fc2ブログ

もうすぐ北風が強くなる

経済制裁が招く血の粛清と軍人支配:山田

人民軍

  北朝鮮の粛清は制裁外交の「成果」
  だが、兵糧攻めは軍人支配を強化する
  12/19 山田厚史 

 北朝鮮のナンバー2の張成沢氏が「国家への反逆」と断罪され、4日後に処刑された。

 この国の異常さを物語る出来事だが、われわれも間接的に手を貸している、と言えないだろうか。日本が国際社会と連携して行なっている経済制裁と無縁でないからだ。

北を窮乏化させ、政権を追い詰める」というのが経済制裁の狙いだ。
 仲間割れが起こることは想定内である。「まさかこんなことに」と驚く人は多いだろうが、「シナリオ通りの展開になってきた」というのが冷静な見方だろう。

  孤立化の反動で愛国心が鼓舞され軍人が力を持つ

 党派や派閥の争いはどの国にもあることだが、北朝鮮では「命がけの闘争」になっている。
 孤立し極度に追いつめられた集団に、命をやり取りする内部闘争が起きやすい。ソ連のスターリン体制や日本の浅間山荘事件もそうだった。

 児童虐待が、孤立してどん詰まりになった家庭で起こるのと似ている。国家も孤立し窮地に立つと、狂気が漂う

 孤立は北朝鮮が選んだ道だが、追い込んだのは国際社会でもある。
 貿易を行わない、人の往来を断つ。経済制裁は「国家に対する兵糧攻め」で、相手を孤立させ、窮乏化させる外交政策である。

兵糧攻めを続ければ、やがて内部崩壊が始まり、北朝鮮は瓦解する」というのが戦略の筋書きで、今のところその通りのことが起きている。

 だが、「兵糧攻め」が「国家の瓦解」へと進む過程では、おぞましいことがたくさん起こる。
 血なまぐさい権力闘争はその一つだが、深刻なのは人々の暮らしが破壊され、飢えが広がることだ。
 「不足の経済」では物資がヤミで取引され、不正や特権が発生する。
 監視が厳しくなり秘密警察が力を持つ
 孤立化の反動で愛国心が鼓舞され、軍人が力を持つようになる。
 北朝鮮の先軍政治はまさにそれだ


 軍は非生産的組織であり、その肥大化は国民生活を圧迫する。国家が窮乏化すれば軍人の待遇も悪くなり、ヤミ取引に加担したり、物資の横流しなど、私腹を肥やす組織的腐敗が横行する。

 東南アジアでの取材経験では、軍が麻薬取引や違法な森林伐採に関与していたケースに遭遇した。
 北の実情は知らないが、国家の窮乏は、軍上層部の跳ね上がりと、末端のモラル崩壊を同時進行させやすい。

 さらに、経済制裁は外国と接点を持つ組織や政治家の力を失わせる。
 窓口役として外国と接する機会がある組織には、国際常識が分かる人材がいるが、制裁が強化されるとそうした立場の人が力を振るいようがなくなる。
 国家内部で開明派の影響力が低下するという事態になる。

  経済制裁は文民の力を失わせた

 日朝のパイプが細ったのは経済制裁が影響している。
 日本には北朝鮮を祖国とする人たちが大勢いた。束ねるのが朝鮮総連だが、一時は北との太いパイプ役を果たしていたが今はその力を失っている。

 拉致問題で日朝関係が険悪化したことで経済制裁が強まり、送金ができなくなった。
 物資を積んで往来していた万景峰号は運航を停止した。
 北を敵視する人から見れば、総連も万景峰号も「北朝鮮の手先」だろう。
 だが、日朝関係でこのルートは「日本に理解ある勢力の拠点」でもあった。

 日本から送られた資金や物資がどんなルートで誰に渡るかは不透明だ。
 利権や特権が入り込みやすい。私腹を肥やす人もいるだろう。一説では、首領様が配下に配るプレゼントになったともいわれる。
 だが、首領様のプレゼントを用立てる仕事が首尾よく行われれば、その任にある勢力はしかるべく地位を与えられるだろう。

