の中枢を支配する保守層が今も米国頼みを続けている戦後の構図を如実に映し出している。
なお、日本財団の下部組織には、米有力シンクタンクのCSISと協力関係にある東京財団も含まれている。
アーミテージ氏はその14日の記者会見で、日本の集団的自衛権の行使容認で、自衛隊の米艦防護や国連平和維持活動(PKO)での駆け付け警護が可能になると述べ、日本の決定を高く評価した。
「"We are actually thrilled.(私たちは本当に興奮している、喜んでいる)」という感情的な表現さえも用いて、安倍内閣の閣議決定を称えた。
CSISの幹部であるハムレ氏やグリーン氏らは16日、麻生財務相や自民党の岩屋毅安全保障調査会長らとも会合を持ち、意見交換した。
アーミテージ・リポートが指摘していたこと
日本の集団的自衛権の行使容認は、もともとアーミテージ氏が2000年10月に発表した「アーミテージ・リポート」の中で求められていた。
同リポートは「日米同盟を米英関係のように強化すべきだ」と主張、集団的自衛権の行使禁止によって日米の同盟協力が制約を受けている、と指摘していた。
共著者として、前述のナイ氏やグリーン氏、キャンベル氏らおなじみの知日派が加わっていた。
このリポートを発表した直後の2001年4月に発足した小泉内閣は、集団的自衛権の行使容認には至らなかったが、その行使容認の必要性に触れた「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書を2004年に出している。そして、小泉内閣時代は、日本が「極東の英国」とも呼ばれるほど、日米同盟が蜜月化するに至った。
アーミテージ・リポートはその後も続編が発表され、2012年8月には「アジアの安定を支える日米同盟」と題した第3次リポートが出されている。日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加や原発の再稼働をはじめ、日本の集団的自衛権の行使容認や自衛隊の海兵隊機能の強化等は、すべてこの第3次アーミテージ・リポートの中で求められ、現実はそれに沿った形で進んできている。
しかし、同リポートで日本側に求められている、対イラン有事の際のホルムズ海峡への海上自衛隊の掃海艇派遣や、南シナ海での「航行の自由」を確立するための日米共同監視活動等はまだ実行されていない。
焦点は、南シナ海での日米共同監視
このため、年末までにとりまとめが予定されている日米ガイドラインでは、こうした南シナ海での日米共同監視が盛り込まれるのではないか、とみられる。
14日の記者会見でも、アーミテージ氏は、日本の集団的自衛権の行使容認によって、シーレーン(海上交通路)の安全確保などで、日本がより大きな役割を果たせるとの期待を改めて示した。
日本側にもそうした日本の役割拡大が必至との見方が広がっている。
森本敏前防衛相は25日未明に放送された「朝まで生テレビ!」の中で、「米国は日本の集団的自衛権の行使を歓迎しているが、これは実際にそうした(同行使の)蓋然性よりも、(日本は)この概念の下で米国の活動に対する支援を広範囲にいろいろな分野でできる」ことを指摘。
その具体的な例として、「今までは周辺事態法での公海上における米艦船への輸送だけだったが、それ以外の支援活動もできる。つまり、平時、有事、緊急時をかねて、米国の活動に非常にグローバルに日本が支援活動、実際は後方支援活動ができるようになる」と述べた。
その上で、日本政府が、国の安全について現行法では十分対処できない可能性があるとして例示した15事例のうち、「侵略行為に対抗するための国際協力としての支援」の事例の重要性を森本氏は強調した。
「侵略行為に対抗するための国際協力としての支援というのは、補給、輸送だけでなく、例えば哨戒活動、警戒監視、空中給油、早期警戒用の活動もそうだ。武力の行使に至らない米国に対する支援活動となる」と述べた。
また、新たな日米ガイドラインでは南シナ海を含むシーレーン防衛の重要性が強調され、P3C哨戒機等による南シナ海での日米共同監視が盛り込まれるのではないか、との見方について、民主党の長島昭久元防衛副大臣は29日、筆者の取材に対し、「民主党政権下で『動的防衛力』を構想した当初から、南シナ海に加え、第一列島線と第二列島線の間のTGT(東京・グアム・台北)トライアングルと呼ばれる広大な海域における日米共同警戒監視も視野に入れている」と述べ、その可能性を認めた。
