災害、事故で私たちの命を守る3つのこと
2014-02-21

地震について地学、地球物理学では活動期と静穏期という概念がある。
現在、日本列島はほぼ全域で大地震の活動期に入りつつある。
2005年国会の石橋克彦教授証言「原発震災、浜岡から全ての核燃料撤去を!2005年石橋証言」
戦前から続いた静穏期は終わり、既に活動期に入っている。
地震だけではない。
地球は地圏、水圏、気圏の一体であり、太陽活動と連携している。
地震、噴火、異常寒波、大干ばつと洪水など地球物理全般にわたる活動期と考えるべきである。
少なくとも、かつてのサイクルと異なるのは生活全般の高度化である。
冬でも室内は薄着になり、食料ははるか遠くからの物流によっている。
食料と工業原料はほとんどが海外からの輸入である。
頑丈な5階建てがせいぜいだった建物は超高層が乱立し、地下と高架の交通網。
鉄道のすばらしい速度は、同時に全滅速度でもある。航空機は言うまでもない。
これらの施設高度化は自然環境の災害と重複することで思いもよらぬ大災害に発展する。
密集した大都会の震災としては阪神大震災がある。
東日本大震災はその教訓が生かされて地震そのものの被害は大きくなかったが、大津波には無力だった。
最も甚大な今だ収束の手立てもないのは原発事故である。
地震で原発が事故を起こす「原発震災」となってしまったからである。
原発震災と今回の豪雪災害で明らかになってしまったことは、政府は何も頼りにならないこと。
マスコミは不安を煽りそうな情報は過剰抑制し、テレビ依存の政府は危機対応が大巾に遅れるということ。
NHKを先頭にマスコミの過剰抑制は原発事故では現地の避難を遅らせて、住民の被曝を増大させ、今も危険地域に日常生活を強制している。
今回の豪雪では想定される危険を報道せず、死者を増加させている。
政府が眠ったままで、新潟県は独自に除雪救援に入っている。
これは無能な政府が指示のないなかで経費負担の保証もなく、決断せざるをなかったはずである。
事故や災害などの緊急事態に対するマスコミとりわけNHKと政府の対応はますます低下している。
後進国以下の対応しかできないと思って、私たちは自分を守らなければならない。
「津波てんでんこ」の考えを教育し、あの大津波を全員無事で避難しきった小学校と中学校に学ばなければならないだろう。
小さな事故、小さな災害と思えても、その実態は報道されず、車内アナウンスもされず、全員丸焼けになる可能性がおおいにある。石勝線の特急全焼事故や韓国地下鉄火災がよい例だ。
そのとっさの判断と対応が私たちの命を守る。
一見小さな異常に見えても「津波てんでんこ」の精神が重要だ。
それと「危険を誤魔化す同調圧力と正常圧力」
「みんな逃げないから逃げなくても大丈夫だ」
「みんな大丈夫と言ってるから大丈夫だ」
「みんなじっとしているから大丈夫だ」
普段からこんな考え方、感じ方をしている人は改めたほうが良い。
そして身近にこうした人がいたら、非常時には何も期待しないほうが良い。

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巨大災害の中で、少しでも助かる確率を増やす3つの方針とは 2/18 「Darkness」から抜粋
世界各国を襲っている異常気象は日本にも到達している。
(略)
あらゆる観点から見て「異様な時代」に突入している
今のところ、多くの被害を「局地的」に出しながらも、人類は何とか対処できている。しかし、いずれ対処できなくなる時代がやって来る。
「そのうちに良くなる」「そのうちに誰かが何とかしてくれる」という社会ではなくなるのだ。
「どうにもならない時代がやってきた」と、覚悟しなければならないほどの凶悪な災害に見舞われるようになっていく。
いろんな災厄が次々と襲いかかって、下手したら人間の社会システムが維持できなくなるのではないか考える人が多くなっているが、それは突拍子のない考え方ではない。
明確に、世界が瀬戸際になりつつあるのである。
これほどまで自然災害が巨大化した時代はないし、これほどまで人口が増えた時代もないし、これほどまで自然破壊が進んだ時代もない。
現在は、あらゆる観点から見て「異様な時代」に突入している。
自然災害が次々と襲いかかってきて、最終的には人間社会がカタストロフィにまで行き着くと思うのは、もう「既定路線」に入ったように見える。
だから、地球規模でどんどん拡大していく自然災害を前にして、私たちはいろんな意味で、覚悟しなければならなくなった。災害と言えば「一過性」のように捉えるが、災害に見舞われた後の後遺症は一過性ではない。