 権力の闇の中で、さまざまな暗闘があったと思う。
 軍に対抗する文民にとって自由にできるカネと物資は力の源泉だったのではないか。
 経済制裁はその力を失わせた


  粛清された張成沢は中国との窓口 軋みを増す中朝関係

 粛清された張成沢は中国との窓口だった。
 国際的な経済制裁の中で、中国は事実上例外扱いされていた。
 食料・エネルギーなど北の生存にかかわる最低限の物資を北に供給してきた。
 国際社会が大目に見てきたのは、援助と引き換えに中国が北の首根っこを押さえることを期待したからである。事実、中国はその役割を果たしてきた。

 さかのぼれば朝鮮戦争で、米軍が中朝国境に迫ると毛沢東は人民解放軍を投入し米軍を38度線まで押し戻した。
 北の軍隊と解放軍は「血の同盟」で結ばれた、とも言われる。

その関係が軋(きし)んでいる。張成沢氏の処刑はその象徴とも読める。

 今年になって中国は北朝鮮に原油の供給を停止した。
 制止を振り切って核実験に踏み切ったことへの制裁だった。
 周辺国が核武装するのを嫌う中国と、瀬戸際外交の武器として核を誇示したい北朝鮮の間で摩擦が起きた。

 朝鮮半島に対する中国の基本姿勢は「現状維持」である。
 南北が統一して朝鮮半島に大きな国家ができることは好ましくない。
 韓国と同盟関係にある米軍が中朝国境の近くまで陣を構えることは愉快ではない。
 一方、北が崩壊すると難民が中国東北地方に流れ込む。
 都市と農村の格差が問題になっている中国で、辺境の異変は避けねばならない。「北は生かさず殺さず」というのが中国の立場だ。

 北朝鮮から見る中国は「大国主義国家」である。
 援助の見返りに口を出し、自国の都合を押しつける。
 かつての朝貢外交を思わせる中国の態度を自尊心の強い北朝鮮は許せない。中国は後ろ盾であっても、北からは嫌悪されていた。

 さりとて国際包囲網の中で経済建設を進めるには中国の協力は欠かせない。
 中朝共同管理の特区が北朝鮮内に建設された。
 プロジェクトを推進したのが朝鮮労働党行政局長だった張成沢
 「中国式の改革開放路線」を導入しようと動いた。中国が原油の輸出を中止し関係が悪化した時も、収拾に動いたのは張氏と言われている。

  対話の窓口を閉ざした結果 日本は「標的の国」になった

 各国の経済制裁は、結局のところ中国に有利な立場を与えている。北は中国に頼らざるを得ないからだ。

 では日本はどうすればいいのか。

「あの国は何をしでかすか分からない」とただ呆れ、他人事のように見る人がほとんどだが、「血の粛清」は日本の外交政策と無関係ではない
 命がけの内部闘争の次に何が起こるか。核武装しミサイルの開発を急ぐ国が、自暴自棄になったとしたら。しかも隣国である。

 国交がなく、人の往来も希薄なため、信頼関係など望むことさえできず、何を考えているのかも分からない。「北朝鮮が悪い」と言って済む話ではない
 国の安全保障、国民の命がかかっている。

 政府は米国から1兆円をはたいてミサイル防衛システムを買ったが、飛んでくるミサイルを撃ち落とすことは無理、と言われている。
 まずなすべきは、外交努力による危険回避だ。

 日本は北朝鮮と対話窓口を開いたことがある。
 2002年、小泉首相が訪朝し日朝平壌宣言をまとめた時だ。日本は経済協力し、北朝鮮は拉致問題の解決に取り組むことを約束した。
 その後、拉致被害者の帰国などを巡り信頼関係が崩れ、再び冷え込んだ関係に逆戻りしてしまった。対話路線を逆流させたのは、米国と当時の安倍晋三官房副長官、とされている。