それでは、南シナ海での日米共同監視活動について現場の自衛隊はどう思っているのか。
河野克俊・海上幕僚長は29日の定例記者会見で、筆者の質問に対し、「それについてはまだ答える段階ではない」「まだ具体的にそのような話が出ているとは承知していない。ガイドラインの中にそれが盛り込まれるのかについては、まだ協議が始まっていないので何とも言えない」と述べた。
ただし、海上自衛隊が南シナ海での日米共同監視活動ができる能力を有しているかどうかについては、「能力的にはできると思う。常日頃、日米の連携はとっているので、それは可能だと思っている」と言い切った。安保政策見直しで政府が示した15事例の中では、こうした「民間船舶の国際共同護衛」も盛り込まれている。
南シナ海で海上自衛隊が米軍と共同で監視活動に踏み切るとなれば、同海上での実効支配の動きを強めている中国を大きくけん制するものとなる。
そして、中国の強い反発は必至だ。
アーミテージ氏やグリーン氏のように、米共和党寄りの勢力にとっては、望ましい施策になるかもしれないが、対中協調路線を模索するハト派のオバマ政権にとっては必ずしも歓迎されないかもしれない。
しかし、現状は、安倍政権がオバマ政権の外にいるジャパン・ハンドラーたちの影響を大きく受けていることから、南シナ海での日米共同監視活動に向かう可能性は大いにある。
その現在のエージェントがジョセフ・ナイ、アーミテージ、グリーンなどCSIS系統の人脈である。
米国民主党オバマ政権の公式役職には何の関係もない人脈だが、戦後日米安保の巨大利権と結びついている彼らは、日本のマスコミと政治を支配する力を持っているがために、米国政府も対日政策では彼らを利用しつつ、利用される関係が続いている。
米国の日本研究者の間では彼らを、「ジャパン・ハンドラー」と呼ぶ。
このことはもちろん、日本の大手マスコミ系統では決して使わない言葉である。
集団自衛権、TPP、原発再稼働から消費増税、異次元金融緩和に及ぶこの国の政策はほぼすべてが米国の国益に従い指示されて実行しているものであり、彼ら「ジャパン・ハンドラー」が具体的に指導監督している代物である。
閣議決定による憲法の無法化となった集団自衛権だが、対米関係での実行行為はさらにどこに踏み込んでゆくのか。
今後の日米軍事関係というわけだが、秘密でも何でもない。日本のマスコミが報道しないだけで、ジャパンハンドラーズは既に提示しているのである。
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対中強硬策、「南シナ海日米共同監視」浮上
"ジャパン・ハンドラー"が突き動かす安倍政権 高橋 浩祐 :ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員 東洋経済オンライン

南シナ海に展開する中国の 沿岸警備艇(2014年7月撮影、ロイター/アフロ) 。日米がこの海域を共同監視するようになる可能性が高く、その場合、中国からの猛反発が予想される
国論が二分するなか、集団的自衛権の行使容認を決めた安倍政権。拙速な閣議決定や国会運営への国民の批判が高まり、新聞やテレビの世論調査では内閣支持率が軒並み40%台に落ち込んだ。
しかし、それに反比例するかのごとく、日本の同盟国、米国での安倍首相の株はぐっと上がった。
米政府は、日本の決定が日米の同盟強化につながるとして、歓迎の意向を示した。
米国の本音としては、国防予算が削減されて自らの余力がなくなってきているなか、中東やウクライナ等で新たな問題が次々と勃発、日本にアジア太平洋地域を中心に安保負担をもっと担わせ、自らは負担減を図りたい意向がある。
米国にしてみれば、安倍首相はそうした米国の期待に応えてくれた。
それでは、米国は日本の集団的自衛権の行使容認で、今後、具体的に日本にどのような行動を求めてくるのだろうか。
その一つとして、年末までに見直される予定の日米防衛協力指針(ガイドライン)の中で、南シナ海での日米共同監視活動の実施を求めてくることが予想される。
それを予兆させるのが、日米の安保外交政策を主導してきたジャパン・ハンドラー(日本を操る人)と呼ばれる米国の国務省や国防省の元役人たちの意向だ。
ジャパン・ハンドラーが安倍首相に「謝意」
日本の集団的自衛権の行使容認を誰よりも喜んでいるのは、米政府よりも、そうしたジャパン・ハンドラーたちだ。