少しずつ少しずつ、地域の復旧ができなくなり、インフラも社会も壊れたまま放置されて地域社会が壊死するような状態になっていく。
危険から目をそむけ、「正常な状態が続く」と勘違い
ところで、こういった危険な事態になったときに助かるには、どうしなければならないのか。心理学的に言えば、3つのシンプルな指針がある。
(1)正常性バイアスに捕らわれない。
(2)愛他行動を起こさない。
(3)同調バイアスに捕らわれない。
心理学的な専門用語を言われてもあまりよく理解できない人が多いと思う。
これを噛み砕いて言えばこういうことになる。
何があっても助かる決意をしている人は、非常事態になったときには、しっかりと肝に銘じて欲しい指針だ。
(1)今が正常だと思い込まない。
(2)非常時には他人を助けようとしない。
(3)みんなと同じ行動をしようとしない。
多くの人が、今の時代の空気を嗅いで「どうも大災害がやって来そうだ」と思う。
致命傷になるのは、豪雨なのか、干魃なのか、猛暑なのか、酷寒なのか、あるいは大地震なのか、大津波なのか、大噴火なのかは誰にも分からない。
しかし、何かとてつもない破滅的な災害が目の前にやってきて、自分の身が危険になる可能性は高い。
だからこそ、(1)の心構えが重要になってくる。今が正常だと思い込んではいけないし、楽観的に感じてもいけない。
「何かとてつもないこと」が襲いかかってくるのだから、自分が巻き込まれてしまうと覚悟して備えていなければならない。
危険から目をそむけ、「正常な状態が続く」と勘違いするのが、「正常性バイアス」である。
多くの人が不安を抱えながらも「何とかなる」と思い込もうとするのは、今の生活が崩れ去ることが恐ろしいからだ。
しかし、現実を直視するのであれば、まず「終わりが来る」と認識しなければならない。
巨大災害の渦中で最も危険なのは、何もしない他人
そして、ここからが重要なのだが、いったん危険が迫り来るのを察知して、自分が巻き込まれていると認識したら、認識できない人たちを助けようと説得したり、議論をしてはいけないということだ。
他人を説得しようとしても、危機を捉える感受性があまりにも人によって違うし、絶対に正常性バイアスから抜けだそうとしない人も多い。
(※ もうすぐ北風:大川小学校の場合はあきれて事故判断で避難したのは3分の1。)
そのときは、他人を説得しないで自分だけを助けなければならない。他人を助けようと時間を食って自分が死ねば元も子もない。
緊急事態に陥ったら、「他人を助ける=愛他行動」を起こしてはならない。自分が助かることに全力を尽くさなければならないのである。
巨大災害の渦中で最も危険なのは、実は「何とかなるだろう」という「事なかれ」「先延ばし」「根拠なき楽観主義者」と一緒にいることだ。
事なかれ主義者は、みんなが淡々としているから、自分も何もしなくてもいいと思う。
何の根拠もなく、何とかなると思って何もしない。
実はこれで多くの人がまとめて死ぬ。
災害が起きたとき、常識を働かせないでみんなと同じ行動を取る人が多いが、それは他人に判断力を預けているのと同じだ。自分で何も考えていない。
これを「同調バイアス」あるいは「多数派同調バイアス」と呼ぶ。「事なかれ主義者」の無意味な楽観に流されてしまうのである。
「みんな逃げないから逃げなくても大丈夫だ」
「みんな大丈夫と言ってるから大丈夫だ」
「みんなじっとしているから大丈夫だ」
助かる方法は以下の3つのルールを厳守すること
スマトラ沖大地震のときも、津波が来ると思った人たちは速やかに海岸沿いから離れるか高いところに避難した。
しかし、逃げている人たちを笑い、「逃げなくても大丈夫だ」とイスに座って海を見ていた人も大勢いた。「みんな大丈夫と言ってるから大丈夫だ」というわけだ。
2004年12月26日の大地震・大津波で亡くなった人は20万人。この中で、最初から必死で逃げていれば助かった人たちも多い。
大丈夫だとのんびりしている人たちを見て、自分ものんびりして、やっぱり駄目だった人も相当数いるのである。
他人と同じようにしていれば助かるというのは幻想だ。
自分が逃げたほうがいいと思えば、他人と同調していないで逃げておくほうが素直でいい。
もう一度まとめる。非常事態になったときに、助かる方法は以下の3つのルールを厳守することだ。
(1)今が正常だと思い込まない。
(2)非常時には他人を助けようとしない。
(3)みんなと同じ行動をしようとしない。
他人に左右されないで、自分で考えて自分で行動する、という常識的な行動が、結局のところ助かる方法なのだろう。
もちろん、世界の破滅がいつ来るかなど分からない。
しかし、そろそろ準備が必要だと思わないだろうか?