 米国は日本が独自に外交窓口を開くことを警戒した。
 包囲網に風穴が空くことを恐れ、北朝鮮市場に日本企業が先んじて乗り込むことを懸念した。「毅然とした態度で」と主張した安倍氏は北との対決姿勢を全面に出すことで首相の座を射止めた。
 対話の窓口を閉ざし、情報も取れないまま、「標的の国」になった

 北朝鮮はわれわれの常識を超えた不可解な国である。
 異常な人たちが独善的な思想で危ない政治をしているイメージだが、この異常さは「置かれた特異な状況」の産物である。

 北朝鮮の人も韓国や日本と同様、「普通の人」だ。
 普通の人が恐ろしいことをするのは歴史ではしばしば起こる。状況が人々を追い込むからだ。
 孤立させることは北朝鮮をさらに危険な国に追いつめる

  兵糧攻めを強めることは 北朝鮮の軍人支配を強化するだけ

 一段と兵糧攻めを強め北朝鮮経済を麻痺させ、金正恩体制を内部から崩壊させる、
 という外交は、結局、北朝鮮の軍人支配を強化するだけである。
 戦争によって決着する道を進んでいるだけだ。
 米軍が奇襲をかけて中枢部を破壊し、金正恩一派を殲滅する、という映画もどきの展開は妄想の世界だろう。
 命が脅かされれば軍は自暴自棄になり、ソウルは火の海になりかねない。
 北風政策の犠牲を受けるのは民衆であり、経済封鎖は軍人を勢いづかせる、というのが今回の教訓ではなかったか。

 取るべき選択は太陽政策である。
 経済制裁を緩和し、貿易を再開し、人の往来を加速させる。
 独裁政権は一息つくが、それは金体制を助けるのではなく政権内の開明派を後押しするものと割り切る。
 関係改善の度合いに応じて協力や援助を増やす。
 政権周辺の利権を拡大する恐れがあるが、人々の暮らしは改善される。
 人の往来が増える中で国際的常識を浸透させ、徐々に国のありようを変えて行く。
 苦難に満ちた北朝鮮を日本の技術と資金で日本経済の外縁部に育てる。
 それくらいの大局観がいま求められている
 危機は発想の転換を求めている。

 日本地図を逆さまにして見てみよう。
 日本海は中国、朝鮮、ロシアと日本列島に囲まれた中海であることがよく分かる。
 ここを豊穣の海にすることが日本の成長戦略である。
関連記事

差別と屈辱の辺野古移設:琉球新報

普天間

    社説 埋め立て判断 「不承認」の歴史的英断を  12/17  琉球新報

 米軍普天間飛行場の辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請に対し、仲井真弘多知事が年内に判断を示す方針だ。
 「軍事の要石」から「平和の要石」に転換する、新しい沖縄の歴史を切り開けるか。仲井真知事の英断を期待したい。

 こうした動きの一方で米政府高官は日本側に、埋め立て申請は無条件で承認されるべきだとの圧力を強めているようだ。
 辺野古移設までの間に日本側から、普天間駐留部隊の日本本土への移転や、米軍の運用に制限をかける日米地位協定の一部見直しなどの要求を提示されることへ警戒感があるのだろう。

 しかし、部隊移転を落としどころとするような移設の懐柔策が仮にあるとすれば許されない
 そうした小手先の「負担軽減策」がまやかしにすぎないことは、これまでの経緯からも明らかだ。
 県民は代替基地の条件とされた使用期限15年や基地使用協定など、浮上しては消えた“空手形”を忘れない。
 米政府が無条件の埋め立て承認を求めることは当然想定されることだ。現行移設計画に関与してきた当局者として、交渉相手の日本側をけん制する狙いがあろう。

 言うまでもないが、知事の埋め立て判断に当たって重要なことは、普天間の「固定化」の脅しを冷静に分析し、振り払うことだ。
 米政府は表向き、埋め立てが認められない場合は普天間を継続使用するとの立場だが、固定化は実は米側にとっても最も避けたいシナリオだ