7月24日付の読売新聞の記事によると、リチャード・アーミテージ元米国務副長官やジョセフ・ナイ・ハーバード大教授らは、7月15日に首相官邸を訪ね、今回の閣議決定について安倍首相に「謝意を伝えた」という。
このことは何を意味するのか。
安倍首相は集団的自衛権の行使について「国民の命や暮らしを守る」ことを前面に掲げて訴えてきたが、もともと米国から謝意を伝えられるような施策だったということだ。
こうしたジャパン・ハンドラーたちは、謝意を伝えるばかりではない。
自らが目指す施策遂行に向けて行動を起こしてきた。
カート・キャンベル前国務次官補(東アジア・太平洋担当)やマイケル・グリーン元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は6月2日、集団的自衛権の行使容認に難色を示していた公明党の山口那津男代表と極秘に会談。
そして、日米ガイドラインの年内改定に間に合うよう、閣議決定を早めるために圧力をかけた。
日本の国内メディアではほとんど批判が起きなかったが、国論を真っ二つにするような国内問題をめぐって、米側がこのように与党幹部に圧力をかけることは、完全に内政干渉だ。

7月14日にはアーミテージ氏やナイ氏、グリーン氏に加え、ジョン・ハムレ戦略国際問題研究所(CSIS)所長やデニス・ブレア元国家情報長官らジャパン・ハンドラーたちが一堂に会する記者会見が東京であった。笹川平和財団が主催する「日米安全保障研究会」の中間報告の場に彼らが集ったのだ。会場のホテルオークラ東京には、筆者を含め、約70人の内外の記者や撮影クルーが取材に来ていた。
(※ 写真は左からグリーン、ジョセフ・ナイ、ブレア、ハムレ、アーミテージ)
笹川平和財団といえば、戦前は右翼政治家で、戦後は一時、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘留された故・笹川良一氏が創立した財団法人日本船舶振興会(現・日本財団)の下部組織。
笹川平和財団という日本最大級の公益財団法人が、米国の対日政策の重鎮たちをもてなしている姿は、日本の中枢を支配する保守層が今も米国頼みを続けている戦後の構図を如実に映し出している。
なお、日本財団の下部組織には、米有力シンクタンクのCSISと協力関係にある東京財団も含まれている。
アーミテージ氏はその14日の記者会見で、日本の集団的自衛権の行使容認で、自衛隊の米艦防護や国連平和維持活動(PKO)での駆け付け警護が可能になると述べ、日本の決定を高く評価した。
「"We are actually thrilled.(私たちは本当に興奮している、喜んでいる)」という感情的な表現さえも用いて、安倍内閣の閣議決定を称えた。
CSISの幹部であるハムレ氏やグリーン氏らは16日、麻生財務相や自民党の岩屋毅安全保障調査会長らとも会合を持ち、意見交換した。
アーミテージ・リポートが指摘していたこと
日本の集団的自衛権の行使容認は、もともとアーミテージ氏が2000年10月に発表した「アーミテージ・リポート」の中で求められていた。
同リポートは「日米同盟を米英関係のように強化すべきだ」と主張、集団的自衛権の行使禁止によって日米の同盟協力が制約を受けている、と指摘していた。
共著者として、前述のナイ氏やグリーン氏、キャンベル氏らおなじみの知日派が加わっていた。
このリポートを発表した直後の2001年4月に発足した小泉内閣は、集団的自衛権の行使容認には至らなかったが、その行使容認の必要性に触れた「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書を2004年に出している。そして、小泉内閣時代は、日本が「極東の英国」とも呼ばれるほど、日米同盟が蜜月化するに至った。
アーミテージ・リポートはその後も続編が発表され、2012年8月には「アジアの安定を支える日米同盟」と題した第3次リポートが出されている。日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加や原発の再稼働をはじめ、日本の集団的自衛権の行使容認や自衛隊の海兵隊機能の強化等は、すべてこの第3次アーミテージ・リポートの中で求められ、現実はそれに沿った形で進んできている。
しかし、同リポートで日本側に求められている、対イラン有事の際のホルムズ海峡への海上自衛隊の掃海艇派遣や、南シナ海での「航行の自由」を確立するための日米共同監視活動等はまだ実行されていない。
焦点は、南シナ海での日米共同監視