スマトラ沖地震でも、逃げないでわざわざ海側に見に行った人間もいた。
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おばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーたちを助けた
2014-02-21
豪雪は2/14から始まり、15日には山梨県が全域陸の孤島。同じく関東山添のあちことで市町村が孤立状態となった。
大手全国マスコミはこれをほとんど報道せず、異常なほどの対応の遅れを招いた。
マスコミは17日にやっと全国報道し、政府は重い腰をやっとあげた。
既に前日から取り組んでいた新潟県は17日、山梨県、埼玉県、群馬県に入り、独自に救援除雪を開始している。
そんななかで報道されていないが、各地で独自に様々な救援活動を行った人々が居たことだろう。
15日に福島の4号線で雪に埋まり孤立したドライバーたちは、翌朝、大雪をこいであらわれた仮設住宅のおばあちゃんたちに救援された。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

福島市松川町の国道4号。奥の高台に飯舘村の仮設住宅がある。
雪の国道へ命のおにぎり-飯舘村の恩返し 2/20 高橋宏一郎 | 共同通信福島支局長
東日本で記録的な大雪となった先週末、福島市郊外の国道4号でも立ち往生したトラックや乗用車が行き場を失い、ドライバーは食べるものもなく途方に暮れていました。
そこへ炊きたてのおにぎりを差し入れに来たのは、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民でした。
持病のため運転席で意識を失いかけていた人が、温かいおにぎりで命拾いしたそうです。
東京電力福島第1原発事故に伴う避難が3年近く続く村民たちは「これまで国内外からさまざまな支援を受けてきた、ほんの恩返し」と謙虚に振り返っています。
福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51歳)は土曜日の15日午前、福島市への配送を終え、郡山市の会社に戻る途中でした。
激しく降り続く雪で国道は大渋滞。福島市松川町付近で車列は全く動かなくなってしまいました。
ペットボトルの水とお茶だけで一昼夜をしのいだ増子さんですが、翌16日、持病の糖尿の影響で低血糖状態に陥り、意識が遠のきました。
ふと気付くと、車の窓をノックする音がしました。「おにぎり食べて」と差し出されました。
誰だろうと不思議に思い、言葉を交わすと、国道を見下ろす高台にある飯舘村の仮設住宅の人たちでした。
前日から同じ車がずらりと止まり続けていることに女性たちが気付き、自治会長に炊き出しを提案したそうです。
富山県高岡市のお寺から支援物資として仮設に届いていたコシヒカリが1斗5升ありました。
急きょ集会所で炊き、20人ほどが自室からのりと梅干しを持ち寄って約300個握りました。
炊きたてだから冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪をかき分けて国道沿いを歩き、1台1台車をのぞき込んでは1人1個ずつ渡して回りました。
おにぎりを口にした増子さんは、おかげで意識もしっかり戻りました。
「もったいないから半分にして、時間を置いて食べました。温かくて、おいしくて、一生忘れられない。仮設で厳しい暮らしをしているだろうに、こうして人助けをしてくれるなんて、頭が下がります」と言っています。
仮設の女性たちは増子さんのこの言葉を聞いて「お腹が減っているだろうからと軽い気持ちだったのに、病気の人が命救われたと感謝してくれているなんて」と、涙を流して感激しました。
婦人会長の佐藤美喜子さん(62歳)は「震災からこれまで、私たちは数え切れないほど多くの人に助けられてきました。今回のことで、またあしたから頑張ろうと私たちにも励みになりました」と話してくれました。
飯舘村は中心部が福島第1原発から北西に約40キロ。
放射線量の高い地域が多く、村民約6600人のほとんどが村の外で避難生活を続けています。
距離がありますから、原発とは何の縁もゆかりもなく暮らしてきた人々です。
原発事故直後の風向きの影響で、運悪く大量の放射性物質が降り注いでしまいました。
手間をかける、ていねいにという意味の方言「までいに」が合い言葉の、緑豊かな山里でした。