 住宅密集地にある普天間飛行場周辺で再び事故が起きれば「住民の支持は壊滅的な打撃」(キャンベル前国務次官補)を受け、日米安保体制そのものが揺らぎかねないことを米側は十分理解している。
 知事は埋め立て不承認を求める公明党県本の提言を受け「内容を参考に結論を出したい」と答えた。

 県選出国会議員らの県外移設公約を力ずくで撤回させ、辺野古移設容認の発表に同席させた安倍政権の強権的手法を、琉球処分と重ねる県民も少なくない。
 「処分官」に例えられた石破茂自民党幹事長を前に、こうべを垂れる地元代議士の屈辱的な姿を目の当たりにし、県民の間に政権与党への反発が強まっている。

 辺野古移設の是非は戦後68年基地を押し付けてきた差別的処遇と人権侵害を続けるか、その転換に踏み出すかの選択であり、選ぶべきは明らかだ
 後世の評価に耐え得る賢明な判断を知事に求めたい。

   政府、24日にも知事要求回答 普天間5年内停止など  12/19 琉球新報

 【東京】政府は18日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て申請に関し、仲井真弘多知事が17日の沖縄政策協議会で求めた同飛行場の5年以内の運用停止などの負担軽減策や沖縄振興策に対し、24日にも知事に回答する方針を固めた。
 5年内の運用停止について政府関係者は「決して高いハードルではない」と話している。
 知事は運用停止などの実現可能性や県内世論、事務方の審査結果などを見極めて埋め立て可否を判断するが、知事表明に関して政府内からは、25日以降に首相と知事の再会談を設定する動きも出ている。

 知事は19日に沖縄科学技術大学院大学の整備拡充を要望するため官邸で安倍晋三首相と会談する。
 知事は腰から足にかけての痛み、しびれが改善しないとして東京都内の病院に検査入院中だが、県によると一時的な外出が許可された。
 安倍政権内では17日の知事の要求を埋め立ての承認に向けた事実上の条件提示と捉え、「知事は承認する」(政府筋)との見方が強まっている。
 来年度政府予算案が決定する24日にも県要求に正式に回答し、その後に上京中の知事と首相による再度の会談を模索する案が浮上している。

 首相は18日、知事が埋め立て可否を年内に判断する意向を示したことに関して「受け入れていただけるよう努力を積み重ねる」と記者団に語った。その上で「オスプレイの訓練移転や嘉手納より南の基地返還、グアムへの海兵隊移転などを着実に進め、負担軽減を沖縄の皆さんに実感してほしい」と理解を求めた。

 政府関係者は普天間の5年内の運用停止に関し、県に提出した埋め立て申請で工期を「約5年」としていることを根拠に実現は可能だとしている。
 オスプレイについては県外訓練の回数を増やす方針。返還前の基地立ち入りについては日米地位協定の運用見直しで対応するとしている。

 一方、カジノを中心とした統合型リゾート(IR)整備の候補地にするなど沖縄振興策も検討している。
関連記事

菅谷松本市長「何とかしなければ、松本子ども留学」

 菅谷

<松本こども留学>「松本モデル」が全国に広がって欲しい12/17菅谷昭松本市長会見  書き起こし「kiikochan.blog」から

松本市長記者会見2013年12月17日[動画版]

菅谷昭松本市長

そこで今日は過日報道も、していただいた社もありますけれども、
福島からの子どもたち、いわゆる「松本こども留学事業」という事に関しての、
行政としての協力という事で、これからお話したいと思っております。

福島の原発事故以降、これで約1000日経過している訳ですけれども、
私はチェルノブイリで医療支援をしていたという事で、
実際に現地でこういう活動をしていた人間というのは、日本でも世界でも誰もいない訳ですから、
実際に汚染地の村々を往診したりという事で、
状況が分かった上で、原発事故以降かなり早い段階から様々な事を一貫して申し上げてきております。