このため、年末までにとりまとめが予定されている日米ガイドラインでは、こうした南シナ海での日米共同監視が盛り込まれるのではないか、とみられる。
14日の記者会見でも、アーミテージ氏は、日本の集団的自衛権の行使容認によって、シーレーン(海上交通路)の安全確保などで、日本がより大きな役割を果たせるとの期待を改めて示した。
日本側にもそうした日本の役割拡大が必至との見方が広がっている。
森本敏前防衛相は25日未明に放送された「朝まで生テレビ!」の中で、「米国は日本の集団的自衛権の行使を歓迎しているが、これは実際にそうした(同行使の)蓋然性よりも、(日本は)この概念の下で米国の活動に対する支援を広範囲にいろいろな分野でできる」ことを指摘。
その具体的な例として、「今までは周辺事態法での公海上における米艦船への輸送だけだったが、それ以外の支援活動もできる。つまり、平時、有事、緊急時をかねて、米国の活動に非常にグローバルに日本が支援活動、実際は後方支援活動ができるようになる」と述べた。
その上で、日本政府が、国の安全について現行法では十分対処できない可能性があるとして例示した15事例のうち、「侵略行為に対抗するための国際協力としての支援」の事例の重要性を森本氏は強調した。
「侵略行為に対抗するための国際協力としての支援というのは、補給、輸送だけでなく、例えば哨戒活動、警戒監視、空中給油、早期警戒用の活動もそうだ。武力の行使に至らない米国に対する支援活動となる」と述べた。
また、新たな日米ガイドラインでは南シナ海を含むシーレーン防衛の重要性が強調され、P3C哨戒機等による南シナ海での日米共同監視が盛り込まれるのではないか、との見方について、民主党の長島昭久元防衛副大臣は29日、筆者の取材に対し、「民主党政権下で『動的防衛力』を構想した当初から、南シナ海に加え、第一列島線と第二列島線の間のTGT(東京・グアム・台北)トライアングルと呼ばれる広大な海域における日米共同警戒監視も視野に入れている」と述べ、その可能性を認めた。
それでは、南シナ海での日米共同監視活動について現場の自衛隊はどう思っているのか。
河野克俊・海上幕僚長は29日の定例記者会見で、筆者の質問に対し、「それについてはまだ答える段階ではない」「まだ具体的にそのような話が出ているとは承知していない。ガイドラインの中にそれが盛り込まれるのかについては、まだ協議が始まっていないので何とも言えない」と述べた。
ただし、海上自衛隊が南シナ海での日米共同監視活動ができる能力を有しているかどうかについては、「能力的にはできると思う。常日頃、日米の連携はとっているので、それは可能だと思っている」と言い切った。安保政策見直しで政府が示した15事例の中では、こうした「民間船舶の国際共同護衛」も盛り込まれている。
南シナ海で海上自衛隊が米軍と共同で監視活動に踏み切るとなれば、同海上での実効支配の動きを強めている中国を大きくけん制するものとなる。
そして、中国の強い反発は必至だ。
アーミテージ氏やグリーン氏のように、米共和党寄りの勢力にとっては、望ましい施策になるかもしれないが、対中協調路線を模索するハト派のオバマ政権にとっては必ずしも歓迎されないかもしれない。
しかし、現状は、安倍政権がオバマ政権の外にいるジャパン・ハンドラーたちの影響を大きく受けていることから、南シナ海での日米共同監視活動に向かう可能性は大いにある。
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軍事同盟の危険など、大戦の教訓:田岡
2014-08-08

開戦100年!第1次世界大戦の教訓 8/7 田岡俊次 ダイヤモンド・オンライン
今年は第1次世界大戦が始まって、ちょうど100年に当たる。8月はまさに戦火が欧州に拡がった月だ。
大戦の直接の引き金は、1914年6月にボスニアの州都サラエボでオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が暗殺されたことだが、わずか1週間で世界大戦に発展したのはなぜか。
その過程と、それ以前の戦争に比べてケタ違いの死傷者を生み出した背景を探ることで、現代への教訓を考えてみる。
世界史の転換点
1914年8月は第1次世界大戦の戦火が欧州に拡がった月である。その100周年に当たって欧州各国では記念行事が盛大に行われる一方、甚大な惨禍を招いたこの戦争の原因などについて論議が再燃している。