農林業や畜産が主産業。
全村避難で村を離れなければならなくなった時、酪農家の人たちは涙ながらに子牛や親牛を手放しました。
今でも牛の話になると、村の人はぽろぽろ涙をこぼして泣くのです。そういう純朴な山あいの村です。
村の自宅は帰還困難区域にある。
放射線量の濃淡で、除染が済めば村に帰れる見込みがある地域と、帰還はまったく難しいという地域があります。
もともと3~4世代の大家族ばかりでしたが、若い世代は東京など遠方へ避難。
中高年層は福島市や郡山市といった県内都市部の借り上げ住宅、
高齢層は近隣の仮設住宅と、家族は大きく分断されました。
ふるさとに帰りたいという気持ちはもちろんあります。
だけど、若い世代が戻って来ない中で年寄りばかりで村に帰っても、買い物や病院通いの送り迎えはどうするのか、元のように野良仕事をしたいけど、田畑は放射能に汚染されて荒れ放題。隣近所が離れた村よりも、肩寄せ合って3年近く我慢してきた仮設の長屋暮らしのほうが、まだましかもしれないと思ったりもするそうです。
この先どうしていくべきなのか、どうなっていくのか、定まった見通しは誰にもありません。
そんなじいちゃん、ばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーを助けに回ったのです。
まさに、助け、助けられて人は生きています。
話を聞きながら、私自身も胸と目頭が熱くなりました。
増子さんの妹、恵さんがラジオ福島の名物アナウンサー大和田新さんにメールを寄せ、放送でこの話が紹介されて福島県内のリスナーから大きな反響がありました。
恵さんは車いすバスケットボールの日本代表選手で、2000年のシドニーパラリンピックで銅メダルを獲得した際、私が現地で取材した縁が続いていました。
大和田さんは私が2年前に福島に赴任して以降、福島の実情を最もたくさん教えてくれた地元メディアの先輩です。
そんな人のつながりで耳にした、心揺さぶられるニュースでした。
共同通信の記事として昨日(19日)夕方に配信、福島民報、福島民友を始めとした本日(20日)の各紙朝刊に多く載せてもらっています。
このページをお借りして、さらに全国、全世界の皆さんにお伝えしたいと思います。

笑顔で炊き出しの様子を振り返る飯舘村のばあちゃんたち。この写真は半分です。たぶん、おにぎりは握らないが1mの雪をかいて頑張ったじいちゃんたちは後ろです。
大手全国マスコミはこれをほとんど報道せず、異常なほどの対応の遅れを招いた。
マスコミは17日にやっと全国報道し、政府は重い腰をやっとあげた。
既に前日から取り組んでいた新潟県は17日、山梨県、埼玉県、群馬県に入り、独自に救援除雪を開始している。
そんななかで報道されていないが、各地で独自に様々な救援活動を行った人々が居たことだろう。
15日に福島の4号線で雪に埋まり孤立したドライバーたちは、翌朝、大雪をこいであらわれた仮設住宅のおばあちゃんたちに救援された。
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福島市松川町の国道4号。奥の高台に飯舘村の仮設住宅がある。
雪の国道へ命のおにぎり-飯舘村の恩返し 2/20 高橋宏一郎 | 共同通信福島支局長
東日本で記録的な大雪となった先週末、福島市郊外の国道4号でも立ち往生したトラックや乗用車が行き場を失い、ドライバーは食べるものもなく途方に暮れていました。
そこへ炊きたてのおにぎりを差し入れに来たのは、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民でした。
持病のため運転席で意識を失いかけていた人が、温かいおにぎりで命拾いしたそうです。
東京電力福島第1原発事故に伴う避難が3年近く続く村民たちは「これまで国内外からさまざまな支援を受けてきた、ほんの恩返し」と謙虚に振り返っています。
福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51歳)は土曜日の15日午前、福島市への配送を終え、郡山市の会社に戻る途中でした。
激しく降り続く雪で国道は大渋滞。福島市松川町付近で車列は全く動かなくなってしまいました。
ペットボトルの水とお茶だけで一昼夜をしのいだ増子さんですが、翌16日、持病の糖尿の影響で低血糖状態に陥り、意識が遠のきました。