たとえば事故が起こった当初から言えば、
「この避難区域が狭すぎる、もっと広げるべきだ」とか、「50kmまでやる」とか、
あるいはまた「これからホットスポットが出てきますよ」とか、
あるいはまた「内部被ばくの問題がこれから」という事を申し上げてきました。

で、こういう事は多くの方は誰も知らなかった訳ですから、私は言われる。
「菅谷さんが言われることによって、初めてホットスポットとか内部被ばくというのが分かった」
って言われたけど、
これは、私自身が経験があるからそれを基に言わせてもらっているんであります。

あるいはまた早い段階で、
安定ヨウ素剤を飲ませた方がいいですよ」っていうことも私は申し上げております。
これは汚染の状況に関わらず、被ばくという可能性があれば、子どもたちには、
子どもたちというか、若い年齢層ですね、含めて。
これを飲ませるのはもう、ごく一般的なことなんですけれども、
残念ながら日本の場合はこれを、
基本的には政府の指示待ちの結果として「飲ませなかった」という事があるわけですが、

皆さんご承知の通り今、放射性ヨウ素が結構放出されたという事を、
今の段階で分かってきたわけですよね。

だからその時はもう…、これは初期段階処置をしなければいけないのに、
これは大きなミスであったなと。
もちろん甲状腺がんがどういう状況か?という事はみなさんご承知のとおり、
実際に出始めているという事で。
これもその度に増えていると。

ただこれも、わたしは本当に・・・被ばくの影響なのかどうかというのは、これはまだ何とも言えないという、
ま、福島の方は「関係ない」というけれども、
これは、「関係あるない」じゃなくて「分からない」と、原因は。
という事の方がベターであるというのはずっと申し上げています。
これは経過を追っているうちにいずれ結果が出るでしょうけど、
ただまぁ、具体的には甲状腺がんが出てきていると、疑いも結構あるという事であります。

ですから今日本では、ヨウ素は飲ませた方が良かったんではないかという声が出ている訳です。
みなさんの新聞なんかでは書いているところもあるんですよね。
でもこういう事はもう、今言っても遅いわけですよね。

それからまた私は、「除染というものを過大評価してはいけませんよ」ということで、
ずーっと言っています。
今私が言っているのは、全国の講演とか、あるいはまた、さまざまな取材とか、
それから皆さんの新聞の中でも取材を受けて言っていますし、
それから拙い本の中にも私はハッキリ書いている訳ですね。

そういう中で今の「除染の問題は過大評価してはいけませんよ」と。
ですからそれに相当のお金がつぎ込まれているわけで、
これはいずれ税金が、とても東電じゃ無理だと思うから、
税金がこれから国民負担になるんでしょうけれど、
それですから、高度に汚染された地域での除染というのは限界があるから、
そういうところは残念だけども、本当に残念だけども、帰還するというのは難しいと思う。

ですが、政府の方針というのは、もう全てを除染して、
そして「そこに住んでいる人達を帰還させたい
」という事を言ってたでしょ。
これはみなさんよく分かっている。
ところがここにきて政府が大方針、方針を転換しましたでしょ。

だから、高度の汚染のところは除染してもとても難しいという事で、帰還を断念したじゃないですか。

こんなに大きな、やっぱり、国の方針を変えている事に対して、
皆さんはあんまり書いてくれないけれども、
私はもう当初から「無理ですよ」とずっと言っていて、その通りに動いたじゃないですか。

あるいはまた、汚染されたがれきの問題にしたって、国は全然決められなかった。
私は大変残念だけども、高度に汚染されたところに、1カ所に集中させるような方向に持っていかないと、
大変難しいです
よ、という事を申し上げていたところ、
ここにきて国はいよいよ、高度の汚染の地域のところの土地を国で買うという事を出したじゃないですか。