日本も日英同盟を理由に参戦したが、中国・山東半島のドイツ租借地だった青島の要塞を2週間で攻略し、青島を脱出してインド洋で通商破壊を行っていた軽巡洋艦「エムデン」を追いかけ、地中海での輸送船護衛に巡洋艦2隻、駆逐艦12隻を派遣しただけで、人的損害は死者350人、負傷者900人程度だったから、日本では第1次世界大戦はほぼ忘れられている。
だがこの戦争はドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコ、ブルガリアの4ヵ国(動員兵力2285万人)に対し、ロシア、フランス、イギリス、イタリア、アメリカ、日本、ルーマニア、セルビア、ベルギー、ギリシャ、ポルトガル、モンテネグロの12ヵ国(動員兵力4219万人)が戦い、軍人の死者853万人、負傷者2119万人、民間人の死者775万人、計3747万人もの死傷者が出た大戦争だった。
その結果ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン・トルコ帝国が崩壊し、戦勝国の主役だったイギリス、フランスも大打撃を受け、ヨーロッパの衰退をもたらして世界史の転換点となった。
1918年11月11日にドイツは力尽きて降伏し、翌1919年6月パリ郊外のヴェルサイユ宮殿で講和条約が調印されたが、そのとき連合軍総司令官のフランスのフェルナンド・フォッシュ元帥は「これは平和条約ではない。20年間の休戦だ」と予言した。
その通り1939年に第2次世界大戦が勃発した。
日本とイタリアがドイツ側に回ったが、他の敵味方の配役は第1次世界大戦とほぼ同じで、休憩時間を挟んだサッカーの前半、後半に似て一連の「世界大戦」だったから、第2次世界大戦で惨敗した日本にも、第1次世界大戦は大きな影響を与えた、と言えよう。
交差点で急停車したところに刺客

この戦争の直接原因は1914年6月28日にオーストリア・ハンガリー帝国(以下オーストリアとする)皇太子フランツ・フェルディナンド大公(52)とその妃ゾフィー(43)がボスニアの州都サラエボでボスニア人青年ガブリロ・プリンチップ(19)に拳銃で射殺された事件だ。
バルカン半島は1520年代から約300年オスマン・トルコ帝国の版図だったが、トルコの衰退に乗じてギリシャが1829年に独立し、セルビアも反乱、内戦ののち1878年に欧州諸国のベルリン会議で独立が認められた。
だが、バルカン諸国の独立の背後には何度もトルコと戦い、圧迫して南下政策を進めたロシアがいた。
バルカン半島の民族の多くはスラブ系で、宗教もロシアと同じキリスト正教だから好都合だった。
もしセルビアがアドリア海の沿岸部も領有すればロシアが地中海に進出する、と案じた欧州諸国は海に面したボスニア、ヘルツゴビナの2州を名目上トルコ領として残し、当時欧州有数の大国で、ボスニアの北のクロアチアを領有していたオーストリアが占領し行政権を握る、と決めた。
ロシアと共にトルコと戦い独立を勝ち取ったセルビア人は同じ民族のボスニア・ヘルツェゴビナをオーストリアが支配し、セルビアは内陸に封じ込まれたことに不満で、ボスニアなどの民衆にも不穏な動きが拡がった。
オーストリアはそれを抑え込もうとし、1905年に日露戦争でロシアが大敗し弱まったのを機に、1908年ボスニア・ヘルツェゴビナを正式に併合する強硬策に出た。
このためセルビアとボスニアなどでは反オーストリアの民族主義運動が一層激化し、それに対してオーストリア軍は威嚇のため1914年6月にボスニアで大演習を行い、その視察に皇太子夫妻が出向いたのだから危険極まる無謀な行動だった。
暗殺の日にはサラエボに7人の刺客が待ち構え、1人が皇太子の車に爆弾を投げ、後続の車の下で爆発、12人が負傷した。
このためコースを変更したが先導車の運転手に伝わっておらず、元のコースを走ろうとした。
皇太子の車に同乗していたボスニア総督が「道が違う」と曲がるよう指示したため、交差点で急停車したところ、丁度その街角にプリンチップが立っていて至近距離からブローニング拳銃で2発を発射、2人を殺した。
当時の情勢から考え、この偶然がなければ第1次世界大戦は起きなかった公算もかなりあったから、これは最悪の結果を招いたテロ事件だった。
複雑な同盟網を伝わって世界大戦に
この事件はオーストリア領のボスニアでボスニア人が起こしたものだが、オーストリアはプリンチップらがセルビア民族主義団体「黒手組」の支援を受けていたことから、「セルビアの陰謀」と決めつけた。