ふと気付くと、車の窓をノックする音がしました。「おにぎり食べて」と差し出されました。
誰だろうと不思議に思い、言葉を交わすと、国道を見下ろす高台にある飯舘村の仮設住宅の人たちでした。
前日から同じ車がずらりと止まり続けていることに女性たちが気付き、自治会長に炊き出しを提案したそうです。
富山県高岡市のお寺から支援物資として仮設に届いていたコシヒカリが1斗5升ありました。
急きょ集会所で炊き、20人ほどが自室からのりと梅干しを持ち寄って約300個握りました。
炊きたてだから冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪をかき分けて国道沿いを歩き、1台1台車をのぞき込んでは1人1個ずつ渡して回りました。
おにぎりを口にした増子さんは、おかげで意識もしっかり戻りました。
「もったいないから半分にして、時間を置いて食べました。温かくて、おいしくて、一生忘れられない。仮設で厳しい暮らしをしているだろうに、こうして人助けをしてくれるなんて、頭が下がります」と言っています。
仮設の女性たちは増子さんのこの言葉を聞いて「お腹が減っているだろうからと軽い気持ちだったのに、病気の人が命救われたと感謝してくれているなんて」と、涙を流して感激しました。
婦人会長の佐藤美喜子さん(62歳)は「震災からこれまで、私たちは数え切れないほど多くの人に助けられてきました。今回のことで、またあしたから頑張ろうと私たちにも励みになりました」と話してくれました。
飯舘村は中心部が福島第1原発から北西に約40キロ。
放射線量の高い地域が多く、村民約6600人のほとんどが村の外で避難生活を続けています。
距離がありますから、原発とは何の縁もゆかりもなく暮らしてきた人々です。
原発事故直後の風向きの影響で、運悪く大量の放射性物質が降り注いでしまいました。
手間をかける、ていねいにという意味の方言「までいに」が合い言葉の、緑豊かな山里でした。
農林業や畜産が主産業。
全村避難で村を離れなければならなくなった時、酪農家の人たちは涙ながらに子牛や親牛を手放しました。
今でも牛の話になると、村の人はぽろぽろ涙をこぼして泣くのです。そういう純朴な山あいの村です。
村の自宅は帰還困難区域にある。
放射線量の濃淡で、除染が済めば村に帰れる見込みがある地域と、帰還はまったく難しいという地域があります。
もともと3~4世代の大家族ばかりでしたが、若い世代は東京など遠方へ避難。
中高年層は福島市や郡山市といった県内都市部の借り上げ住宅、
高齢層は近隣の仮設住宅と、家族は大きく分断されました。
ふるさとに帰りたいという気持ちはもちろんあります。
だけど、若い世代が戻って来ない中で年寄りばかりで村に帰っても、買い物や病院通いの送り迎えはどうするのか、元のように野良仕事をしたいけど、田畑は放射能に汚染されて荒れ放題。隣近所が離れた村よりも、肩寄せ合って3年近く我慢してきた仮設の長屋暮らしのほうが、まだましかもしれないと思ったりもするそうです。
この先どうしていくべきなのか、どうなっていくのか、定まった見通しは誰にもありません。
そんなじいちゃん、ばあちゃんたちが、大雪をかき分けて国道のドライバーを助けに回ったのです。
まさに、助け、助けられて人は生きています。
話を聞きながら、私自身も胸と目頭が熱くなりました。
増子さんの妹、恵さんがラジオ福島の名物アナウンサー大和田新さんにメールを寄せ、放送でこの話が紹介されて福島県内のリスナーから大きな反響がありました。
恵さんは車いすバスケットボールの日本代表選手で、2000年のシドニーパラリンピックで銅メダルを獲得した際、私が現地で取材した縁が続いていました。
大和田さんは私が2年前に福島に赴任して以降、福島の実情を最もたくさん教えてくれた地元メディアの先輩です。
そんな人のつながりで耳にした、心揺さぶられるニュースでした。
共同通信の記事として昨日(19日)夕方に配信、福島民報、福島民友を始めとした本日(20日)の各紙朝刊に多く載せてもらっています。
このページをお借りして、さらに全国、全世界の皆さんにお伝えしたいと思います。

笑顔で炊き出しの様子を振り返る飯舘村のばあちゃんたち。この写真は半分です。たぶん、おにぎりは握らないが1mの雪をかいて頑張ったじいちゃんたちは後ろです。
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