これはみんな私が言っている事を後追いしている訳ですよね。

だからやっぱりそういう意味でいきますと、
私自身経験した事をやっぱり言わせてもらっている事がみんな当たっている訳ですよね。

そういう意味で言いますと、私が当初から言ってきたのは低線量被ばくの問題。
「特に子どもとか、あるいは妊産婦は長期にわたる被ばくによって、
特に内部被ばく、あるいは外部被ばくによって、今後健康被害を含めて起こるから、
命を守るためには国策として、集団的にどこかに子どもたちは移住したらどうですか」
という事をずーっと申し上げてきました


でもまだこの問題は国が耳を傾けておられないと、
しかし、被ばくは毎日起こっている訳ですね。
こういう状況というのは何とかしなければならない。
誰かが何かしなければいけない」というふうに私は思いました。

まさに私がチェルノブイリに飛び込んだという、あの時の気持ちと変わらないわけですよね。
何かしなきゃいけない」と。

で、ずーっと考えておりましたが、国が動かない状況であるならばということで、
たとえば私自身が松本市という自治体として何かできないかという事で、
福祉委員会、あるいは教育委員会、教育委員長さんともいろいろご相談してですね、
話を進めていきました。

その一方で今松本に移住されている福島の方々とか、
あるいはまた現在福島で放射能から子どもを守るという、そういうグループのみなさんが、
いろいろ、福島の方々の中でですね、
子どもは何とか移住出来れば」というお考えの方々があるということで、
私がこういうふに言っていますから、彼らが私の方に来まして、
「松本市でなんとかできませんでしょうか」という、
本当にこれも涙を流して依頼された経過もあります。

そうなりますと私としても、
これは何とかしなければいけない」と、ますますその思いが強くなりまして、
これも全て、今チェルノブイリの子どもたちが、
低濃度汚染地に住んでいる子どもたちが健康被害が出ている訳です、現実に

その子どもたちは、今年は事故後27年経っているんですよね。

でもその子どもたちは10歳、あるいは15歳未満という、
まさに事故の後で生まれた子どもたちが、
今低濃度の汚染地に住んでいて、
そして免疫機能が落ちていて、
上気道感染とか、あるいは非常に疲れ安いやだるいとか、気力がないとか、
また、ベビーに対しては低体重出生児が増えているとか、
あるいはまた先天異常のような状況があるとか、
こういう事が現実にいま、まだ、27年経っても起こっているんです。

だからこういう事を考えると、
ふくしまでは絶対にこういう事を起こしちゃいけない」という思いが、私には非常に強い。
ということで、こういう事を経験しているものですから、なんとかしたいという事がありましてですね、

今回本当に向こうから子どもさんがくるということがあれば、
松本市としては協力していく方向で動きたいという段取りで進めてきたわけでございます。

で、実は先日、福島に今お住まいで、
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の世話人をされている方と
対談をして取材を受けたんですけど、
その方に、「今福島のお子さんたちはどんな状況ですか?」という事をお聞きして、
その彼の話の中に、これも先日新聞等にありましたように、
この前から福島のお子さんたちは、被ばくじゃないんですけれども、
「今外に出ないようにしているために肥満傾向にある」という事を言っていましたね。
それから、「運動能力が非常に落ちている」という事を言っていました。
走ったり、跳びはねたりとか、あるいは投げるとか、
そういうのはやっぱり能力が落ちていて、

特にですね、これは僕もビックリしたんですけど、
小学校に入学するような子どもさん達が今非常につまづきやすい、転びやすい
それから片足で靴下はくような姿勢に耐えられないと。
これはまさに大人のロコモティブシンドローム(locomotive syndrome)症候群ですよね、運動器症候群ですね。

だからこれが結局、彼等はお家にずっといて、
子どもたちは運動も、筋力も落ちちゃっているんですね。
こんな事っていうのはもう、異常ですよね。

それからまた、お家にいる事によって彼等は、
お家の中でゲームをしたりだとか、やっているから、
外のいろんな事に全然興味とか関心が低下しちゃっている。
だから無感動とか無気力になってきている。