「黒手組」が一部のセルビア軍将校の影響下にあったのは確かなようだが、この右翼団体はクーデターを企てたこともあり、セルビア政府はこれを監視対象にしており、事件の調査に当ったオーストリア外交官はセルビア政府の関与を示す証拠はないことを認めていた。
だがオーストリアはセルビアに対して、反オーストリア運動の禁止や、暗殺に関与した者の処罰、裁判にオーストリア政府代表を加えること、など受諾不可能な要求を突き付け、セルビアが「外国政府代表の裁判への参加は法的に無理」と拒否すると7月28日、史上初めて電報で宣戦布告をして侵攻した。
当時のオーストリア帝国は人口5300万人、東欧南部を支配する大国で、人口450万人の小国セルビアを侮り、懲罰のつもりで攻め込んだが、それ以前のバルカン戦争などで歴戦のセルビア軍は意外に強く、当初攻め込んだオーストリア軍は撃退された。
オーストリアが侵攻すると、セルビアの後ろ盾だったロシアは2日後の7月30日に動員令を出して予備役を招集、オーストリアの背後を突く構えを示して、オーストリアを牽制した。
これに対しオーストリアと同盟関係にあったドイツは8月2日にロシアに、3日にはロシアの同盟国フランスに宣戦を布告、フランスと協商(やや柔軟な同盟)関係にあったイギリスも、ドイツ軍が中立国ベルギーを通ってフランスに侵攻しようとしたため、4日にドイツに宣戦を布告した。
日本の新聞は当初「墺塞(オーストリア、セルビア)戦争」と報じたが、戦火は当時の欧州に張り巡らされていた複雑な同盟網を伝わってたちまち延焼し、1週間で「欧州大戦」に発展した。
イギリスと同盟関係にあった日本も8月23日に宣戦を布告、10月29日にはトルコがロシア領クリミアを砲撃して参戦、イタリアは元々は独、墺と3国同盟を結んでいたがオーストリアと領土問題で対立していたから、1915年5月23日に英、仏側に付いて参戦、アメリカはドイツの無制限潜水艦戦で商船の被害が続発したため1917年4月6日に参戦し「世界大戦」に拡大した。
技術進歩に疎かった将軍たち
欧州ではナポレオン戦争が1815年に終って以後、第1次世界大戦が1914年に始るまで約100年間大戦争は起こらず、大国間では1870~71年のプロシア対フランスの普仏戦争から第1次大戦までの43年は全く戦争が無かったため、軍人も政治家も外交官も戦争の悲惨さや結果の重大性について実感が薄れ「クリスマスまでには勝って帰れる」などと軽々しく考えがちだったことが指摘されている。
特に1870年から1910年頃までの約40年間は「第二次産業革命」により重化学工業が飛躍的に発達した時期だった。
世界の鉄鋼生産は1870年の年間100万tから1900年には3300万tに急増し、発電機、電灯、電気モーター、電話、無線通信、内燃機関、自動車、飛行機、化学肥料や合成繊維、合成染料、アルミニウム、鉄筋コンクリート、木材パルプ、輪転式印刷機、写真フィルムなど、今日の我々を取り巻く機械文明の要素の大半はこの時代に誕生した。
それ以前からあった鉄道、汽船なども工業生産力の拡大で爆発的に普及し、世界の鉄道は1869年の20万kmから1900年には92万kmに増大し、船舶も鋼鉄製が普通となった。
工場の機械化、自動化が進み、大量生産が可能となったのもこの40年間だった。
この技術の進歩と工業力の拡大は当然兵器の開発、生産に直結し連発小銃、機関銃、1分間に最大20発を発射できる速射砲、破壊力の大きい重砲などが作られ、軍の火力は飛躍的に増大した。
見落とされがちだが1886年にフランスで発明され、英、独などで改良された無煙火薬の意味は大きい。
それ以前の黒色火薬だと白煙が噴出して視界をさえぎるため、風が強くないと連続射撃は困難だったが、無煙火薬が実用化して機関銃や連発小銃、速射砲が真価を発揮するようになった。
だがヨーロッパの大国間では、丁度その40年間戦争が無かったため、軍人、特に将軍たちは技術の進歩と工業生産力の急増で戦場が「殺人工場」と化したことへの認識が乏しく、ナポレオン戦争時とあまり変わらない戦法と「攻撃精神」に頼っていた。
開戦後2年経った1916年6月から11月の第1次ソンム会戦でも、なお英軍は観兵式のように各人の間隔1ヤード(約91cm)の横隊で整列し、30kg以上の背のうを背負ってドイツ軍の陣地に向って前進した
(※ クラウゼヴィッツのいう横隊突撃であるが、これは大革命によるフランス国民軍が王政軍の貴族騎兵と傭兵隊を圧倒したことからの教訓である。時代はそれから100年を経ていた。)