こういう状況を耳にしますと、
これは被ばくじゃないですけれども、
しかし間接的に被ばくを恐れて、そして家庭の中にいる。

こういう子どもたちが将来どういう事になると思います?みなさん、いったい。
記者だったら分かるでしょ?
精神面においたって、大変だっていうことを。
現実的に健康な子どもたちがこういうふうに将来10年20年後に一体どうなるんでしょうか?って。
そういう事を含めればこれはなんとかしなきゃいけない

あるいはまた、彼からの話では、
保育園の園児が、
普通の場合は園舎がコンクリートになっているからこの中にいる限りにおいては被ばくは非常に少ないと。
ところが、これが8月になるとボーンと上がるんだそうですね、個人の被爆線量が。
それを先生方は調べて折れ線グラフをつくったんです。
ボーンと上がる。
なぜか?
夏休みなんですよね。

夏休みになると子どもたちは、今度は保育園じゃなくてお家からあちこち遊ぶわけですよね。

ご承知のとおり、野や山に行くというのは、ああいう所は汚染されている訳ですよね。
今はみなさんご承知の通りに、除染というのはどこか?と言ったら、
ただ、学校の近くとか家のまわり、住宅で、
野山とかああいう所はやってないじゃないですか。
ところが子どもたちは夏になれば遊びに行く訳ですよ。

あきらかにそういうサイエンティフィックに8月にボーンと上がるっていうのは、
多分そういうことじゃないですか。って言ったけれども、
「それは確かにそうだね」

だからこういう事実があるわけですよ。

だからますます、これはもう早い段階でなんとかしなくちゃいけないんじゃないかなという事で、
松本市としてやる事は、集団の移住の場合には、
一つは教育の問題ですよね。
小学生中学生、教育環境をどうするかという事。
もうひとつは、生活面、特に住居の問題をどうするかという事。

で、こういう問題に対して、複数回町内で検討する、協議する組織をつくりまして、
そしてこれまで検討してまいりまして、
そういう中で候補地として今お願いしているのは、四賀地域でございます。

四賀地域のみなさんも、
一番僕が思うのは、今回の場合には地域のみなさんのご協力がなくては出来ない事でありますので、
そういう意味でもって伺ったところ、地域のみなさん、みなさんというのもおかしいけれども、
現段階ではそういう町会さんとか、あるいはまた社協のような団体とか、
あるいはそれに類するようなみなさんにもお話しして、
もちろん学校もそうですけれども、
いま、ご協力いただける方向にございますので、

それではいよいよ、子どもの、ま、「留学」という表現になっておりますけれども、
スタートをする形で、いま、福島の方々もNPOを立ち上げますので、
来年の4月からを目指していきたいという事になっております。

これは日本ではどこもやっておりません。

初めての試みなんです。
で、こういう試みによって、私は「松本モデル」というものをつくりまして
これが全国に広がって欲しいなという事を思っております。

まさに国難であります。

日本の子どもたちを、特にふくしま関連の子どもたちを、
みんなでもって、やっぱり命を守ってあげるというのは、
これは国民の義務で、大人の義務
なんですね。

ですから。
そう思っていても具体的にどうしたらいいのか分からなかったけれども、
今回松本が一つのモデルとして、成功事例としていけば
、ですね、
私は全国の本当に心あるみなさんが、
是非ともふくしまの子どもたちを守ろう」という動きになって、
なおかつこういう様ないろんな地域への留学が進めばいいなと思っていますし。

また、こういう事によって、
「原発事故による光と影」という事があるんです。
影はもう明らかに原発事故によっていろんな事がありますが、
光というのは、今みたいな、
今度は福島の子どもたちと各地域の子どもたちの交流が始まるんですよね。
それがお互いに支え合うという事で。