(ドイツ軍の)機関銃、速射砲の絶好の標的となり、7月1日の総攻撃初日だけで死傷者6万人(うち死者1.9万人)を出し、11月13日の攻撃中止までに英軍に42万人、仏軍に19.5万人、独軍に60万人の死者が出たが、英仏軍は戦線を13km前進させただけにすぎなかった。
第1次世界大戦の10年前、日露戦争では砲兵火力が戦闘の主体となり、砲弾の消費が途方もなく増えたこと、陣地防御での機関銃の威力が大きいこと、騎兵の乗馬戦闘は不可能に近いこと、などが観戦武官の報告で欧州に伝わっていたが、欧州列強の将軍たちは「アジアでの特異な例」と軽視しがちで、第1次世界大戦が始まって砲弾の欠乏に悩んだ。
英陸軍大臣のホレイショ・キッチナー元帥は「機関銃は歩兵1個大隊(約1000人)に4丁で十分」と主張し、挙国一致内閣で軍需相となったデビッド・ロイドジョージ(自由党員、左派弁護士出身)が秘書官に「陸軍省に行って議論し、彼らの言う最大の数を聞いてくれ。それを2乗して2倍し、余力があればさらに2倍すれば足りるだろう」と言ったが、それが的中、この戦争末期には1個大隊に43丁が標準となった。
頭の固さは英海軍も同様で、海上交通路を確保する戦略として大西洋に「航路帯」を設定し、哨戒していたが効果は乏しく、1917年4月にはUボートによる英国商船の喪失が月87.5万tに達し、英国では「あと2ヵ月で食糧が尽き、降伏するしかない」との論が出ていた。
首相となっていたロイドジョージは海軍首脳部の猛反対を押し切り、商船に船団を組ませ、その周囲を護衛用の艦艇で守る「船団護衛方式」を採用させたところ、防御密度が格段に高まるため損害は劇的に低下し英国は敗戦を免れた。
この他にも英陸軍は、機関銃火を冒して敵陣地を突破できる「戦車」の提案に対しても「空想科学小説」と冷淡で、海軍大臣だったウインストン・チャーチルが海軍予算で「陸上軍艦」と称して試作させた、など当時の軍人の保守性と無能を示した例は数多い。
一方、ドイツ軍人はフランス軍、ロシア軍の能力を過小評価し、まずドイツ軍兵力の8分の7を西部戦線に投入し、ベルギー領を突破して西側からフランスを席巻、6週間で降伏させたのち、東に向かってロシア軍を制圧する、という1905年にアルフレッド・フォン・シュリーフェン参謀総長が立てた作戦計画を元に、若干変更した戦略で戦争を始めた。
だがドイツからベルギーを横切りパリまでは約500kmもある。自動車が少ない時代に徒歩で一気にその距離を突進する計画には元々無理があり、ベルギー軍が鉄道を破壊したこともあって補給が苦しく、パリの北東約50kmでマルヌ川を渡った時にはドイツ将兵の疲労困憊は極に達していた。
フランス軍はここで反撃に転じたため、ドイツ軍は約50kmも退却、塹壕を掘って陣地を守る態勢になり、短期決戦は幻となった。
新聞の煽情と政治家の迎合

こうした失策が双方で相次ぎ、毎日数千人の死傷者が出たのだから、フランス首相のジョルジュ・クレマンソーが「戦争は将軍達に任せるにはあまりにも重大な問題だ」と言ったのは無理もない。
だが公平に考えれば、開戦に至る経緯でも、戦争中でも、戦後処理でも、政治家の判断ミスの例もまた多い。
戦争が人も財力も工業力も、国力のすべてを注ぎ込む「総力戦」となったため、国民に犠牲を強いる必要上「正義と悪の戦い」として戦意を煽らざるをえず、それ以前の戦争のように巧みなかけ引きで停戦することは困難となった。
明敏なロイドジョージすら「カイザー(ドイツ皇帝)を吊るせ」と叫んでいた。講和条約でも英、仏が「戦争責任は全てドイツ側にあった」として莫大な賠償を課し、ドイツ人の怨恨を残したことは、20年後のヒトラーの台頭を招く一因となった。
第1次世界大戦前、ドイツ製品の最大の輸出先はイギリスで、イギリスの最大の投資先は工業の拡大で資金需要が多かったドイツだった。
このため両国間には相互依存関係が確立していたから「英独が戦争をすれば共に大損害を被る。戦争はあるまい」との見方が経済人の間には多かった。
またイギリスは20世紀初頭まではフランス、ロシアを仮想敵視し、ドイツとは友好関係にあったから、英独の貴族階級は複雑な姻戚関係で結ばれ、ドイツ皇帝ウィルヘルム2世はイギリスの故ヴィクトリア女王の孫だった。
両国の政体はともに貴族主体の立憲君主制で、白人の優越を信じ植民地支配を是認する価値観も同じだった。
だがドイツ工業の進展でイギリスは経済的優位を失いつつあり、ドイツが1890年の「艦隊法」、1900年の「第2次艦隊法」で、戦艦38隻、巡洋艦58隻などを建造して大海軍を作ろうとし、英国民に警戒心が拡がっていったことが戦争の遠因だった。
また木材パルプから紙を大量生産する技術が開発されて紙が安くなり、庶民も新聞を買えるようになり、西欧では義務教育が拡がって新聞を読める程度の人口が急増した。
だが、大衆は海外情勢をよく知らないから感情的な強硬論に傾きがちで、新聞は発行部数を競って愛国心を煽り、選挙権の拡大で政治家もそれに迎合することになったことが、20世紀を戦争の世紀にした原因の1つ、とも言われる。
同盟のリスクにも目配りを
第1次世界大戦が終わって冷静さを取り戻した英国では、軍人の死者90.8万人、負傷者209万人、民間人死者(商船員、爆撃など)3万人を出し、戦時中に乱発した国債の償還に歳入の半分を費やす程の財政危機に陥り、アメリカの台頭で国際的地位も低下したため「バルカン半島でのオーストリアとセルビアの戦争に参戦する必要があったのか」との議論も起こった。
同盟政策(集団的自衛)は平時には抑止効果がある半面、一部で戦争が始まると同盟網が導火線となり延焼して大火災になる危険性があることを身に沁みて認識した欧州では、戦争を非合法化し、それを破る国には国際的組織で制裁を加えようという「集団的安全保障論」が流行し、米国のウッドロウ・ウィルソン大統領が唱えた国際連盟が1920年1月に生まれた。
だが米国上院の反対で米国自身が加盟できず、敗戦国ドイツも革命後のソ連も当初入らなかったし、1935年エチオピアを征服したイタリアへの経済制裁は効果が無く、日本、ドイツ、イタリア、ソ連、中南米諸国の脱退が相次ぎ、第2次世界大戦への流れを阻止できなかった。
第2次世界大戦後に作られた国際連合は戦勝国の米、英、仏、ソ連(現ロシア)、中国に拒否権を与え、各国が同盟を結ぶ「集団的自衛権」を認めているから、第1次世界大戦の反省から生じた国際連盟の理想主義とは全く異なるものと言えよう。
日本では同盟関係の強化が自国の安全に繋がることを、疑いの余地のない原理のように考えている人が多いが、第1次世界大戦はそれとは逆の例だ。
「かつては日米安保条約で戦争に巻き込まれる、と言う人も少なくなかったが、日本は平和を保ちえたではないか」との説も有力だが、1962年10月の「キューバ・ミサイル危機」で米国はソ連の弾道ミサイルのキューバへの配備を阻止するためキューバに対して海上封鎖を行い、米国は核戦争を覚悟して日本の米軍基地も「「デフコン2」(第2防衛態勢、5段階の上から2番目の臨戦態勢)を取り、水爆を搭載したB52爆撃機が発進、ソ連に近い公空で待機したり、弾道ミサイル「ポラリス」搭載の原潜や、地上発射の弾道ミサイルも発射準備に入った。
ソ連のニキータ・フルシチョフ首相が、米国は再びキューバに侵攻しない(1961年4月に侵攻して失敗、再攻撃を準備していた)ことなどを条件に、キューバに配備していた弾道ミサイルを撤去したため全面核戦争は避けられたが、もし衝突となれば米、ソで各1億人、欧州で数百万人の死者が予測され、多分日本でも米軍基地数ヵ所が核攻撃を受けて10万人以上の死者が出てもおかしくない状況だった。
また米国は1980年代、NATO正面での数的劣勢を補うため、もし欧州で戦争になれば、米側が優勢な極東で攻撃に出て、ソ連の戦力をできるだけ東に割かせる「水平エスカレーション」を公言していた。
日本は西欧諸国を救うため、ソ連の戦力を吸収する役回りになる形だった。
日米共同作戦計画の作成過程でそれを知った自衛隊の将官が「我々は日本が攻撃された際、米軍が来援してくれることばかり考えていたが、実は、米軍はこちらに戦争を波及させようと考えている」と私に話したこともあった。
こうした状況を思い出せば、「安保条約があったから日本は安全だった」と言うのは「飲酒運転をしても無事に家に着いたではないか」と言うに近いと感じざるをえない。
第1次世界大戦から100年の今年は、同時にスイス、スウェーデンがナポレオン戦争末期の1814年以後欧州の2度の大戦の中でも、簡単に制圧されない軍事力を備えると同時に、たくみな外交で中立を保って戦火を免れた200周年でもある。
今日の日本にとって対米関係は大事だから俄かに日米同盟を解消するのは危険だが、第1次世界大戦が示した同盟の危険性にも目配りをする必要があると考える。
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