わたしは、チェルノブイリに行った時に、むこうの子どもたちを、日本の全国に、
いろいろ彼らがダンスをしたりできるものですから、民族舞踊で。
で、私は連れてまわったんですよね。
そして日本の子どもたちとチェルノブイリの子どもたちの交流をさせた訳です。

その時は日本の子どもたちは、ある意味で友情という立場でもって
「チェルノブイリの子どもたちを支えよう」とやってくれた。
どうでしょう?
今は同じ立場になっていますよね。
日本のたとえば福島の子どもたちとチェルノブイリの人達は。
だからピアカウンセリングになっちゃうんですね、お互いに。

日本は汚染されてしまった。
そこに住んでいる子どもたち。

だからこういう問題を含めて私はお互いにやっぱり、日本の国内でいいから、
沢山の子どもたちがいて、そしてそれが深い交流をする事によって、
今度は受け入れるところの子どもたちも、「ああ、福島の子どもたちは大変なんだね」という、
そういう思いになれるというのはとても大事なこと
だと思うし、
お互いにいい経験になるし、
現段階では、その各地域の子どもさん達が福島には行けないけれども、
いつかは福島の町が除染して綺麗になった時には、福島に訪れる。
それはその時は大人になるかもしれない。
しかしそういうものもですね、私は日本全体としてつくっていかなければならないと思う。

21世紀を背負う子どもたちに対して、
そういう国が大きな政策を打つべきだというふうに私は思っている
のです。

今回こういう形でですね、まさに子供だけが留学するという、
昔で言えば、戦争中のいわゆる集団疎開という形になるわけですけれども、

ちょっと余談ですけれども、
今年 王選手、まさにソフトバンクの会長さんをやっている、
王さんにもこの話をですね、
「僕は今進めておりますけれども、なかなか福島のお父さんお母さんたちが
『子どもと離れて暮らすのは辛い』ということで、なかなか難しいんですよね」って雑談しました時に、
王さんは、
いや、これはとても大事なことで、
むしろこれは、子どもたちを自立させるためにはとてもいいきっかけじゃないですか

という事を言われまして、
その時に王選手は私よりは二つ三つ上ですけれども
「僕らも昔はみんな疎開したじゃないですか」と、
「まさにこれは国難の状況であって、子どもたちを守るためにもこういう事は大変いいことじゃないですか」
という事はお話しされましたけれど。

わたしは、王選手は、王さんは、「子どもを自立させるためにもいい」
ある意味で、王氏が言いたかったのは、
「ちょっと今日本では子どもに対して過保護な状況にある」という、
「子どもを自立させるためだったらこういうことも決して悪くない」という事を言われたんだと思うんですけど。

ま、いずれにしましてもこういう状況にありますものですから、
いよいよ福島からのお子さんたちをですね、受け入れるような形で、
松本市民のみなさんも、是非とも分かって頂いて、
「松本モデル」に協力していただければ大変ありがたいなと思っております。

一番は、地域のみなさんに是非ともご協力をお願いしたいというのが私の思いであります。
以上であります。
関連記事

 | HOME | 

 

プロフィール

もうすぐ北風

Author:もうすぐ北風
こんにちは。
いろんな旅を続けています。
ゆきさきを決めてないなら、しばらく一緒に歩きましょうか。

最新記事(引用転載フリー)

カテゴリ

経済一般 (118)
経済一般~2012冬まで (161)
日本の経済 (224)
通貨戦争 (70)
ショック・ドクトリン (12)
震災関係 (23)
原発事故発生 (112)
事故と放射能2011 (165)
放射能汚染2012 (192)
汚染列島2013-14 (146)
汚染列島2015-16 (13)
福島の声 (127)
チェリノブイリからの声 (27)
政治 (413)
沖縄 (93)
社会 (316)
小沢一郎と「生活の党」 (232)
健康と食 (88)
環境と地球の歴史 (28)
未分類 (175)
脳卒中と入院 (7)

カウンター

最新コメント

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

このブログをリンクに追加する

カレンダー

11 | 2013/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新トラックバック

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

Template by たけやん